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転轍機を右に切り替えた朝日主筆

朝日新聞1月12日付朝刊は,若宮啓文主筆の文章を,1面左8段と13面全段全ページ(広告なし)に掲載している。1面タイトル:「『改憲』で刺激 避ける時」,13面タイトル:「私の見た政治の40年」。 1月16日退任を前にしての文章ということだが,いくら主筆とはいえ,「社会の公器」たる新聞紙面を,こんな「私事」に使用してよいのだろうか?

1.無内容な「私の見た政治の40年」
13面(オピニオン)には,全ページびっしりと,1970年以降の若宮主筆の「思い」が書き連ねてある。内容的には,この間の日本政治史のおさらいであり,通読には相当の忍耐が求められる。この程度のことであれば,ネットの方が,無料で,はるかに要領よく,詳しく解説してくれている。

2.曖昧社説による進路切り替え
問題は1面の文章。そもそも「『改憲』で刺激 避ける時」というタイトルが,意味不明。改憲問題について,若宮主筆はいったいどのような意見を持っているのか? こんな風に書かれている――

「憲法9条では自衛隊の説明がつきにくいことから,憲法のあり方が論じられてきたのは無理もない。・・・・9条を改めることがすべて危険だなどとは思わない。」

この曖昧な立場から,朝日新聞は2007年の「社説21」により,自衛隊違憲論から合法論へと社説を切り替えた。朝日は長きにわたり自衛隊違憲論を採り護憲世論をリードしてきた。産経や読売の改憲論とはわけが違う。朝日変説のインパクトは強烈であり,これにより護憲派は総崩れとなった。

3.無責任な変節
この朝日の変説は,正確には,むしろ「変節」である。状況が変化した場合,説を変えることがあるのは当然だ。この場合,変説の理由が合理的に説明されるなら,賛否は別にして,少なくとも説を変えたことそれ自体は理解できる。ところが,朝日の変説には合理的な説明はなく,したがってそれは許されざる「変節」である。

若宮主筆は,こう言い訳をしている――

「少々分かりにくさがあっても9条は変えず,自衛隊は軍隊としない方がよいと結論づけ,2007年5月3日に『社説21』をお届けした。・・・・自衛隊をきちんと位置づけるため,準憲法的な平和安全保障基本法の制定も唱えた。」

「分かりにくさ」とは,いったい何か? 国家の基本法たる憲法,しかも最も危険な「軍隊」の憲法規定について「分かりにくさ」を認めながら,その曖昧な憲法解釈に基づき「準憲法的な平和安全保障基本法」で自衛隊の合法化をはかる。若宮主筆は,「平和安全保障法」の合憲性について,あるいはより根源的には日本における「法の支配」について,どのように考えておられるのか? こんな曖昧な憲法解釈で「暴力装置」たる自衛隊がコントロールできると,本当に考えておられるのだろうか?

4.右に切り替えられた進路
「社説21」あるいは若宮主筆の議論は,護憲派にとっては致命的な打撃となった。これにより転轍機は右に切り替えられたが,まさに「少々分かりにくさ」があるがゆえに,護憲派にとっては批判しずらく,改憲派にとっては攻撃しやすかった。改憲派は朝日変説の不合理を攻撃しつつ,「変節」の実は巧みに,貪欲に,すくい取った。「社説21」以降,日本世論の進路は改憲へと切り替えられ,もはや逆転は少々のことでは望めそうにない状況となっている。

「改憲で刺激」をしたのは,産経や読売というよりはむしろ,「社説21」あるいは若宮主筆である。その反省なしに,刺激を「避ける時」とは,いったいどういうことなのか? お得意のマッチポンプではないのか?

5.「社説21」の撤回を
「私事」を語る暇があったら,「社説21」を撤回し,「改憲で刺激」の元凶を自ら取り除くべきである。そもそも憲法9条に「分かりにくさ」など,みじんもない。もし分からなければ,小学校に行き,虚心坦懐に生徒に教えを請うべきであろう。

【参照】
海外派兵を煽る朝日社説
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
朝日社説の陸自スーダン派兵論

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/01/14 at 11:22

カテゴリー: 平和, 憲法

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血液型政治家判断、朝日の本性

朝日新聞は、先の「ハシシタ 奴の本性」事件で深く反省したと思っていたが、どっこい、朝日の「本性」はそんな柔なものではなかった。優生思想は朝日のDNAであり、「ハシシタ事件」くらいでは、びくともしない。

今日(12月6日)の朝刊2面の「ニュースがわからん!」は、韓国大統領選の解説。記事は、カラー囲みに「朴氏、文氏、どんな人?」の小見出しをつけ、両氏の出身地、学歴、 血液型、身長、尊敬する人、座右の銘、好きな食べ物を記載している。

まったくもって懲りない朝日! 韓国ごときの政治だから、鬱憤晴らしに、面白おかしく血液型政治家判断をやってやれ、多少は売り上げも伸びるだろう、とそんな魂胆が見え見えだ。

繰り返し批判してきたように、優生思想は朝日新聞の本性でありDNAである。今回は、たまたま両候補ともB型だから差は出ないが、もし別の血液型だったら、朝日新聞はどう申し開きをするのか?

B型候補が勝利してよかった、もしA型候補が勝っていたら、日韓関係はさらに悪化したに違いない――と、社説でそんな解説をするつもりなのか?

フクロウは叡智の象徴。ぜひ、「コブク郎」氏に、韓国大統領選と血液型との関係について、わかりやすく解説していただきたい。

121206
 ■韓国大統領候補の「本性」(朝日2012-12-6)

【参照】
▼肉体文学としての「ハシシタ 奴の本性」 2012/11/13
▼ゴシップで売る朝日と佐野眞一氏の名前 2012/10/23 
▼佐野氏の執筆責任放棄と朝日の表紙かくし 2012/10/22 
▼朝日と佐野氏の優生思想:「ハシシタ 奴の本性」の危険性 2012/10/21
▼血液型性格判断,朝日はB型 2011/08/14
▼天声人語の血液型性格論 2008/12/18
▼血液型優生学を粉砕せよ 2008/10/16
▼朝日の血液型優生学 2008/06/29
▼カースト差別より危険な血液型差別 2006/10/08
▼「血液型の記載,記事には不要」朝日新聞西部本社版 2006.10.8

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/06 at 13:11

カテゴリー: 政治, 人権

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朝日と佐野氏の優生思想:「ハシシタ 奴の本性」の危険性

朝日新聞出版は10月18日、『週刊朝日』10月26日号から開始した佐野眞一・週刊朝日取材班著「ハシシタ 奴の本性」の連載を中止する、と発表した。「同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました」(朝日新聞10月19日)ということが中止理由。


  ■『週刊朝日』表紙

1.品性下劣な文章
この記事「ハシシタ 奴の本性」は、ノンフィクション作家の手になるとは到底信じられないほど、品性下劣な文章だ。文章の専門家だから、わざと意識的に下品で乱暴な表現を使ったのだろうが、なぜか文章としては全くこなれていない。ましてや、これはフィクションではなく、取材に基づくドキュメンタリーだ。いくら橋下たたきの大向こう受けをねらったとしても、あまりにも度が過ぎ、幼稚だ。

佐野氏は、これは取材班2名の筆だと抗弁されるかもしれないが、2名はあくまでも取材協力者であり、記事の主たる筆者・責任者は佐野氏である。本文も、佐野氏が自ら書いているという前提で書かれている。

私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。」(21頁、強調追加)
「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下という人間そのものである。」(22頁、強調追加)
私はそんなことを考えながら、・・・・長時間インタビューした。」(22頁、強調追加)
私は死んだ之峯の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく中上健次の世界だな、と思った。」(23頁、強調追加)

このように、記事はあくまでも「私」である佐野氏が執筆しているのであり、第一の文責はいうまでもなく佐野氏にある。(編集責任はむろん週刊朝日編集長。)

しかし、もしそうであるなら、佐野氏のような実績のある作家が、どうしてこのような品性下劣な文章を書かれたのか、そこのところが全く理解できない。「ハシシタ 奴の本性」というタイトルからして、ヒネリも品もない。まるでネット放言レベルだ。

2.ナチス流優生学
佐野氏の文章は下品なだけでなく、危険でもある。それは、あえていうならば、ナチス流優生学により政治家を断罪しようとするものだからである。

たしかに、朝日新聞出版が謝罪したように、記事には同和地区を特定するような部分もあったが、それはむしろ派生的な問題である。核心はそこにではなく、橋下氏自身が鋭く指摘しているように、「先祖や縁戚、DNAをあげて過去を暴き出していく」佐野氏の手法,その「血脈主義につながる危険な思想」(朝日新聞10月19日)にこそある。通俗的な言葉でいえば、「親の因果が子に祟る(親の因果が子に報い)」といった,いまどき希有なアナクロ人間観だ。橋下氏の政治家としての評価がどうであれ、彼の反論は100パーセント正しい。

佐野氏はこう述べている。

「この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。・・・・敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、そのやっかいな性格の根にある橋下の本性である。/そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない。」(22頁、強調追加)

ここで使われている「本性」とは、「nature」ないし「human nature」のことである。「nature」は「自然」であり、したがって人為的ではない天与の「不変の本質」という意味である。

つまり、「人間の本性(human nature)」とは、本人の努力では如何ともしがたい、持って生まれたその人の「宿命」ということ。これは、大学教養課程で習う文明史・思想史の初歩であり、当然、佐野氏もよくご存じのはずである。佐野氏は、そのことがわかった上で、橋下氏の「本性(nature)」を解明すると宣言されたわけだ。

ここで、もう一度確認するなら、人間の「本性」は、「自然によって(by nature)」授けられた、「生まれながらの(by nature)」その人の本質である。もしそうだとするなら、佐野氏がいうように、橋下氏の「本性」は、そのルーツに、つまり血脈ないし血統にあるということになる。

こうした観点から,記事は、ご丁寧にも、詳細な「橋下家家系図」を掲載している。また、タイトル・キャプションは「佐野眞一氏と本誌は、彼の血脈をたどる取材を始めた」(18頁、強調追加)であり、『週刊朝日』表紙には「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」(強調追加)と大書されている。

こんな露骨な血統主義、人種主義は、最近、目にしたことがない。表紙見出しは佐野氏自身のものではないかもしれないが、「DNAをさかのぼり本性をあぶり出す」とは、非常識の極み、狂気の沙汰だ。DNAは要するに遺伝子。その「DNA」や「血脈」で、政治家の思想や信条が決定される! これは、ナチス流優生学といっても、決して過言ではあるまい。

佐野氏は、「橋下の手口は“ハシズム”と呼ばれるように、たしかにヒトラーに似ている」(21頁)と述べているが、表層ではなく、もっと根源的なところでヒットラー(ナチス)と似ているのは、むしろ佐野氏の方ではないだろうか。

3.朝日のDNA
朝日新聞社は、この佐野氏の連載記事について、朝日新聞出版は別会社であり編集権も別だから、朝日新聞社には直接的責任はない、という立場を取っている。

これは形式論理に過ぎず、世間の常識では認められないが、それにもまして深刻なのは、週刊朝日記事流にいうならば、優生思想は朝日全体をあまねく貫流する「DNA」である、ということだ。

このことについては、すでに幾度も批判し、少なくとも西部本社は、私の批判の正当性を認め、紙面に掲載してくれた(下記拙稿参照)。
 ▼血液型性格判断,朝日はB型 2011/08/14
 ▼天声人語の血液型性格論 2008/12/18
 ▼血液型優生学を粉砕せよ 2008/10/16
 ▼朝日の血液型優生学 2008/06/29
 ▼カースト差別より危険な血液型差別 2006/10/08
 ▼「血液型の記載,記事には不要」 朝日新聞西部本社版、2006.10.8

しかし、それにもかかわらず、朝日は、またしてもこのような事件を起こしてしまった。10月16日付朝刊には、この図のような過激な宣伝が掲載されている。そこには、なんと「橋下徹本人も知らない本性をあぶり出すため、血脈をたどった!」(強調追加)と大書されている。


  ■朝日新聞(10/16)掲載広告

本人も知らない本性をあぶり出すために血脈をたどる――それがいかに非人間的、反人権的な許されざることであるかは、自明のことだ。それなのに、平気で本紙に広告を掲載する。それこそ、朝日は、朝日自身も気づかないDNAによって,密かに操られているからに他ならない。

このように、朝日新聞は、優生思想のDNAを持っているため、優生思想については極めて鈍感だ。佐野氏の記事掲載は、連載中止ではすまされないほど重大であり、朝日新聞社は責任を取り『週刊朝日』を廃刊にすべきである。

それと同時に、朝日新聞自身も、自らのうちに、佐野氏記事の掲載に走るような、優生思想ないし人種主義あるいはDNAを持つことを、よくよく自覚すべきである。

もっとも、朝日新聞が「本人も知らない本性」を持っているとすれば、それは朝日新聞の努力をもってしては如何ともしがたい「宿命」と観念せざるをえないのではあろうが。

谷川昌幸(C)

良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節

谷川昌幸(C)

朝日新聞が変だ。血液型優生学に加担したり,海外派兵を扇動したり。気になったので,昨年末出版の『地球貢献国家と憲法』(朝日新聞社)を読んでみた。本書は,昨年話題になった社説21と関連記事の再録であり,そこでの議論については昨年すでに批判した

今回読んでみてビックリしたのは,若宮啓文・論説主幹の「はじめに」(2007年10月付)である。他の論説委員も目を通した朝日の社論であるはずなのに,これはヒドイ。遺憾ながら「変節」と言わざるをえない。

1.変説と変節
説を変えること,つまり「変説」自体は問題ではない。状況が変わったり,誤りを発見したときは,きちんと説明した上で,説を変える。それはジャーナリズムや学者の良心であり義務である。

これに対し,理由を説明せずに,あるいは不合理な理由で説を変えるのは,「節」を屈し枉げること,つまり「変節」である。『新明解』の明解な定義によると,「貧困やさまざまの圧力のために,それまでの自己の信条を保持することを心ならずも断念する」ということだ。

朝日の「良心的兵役拒否国家」から「地球貢献国家」への社説の変更は,残念ながら「変節」と言わざるをえない。

2.良心的兵役拒否国家の訴え(1995年5月3日)
本書「はじめに」の要約によれば,1995年5月3日の社説は次のようなものであった。

“憲法9条と自衛隊や安保の関係について,私たちの先輩たちは長く熟慮し,悩んできました。そして「戦後50年にあたる95年5月3日に社説特集を組み,一つの結論を得ました。「良心的兵役拒否国家」の考えで「非軍事こそ共生の道」と訴えたのです。
 国際協力は非軍事に徹する。9条の趣旨から自衛隊の目的はあくまで国土防衛に限られ,海外派遣は許されない。国連平和維持活動(PKO)には別組織をつくって派遣すべきだ。自衛隊は段階的に縮小し,やがて「国土防衛隊」(仮称)に改編する――そんな提言でした。” (
p.iv)

この要約は間違いではない。しかし,原文のニュアンスははるかに積極的で,社運をかける意気込みがひしひしと感じられる。冒頭部分はこうなっている。

“人類と地球を守るために日本は何をすべきか――敗戦五十年という節目の年を迎えるにあたって,朝日新聞はこの五年間,全社規模で討議を重ねてきた。憲法記念日のきょう,その成果を踏まえて執筆した社説と特集「国際協力と憲法」を掲げ,読者とともに考える素材としたい。
 ○益より害が大きい改憲
 私たちの結論は次の二点に集約される。(1)現憲法は依然としてその光を失っていない。改定には益よりもはるかに害が多く,反対である (2)日本は非軍事に徹する。国際協力にあたっては,軍事以外の分野で,各国に率先して積極的に取り組む。
 つまり非軍事・積極活動国家だ。国と個人の違いを承知のうえで,あえて比ゆ的に言うならば良心的兵役拒否国家,そんな国をめざそうというのである。
 個人の良心的兵役拒否は,米英仏などの先進諸国ですでに法的に認められている。徴兵制をとっているドイツも,基本法(憲法)で「何人も,その良心に反して,武器をもってする軍務を強制されてはならない」と定めている。こういう考え方を国家にあてはめてみてはどうだろうか。
 血を流すことが国際協力だと言う人は,これを利己的すぎると非難するだろう。個人の良心的兵役拒否も,長い間,批判され圧迫を受けてきた。だが,個人であれ国であれ,「殺すな」という信条を貫こうとすれば,これしか方法はあるまい。”(
1995年5月3日社説)

これは5年間の全社的討論の結論であり,朝日が「信条」として確認したものだ。これを読んだ読者の多くは,朝日は本気だと信じ,大いに意気に感じ,崇高な良心的兵役拒否国家への道を朝日と共に歩もうと決意したにちがいない。

3.海外派兵の事実追認
ところが,朝日は,自ら高く掲げたこの「良心的兵役拒否国家」の理念を実現するための努力らしい努力もせず,それに反する事実がでてくると,ズルズルそれを追認していく。本書「まえがき」はこう説明している。

“熱い思いに満ちた提言でしたが,それから12年,残念ながらそのようにはなりませんでした。いや,むしろ日本は反対の道を歩んできたともいえます。ならば,今日の国際状況や国民意識に照らして、もう一度説得力のある論を再構成して展開すること。それは私たちが問われていた課題でした。
 日々の社説では必要に応じて新たな主張を打ち出していました。例えばPKOです。カンボジアに最初のPKOを出して満10年を迎えた02年9月,社説は「もはやPKOを自衛隊の本務にし,そのための専門部隊を設けよう」と,方向転換を明確にしていました。
 もちろん現状追認ばかりではありません。米国が始めたイラク戦争に強く反対した私たちは,戦火のやまぬイラクヘの白衛隊派遣にも反対の論陣を張りました。では,自衛隊は何をすべきで,何をすべきでないのか,私たちの考えを整理して打ち出す必要を感じていたのです。” (
p.iv-v, 赤字強調は引用者,以下同様)

これは変説の「ごまかし」と「いいわけ」でしかない。朝日の本気を信じた何百万もの読者への背信行為とさえいっても言い過ぎではあるまい。

4.前提条件は変化していない
変説が必要なのは,先述のように,誤りが見つかったときと,説の前提条件が変化したときである。

本書「まえがき」は,良心的兵役拒否国家の提言に誤りがあったとは一言も言っていない。したがって,わずか12年後の現在,自らそれを否定する理由は,説の前提となる状況が変化したという理由だけである。

しかし,朝日が良心的兵役拒否国家を訴えた12年前と現在とで,世界全体の構造は基本的には変わっていない。1991年のソ連崩壊で冷戦は名実ともに終わり,グローバル資本主義への流れは1995年にはもう明確となり,基本的にはそれが現在も継続しているのだ。世界平和を考えるための基本的前提条件は,当時と本質的には変わっていない。それでは,なぜ朝日は説を変えたのか?

5.現状追認
朝日の変説の理由は,日本の「現状追認」だけである。先の引用文を見ていただきたい。「日本は[提言とは]反対の道を歩んできた」から,朝日もそれに社説を合わせ「方向転換」したのである。赤字で強調した「ならば」のここでの違和感が,これが現状追認による変説であることを何よりも雄弁に物語っている。

また,1995年提案のわずか7年後に,「もはやPKOを自衛隊の本務にし,そのための専門部隊を設けよう」と言い放ち,平然としていられるのも,現状追認の変節による変説だからである。

1995年以降,世界の基本構造は変わっていない。また,日本政府の海外派兵政策も,すでに1992年にPKO法が成立しており,その強化はあっても,根本的な方針それ自体の変更はない。95年朝日社説はそれらを前提として書かれており,たとえPKF本体業務参加凍結解除(2001年)などがあったとしても,それは変説の合理的根拠たりえない。PKO法が成立すればそうなるであろうことは当然予測されていた。朝日も,そう予測したからこそ,それを阻止するために良心的兵役拒否国家を提唱したはずだ。それなのに,日本が提言とは「反対の道」を歩み派兵政策が既成事実化したという理由で,朝日はそれを追認し,政府に追従する。これはもはやジャーナリズムとはいえない。それは「変節」であり,無節操な現状追認,ジャーナリズムの御用化だ。

本書「はじめに」は「もちろん現状追認ばかりではありません」と述べ,図らずも現状追認を自ら白状することになっている。さすが朝日,正直である。が,正直に告白したからといって,ジャーナリズムにおける現状追認の罪が許されるわけではない。

6.現実主義の陥穽
朝日が「方向転換」や「現状追認」を自ら告白し,海外派兵路線に転換して平然としていられるのは,丸山真男がいう「現実主義の陥穽」にはまってしまったからである。

“現実とは本来一面において与えられたものであると同時に,他面で日々造られて行くものなのですが,普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは,既成事実に屈伏せよということにほかなりません。現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき,それは容易に諦観に転化します。「現実だから仕方がない」というふうに,現実はいつも,「仕方のない」過去なのです。私はかつてこうした思考様式がいかに広く戦前戦時の指導者層に喰入り,それがいよいよ日本の「現実」をのっぴきならない泥沼に追い込んだかを分析したことがありますが,他方においてファシズムに対する抵抗力を内側から崩して行ったのもまさにこうした「現実」観ではなかったでしょうか。「国体」という現実,軍部という現実,統帥権という現実,満洲国という現実,国際連盟脱退という現実,日華事変という現実,日独伊軍事同盟という現実,大政翼賛会という現実――そうして最後には太平洋戦争という現実,それらが一つ一つ動きのとれない所与性として私達の観念にのしかかり,私達の自由なイマジネーションと行動を圧殺して行ったのはついこの間のことです。”(『丸山集』第5巻,p194-195,原文傍点部分は太字とした。)

朝日には,かつて丸山学派がたくさんいた。もし彼らがまだ朝日社内で健在であり,師の教えを忘れていなければ,自ら平然と「現状追認」を認め,おめおめと「既成事実に屈服」していられるはずがない。わずか12年,この間に朝日社内で静かなクーデターか何かが起こったのではないか?

7.地球貢献国家の論理矛盾
それでも,「地球貢献国家」の提言が理論的,政策的に検討に値するものなら,まだ救いもあるが,実際にはそれは決してそのような代物ではない。

“「戦争放棄」を掲げ,軍隊をもたないことを宣言した憲法9条は,日本の野心のなさを印象づけています。それは「地球貢献国家」にとって格好の資産。だから9条は変えず,日本の平和ブランドとして活用する方がよいし。アジアで和解を進めつつ緩やかな共同体づくりをめざすにも,あるいは独自のイスラム外交を展開するにも,この憲法を日本のソフトパワーの象徴として生かす方が戦略的ではないか。それが結論でした。
 自衛隊を否定的にとらえたわけではありません。自衛隊は万一のとき役立つ存在として,半世紀以上かけて日本社会に定着した組織です。そして,実は「地球貢献」のため,いま以上に果たせる役割もあるのではないか。
 米国の同盟軍として海外派遣の道を突き進むのではなく,地球の未来を危うくするような破綻国家を世界につくらぬよう,国連が主導する平和構築活動にもう少し積極的に加わるのです。内戦や飢餓で破綻した国の存在は,テロや戦争だけでなく麻薬や感染症などの恐怖を広げる元凶にもなります。その防止もまた「地球貢献」の重要な一環であり,「人間の安全保障」につながるこうした活動は,憲法前文に掲げた精神とも合致するからです。 そして憲法と自衛隊の間にある溝を埋め,自衛隊の存在と役割を明確にするために,準憲法的な「平和安全保障基本法」を制定してはどうか。このように,従来の朝日新聞になかった提言ををしてみました。”(
p.iv)

支離滅裂ではないか。まず朝日は,憲法と自衛隊との間に「溝」がある,つまり自衛隊は憲法違反だ,と認めている。そして,その上で,準憲法的な「平和安全保障基本法」を制定し,その違憲の自衛隊の存在を正当化すべきだという。これを「ごまかし」といわずして何と言おうか。それは「既成事実への屈服」にほかならない。

こんなごまかし憲法論なら,ライバルの読売「憲法改正試案」(1994)の方がはるかにましだ。読売は,自衛隊を合憲としつつも,憲法規定の曖昧さを認め,それを解消するための憲法改正を主張している。「第12条(1)日本国は,自らの平和と独立を守り,その安全を保つため,自衛のための軍隊を持つことが出来る。」正々堂々たる改憲論であり,軍隊保有に論理矛盾はなく,スッキリしている(『憲法 21世紀に向けて』読売新聞社,1994)。

海外からすれば,不安なのは,論理矛盾がなく合理的に理解し反論できる読売案よりも,むしろ既成事実に屈服しつつ変節し変説する朝日ごまかし憲法論だ。

朝日は,一方で「戦争放棄を掲げ、軍隊をもたないことを宣言した憲法9条」と言いつつも,他方では「自衛隊を否定的にとらえたわけではありません」という。軍隊を持たないといいつつも,「自衛隊は万一のとき役立つ存在として、半世紀以上かけて日本社会に定着した組織です」とか「いま以上に果たせる役割もある」といっている。

朝日は,そんな頭隠して尻隠さずの憲法論により,9条を「平和ブランド」として活用せよという。

8.危険な平和偽装
朝日は諸外国をなめているのではないか? こんな見え見えのごまかし9条論が「平和ブランド」として通用すると考えるのは,まったくもって脳天気だ。このような人をバカにしたような9条論を聞かされたら,諸外国は「なめんじゃない!」と怒り,何か下心があるに違いないと警戒するに決まっている。

朝日は,トンデモナイ思い違いをしている。9条が「日本の野心のなさを印象づけて」きたのは,曲がりなりにも,9条が日本の軍事化を抑制してきたからだ。9条に依拠して多くの人々が日本の軍事化に抵抗してきたからこそ,9条は「平和ブランド」たりえたのだ。

それなのに,朝日は,額縁だけ残して中身を入れ替え,「平和ブランド」で売ろうとしている。羊頭狗肉,食品偽装ならぬ平和偽装だ。

こんな平和偽装にだまされるほど,世界は甘くない。朝日は「地球貢献国家」を撤回し,「良心的兵役拒否国家」に立ち戻るべきだろう。

Written by Tanigawa

2008/07/13 at 20:01

海外派兵を煽る朝日社説

谷川昌幸(C)

朝日新聞の憲法記念日特集「社説21」を読むと,座標軸なき朝日が時流に流され,とうとう海外派兵推進派になってしまったことがよく分かる。朝日自身にその自覚はないだろうが,「時代に乗り遅れるな」の体質は,国民総動員が時流になった頃と少しも変わっていないようだ。

アントニオ・ネグリがいうように,グローバル帝国の成立により,戦争の目的は国家の「防衛」からグローバル秩序の「安全(セキュリティ)」に変わった。政治は「別の手段を持ってする戦争」となり,軍隊がその政治=戦争のために動員される。軍人は,あるときは建設業者,あるときは役人,あるときは警官となって世界のセキュリティのために働き,そしてイザとなれば本職の軍人に戻って武器を取る。

この軍人の全活動がグローバル化時代の戦争であり,換言すれば,戦争は日常化,常態化され,そこに軍人が文民とともに参加することになった。たとえば,「貧困との戦い」であれば,これを「戦争」と見るなら,そこに軍人が参加するのは当然であり,また戦争だから,必要なときには人権も民主主義も停止され,イザとなれば,軍人は本領を発揮し武力行使をする。軍隊の目的が「防衛」(攻撃撃退)から「安全」(秩序建設維持)に変わったのだ。

従来の戦争は,国家間戦争であり,基本的には非日常的,例外的なものであり,国際法上,攻撃に対する「防衛」としてのみ認められていた。本質的に消極的(negative)な暴力行使だ。そして,この防衛戦争は,例外状態だから,それを前提条件に,人権や民主主義の停止も一時的なものとして認められていた。攻撃から憲法を守るために一時的に憲法を停止するという「例外状態」(ドイツ法)の法理だ。

ところが,「安全」のための戦争は,そうではない。「貧困との戦い(貧困からの安全)」「病気との戦い(病気からの安全)」「テロとの戦い(テロからの安全)」を見よ。それらの戦いは不断に戦われ,永続し,そこでは積極的な先制攻撃も許され(求められ),そして必要な場合には人権も民主主義も停止される(米対テロ戦争など)。軍事と非軍事の区別もなくなり,軍民一体,軍民共同活動として,この戦争は戦われる。戦争の日常化,常態化だ。

この「安全」のための国際貢献(平和貢献)が,2006年末の自衛隊法改定により,自衛隊の本来任務(本職)となった。自衛隊は,外国の侵略から日本を防衛するための「自衛」隊から,世界の「安全」保障のために積極的に介入し戦う軍隊に変質したのだ。

これは,日本政府が推進する「人間の安全保障」の基本方針でもある。「人間の安全保障」は,元来,軍民一体型安全保障であり,政府はこれをテコに自衛隊を世界展開させ,大軍拡をしようと目論んできた。

「人間の安全保障」には二面性がある。一方で,それは,人間の生活の安全を総合的に保障するという正当な目的をもっている。ODAや民間援助により生活の向上を図り,世界中の人々に健康で文化的な最低限度の生活を保障する。これは崇高な目標であり,反対する人はいない。そして,現に政府や民間の多くの人々や機関が,日夜,そのために努力している。

しかし他方で,「人間の安全保障」は軍隊関与を認めている。だが,非軍事的開発援助に軍隊が関与することには根本的な問題がある。軍隊関与は,軍民分離の原則を否定し,開発援助を軍事化することになってしまう。

軍民分離の原則がなくなれば,危険になるのは軍隊よりもむしろ非軍事的援助機関である。開発援助は,本来,非軍事的であるべきものだ。「人間の安全保障」を名目とした軍隊の開発援助介入は,断じて許されない。

さて,この観点から,朝日新聞の「社説21」を読むとどうなるか。「世界のための『世話役』になる」「地球貢献国家」。大見出しはよい。誰もこれに反対はしない。

ところが,各論にはいると,とたんに変になる。「日米同盟を使いこなす。しなやかな発想」。少し前まで,軍事同盟を意味する「日米同盟」は禁句だったはず。それなのに左翼の朝日が巨大活字で臆面もなくアピールしている。これは「しなやか」ではなく,無原則。大政翼賛会的発想だ。そして,いよいよ核心に入る。


15 自衛隊の海外派遣
●自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる
●平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する
●多国籍軍については,安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則
 ・・・・01年に同法(PKO協力法)は改正され,凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視,緩衝地帯での駐留,巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが,今後は協力していくのが適切だろう。・・・・
 ・・・・将来的には現在のPKO法では認めていない,国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。・・・・
 ・・・・(戦闘中の多国籍軍への参加は)①誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり,②明確な国連安保理決議に基づいて,国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され,③事案の性格上,日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある,といった要件をすべて満たす,極めてまれな場合でしかない。

16 人間の安全保障
●国連・平和構築委員会の中軸国となる
●「法の支配」定着への支援をお家芸にする
●ODAを大幅に増やす

 ・・・・自衛隊の海外派遣についての社説15で記したように,平和構築は世界の弱点をなくしていくために不可欠な政策である。
 ・・・・日本が平和構築委のまとめ役で力を発揮していけば,安保理に一定の発言権を確保することも可能だ。ここで実績を積むことで,日本は「常任理事国」でなくても,いつも安保理に必要とされ,頼られる国になれるだろう。そこを足場に,将来の安保理改革を唱えればいい。

(以上,5月3日付朝日新聞より引用)


以上の引用から明白なように,朝日新聞は,結局,自衛隊の海外派遣を煽り,しかも戦闘中の多国籍軍にも参加せよ,といっている。文面では「不参加が原則」と限定しているが,「原則」とはお役所言葉であり,これは実際には「参加してもよい」ということを意味する。そんなことは,用語集まで出している朝日新聞の社内では常識だろう。

また,「人間の安全保障」への軍事的・非軍事的貢献が,安保理常任理事国になるための手段であることも,朝日はあからさまに認めている。自衛隊の平和貢献,要するに国民の金と自衛隊員の生命により安保理のイスを買う。途上国援助は,日本国益のためのダシにすぎない。途上国の人々が読んだら侮辱されたと感じるに違いないような国益第一主義を,朝日もとっている。

いささか厳しすぎるかもしれないが,しかし朝日「社説21」は明らかに時流迎合である。朝日が率先して自衛隊の海外派兵を煽り立てれば,自衛隊はますます肥大化し,モンスターとなり,制御できなくなる。アメリカの命令や財界の要請で世界中の紛争に関与し,泥沼に入り,戦死者を出し,そして,結局はそれに対する批判の弾圧に向かう。日本の21世紀型軍国化だ。

軍隊に増殖の名目を与えてはならない。それが,どんなに美しかろうと。

Written by Tanigawa

2007/05/04 at 13:06