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皇太子憲法言及不掲載,答えにならない朝日新聞の「お答え」

朝日新聞が,またまた記事批判への言い訳記事を掲載した。菅野俊秀(社会部次長)「皇太子さまの憲法への言及、なぜ載ってないの? Re:お答えします 新しい発言紹介 指摘真摯に受け止めます」(朝日3月10日)。(皇太子の憲法言及については,「あつものに懲りて憲法を消す朝日新聞」参照。

これは,読者の質問への「お答え」の形を取っているものの,内容的には,皇太子憲法言及不掲載を批判した池上彰氏への弁解であることは明白である。要旨は以下抜粋の通り。

「[皇太子の憲法言及は]昨年は記事に盛り込みました。・・・・今年も、デジタル版の記事では皇太子さまが憲法に言及した部分も含めて、会見全文とともに掲載しました。しかし、紙面ではスペースが限られ、できるだけ新しい内容を読者に伝えようと、前述の部分を優先させました。」(朝日3月10日)

しかし,スペース不足でカットしたなどという弁解を額面通り受け取るお人好しで脳天気な読者は,一人もいないだろう。改憲や「70年談話」問題が連日マスコミで報じられているさなか,皇太子が戦争の惨禍や平和の大切さと関連づけて憲法に言及した。当然,大きな政治的意味を持ちうる。その皇太子発言を,朝日新聞は掲載しなかったのだ。

好意的に解釈するならば,記事を執筆した皇室担当記者が,皇太子や皇室が政治に巻き込まれるのをはばかり,憲法言及部分をカットした,ということになるだろう。ちなみに,その皇室担当記者ツイッターは,皇室記事満載。

しかしながら,前回も述べたように,天皇には憲法尊重擁護の義務があり,機会あるごとに天皇や皇族が憲法尊重の立場に立つ発言をするのは当然のことである。もし,それを非難する者がいるとすれば,それこそ天下の不忠者ということになってしまうであろう。

この場合,皇太子の憲法言及部分をカットした心情はわからないではないが,その判断がジャーナリズムとして正しかったかといえば,そんなことは断じてない。池上彰氏が「こんな大事な発言を記事に書かない朝日新聞の判断は,果たしてどんなものなのでしょうか」と,手厳しく批判しているとおりだ。ジャーナリズム失格!

それでは,もし本当に,菅野社会部次長が「お答えします」で説明しているように,皇太子の憲法言及が「新しい内容」ではないのでカットしたというのであれば,それは,いま現在,いったい何が問題となり重要なのか,いまジャーナリズムとして何を伝えなければならないのか,といったことすら全く念頭になかった,ということに他ならない。それこそ,まさしくジャーナリズム失格! 

池上彰氏は,皇太子の「謙虚に過去を振り返る」という発言の前の,これもカットされてしまった部分の重要性をも指摘しつつ,「新聞ななめ読み」(朝日2月27日)をこう結んでいる――

「記者やデスクの問題意識の希薄さが気になります。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/11 at 13:29

あつものに懲りて憲法を消す朝日新聞

朝日新聞(2月23日)が,記者会見(2月20日)における皇太子の憲法発言を報道しなかった。池上彰が「新聞ななめ読み」(2月27日)に,「皇太子様の会見発言 憲法への言及 なぜ伝えぬ」というタイトルをつけ,抑制された筆致ながらも,その報道姿勢を厳しく批判している。

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天皇には,周知のように,憲法尊重擁護の義務がある。「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

皇太子は,日本国の最高法規(第98条)たる憲法の精神と規定に従い,皇太子としての義務を忠実に果たすため,次のような発言をした(赤字強調引用者)。

[今年は戦後70年の節目の年です。戦争と平和への殿下のお考えをお聞かせください。]
『私は、今年で55歳になりますが、天皇陛下が即位されたのと同じ年になったと思うと、身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです。私は、常々、過去の天皇が歩んでこられた道と、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けけております。・・・・

先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ、多くの方々が苦しい、また、大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。・・・・亡くなられた方々のことを決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。・・・・

私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,私も両陛下から伺ったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております。

我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています。・・・・』

ところが,朝日新聞記事(島康彦記者)は,この会見発言から「日本国憲法」を消してしまった。

『皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、これに先立ちお住まいの東宮御所で記者会見に臨んだ。

戦後70年を迎えたことについて「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示し、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘した。また、今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話した。

天皇陛下が即位した55歳と同年齢になったことには「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです」と述べ、常々、過去の天皇が歩んできた道に「思いを致すよう心掛けております」と明かした。』

これが,池上氏の批判した2月23日付東京版朝刊記事。ネット版2015年2月23日05時00分の記事も,そうなっている。ところが,そのわずか1分後の2015年2月23日05時01分の記事は,次のようになっている。

皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、これに先立ちお住まいの東宮御所で記者会見に臨んだ。

『戦後70年を迎えたことについて「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示し、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘した。

また、「我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べ、今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話した。

天皇陛下が即位した55歳と同年齢になったことには「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです」と述べ、常々、過去の天皇が歩んできた道に「思いを致すよう心掛けております」と明かした。』

1分前には無かった「日本国憲法」が,1分後のこの記事の中には,一カ所ながら,現れている。これは奇っ怪! いったいどうなっているのか?

一読者には,この変更の事情は全く分からないが,池上氏が読んだ東京版朝刊記事には皇太子の憲法への言及が全く記載されていなかったことは確かだ。池上氏が憤慨するのも,もっともである。

このところ,朝日新聞は,全く面白くも,おかしくもない。あつものにこりて,何を扱うにせよ,こわごわ,批判精神のかけらもない。新聞は社会の木鐸ではなかったのか? 

150227b島康彦記者ツイッター

(注)批判:1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」 2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」(朝日新聞コトバンク=デジタル大辞泉)

[参照]
天皇「愛国心」回答
天皇の憲法遵守発言の「政治的」意味
天皇「愛国心」回答にみる立憲政治

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/27 at 21:57

カテゴリー: 平和, 憲法

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権威と規律:学校と国家

権威主義の国ネパールでは,学校教育も権威主義により規律されている場合が多い。校長以下,権威のヒエラルヒーが明確であり,生徒は権威に服従する。権威のお手本を習う=まねるのが勉強である。

下の写真は,典型的な学校朝礼の様子。この学校では,太鼓の合図で全生徒が校庭に整列し,国歌斉唱,校長か先生の訓話,生徒代表の決意やスローガンの表明,そして,それらが終わると再び太鼓の合図で全生徒が整然と行進し教室に戻っていく。軍事教練とそっくり。

お見事! 社会生活における前近代的利己主張が強烈なお国柄だけに,「権威」を強調しなければ,学校運営も教育も成り立たないのだろう。

150207e

その前近代的ネパールを統制してきた絶対的権威としての国王=ビシュヌ神化身を放棄してしまったネパールは,今後,国王に代わるどのような「権威」を戴き,社会の規律と秩序を維持することになるのだろうか? 

日本の天皇は,前近代的・非民主的だが,天皇に代わる民主的「権威」を戴く覚悟を日本人はまだ持ちえていない。現代日本において,民主的「権威」は,前近代的・非民主的な天皇の権威よりも,はるかに危険なのだ。想像もしてみよ,安倍首相を最高「権威」として戴く日本――近代的・民主的には違いないが,安全と言えるのか?

もしネパールが,新憲法を制定し,民主的にしてかつ安全な「権威」の創出・維持に成功するなら,ネパールは政治的に日本を超克し,日本より先進的な現代民主主義国家に飛躍するであろう。可能性はある。が,限りなく難しい課題であることは,いうまでもない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/07 at 19:32

カテゴリー: 社会, 教育, 民主主義

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パラス元皇太子,大麻所持で逮捕

パラス元皇太子が7月12日,バンコクで,大麻12g(6g包×2)所持容疑で逮捕された。前回,2012年10月に続き,2回目。

大麻(マリファナ)は,酒より危険ではないという説もあり,ベルギー,オランダ,アメリカ(一部の州)など,容認拡大の流れのようだが,タイでは重罪だ。

パラス皇太子の場合,麻薬取締法(1979年)の150万バーツ以下の罰金,15年以下の拘禁の刑罰規定に該当しそうだという。ただし,「元皇太子」でもあり,どうなるかまだ不明。

ネパールはいま新憲法制定直前。それなのに,元皇太子がこの行状では,王政復古はますます絶望的と見ざるをえない。

▼2004年訪日時のパラス皇太子夫妻
140717b 

140717a His Royal Highness Crown Prince Paras Bir Bikram Shah Dev with president of Japan-Nepal Society in Tokyo, Sunday. ID Photo (Rising Nepal, Jul.11)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/07/17 at 17:08

カテゴリー: 国王

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安倍首相の靖国参拝と天皇誕生日・クリスマス・毛沢東生誕記念日

1.天皇・キリスト・毛沢東・安倍首相
安倍首相が,政権誕生1周年の12月26日,靖国神社を参拝した。同じ26日,中国では,毛沢東生誕120周年が大々的に祝われた。3日前の23日は天皇誕生日であり,国民は天皇傘寿を心から祝った。そして,前日の24-25日はクリスマス,世界の何億という人々が,こぞってイエス・キリストの降誕を祝い祈りを捧げた。12月の23日,24-25日,26日は,世界中の多くの人々にとって,特別の日である。

その大切な日々の最中,安倍首相は靖国神社を参拝した。安倍氏の首相就任は,天皇(23日),イエス・キリスト(24-25日),毛沢東(26日)といった特別の人や神や偉人の生誕に相当する歴史上の出来事なのだ。

2.靖国参拝歓迎
日本国民の多くは,安倍首相の靖国参拝を歓迎した。街にもネットにも喜びの声が満ちあふれているが,ここではネパールと関係が深い野口健氏のツイッターを紹介しよう。氏の意見は,大多数の日本人の気持ちを代表しているし,またツイッターは公開されており,世界中への拡散が自明なものとされ期待されてもいるからである。

—-(以下引用)—————–
野口健 Twitter
@kennoguchi0821 2013年12月26日 – 11:33
総理の靖国参拝はあるべき姿でいちいち大騒ぎする話でもなく。日本のメディアもいちいち煽るからいけない。
@kennoguchi0821 2013年12月26日 – 11:39
特攻隊員もそうですが多くの兵士が「靖国で会おう」と言いながら出撃していった。僕もよく靖国参拝しますけれどその度に戦争を繰り返してはいけないと心底に感じるもの。戦争を美化したり正当化するものでもない。
@kennoguchi0821 2013年12月26日 – 11:41
本当にそう RT@8robinaru4:靖国神社は、戊辰戦争以後に日本のために命を懸けて戦ってくださった方々が祀られてる神社なのに、マスコミはまるでファシスト礼賛神社のように報じますよね。故人に対して大変失礼ですよね。
@kennoguchi0821 2013年12月26日 – 13:30
総理の靖国神社参拝の度に大騒ぎするこの状況に対し英霊たちは何を感じているのだろうか。国が始めた戦争であり多くの兵士は赤紙一枚で戦場に派兵され散っていった。僕が遺骨収集を続けているのも国の為に戦い亡くなった方々に対し冷たい国は、そんな国はいずれ滅びると感じているからだ。
—-(以上引用)—————–

3.毛沢東生誕120周年日の靖国参拝
しかし,26日の靖国参拝は,お隣の中国にとっては,衝撃であったにちがいない。あまりにも危険なので中国側は自制しているが,それでも新華社や中国日報の記事を見ると,その衝撃は十二分に察知できる。

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 ■「毛沢東氏の一生の印象深い微笑みの写真」/「日本の安倍晋三首相、第二次世界大戦のA級戦犯が祀られている靖国神社を参拝」(新華網日本語版12月26日,写真キャプション原文)

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 ■新華網表紙掲載写真(Xinhuanet, 26 Dec)

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 ■中国日報風刺画「歴史偽装(リ・フェン)」。アジア史の真実・安倍首相・クリスマスの組合せ (China Daily, 26 Dec)

この取り合わせの写真を見て,中国の人々は平静でいられるだろうか? 26日の靖国参拝が,隣国でこのように見られることを予期できないような人には,想像力のかけらもないといわざるをえない。

さらに憂慮すべきは,中国は情報戦略に長けていること。極東の島国で国内しか見ようとしない内弁慶日本とは,スケールが違う。

たとえば,ネパールでは,先述のように,中国日報はおまけとして配布されているし,新華社ニュースも広く参照され転載されている。事情は,アジアの他の地域でも同じであろう。安倍首相が国内向けに何を言おうが,アジアでは,中国発の情報の方が,ますます広く流通し,共感を得ていくことは明白である。

4.クリスマスと靖国参拝
26日の靖国参拝は,アメリカをはじめ西洋諸国にも深甚な衝撃を与えていることは間違いない。靖国神社は「神社(宗教施設)」であり,そこには第二次大戦のA級戦犯も合祀されている。その靖国神社への首相参拝は憲法の政教分離原則違反。それは,大東亜戦争の政治的正当化であるばかりか,さらには宗教的神聖化(聖戦化)でもある。

このような性格を持つ靖国参拝が,クリスマスを祝い祈りを捧げている人々に衝撃を与えないはずがない。宗教はあまりにも危険なので表には出さないであろうが,それがアメリカをはじめ西洋諸国の警戒心を一層高めることは間違いない。彼らは,日本国元首の靖国神社(Yasukuni Shrine)参拝を,政治的に,決して許容しないであろう。

5.天皇と安倍首相と靖国参拝
23日に天皇誕生日を祝っていた人々の中にも,安倍首相の直後の靖国参拝には衝撃を受けた人がいるにちがいない。

昭和天皇も今の天皇も,日本国憲法の遵守を幾度も明言されてきた。23日にも天皇は「おことば」で,こう語られた。

—-(以下引用)—————
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。
After the war, Japan was occupied by the allied forces, and based on peace and democracy as values to be upheld, established the Constitution of Japan, undertook various reforms and built the foundation of Japan that we know today. I have profound gratitude for the efforts made by the Japanese people at the time who helped reconstruct and improve the country devastated by the war. (http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html)
ーーーー(以上引用)ーーーーーーーーーーーーーーーー

日本国憲法遵守のお立場から,昭和天皇は,A級戦犯合祀をきっかけとして,靖国神社参拝をやめられた。(一部異論については関係文献参照。)今の天皇も,靖国神社には決して参拝されない。

日本国の「象徴」の天皇が,憲法を遵守されるが故に靖国神社に参拝されないのに,日本国の「元首」であり他の誰よりも厳しい憲法遵守の法的義務を負う安倍首相が,靖国神社を参拝するのは,なぜか?

これは,近隣アジアの人々にも他の世界中の人々にも説明できない。いや,日本国民により選ばれ,日本国民を代表しているにもかかわらず,その日本国民自身にさえ,それは合理的には説明できないであろう。

谷川昌幸(C)

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【米政府声明】

Statement on Prime Minister Abe’s December 26 Visit to Yasukuni Shrine

December 26, 2013

Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.
The United States hopes that both Japan and its neighbors will find constructive ways to deal with sensitive issues from the past, to improve their relations, and to promote cooperation in advancing our shared goals of regional peace and stability.
We take note of the Prime Minister’s expression of remorse for the past and his reaffirmation of Japan’s commitment to peace.

安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明

2013年12月26日

 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。
 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。
 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。
(http://japan.usembassy.gov/e/p/tp-20131226-01.html) (http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html)
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【中国政府の抗議】

程永華大使,安倍晋三首相の靖国神社参拝に強く抗議

2013/12/262013年12月26日

 12月26日午後、程永華大使は日本の斎木昭隆外務事務次官と緊急に会い、安倍首相の靖国神社参拝について厳重な申し入れと強い抗議を行った。
 程大使は、きょう、安倍晋三首相が中国などアジアの隣国の激しい反対を顧みず、強硬に靖国神社を参拝したことに中国は極めて大きな憤りを感じ、強く抗議すると表明した。
 程大使は次のように述べた。靖国神社は戦前、日本軍国主義の対外侵略拡張の精神的道具であり、象徴だった。現在もアジアの被害国人民に対してこの上ない罪を犯した第二次世界大戦のA級戦犯を祀っている。彼らは日本軍国主義の対外侵略発動、実行の画策者、指揮者であり、近代史上、アジアと世界に非常に大きな災難をもたらした張本人である。安倍首相が国際社会やアジアの隣国、中国人民の強い関心と反対を無視し、あくまでも靖国神社を参拝したことは国際正義に対する挑戦であり、人類の良識を踏みにじるもので、日本の今後の進む方向に対するアジアの近隣国と国際社会の高度の警戒と強い懸念を引き起こさざるを得ない。
 程大使は次のように強調した。中国は日本軍国主義による対外侵略戦争の最大の被害国で、中国人民は日本の侵略戦争の中で深く重い災難を受けた。この歴史を正しく認識し、対処することが戦後の中日関係の回復と発展の政治基盤である。中日の四つの政治文書はこれについて明確に規定している。今回の安倍首相の参拝は中日の四つの政治文書の原則に重大に反し、日本側の約束に重大に反し、中日関係の政治基盤を重大に損ない、中国人民の感情を重大に傷つけた。
 程大使は次のように指摘した。現在、中日関係は依然として深刻な困難に直面しており、安倍首相の靖国神社参拝は歴史問題で再び重大なトラブルを引き起こし、両国関係の改善・発展に重大な政治的障害をもたらした。これによって引き起こされるすべての結果に日本は責任を負わなければならない。
 斎木次官は、日本は日中関係を重視しており、今回のことが両国関係に影響を与えることのないよう希望すると述べた。また斎木次官は安倍首相の靖国神社参拝について弁明した。程大使はこれに対し厳しく反論した。(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/sgxw/t1112233.htm)

皇室利用と日本語放棄で五輪を買った安倍首相:”under control”のウソ公言

安倍首相は,皇室の政治的利用と日本語の放棄により,オリンピック開催の興行権を買った。「美しい国」である「日本を取り戻す」どころか,金儲けのためであれば,憲法も伝統文化も顧みない「醜い日本」を世界にさらけ出したのだ。

1.政治としてのオリンピック招致活動
オリンピック招致活動が「政治」であることはいうまでもない。オリンピック開催により,(1)経済界の景気浮揚要求に応える,(2)ヒノマル・ニッポン挙国一致ナショナリズムの高揚を図る。いずれも安倍政権の維持強化のためであり,いま現在,これをもって「政治」といわずして,何を政治というのか? 安倍首相自身,これを最も重要な政治課題の一つと考えるからこそ,わざわざブエノスアイレスまで出かけ,招致活動に参加したのだ。

2.高円宮妃のロビー活動
その政治そのものといってもよいオリンピック招致のため,安倍内閣は高円宮妃を利用した。本音報道のスポニチ(9月7日)は,記事に「会場にIOC委員続々到着,高円宮妃久子さま,積極的ロビー活動」というタイトルをつけ,高円宮妃が「積極的に動き」,IOC委員らに声を掛けていたと伝えた。親皇室の産経や報知(9月7日)にも同様の記事が出ているから,高円宮妃が「積極的ロビー活動」をしたことは間違いないであろう。

ロビー活動をする人は,「ロビイスト」である。広辞苑(第5版)はこう定義している。「ロビイスト(lobbyist): 圧力団体の代理人として,政党や議員や官僚,さらには世論に働きかけて,その団体に有利な政治的決定を行わせようとする者。」

高円宮妃は,まさに,このようなロビイストの1人として,積極的にIOC委員に働きかけ,東京招致という「政治的決定」に大きな政治力を発揮したのだ。しかし,このロビー活動に高円宮妃の政治責任は,むろん一切ない。

3.皇室政治利用の責任
高円宮妃のロビー活動やプレゼン冒頭挨拶の責任は,すべて安倍首相にある。朝日新聞稲垣編集委員によれば,川渕・サッカー協会最高顧問は,こう語ったという。「4日にブエノスアイレス入りした久子様の出席に熱心だったのは,猪瀬さん,安倍さん,森さんだよね。なかでも猪瀬さんは,本当に熱心だった。」(朝日デジタル,9月6日)

安倍,森,猪瀬は,いずれも政治家だが,行政権の長は安倍首相だから,高円宮妃の招致活動の全責任は,天皇への「助言と承認」(憲法第3,7条)に準ずる何らかの“助言と承認”を与えたはずの首相にある。

では,今回の高円宮妃の招致活動への“助言と承認”は適切であったのか? 憲法は第1条で天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と定め,第4条で「国政に関する権能を有しない」と明記している。象徴としての天皇,したがってそれに準ずる皇族は,権力行使や政治的意思決定に関わるナマグサイ行為は一切してはならない。これは,天皇象徴制の根本原理であり,現在の日本国家はこの原則の上に成り立っている。

高円宮妃のオリンピック招致活動は,この憲法原理の枠を完全に逸脱している。「ロビー活動」は,広辞苑の定義のように,政治そのものであり,高円宮妃は,ブエノスアイレスで政治活動を繰り広げていたのだ。それは,たとえ日本国家のためであっても許されない,違憲の政治的行為である。

4.皇室政治利用の危険性
今回はたまたま招致が成功したから,高円宮妃も安倍首相もいまのところあまり批判はされていない。しかし,もし失敗していたら,政治活動をした皇室の権威は失墜し,安倍首相は皇室政治利用の責任を追及され,退陣は免れなかったであろう。

しかし,この件に関しては,成功は失敗よりもむしろ恐ろしい。絶大な効果に味を占めた政治家たちが,天皇や皇室の政治的利用に飛びつき,国民もこれを歓迎するからだ。天皇制ファシズム(超国家主義)への先祖返りである。天皇を大切と思うなら,天皇や皇族の政治的利用は絶対に許してはならない。

130913a ■皇室利用と英語ウソ公言(朝日9月8日)

5.日本語放棄の安倍首相
安倍首相がオリンピック招致プレゼンを英語で行ったことも,見過ごせない。「日本を取り戻す」はずなのに,実際には,日本文化の魂たる日本語を放棄してしまったのだ。

そもそも各言語はすべて平等であり,本来なら,それぞれが母語で話し理解し合うべきだ。しかし,現状は,かつての植民地大国が文化侵略により英仏語やスペイン語などを普及させてしまったため,現在,多くの地域で使用されているそれらの言語を便宜的に使用するのは,次善の策として,ある程度はやむを得ない。

しかし,公式の場での公人の話となると,そうはいかない。天皇は「日本国の象徴」だから,公式の場では英語やフランス語をしゃべるべきではない。ましてや首相は,日本国の元首だから,たとえペラペラであっても,外国語を使うことは許されない。それなのに,安倍首相は嬉々としてカタカナ英語でプレゼンを行った。国家元首失格である。(注: 天皇は「象徴」,首相は「元首」)

6.外国語での国家公約の危険性
私には英語はほとんど分からないが,安倍首相の英語は発音がぎこちなく,いかにも不自然だ。おそらく英米やフィリピンなどの小学生レベル以下であろう。そんな英語で,安倍首相はIOC総会において日本国民を代表しプレゼンをした。He said―

Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.

なぜ,こんなトンデモナイことを? むろん,英語を知らないからだ。

世界周知のように,福島原発事故は東京にも被害を及ぼしたし,放射性物質はいまなおじゃじゃ漏れ,止めるめども立たない。その原発について安倍首相は”under control”と,国際社会の公の場で,日本国元首として,公言した。これは日本語ではなく,英語。解釈は,当然,英語ないし欧米語文脈で行われる。

この欧米語文脈では,公式の場での政治家のウソは,絶対に許されない。建前かもしれないが,建前を本音より重視するのが,欧米政治文化。英語を知らない安倍首相は,その欧米語文脈を意識することすら出来ず,子供のように無邪気に,カタカナ英語を日本語文脈で使った。その落とし前は,いかに大きなものになるにせよ,結局は日本人自身がつけなければならない。

7.英語帝国主義にひれ伏す
英語帝国主義は,何百年にもわたる壮大な世界戦略であり,オリンピック興行権など,はした金,それで日本国首相に公式の場で英語を使わせることができるのなら,こんな安上がりの買い物はない。

安倍首相は,日本語=日本文化を売り渡し,英語文化圏の土俵に乗り,オリンピック興行権を買った。長期的に見ると,皇室の政治利用よりも,こちらの方が深刻かもしれない。

安倍首相のカタカナ英語のおかげで,日本語が二流言語であることが,国際的に公認された。日本語は,国際言語カースト制の中に下位言語(被支配言語)として組み込まれた。もはやここから逃げ出すことは出来ないであろう。

130913b ■揶揄される日本国元首発言(Canard Enchaine / Reuters, Sep.12)

[参照1]
高円宮妃プレゼン
高円宮妃久子さま IOC総会で復興支援に感謝の言葉(ANN News13/09/08)
宮内庁,新聞各紙はすべて日本語訳。一流言語たる仏語・英語オリジナルは下々には隠されている。
安倍首相プレゼン
Mister President, distinguished members of the IOC…
  It would be a tremendous honour for us to host the Games in 2020 in Tokyo ? one of the safest cities in the world, now… and in 2020.
  Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo. I can also say that, from a new stadium that will look like no other to confirmed financing, Tokyo 2020 will offer guaranteed delivery.
  I am here today with a message that is even more important. We in Japan are true believers in the Olympic Movement. I, myself, am just one example.
  When I entered college in 1973, I began practicing archery. Can you guess why? The year before, in Munich, archery returned as an Olympic event after a long time.
  My love of the Olympic Games was already well-established. When I close my eyes vivid scenes from the Opening Ceremony in Tokyo in 1964 come back to me. Several thousand doves, all set free at once. High up in the deep blue sky, five jet planes making the Olympic rings. All amazing to me, only 10 years old.
  We in Japan learned that sports connect the world. And sports give an equal chance to everyone. The Olympic spirit also taught us that legacy is not just about buildings, not even about national projects. It is about global vision and investment in people.
  So, the very next year, Japan made a volunteer organization and began spreading the message of sports far and wide. Young Japanese, as many as three thousand, have worked as sports instructors in over 80 countries to date. And they have touched the hearts of well over a million people through their work.
  Distinguished members of the IOC, I say that choosing Tokyo 2020 means choosing a new, powerful booster for the Olympic Movement.
    Under our new plan, “Sport for Tomorrow,” young Japanese will go out into the world in even larger numbers. They will help build schools, bring in equipment, and create sports education programs. And by the time the Olympic torch reaches Tokyo in 2020, they will bring the joy of sports directly to ten million people in over one hundred countries.
  Choose Tokyo today and you choose a nation that is a passionate,proud, and a strong believer in the Olympic Movement. And which strongly desires to work together with the IOC in order to make the world a better place through the power of sport.
  We are ready to work with you. Thank you very much.
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[参照2]
皇室と五輪招致 なし崩しのIOC総会出席 記者有論 社会部・北野隆一 (朝日新聞,2013年9月25日)
 16年夏季五輪開催地を決める09年IOC総会への皇太子さまの出席が求められた際、宮内庁は「招致運動は政治的要素が強く、(出席は)難しい」と慎重姿勢を貫いた。・・・・
 今回、安倍政権の強い意向に押し切られ、宮内庁の対応はずるずると後退した。当初「久子さまはIOC総会に出ない」としていたが、一転、出席。「招致活動と切り離すため、スピーチ後は降壇する」はずだったが、結局最後まで壇上にとどまった。
 招致競争に勝ったから結果オーライではない。安倍政権は今回、既成事実を積み重ね、なし崩し的な手法で皇族を担ぎ出したように見えた。皇室の守ってきた原則を曲げさせ、相当な覚悟を負わせたことになるのではないか。
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谷川昌幸(C)

宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件

1.信仰と「表現の自由」
世界ヒンドゥー協会(WHF)のネパール急進派・ヘムバハドール・カルキ(Hem Bahadur Karki)派が,9月11日カトマンズ市内の画廊に押しかけ,ヒンドゥーの神々を冒涜したとして,画家マニシュ・ハリジャン(Manish Harijan)を殺すと脅迫した。

「表現の自由」は世界的に確立された権利であり,ネパール暫定憲法第15条でも明確に保障されている。カルキ派によるハリジャン脅迫は,「表現の自由」への暴力による攻撃であり,それ自体,許されるべきものではないが,一方,「表現の自由」も無制限ではなく,他の自由や権利を侵害しないための規制ないし権利間の調整が避けては通れないこともまた事実である。

これは,今回のような宗教との関係においては,特に難しい,やっかいな問題となる。人が熱心に,誠実に信仰すればするほど,信仰対象は神聖なものとなり,みだりに論評してはならないもの,タブーとなる。一方,表現は,様々な形で隠れているもの,隠されているものを顕わにすることをもって,その本質とする。したがって,宗教についても,信仰により信仰対象が神聖化されればされるほど,表現はそこに関心を持ち,秘密の暴露ないし顕在化への意欲をそそられることになる。

これは,本質的な対立である。不可知なもの,あるいは知るべきではないものへの心情的な「不合理な」信仰と,タブーをタブーであるからこそ暴こうとせざるをえない世俗的な「合理的な」表現の自由とは,結局は,両立しないと考えざるをえない。

2.イスラム教と「表現の自由」
現在,信仰と「表現の自由」が最も激しく対立しているのが,イスラム教に関してである。『悪魔の詩』(1988)事件では,著者ラシュディはホメイニ師により死刑宣告を下され,いまでも330万ドルの報奨金がかけられている。日本語版訳者の五十嵐筑波大学助教授は1991年,大学内で何者かに殺害されてしまった。

2005年には,デンマーク紙掲載のムハンマド風刺画がイスラム教冒涜とされ,デンマーク大使館などが襲撃された。

そして,この9月には,アメリカで制作されたムハンマド風刺映像がネットに掲載され,世界中で大問題になっている。中東,東南アジアを中心に世界各地で反米デモが拡大,リビアのベンガジでは米領事館が襲撃され,米大使が殺害された。戦争にすらなりかねない深刻な事態である。

そのさなか,フランスでもムハンマド風刺画が雑誌に掲載され,激しい反フランス・デモが世界各地で勃発,フランス政府は,在外公館や仏人学校の閉鎖に追い込まれている。

信仰と理性,聖なるものへの服従とタブーなき批判の自由――これら二者は,いずれも人間存在にとって不可欠のものであり,いずれがより根源的,より重要ともいえない。比重の置き方は人それぞれ,生き方の問題というしかない。イスラム教と「表現の自由」の対立は,その人間性の根源にある問題の現代における最もラジカルな顕在化であり,解決は容易ではないと覚悟せざるをえない。

3.ヒンドゥー教と「表現の自由」
この問題がやっかいなのは,火をつけやすいこと。すぐ火がつき,飛び火し,類焼する。ヒンドゥー教も例外ではなく,ネパールでは先述のハリジャン脅迫事件が起こった。きっかけは,彼の絵画展:

■マニシュ・ハリジャン「コラテラルの出現」 シッダルタ絵画ギャラリー(カトマンズ)8月22日~9月20日

(Siddhartha art gallery HP)

「コラテラル」とは難しい表現だが,何かに何かが加わり何かになる,何かが起こる,という意味だろう。展示作品のうち11作品が,ヒンドゥーの神々を西洋風に戯画化したもの。猿神ハヌマンが酒を持っている作品もある。

(Kathmandu Contemporary Arts Centre HP)

(Kathmandu Contemporary Arts Centre HP)

(The Radiant Star HP)

これらの作品は,たしかに,あまり上品とはいえないが,それほど過激ではない。正直,私には,これらの作品の良さがよく分からない。が,それは趣味の問題。ハリジャン自身は,これらの作品は「グローバル化の諸相を通して,東洋と西洋の文化を融合させること」を意図したものだと説明している。

ところが,WHFカルキ派は,これらの絵画をヒンドゥー教冒涜だと激しく非難し,ギャラリーに押しかけ,ハリジャンを殺すと脅し,展示責任者のサンギータ・タパ学芸員に対しても,絵画を焼却しあらゆるメディアを通して謝罪をせよと脅した。

騒ぎが大きくなったので,カトマンズ警察が派遣され,郡長官の命令によりギャラリーを閉鎖させ,ハリジャンとタパを呼びだし,事情聴取した。警察は,逮捕せよというカルキ派の要求までは容れなかったが,ハリジャンとギャラリーの「表現の自由」を守るという明確な態度もとらなかった。

その結果,ハリジャンとタパは,展示2作品(どれかは不明)を撤去し,今後はそのようなヒンドゥー教冒涜絵画は展示しないという文書に署名してしまった。彼らは,ヒンドゥー右派とその意をくむ行政当局の圧力に屈服せざるをえなかったのである。

4.形式的「表現の自由」擁護論の限界
このハリジャン脅迫事件が起こると,ユネスコ・カトマンズ所長のアクセル・プラテ氏が「表現の自由」を尊重せよ,との声明を出した。芸術作品が,たとえ宗教や倫理の価値観に反することがあろうとも,それを理由に暴力をもって反撃することは絶対に許されない。解決は,「自由な議論」によるべきだ,というのだ。

ネパリタイムズ社説(#623, Sep21-27)も同じ立場をとる。表現の自由は,他の自由や権利を侵害してはならないが,その限界は文化ごとに異なる。考慮すべきは,国家の安全,社会の調和,名誉毀損,ポルノ規制などだが,いずれにせよ暴力による脅迫や検閲は認められない。

「マニシュ・ハリジャンに描く自由を認める一方,それにより感情を害されたと感じる人びとには非暴力で抗議する自由を認めなければならない。民主主義では,感情を害されたからといって,殺すと脅すことは許されない。国家は,暗殺脅迫者ではなく,芸術家をこそ守るべきである。」(Nepali Times,#623)

これよりもさらにハト派に徹しているのが,今日の朝日社説「宗教と暴動・扇動者を喜ばせない」(9月26日付)。社説は,「言論の自由があるといっても,特定の宗教に悪意をこめ,はやして喜ぶ商業主義は,品のいいものではない」といいつつも,「他者による批判を自らの尊厳への攻撃と受けとめ,宗教をたてに暴力に訴える。狭量な信徒が陥りがちな短絡が,今回の暴徒たちにもうかがえる」と述べ,言論の自由・表現の自由を寛容に認めている。

こうした「表現の自由」を守れという主張は至極もっともであり,非の打ち所のない正論である。特に,強者の側が弱者の「表現の自由」を力により制限しようとする場合には。しかし,問題は,こうした正論が現代においては多くの場合,形式論ないし高尚なお説教あるいは精神論にとどまり,ムハンマド冒涜の場合と同様,ヒンドゥー教冒涜の場合にも,それだけでは対立の解決にはあまり役立たないという点にある。

そもそも「表現の自由」を定めた世界人権規約第19条にも,ネパール暫定憲法第15条にも,多くの留保がつけられており,それらを利用すれば,「表現の自由」は必要な場合にはいつでも制限できる。ムハンマド冒涜やヒンドゥー教冒涜に抗議している人びとは,彼らの重要な自由や権利が侵害されているのに,国家や国際社会は,形式論理のきれい事を言うだけで,そうした留保条項を使って彼らの権利や自由を本気で守ろうとはしていないと考えて怒り,やむなく実力行使に出ている,といえなくもない。自由や権利の形式的な保障は,つねに社会的強者の側に有利である。

朝日社説は,この問題を脳天気に棚上げしている。社説は,表現者側に「品」や「心得」を求めるだけで,「表現」による被害の具体的な救済については何も語っていない。

しかし,「言論の暴力」というように,「表現」も暴力であり,また暴力には直接的暴力だけでなく間接的な構造的暴力も含まれることは,いまや常識である。構造的暴力としての「表現」暴力の規制を自主的な「品」や「心得」に丸投げしておきながら,一方的に,直接的暴力による自力救済を上から目線で声高に断罪してみても,説得力はない。

5.天皇冒涜に堪えられるか
日本人の多くは,朝日社説もそうだが,ムハンマド冒涜やヒンドゥー教冒涜に激昂し激怒する人びとを狂信的とか原理主義とかいって冷笑するが,それは事件が今のところ余所事,他人事だからにすぎない。

しかし,近時の情勢からして,天皇が風刺の対象とされるのもそう遠いことではあるまい。天皇・皇后や他の皇族が,不道徳に,エロチックに,あるいは下劣にカリカチュア化され,メディアで弄ばれるようになったら,日本人はどうするか? あくまでも冷静に表現には表現で,言論には言論で,などと高尚なことをいっていられるだろうか?

たぶんダメだろう。日本人の多くが激昂し,天誅を下せなどと,わめき始めるに違いない。

ムハンマド冒涜事件もヒンドゥー教冒涜事件も,決して他人事ではない。言論には言論で,などといったわかりきった形式論理のオウム返しではなく,「表現の自由」が他の自由や権利と対立した場合,具体的にどうするかを,自分の問題としてもっと真剣に考え,取り組むべきであろう。

【参照資料】
Nepali Times, Sep.12 and Sep.21-27,2012
ekantipur, Sep.12, 2012
UCA News, Sep.13, 2012
The Radiant Star, Sep.15, 2012
Kathmandu Contemporary Arts Centre, http://www.kathmanduarts.org/Kathmandu_Arts/KCAC12-mann.html
Siddhartha art gallery, http://www.siddharthaartgallery.com/cms/index.php

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/09/26 at 20:47