ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(22)

6.第15回ハンスト
 (1)なぜジュムラでハンストか?
 (2)決死のハンスト(i)
 (3)決死のハンスト(ii) ①ハンストと延命治療
 (4)決死のハンスト(iii) ②それほど苦しくない断食(以上前出)
 (5)決死のハンスト(iv) ③強制摂食:人道名目の拷問

(6)決死のハンスト(v) 
④強制摂食:いくつかの事例
A. 西洋近世・近代の奴隷と病人 西洋には自殺を大罪とするキリスト教の強固な伝統があり,それが多かれ少なかれ西洋における強制摂食正当化の宗教的・倫理的根拠となってきたと見てまず間違いはないであろう。

強制摂食の事例としてよく知られているのが,アフリカから新大陸へ奴隷を輸送する奴隷船内で行われていた強制摂食。食事を拒否し自殺しようとする奴隷がいると,建前としては自殺は大罪なので,また実利的には大切な商品としての奴隷に死なれては困るので,強制的に口を開けさせる器具(speculum orum, gavage)を使用して口をこじ開け,食物を胃に流し込む強制摂食が行われていた。フォアグラや北京ダック(填鴨)と同じ。技術的には古来,周知の方法だ。

一方,奴隷以外の人については,西洋では,食べないのは何らかの「病気」とみなされ,食べさせるための治療器具が開発・改良され,「患者」への強制摂食が始まり広がっていった。19世紀には,収容所や刑務所でハンストが始まれば,いつでも強制摂食を実施しうる状況が出来上がっていたのである。(*11)


■キリスト教では自殺は絶対悪(412teens.org)/奴隷強制摂食用器具(National Museum of Denmark)/フォアグラ強制給餌(Stop Force-feeding)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/26 at 18:12

ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(8)

5.ガディマイ祭批判の皮相性
ガディマイ祭は非人道的だという批判は,祭の近現代的部分,つまり興行化・商業化した部分については妥当するが,祭の本質たる伝統的宗教的供犠部分については的外れである。神々への敬虔な動物供犠は,非人道的であるどころか,むしろそれこそが信仰をもつ人々にとっては動物の生命の尊厳を真に尊重する最も誠実な生き方である。

(1)人間の「手段」としての動物
そもそも西洋では,古代ギリシャにおいてもキリスト教においても,さらには近代西洋哲学においても,人間と動物は明確に区別されていた。アリストテレスによれば,動物は,その自然において,すなわち生まれながらにして本質的に(by nature),人間とは別のものであり,理性的な人間のためにつくられた非理性的存在であるにすぎない。

キリスト教では,神が万物を創造し,「神の似姿」たる人間に,地上の他の生物すべてを支配する権限を与えた(「創世記」,トマス・アクィナスなど)。

近代になっても,動物は,デカルトにとっては「複雑な機械」にすぎなかったし,カントにとっては人間のための単なる「手段」に他ならなかった。

このように,西洋では動物は人間とは全く別のカテゴリーのものであり,魂や自意識などあるはずもなく,人間によって自由に支配され利用されてよいものであったのである。

(2)動物愛護運動の拡大
ところが,18世紀末から19世紀にかけて,欧米で快苦を動物一般に共通のものと見なし善悪の判断基準とする功利主義が勃興し,新興ブルジョア階級に支持を広め始めると,ブルジョア社会において動物愛護が唱えられるようになった。ちなみに貴族のたしなみは狩猟,労働者階級の娯楽は「クマいじめ」,「牛いじめ」など。

そして,この動物愛護に,資本主義による自然破壊が拡大するとエコロジーの観点からの動物保護の訴えも加わり,動物愛護運動はさらに勢いを強め,欧米から世界へと広がり,いまや動物保護がドイツなどで国家の憲法にまで書き込まれるようになった。この動物愛護運動の発展の概要は以下の通り。

1822(英):「家畜虐待禁止法(マーチン法)」。動物福祉のための世界初の議会制定法。違反は罰金または3か月以下の拘禁刑。
1824(英):「動物虐待防止協会(SPCA)」設立。のちにビクトリア女王援助の「王立動物虐待防止協会(RSPCA)」に発展。
1871(独):刑法で動物虐待禁止。
1911(英):「動物保護法」制定。動物に「不必要な苦痛」を与えると,罰金または6か月以下の拘禁刑。
1925(英):「動物使用規制法」制定。以後,英国で「愛玩動物法」(1951)など関係法令多数制定。
1933(独):ナチスの動物保護政策。「温血動物屠殺法」=屠殺前の麻酔の義務づけ(ユダヤ教の麻酔なしコーシャ屠殺の禁止が目的とされる)。「動物保護法」=広範かつ詳細な動物保護法で,違反は罰金または2年以下の拘禁刑。
1972(独):「改正動物保護法」(改正1972,1982,1986.1998)。以後,多数の動物保護法令制定。
1979(欧):「屠殺動物保護協定」
1979(欧):「アムステルダム協定」で動物を「意識をもつ存在(sentient beings)」と規定。これを「リスボン条約」(2009)で条文化。
2002(独):基本法(憲法)改正。「第20a条(自然的生活基盤の保護義務)国は,・・・・自然的生存基盤および動物を保護する。」
2012(EU):「動物福祉計画(Animal Welfare Strategy)2012-2015」制定。
現 在:「世界動物保護協会(WSPA)」などが,上記「動物福祉計画」のような広範な動物保護を,国連において「動物福祉宣言(Universal Declaration on Animal Welfare=UDAW)」として採択し世界に動物福祉を拡大するよう,国連や世界社会に強力に働きかけている。「宣言」の要旨は以下の通り。
 ・動物は「意識をもつ(sentient)」生物。
 ・動物の人道的(humane)取り扱い。
 ・動物への5つの自由の保障:飢餓からの自由,恐怖からの自由,不快からの自由,苦痛・疾病からの自由,自然な生存の自由。
 ・人間と動物の共生。
 ・すべての国の「宣言」遵守義務。

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 ■クマいじめ(Public Garden & Grounds)/奴隷船内(New Heaven Colony Historical Society)

(3)動物愛護運動の皮相性
西洋の動物愛護運動は,この略史を見ても分かるように,自然と人間を対置し,自然を単なる手段として利用しようとしてきた人間中心主義の皮相な裏返しにすぎない。

[1]西洋の人間中心主義
西洋の人間中心主義は,人間以外の動物を単なる手段と見るにとどまらなかった。外見は人間であっても理性なき者は動物と同等(有声の道具)とみなすという古代ギリシャ以来の人間観を根拠に,西洋は人間をすらもおおっぴらに狩り立て,貨物船に詰め込み,満足に食事すらさせず「新大陸」に運び,競売にかけ,奴隷として酷使・虐待した。黒人差別が制度的に廃止されたのは,ほんの数十年前のこと。あるいはまた,非文明的・非理性的を理由として,非西洋世界を植民地化し,「未開原住民」を酷使・虐待した。植民地がほぼ解放されたのも,つい数十年前のことにすぎない。

[2]動物愛護運動による動物虐待
このような誤った理性中心主義や自然の過度の搾取は,改められるべきだが,だからといって動物愛護運動のような動物愛護の仕方は皮相かつ行き過ぎであり,より冷酷な別の形の動物虐待を際限なく拡大する恐れがある。

ペット動物は,愛玩すればするほど動物の本性=自然を奪うことになり,語の正確な意味において,動物虐待である。

また肉食については,菜食主義者が肉食を断つのは自由だが,だからといって肉や魚を食べる人々を「非人道的」といって非難するのは,行き過ぎである。人間が動物の肉や魚を食べるのは,ごく自然なことであり,倫理的に非難されるべきことではない。

屠畜についても,苦痛なき運搬や屠殺は,現実にはもっぱら経済効率の観点から推進されているにすぎない。動物でも魚でも,健康なものを苦痛なく手早く処理しなければ,経費がかかる上に,食品としての商品価値も下がるからだ。

誤解を恐れずあえていうならば,人間は自分の食べる動物や魚が殺され苦しむ姿を出来るだけ直視すべきだ。

近代的・衛生的工場での流れ作業による効率的な苦痛なき屠殺と食肉処理――これは,動物自身ではなく,経済効率を最優先させ,死の苦痛を見たくも見せたくもないエゴイスティックな人間のための工夫だ。

動物や魚にとって,殺され苦しむ姿をブラックボックス内に隠され,美しい「パック肉」や「パック切身」となった姿だけを見られ,”おいしそう!” といって買われ食われるのは,本望ではあるまい。いやそれどころか,それは人間エゴによる最悪の動物虐待とさえいわざるをえないだろう。

[3]人間の業の直視
人間が生きる上で不可避の業については,多くの人々が語っているが,ここでは二つだけ紹介しておこう。

●血への渇望 Himal Southasian, Dec.2009
動物の権利擁護運動家が直視しようとしない問題が,一つある。ガディマイ信者は,少なくとも正直に,包み隠すことなく,自分たちの動物供犠を行ってきた。では,処理場の壁の内側で日々何百万もの動物が殺されていることは,どうなのか? 屠殺の衛生化が,世界中の非ベジタリアンたちに,人道主義者の仮面を付けさせてきたのではないか? アメリカの感謝祭で4千万羽もの七面鳥が殺されることは,どうなのか? ガディマイ信者は,その動物供犠の公開性のゆえに処罰されなければならないのか?

●大 漁 金子みすず
 朝焼小焼だ
 大漁だ
 大羽鰮[おおばいわし]の
 大漁だ。

 浜は祭りの
 ようだけれど
 海のなかでは
 何万の
 鰮のとむらい
 するだろう。

[参照資料]
 * “Animal Welfare.” http://www.politics.co.uk/reference/animal-welfare
 * Ben Isacat,”How to Do Animal Rights,”Aug.2013. http://www.animalethics.org.uk/about.html
 * 中川亜紀子「ドイツにおける動物保護の変遷と現状」四天王寺大学紀要54(2012)
 * 藤井康博「動物保護の憲法改正(基本法20a条)前後の裁判例」早稲田法学会雑誌60-1(2009)
 * 内澤旬子『世界屠畜紀行』2007
   141124c

[参照](2015-05-25追加)
ドイツ動物保護法(翻訳:浦川道太郎)
2001年4月12日の危険な犬を撲滅するための法律(連邦官報第1部530頁)第2条により変更された1998年5月25日公示の正文における(連邦官報第1部1105頁、1818頁)
第1条〔法律の目的〕
 この法律は、同じ被造物としての動物に対する人の責任に基づいて、動物の生命及び健在を保護することを目的とする。何人も、合理的な理由なしに、動物に対して痛み、苦痛又は傷害を与えてはならない。
第4a条〔温血動物の屠殺〕
 (1)温血動物は、血抜きを始める前に気絶させる場合にのみ、屠殺することができる。
 (2)前項の規定にかかわらず、次の場合には、気絶させることなく屠殺することができる。
 1 緊急屠殺する際、所与の状況下で気絶させることが不可能なとき。
 2 主務官庁が、気絶させずにおこなう屠殺(典礼に従う蓄殺[Schachten])のための例外的認可を与えるとき。この場合、この法律の施行区域内において、強制力ある教令により典令に従う蓄殺を定め、又は典礼に従って蓄殺されていない動物の肉の食用を禁止している特定の宗教団体の所属員の要求に応じる必要性があるときに限り、主務官庁は例外的認可を与えることができる。
 3 第4b条第3号に従い法規命令により例外として気絶させずにおこなう殺害が定められているとき。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/11/24 at 15:14

外国人研修実習制は奴隷制:国連調査報告

谷川昌幸(C)
インド実地調査の疲れがどっと出てブログを見るのもおっくうだったが,今朝の新聞(朝日ほか)を見ると,国連特別報告者が外国人研修制を「奴隷制」と批判したとの記事が出ていたので,ネットで確かめてみた。
 
国連広報センターによれば,調査したのは「国連移住者の人権に関する特別報告者」ホルス・ブスタマンテ氏。「移住者の人権に関する国連専門家,訪日調査を終了」(No.1548, 3月31日)というタイトルで,公表されている。
 
このブスタマンテ報告によれば,日本には「人種主義,差別や搾取が存在し,司法機関や警察に移住者の権利を無視する傾向がある」。そして――
 
「研修・技能実習制度は、往々にして研修生・技能実習生の心身の健康、身体的尊厳、表現・移動の自由などの権利侵害となるような条件の下、搾取的で安価な労働力を供給し、奴隷的状態にまで発展している場合さえある。このような制度を廃止し、雇用制度に変更すべきである。」
 
"The industrial trainees and technical interns programme often fuels demand for exploitative cheap labour under conditions that constitute violations of the right to physical and mental health, physical integrity, freedom of expression and movement of foreign trainees and interns, and that in some cases may well amount to slavery. This program should be discontinued and replaced by an employment programme."
 
これは日本にとって恥ずべきことだ。外国人研修実習制度は,ときには「奴隷制slavery」となっている,と国連機関により公式に認定され,「廃止せよ」と勧告されているのだ。
 
ネパール人研修実習生の募集がどうしてもやめられないのなら,少なくとも,仲介業者にはこのような国連見解の説明を義務づけるべきであろう。実態を知らせた上での募集なら,知らせないままの募集より,まだしも「公平」といえるからである。

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【参 照】(2015-2-18追加)

曽野綾子の透明な歳月の光  労働力不足と移民 「適度な距離」保ち受け入れを
 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。・・・・
 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。・・・・
 ここまで書いてきたこと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。・・・・
 爾来、私は言っている。 「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」 

(産経新聞2015年2月11日付コラム要旨抜粋)

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産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文

曽野綾子様  産経新聞社常務取締役 飯塚浩彦様

 『産経新聞』2015年2月11日付朝刊7面に掲載された、曽野綾子氏のコラム「労働力不足と移民」は、南アフリカのアパルトヘイト問題や、日本社会における多様なルーツをもつ人々の共生に関心を寄せてきた私たちにとって、看過できない内容を含んでおり、著者の曽野綾子氏およびコラムを掲載した産経新聞社に対して、ここに強く抗議いたします。
 曽野氏はコラムのなかで、高齢者介護を担う労働力不足を緩和するための移民労働者受入れについて述べるなかで、「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業」であり、「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」との持論を展開しています。
 「アパルトヘイト」は現地の言葉で「隔離」を意味し、人種ごとに居住区を分けることがすべてのアパルトヘイト政策の根幹にありました。また、アパルトヘイトは、特権をもつ一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を、必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除するという、労働力管理システムでもありました。移民労働者の導入にからめて「居住区を分ける」ことを提案する曽野氏の主張は、アパルトヘイトの労働力管理システムと同じです。国際社会から「人道に対する罪」と強く非難されてきたアパルトヘイトを擁護し、さらにそれを日本でも導入せよとの曽野氏の主張は言語道断であり、強く抗議いたします。このような考え方は国際社会の一員としても恥ずべきものです。
 おりしも、このコラムが掲載された2015年2月11日は、故ネルソン・マンデラ氏が釈放されて、ちょうど25年目にあたる日でした。その記念すべき日に、南アフリカの人びとが命をかけて勝ち取ったアパルトヘイトの終焉と人種差別のない社会の価値を否定するような文章が社会の公器たる新聞紙上に掲載されたことを、私たちはとても残念に思います。
 曽野綾子氏と産経新聞社には、当該コラムの撤回と、南アフリカの人々への謝罪を求めます。また、このような内容のコラムが掲載されるに至った経緯、および人権や人種差別問題に関する見解を明らかにすることを求めます。以上について、2015年2月28日までに文書でアフリカ日本協議会(AJF)へお知らせくださるようお願いいたします。また、貴社のご対応内容については他の市民団体、在日南アフリカ共和国大使館、国際機関、報道機関などへ公開するつもりであることを申し添えます。

2015年2月13日  (特活)アフリカ日本協議会 代表理事 津山直子

The Letter to Sankei-shinbun and Ms. Sono Ayako in English
13 Febrary 2013

Ms. Ayako Sono, the author  Mr. Hirohiko Iizuka, Managing Direcor, SANKEI SHIMBUN CO.,LTD

Ms. Ayako Sono’s column which appeared on the Sankei Shimbun morning edition on 11 February 2015, has inappropriate contents that cannot be overlooked. We, as an NGO which has had concerns about apartheid in South Africa and aspiration for harmonious coexistence of people with various roots within Japanese society, strongly protest against the author of the column as well as against the Sankei Shimbun for running the article.

In the column Ms. Sono, discussed the need to introduce immigrant workers who would provide nursing care for the elderly in Japan and wrote that she felt it extremely difficult to live with foreigners. She also wrote “Since learning about the situation in South Africa 20 or 30 years ago, I’ve come to think that whites, Asians, and blacks should live separately.” (Translation by Japan Times, “Author Sono Calls for Racial Segregation in Op-Ed Piece,” 12 February 2015)

“Apartheid” means “separation” in the local language of South Africans. Separating residential areas according to race was the foundation of apartheid policy. Apartheid was also a labor force management system, in which the privileged race deprived other races of their rights by using them as convenient labor. At the same time this privileged race did not let these races remain in their own areas. Arguing for a separate residential area for immigrant workers, as Ms. Sono does, is synonymous with calling for an apartheid system in Japan. It is abominable to defend apartheid, which has been strongly condemned by the international community as a “crime against humanity”, and to argue for introducing a similar system in Japan. We strongly object to this opinion. It is a shameful act to express such views as a member of the world community.

Coincidentally, the day the column run, 11 February 2015, was a 25th anniversary of the late Mr. Nelson Mandela’s release from the prison. It was very disappointing that we had to find, on this memorable day, a column which negates the significance that South African people fought, risking their lives, for the end of apartheid and the realization of society without racial discrimination.

We demand Ms. Sono and the Sankei Shimbun retract this column and apologize to the people of South Africa. We also demand an explanation regarding the process in which the column went to press, and your view on human rights and racism. Please send us your written response to Africa Japan Forum (AJF) by 28 February 2015. Please be advised that we intend to inform other NGOs, the South African Embassy, international organizations, and various media companies of any response we receive from you.

Tsuyama Naoko  President  Africa Japan Forum

(http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html)

Written by Tanigawa

2010/04/01 at 17:58