ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(39)

10 参考資料
 (1)マンジート・ミシュラ「希望と恐怖の物語」
 (2)グファディ「狂気の権威主義的な医師」

(3)D・カイネー「無為無策の5か月」リパブリカ,2018年8月7日

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デイビッド・カイネーは極西部出身,トリブバン大学卒。Revival Ministry Nepal ( RMN )代表。人身売買防止,貧困救済等の社会活動に尽力。「リパブリカ」,「カトマンズ・ポスト」等への寄稿多数。この「無為無策の5か月」では,オリ政府の強権化・利権化を阻止し人民の利益を実現するには,市民社会自身が立ち上がるべきだと訴えている。
*David Kainee, “Five months of inaction,” Republica, August 7, 2018
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KP・シャルマ・オリ政府は,発足後5か月を経過した。その業績は,どう評価されるべきか? 昨年の地方,州,連邦の3選挙において,人民は共産党連合(現在は統合されネパール共産党)に未曽有の大勝利を与え,これによりオリは,近年のネパールにおいて最強の政府を率いることになった。首相は,「ネパール人の幸福,ネパールの繁栄」を約束したのであり,人民は,その約束の実現に向けての確かな前進を期待した。

ところが,オリ政府は次々と問題を引き起こした。政府は権威主義だという批判もあれば,議会で三分の二を握ったため傲慢になっているという声もある。[……]

先月[2018年㋆],政府は,医学教育改革の旗手ゴビンダ・KC医師に対し,この上ない傲慢さと無神経さを示した。政府は,ケダル・バクタ・マテマ委員会勧告無視の国民保健教育法案[医学教育法案]を通そうとした。[これを阻止するための]サティアグラハを行うためKC医師がジュムラに向かうと,ジュムラ郡当局は,連邦政府の要請を受け,抗議行動禁止場所を指定した。そのため,KC医師は,地域病院の暗い部屋で抗議行動を始めざるをえなかった。

オリは,KC医師の品位を汚すようなことを言った。人民の守護者として働くのではなく,自国の高貴な魂と敵対する権力者としての立場を,オリは自ら選び取った。KC医師が意識を失ったときですら,政府はそれを無視した。市民社会やメディアからの圧力が大きくなり始めてようやく,政府は交渉に転じ,結局は彼の諸要求を受け入れることに同意した。このときまでに,以前は愛国的指導者と見られていたオリの評価は,大きく損なわれてしまった。いまや彼は,コネ資本家どもの守護者と見られるようになった。

[オリ政府は公共交通や開発基金など他の諸課題についても,当初は改革を掲げたものの,実際には実行しなかった。……]

ウジャン・シュレスタ殺害事件で]有罪判決を受けたバル・クリシュナ・ドゥンゲルに対する大統領恩赦についても,政府は,多くの人々が指摘してきたように,マオイスト幹部と結託して,これを承認した。司法は政治化されてしまった。首相をはじめ大臣たちは,言葉でも行動においても,傲慢であり不寛容である。2006年人民蜂起において中心的な役割を果たしたわれわれ市民社会は,身内第一の諸政党とは距離を取り,自らを復活させる必要がある。[……]

■RMNフェイスブック

■Jeremy Snell, “David of Nepal,” (Video)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/05/15 at 18:44

包摂民主主義の訴え,米大使(3)

テプリッツ駐ネ米大使が,こうした観点から,国交70周年メッセージにおいて厳しく批判しているのが,起草中の新しい「社会福祉開発法」。それは,民主主義に不可欠の市民社会諸組織(CSOs: Civil Society Organizations)の活動を不当に拘束するものであり,ネパール憲法にも国際法(結社の自由を保障する国際人権規約)にも違反するというのである。

テプリッツ大使は,国際法については違反するとだけしか述べていないが,憲法との関係についてはかなり詳しく説明し批判している。すなわち,ネパール憲法51(j)条は,社会的公正と包摂のための政策を政府に義務づけたうえで,それに不可欠のCSOsの透明で効率的な運営のための「単一窓口制(single door system)」の採用を規定している。ところが,起草中の新しい「社会福祉開発法」には,この「単一窓口制」に反する規定がある。もしこのまま制定されれば,CSOsは,設立・運営のため様々な役所の認可を得なければならないし,また外国援助事業には社会福祉委員会のややこしい認可が必要になる。

「単一窓口制は,適切に運用されるなら,CSO関係政府諸機関の間の軋轢や混乱を防止し,CSOsをしてその本来の役割を果たさせ,そして市民社会と国家の間の健全な関係を促進することになるだろう。ところが,起草中の新しい社会福祉開発法は,CSOsの活動に対し様々な機関から様々な認可を取得することを義務づけるものであり,これは憲法の定める『単一窓口制』に反する規定である。」

たしかに,ネパールの行政手続きは,「単一窓口制」が不可欠と思わせるに十分なほど不効率で,汚職腐敗も少なくないが,他方,ネパールにおけるCSOsの乱立,不正も目に余る。ネパール政府がCSOs,とりわけ外国支援CSOsの活動を把握し規制したいと考えるのは,独立国家の政府としては,当然のことだともいえる。圧倒的な超大国アメリカの駐ネ大使,テプリッツ氏のメッセージからは,独立国ネパールへのそのような配慮は全く感じ取れない。

テプリッツ大使は,国交70年メッセージをこう結んでいるが,この趣旨のことは,ネパール政府というよりはむしろ,本国アメリカのトランプ大統領にこそ向けて,まずは訴えられるべきではあるまいか。

「合衆国は,ネパールが人民の,人民による,人民のための民主国家として進歩することを支援するため,ネパールに関与し続ける。われわれは,すべてのネパール人が性,民族,宗教,カースト,居住地,そして経歴にかかわりなく,学習や健康や繁栄への平等な機会を共有するという国家理念を共有しているが,これは,米国のネパール支援継続により,単なる願望や夢ではなく,すべての人のために実現されるべき約束となるであろう。」

170224■在ネ米国大使館HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/02/24 at 21:45

包摂民主主義の訴え,米大使(2)

テプリッツ米国大使は,国交70周年メッセージにおいて,「市民社会(civil society)」につき,こう述べている。

市民社会で重要な役割を担うのは,NGO(非政府組織),専門職団体,地域社会組織,シンクタンク,労働者組織,学術団体,メディアなどである。それらは,包摂参加を促進し,また統治を公的に監視する。市民社会は,人民の,人民による,人民のための政府の理念の実現に不可欠である。

「市民社会は,メディアも含め,ときとして政府にとって都合の悪い目障りな存在となるが,だからこそ民主主義には市民社会の様々な組織が必要であり,またわれわれが他国の民主政府と協力して市民社会の強化を図るのもそのためである。」

これは,ネパール政府よりもむしろ本国のトランプ大統領にこそ向けられた諫言であるかのようだ。赴任先で米国政府を代表すべき大使が,いまこんなことを公言して,大丈夫だろうか?

170220■テプリッツ大使(在ネ米大使館HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/02/22 at 08:57

包摂民主主義の訴え,駐ネ米大使(1)

A.B.テプリッツ駐ネ米大使が,ネパール・メディアに長文の米ネ国交70周年記念メッセージ「包摂的市民参加:民主主義のために」を寄せている。
 ▼ALAINA B. TEPLITZ, “Inclusive civic participation: Where democracies thrive,” The Himalayan Times, February 20, 2017

テプリッツ大使は1969年生まれで,2児の母。オバマ大統領により2015年3月,駐ネ大使に任命された。初の大使就任。

テプリッツ大使は,オバマ大統領任命ということもあってか,社会諸集団の包摂参加やマスコミなど「市民社会(civil society)」の自由と権利の重要性を力説している。この国交70周年記念メッセージも,そうした立場から書かれており,トランプ現政権との関係という観点からも,またネパール内政との関係(内政干渉ではないか)という観点からも,興味深い。

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 ■米大使FB(2月21日)/クンダ・デグジト氏ツイッター(2月21日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/02/21 at 11:55

Anand Aditya ed., Civil Society-State Interface in Nepal

11月末、本書の出版披露の会に招かれたが、風邪気味のため欠席してしまった。日本語ではあるが、ここで紹介し、ご招待のお礼に代えたい。

▼Anand Aditya ed., The Civil Society-State Interface in Nepal: Renegotiating the Role between the Private and the Political,Sanepa, Nepal: Pragya Foundation and Friedrich Ebert Foundation, 2011.

FOREWORD
PREFACE
FROM SUBJECTS TO CITIZENS: Civic Transformation in a Captive State –Anand Aditya
THE ENLIGHTENMENT TRADITION OF NEPAL: Can the Civil Society Grasp It? — Dev Raj Dahal
ROLE OF CIVIL SOCIETY IN THE PEACE PROCESS IN NEPAL — Anjoo Sharan Upadhyaya and Hemraj Subedee
THE CIVIL SOCIETY-STATE INTERFACE — C. D. Bhatta
PEACE POLITICS AND CIVIL SOCIETY IN NEPAL: The Space to Mediate the Fault-Lines — Tika P. Dhaka!
MULTI-TRACK APPROACHES TO PEACEBUILDING IN NEPAL: Public Morality as an Issue in the Future Civil State — Tone Bleie
CHALLENGES OF CITIZENSHIP BUILDING IN NEPAL — Yubaraj Ghimire, journalist
CHALLENGES TO TRANSITIONAL JUSTICE IN NEPAL: The Role of Civil Society — Julius Engel
REIEECTIONS ON CIVIL SOCIETY — Shambhu Ram Simkhada
RESULTS OF OPINION POLL ON CIVIL SOCIETY IN NEPAL: 2011 — Pramod R. Mishra

121228

ネパールでは、王制→立憲君主制(1990-2007)→民主共和制(2007-)という体制移行が20年余の短期間に行われたため、民主共和制の基盤となるはずの市民社会の形成がそれについて行けなかった。

この事態を憂慮したのが西洋諸国の援助関係者である。彼らはネパール側に強く働きかけ、様々な援助やセミナーを通して市民社会(Civil Society)を育成しようとした。

その結果、たとえば市民社会の中心となるNGO(非政府組織)は、本書によれば、下図のように激増した。これは1999年までの統計だが、その後もNGOは増加しており、いまやネパールは世界有数のNGO大国といってもよいであろう。

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 ■ネパールの公認NGO数(8頁)

しかし、問題がないわけではない。市民社会は、編者アディチャによれば、「公的(public)」なものであり、「市民個々人の私的領域と政府の政治的領域の間のギャップを架橋すること」(序文)を任務としている。換言すれば、それは、私的・個人的でもなく、政治的・国家的でもないものである。

問題はここにある。1990年民主革命以前のネパールは、まだ近代以前であり、そこには明確な私的領域も明確な政治的領域もなかった。それは公私未分化の封建社会といってよいだろう。この社会は、公私未分化であるから、その限りでは、一見「市民社会」のようでもある。

したがって、もしそうであるならば、この公私未分化の伝統的社会関係を「市民社会」の中に滑り込ませることもできるのではないか? あるいは、換言するなら、西洋諸国の現代の市民社会論は近代市民革命を経て成立したものだが、それを棚上げし、ネパールに現代市民社会論をそのまま持ち込むと、それは、前近代的なネパールの人間関係や社会関係に「市民社会」という新しい衣を着せ、それらを温存することになるのではないか? 

先述のように、ネパールはNGO天国であり、おびただしい数のNGO、PPT(Public Private Partnership)、Cooperativeなどがあるが、運営の実態をみると、多くが前近代的なものといわざるをえない。ネパールの市民社会論は、西洋諸国の市民社会論者が何を言おうとも、まずはこの自らの組織の現実を直視することから始めるべきであろう。

この観点から見ると、本書の議論もやや物足りないが、それでもいくつか注目すべき議論は現れ始めている。たとえば、Tone Bleieはこう述べている。

「個人の権利と集団の権利のバランスが大切である。」(158頁)
「内面化された個人の良心こそが公的道徳を育成する。」(161頁)
「近代以前にはカーストが社会集団とアイデンティティの基礎であったが、これがいま、原初的民族アイデンティティや民族ナショナリズム・アイデンティティに置き換えられつつある。」(166頁)

つまり、前近代的カーストを既存の民族や他の社会集団によって置き換えてみても、何ら問題の解決にはならないということである。

ネパールには、公式統計によれば、カースト/ジャーティが100以上ある。それぞれが多かれ少なかれ独自のアイデンティティを持つ社会集団である。そうした状況の下で、もし個人の主体性、個人の内面化された独立の良心、個人の固有の権利といったものが棚上げされ、個人と国家の中間の「公的領域」とか「市民社会」を主張すれば、既存のカースト/ジャーティなどがNGO、PPT、Cooperativeなどといったものに衣替えし、実態はあまり変わらないまま存続するであろうことは明白である。

ネパールの市民社会論は、近代市民革命の理念を軽々と飛び越え「超克」するのではなく、そこに愚直に立ち返り十分に「内面化」した上で、それを基礎に自らを再構築していくべきであろう。迂遠かもしれないが、市民社会の成熟にはそれしか道はあるまい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/28 at 21:07

カテゴリー: 政治,

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