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郷里とネパール: 失って得るものは?
谷川昌幸(C)
年末年始(12/31-1/2),日本三秘境の一つ丹後に帰郷した。年頭に当たって,今年も村の変化をネパールと重ね合わせながら報告しよう。
1.クマと高速道路
いまの村の話題の一つは,イノシシ,シカ,サル,クマの出没。イノシシ,シカ,サルは以前からよく現れ,農作物を荒らしていたが,最近はとうとうクマまで出始め,栗や柿の木に登り,実を食べるようになったそうだ。田畑の耕作放棄が進んだためだろう。
一方,そのわが過疎村にも高速道路が延伸され,村に出入り口が出来ることになった。京都・大阪からの所要時間は,1960年頃は丸1日,現在が3時間半くらい,それが高速道路延伸で20分ほど短縮される。スゴイ。
2.自給自足の村
1960年頃までの村は,80~90%自給自足であった。戸数100戸余り(ほとんど農家),小学校1,医院1,農協(兼町役場・郵便局・日用品店)1,商店3,魚屋1,大工(工務店)2,寺1,神社3,祠(田の神,山の神など)多数,産婆1,祈祷師1,理容美容1,等々。わずか100戸余りの小さな村なのに,村内でほぼ自給できていた。
それは,村人たちが村の生産力の範囲内で工夫し協力し生活していたからだ。私自身,裏山でマキをつくり,自宅の燃料とし,また小学校のストーブのために供出した。私の家も,裏山の木を製材し,村の大工と村人たちが協力した建ててくれたものだ。
村では,誕生から死までの生活がほぼ完結していた。私も弟2人も私の家で産婆さんに取り上げられ,祖母は村の医者に看取られてなくなり,村の寺の僧が読経し,近所の人々の手で近くの墓地に土葬された。
贅沢さえ言わなければ,生まれてから死ぬまで,この小さな村の中でほぼ不自由なく暮らしてゆけた。これはいま思うと奇跡的なことだ。
3.資本主義化で依存状態に
ところが,1960年頃から始まった村への資本主義の侵入で,村はあれやあれよという間に自活のための生活基盤を奪われてしまった。
若者は大都市に奪われ,小学校も医者も農協も商店も町に奪われた。村の祈祷師も,村のことを隅々まで知っており医者では治せないような病をよく治すことができたにもかかわらず,近代化により排除されてしまった。
いまや村は自立性を完全に失い,人々は村内だけでは絶対に生きていけない。かつて村人たちは協力し合いながら,生活のことは誕生から死まで,ほぼ何でもやれた。村人は全人格的人間として生きていた。ところが,いまでは,低賃金目当ての町の工場やスーパーで働き,賃金を得るだけの単職能労働者になってしまった。村は収入を村外の工場に,燃料を中東に,食料と日用品(多くが輸入品)を町のスーパーに完全に依存している。村人は,村で生まれ,村で死にはしない。町の病院で生まれ,死ぬ。そして遺体を焼くのも葬儀も村外の近代的火葬場であり,株式会社の葬儀場だ。
4.失われた文化
わが村は,本格的な資本主義化が始まる1960年代以前は,時間を有り余るほどもっていた。自給自足ではさぞ忙しかろうと思われるかもしれないが,全く逆。時間は資本主義が奪うもの。資本主義化以前の社会では,わが村に限らず,どこでも時間は有り余っているのだ。
村では,大人にも子どもにも時間があり暇があったから,様々な文化が生活の中で楽しまれていた。子どもたちの様々な遊び,大人たちの囲碁将棋,俳句,芸能,祭り,花見,釣り,海水浴,スキーなど。
しかし,資本主義化により,時間が奪われ,したがって暇を必要とするこれらの文化はあらかた廃れてしまった。
5.何を得たのか
資本主義化で,わが村は何を得たのか? そして,高速道路延伸で京都・大阪から20分早くなることで,わが村は何を得ることになるのか?
都市に脱出した人間の無責任な懐古趣味には違いないが,それでも私たちは,近代化,資本主義化で何を得たのかと問わざるを得ない。
山間の小さな村。夏は蒸し暑く冬は豪雪の寒村。そこで,100戸余りが,つい最近までほぼ自給自足できていた。いや,たんに食べるだけでなく,有り余る時間を使い,生活の中で遊び,文化,芸能を存分に楽しんでいた。
ところが,いまや,その同じ村が,過疎化で半分近くになった村人の生活すら支えることが出来なくなった。若者には仕事がなく,夫婦は子供を産みたくても経済的,社会的,医療的支えがなくて産めず,老人は村に商店がなくなりバス便も激減したため食料・日用品を買い求めることにすら不自由している。村人たちは,日々の生活費を稼ぐだけで疲れ果て,かつてのように遊ぶ暇も気力もない。俳句をひねり,神楽の練習をする余裕はもはやない。
いったい,何のための近代化,資本主義化だったのか? 村人たちは,いったい何を得たというのか?
わが寒村で,100戸余りが貧しいとはいえ,十分に食え,生活を楽しむことが出来ていた。だとしたら,その生活を基礎に,それを豊かにしていく別の道があったのではないか?
6.ネパールのもう一つの道
先進国の人間が,ネパールに来て,伝統的生活の大切さを語る――それは無責任だとさんざん言われてきた。その通りだと思う。自分たちは,近代的な「快適な」生活をしながら,ネパールに来て,そうでない生活が大切だというのは,たしかに無責任であり偽善だ。
しかし,それが分かってはいても,やはり,資本主義化の道は決して幸福への道ではない,といわざるを得ない。先進国は,どこかで道を間違えてしまったのだ。 わが村で,この40~50年で起きたことが,ネパールでいま起こりつつある。ネパールの人々は,時間を失い,文化を失い,そして結局みな不安な外部世界への依存者になってしまうだろう。
物理的・物質的にある程度便利にはなるだろうが,それに見合うだけのものは,資本主義化の方法では,おそらく得られないだろう。一部の特権的な人々を除いては。
【参照】ネパールの過疎化 Grandma of the Empty Village: Nepal