ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ゴビンダ医師のハンスト闘争(24)

6.第15回ハンスト
(6)決死のハンスト(v) 
④強制摂食:いくつかの事例 A. 西洋近世・近代の奴隷と病人 B. イギリス

C. アメリカ もう一方の人権と民主主義の国,米国では,いまでも強制摂食が合憲・合法とされ,刑務所や収容所でしばしば実施されている。

米国では,自己決定権ないし「独りでいる権利」が「プライバシー権」として広く認められているが,そこには「自殺の権利」までは含まれてはいない(末期患者尊厳死は別問題)。また,国家には秩序維持の権利義務があり,そのために必要な場合にはプライバシー権の一部を制限することが出来る。ハンストをする権利は,そうした制限可能な権利の一つであり,必要な場合には,ハンスト死防止のための強制摂食が認められるとされている。

米国刑務所での強制摂食としては,早くには1917年,ニューヨークの刑務所内でハンストをした女性産児制限主義者に対し,実施された。以後,強制摂食は継続され,たとえばコロラド州の刑務所では,2001~2007年に,少なくとも900回の強制摂食が実施されたという。そこでは2014年にも,ハンストをした8~9人に対し,強制摂食が行われている。(*5)

さらにウィスコンシン州の刑務所では2016年,ハンストの3人に対し強制摂食が実施された(*15)。米国では,州により扱いは異なるが,刑務所での強制摂食はマニュアル化されているとみてよいであろう。

米国の強制摂食として最も悪名高いのが,米軍グアンタナモ収容所(キューバ)でのもの。グアンタナモでは,早くも2001年1月からハンストが始まり,最多の時は150人余がそれに参加した。このハンストについては,2013年までは報告されているが,それ以降は情報不開示となったため詳細不明。

グアンタナモ収容所は,いわば治外法権であり,収容者の扱いは残虐を極めた。ハンストにも,当然のように強制摂食が実施された。ここでは死ぬことは許されない。人間の最後の自由,死ぬ権利さえ奪われている。「核軍縮キャンペーン(CND)」は,2005年大会において,次のような緊急決議をしている。「大会は,グアンタナモの200人以上の拘留者によるハンストが摂食と鎮痛剤の強制により長期化し8週目に入っていることを懸念をもって指摘する。」

米国で,いま最も問題にされているのは,急増する難民・移民希望者に対する収容所や拘置所での強制摂食である。「移民関税局(ICE)」は,食事9回拒否でハンストと認定し,裁判所の許可の下,強制摂食を行っているという。

「ICEは,収容所収容者の生命を守り,収容所の秩序を維持していく。・・・・ハンストを行う収容者に対しては,その健康と安全のため,ICEは食物と水の摂取をきちんと見届けている。収容者のハンストが,生命あるいは健康にとって危険かどうかは,医療担当者が常に監視している。」(*1)

この2019年1月には,ICEテキサス収容所が,ハンストをしているインドとキューバからの難民申請者30人のうちの6人に対し,裁判所の許可を得て強制摂食をした。彼らは鼻から出血し,耐えがたい苦痛を訴えている(*8)。


■ICE強制摂食抗議デモ(NYT, 2019/01/31)/グアンタナモ強制摂食(Graphic News, 2013/05/01)

D. ロシア ロシアの刑務所では,ハンストに対し強制摂食が行われている。テロ等の罪で収監されたウクライナ人映画監督オレグ・センツォフは2018年5月から抗議ハンストを続けたが,この強制摂食を避けるため同年10月6日,ハンストをやめざるをえなかった。

E. 北朝鮮 北朝鮮教化所は2018年夏,看守に対する抗議ハンストを行った収監者2人に対し,ホースを口に入れ強制摂食させた。

F. イスラエル イスラエル議会は2015年,ハンストで抵抗するパレスチナ人収監者に対する強制摂食を合法化した。
■イスラエル議会強制摂食法制定(The Telegraph, 2015/07/30)

G. インド インドの人権活動家で「鉄の女」とも称されるイロム・ミャルミラが2000年,インド軍による住民虐殺に抗議しハンストを開始したのに対し,インド政府はチューブによる強制摂食を始めた。彼女は,これに耐え16年間もハンストを続けたが,闘争方針を変え州議会選挙に出て闘うため2016年8月9日,ハンストを終了した。


■Burning Bright: Irom Sharmila(Penguin, 2009)/シャルミラ-ハンスト10年目(Facebook, 2011/09/19)

*1 BURKE, GARANCE, “UN: US force-feeding immigrants may breach torture agreement,” AP,
*2 Burke, Garance and Martha Mendoza, “U.S. immigration officials are force-feeding detainees who’ve been refusing food at Texas centre,” AP, January 31, 2019
*3 DAUGHERTY,OWEN, “UN says US force-feeding detained immigrants may violate torture convention,” The Hill, 02/07/2019
*4 Greenberg, Joel K., “Hunger Striking Prisoners: The Constitutionality of Force-Feeding,” Fordham Law Review, Volume 51, Issue 4 Article 7, 1983
*5 Hsieh, Steven, “Colorado’s Federal Supermax Prison Is Force-Feeding Inmates on Hunger Strike: Solitary Watch reports that eight to nine prisoners are taking part in the strike, held at the federal government’s highest-security prison” The Nation, Feb 27, 2014
*6 Long, Clara “ICE Force-feeding Immigrant Detainees on Hunger Strike: Force-feeding is Cruel, Inhuman and Degrading,” Human Rights Watch, February 1, 2019
*7 Miller, Ian, A History of Force Feeding: Hunger Strikes, Prisons and Medical Ethics, 1909–1974, Springer Nature, 2016
*8 Stevens, Matt, “ICE Force-Feeds Detainees Who Are on Hunger Strike,” New York Times, Jan. 31, 2019
*9 “1910 Liverpool, Force-Feeding: The suffering of a suffragette,” Lapham’s Quarterly
*10 “Cartoon depicting force-feeding from The Daily Herald: Illustration depicts Asquith force-feeding an imprisoned suffragette,” British Library
*11 “Force-feeding,” Wikipedia
*12 “Force-feeding in English jails – a hidden history,” The University of Manchester, 5 Nov 2015
*13 “Force-feeding at Guantanamo Bay,” Graphic News, 05/01/2013
*14 “Prison officials force-feed inmates on hunger strike against solitary confinement,” RT, 29 Jun, 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/28 at 18:04

ゴビンダ医師のハンスト闘争(21)

6.第15回ハンスト
 (1)なぜジュムラでハンストか?
 (2)決死のハンスト(i)
 (3)決死のハンスト(ii) ①ハンストと延命治療
 (4)決死のハンスト(iii) ②それほど苦しくない断食(以上前出)

(5)決死のハンスト(iv)
③強制摂食:人道名目の拷問
すぐ思いつき,事実,世界各地で利用されてきたのが,ハンスト者に対する「強制摂食(force-feeding)」である。ゴムチューブなどの管を鼻や口から食道に差し込み,流動栄養食を直接,胃に流し込む。あるいは,それができないときは,栄養液を点滴投与し生存を確保する。胃瘻でさえ,場合によっては実施されるかもしれない。

現象だけを見れば,日本でも日常的に行われている延命治療となんら変わりはない。現代では,生命は地球より重く何物にも代えがたいとされ,治療の可能性が少しでもあるのであれば,可能な限り延命治療をし,生命を救う,すなわち心臓を動かし続けることが正しいとされている。

強権的体制の為政者は,皮肉なことに,この人道主義的生命尊重の世情を巧みに利用する。生命はすべてに優先されるべきものだから,たとえ本人が主義主張貫徹のため「ハンスト死」を望もうとも,それは誤った考え方であり許されない。ハンスト者は,正気を失い,生きるために食べるという最も根本的な理性的判断ができなくなっている。だから為政者としては,生命尊重の人道主義の観点から,本人の意思にかかわりなく,強制摂食など,必要最大限の救命措置をとらなければならないというのである。

しかしながら,これは明らかに,生命尊重人道主義の偽善的政治利用である。ハンスト死させてしまえば,先述のように,それは社会に対し劇的な効果を持ち,為政者は大きな打撃を受ける。さりとて,ハンスト死を避けるためハンスト者の要求を呑んだり収監ハンスト者を釈放すれば,それが前例となり,ハンストが頻発し,統治は困難になる。社会秩序は乱れ,人々の安全は保障されなくなる。為政者にはハンスト者の要求を呑むことも,収監ハンスト者を釈放することもできない。そこで結局,ハンスト者がいくら食事を拒否しても強制的に栄養を取らせる「強制摂食」の方法を,為政者は採らざるをえないことになるのである。

ところが,ハンスト者への強制摂食は,人命尊重や社会秩序維持(社会の安全)をいかに力説しようが,実際にはそれ自体,精神的にも肉体的にも耐えがたい苦痛を与えるものであり,「拷問」に他ならない。

「拷問」は,近代国家では19世紀以降,法的に禁止されるようになった。ちなみに日本国憲法も「拷問は絶対にこれを禁ずる」(36条)と明記している。国際社会では,1948年採択の世界人権宣言が「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない」(5条)と宣言し,これがそのまま国連によって1966年「自由権規約」の中の規定の一つとして採択された。現代では拷問は許されない。

ハンスト者に対する強制摂食は,この現代社会では明確に禁止されている「拷問」に相当する。世界医師会も1975年採択の「東京宣言」において,「収監者,収容者のハンストに対し強制栄養法の使用[強制摂食]をさせてはならない」と厳しく警告している。

それにもかかわらず,強制摂食は,いまなお世界の少なからぬ国々で繰り返し実施されている。ネパールでも実施されない保証はない,と危惧せざるをえない。

ハンスト者に対する強制摂食はいまなお未解決の難しい問題であり,詳しくは別稿をまたざるをえない。以下では,参考のため強制摂食の事例をいくつか紹介するにとどめる。

■収監サフラジェットへの強制摂食(英紙1913年5月24日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/19 at 11:33

選挙と移行期正義(2):マイナ殺害事件

国会・州会ダブル選挙(投票11月26日/12月7日)との関係で注目される移行期正義のもう一つの事例が,2004年のマイナ・スルワル(मैना सुलुवर)殺害事件である。この事件も,選挙が近づいてきた今年になって大きく動き始めた。容疑者は,ウジャン殺害事件とは逆に,マオイストと戦っていた王国軍(国軍)の側の将兵7名。(事件概要は下記*14ほか参照。)


 ■マイナ(*18) /人民戦争期の強制失踪者数(2054BS=1997AD, *12)

1.マイナ虐殺
2004年2月12日,カブレ郡ポカリチャウリのリナ・ラサイリ(17歳)がレイプされ殺されているのが発見された。その前(どのくらい前かは不明),リナの叔母デビ・スヌワルが,王国軍軍人がリナを捕らえ殴っているのを目撃していた。そして,そのことを周りの人々に話し,それが地方紙に掲載された。国軍にとって,デビは不都合な目撃者ということになる。

5日後の2月17日,パンチカルのビレンドラ平和活動訓練所駐留国軍のN・バスネット大尉ら将兵12名がカレルトクのデビの家にやってきて,彼女を捕らえようとした。ところが,そのときデビは不在で,父のプルナと娘のマイナ(15歳)が家にいた。そこで部隊はデビを出頭させよと命令し,マイナもスパイ活動に加担したとして彼女を基地に連行した。

ビレンドラ平和活動訓練所では, B・カトリ中佐,N・バスネット大尉,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉など7名の将兵がマイナの尋問にあたった。方法は酸鼻の極み。頭を水中に沈める水攻めや,濡れた身体に電流を流す電気ショックを繰り返した。そして,ようやく「自白」を得たあと,マイナに目隠しをし,後ろ手に縛り,基地内の部屋に監禁した。しばらくすると,激しい拷問を受けていたためマイナの容体が急変,医師が来る前に死亡してしまった。

国軍部隊は,拷問発覚を恐れ,逃亡に見せかけるため,すでに死亡していたマイナを背後から撃ち,警官を呼んでそれを見せたうえで,遺体を近くの空き地に埋めた。

国軍部隊によるマイナ連行後,家族や村人は,マイナを探し回ったが,軍も警察もマイナの拘束を否定,行方は分からなかった。結局,国軍がデビにマイナの死と遺品が警察に保管されていることを告げたのは,ようやく2004年4月に入ってからであった。

 ■現在のビレンドラ平和活動訓練所(同所HP,2017/12/01)

2.軍法会議での審理
国軍は,マイナ事件の解明を求める内外の声の高まりを放置できなくなり,翌2005年3月,国軍内に調査委員会を設置した。そして,その報告に基づき,関係将兵を軍法会議にかけた。

2005年9月8日,軍法会議は,マイナの尋問方法と遺体処理手続きの誤りを認め,政府には15万ルピーの遺族賠償金の支払いを,またB・カトリ中佐,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉の3名には6か月の禁錮と,5万ルピー(カトリ中佐)ないし2万5千ルピー(他の2名)の遺族賠償金の支払いを言い渡した。しかし,禁錮については,裁判中拘束されていたとして判決後の収監はなされなかった。また重要な役割を果たしたとみられるN・バスネット大尉は,なぜか軍法会議にはかけられなかった。マイナの死は,故意の拷問によるものではなく,「事故」ないし手続き上の過失とされたのである。

3.司法裁判所での審理
軍法会議の判決は出たが,マイナ家族はこれを不当として2005年11月13日,カブレ警察に,軍法会議有罪判決の3名と,N・バスネット大尉の4名をマイナ殺害容疑で告発した。しかし,軍の妨害で,捜査は進まなかった。

そこで母デビは2007年1月10日,最高裁に,マイナ殺害事件調査を関係諸機関に命令することを求める訴えを出した。その結果,経緯は錯綜するが,いくつかの進展が見られた。2007年3月23日=警察がパンチカル軍基地敷地内に埋められていたマイナの遺体を掘り出し調査。5月8日=最高裁,軍法会議に対し関係書類提出を命令。7月=最高裁,マイナ事件は司法裁判所で審理することを決定。9月20日=最高裁,郡警察と郡検察に対し,マイナ事件を3か月以内に調査するよう命令。

(1)カブレ郡裁判所の判決
翌2008年1月31日,カブレ検察は,マイナ家族の告発した軍人4名を殺人罪でカブレ郡裁判所に起訴した。これを受け,郡裁判所は4軍人の逮捕状を出したが,彼らは逮捕されなかった。それどころか,N・バスネット大尉は少佐に昇進し,チャドPKOに派遣されてしまった。

2009年9月13日になって,カブレ郡裁判所は,ようやくN・バスネット少佐(当時大尉)の停職,カブレ郡検察と軍による関係調書の作成を命令した。しかし,その後も,軍の抵抗によりマイナ事件審理は進まず,郡裁判所が本格的に審理を再開したのは,2016年1月になってからである。

ところが,今年に入り選挙が日程に上り始めると,マイナ裁判も大きく動き始めた。2017年4月16日,カブレ郡裁判所が,B・カトリ中佐,A・プン大尉,S・アディカリ大尉の3名に対し,禁錮20年の判決を言い渡した。ただし,当時の政治状況と故意ではなかったことを考慮し禁錮5年への減刑が望ましいとの補足意見を付していた。また,N・バスネット大尉については,命令に従っただけだとして,無罪とした。この無罪判決については,アムネスティなどが不当だとして厳しく批判している。

(2)最高裁審理へ
 このカブレ郡裁判所判決に対し,国軍は2017年9月22日,判決は誤りだとして,棄却を求める訴えを最高裁判所に提出した。これを受け,最高裁判所はこの11月5日,カブレ郡裁判所に対し,マイナ事件裁判関係書類の作成提出を命令した。

4.選挙とマイナ殺害事件裁判の行方
以上が,マイナ殺害事件の18年余の長きにわたる経緯の概略である。この事件の当事者は国軍であり,マオイストが当事者であるウジャン殺害事件と同様,現在においても,その扱いは政治的に重大な意味を持ちうる。

今回の国会・州会ダブル選挙でいずれの勢力が勝利し,それがマイナ殺害事件裁判にどう影響するか? 移行期正義の観点からも,この選挙は注目されるところである。

*1“Maina Sunuwar murder case: SC orders Kavre court to produce documents: Three ex-Nepal Army officials were sentenced to life in prison in April,” Kathmandu Post, Nov 7, 2017
*2 Victor Talukdar, “Nepal Army challenges Kavre District Court verdict in Maina Sunuwar murder case, SC calls for case documents,” The aPolitical, 07/11/2017
*3 International Commission of Jurists & Amnesty International, “OPEN LETTER TO THE ATTORNEY GENERAL OF NEPAL: PURSUE APPEAL IN MAINA SANUWAR’S CASE,” 19 May 2017
*4“Maina Sunuwar murder: Nepal soldiers convicted of war-era killing,” BBC, 17 April 2017
*5 Advocacy Forum Nepal, “The District Court Kavrepalanchowk Convicts Three out of Four Army Officers Accused of Maina’s Murder,” 17 April 2017
*6“Maina Sunuwar murder case: Court awards life imprisonment to 3 NA officers,” Kathmandu Post, Apr 17, 2017
*7 INSEC, “Maina Sunuwar Murderer Gets Life Imprisonment,” April 17, 2017
*8 Nabin Khatiwada, “Kavre court slaps life term on 3 NA officers, acquits Basnet,” Republica, April 17, 2017
*9“Nepal: Ensure Truth, Reparation and Justice: 8th Anniversary of the Killing of Maina Sunuwar, 15,” Human Rights Watch, February 17, 2012
*10 Human Rights Watch, “Joint Open Letter to Prime Minister Khanal of Nepal on Persistent Impunity,” 2011/05/24
*11 Brad Adams (Human Rights Watch) , “Nepal’s elusive justice,” The Kathmandu Post, September 16, 2011
*12 INSEC, “Profile of Disappeared Persons: Profi le of the persons subjected to enforced disappearances during armed confl ict in Nepal (From February 13, 1996 to November 5, 2006),” 2011
*13 Meenakshi Ganguly (Human Rights Watch), “Nepal: Torture vs Democracy,” Open Democracy, February 18, 2010
*14 Advocacy Forum Nepal, “Maina Sunuwar: Separation Fact from Fiction,” 2010
*15 Human Rights Watch, “Nepal: Hand Over Murder Suspect to Police: Army Officer Accused of Murder Removed as UN Peacekeeper,” December 14, 2009
*16 Amnesty International, “Nepal: Major accused of torturing girl to death must be arrested,” 8 December 2009
*17“How Maina was killed,” Nepali Times, 01 SEPT 2006 – 07 SEPT 2006
*18 United Nations Office of the High Commissioner of Human Rights in Nepal, “The torture and death in custody of Maina Sunuwar,” December 2006

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/01 at 13:41

ラマ大佐無罪判決,英裁判所(3)

2.逮捕・起訴・無罪判決
[裁判の経過]
 ・2013年1月3日:クマール・ラマ大佐,休暇滞在先の英国イーストサセックスで逮捕
  容疑は,(1)ジャナク・バハドゥル・ラウトの拷問(2005年4月15日~5月1日),(2)カラム・フサインの拷問(2005年4月15日~10月3日)。(参照:ラマ大佐逮捕で主権喪失
 ・2015年2月24日:ロンドン中央刑事裁判所で裁判開始
 ・2015年3月09日:検察,証拠提出
 ・2015年3月18日:「ネパール語通訳不足」のため裁判延期
 ・2016年6月初旬:裁判再開
 ・2016年8月02日:K・フサイン拷問容疑につき,陪審団が無罪評決。JB・ラウト拷問容疑については,証拠不十分で評決せず。
 ・2016年9月06日:検察,JB・ラウト拷問に関する追加証拠提出を断念。裁判打ち切り(証拠不十分で無罪)。

こうして,ラマ大佐に対する裁判は,証拠不十分による無罪判決をもって終了した。しかし,情報不足で確かなことは言えないが,この裁判には不可解なところがある。

とりわけ不可解なのは,裁判長期化の理由。イギリスの刑事裁判は平均7か月くらいだという。ところが,ラマ対裁判には3年半もかかった。しかも,その大きな理由は,適切なネパール語通訳が見つけられなかったことだという。

REDRESS「この裁判は難しかった。告発された拷問は,何千マイルもの遠方で,10年余りまえに行われた。被害を申し立てた人々の言語は英語であり,裁判中の通訳に問題があった。」(*1)
  
まさか? 英ネ関係は,日ネ関係とは比較にならないほど,長くて深い。ネパール語に堪能な人は,英国には少なくないはずだ。また,在英ネパール人も多い。ラマ大佐自身,英国永住権を持ち,家族は英国在住。その英国において,ネパール語法廷通訳を見つけられないとは,到底信じがたい。

この裁判において,拷問被害者が有罪判決を強く願っていたことは間違いないが,英国政府や裁判支援諸団体は必ずしもそうではなかったのではないだろうか?

160911a

*1 “COLONEL KUMAR LAMA’S ACQUITTAL: PROSECUTING TORTURE SUSPECTS SHOULD REMAIN A PRIORITY OF THE UK,” 6 September 2016 (http://www.redress.org/)
*2 “Questions and Answers – Colonel Kumar Lama Case,” ICJ(http://icj.wpengine.netdna-cdn.com/)
*3 “KUMAR LAMA,” (https://trialinternational.org/latest-post/kumar-lama/)
*4 “Kumar Lama trial – cost of interpreters,” (https://www.whatdotheyknow.com/request/kumar_lama_trial_cost_of_interpr)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/11 at 19:31

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(7)

6.アフザルの自白強制
(1)逮捕時の状況
アフザルは,警察発表では,ジーラーニ自供に基づき,12月15日,スリラナガルにおいて,シャウカトの妻所有のトラックでシャウカトと共に逃亡しようとしているところを,スリナガル警察に逮捕され,このときジェイシェ・モハメドの中心人物Ghazi Babaに渡す予定のパソコン,およびノキア携帯,100万ルピーなどを押収された。このパソコンには議会襲撃用の情報が記録されており,携帯SIMには襲撃実行犯らとの通信記録が残っていたとされる。

しかし,アフザルによれば,逮捕はバス停においてであり,そこでは何も押収されなかった。また,あとで押収されたパソコンやSIMは,押収後も封印されないままであり,不自然なアクセスの痕跡がいくつも残っていた。警察発表は,逮捕時の状況からして,不自然といわざるをえない。

(2)自白強制
それ以上に問題なのが,自白。逮捕されたアフザルは,デリー警察に移送され,激しい拷問と親族を人質にした様々な脅迫により,襲撃事件の細部にまで及ぶ詳細な自白をさせられた。12月20日には,マスコミの前で「自白」を強制され,翌21日には正式の自白調書に署名させられた。アフザルは,S.クマール弁護士宛書簡で,こう述べている。

「スリナガルのバス停で逮捕され,特任部隊(STF)本部に連行され,そこから特別警察とSTFが私をデリーに移送した。スリナガルのパロムポラ警察署で,私の持ち物はすべて没収され,それから彼らに殴られ,そして,もし真実を誰かに話すと妻も家族もひどい目に遭わせると脅迫された。私の弟のヒララ・アフマド・グルさえも令状なしで警察に連行され,2~3ヶ月も勾留された。これは,ACPのラジビール・シンから聞いて初めて知ったことだ。特捜警察は,もし警察のいうとおり話せば,家族を痛めつけたりしないと私にいい,また,私の容疑を軽くし,しばらくすれば釈放してやる,という偽りの約束もした。私にとって,最も大切なのは,家族の安全だった。私には,STFが人びとを,すなわちカシミールの人びとを,どのようにして殺すか,また,彼らが拘置所で殺したあと,どのようにして消してしまうかが,この7年間の経験からよく分かっている。」(“Letter to His Lawyer”)

「[12月20日の]夕方,ラジビール・シンが,家族と話がしたいか,と私に話しかけた。はい,と私は答えた。そして,私は妻と電話で話した。電話が終わると,シンは,妻と家族に生きていてほしいなら,あらゆるところで彼らに協力せよ,と私にいった。彼らは,私をデリーの様々な場所に連れて行った。それらは,ムハンマドが様々なものを入手したところだった。彼らは,私をカシミールに連れて行ったが,そこでは何もせず戻ってきた。そして,彼らは私に200~300枚の白紙に署名させた。」(Ibid)

(3)憲法における自白強制の禁止
このような自白強制については,ベテラン記者のD.S.ジャーも,次のように批判している。

「警察は,自分を自分の法としてしまった….。警察は,まず逮捕し,そのあとで自白を絞り出せばよいと信じている。….これが,われらがかつて誇りにした民主主義のいまの素顔である。」(N. Mukherji,”The Media and December 13,” Outlook, Sep.30, 2004)

自白強制は,むろんインド憲法でも,日本国憲法と同様,禁止されている。

インド憲法第20条(3)「犯罪の訴追を受けた者は,自己に不利益な証人となることを強制されない。」

日本国憲法第38条 「(1)何人も,自己に不利益な供述を強要されない。(2)強制,拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。(3)何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には,有罪とされ,又は刑罰を科せられない。」

しかし,強引な自白強制は,特にテロ容疑者については頻発している。この点については,Human Rights Watchなどが厳しく批判している通りである。

Human Rights Watch, The Anti-Nationals: Arbitrary Detention and Torture of Terrorism Suspects in India, Feb.2, 2011

(4)弁護される権利の否定
それでも,もしアフザルにまともな弁護士がついておれば,あまりにもムチャな自白は法廷で最初から証拠として採用されなかったであろう。

ところが,驚くべきことに,アフザルは,事実上,弁護士による弁護を受けなかった。裁判所は,アフザルの希望を認めず,自ら若い弁護士を選任し,アフザルにつけた。ところが,この弁護士は,拘置所のアフザルと一度も面会せず,アフザルのための証人を一人も呼ばず,検察側の証人に対しては一度も反対尋問を行わなかった。

「ティハール刑務所の厳戒区域に収容されていたため,一週間は,弁護士など外部の人々と連絡することは困難であった。そのようなとき,インディアン・エクスプレス紙をみると,私の弁護士が私のために高裁に次のような申し立てをしたというニュースが出ていた。私(アフザル)は,死刑を受け入れるが,ただ一つ,死の苦痛を軽減するため縛り首による死刑ではなく,強力な致死性薬物の注射による死刑への変更を要望したい,と。このような偽りの申し立ては,私は断じて認めない。それは,私に知らせることも同意を得ることもなく,実際には,私の弁護士が自分で勝手に申し立てたことであり,私の上訴そのものを嘲笑し無駄骨とするものに他ならない。」(“Letter to All India Defence Committee”)

(5)最高裁判決文の曖昧さ
以上は,アフザル被告自身の申し立てであり,そのまま受け取ることは,むろんできない。自白に関する最高裁の判断について,ロイは証拠採用を留保したと解釈しているが,P.V. ReddiとP.P.Naolekarは,「最高裁は『[被告側の]そのような主張に真実はない』と断定した」と解釈している。最高裁の判決文は,こうなっている。

「この[弁護されなかった]という申し立ては,真実ではない。事実審(第一審)弁護士は,アフザン被告のため効果的な法的支援をするため最善の努力をした。….弁護人非難は,控訴段階で持ち出されたあと知恵と考えられる」(18(A1) Case of MOHD. Afzal)

「警察は,熱意のあまりメディア会見を開き,弁護人から,その公開方法について厳しい指摘を受けた。….[しかしながら]この警察の誤った方法は,検察側にも被告側にも,有利にも不利にもならない,と考えられる。」(Ibid)

「アフザルが自白を否定する諸根拠は,首尾一貫していない,と判断される。アフザルは2002年7月2日付申立書において,….上述のように述べたといいながら,他方では,白紙に署名したと述べている。このいわゆる矛盾が,自白の真実性と任意性にかかわるとは,われわれは考えない。われわれは,弁護側申し立ての中の矛盾を根拠として事件を組み立てるよりも,むしろそのような主張を否定する一方,被告が語ったことの内容そのものを見ていかなければならない。」(Ibid)

この最高裁判決文は,持って回った表現であり,わかりにくい。ロイがいうように,いくつか重要な留保をしているが,自白そのものの証拠能力は,事実上,認めているように考えられる。

しかしながら,テロ容疑で逮捕されたカシミール人の処遇については,アフザルやロイの主張の方が,最高裁の形式的な判決文よりも,はるかに説得力があるように感じられる。アフザルの自白調書は,おそらく厳重に警戒隔離された拘置所内で,弁護士の支援も得られないまま,拷問と家族を人質とした脅迫の下で作成されたのだろう。細部まで異様なまでに詳しく記述された自白調書,そのようなものが信用できるはずがない。

【参考】
日本国憲法第37条【刑事被告人の権利】1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

130310
  ■カシミールの刑務所(同HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/10 at 20:41

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(6)

6.ジーラーニ逮捕・起訴の不当性
国会襲撃事件の容疑者として逮捕された4人のうち,最も不可解なのが,デリー大学アラビア学講師ジーラーニの逮捕。15日の逮捕直後からマスコミは,「デリー大学講師はテロ計画の中心だった」,「大学教師がフェダイーン(革命戦士)の手引き」,「大学教師がテロの課外授業」などとセンセーショナルに報道した。当初,デリー警察がジーラーニ自供からアフザルを割り出したと説明していたように,ジーラーニこそがターゲット,襲撃の「首謀者(mastermind)」と想定されていたのだろう(Roy:ⅰ&ⅳ)。

ところが,逮捕されたジーラーニは,デリー警察で激しい拷問を受け,妻・子・兄弟までも拘束され,彼らを人質に脅迫さえされたが,自供はしなかった。ジーラーニは,知識人(大学講師)であり,有能な弁護士がつき,また同僚や多くの支援者がいた。それでがんばり通せたのだろう。

一方,警察には,ジーラーニを逮捕したものの,十分な根拠がなかったことは,アフザルの弁護士宛書簡を見ると,よく分かる。12月20日の強制的マスコミ会見でのやりとりについて,アフザルはこう述べている。

「そこにはNDTV, Aaj Tak, Zee News, Sahara TVなどがきていた。ラジビール・シン(A.C.P.)もきていた。記者の一人,Shams Tahirが,議会襲撃におけるジーラーニの役割について質問した。私は,ジーラーニは無実だ,と答えた。その瞬間,A.C.P.のラジビール・シンが椅子から立ち上がり,誰(メディア)の前でもジーラーニについてはしゃべるなといったはずだ,と私を怒鳴りつけた。・・・・それから,ラジビール・シン(A.C.P.)は,ジーラーニに関する質問部分は消去するか公開しないようにせよ,とTV関係者に要請した。」(“Letter to His Lawyerr”)

このように,ジーラーニを見込み逮捕したものの,デリー警察には十分な確信がなかったことは明白だ。それにもかかわらずジーラーニ起訴を強行したのは,一つには,マスコミの煽った「人民の超ナショナリズム(hypernationalism)」の圧力のためだった,とロイは考える。

「そのとき,デリー警察が結果を出す圧力の下にあったことは明白だ。そして結果を,警察は出した。人民の超ナショナリズム(hypernationalism)の波に乗って,警察は適法手続きも合法性も,そしてもちろん基本的な整合性も,すべて無視した。被告,特にジーラーニに関する証拠は穴だらけであり,捏造されたものさえあった。この不正な証拠により,ジーラーニは逮捕され,激しい拷問を受けた。1年間投獄され,悪夢のような死刑の重圧の下に置かれた。デリー高裁の無罪判決により,ようやく彼は釈放された。」(Roy:ⅴ)

デリー警察は,結局,ジーラーニを「首謀者」にでっち上げることには失敗したが,しかしロイによれば,警察はそれも織り込み済み,別のもっと深い策謀があったという。

「警察は,刑事裁判では判事はメディア報道そのものは考慮しないであろうことを十二分に知っていた。警察は,冷血にも捏造した『テロリストたち』のプロフィールが世論をつくり上げ,裁判にとって好都合な環境をつくり出すこと,そしてそれは法的な検証はまったく受けないであろうことをよく知っていた。」(Roy:ⅳ)

国会襲撃をフェダイーンの犯行とする構図ができあがれば,スケープゴート(犠牲の子羊)は誰でもよいということ。アフザル自身が,こう述べている。

「警察特任隊(STF)は[私を]この犯行全体のスケープゴートにした。この犯行は,STFや私の知らない他の組織が計画し実行したものだ。警察特捜部も間違いなくこの策謀に加担している。特捜部は,いつも私に沈黙を強制したからだ。」(”Letter to His Lawyer”)

これがもし本当だとすると,権力の底知れぬ冷酷さと恐ろしさに戦慄を禁じ得ない。

130308
  ■デリー警察HP。「テロ防止」が重点10目標のトップ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/08 at 11:42

ラマ大佐裁判と国家主権のお値段

英国でのクマール・ラマ大佐逮捕(1月5日)について,ネパール政府は,国家主権侵犯,内政干渉と猛反発し,即時釈放を要求する一方,ネパール国家として全面的に大佐の弁護活動を支援すると発表している。
  *ラマ大佐逮捕で主権喪失

ラマ大佐は,現在,英国の警察留置所に勾留されており,裁判は6月5日からとのこと。すでに,かなりの長期戦が見込まれている。当然,経費もかかる。

ネパール政府は,弁護を依頼したキングスリ・ナプリ法律事務所に,1万ポンド(146万円)を支払った。法律事務所は,弁護料として,総額43万ポンド(5721万ルピー,6278万円)を請求している。著名な弁護士(M. Caplan氏など)だと,そのくらいになるらしい。

43万ポンドは大金であり,ネパール政府は困惑している。5万ポンドまでは支出を決めたが,これではまったくたりない。どうするか? そこで早くも,政府が出すべきだ,いや金持ちの国軍が出すべきだ,といった内輪もめが始まっている。43万ポンドで決着がつくか? 他に,同様の容疑で次々と逮捕され始めたら,どうするか?

ネパールの国家主権は,裁判管轄権もさることながら,もっと下世話なカネの面からも,蚕食されていきそうな雲行きである。

*ekantipur, Feb 7.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/07 at 11:37