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京都の米軍基地(28):和による抵抗の苦悩と悲哀

経ヶ岬の空自分屯基地付近に行ってみて気づくことの第4は(→第1第2第3),米軍Xバンドレーダー基地問題で分断の瀬戸際にある地域社会の苦渋の抵抗である。京丹後市長も「苦渋の決断」をしたらしいが,地域住民に比べれば,その苦渋など,渋茶の渋ほどにもあたらない。(→「苦渋の判断」の甘さ

1.呉越同舟ポスター掲示
下の写真は,空自基地の地元,尾和地区の旧道側で撮影したもの。前回述べたように,米軍反対看板やポスターは,経ヶ岬~袖志~穴文殊~尾和付近の国道沿いには一つも見当たらなかった。ところが,尾和の旧道の地区中心付近には,反対ポスターが1枚,壁に貼ってあった。しかも,見よ,自民党安倍首相の「日本を取り戻す」ポスターと並んで!

誰が,何の目的で,この2枚のポスターを,ここに並べて,しかも微妙な距離をとりつつ,貼っているのだろうか?

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 ■尾和バス停付近のポスター掲示(12月9日)

空自基地から少し西の久僧地区まで行くと,そこにはさらに衝撃的なポスター掲示がある。共産党のポスターが,自民党ポスターと航空自衛隊=自衛隊京丹後地域事務所ポスターに囲まれ,掲示されている。久僧地区では,自民党や自衛隊と共産党が仲良しだからだろうか? まさか! では,どうして?

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 ■久僧「呉越同舟ポスター掲示」(2013年12月9日)

2.ネパールの呉越同舟ポスター掲示
実は,尾和地区や久僧地区の掲示を見たとき,「あれ? あれと同じだ!」と,驚きを禁じえなかった。唐突と思われるかもしれないが,これらの掲示の醸し出す雰囲気は,つい先日(11月19日)実施されたネパール制憲議会選挙のポスター掲示の雰囲気とそっくり同じなのだ。(→多党共生文化

ネパール制憲議会選挙では,コングレス党,統一共産党,マオイストの三大政党が激しく争った。特にマオイストと他党は,人民戦争(1996-2006)で戦い,双方に多くの死傷者を出した。残虐なゲリラ戦の記憶は生々しく,親族や知人が犠牲になった人も少なくない。マオイストと反マオイスト諸党は本来不倶戴天の敵であり,また,コングレス党と統一共産党も相互に敵対し,あちこちで暴力沙汰を引き起こしてきた。

選挙では,当然,そうした激しい党派争いが,地域社会に持ち込まれる。しかし,それを座視すれば,地域社会は分断され,住民同士,いや肉親であっても,敵対し憎み合うことになってしまう。それを防止し,地域社会の平和を守るにはどうすべきか?

ここから先は,よそ者の想像にすぎないが,観察した限りでは,地域社会が緊密であればあるほど,敵対する党派を外面的には共存させる方法をとっていた。

古い伝統をもつ小都市コカナでは,1軒の家の壁に,統一共産党・マオイスト・コングレス党の旗が,この順で並べて立ててあった。同じような旗やポスターの掲示が,ブンガマティ,キルティプルなど緊密な人間関係を持つ古い地域共同体では,どこでもいたるところで見られた。

私が見るに,これは内戦で殺し合ってきた党派間の抗争,あるいは政党間の激しい権力闘争を地域共同体に持ち込ませないための苦肉の策である。政治的立場や利害の対立はあるにせよ,共同体内では事を荒立てないことによって,かろうじて「」は保たれる。

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 ■三党の旗を掲げるコカナの民家(2013年11月)

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 ■古都キルティプルの諸党旗掲示(2013年11月)

このように,毎日,鼻突き合わせ暮らさざるをえない狭い地域共同体の人々にとっては,「を以て貴しとなす」は身体化された生活の知恵であり,結局,それしか他に方法はあるまい。ネパールの古い町や村にとっても,日本の地方の小さな伝統的地域共同体にとっても。

3.「和」による抵抗の苦悩と悲哀
しかし,それで地域社会の平和がこれからも守り抜けるかといえば,これは悲観的とならざるをえない。ネパールに襲いかかっているグローバル資本主義化の荒波は,たとえ政争を表向き棚上げしたとしても,伝統的生活を根底から揺るがせ,「」の成立基盤そのものを蚕食しつつある。

同じことが,京丹後の村や町についても言える。米軍Xバンドレーダー基地問題について,地元の人々は,事を荒立てず,「」を優先することによって,日々の生活の場たる地域共同体だけはともかく守り抜こうとしている。

しかし,Xバンドレーダー基地設置は,はるかかなたの東京やワシントンで米政府とその下請けたる日本政府が決定し,上から権力的に日本の秘境,丹後半島に押しつけようとしているものである。これに,地元社会は真正面からの表立った抵抗は出来ない。そのような抵抗を始めたら,地域社会が崩壊するから。

ところが,このXバンドレーダーは,先述のように,地元を必然的に「Xバンドレーダー体制」に造り替える。もし京丹後が「」を優先し,権力の押しつけに真正面から抗しないままズルズル流され,結局は「Xバンドレーダー体制」を受け入れ順応するなら,その限りで地域社会の「」は保たれるかもしれないが,そのときの丹後はもはや今の丹後ではありえない。守られるべき地域共同体は,そこにはない。丹後は,特定秘密保護法と共謀罪のモデル地区となっているであろう。

航空自衛隊経ヶ岬分屯基地付近の「呉越同舟ポスター掲示」は,「」をもってしか抵抗しえない地域社会の深い苦悩と救われようのない悲しみを,道行くよそ者観光客に訴えかけているように思われてならない。

谷川昌幸(C)

ガンディー劇場型抵抗の限界:A.ロイ

1.ガンディー主義批判インタビュー
アルンダティ・ロイが「自由言論討論集会」(2012年1月)のためのインタビューを受け,インタビュアーのManav Bushanの問いにかなり突っ込んだ答えをしている。言論については,いかなる理由にせよ,権力的言論規制には反対である。そして,自由な言論空間を奪われ,観衆を期待できないような状況,つまり劇場なき孤立状況では,攻撃から自分を守るためには暴力の使用も避けられない場合がある,というのである。

ここでロイが批判するのは,ガンディー主義者の非暴力的抵抗である。ロイによれば,ガンディー主義の非暴力的抵抗は,劇場型抵抗であり,もし孤立させられ観衆を完全に奪われてしまうなら,それは全く無力だという。

これは,ロイが繰り返し述べてきた持論だが,ここでの具体的な事例に基づくガンディー主義批判は極めて論理的であり,誰しも見て見ぬふり,聞いて聞かないふりをすることは出来ないだろう。

インタビュー記事は要約とのことだが,要点は正確に記録されているように思われる。

2.劇場なきところでの実力抵抗の正当性:ロイ・インタビューより
「英国植民地時代,先住民は植民地権力により[チャッティスガルの森の中に]囲い込まれていた。独立後は,インド憲法により植民地時代の法律の継承が認められ,先住民の土地は森林省の管轄となった。だから,憲法の認めたこの法が,先住民の生活を犯罪としているのだ。

しかも今日では,先住民は普通の犯罪人からテロリストの地位にまで引き上げられた。もし森から出てこなければ,もしそこにタネでも播けば,もしその村に住み続けるなら,お前らはマオイストのテロリストであり,見つけ次第,射殺されてもよいのだ。

こうして,村は千人の治安部隊に包囲され,火を放たれ,女は強姦され,人々は虐殺されていく。そして,もしこれに抵抗でもしようものなら,テロと呼ばれ,暴力と呼ばれるのだ。

チャッティスガルの森には,すでに20万人の治安部隊がいる。インドは,いまや超大国だと誇っている。そのインドの政府が,今度は,世界でもっとも貧しい人々に対し,陸軍と空軍を差し向けようと計画している。これは,まさしく戦争なのだ。

ガンディー主義的抵抗は,都市では有効だろう。私は決してそれに反対はしない。しかし,ガンディー翁自身が示したように,それは観衆を必要とする。それは中流階級,共感してくれる中流階級を必要とするのだ。もし観衆がいなければ,バティ鉱山かどこかで人々がいくらハンガーストライキをやろうが,誰も気づかない。誰も気にしない。メディアが必要だ。中流階級が必要だ。そう,観衆が必要なのだ。」

3.逃げられない問い
ガンディーには,たしかにいつでも観衆がいた。アフリカでもインドでも。それは,ガンディーがそのたぐいまれな才能と魅力と努力で引きつけたものではあるが,しかし時代がガンディーに味方していたことも事実だ。

これに対し,ロイは,現代インドではメディアも権力に巧妙に統制され,先住民は外界から遮断され,虐殺されていると訴える。非暴力的抵抗を有効化する観衆がおよそ期待できないのだ。

ロイはリアリストとして,そのようなときどうするか,とガンディー主義者に問いかける。これは重い問いだ。逃げてはいけないし,逃げられもしない。難しい問題だ。

* Interview with Arundhati Roy, Revolutionary Journalists Needed, Revolution in South Asia, February 12, 2012
■ロイについての関連記事は,右欄検索窓に「Roy」または「ロイ」を入力し検索。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/02/14 at 21:50

カテゴリー: インド, マオイスト, 平和

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