ネパール評論 Nepal Review

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ネパール暫定憲法と包摂民主主義

谷川昌幸(政治学)

1.憲法危機
 ネパールは現在,深刻な憲法危機にある。旧憲法はすでになく,正式の新憲法はまだない。議会もなければ首相もいない。行政は2013年3月13日発足の「暫定選挙管理内閣」が担当しているが,これは,首相ではなく最高裁長官を「議長」,高位官職経験者10名を臨時の「大臣」とする文字通りの暫定内閣である。最高裁長官は,いわば司法部から行政部に出向した国家危機管理人であり,制憲議会選挙実施後,本来の最高裁長官の職に復帰することになっている。まさに異例,ネパールは国家破綻の瀬戸際といってもよい。いったいどうして,このようなことになってしまったのだろうか。

2.1990年憲法体制の崩壊
 ネパールでは,1990年革命により国王主権の1962年憲法体制が打倒され,立憲君主制の1990年憲法が成立した。人民主権の議会制民主主義をとり,人権保障も手厚い。ところが,不幸なことにネパールは後発途上国であり,1990年憲法の運用に必要な政党政治の経験も,近代的な官僚制度も,諸権利保障のための最低限の経済力もなかった。政党は利権抗争に明け暮れ,汚職は蔓延し,生活格差は拡大する一方であった。
 これに不満を募らせたのが,周縁化され搾取されてきた被抑圧「カースト/民族(caste/ethnicity)」である。彼らは,既成政党を見限り,マオイスト(ネパール共産党毛沢東派)を支持,2006年には反国王に回った議会派諸政党とも協力し1990年憲法体制を打倒したのである。この「2006年革命」の翌年,マオイストと議会派諸政党が暫定議会において成立させたのが,現行「2007年暫定憲法」である。

3.2007年暫定憲法と包摂民主主義
 2006年革命は,表面的にはマオイスト中心だったが,実際に革命を推進し勝利したのは,包摂参加(inclusion)を要求する被抑圧「カースト/民族」勢力であった。したがって,その結果成立した2007年暫定憲法も,マオイスト憲法ではなく,包摂民主主義(inclusive democracy)憲法であった。概要は以下の通り。
 (1)国家・国民: 主権者たる人民がこの憲法を制定・公布。ネパールは「独立,不可分,主権的,世俗的および包摂的な連邦民主共和国」であり,国民は「多民族,多言語,多宗教および多文化」。公用語はネパール語,国内使用の他の母語はすべて国民言語(national languages)。国歌は「多数の花々からなる我ら(多文化多民族の我ら)」。 
 (2)権利: 近現代の諸権利を幅広く保障。死刑は禁止。特徴的な権利としては,女性・ダリット(不可触民)・先住諸民族・被抑圧諸集団の政治的・社会的比例参加権,各民族の言語・文化を保存し教育する権利,子供のアイデンティティ権など。
 (3)行政: 国家元首は大統領であり,原則として内閣の助言と承認に基づき行為。行政権は内閣にあり,首相は「政治的合意」または議会の多数により選出。軍指揮権および非常事態権限も内閣にある。2013年3月以降,最高裁長官が「内閣議長」として首相代行。
 (4)議会・政党: 制憲議会は1院制,任期2年。「包摂原理」に則り,小選挙区240,比例制335,内閣指名26の計601議員を選出。政党も憲法で明文規定され,包摂的な党運営が必須要件。2008年5月発足の制憲議会は,任期を4回延長したが,新憲法未制定のまま2012年5月解散。以後,無議会。
 (5)司法: 最高裁は違憲立法審査権をもち,長官は憲法会議の勧告に基づき首相が任命。
 (6)地方自治: この憲法で初めて明文規定。資源と権限の地方への分割配分。

4.包摂民主主義の陥穽
 この2007年暫定憲法には,二つ問題がある。一つは,包摂参加は被抑圧「カースト/民族」の要求とはいえ,その法制化は西洋諸国の「押しつけ」の結果であるということ。西洋諸国は,西洋流の包摂民主主義をネパールに持ち込み,宣伝し,影響力拡大を競ってきた。
 もう一つは,理論そのものの難点。近代民主主義が既存社会を一旦分解し,バラバラの諸個人から社会を再構成しようとするのに対し,現代の包摂民主主義は即自的諸集団の覚醒を促し,独自のアイデンティティを確立させ,対自的集団として社会参加することを要請する。制度的には,権力分有(power-sharing),比例制,クォータ制,連邦制,集団の権利,少数派拒否権,自治権,分離独立権など。こうした議論は,多文化多民族化の進むポストモダン西洋諸国では妥当でも,不用意に途上国に持ち込むと,アイデンティティ政治を刺激し,コミュナル紛争を激化させることになる。
 ネパールの現状は,まさにそれである。ネパールには125もの「カースト・民族」がいる。そのそれぞれが,多少はあれ,排他的な独自アイデンティティの強化を競い,集団としての権利を要求し,不利となれば拒否権で抵抗してきた。その結果,新憲法制定はおろか,民族別州区画から各種機関人事にいたるまで,重要なことは何も決められなくなった。包摂民主主義が被抑圧「カースト/民族」の権利向上に貢献したことは事実だが,その代償も大きかった。
 ネパールの現在の憲法危機は,包摂民主主義そのものに起因するだけに根深く深刻である。今後,事態がどう展開するか,まったく予断を許さない。

(『憲法研究所ニュース』第31号,憲法研究所,2013年5月3日,3頁)

130518

Written by Tanigawa

2013/05/18 at 14:39

カナル首相辞任,暫定首相へ

カナル首相が14日夜,ヤダブ大統領に辞表を提出した。首相は,13日までに挙国政府合意が出来なければ辞任すると明言していた。結局,挙国政府合意は出来ず,期限の1日後,辞任することになった。制憲議会での辞任表明は15日の予定。

1.マオイスト票で首相当選
カナル首相は,統一共産党(UML)議長だが,首相選出は,マオイストの支持による。

2月4日の首相選の得票は,カナル365,ポウデル(NC)122,ガチャダル(MJF)67で,カナルの圧勝。しかし,その365票の内訳は,マオイスト237,UML106,他25であり,マオイスト票で首相に当選したことは明白。困難は当初から予想されていたことであり,その割には,よく頑張ったと言ってよい。

2.次期首相とマオイスト
次の首相は,誰か? これは極言すれば,マオイストが誰を次の首相として認めるか,ということである。制憲議会議席の40%弱を握っているのだから,当然だ。

プラチャンダ議長 議会制民主主義の常識から言えば,マオイスト党首が首相となるべきである。しかし,プラチャンダ議長の場合,すでに一度首相(2008.8-2009.5)となっており,しかも宿敵の国軍=インドの強力な介入で挫折し,2009年5月政権を放り投げた前歴がある。

プラチャンダ議長は,抜群のカリスマ性があり,NC,UML,軍,そしてインドも警戒している。したがって,いまはプラチャンダ議長の首相選出は難しいであろう。

バタライ副議長 マオイスト内の最有力首相候補は,バブラム・バタライ副議長である。マオイスト内穏健派であり,反マオイスト派にも受けはよい。

しかし,その反面,マオイスト急進派からは,親インドとか,ブルジョア的とか,批判されている。マオイストの実力部隊は急進派が握っており,急進派を無視してバタライ副議長を首相とすることも難しい。

マオイスト中間派・NC・UML とすると,マオイストは,プラチャンダ議長やバタライ副議長のような大物ではなく,もう少し抵抗のない穏健中間派を首相とするか,さもなければNCかUMLの誰かを首相とすることになる。

マオイストと既得権益 いずれにせよ,制憲議会の4割弱を握るマオイストにとって,焦る必要はない。何もせず,じっとしていても,権益はマオイストに流れ込む。

ただし,あまり露骨にやると,駐屯地(cantonment)で不自由な生活を強いられている人民解放軍や,米帝ネオ・リベによる生活苦にあえぐ農民・労働者の反発を招く。彼らこそが,マオイストの実力部隊であり,急進派の支持基盤だ。したがって,既得権益維持路線も,いつまでも維持しきれない。やはり,首相選出への努力姿勢を見せ,いつかは首相を選ばなければならない。

3.押しつけ暫定憲法
首相選出難航は,現行暫定憲法の欠陥によるところも大きい。現在の2007年暫定憲法体制は,包摂参加民主主義を原則としている。西洋先進諸国の観念理論家たちが,自国でも実現不可能なようなピカピカの最新憲法理論や民主主義理論をネパールに押しつけ,2007年暫定憲法をつくらせた。押しつけ憲法だ。

西洋諸国の観念理論家たちは,国連諸機関とグルになり,ネパールを新理論の実験台として利用している。面白いであろう。しかし,何も決められない観念的包摂参加民主主義を押しつけられた後発開発途上国ネパールは,たまったものではない。

悪いのは,ネパール人民でも政治家でも政党でもない。偉そうにお節介介入し,ネパール国家を生体実験している西洋先進国である。

4.暫定首相
とにかく,現行2007年暫定憲法では,重要なことは超民主主義的な方法で決めることになっており,つまり何も決められない。次期首相も,前回以上にいつまでたっても決められない恐れがある。

前首相のMK・ネパール氏は,2010年6月辞任から2011年2月まで,暫定首相を務めた。その間,新首相選出選挙を17回(世界新記録)もやり,ようやくカナル氏を選出し,暫定首相を辞任したのだ。

同じことが,カナル首相にも起こるかもしれない。最大政党マオイストは,べつに急いで新首相を選出しなくてもかまわないのだから。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/08/15 at 13:29