ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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キリスト教攻撃激化と規制強化(5)

4.キリスト教布教に対する批判
ネパールのキリスト教に関する記事は,英語メディアでは,圧倒的にキリスト教会側からのものが多い。また,欧米近現代の人権・民主主義は,先述のようにキリスト教と不可分の関係にあるので,人権・民主主義推進の立場からの発言も,多かれ少なかれキリスト教に好意的なものが多い。したがってネパールの宗教問題の現状をより公平にみるには,キリスト教批判の側の言い分も見ておく必要がある。

ネパールにおけるキリスト教批判に共通するのは,一言でいえば,キリスト教は貧困な途上国ネパールにおいて,圧倒的に強大な欧米先進国の政治力・経済力をバックに,「宗教の自由」を「強者の権利」として行使している,という主張である。キリスト教は,金銭や物品,医療,教育,海外留学など様々な利益や権益を与えることにより,ネパールの人々を引き寄せて釣り上げ(lure),キリスト教に改宗させている,という批判である。これは,ことあるごとに繰り返されるキリスト教非難の常套句だが,根拠がないこともなく,ネパールでは相当の説得力を持っている。このことについては,これまでに幾度か言及したことがあるので,それらを参照されたい。
 参照:キリスト教とネパール政治 

ここでは,一つだけ,5月7日付「リパブリカ」掲載の長文署名記事,ディベンドラ・バスネット「『熱心な』キリスト教宣教師の標的とされた人々,声を上げる」(*1)を紹介する。著者はダン郡在住のジャーナリスト。にわかには信じがたい部分もあるが,大手メディア掲載記事だし,地方ではこんなことでさえあるのかもしれない。
 *1 Devendra Basnet, “Targets of ‘zealous’ Christian missionaries speak up,” Republica, 7 May 2018

<以下,記事要旨>
ダン郡の人々によれば,キリスト教への強制改宗がこの十年ほど前から激化してきた。“主イエス”の名に恥ずべきようなことですら,行われている。たとえば,ラマヒ住民ガンガ・カドカの場合。彼女は,こう証言している。

「自宅を掃除し,外で休んでいるときでした。女の人がやってきて,目の前で何ら躊躇することなく軒下の土間に小便をしたのです。家にも軒下の土間にも牛糞を塗ったところでした。そこに小便をされたので,あまりのことにびっくりし,深く傷つけられました。」
 (注)伝統的民家では,神聖な牛の糞を粘土に混ぜ,壁や床に塗る。牛糞には殺菌・防虫効果もあるとされる。

ガンガはヒンズー教徒であり,軒下に小便をしたのはネパール人キリスト教徒で,外国人(性別不明)を一人連れてきていた。驚いたガンガが小便をやめさせようとすると,「二人は,この小便は神の僕の一人から出たものだから,これでこの家は浄化された,と私に言いました」。

ガンガは怒り,近くの教会に行き牧師に抗議したが,牧師は謝りはしたものの,穏便に済ませてほしいといっただけだった。

どうして,このようなことになったのか? ガンガ・カドカには,スニルという名の末男がいる。4年前,彼はヒンズー教徒女性と結婚したが,その嫁は,結婚後,外国人キリスト教徒の執拗な勧誘によりキリスト教に改宗してしまった。改宗後,嫁は夫のスニルも改宗するよう迫ったため,夫婦の間でいさかいが絶えなくなった。2017年,スニルは事故で大怪我をしたとして入院したが,ガンガによれば,本当は改宗でもめ,妻がスニルを殴ったのだという。警察もそれを認め妻を逮捕したが,幼い子供がいるので,ガンガが頼み込み,嫁を釈放してもらった。ところが,その後もスニルは嫁といさかいが絶えず,とうとう根負けしたのか,彼も改宗してしまった。そのため,ガンガはスニルと会うことを断念した。「死ぬまで顔も見たくない,と息子には告げました。」ガンガとキリスト教の関係は,軒下に小便をされるときまでに,このような状態になっていたのである。
<以上,記事要旨>

■キリスト教関係書籍もかなり出版されている。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/11 at 17:42

キリスト教攻撃激化と規制強化(4)

3.キリスト教徒の取締り
(1)外国人キリスト教徒夫妻の国外退去処分
外国人キリスト教徒夫妻が,教会活動を理由に,罰金支払いの上,国外退去処分とされた。(*5,6)

夫はフィリピン人のDV・リチャード,妻はインドネシア人のR・ゴンガ。夫妻は2017年11月28日,1年有効のビジネスビザで入国し,パタン・プルチョークのシンガポール人経営レストラン「シグマ」で働いていた。(注:レストランはSingMaかもしれない)。

ところが,5月21日,内務省に夫妻が教会活動をしているとの告発があり,入管が調査した。その結果,夫妻は「エブリネーション教会」(クマリパティ)で牧師活動をし,ヒンズー教徒をキリスト教徒に改宗させていると認定され,入管法違反の罪で5万ルピーの罰金支払いのうえ国外退去処分とされた。夫妻は7月6日,出国。

この夫妻国外退去処分に対して,キリスト教会側は,当然ながら,激しく反発している。

ウィリアム・スターク(International Christian Concern 地域マネージャー)
「二人のキリスト教徒が教会活動参加を理由に強制退去とされた。われわれICCは,深く憂慮し失望している。ネパール憲法によれば,個々人は自分の信仰を実践する権利を有する。ところが,ネパールのキリスト教徒の多くは,宗教の自由への規制が強まり,キリスト教信仰共同体への敵意が増してきていることを心配せざるをえない状況だ。今回の夫妻退去処分は,ネパールのキリスト教徒に対する更なる攻撃に他ならない。」(*6)

BP・カナル(人民覚醒党書記長)
「憲法は,自分の宗教を信じ実践する自由を,権利として保障している。夫妻が地域の教会に行くのは,したがって罪ではない。当局は,重大な過ちを犯し,二人の宗教の自由を著しく侵害した。当局に尋ねたい。ヒンズー寺院の活動に深くかかわっている人にも,当局は退去命令を出してきたのか? 当局は,すべての人の信仰を公平に扱い,少数者集団の宗教信仰を尊重しなければならない。」(*6)

これらは,たしかにもっともな批判だ。ネパール国内でヒンズー教や仏教の宗教活動をしている外国人は,無数にいる。それを大目に見て,キリスト教徒だけを厳しく取り締まるのは,法の下の平等に著しく反する。


■ICC FB/人民覚醒党選挙シンボル

(2)布教活動の取締り
ネパール国民の教会活動も,取り締まりが厳しくなっている。

ネパールでは憲法26条が「他者を改宗させる行為」や「他者の宗教を損なう行為」を禁止し,これを刑法がさらに具体的に「(他者の)宗教感情を損なう行為」(158条)や「(他者を)改宗させる行為」(160条)を禁止している。しかし,これらの規定はかなりあいまいであり,解釈次第で,広狭どのようにでも運用できる。

布教は,暴力等による「強制改宗」の形をとれば,それは人権侵害であり,むろん認められない。では,非暴力的・平和的な方法による布教はどうか? 信仰は最も個人的な自由ないし権利だが,だからといって個人が他の人々とは全く無関係に自分一人で自分の信仰を持ち実践することは,皆無とはいえないまでも,一般にはみられない。信仰を持つ人々は,社会の中で自分の信仰を実践し,意図の有無にかかわらず,周囲の人々に何らかの影響を及ぼす。信仰の実践は,どのようなものであれ,そうした「布教」の意味を多かれ少なかれ持たざるをえない。われわれは,宗教を本質的にそのようなものと認めたうえで,「宗教の自由」や「信仰の自由」を最も基本的な人権の一つとして人々に保障しているのである。

「宗教の自由」ないし「信仰の自由」が本質的にこのような権利だとするなら,ネパールにおける最近のキリスト教徒取締りの多くは,権力の乱用であり,人権侵害と見ざるをえない。以下に,最近の事例をいくつか挙げておく(重複や日時異同が一部あるかもしれない)。(*3,7)

・3月22日/場所不明:女性キリスト教徒ソニア・タカリ,布教活動による宗教感情毀損容疑で逮捕。6か月の乳児とともに1週間勾留。姉(妹?)エリナも3月7日,同容疑で告発。
・4月30日/チトワン郡:デビド・ライらキリスト教徒2名,強制改宗・宗教感情毀損容疑で逮捕。数日間勾留後,釈放。
・5月8日/カトマンズ:女性キリスト教徒3名,買収による改宗強要の容疑で,教会において逮捕。ヒンズー右派グループが告発。
・5月8日/デラトゥム郡:キリスト教徒6名(ネパール人4名,インド人2名),キリスト教文書配布を理由に逮捕,15日間勾留後,保釈。7月9日,郡裁,6人に無罪判決。
・5月9日/場所不明:キリスト教徒9名,路上で賛美歌を歌った等の理由で逮捕。
・5月19日/モラン郡:キリスト教徒ビム・プラダンとナビン・マンダル,地元民に宗教感情毀損で告発され,逮捕。
・5月19日/ポカラ:キリスト教系孤児院ニュービジョン・チルドレンズ・ホーム,違法運営容疑でカスキ郡当局が閉鎖。ジョティ・グルン事務局長(チャンドラ牧師の妻)を取り調べ。収容9児童(5~12歳)は他施設へ。郡当局は「救出」と説明。
・6月15日/場所不明:キリスト教徒ディープ・カルマチャリ,クシュブ・カマト宅でキリストについて話をしているとき,それに気づいた青年の警察通報により,逮捕。勾留1日。
・7月2日/タプレジュン郡:チェンブン自由教会ディプ・ライ牧師と他のキリスト教徒3名,強制改宗容疑で逮捕。

■地方布教の訴え(TEAM HP)

*3 “6 Christians Arrested, 4 Churches Attacked, Bombed in Nepal,” Christian Today, 7 June 2018
*4 Alex Anhalt, “New pressure faces Nepalese Christians,” Mission Network News, 12 June 2018
*5 Gary Lane, “Christians Forced Out of Nepal; Persecution Intensifies,” CBNNEWS.COM, 07-17-2018
*6 “Foreign Christian Couple Deported from Nepal on Conversion Charges,” Persecution.org, 2018/07/12
*7 “Pressure on Christians Heats Up in Nepal,” Morning Star News, 13 July 2018

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/10 at 15:00

カテゴリー: 宗教

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キリスト教攻撃激化と規制強化(3)

2.教会施設の破壊攻撃
この4月以降,教会の建物への爆弾投入や放火が,前掲の表記載のように,頻発している。これらの教会攻撃で,いまのところ人的被害はないが,建物や備品には相当の損害が出ている。警察は,そのいくつかについて,ビプラブ(NB・チャンド)派共産党の犯行と疑っているが,当局は捜査に消極的であり,解明は進んでいない。(*2)

一方,教会側は,攻撃が連続的で全国に及んでいることから,ヒンズー右派によるものとみている。ヒンズー右派はいま「キリスト教改宗を警戒せよ」キャンペーンを展開しており,これが支持を拡大している。「ネパールの教会に対するこれらの攻撃は散発的なものではなく,キリスト教社会に対する計画的・組織的な攻撃に他ならないのに,政府は何も対応しようとはしない。」(BP・カナル牧師)(*3)

そうした中,著名な教会指導者が白昼,襲撃される事件が起きた。7月31日付「モーニングスター・ニューズ」記事によれば,7月19日午後2時頃,カトマンズの目抜き通りの喫茶店で,「ネパール全国クリスチャン連盟(FNCN)」書記長のサガル・バイズ牧師(ブダニルカンタ「グレースビクトリ教会」主任牧師)が男数人に突然襲撃され,滅多打ちにされた。彼らは,「お前の教会も他の教会もすべて爆破し,お前ら教会指導者をみな殺してやる」と言い残し,逃走した。

この襲撃は,記事によれば,この数か月のキリスト教への敵意の高まりの中で発生した。バイズ牧師は,「ネパールでは,毎日のように,こうした事件が起きている」にもかかわらず,政府がキリスト教徒の権利を守るに必要な対策をとらないため,ヒンズー右派諸組織がそのスキを突きキリスト教攻撃を激化させている,と見ている。(*8)

■カトマンズの主要教会(Google, 2018/08/07)


■FNCN FB(2018/08/08)/バイズ牧師襲撃(*8)

*2 “Four more churches attacked in Nepal,” Sight(World Watch Monitor), 17 May 2018
*3 “6 Christians Arrested, 4 Churches Attacked, Bombed in Nepal,” Christian Today, 7 June 2018
*8 “Assault on Christian Leader in Nepal Reflects Growing Threat,” Morning Star News, 31 July 2018

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/08 at 17:02

カテゴリー: 宗教, 人権

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キリスト教攻撃激化と規制強化(2)

1.キリスト教の利用から排斥へ
ネパールの体制派(the Establishment)にとって,近年の最大の危機は,いうまでもなくマオイスト人民戦争(1996~2006年)であった。マオイスト(毛沢東主義派)は,ヒンズー教旧体制が差別し周縁化してきた低カーストや少数諸民族を糾合して旧体制と戦い,優勢裡に和平に持ち込み,ヒンズー教王制を廃止して世俗共和制の新体制を発足させ,そこに有力な勢力の一つとして参画した。

しかし,その一方,新体制は革命ではなく和平により成立したため,旧体制の制度的中核たるヒンズー教王制(ビシュヌ神化身たる国王の統治)は廃止され,ネパールは世俗共和制に転換したものの,それを除く旧体制の諸勢力の多くは新体制を受け入れ,そこに参加していった。

このヒンズー教王国から世俗共和制への転換にキリスト教がどう関与したのか,いまのところ,それはよくわからない。ただ,キリスト教は長年,旧体制により厳しく禁止され弾圧されてきたので,その転換に希望を抱いてきたことは間違いない。事実,キリスト教徒は,1990年民主化運動の頃から潜伏していた人々も徐々に表に出始め,人民戦争を経て現在に至るまで着実に数を増やしてきた。

そのキリスト教は,ネパールでは,欧米諸国に物心両面で強力に支援されている,と見られてきた。したがって,ネパールで権力闘争が激しくなればなるほどキリスト教利用のメリットは大きくなり,いずれかの勢力がアプローチして何ら不思議ではなかったが,ネパールでは1990年民主化運動以降も,つい最近まで,政治家個人によるキリスト教接近・利用の試みは散発的に見られたものの,政党等が本格的・組織的にキリスト教と連携を図る動きはなかった。それは,おそらくキリスト教がネパールでは党派を超え取扱厳重注意だったからであろうし,現在もなお一般にキリスト教はそう見られている。

しかしながら,キリスト教が近現代欧米の人権や民主主義と不可分の関係にあることは言うまでもない。したがって,途上国が開発促進のため欧米先進諸国の支援をえて近現代的な人権・民主主義の実現を目指すことになれば,それは自ずとキリスト教にとっても好ましい政治的・社会的状況がそこに生じることはまぎれもない事実である。

欧米諸国は,このキリスト教と近現代的な人権・民主主義との不可分の関係を十二分にわかったうえで,宗教と政治を巧妙に使い分け,途上国への影響力を拡大してきた。かつての「宣教師と軍隊」が,近現代風に洗練され「キリスト教と人権・民主主義」となったといっても,決して言い過ぎではあるまい。国家世俗化と宗教の自由がその典型。ネパールでも,この問題を筆頭に,人権や民主主義に関する多くの諸問題において,キリスト教と欧米世俗権力は多かれ少なかれ共闘関係にある。(参照:改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント)いまのネパールでは,キリスト教を擁護すれば欧米諸国家の支援が,近現代的人権・民主主義を唱えればキリスト教社会の支援が何らかの形で期待できるのである。

英大使の改宗勧奨

ネパールの政治家はみな,そんなことは百も承知。和平後新体制もジレンマを感じてはいたであろうが,開発・民主化促進は何よりの急務,キリスト教を警戒しつつも,欧米諸国の支援をえるため,キリスト教に宥和的ないし協力的な姿勢をみせ始めていた。(*4)

ところが,ネパール新体制の,このようなキリスト教に対する宥和的な態度は,ここにきて逆転,再び悪化し始めた。「アジアンアクセス」のジョー・ハンドリー代表は,こう指摘している――

この数年間,ネパール側は孤児,人身売買,職業訓練などに関する教会事業を高く評価してきた。そして,「一緒に頑張ろう! 活動をもっと自由にするので,ネパール社会を変えてほしい」などと言っていた。「共産党政府は,教会指導者らに憲法制定への参加さえ要請した。その憲法が3,4年前に制定され,宗教の自由が新たな局面を迎えた。」

ところが,いまや一転,ヒンズーナショナリストのロビー活動や政府筋からの新たな規制圧力により「これらの自由は後戻りさせられている」。キリスト教指導者は殺すと脅迫され,教会は爆破され,墓地は禁止され,キリスト教徒の子供たちは学校でいじめられている。(*4)

――以上のハンドリーの指摘は,むろんキリスト教会の側からのものだが,最近の布教禁止刑法制定や一連の教会攻撃をみると,大筋ではおおむね事実に沿っており妥当といってよいであろう。

*4 Alex Anhalt, “New pressure faces Nepalese Christians,” Mission Network News, 12 June 2018


■英有力紙ガーディアンのセンセーショナルな暴露記事,「『金でキリスト教布教』:ネパールでの魂の闘い」(The Guardian, 15 Aug 2017)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/07 at 10:06

カテゴリー: 宗教, 民主主義, 人権

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キリスト教攻撃激化と規制強化(1)

ネパールでは,ネパール共産党(NCP)政権成立以後,特に3月以降,キリスト教に対する攻撃が激化し,規制も強化されてきた。教会施設の破壊,信者の逮捕や国外退去処分などが,あいついでいる。

ネパールの宗教別人口は,国勢調査(2011年)によればヒンズー(ヒンドゥー)教81.3%,仏教9%,イスラム教4.4%,キリスト教1.4%,その他3.9%であり,キリスト教はごくわずかの少数派だが,これは意図的過小評価であり,実際には3~7%もいるとさえいわれている。いずれが正しいか,にわかには判断できないが,いずれにせよキリスト教徒がネパールにおいて急増し,教会関係者の間ではネパールが「世界でキリスト教徒増加率の最も高い国」の一つとして注目されていることは事実である。

この春以降のキリスト教規制強化や攻撃激化が,諸状況を考え合わせるなら,キリスト教徒のこの急増と関係していると見て,まず間違いないであろう。そこで,以下,報道記事に基づき,この数か月のキリスト教規制強化・攻撃激化につき概略を紹介する。なお,キリスト教系メディアが多かれ少なかれ教会側から報道していることは,言うまでもない。また,参考のため,ヒンズー社会の側からのキリスト教布教活動批判記事の要旨も付記しておく。

 ▼キリスト教取締りと教会攻撃
03.22 女性キリスト教徒,宗教感情毀損容疑で逮捕。
04.28 カトリック教会(バンケ郡)放火。
04.30 改宗強要容疑でキリスト教徒2名逮捕(チトワン郡)。
05.04 キリスト教徒を自宅で逮捕。容疑不明。
05.08 女性キリスト教徒3名,買収による改宗勧誘容疑で逮捕。
05.09 聖歌を路上で歌ったキリスト教徒逮捕。
05.10 ヘブロン教会(パンチタル郡)放火。
05.10 エマニュエル教会(ドティ郡)放火。
05.11 エマニュエル教会(カンチャンプル郡)放火。
05.13 マヒマ教会(カイラリ郡),爆破。
05.19 キリスト教系孤児院閉鎖,事務長逮捕。
05.19 キリスト教徒2名,宗教感情毀損容疑で逮捕(モラン郡)。
06.15 女性キリスト教徒,布教中に逮捕。
07.06 外国人キリスト教徒夫妻,教会活動を理由に国外退去処分。
07.19 「ネパール全国クリスチャン連盟」書記長,襲撃(カトマンズ)。
 (注)一部,日付異同や重複があるかもしれない。


■Converge(12/28/2015)/Open Doors Australia(08/05/2018)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/08/05 at 18:05

カテゴリー: 宗教

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紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(5)

5.低カーストはキリスト教に向かわないか?
ネパールは宗教が生活に深く根付いた社会であり,人々がどの宗教を,どのように信仰するかは,ネパールの動向を知る最も重要な指標の一つである。この点について,本書では次のように述べられている。

「ヒンズー教的カースト制度を嫌う低い階層のカースト(民族)は,マルクス主義か仏教かに向かうだろう,逃げるだろうことは簡単に想像できる。現在のところ,なぜかキリスト教には向かっていない。」(181)

ここで著者が挙げている選択肢のうち,ネパールの低カーストや少数民族の人々がマルクス主義,とりわけ毛沢東主義に向かうことは,ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が1990年民主化後しばらくすると彼らの支持を得て急成長し,人民戦争(1996-2006年)を戦い,優勢裡に和平に持ち込み,戦後新体制に参画するに至ったことを見れば,すでに疑いようのない事実である。ただし,ネパールのマルクス主義や毛沢東主義はネパール独特のものであって,日本で一般に理解されているそれらの主義とは大きく異なるが,この点については別の機会に議論することにしたい。(仏教改宗については,いまのところ私には不明。)

では,キリスト教はどうか? 本書のもとになる現地調査は2001年8~9月であり,原稿完成は2016年3月下旬のことである。この時点での,低カーストの人々は「キリスト教には向かっていない」という分析は,どこまで妥当であろうか?

キリスト教は,1990年民主化を転機に,ネパールで低カーストや少数民族の人々を中心に信者を増やし始めた。2011年国勢調査によれば,キリスト教徒は全人口の1.14%となっており,すでに日本の1%(2012年)を上回っている。低カーストではサルキの4.3%,サンタル/サタルの6.1%がキリスト教徒だし,少数民族ではタマンの3.6%,ライの5.3%,チェパンの25.6%がキリスト教徒になっている。

しかも,2011年国勢調査のキリスト教徒数は過少報告とされており,実際にはキリスト教徒はすでに3~7%,あるいは2~3百万人にのぼるとさえいわれている。いまやキリスト教系メディアでは,「キリスト教徒急増国」がネパールに言及する際の格好の枕詞にさえなっている。教会は全国に約1万2千あるといわれているし,キリスト教系政党も先の国政選挙に立候補者を出した政党を含め数政党ある。これをどう見るか? 相対的にはキリスト教はなお弱小勢力なので,評価は難しい。

ネパールにおけるキリスト教の動向については,これまでに幾度か紹介したので,ご参照いただきたい。
 ・キリスト教とネパール政治(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
 ・改宗勧誘・宗教感情棄損を禁止する改正刑法,成立
 ・「宗教の自由」とキリスト教:ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定について
 ・キリスト教政党の台頭
 ・タルーのキリスト教改宗も急増
 ・キリスト教絵本配布事件,無罪判決
 ・改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント
 ・国家世俗化とキリスト教墓地問題

■ネパール:成長世界最速の教会(Nepal Church Com)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/22 at 15:34

キリスト教とネパール政治(10)

1.「キリスト教徒急増」問題の複雑さと危険性
2.キリスト教系政党と2017年5月地方選挙
3.キリスト教会と2017年連邦・州ダブル選挙
 (1)キリスト教の急拡大
 (2)布教の法的規制
 (3)布教規制撤廃の働きかけ
 (4)キリスト教系政党の政界進出
4.改宗の理由
5.タマンのキリスト教改宗
 (1)民族/カースト別キリスト教改宗率
 (2)タマンの改宗:M・ジョンソンの分析
 (3)タマンの改宗:T・フリックの分析
 (A)調査地:ティムリン村[以上,前述]

5.タマンのキリスト教改宗
(3)タマンの改宗:T・フリックの分析
(B)村民ドルジェの改宗
フリックが聞き取り調査したのは,ティムリン村の初の改宗者ドルジェ・ガーレ。娘の病気をきっかけに1990年,彼が36歳のとき,妻とともにキリスト教に改宗した。

キリスト教は,ドルジェ改宗(1990年)以前の1980年代には,すでに近くのジャーラン(Jhalang)村やラブドゥン(Labdung)村には布教されており,信者がいた。ジャーラン村にはドルジェの友人がいたし,ラブドゥン村には妻の実家があった。

1990年改宗以前のある日(年月日不明),ドルジェの娘マヤワティが病気になった。父ドルジェは,慣習に従い,ヤギや羊などを犠牲にささげ,ボンボやラマに繰り返し祈祷してもらった。しかし,伝統的方法をいくら続けても,娘はよくならなかった。

困り果てていると,ラブドゥン村の義父(妻の父)が,自分の村にはクリスチャンがいるので,呼んできて回復を祈ってもらおうと提案した。

義父がラブドゥン村のS・タパのところに頼みに行くと,彼をはじめ約30人の信者がやってきて,娘の回復を祈ってくれた。すると,すぐ娘はよくなりはじめ,やがて全快した。費用のかかる犠牲や儀式は不要だった。

これをきっかけに,ドルジェは古いダルマを捨て,新しいダルマ,キリスト教を信じるようになった。

では,このドルジェのキリスト教改宗をどう解釈すべきか?

(C)改宗の西洋的解釈の不十分さ
ネパールにおけるキリスト教改宗の理由ないし動機については,西洋的な観点から,政治,経済,教育,病気治療など様々な実利と結び付け,あるいは布教活動の成果として,外在的に解釈される場合が多いが,いずれもそれらだけでは改宗理由の説明としては十分とは言えない。

ティムリン村の生活が,1980年代後半から大きく変わり始めたことは,事実である。賃労働が増え,職場も当初は近くの道路工事や鉱山だったが,やがてカトマンズや湾岸諸国への出稼ぎとなった。

1990年にはじまるティムリン村の改宗は,そうした生活環境の変化の下で行われた。しかし,この変化を改宗理由とすることは無理である。村人のうち新しい仕事に関係していた人々は改宗に消極的であり,改宗したのはむしろ伝統的な仕事をしている人々だったからである。

一方,ティムリン村の改宗と,1990年以降の民主化,開発,布教とは,かなり密接な関係がある。

「ティムリンの改宗は1990年以降の動きの一部である。それ以前に,おそらく1980年頃,南側のジャーランで多くのタマンが改宗した。そこの政治権力者や警察は彼らを殴りつけ投獄した。こうした『地下』生活にもかかわらず,1990年以前に,ジャーランのクリスチャンが何人かティムリンを訪れていた。布教に来たのだが,まったくの門前払いだった。改宗は違法,これが要するに布教活動への対応であった。このような態度は,1990年以降,民主化運動が始まり,キリスト教がそれと関係づけられ始めると,変化した。

この政治と改宗との結びつきは,1990年以後の初の選挙に見て取れる。旧秩序を代表するのはティムリンのラマたちと緊密な関係にある人物であり,これに対抗するのがいまや合法となったコングレス党の党員であった。そのコングレス党の政治家は,自らクリスチャンであると実際に明言することは決してなかったが,そのような噂の流布は容認していた。というのも,そのような噂が彼と新秩序との結びつきを様々なレベルで強化してくれたからである――[旧秩序と闘う]野党の一員であり,西洋的『近代』を代表する者であり,そして,キリスト教諸教会との結びつきにより得られると多くの人々が考え期待した多くの金や物との仲介者である,と。さらに,[改宗と]開発との結びつきが,ティムリンで周知の呼び方で広まりさえした。たいていの人が,キリスト教のダルマを農民のダルマ(kisan dharma)と呼び変えた。そして,この農業と西洋との結び付けが,開発(bikas)との結び付けを容易とした。というのも,新しい農業技術を持ち込む来訪者たちが開発をもっぱら目的にしていることを,つねに見聞きしていたからである。」(p.2-3)

「ティムリンの人々は,カトマンズに出て俗人牧師教育を受け始めると,クリスチャンとの付き合いが深まり,彼らが獲得した新たなダルマには異なった宗派的な解釈があることを知った。さらに彼らは,1990年以降のネパールにおける激しい布教競争の下で,外国の教会が新しい布教地でその教会を代表する人々に仕事,教育,金など様々なものをくれることにも気づかされた。」(p.3-4)

しかしながら,それでもなお,これらは外部要因による改宗の外在的解釈であり,ティムリン村のような改宗の説明としては十分ではない。そう著者は考えるのである。

(D)自発的動機による改宗
タマンの人々は,古来,交換と分かち合いを基軸とするダルマ(徳,宗教)を大切にして暮らしてきた。そして,不幸にして強欲がはびこり悪政に陥りダルマを維持できなくなると,そのつど彼ら自身で新しい王やラマを探して迎え,ダルマを回復した。ティムリン村のキリスト教改宗も,以前と同様,村人自身が失われたダルマを回復するために行われた。

「ティムリンの改宗は,布教ミッションによることなく,村人自身の意思により行われた。タマンの人々は,自分たちに新しいダルマを教えてくれるネパール人のクリスチャンを探し出した。」(p.2)

「最初の改宗以降の展開は,むろん複雑であり,完全には思い通りにはならないであろう。・・・・[とはいえ]ティムリンの人々は,キリスト教への改宗の当初は祖先に極めて近い行動の仕方をしたと私は考えるのである。」(p.18-19)

――以上のように,この論文の結論は,いかにも人類学者らしく,キリスト教改宗の自発性・内発性を強調するものとなっている。

たいへん面白いが,その一方,タマン社会において伝統的なダルマがなぜ維持できなくなったのか,そしてまた,彼らがどこまで自覚的にタマン社会の伝統的な交換と分かち合いのエートスないし徳の回復・維持を目的としてキリスト教を取り入れたのかを考えると,改宗の自発性・内発性を強調する著者の結論にはやや無理があるようにも思われる。娘の病気を治してくれたのでキリスト教を信じるようになったというのは,政治,経済,教育など他の実利のための改宗と構造的には異ならないように見えるのだが。

 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/04/21 at 16:06