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大統領の政治利用と権威失墜
バンダリ大統領が12月16日,UDMF(統一民主マデシ戦線)の反対を押し切り,強引にジャナクプルを訪れ,ジャナキ寺院を参拝したため,大混乱となり,大統領としての権威を大きく損なうことになってしまった。(大統領はヘリでカトマンズ‐ジャナクプル往復。)
ネパール憲法(2015年9月20日公布施行)は,大統領について,次のように定めている。
・大統領(रास्ट्रपति)は,ネパールの国家元首(राष्ट्राध्यक्ष)。
・大統領には,憲法の「遵守・擁護(पालन र संरक्षण)」義務がある。
・大統領は,「国家統一(राष्ट्रिय एकता)」を促進。
・大統領は,原則として内閣の同意と勧告に基づき行為する。
・大統領は,連邦議会議員(および州議会成立後はその議員)から構成される選挙人団により選出。
・大統領の任期は5年。
ネパールの大統領は,国家元首としての「権威」は持つが,実質的な「権力」の行使はできない。いわゆる儀式的大統領制である。
ところが,その大統領が12月16日,地元住民の反対を無視し,ジャナクプルのジャナキ寺院訪問を強行した。お伴は,R.チェットり軍総監,GD.ヤダブ副議長,RK.スッバ土地改革相,K.ヤダブ議員(NC)ら。警備には,国軍,武装警察,警察,中央調査局などが大量動員された。
この大統領の国民統合の象徴らしからぬ振る舞いに対し,UDMFや地元住民は烈火のごとく怒った。主な理由は,以下の通り。
(1)政府要人,憲法賛成署名議員らのジャナクプル訪問には絶対反対を宣言していた。
(2)寡婦の寺院参拝は不浄として禁止されている。(大統領の夫は故マダン・バンダリ)
(3)犬が近づいた花を献花した。(治安要員が警備犬多数を寺院内に入れていた。)
(4)治安要員が革靴を履いたまま寺院内に入った。
大統領一行は,黒旗の抗議を受け,火炎瓶や石を投げつけられた。ジャナキ寺院付近は治安部隊との衝突で大混乱に陥り,インド人参拝者を含む数十人(60名以上?)が負傷した。
このジャナクプル事件につき,オリ内閣のパンディ大臣が12月20日,反政府派の「無秩序で乱暴な行為」を非難した。「国民統一の象徴にして憲法の擁護者たる大統領に対するそのような誤った行為は,国家全体,民主主義,共和制に対する攻撃である。」(*7)
さらにオリ首相自身も,「犯人たちを法の裁きに服させるためのあらゆる手段をとる。だれであれ,信仰を理由に攻撃されてはならず,大統領の信仰も非難攻撃されてはならない」と,一段と強い調子で宣言した(*1)。
しかし,このマデシ非難は,いささか政治的に過ぎる。そもそも,国民統合の象徴としての大統領を,地元の激しい反対運動を無視して派遣したのは,「同意と勧告」を与える内閣である(内閣の明示の意思表示がなくとも,あったものと理解されねばならない。)内閣は「権威」とは区別されるべき「権力」を行使するのであり,したがって「権威」を担う大統領のこのような露骨な「政治的利用」は厳に避けるべきである。
政治において権威と権力を分離するのは,本質的に弱く邪悪な人間が,自らの限界を自覚しているからである。それは人間の政治的慎慮(prudence)といってもよい。
歴史的にみると,権威の源泉ないし根拠は,多くの場合,血統,すなわち王制や天皇制であった。これは神話的・神秘的であり不合理だが,それゆえ権威への人為的恣意的介入を許さず,かえって強力であった。弱い人間からなる政治共同体の統合の権威的象徴としては,よくできている。これとは対照的に,民主的大統領制には,そのような人為的介入を許さない神話的・神秘的な権威の根拠がない。民主的大統領制は,成熟した強い自律的市民の存在を前提としており,その運用は権威的王制よりもはるかに難しいといわざるをえない。
もしそうだとするならば,世界で最も民主的な共和制憲法を制定したネパールであればこそ,大統領の権威をよくよく尊重し,その政治的利用は厳に慎まなければならない,ということになるであろう。
■オリ首相
【参照】
*1 Christopher Sharma,”Nepal’s tribal block President from entering Hindu temple: She is a widow,” Asia News, 12/24/2015
*2 “Morcha announces fresh protests,” Nepali Times, December 18th, 2015
*3 “UDMF ‘CLEANSES’JANAKI TEMPLE AFTER WORSHIP BY ‘WIDOW PREZ’,” Republica,18 Dec 2015
*4 SURESH YADAV,”PROTEST AGAINST PREZ BHANDARI’S VISIT DISRUPTS RAM JANAKI MAHOTSAV,” Republica, 16 Dec 2015
*5 “Madhesis target President,” Nepali Times, December 16th, 2015
*6 “Protests, clashes mar President’s Janakpur visit,” The Himalayan Times, December 17, 2015
*7 “Govt endorses three-point roadmap,” The Himalayan Times, December 21, 2015
谷川昌幸(C)
日ネ首相の権力欲
ネパールのカナル首相と日本の菅首相が,ますますあい似通い,政治家らしくなってきた。
[1]
カナル首相(UML)は,党内基盤が弱く,最大政党マオイストの要求を丸呑みして支持を取り付け首相に選出された。当初は,マオイストの操り人形と酷評され,短命と見られていた。5月28日の制憲議会(CA)任期切れに際しても,「挙国政府のめどがついたら」辞任すると約束し,かろうじて任期を3ヶ月延長することが出来たにすぎない。
カナル政権はもともと弱体であり,辞任まで約束したので,与党UMLも野党コングレス党(NC)もカナルはすぐ辞めるだろうと期待していた。ところが,どっこい,カナル首相は「挙国政府のめど」を口実に,いつまでも辞めない。どうして彼は権力をいつまでも維持し続けることが出来るのか?
一つには,カナル首相がマオイストの本音を鋭く見抜いているということ。CA解散・選挙になれば,マオイストは,現有議席からの大幅減は避けられない。苦しい人民戦争を戦い,ようやく手にした議員の地位と諸特権がすべて失われてしまう――これがマオイスト議員たちの偽らざる本音であろう。
カナル首相は,マオイスト議員たちのこの保身心理を見透かし,マオイストに対する自分の立場を徐々に強化しつつあるように思われる。もはや,操り人形とはいえない。
また他方では,最大野党のNCも,口だけは勇ましいが,実際には党内派閥抗争で政権打倒どころではない。抜きんでた有力な首相候補も見あたらない。
カナル首相は,与野党のこのような実情を見抜き,巧妙に政権を維持し強化してきた。なかなか,したたか。政治家らしくなってきた。
[2]
このカナル首相とよく似てきたのが,菅首相。こちらも,辞任をほのめかしながら,一向に辞めようとはしない。
菅首相は,民主党が解散を何よりも怖れていることをよく知っている。解散・総選挙になれば,民主党議員の相当数が再選されず,おいしい議員諸特権を失ってしまう。保身が先に立ち,解散が怖くて,菅首相を辞めさせられないのだ。
一方,野党自民党も内輪もめばかりで,これといった有力首相候補はいない。ちまたでは,小泉純一郎氏か,小泉ジュニアかなどといったジョーク半分,本気半分の床屋政談が流布する有様だ。
菅首相は,民主党や自民党のこの内実を見抜き,政権維持を図っている。
しかも,菅首相には,脱原発の風が吹き始めた。この風をうまくとらえることが出来れば,政権は再浮上,菅首相の人気もうなぎ登りとなり,21世紀初期の名宰相として歴史に名を残すことさえ夢ではなくなってきた。
[3]
政治家にとって,権力欲は本性だ。菅首相が本物の政治家なら,「政権に恋々」とか「権力にしがみつく」とかいって攻撃されても,蛙の面に水,まったくこたえないだろう。いやそれどころか,むしろ内心では「よくぞいってくれた」と奮い立ち,さらに権力欲を募らせることにさえなるだろう。
政治家にとって権力欲は本性だから,菅首相が権力に恋々としようが,政権にしがみつこうが,それは問題ではない。われわれ人民にとって,いま冷静に考えるべきは,菅首相を辞めさせれば,それは原発維持を願う政財界体制派の思うつぼ,決して現在および未来の人民の利益にはならないということである。
[4]
要するに,いまの「世論」は人々の自然な意見ではないということ。実際には,政財官学エスタブリッシュメントがメディアを総動員して世論をねつ造し,菅おろしを図っているのだ。玄海原発やらせメール事件では,「九電が組織ぐるみで世論を操作していた実態」が明らかになった(毎日7月15日)。しかし,これはあまりにも稚拙,小規模だったため発覚したにすぎない。菅おろし世論はスケールがちがう。いまの「菅おろし」世論は,日本中の政官財学があうんの呼吸で一体となってメディアを使い,合唱させ,巧妙に創り上げたものである。人民は,その空気の中にいてその空気を吸っているので,それが人為的・意図的に創られたものであることに気づかないのだ。
われわれ人民は,たとえば仮にドイツの空気の中に立ってみて,自分たちがいまどのような空気を吸っているかを反省してみるべきだ。そうすれば,いま菅首相を辞めさせるよりも,むしろ菅首相をおだて,もっともっと「政権にしがみつかせ」,その権力欲を利用して,脱原発の大事業を達成させてやるほうが,人民の利益になることが分かるであろう。
そして,もしめでたく脱原発への方向転換が実現されたあかつきには,菅首相には大勲位の名誉を授与する。政治家のもう一つの本性は名誉欲だから。大勲位が始めた原発に,大勲位が幕を引く。これこそ,歴史の弁証法的発展である。
谷川昌幸(C)
マオイストとブラジャー:権力欲と性欲とメディア
ネパールのメディアは,一面,面白い。実験的といってよい。たとえば,これはネパールニューズコムのトップページ――
画面上部は,マオイストがカナル首相(UML)の続投を支持したという政治記事。6月4日,マオイスト指導者たち(プラチャンダ議長,バブラム・バタライ副議長,モハン・バイダ副議長,ナラヤンカジ・シュレスタ書記長)が首相官邸を訪れ,カナル首相に「挙国政府具体化まで辞めなくてもよい」と進言した。カナル首相にも早期退陣の考えはない。
日本とは好対照。菅首相は,せっかく玉虫色妥協で不信任案否決を勝ち取ったにもかかわらず,すぐ腰砕け,6月4日には,早期(8月頃)退陣を表明してしまった。なんたる淡泊さか。
ネパールでは,こうはならない。マオイストの三巨頭は犬猿の仲であり,内紛が絶えないが,イザとなると結束し権力保持・拡大に当たる。カナル首相もそれをうまく利用し,政権の延命を図る。権力欲が政治家の本性だとすると,ネパールの政治家の方が,日本の政治家よりも,はるかに政治家らしいといえる。
このように,ネパールの政治や政治家はいまや日本の学ぶべきモデルとなりつつあるが,そこに目をつけたのが,ネパール・メディア。
ネパールニューズコムは,上記トップページにおいて,日本人の興味を引きそうな政治記事のすぐ下に,魅惑的な下着広告を配している。性が人間のもう一つの本性だとするなら,権力関係記事の下に性関係商品広告を掲載するのは,理にかなっている。ネパールニューズコムは,劣化著しい日本の政治と性事に商機を見いだし,「日本頑張れ」と鼓舞激励してくれているのだ。(日本では「週刊ポスト」などの週刊誌がこの戦略をとってきたが,かつてほどの元気はない。)
日本の権力欲減退政治家や性欲減退草食系男児は,いまこそギラギラ・ギトギトの濃厚味ネパールに目を向け,自らの本性を覚醒させるべきであろう。
(補足)ネパールニューズコム自身は,自ページが日本でどう表示されるか(どのような広告が入るか)までは,おそらく考えてはいなかったであろうが。
谷川昌幸(C)
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