ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(21)

6.第15回ハンスト
 (1)なぜジュムラでハンストか?
 (2)決死のハンスト(i)
 (3)決死のハンスト(ii) ①ハンストと延命治療
 (4)決死のハンスト(iii) ②それほど苦しくない断食(以上前出)

(5)決死のハンスト(iv)
③強制摂食:人道名目の拷問
すぐ思いつき,事実,世界各地で利用されてきたのが,ハンスト者に対する「強制摂食(force-feeding)」である。ゴムチューブなどの管を鼻や口から食道に差し込み,流動栄養食を直接,胃に流し込む。あるいは,それができないときは,栄養液を点滴投与し生存を確保する。胃瘻でさえ,場合によっては実施されるかもしれない。

現象だけを見れば,日本でも日常的に行われている延命治療となんら変わりはない。現代では,生命は地球より重く何物にも代えがたいとされ,治療の可能性が少しでもあるのであれば,可能な限り延命治療をし,生命を救う,すなわち心臓を動かし続けることが正しいとされている。

強権的体制の為政者は,皮肉なことに,この人道主義的生命尊重の世情を巧みに利用する。生命はすべてに優先されるべきものだから,たとえ本人が主義主張貫徹のため「ハンスト死」を望もうとも,それは誤った考え方であり許されない。ハンスト者は,正気を失い,生きるために食べるという最も根本的な理性的判断ができなくなっている。だから為政者としては,生命尊重の人道主義の観点から,本人の意思にかかわりなく,強制摂食など,必要最大限の救命措置をとらなければならないというのである。

しかしながら,これは明らかに,生命尊重人道主義の偽善的政治利用である。ハンスト死させてしまえば,先述のように,それは社会に対し劇的な効果を持ち,為政者は大きな打撃を受ける。さりとて,ハンスト死を避けるためハンスト者の要求を呑んだり収監ハンスト者を釈放すれば,それが前例となり,ハンストが頻発し,統治は困難になる。社会秩序は乱れ,人々の安全は保障されなくなる。為政者にはハンスト者の要求を呑むことも,収監ハンスト者を釈放することもできない。そこで結局,ハンスト者がいくら食事を拒否しても強制的に栄養を取らせる「強制摂食」の方法を,為政者は採らざるをえないことになるのである。

ところが,ハンスト者への強制摂食は,人命尊重や社会秩序維持(社会の安全)をいかに力説しようが,実際にはそれ自体,精神的にも肉体的にも耐えがたい苦痛を与えるものであり,「拷問」に他ならない。

「拷問」は,近代国家では19世紀以降,法的に禁止されるようになった。ちなみに日本国憲法も「拷問は絶対にこれを禁ずる」(36条)と明記している。国際社会では,1948年採択の世界人権宣言が「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない」(5条)と宣言し,これがそのまま国連によって1966年「自由権規約」の中の規定の一つとして採択された。現代では拷問は許されない。

ハンスト者に対する強制摂食は,この現代社会では明確に禁止されている「拷問」に相当する。世界医師会も1975年採択の「東京宣言」において,「収監者,収容者のハンストに対し強制栄養法の使用[強制摂食]をさせてはならない」と厳しく警告している。

それにもかかわらず,強制摂食は,いまなお世界の少なからぬ国々で繰り返し実施されている。ネパールでも実施されない保証はない,と危惧せざるをえない。

ハンスト者に対する強制摂食はいまなお未解決の難しい問題であり,詳しくは別稿をまたざるをえない。以下では,参考のため強制摂食の事例をいくつか紹介するにとどめる。

■収監サフラジェットへの強制摂食(英紙1913年5月24日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/19 at 11:33

ゴビンダ医師のハンスト闘争(19)

6.第15回ハンスト
 (1)なぜジュムラでハンストか?
 (2)決死のハンスト(i) (前出)

(2)決死のハンスト(ii)
しかし,もし仮に政府が要求を呑んでいなかったとしたら,ゴビンダ医師はどうしたであろうか? あるいは,どうされていたであろうか? これは生死と自己選択(自己決定)にかかわるギリギリの難しい問いである。

①ハンストと延命治療
一つは,本人の意思にかかわりなく実施されるであろう救命・延命治療の問題。医学の「進歩」がハンスト死の成就を困難にしている。

ゴビンダ医師の場合,彼自身は,「決死のハンスト」を宣言しており,死は覚悟していたであろうが,危険な状態になれば,最初に収容されたジュムラの病院であっても,彼の「決死」の意思にかかわりなく,病院側はおそらく最大限可能な救命治療をしていたであろう。

また,そのような状況が予想される場合,政府の積極的な介入も十分考えられる。そもそも,政府がハンスト中のゴビンダ医師をジュムラからカトマンズに移そうと何度も試み,結局は事実上強制的にヘリ輸送してしまったのも(詳細後述),彼の「ハンスト死」ないし「殉死」の成就を恐れたからに違いない。カトマンズに移し設備の整った病院に入れてしまえば,医師らに圧力をかけ,ゴビンダ医師自身の意思にかかわりなく,あるいは彼が意識を失ってしまっても,生かし続け「ハンスト死」させないための延命治療を最大限続けさせることが出来るからである。

善悪はとりあえず置くとして,たとえ「決死のハンスト」であっても,現代では実際には本人の意思通りの衝撃的,劇的な「ハンスト死」は,事実上,困難な状況となってしまっているのである。(ハンストに起因する疾病で後日,治療中に命を落とすことはあろうが,これは多かれ少なかれ「病死」の意味合いを帯びざるを得ない。)

なお,本人の意思(自己決定)に基づく延命治療の中止は,欧米だけでなく,日本でも認められつつある。すでに日本学術会議「死と医療特別委員会」も,「尊厳死について」(1994年)において,「患者の自己決定ないし治療拒否の意思を尊重して延命医療の中止,すなわち尊厳死を容認した」(『終末期医療のあり方について』2008 年)と宣言している。

しかしながら,これはあくまでも医学的に尊厳ある生の維持が不可能な場合の延命治療の中止であって,ここではハンストは,当然ながら全く考慮されていない。ハンストは延命治療中止の正当理由とはならない,ハンスト者には最大限可能な延命治療がなされる,とみるべきであろう。

PIRAのハンスト死
アイルランド共和国軍暫定派(PIRA)のボビー・サンズら10人が1981年,獄中ハンストで餓死した。首相であった「鉄の女」サッチャーは,彼らを見殺しにしたとして激しく非難攻撃された。「決死のハンスト」放置は,為政者にとって,リスクの大きな選択である。
■Bobby Sands Trust HPより

谷川昌幸(C)