ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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「美しい国」首相の美しくない日本語

16日の日露首脳共同記者会見を聴き始めたものの,どこのものとも知れない変な言葉に当惑し,気恥ずかしくなり,薄気味悪くなり,寒気がしてきて聴き続けられず,スイッチを切った。これが,「美しい国」を取り戻すことを信条とする日本国の首相の言葉なのだ。首相官邸HPによれば,安倍首相の発言は次の通り。

「プーチン大統領、ウラジーミル。ようこそ、日本へ。日本国民を代表して君を歓迎したいと思います。・・・・・君と約束をしました。・・・・ウラジーミル、今回の君と私との合意を『出発点』に、『自他共栄』の新たな日露関係を、本日ここから共に築いていこうではありませんか。」

親密さを示したいなら,「ウラジーミルさん,あなたを・・・・」ではないか? 名を呼び捨てにし,ぞんざいに「君(キミ)」で受ける。日本語文化文脈では。あまりにも不自然だ。馬鹿にしているようにさえ,聞こえかねない。

西洋語文脈ないしアメリカ語文脈を金科玉条とし,植民地根性丸出しで,それに卑屈に迎合し,このような気恥ずかしく,薄気味悪い言葉遣いになったのではないか? 日本国元首たるもの,外交の場では「美しい日本語」で語り,親密さ表現のさじ加減は,専門の通訳に任せるべきであろう。

【参照】島崎今日子「無理していない? その呼び方」朝日新聞12月21日
「どんなに親密になろうと,私たちは互いを『さん』付けの名字で呼び合っていた。・・・・『さん』で仲良くなることになんの支障もなかったからだ。・・・・だが,・・・・政治の世界では海外の要人とはファーストネームで呼び合うことこそ,親密さの表れだとなっていて,メディアも盛んにそう報じている。・・・・それにしても,『ウラジーミル』『シンゾー』と呼び合うわりには,とても胸襟を開く関係には見えなかった。むしろ,無理しているようで,そういうお膳立てが必要なのだろうと推測させられた。」(12月21日追加)

161219首相官邸HP

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/19 at 17:05

カテゴリー: 言語, 外交

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菅野完著『日本会議の研究』

おくればせながら『日本会議の研究』を読んだ。推理小説のように面白い。ベストセラーになるのはもっともだ。衝撃的なのは,丹念な裏付け調査により導き出された次のような結論。

「やったって意味がない、そんなのは子供のやることだ、学生じゃあるまいし‥…と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。そして大方の『民主的な市民運動』に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となつた。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!」(p297-8)

たしかに「悲喜劇」。だが,この流れをどう阻止するか? 著者は,こう続けている。

「だが、もし、民主主義を殺すものが『民主的な市民運動』であるならば、民主主義を生かすものも『民主的な市民運動』であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない。賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」(p298)

正論であり希望ではある。しかし,賢明なはずの市民は,すでに「民主的な市民運動」において完敗している。同じようなことを,戦後,はるかに合理的・組織的・大規模に展開しながら,「賢明な市民」の方はなぜそれを継続できず,敗北してしまったのか? 日本会議にあって「賢明な市民」になかったものは何か? そこを追及し,「賢明な市民」の弱点を直視し克服しなければ,同じことをしても敗北を重ねるだけではないだろうか? 難しく悩ましく危険でもあろうが。

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*菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書,2016年5月,800円

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/06/12 at 13:53

カテゴリー: 政治, 民主主義

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英語帝国主義の対ネ猛攻

このところ米英,とくに米国のネパール向け英語(米語)攻勢がすさまじい。大使館が率先してフェイスブック,ツイッターなどで,連日のように,幼児か小学生のような英語の学習を呼び掛けている。「アメリカではそうは言わない。それは,間違いですよ!」とか。

子供ならまだしも,大人だと,つい「余計なお世話だ」「ここはネパールだ,ネパール流の英語を使ってどこが悪い」と反発したくもなるだろう。たしかに,米英がどう思おうが,別文化には英語にも別の使い方があって当然だ。理解できず困るのであれば,ネパールやインドあるいは日本など,別文化を謙虚に学び,そこでの英語の使われ方を学習すればよい。そうすれば,理解できるようになる。

言語民主主義ないし文化民主主義――なによりまずは,これが先決。非英語諸国が,一方的に自ら頭を垂れ,英語帝国主義に卑屈に屈従するいわれはない。

▼英語帝国主義の世界支配
160116■ウィキは英語版断トツ。日本語版2位(在ネ米大使館ツイッター)

▼在ネ大使館ツイッターによる英語宣伝
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■米/米/米/英

【参照】
愛国者必読: 施光恒『英語化は愚民化』
書評:水村美苗『日本語が亡びるとき』
安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾
安倍首相の怪著『美しい国へ』

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/02/02 at 14:11

憲法反面教師としての日本

ネパールにとって,日本は長らく,多くのことを学びうる近代化モデル国であった。特に軽武装・専守防衛政策による高度経済成長は,地政学上見習うのが難しいにせよ,いや難しいからこそ,ネパールにとっては最もうらやましい日本の政策理念の一つであった。

平和で豊かな日本へのあこがれ。そして,それを可能にしてきたのが平和憲法であることは,教養あるネパール人なら,だれ一人知らない人はないくらい,ネパールでは周知の事実である。

ところが,その平和国家日本のイメージが,ネパールで今,崩れ始めた。信用を築くには長年の誠実な努力が必要だ。が,信用を失うのは,一瞬のこと。

たとえば,今日7月20日付のRepublica提携International New York Timesは,次のような挿絵を大きく掲載している。ここネパールでも,安倍政権の日本は軍国主義へまっしぐら,と見られ始めたのだ。

しかも,その軍国主義化は,憲法を踏みにじっての暴走によるものだ。安倍政権は,憲法はあっても守らなくてもよい,と世界に向けて宣言し,それを実践しつつあるのだ。

これは,いま憲法制定の最終局面にあるネパールにとっては,最大の反面教師である。その意味では,ネパールにとって,日本はいまでも大いに学ぶべき国家である。まったくもって皮肉なことだが!

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 ■平和憲法を踏みにじり暴走するアベ日本軍(Republica提携INYT,20 July)

追加】「平和主義と格闘する日本」Republica提携INYT社説(2015-07-21)
「日本人の多くは,アベの選択した道は正しくないとみている。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/07/20 at 23:54

カテゴリー: 軍事, 平和, 憲法

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「新しい国へ」,オノゴロ島から?

オノゴロ島の風景(2015年5月)。神国はここから始まり,いままたここから「新しい国へ」「美しい国へ」と生まれ変わるのだろうか?

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/07/03 at 20:16

カテゴリー: 宗教, 憲法, 政治

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安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾

安倍首相が9月25日,国連で,また英語演説をした。英語は,ほとんどの日本人にとってチンプンカンプンの外国語であり,母語ではない。その異国の言語を,日本国元首たる首相が,国連という公の場で日本国民を代表し演説する場合,なぜ使わなければならないのか?

140928 ■国連演説(官邸HP)

1.取り戻すべきは日本語
安倍首相は,「日本を取り戻す」を信条とする愛国主義者だ。では,その取り戻すべき「日本」とは何か? 答えは様々でありうるが,もっとも核心的なものは「日本」をして「日本」たらしめている「日本文化」であり,その核心の核心が「言語」,つまり「日本語」だ。多くの日本人にとって,日本語は祖先から連綿として受け継がれてきたかけがえのない「母語」なのだ。

むろん,蛇足ながら誤解なきよう述べておくと,日本語以外の言語を母語とする日本人も,権利義務において,日本語を母語とする日本人と完全に平等であり,何ら差別されるはずはない。それを当然の前提とした上で,日本国元首たる首相が国連や他の公の場で日本国民を代表して発言する場合,便宜的にどの言語を選択し使用すべきかといえば,それは圧倒的多数の日本人の母語であり首相自身の母語でもある日本語をおいて他にはありえない。ほとんどの日本人が理解しえない外国語で,自分たちの代表たる首相が国連や他の国際会議の場で演説する――国民にとって,これほど卑屈で惨めなことはあるまい。

2.内外二枚舌の危険性
安倍首相は,国内向けには「日本を取り戻す」を信条とするコワモテ愛国主義者だが,一歩,外に出ると,英語帝国主義国に「日本を差し出す」お人好しの従属的「国際主義者」に豹変する。首相には,国内向けの舌と外国向けの舌がある。内外二枚舌!

世界各地において,少数派文化集団・言語集団が,自分たちの文化=言語=魂を守るため,長年にわたって艱難辛苦,どれほど苦しい闘いを強いられてきたか? 「国際派」の安倍首相が知らないはずはあるまい。

にもかかわらず,安倍首相は,自ら進んで,嬉々として,自らの母語=魂を英語帝国主義国に差し出す。国際社会で自国の母語すら使えない情けない国が,安保理常任理事国のイスを要求する? チャンチャラおかしい。日本国元首(=首相)たるもの,堂々と日本語で演説し,有能な専門家に国連公用語に正確に通訳してもらうのが,筋だ。(現在の国連公用語は差別的であり,国連自身の多文化共生理念に反するが,この問題については別途論じる。)内容のある演説なら日本語でも(通訳を通して)傾聴され,無内容なら英語でも居眠りされる。

安倍首相の内外二枚舌は,国内政治的には,十分に計算されたものだ。今回の国連演説でも,たとえば――
  [英語演説]    [政府日本語訳]
 ”war culture” ⇒⇒ 「ウォー・カルチャー」
 Proactive Contribution to Peace ⇒⇒ 積極的平和主義

国連英語演説の”war culture”が,国内向けの日本語訳では「ウォー・カルチャー」。これは断じて日本語ではない。なぜカタカナ英語にしているのか?

“war culture”は,いうまでもなく本来の「積極的平和(positive peace)」主義において使用されてきた概念である。ガルトゥングらは,平和の反対概念を「暴力(violence)」と捉え,その暴力には「直接的」「間接的(構造的)」「文化的」の三層があると考えた。これらのうちの「文化的暴力」は,最も基底的なものであり,戦争ないし暴力を容認したり是認したりする文化,つまり「平和の文化(culture of peace)」の反対概念たる「暴力の文化(culture of violence)」ないし「戦争の文化(culture of war)」のことである。では,もしそうなら,なぜ日本政府は「戦争文化」ないし「戦争容認文化」と訳さないのか?

一般に,行政がカタカナ英語を使うのは,ズバリ,本来の意味を誤魔化したり微妙にずらしたりして,国民を行政の望む方向に誘導するためである。「ウォー・カルチャー」もしかり。安倍首相が,「戦争容認文化」「戦争是認文化」の旗手たることは,国内では誰一人知らない人はない。それなのに国連演説では,世界世論に迎合するため――

Japan has been,is now, and will continue to be a force providing momentum for proactive contributions to peace.Moreover,I wish to state and pledge first of all that Japan is a nation that has worked to eliminate the “war culture” from people’s hearts and will spare no efforts to continue doing so.(国連演説英語原文)

と,大見得を切ってしまった。正確に訳せば,「人々の心から“戦争文化(戦争容認文化・戦争是認文化)”を除去する」となる。が,そう訳してしまうと,国内ではまさしく「戦争文化」の旗手たる安倍首相が困ったことになる。明々白々,丸見えの自己矛盾,自己否定だ。そこで知恵者・日本行政は例の手,カタカナ英語を繰り出した――

「日本とは、これまで、今、この先とも、積極的な平和の推進力である。しかも人の心から『ウォー・カルチャー』をなくそうとし、労を惜しまぬ国であると、まずはそう申し上げ、約束としましょう。」(国連演説政府訳)

「ウォー・カルチャー」は英語でも日本語でもない。それは,”war culture”でも「戦争文化」でもない。そして,その限りでは,それは「誤訳」ではない。

しかし,このようなカタカナ英語による内外二枚舌の使い分けは,いずれ必ず露見する。日本政府の信用は根底から失墜し,世界社会からも日本国民からも見放されてしまうであろう。

もう一つ,今回国連演説でも,「積極的平和主義」の誤魔化しが繰り返された。
 [国連演説] a force providing momentum for proactive contributions to peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的な平和の推進力
 [国連演説]Proactive Contribution to Peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的平和主義
この点については,すでに批判したので,参照されたい。
 [参照]自称「右翼軍国主義者」の「積極的平和主義」:安倍首相の国連演説

3.英語帝国主義国の精神に支配される日本国の身体
今回の国連演説で,安倍政権の危険性がさらに明白となった。国内では「日本を取り戻す」コワモテ愛国主義者,外国では英語帝国主義にひれ伏し日本の魂=日本語を売り渡すよい子ちゃん。

西洋合理主義によれば,情念や身体は魂(精神・理性)により支配されなければならない。とすれば,日本の身体も,当然,魂を売り渡した英語帝国主義国の意思により支配されねばならないことになる。カネだけではなく軍隊も出せといわれれば,はいはい分かりました,と国民の身体を差し出す。この屈辱の論理を誤魔化しているのが,英語演説とカタカナ英語と誤魔化し翻訳。

このままでは,「日本を取り戻す」どころか,いずれ日本は精神的にも身体的にも真の独立を失い,ヘラヘラ,カタカナ英語をしゃべる軽薄卑屈な三流従属国家に転落してしまうであろう。「日本を取り戻す」のであれば,まず日本語から始めよ! 

谷川昌幸(C)

モディ首相,安倍首相に日本語でツイート

モディ首相が,8月30日から日本を公式訪問する。モディ首相は,日本と安倍首相を重視し,ブータン,ネパールの次の訪問国を日本とした。先に訪問したブータンとネパールはいわば身内なので,本格的な域外の国への訪問は日本が最初となる。

140828 ■モディ首相ファイスブック

モディ首相はサービス精神旺盛だ。それは訪ネのときいかんなく発揮されたが,今回の訪日でもそうらしい。(参照:ネパール毛派称賛の目算,モディ首相演説

たとえば,ツイッターを見よ。モディ首相は,はやくも,なんと日本語でツイートし,日本と安倍首相を手放しで褒めちぎっている。むろん,安倍首相がモディ首相のツイッターをフォローしていることはいまや世界周知の事実であり,それが分かったうえでのことだ。神々の超大国インドの首相に,こんなに褒められると,極東の小国はうれしさで舞い上がり,首相から一少国民に至るまで一億火の玉となって感涙にむせぶだろう。

140828b ■安倍首相ツイッター(右下=モディ首相)

しかし,このモディ首相訪日が,リアルポリティックスにおいてどのような意味を持つかは,いまのところまだ何とも言いがたい。

インドは,とにかく神々の超大国,スケールが途方もなくでかい。だから記事もやたら長くて雄弁だ。どれもこれもネパールの記事の10倍以上はある。とても読み切れない。これから頑張って,もしいくつか読むことができたなら,後日,ご紹介することにしたい。

--[モディ首相ツイッター]---------------
140805b @narendramodi  
Modi 私は8月30日から日本を訪問する。印日関係を強化するこの訪問を、とても楽しみにしている。
Modi この訪日は、私にとって、インド亜大陸外で初めての二国間訪問となる。当初は7月初旬を予定していたが、議会の都合で不可能になった。
Modi 私はこの訪日を、日本との関係を新たなレベルへと高め、様々な分野における協力を増進する機会と見ている。
Modi 東京と京都を訪ね、学生、政治指導者、企業幹部など、日本社会のあらゆる層の人々と交流する。
Modi 州首相時代に日本を訪問したが、とても温かい思い出だ。もてなしの心と、協力の幅広い可能性が、深く印象に残った。
Modi 日本人の持つイノベーションの規模と高い精密性は賞賛に値する。印日両国は互いから多くを学ぶことができる。
Modi 私が特に心待ちにしているのは、安倍首相にお会いすることだ。私は彼のリーダーシップを深く尊敬しており、これまでの面会を通じて温かな関係を享受している。
Modi 日本のインドとの友情は時の試練を経てなお続いている。われわれ二国は、世界の平和と繁栄の推進に傾倒する、活気に満ちた民主主義国家である。
Modi Friends from Japan asked me to talk to the people of Japan directly in Japanese. I also thank them for helping with the translation. [上掲の安倍首相リツイートは,この部分]
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/08/28 at 18:39

カテゴリー: インド, 外交, 中国

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