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桜の宝塚
7日の日曜は,絶好の花見日和。最近は身内の介護で遠出できないので,自転車で近くの桜を見に行ってきた。
今年の桜は,完璧な一斉開花。美しいというよりは,たじろぎ,息をのむほどの生命力の噴出発現。その一気に咲いた無数の花々を見ると,いやでも散り際の潔さ,美事さを思わずにはいられない。
桜は,厳しい冬を耐え忍び,本格的な春の到来を待ち望む日本人の心情に,たしかに最も自然に,最も力強く訴えかける日本の花である。それだけに,利用価値も,むろん絶大だったのだが・・・・。(参照:花の宝塚とゼロ戦と特攻顕彰碑)
谷川昌幸(C)
宝塚の桜
宝塚の桜は,4月9~10日が満開。あいにくの小雨,曇天だったが,電力補助自転車(*1)で,ちょっと回り道し見てきた。
最も風情があるのは,山麓古道沿いの古木並木の桜。宣伝されないので近所の人しか来ないが,実に美事。花見客に見られ囃され誉めそやされることなく,それでも古道を包み隠さんばかりに咲き盛る桜は,この上なく華やかで,そして切ない。生のはかなさ,死の予感さえ抱かせる。たしかに日本人好み。死の美化にさんざん利用されてきたのも,もっともだ。
これと対照的なのが,宝塚歌劇場付近の桜。美しくはあるが,古道沿いの桜のような切なさ,哀愁は感じさせない。観光用の見世物であり,だから写真にとっても,魂を抜かれたり,祟られたりすることはない。
(*1)蓄電池使用の電力補助自転車は優れもの。急坂でも難なく登れる。ただブレーキ制動力が弱く,速度を出すと危険。賠償保険加入を義務付けるべきだ。性能向上は革命的であり,電力補助98%といった高性能自転車も出るだろうが,これは自転車?
谷川昌幸(C)
制憲議会選挙2013(23):パタン南方の桜と中国日報
11月24日,パタン南方のティカ・バイラブに行ってみた。キルティプルからパタン経由,タクシーで1時間近くかかる山麓の小村だが,テチョ,チャパガオン方面からの市街地開発はすぐ近くにまで及び,山腹には自動車道も出来ていた。数年で,道路沿いは商店や住居で埋め尽くされるだろう。テチョ,チャパガオンまでは,すでに前日(23日),行っているが,少なくとも道路沿いは無秩序な新築建築物で埋め尽くされ,車も多く,あまり感心しなかった。
24日にティカ・バイラブに行ったのは,一つ西の丘,コカナ,ブンガマティ経由。こちらは車も少なく,道路沿いには緑が多く,美しい。往きはタクシーだったが,帰りはチャミ付近で下車し,丘の上の道をパタンに向け歩いて戻った。舗装道路だが,車はたまに通るだけ。菜の花(からし菜?),マリーゴールド,ラルパテなど,花々が咲き乱れている。
そして,圧巻はなんと言っても,桜。ちょうど満開で,いたるところに咲いている。特に西側斜面に多く,まるでネパールの吉野。自然林なのか植林なのか分からないが,一面,桜の小高い丘もあった。
この付近の桜は,色は白に近いものから濃い桃色まで,花は一重からから八重に見えるものまである。ソメイヨシノそっくりの桜もあった。しかも,花持ちがよく,長く咲いている。もう少し増やせば,桜大好き日本人が大挙押し寄せるにちがいない。
■農民と桜(チャミ)/チョウタラ・農民・菜の花(チャミ)/カンナと桜(コカナ)
そんな野山の花々を愛でながらしばらく歩くと,道ばたに小さな茶店があったので,一服した。ネパール茶一杯10ルピー(10円)。茶を飲みながら,ふと見ると,なんと「中国日報英語版」がおいてあった。パタン郊外とはいえ,かなり遠い山村の地元民しか立ち寄りそうにない小さな茶店に,どうして「中国日報」がおいてあるのだろう?
村の茶店が「中国日報」を販売しているとは思えない。おそらく,誰かがカトマンズかパタンから持ち込み,茶店においていったのだろう。が,そうだとしても,こんな田舎にまで「中国の進出」が及んでいるとは,正直,驚いた。
茶店から丘の上の道を少し歩き,チュニッケル付近から踏み分け道を西に降り,中腹の小道に出て,それをブンガマティまで歩いた。この付近は,よそ者が少ないとみえ,昼間でも犬が吠えかかり,かなり危険。それさえ用心すれば,静かで,花々が咲き乱れる絶好の散歩道。次は,この道をもう少し奥までたどってみたい思っている。
ブンガマティは,昨年,来たことがあるので,ざっと見て回るにとどめ,村道をさらにコカナまで歩いた。コカナは,村開発委員会(VDC)が外人入域料50ルピーを徴収するようになっていた。
24日,見て歩いたパタン南方郊外では,コングレスの旗やビラが他党よりも多かった。たとえば,コカナには下図のような“コングレスの門”が造られていた。おそらく,この付近の共同体はコングレス支持なのだろう。ネパール国民の投票行動は,このような現実をも踏まえ,理解すべきであろう。
谷川昌幸(C)
桜満開の校庭で籾干し:パンガ
17日もティハール休みの続き。午前、ホテル屋上でヒマラヤ連山を見ながらひなたぼっこ。午後2時頃から丘を下り、パンガ、イェチョー方面に散策に出た。道草をしながら、イェチョーまで40分くらい。
キルティプールのパンガへの岐路のところに電気屋さんがあった。看板はサムスン、そして驚いたことに店頭山積みのテレビはネパール製。ムスタン車ばかりかテレビまでネパールで作るようになったのだ。プラチャンダのルンビニ開発が始まれば、タライ工業地帯製の家電が日本にどっと輸入されるようになるかもしれない。
パンガは、キルティプールのすぐ隣、古い家屋が残り、なかなか趣のある村(町)だ。家の戸口に絵付きの大きな瓶が置いてあるのも優雅だ。
このパンガの入口に、こんな宣伝が出ているのに気づいた。下はコーラの宣伝、中間にネパール新年(ヒンドゥー教/仏教)広告、上にキリスト教会(福音派?)の呼びかけ。左下には今時のネパール女性、その奥には仏教かヒンドゥーの神像。これは意味深だ。
かつては宣教師が真っ先にやってきたが、資本主義社会になるとコーラが一番乗り、続いてキリスト教という順になる。コーラを飲めばアメリカが恋しくなり、そうなればキリスト教の出番というわけだ。俗に言うコーラ帝国主義。この展開はマオイストが敏感に感じ取り、闘争初期には米帝の先兵コーラの工場を標的にし、いくつかを実際に破壊した。しかし、いまではマオイストが率先してコーラを飲んでいる。ということは、キリスト教導入もマオイスト先導ということになるかもしれない。
それはともあれ、パンガ村の外れには立派な「ジャナセワ高校」があり、その校庭では近所総出で籾干しをやっていた。桜が校庭の南西角に植えてあり、いままさに満開。上方北にはランタンの高峰。これは壮観だ。
さらに先に進み、イェチョー付近にくると、チョバールの丘やヒマラヤの山々が別の角度から見えるようになる。平地で、近景に家屋、花、バナナ、人物などが入るので、高度感は丘の上よりも格段に大きい。「ヒマラヤは高い」を感じたければ、低い平地に下りるに限る。素人の安物カメラの手持ち撮影でも、この程度の迫力は出せるのだから、やはりヒマラヤはすごい。ただし、こりすぎると絵に描いたような写真になってしまう。
イェチョーには桜もある。農家、牛、秋桜と並ぶと異国情緒たっぷり。こちらも楽しめる。
谷川昌幸(C)
煉瓦と桜のキルティプール
キルティプール名物には、赤煉瓦と桜もある。日本人観光客には、この二つだけでもキルティプールは見物に値する。
1.赤煉瓦の伝統と文化
思い込みといわれるとそれまでだが、赤煉瓦には伝統と文化が感じられる。たとえば、同じ本でも、モダンな近現代建築の図書館にあると軽薄な感じがするのに対し、赤煉瓦図書館だと重厚な感じとなる。
キルティプールには、その赤煉瓦が多い。建物ばかりか道路も、たしかに石畳やセメントが増えてはきたが、まだまだ赤煉瓦敷きの部分が多い。この村に伝統と文化、深さと重さが感じられるのは、それ故である。
煉瓦には、製造所ですら、特有の文化の香りがする。キルティプールの南西郊外には、相当数の煉瓦製造所があり、現在も稼働中だ。
その佇まいが実によい。文化的だ。工場というより工房の趣がある。いずれもかなり大規模な製造所だが、田舎の風景にとけ込み、絵となっている。特に、「秋霞」たなびく菜の花畑と、よくマッチする。
2.桜の哀愁
キルティプールは、また桜の名所でもある。丘には少ないが、ちょっと郊外に出ると、かなり見られる。菜の花が秋に咲き、霞が秋にたなびくように、ここでは桜も秋に咲く(春咲きもあるだろうが)。
11月16日はまだティハール休み。午後、キルティプールの丘を南に下り、ナガウンからバッケパティ方面へ散歩に行った。道草をしながら約30分。この道路は新設らしく、直線のアスファルト。つまり、煉瓦の正反対。伝統も文化も不在で、歩いても疲れるだけだ。
また、道の両側の家も、新しいものが大半で、モルタル塗り。しかも、ピンクや青やら、やたらケバケバしい。ピンクは煉瓦色に近いと思われようが、モルタルのピンクは軽薄、煉瓦の落ち着きとは比較にならない。
というわけで、バッケパティまでは無味乾燥なアスファルト直線道路なのだが、バッケパティのバス停で道路を外れ、山麓方面に向かう田畑の中の小道を少し行くと、山麓に桜が咲いている。野生なのか植えられたものかはわからないが、かなりある。田畑や小道沿いにはマリーゴールド、菜の花、ラルパテ、カンナ、そして名も知らぬ青や白や黄色の花々も満開だ。まさしく百花斉放。
このように、キルティプールの丘や郊外の桜も満開だと華やかではあるが、なぜか一種の悲哀も感じる。とくに、稲刈り風景の中の桜には、哀愁を感じざるをえない。これは日本人特有の感傷なのであろうか? 地元の人々に尋ねてみたいと思う。
[追記]古き良きネパール
バッケパティのチョータラの前の茶店で紅茶(ミルクティ)を飲んだら、10ルピー(9円)だった。椅子を店の前に持ち出し、ボケーと風景や道行く人々を眺めていたので、チップをおこうとしたが、受け取ってもらえなかった。また、帰りに小型路線バスに乗ると、少年車掌さんがわざわざ席をつくり座らせてくれた。30分も歩けば、期待通りの「古き良きネパール」を体験することができる。
谷川昌幸(C)
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