ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(2)

1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(2)
それにしても,なぜいまハンストなのか? ネパールは民主化し,最高水準の民主的な2015年憲法も制定され施行されているのではないか?

ゴビンダ医師のハンストは,直接的にはネパールの保健医療分野の不正を告発し抜本的な改革を要求するものだが,それは同時に,その不正を容認し助長しているネパール民主主義の現状に対する真っ向からの異議申し立てともなっている。

ネパールの民主化は,マオイスト人民戦争(1996-2006年)後,急激に進み,2008年には王制が廃止され連邦共和制となり,そして2015年にはその成果を法的に確定する2015年憲法が制定された。この現行2015年憲法は,国民の権利と民主主義を詳細に規定しており,これによりネパールは少なくとも制度的には世界最高水準の民主国の一つとなった。

しかし,制度はできても,その運用には相当の経験と努力が必要である。ネパールの場合,前近代的・半封建的王制から21世紀的包摂民主主義体制に一気に飛躍したため,人権と民主主義の経験が乏しく,そのため様々な前近代的因習や慣行が根深く残る一方,他方では現代的な市場経済や自由競争社会の論理が有力者によりご都合主義的に利用され始めている。国民各人に保障されるはずの自由や権利は,実際には旧来の,あるいは新興の富者や強者のものとして利用され,そしてそれが民主主義の名により正当化され保護される。憲法規定の民主主義は,富者や強者が,彼ら独占のメディアや彼らの意を体する議会等の統治諸機関を通して国民を教化し,操作し,動員し,かくして彼らの特殊利益に奉仕させるための格好の手段となりつつある。現代型の「民主的専制」といってもよいであろう。


■ネパール憲法2072(2015)/代議院(下院)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/30 at 15:02

キリスト教攻撃激化と規制強化(6)

5.二つの自由の難しさ
ネパールのこうしたキリスト教布教問題は,理念的には「二つの自由(権利)」の問題であり,単純明快な解決は難しい。
 【参照】信仰の自由と強者の権利(2013/04/15)

すでにふれたように,自由や権利には,形式的なものと実質的なものの二種類がある。一つは,国家や社会からの干渉を受けず個々人の意思で行為できる形式的自由ないし「消極的自由(negative freedom)」。もう一つは,人々の置かれている経済的・社会的・政治的状況を考慮し,積極的格差是正措置などにより実質的に自由を実現していく実質的自由ないし「積極的自由(positive freedom)」。

最もわかりやすいのが「契約の自由」。自由意思による契約は,われわれの最も基本的な自由ないし権利の一つだが,もし当事者の置かれている諸状況を度外視し,契約を当事者の意思だけにまかせたら,どうなるか?

いうまでもなく「契約の自由」は,そこでは「強者の自由」となる。たとえば,企業には労働者を徹底的に搾取する自由が,労働者には非人間的雇用に甘んじるか,さもなければ餓死するかの自由が保障される。弱者の労働者にとって,それは名だけの形式的な自由にすぎない。このことは,他のあらゆる自由についても多かれ少なかれ妥当する。

ネパールのキリスト教は,先述のように欧米やアジアの先進富裕諸国に支援されているとみられている。これは相当程度,事実である。もしそうだとすると,ネパールにおいて,その実質的不平等の状況を無視し万人の「宗教の自由」を唱えると,それはネパール国内では少数派弱者であっても先進富裕諸国に支援されている強者たるキリスト教にとって圧倒的に有利な,強者の自由ということになる。ネパールのキリスト教反対派は,それを問題にしているのである。

「宗教の自由」は最も根源的な自由であり,万人に保障されなければならない。では,それをどう保障するか? 形式的に平等な自由保障と,実質的に平等な自由保障をどう関係づけ,宗教の自由を公平に保障するにはどうすればよいか? ネパールはいま,宗教の自由をめぐる問題でも,世界で最も注目すべき国の一つなのである。

 

*1 Devendra Basnet, “Targets of ‘zealous’ Christian missionaries speak up,” Republica, 7 May 2018
*2 “Four more churches attacked in Nepal,” Sight(World Watch Monitor), 17 May 2018
*3 “6 Christians Arrested, 4 Churches Attacked, Bombed in Nepal,” Christian Today, 7 June 2018
*4 Alex Anhalt, “New pressure faces Nepalese Christians,” Mission Network News, 12 June 2018
*5 Gary Lane, “Christians Forced Out of Nepal; Persecution Intensifies,” CBNNEWS.COM, 07-17-2018
*6 “Foreign Christian Couple Deported from Nepal on Conversion Charges,” Persecution.org, 2018/07/12
*7 “Pressure on Christians Heats Up in Nepal,” Morning Star News, 13 July 2018
*8 “Assault on Christian Leader in Nepal Reflects Growing Threat,” Morning Star News, 31 July 2018
*9 Pete Pattisson, “ ‘They use money to promote Christianity’: Nepal’s battle for souls,” The Guardian, 15 Aug 2017

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/12 at 15:05

キリスト教攻撃激化と規制強化(5)

4.キリスト教布教に対する批判
ネパールのキリスト教に関する記事は,英語メディアでは,圧倒的にキリスト教会側からのものが多い。また,欧米近現代の人権・民主主義は,先述のようにキリスト教と不可分の関係にあるので,人権・民主主義推進の立場からの発言も,多かれ少なかれキリスト教に好意的なものが多い。したがってネパールの宗教問題の現状をより公平にみるには,キリスト教批判の側の言い分も見ておく必要がある。

ネパールにおけるキリスト教批判に共通するのは,一言でいえば,キリスト教は貧困な途上国ネパールにおいて,圧倒的に強大な欧米先進国の政治力・経済力をバックに,「宗教の自由」を「強者の権利」として行使している,という主張である。キリスト教は,金銭や物品,医療,教育,海外留学など様々な利益や権益を与えることにより,ネパールの人々を引き寄せて釣り上げ(lure),キリスト教に改宗させている,という批判である。これは,ことあるごとに繰り返されるキリスト教非難の常套句だが,根拠がないこともなく,ネパールでは相当の説得力を持っている。このことについては,これまでに幾度か言及したことがあるので,それらを参照されたい。
 参照:キリスト教とネパール政治 

ここでは,一つだけ,5月7日付「リパブリカ」掲載の長文署名記事,ディベンドラ・バスネット「『熱心な』キリスト教宣教師の標的とされた人々,声を上げる」(*1)を紹介する。著者はダン郡在住のジャーナリスト。にわかには信じがたい部分もあるが,大手メディア掲載記事だし,地方ではこんなことでさえあるのかもしれない。
 *1 Devendra Basnet, “Targets of ‘zealous’ Christian missionaries speak up,” Republica, 7 May 2018

<以下,記事要旨>
ダン郡の人々によれば,キリスト教への強制改宗がこの十年ほど前から激化してきた。“主イエス”の名に恥ずべきようなことですら,行われている。たとえば,ラマヒ住民ガンガ・カドカの場合。彼女は,こう証言している。

「自宅を掃除し,外で休んでいるときでした。女の人がやってきて,目の前で何ら躊躇することなく軒下の土間に小便をしたのです。家にも軒下の土間にも牛糞を塗ったところでした。そこに小便をされたので,あまりのことにびっくりし,深く傷つけられました。」
 (注)伝統的民家では,神聖な牛の糞を粘土に混ぜ,壁や床に塗る。牛糞には殺菌・防虫効果もあるとされる。

ガンガはヒンズー教徒であり,軒下に小便をしたのはネパール人キリスト教徒で,外国人(性別不明)を一人連れてきていた。驚いたガンガが小便をやめさせようとすると,「二人は,この小便は神の僕の一人から出たものだから,これでこの家は浄化された,と私に言いました」。

ガンガは怒り,近くの教会に行き牧師に抗議したが,牧師は謝りはしたものの,穏便に済ませてほしいといっただけだった。

どうして,このようなことになったのか? ガンガ・カドカには,スニルという名の末男がいる。4年前,彼はヒンズー教徒女性と結婚したが,その嫁は,結婚後,外国人キリスト教徒の執拗な勧誘によりキリスト教に改宗してしまった。改宗後,嫁は夫のスニルも改宗するよう迫ったため,夫婦の間でいさかいが絶えなくなった。2017年,スニルは事故で大怪我をしたとして入院したが,ガンガによれば,本当は改宗でもめ,妻がスニルを殴ったのだという。警察もそれを認め妻を逮捕したが,幼い子供がいるので,ガンガが頼み込み,嫁を釈放してもらった。ところが,その後もスニルは嫁といさかいが絶えず,とうとう根負けしたのか,彼も改宗してしまった。そのため,ガンガはスニルと会うことを断念した。「死ぬまで顔も見たくない,と息子には告げました。」ガンガとキリスト教の関係は,軒下に小便をされるときまでに,このような状態になっていたのである。
<以上,記事要旨>

■キリスト教関係書籍もかなり出版されている。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/11 at 17:42

「宗教の自由」とキリスト教:ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定について

「自由」は一般に,格差のあるところでは「強者の権利」となりがちである。格差を無視し自由を形式的に認めると,経済的,政治的,知的,身体的等々において優位にある者が,自由を名目として,劣位にある者を事実上一方的に支配することが許されてしまう。形式的自由は「強者の権利」を正当化する。最も基本的な自由の一つである「宗教の自由」もその例外ではない。このことについては幾度か議論してきたが,重要な問題であるので,ここでもう一度,ネパールを例にとり,「宗教の自由」について考えてみたい。
 【参照】世俗国家 キリスト教 改宗

 ■Church in Nepal HP

1.ネパール憲法の「世俗国家」規定と「宗教の自由」
現行2015年ネパール憲法は,「宗教の自由」について次のように規定している。

 ・・・・・<以下引用>・・・・・
第26条 宗教の自由への権利
(1)宗教的信仰を持つ何人も,自分の信じる宗教を告白し,実践し,そして守る権利をもつ。
(3)何人も,本条規定の権利の行使において,公共の健康・良俗・道徳に反する行為,公共の平和を損なう行為,他者を別の宗教に改宗させる行為,または他者の宗教を損なう行為を,自ら行うことも他の人に行わせることも為してはならない。そのような行為は法により処罰される。
 ・・・・・<以上引用>・・・・・

宗教の自由は最も基本的な人権の一つだが,無制限ではなく,他者の正当な権利の侵害までも許容するものではない。しかし,たとえそうだとしても,この26条3項による宗教の自由の制限は,あまりにも広範であり,解釈次第でどのような宗教活動であっても禁止されてしまう恐れがある。

とりわけ問題なのが,改宗勧誘の禁止である。直接的あるいは間接的な改宗勧誘が禁止されてしまえば,自発的な改宗の機会も少なくなるので,これは改宗の全面禁止に近い規定とみてよいであろう。

それでは,改宗を禁止ないし大幅制限したうえでの「宗教の自由」とは何か? それは,既存の諸宗教を前提とし,それらを信仰する自由にすぎないのではではないか? そのことを,もって回った表現ながらも,具体的に規定しているのが,憲法4条の世俗国家規定である。

 ・・・・・<以下引用>・・・・・
第4条 ネパール国家
(1)ネパールは,・・・・世俗的な(धर्मनिरपेक्ष)連邦民主共和国である。
 解釈(स्पष्तीकरण, explanation):本条でいう「世俗的」は,古くから伝えられてきた宗教や文化を含む,宗教と文化の自由を意味する。
 ・・・・・<以上引用>・・・・・

この第4条を第26条と合わせ読むと,ネパール国家の根本規定の一つたる「世俗的」は,改宗が大幅規制されているのだから,結局,「古くから伝えられてきた宗教や文化の自由」にほかならないことがわかる。世俗国家たるネパールは,古来の宗教や文化の自由を保障しなければならない。では,その古来の宗教や文化とは何か?

2011年人口調査によれば,ネパールの宗教別人口は,ヒンドゥー教81.3%,仏教9%,イスラム教4.4%,キリスト教(多数がプロテスタント)1.4%,その他3.9%。ネパール憲法は,「世俗的」を,事実上,古来の宗教文化と規定することにより,このヒンドゥー教(およびそれと習合した仏教)を中心とする既存の宗教社会の保守を義務づけているのである。

3.キリスト教徒急増と改宗勧誘禁止規定
ネパールが,外国とりわけ欧米近代諸国家との接触があまりない伝統的閉鎖社会であり続けたなら,ここまで強引な改宗禁止規定を憲法に置く必要はなかったであろう。国民のほとんどがヒンドゥー教とそれと習合した仏教を信じており,たとえ「宗教の自由」を認めても,彼らは圧倒的な多数派であり,「強者」として政治的,社会的,文化的なあらゆる権益を守ることができたに違いない。

ところが,ネパールは,1990年と2006年の2回の人民運動(民主化運動)の成功により,近現代民主主義を受け入れ,本格的に国を開き,欧米諸国と直に向き合うことになった。その結果,ヒンドゥー教は,ネパール国内では依然として多数派強者ではあっても,世界社会では必ずしもそうとは言えなくなってしまった。

この新たな状況下で,ネパール国内の他の宗教が,国外の何らかの有力勢力と結びつき支援を受け始めるなら,ネパール・ヒンドゥー教の優位は,経済的にも国際世論的にもたちまち瓦解する。そうなれば,「宗教の自由」は,外国勢力の支援を受け,その意味で新たに強者となった他の宗教の「強者の権利」へと一変してしまうのである。

民主化後のネパールにおいて,この「宗教の自由」を最も有効に使い,急速に勢力を拡大してきたのが,キリスト教である。キリスト教徒は,2011年人口調査で全人口の1.4%だが,実際には3~7%,あるいはそれ以上ともいわれている。1991年が0.2%,2001年でも0.5%だから,政府公式調査でも大幅増,実数はそれを大きく上回る。(日本は1%[2012]。)近年のネパールは,キリスト教徒増加率が世界で最も高い国だといわれている。

では,ネパールで,なぜいまキリスト教徒が急増しているのか? ヒンドゥー教の側は,ネパールのキリスト教会が直接的あるいは間接的に先進諸国の援助を受け,ネパールの人々に金銭や物品,教育や医療・福祉の機会などを提供し,キリスト教に改宗させているからだと非難している。先進諸国の教会などの支援を受けているネパールの教会は,経済,科学技術,教育,医療,福祉など宗教以外の多くの分野において優位となり,この強者の立場を利用してネパール庶民をキリスト教に改宗させているというのである。

ネパールのヒンドゥー教勢力が,2015年憲法に強引に世俗国家規定を置き,改宗勧誘禁止を書き込んだ最大の理由は,強者として「宗教の自由」を利用し信者を増やしていると彼らがみなすキリスト教会の動きを阻止することにあったとみてよいであろう。

 
 ■Churches Network Nepal HP / Nepal Church Com HP 

4.アメリカ政府によるキリスト教会支援
キリスト教会が「宗教の自由」を強者として利用し乱用しているというのは,ヒンドゥー教の側の言い分だが,この非難には全く根拠がないわけではない。たとえば,アメリカ国務省の「宗教の自由レポート2016年」をみると,アメリカ政府がネパールにおけるキリスト教会の自由のために大使館をあげて努力していることがよくわかる。
 * “International Religious Freedom Report 2016: Nepal,” US Department of State

「宗教の自由レポート2016年」は,まず,ネパールにおける「宗教の自由」の現状を批判的に要約・紹介する。
 ・2015年憲法が「世俗主義」を「古来の宗教と文化の保護」と規定していること。
 ・2015年憲法が改宗勧誘を禁止していること。
 ・仏教僧院を除き,キリスト教会などの宗教組織はNGOとして登録し,規約,役員,会計,事業活動などの詳細な報告を義務づけられていること。
 ・キリスト教系学校は公費補助を受けられないこと。
 ・ドラカ郡でキリスト教徒8人が改宗勧誘容疑で逮捕された事件(2016年8月)。
 ・ジャパ郡で外国人キリスト教徒が改宗勧誘容疑で逮捕され,国外退去処分とされた事件(2016年8月)。
 ・クリスマスが国民祭日から外されたこと(2016年3月)。
 ・キリスト教徒は墓地の購入や利用が困難なこと。
 ・様々なメディアが,キリスト教会は騙したり物品を配ったりして改宗させ,また教会行事と称して改宗勧誘を行っているなどと,さかんに報道していること。
 ・牛(オスとメス)殺害が重罰をもって禁止され,パンチタール郡では牛殺害容疑で4人が逮捕されたこと。
 ・政府が郡開発委員会に対し,改宗を勧誘する団体のNGO登録は認めてはならない,とする通達を出したこと。
 ・キリスト教に改宗したが,秘密にしている者が多数いること。

アメリカ国務省レポートは,ネパールにおける「宗教の自由」の現状につき以上のような指摘をしたうえで,「米国政府の政策」を次のように報告している。少々長く重複もあるが,要所を抜き出し紹介する。

 ・・・・・<以下引用>・・・・
ドラカ郡で改宗勧誘容疑により8人が逮捕され裁判にかけられたとき,米大使館員はネパール政府高官と会い,自分の宗教を自由に実践する人民の権利を尊重するよう要請した。米大使館員は,宗教関係図書配布容疑でのキリスト教徒の逮捕が,現行の憲法や刑法の規定が宗教の自由を大幅に制限する結果になることを実証したことを特に強調した。

2016年を通して,米大使と大使館員は,訪ネ米政府高官らとともに,ネパール政府高官や政治指導者らに対し,憲法や改正刑法案の規定が布教や改宗を含む宗教の自由を制限することにつき,憂慮の念を伝えた。米大使と大使館員は,政治指導者や政府幹部に対し,刑法改正最終案には処罰を心配せず自分の宗教を選択する権利をはじめとする宗教の自由を盛り込むことを要望した。米大使館員は,主要政党幹部とも会い,この要望を繰り返し伝えた。11月には,米国務省の近東および南・中央アジア宗教的少数派問題特別顧問がネパール政府幹部や議員らと会い,宗教的寛容を促進し,政府には改宗を犯罪としないよう働きかけることを要望した。

米国特別顧問は,宗教指導者らとも会い,宗教的少数派の宗教的諸権利に対する規制につき意見を交換した。米大使館員は,キリスト教諸団体と会い,改宗禁止の強行やヒンドゥー教政治家たちによるキリスト教社会への非難攻撃につき,意見を交換した。また大使館員は,カトマンズをはじめ国中の少数派宗教の地域代表らと定期的に会い,キリスト教徒が改宗を強制しているという糾弾につき,またキリスト教徒やイスラム教徒がそれぞれの宗教に基づく埋葬のための土地の取得に困っていることにつき,意見を交換した。大使館員は,ヒンドゥー教,仏教,イスラム教およびキリスト教の指導者らと会い,刑法改正案や改宗禁止の憲法規定の施行につき,意見を交換した。
 ・・・・・<以上引用>・・・・・

このように,米国は,ネパールに「宗教の自由」を宣べ伝えることに何の躊躇もない。「自由」の伝道は,新大陸アメリカ国家の「明白な使命(Manifesto Destiny)」なのだ。世界最強のアメリカには,格差の自覚なき「自由」は“強者の,強者による,強者のための権利”に堕してしまうことへの恐れはまるでない。

なお,蛇足ながら,ネパールのキリスト教徒が,ネパール国内に限定すれば少数派であり,弱者であることは言うまでもない。

*1 “International Religious Freedom Report 2016: Nepal,” US Department of State
*2 宣教投獄5年のおそれ,改正刑法
*3 キリスト教政党の台頭
*4 タルーのキリスト教改宗も急増
*5 キリスト教絵本配布事件,無罪判決
*6 改宗の自由の憲法保障,米大使館が働きかけ
*7 新憲法による初の宗教裁判
*8 改宗勧誘は禁錮5年,刑法改正案
*9 クリスマスを国民祭日から削除:内務省
*10 改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/09/20 at 14:37

京都の米軍基地(82): 強者の権利

経ヶ岬進駐米軍は,地元住民にとって圧倒的な強者であり,早くも「強者の権利」を享受し始めた。「強者の権利」とは,平たくいえば,弱者に対し強者が行使する自由,つまり「Might is Right(力は正義,力は権利)」という考え方である。

現代民主国家は「法治国家」であり,国民も政府もすべて「法の支配」に服する。いかなる政治的,経済的,社会的,文化的強者といえども,自分のもつ「力」ないし「実力」を法を無視して行使することは許されない。法は,事実として様々な不平等が存在する国家社会において,弱者の自由と権利を守るためのものである。現代法治国家では,「強者の権利」は認められない。

ところが,経ヶ岬進駐米軍には,地元住民には認められていない様々な特権が認められている。米軍人・軍属は,形式的にはともあれ,実質的には地元住民の服する日本の法には完全には服さず,その限りで「治外法権」を享受している。

法が弱者を守るためのものだとするなら,「治外法権」は,そこでは弱者が法により守られず,「強者の権利」が容認されていることを意味する。京丹後では,米軍人・軍属は「強者の権利」を行使することが出来る。

たとえば,これらは経ヶ岬米軍FB掲載写真。士官使用と思われる車のナンバーが完全に消されている。推測にすぎないが,おそらく掲載に当たり,米軍側が自分たちのプライバシーか何かに配慮したのであろう。もしそうなら,この車をたまたま地元住民が撮っており,ナンバーを消さずフェイスブックか何かに掲載したらどうなるか? すぐ秘密保護法などが持ち出されることはないであろうが,米軍関係情報を無断で収集し,世界にばらまく要注意人物としてマークされるといったことは十分に考えられる。米軍側は,自分たちが権利だと思うものを,弱者たる地元住民に対し一方的に主張し,それを自分たちの力で守ろうとする。「強者の権利」である。

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 ■丹後半島ラリー(8月28-29日)米軍士官使用車ナンバーは消去。(米軍FB9月22日)

経ヶ岬米軍FBは,このように士官使用車のナンバーを消す一方,地元の子供や老人の写真は,顔が写ったものも含め,無修正で多数掲載している。米軍宣伝への利用である。

しかし,この場合,そのような写真の利用を,子供たちが米軍に対し承認しているとは到底考えられない。米軍人・軍属などが,お菓子や鳴り物を携え,子ども園(保育園・幼稚園)などにやってくれば,子供たちは無邪気にはしゃぎ,喜んで写真を撮らせるであろう。が,そこには写真撮影・利用への「インフォームド・コンセント(理解を得た上での同意)」はない。米軍は,地元関係諸機関に対する強者の立場を利用し,子供たちのプライバシーの自由や肖像権をほしいままに強奪している。日本の子供たちという最も弱い立場の弱者に対する「強者の権利」の行使である。

150901a150901d■峰山子ども園・米軍FB8月28日(子供の顔引用者消去)

150929c■ハロウィーン(11月1日)招待は子供だけ(幼児~中学生以下)。(米軍FB9月24日)

老人たちについても,同じことがいえる。老人ホームなどに入居している老人たちは,多くの場合,役所や施設管理者に対し弱い立場にある。あるいは,老齢や病気などのため,自分では十分に自分の権利を守れない状況にあることも少なくない。米軍人・軍属は,そのような老人施設にも好んでやってきて,入居者たちの写真を撮り,ホームページなどに掲載し,世界中に進駐米軍の宣伝をする。この場合も,入居者たちが明確な「インフォームド・コンセント(理解を得た上での同意)」を与えたとは考えられない。弱者たる地元老人に対し,米軍は「強者の権利」を行使しているのである。

150929a■京丹後市の特養訪問(8月24日)。(米軍FB9月9日)

京丹後における米軍の「強者の権利」行使はまだ始まったばかり,いずれ地域社会の他の様々な領域にも拡大していくことは避けられない。沖縄や他の米軍基地周辺と同様に。

谷川昌幸(C)

エベレストでも丸裸,グーグルストリートビュー

グ-グルストリートビューが,ルクラ,ナムチェからエベレスト・ベースキャンプにまで進出した。こんなところにまで侵出し,秘境を脱神秘化することもあるまいに,秘所のぞきは金になり,やめられないらしい。

プライバシーは,もはやエベレスト界隈でも,ないものと覚悟せざるをえない。たとえば,これらの写真を見よ(解像度を下げ掲載)。一応,申し訳程度のモザイクをかけているが,本人は言うに及ばず,多少とも本人を知っている人であれば,写っているのが誰かはすぐわかる。なぜ,人体全部を消さないのか? このような醜い顔修正写真の無断無期限世界公開は,名誉毀損,人格権侵害だ(下記参照)。

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 ■エベレスト・ベースキャンプ

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 ■タンボチェ/シャンボチェ空港

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 ■エベレストビューH・/ナムチェ

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 ■ナムチェ

こうした批判は,世界各地から日々おびただしく寄せられているらしく,グーグルもメシのタネを死守するため,言い訳,弁明にこれつとめている。「ストリートビューの画像を収集する際に、顔やナンバープレートをぼかすなど、個人のプライバシーと匿名性を保護するための対策を行っています。保護すべき画像や問題のある画像を見つけた場合は、ストリートビュー チームにご連絡ください。」

まるで逆だ。時間も専門的な知識や技術もない一般市民は,世界中をのぞき回り,ネットに掲載していくグーグルを常時監視することなど,およそ不可能だ。そのような不可能な注意義務の一方的要求は,正義に反する。圧倒的な強者のグーグルこそが,写る人,あるいは写ってしまった人一人一人の許可を取得してから,撮影し,あるいは公開すべきだ。
   150328i■「強者の権利」表示
 
そもそもプライバシー(privacy, private)は,公共・公開(public)の対概念。隠れて在ることは,人権の基本の基本であり,秘密をすべて暴かれてしまえば,人は人ではなくなる。人は,隠れるために顕れ,顕れるために隠れる。隠すために見せ,見せるために隠す。

ヒマラヤの秘境ですらグーグルを意識せざるをえないとなれば,他は推して知るべし。現代人は,もはや隠れて在る自由をあらかた喪失してしまったといわざるをえないだろう。

参照1国際人権法のプライバシー保護
「国際人権法は、あらゆる人のプライバシーへの権利と恣意的または違法な干渉からの保護を保障している。国際法では、プライバシーへの権利は一般的に、自身に関わる情報がどのように取り扱われているのかを知り、それを不当な遅延や代償なく、かつ分かりやすい形で取得し、そして違法、不必要または不正な記載がある場合には適宜訂正や消去をしてもらえる権利として定義されている。ある人の私生活に関する情報が第三者に渡り、国際人権法に反した目的で使用されることのないよう、効果的な措置を取る必要がある。」(UNHCR「庇護情報の秘密保持の原則に関する助言的意見」2005年3月)

参照2「ウェブカメラ、ネットで丸見え3割」朝日新聞デジタル 2015年3月16日
「[調査したウェッブカメラの]35%にあたる769台がパスワードを設定することによって第三者からのアクセスをブロックする対策をとっておらず、映像を見たり音声を聞いたりできた。・・・・ほとんどが防犯や監視用として設置され、レンズが向けられている対象と状況から書店や美容院、飲食店、スーパーなどとみられた。事業所の従業員控室、幼い子どもたちがいる託児所のようなスペースもあった。」

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/29 at 10:41

中国,HRW非難のネパール政府に援護射撃

新華ニュースが,「ネパール政府『中国の圧力でチベット人を抑圧』という指摘に反論」という記事を掲載している(日本語版4月4日)。趣旨明快。HRW(ヒューマンライツウォッチ)報告書を非難したネパール政府の全面擁護,援護射撃だ。

先述のように,HRWやその背後の米欧が,カネも出さずにネパール政府のチベット難民処遇に対する批判を続けるなら,ネパール政府が,おしみなくカネと人を出し,中国招待・留学の大判振る舞いを始めた中国にますます接近することは明白だ。むろんHRWや米欧は外交巧者であり,そんなことは百も承知の上でやっているのだろうが,中国もまた勝るとも劣らない外交巧者,結果がどうなるか予測は難しい。

いずれにせよ,当事者たるネパール政府は,難しい立場にある。理念からいえば,まずは難民個人の人権だし,これは正論だが,他方では,それは世界搾取で優位にある―と見られている―米欧だからこそ言えることだ。

チベット難民処遇に関し正義はHRWや米欧の側にある。いずれ正義が勝利し,チベット難民の人権は回復されるだろうし,むろんそうあるべきだ。が,しかし・・・・。いまのネパールからすれば,おそらく

  正義は力,力は正義! Right is Might, Might is Right!

と受け止められているだろう。HRWや米欧の方が洗練されてはいるが,強者の権力的支配という点では,中国のやり方と本質的に変わりはしない。文句があるなら,弱小国搾取,弱者人民搾取を撤廃してから,ネパール政府に人権尊重を要請せよ。おそらく,できることなら,ネパールはそう叫びたいにちがいない。

自省なき正義や人権の一方的主張は,どこか胡散臭い。

 ▼情緒動員競争:HRW報告書(左)と新華ニュース(右2枚)
140405a140405b140405c

[参照]HRW報告書「中国の影の下で: ネパールにおけるチベット人虐待」ネパール政府,「チベット人虐待」HRW報告に激怒

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/04/05 at 11:53