ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Posts Tagged ‘天皇制

キリスト教牧師に有罪判決(5)

4.ケシャブ牧師訴追批判
ケシャブ・アチャルヤ牧師の逮捕・訴追については,ネパール内外のキリスト教関係諸機関が厳しい批判を繰り広げてきたことはいうまでもない。たとえば――

▼宗教の自由国際ラウンドテーブル(IRFR)公開書簡(2021年7月19日付)
「[当局の行為は]ネパール憲法の保障する法の支配を無視し,言論信仰の自由を不法に制限するものだ。このままであれば,アチャルヤ牧師の逮捕・再逮捕が悪しき前例となって,憲法26(1)条の定める安全保障がさらに掘り崩され,キリスト教徒や他の少数派諸宗教の人々は,自分たちの宗教信仰の自由を制限され,信仰の大原則を単に表明することさえ困難になってしまうだろう。」(*8)

▼メルヴィン・トマス(Christian Solidrity Worldwide 代表)
「ケシャブ牧師への嫌疑には全く根拠がない。彼の扱いは,正義に反する重大な過ちである。・・・・ネパールには,宗教信仰の自由への権利の保護促進を図っている国際社会の努力を尊重していただきたい。」(*8)

▼タンカ・スベディ(Religious Liberty Forum Nepal 議長)
「アチャルヤ裁判では,民主的世俗的ネパール憲法のもとでの最初の判決が下された。その判決は,ネパール憲法の精神を掘り崩すものであり,不当である。言論の自由や信仰告白の自由を台無しにし,少数派を抑圧するものだ。」(*14)

▼B.P.カナル(Nepal for the International Panel of Parliamentarians for Freedom of Religion or Belief ネパール代表)
「アチャルヤ逮捕の経緯だけをみても,その逮捕が不当なもので,キリスト教に対する計画的な行為であったことは明らかである。」(*14)

ここでB.P.カナルが指摘しているように,ケシャブ・アチャルヤ牧師の逮捕・訴追は,おそらく「計画的な(pre-planned)」権力行使であろう。妻ジュヌ牧師もこう指摘している。

▼ジュヌ・アチャルヤ牧師
「ケシャブ牧師の逮捕・有罪判決は,キリスト教社会全体に対する警告です。彼らは,ケシャブを処罰すれば,その有罪判決を見てキリスト教徒たちが学ぶだろう,と考えています。」(*14)

5.宗教と構造的暴力
ケシャブ牧師の逮捕・訴追につき,キリスト教会側が,内外声をそろえて,信仰の自由への権利を根拠に,ネパール政府当局を厳しく批判するのは,もっともである。信仰の自由は,もっとも重要な万人に保障されるべき基本的人権の一つである。

が,一方,その信仰の自由といえども,社会の中で行使されるのであり,社会の在り方と無関係ではありえない。

とりわけネパールのように,世界的にはむろんのこと,国内社会に限定しても,経済,教育,健康など多くの領域において構造的暴力の犠牲になっている人々がまだまだ多い場合には,たとえ信仰の自由といえども,その現状を十分踏まえ行使されなければならない。

たとえば,次のような報告。善意に疑いはないが,非キリスト教徒のネパールの人々がこれを読んだら,どう感じるか? いわずもがな,であろう。

「世界クリスチャンデータベースの数字によると,ネパールは世界で最もキリスト教人口が増加している国の一つだ。・・・・

改宗は違法のままだが,ほとんど実効性はない。キリスト教団体は社会的支援などのために入国し,その多くは活動とともに福音を伝えた。・・・・

C4Cの提携宣教団体『救い主だけがアジアの人々を贖う(SARA)』のテジュ・ロッカ牧師は,『彼らは病気の人や壊れた家族を見つけては話し掛けて祈りました。すると奇跡的にその人たちが確信を持ち,キリストに従い始めたのです』と述べた。『彼らは人々に,幾らかの食料と衣服を寄付しました。そのため,人々は彼らに耳を傾け始めたのです』」(*3)

【参照1】
*3 なぜネパールには、世界で最も急成長している教会があるのか, christiantoday.co.jp,翻訳:木下優紀, 2016/02/09
https://www.christiantoday.co.jp/articles/19022/20160209/nepal.htm
*8 Religious freedom groups call for dropping of charges against pastor in Nepal, LiCAS, 2020/07/28
https://www.licas.news/2020/07/28/religious-freedom-groups-call-for-dropping-of-charges-against-pastor-in-nepal/
*14 Pastor in Nepal Sentenced to Prison under Proselytism Law, Morning Star News, 2021/12/28
https://www.licas.news/2020/07/28/religious-freedom-groups-call-for-dropping-of-charges-against-pastor-in-nepal/

【参照2(2022/01/28追加】
「それでも、明治政府が天皇を「万世一系」「神聖不可侵」と定義したことには歴史的必然性があることは僕も認めます。幕末にアジア諸国を次々と植民地化してきた欧米帝国主義列強の圧倒的な経済力・軍事力の背景には白人種を人類の頂点とみなすキリスト教的コスモロジーがありました。だから、日本が列強に対抗するには、黒船だけではなくキリスト教にも対抗しなければならなかった。・・・・僕は神仏分離による日本の伝統的な宗教文化の破壊を悲しむものですけれども、「一神教文化に対抗する霊的な物語を創造しないと列強に対抗できない」という政治判断自体にはそれなりの合理性があったと思います。」内田樹「天皇制についてのインタビュー」『月刊日本』2022年2月号

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2022/01/15 at 17:58

民主主義:強い個人の強い国家

谷川昌幸(C)

民主主義は「強い個人」の存在を前提としている。自主独立の個人が,社会や政治に関心を持ち,これを理性的に判断し,合理的に行動する。これが民主主義の大前提である。

ネパールでいま唱えられている民主主義は,「絶対的(absolute)民主主義」あるいは「成熟した(full-fledged)民主主義」である。スローガンだからある程度はやむを得ないが,真に受け誇大妄想になると,ろくなことはない。

1.強い個人の強い国家――米仏
個人と国家の強さをパターン化すると,次のようになる。

220115

強い個人を想定し,強い国家を組織しているのが,アメリカやフランス。とくに自己責任の本家アメリカでは,個人は強くなければ生き残れない。その強い個人が集まって,世界最強のアメリカをつくっている。

2.弱い個人の強い国――日本
これと対照的なのが,日本。弱い個人が集まって,強い国家をつくっている。イタリアのことはよく知らないが,聞くところによると,個々人はやたら強いのに国家は弱いらしい。

3.ネパールは?
ではネパールはどうか? 難しいところだが,弱い個人が集まって弱い国をつくっている,といったところか。

強い個人は,自己の主体性,理性に自信があるから,国家形成・運営においても,それ以外の要素を可能な限り排除しようとする。

これに対し,弱い個人は,自分の理性・主体性に自信がないから,政治においてもその弱さを補うものを可能な限り利用しようとする。

4.弱い日本人の天皇利用
たとえば,虚弱とすらいってよい日本の個人は,21世紀の現在においても,天皇制に依存している。世界第2位の経済力,世界最先端に並ぶ科学技術をもち,しかも世界にもまれな民族的・文化的同質性を持ちながら,それでも天皇制がなければ日本は維持できないと考えている。情けないが,それが現実だ。

天皇制依存は考えものだが,自己の弱さへの自覚そのものは,健全な国家形成にとって不可欠だ。

5.強い個人の弱さ自覚の強さ――イギリス
その典型がイギリス。この世界一の政治的国民は,強力な個人主義を持ちつつも,他方では人間の弱さをよく自覚している。

民主主義原理からすればとうてい容認できないような様々な制度を後生大事に守り続けてきた。カビの生えたような古色蒼然たるイギリス憲法,有形文化財の貴族と貴族院,そして女王陛下! いずれも,民主主義では容認されない非民主的,非理性的制度だ。

イギリス人たちは,本当は世界最古・最強の個人主義を持つくせに,それをアメリカ人のようにひけらかすことはせず,いやいや自分たちは弱いのです,とてもじゃないが理性的自立人を前提にした民主主義はまだ無理です,私たちには依存すべき女王陛下,貴族の方々,そして誰にも理解しきれない古く複雑怪奇な憲法が必要なのです,といって謙遜している。えらい! さすがジェントルマン。

6.ネパール人の強さ?
本当は強い個人が,強いがゆえに弱さを自覚して国家をつくっているのがイギリス。これに対し,ネパールの政治家はどうか?

ネパール人は強いか弱いか? つまり,近代的観点からして,精神的自律性・自立性を持っているか否か? おそらくアメリカ人,イギリス人,フランス人よりは弱いだろう。虚弱日本人といい勝負ではないか?

もしそうだとすると,弱い個人しかいないところで,強い個人を想定した制度を作ったらどうなるか,ということが当然問題になってくる。

7.強がり弱虫の危険性
すぐ分かることは,どんなに立派な民主主義制度を作ってみても機能しないということ。1990年憲法は,立派な憲法だったが,これすら立派すぎて守られなかった。ましてやこれ以上に立派な絶対民主主義憲法をつくってみても,おそらく,守られはしないだろう。

しかし,それ以上に危険なのは,弱さを自覚せず民主主義制度を作ると,これは必ず暴走するということ。ヒトラー,スターリンまでは行かなくとも,そのアジア版くらいにはなるおそれがある。

「絶対民主主義absolute democracy」などという恐ろしい言葉をまき散らしている政治家には,もう一度,目の前の一票を行使するであろう人々の実態をよく見てほしい。国政に関する情報を集め,分析し,理解し,そして理性的に行動する。そんなことを本当に期待してよいのだろうか?

Written by Tanigawa

2006/08/12 at 12:22

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。