ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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制憲議会選挙(41):マオイスト推薦4議員,内閣指名

コイララ内閣が10月16日,マオイスト(UCPN-M)が14日推薦した4名を制憲議会議員に指名した。が,制憲議会選挙は,まだ終わってはいない!

現行暫定憲法によれば,制憲議会の内閣指名議席数は26。このうち指名済みは,今回を含め,NC8(割り当て9),CPN-UML8,UCPN-M4,RPP-N1の計21議席のみ。まだ5議席が未指名のままだ。

たしかに定数601の巨大議会において,未指名5議席は大勢にたいした影響はないだろう。が,問題は数ではなく原理原則。

私自身は内閣指名といった不透明な選出方法には反対だが,それはそれとして,現行憲法には,議会は小選挙区制,比例制,内閣指名制の3方法により選出した議員をもって構成されると明記されている。それなのに議会は,自らの依ってたつ法的根拠を自らないがしろにしている。

この重大な原理原則違反が,なぜネパールでは真剣に問われないのか? 不思議だ。

 ■制憲議会(同HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/10/17 at 12:11

カテゴリー: 選挙, 議会, 憲法

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制憲議会選挙(40):17議席指名

コイララ内閣が8月29日,暫定憲法第63条3(C)により,内閣指名26議席のうちの17議席17名を指名した。コングレス党(NC)8,統一共産党(CPN-UML)8,国民民主党(RPP)1。しかし,この指名には,問題が少なくない。

140830 ■コイララ首相

第一に,最も根本的な問題は,第二次制憲議会開会(1月22日)から7か月も経過していること。新憲法案が来年早々にも提案され成立するなら,憲法規定の指名26議員は憲法審議の半分以上に参加できなかったことになる。

指名26議員ぬきの議会には正統性がなく,したがって新憲法にも厳密には正統性はない。この問題は,党派対立が激化すれば,まちがいなく持ち出され,最高裁への提訴や,反政府運動のスローガンとされるだろう。

第二に,指名議席は26なのに,マオイスト(UCPN-M)やマデシ諸党の反対のため,NC,UML,RPPの3党推薦分しか指名できなかった。全議席が指名できなければ,制憲議会の正統性への懐疑は,むしろ深まるであろう。

第三に,指名には,相変わらずコネが強く働いた。NCは,当初,最高裁命令(5月12日)を無視して11月選挙落選者を候補として提出し,あとで撤回するという醜態を演じた。また,デウバら党内有力者も,人選が不公平だと非難している。

UMLは,ポカレル書記長の妻を党推薦し指名された。党内では,MK.ネパールらが,やはり不公平だと非難している。RPPのカマル・タパ議長は,弟を党推薦し指名された。彼は,汚職疑惑で調査されており,この情実推薦指名にも批判は強い。

このように見てくると,新憲法が本当に出来るのか,また,たとえ出来たとしても,それがどこまで正統性を持ちうるか,はなはだ心許ないと言わざるをえないだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/08/30 at 20:09

邦なき連邦国の正統性なき議会:ニヒリズムの危機

法や制度と現実との乖離はどの国にもあるが,いまのネパールは国家存在そのものが違憲状態であり,乖離は極端といわざるをえない。

1.邦なき連邦国家
最も深刻なのは,連邦国家(संघीय राज्य, 憲法第4条)であるにもかかわらず,いまだに邦(州)がないこと。誇大表示ですらなく,虚偽表示であり,看板に偽りありだ。

140613a ■ネパール連邦民主共和国(大使館HP)

2.民族州の無理無体
そもそも125の民族/カーストが混在するネパールを民族ごとの邦(州)に分割し,連邦国家に再編するというのが,無理無体,無茶苦茶だ。繰り返し批判してきたように,ネパールを実験台として利用してきた先進諸国の連邦制原理主義者や,その煽動に乗った(ふりをしてきた)ネパール知識人の責任は,重大といわざるをえない。連邦制原理主義こそが,第一次制憲議会を無様に崩壊させた最大の原因である。

連邦制は,この1月成立の第二次制憲議会でも最大の難題となっている。コングレス(NC)と統一共産党(UML)が大勝したので,単一民族(単一アイデンティティ)による州区分は少数派となり,地理や経済を重視した多民族(多アイデンティティ)州区分が多数意見となりつつある。

しかし,この多民族州の提案に対しては,プラチャンダ派マオイスト(UCPN-M)も,バイダ派マオイスト(CPN-M)やマデシ系諸派も反対しており,歩み寄りは見られない。

3.仏陀の手にも余る包摂民主主義
そうした中,制憲議会本会議で連邦制審議が始まったが,これは空前絶後,お釈迦様に手が何本あっても足りない有様だ。

報道によれば,制憲議会本会議で議員300名が連邦制についてそれぞれ意見を述べることになった(ekantipur, 5 Jun)。試みに計算してみると・・・・
 【議員発言総時間】
   5分×300議員=1500分(25時間)
  10分×300議員=3000分(50時間)
  30分×300議員=9000分(150時間)
演説準備・交代時間を考え合わせると,途方もない時間。が,まぁ,長話には慣れているだろうからよいとして,問題は,記憶力。10人くらい前までならまだしも,200人も300人も前の演説など,誰も覚えてはいまい。そもそも,300議員が演説するのは,300通りの連邦制案があるということだから,これではいかなお釈迦様でも手に余るにちがいない。

お釈迦様でも無理だとすれば,煩悩にとりつかれた人間どもに300通りの連邦制案の集約など,どだい無理である。というわけで,このままでは,第二次制憲議会もお流れということになりそうだ。

4.現実的な代案
しかし,再び制憲議会を崩壊させるのは,いかにもまずい。そこで,NC,UMLを中心とする体制主流派は,上述のように,地理・経済重視の多民族・多アイデンティティ州を少数つくり,多少強引でも,これをもって連邦制の体裁を整える方向に向かいつつあるわけだ。

私も,この案であれば実現可能だと思うが,もしこれで行くのなら,それは従来の14開発区(Development Region)を少々手直しし,「州( प्रदेश, प्रान्त: state, province)」と改名したにすぎないことになる。あるいは,どうしても自分に近い「州」が欲しいというのであれば,現在の75郡(जिल्ला, district)をすべて「州」と呼び換え,ネパールを75州からなる連邦国家とすればよい。

「民族」にせよ何らかの「集団アイデンティティ」にせよ,人為的・歴史的に形成されたものだから,この程度のユルイ対応にした方が現実的であり安全であって,政治的に賢明である。

140613b ■14州案:国家再構築委(Republica,2014-1-1)

5.正統性なき議会
この連邦制の議論もそうだが,それ以上に悲喜劇的なのが,現在の制憲議会にはそもそも正統性がないこと。

暫定憲法第63条は,制憲議会を小選挙区制240,比例制335,内閣指名26の計601議員から構成されると明記している。ところが,選挙後半年を経過したのに,まだ内閣指名26議員が選出されない。制憲議会は,正式にはまだ成立していないのだ。

その理由は,ここでもまた包摂民主主義だ。どの集団から議員を出すかを,その理念に忠実に,諸勢力のコンセンサスで決めるべきだという。そんなことは,お釈迦様にだってできはしない。

それに加えて,現実の生臭い要求もある。選挙で落選した政党有力者を指名せよというトンデモ要求が,あちこちから出されている。

さらにまた,選挙不参加の反体制33党連合に指名26議席を割り当て,口を封じようという動きもある。憲法の議員指名規定など,棚上げ。もう無茶苦茶だ。

6.ニヒリズムの危機:ネパールでも日本でも
法や制度と現実とのこのような甚だしい乖離が続くと,政治そのものへの信認が失われ,国家は瓦解する。ネパールの政治的英知がいま試されている。

しかし,これはなにもネパールだけの話しではない。日本はネパールよりもっとヒドイかもしれない。調査なき「調査捕鯨」,研修・技能実習なき「外国人技能実習制度」,そして,いうまでもなく戦争放棄憲法の下での軍隊(自衛隊)保持と交戦権行使。安倍政権が閣議決定で憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認することになれば,日本は全くの非立憲国家に転落してしまう。

日本でも,法や制度,あるいは言葉そのものが信用されなくなりつつある。安倍首相の”under control(五輪招致プレゼン)”や「日本が戦争をする国になる・・・・ことは断じてあり得ない(記者会見5/15)」をみよ。放射性物質じゃじゃ漏れの福島,集団的自衛権行使(戦争)容認政策。言葉と事実との甚だしい乖離は自明だが,日本社会では放任されている。

これはニヒリズムだ。一方に安倍首相の積極的攻撃的ニヒリズム,他方に国民多数の消極的退行的ニヒリズム。このままでは勝利は前者だろうが,しかし,それはほんの一時,すぐニヒリズムの蔓延により日本全体が蝕まれ,根底から崩壊するであろう。

ネパールも日本も,難しい局面に立たされているといってよいだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/06/13 at 10:48

制憲議会選挙(29):政治的混乱と妥協の下での選挙

今回の制憲議会選挙が政治的混乱と妥協の下で行われ,正統性が十分には確保されていないことは,残念ながら誰しも認めざるをえないであろう。主要な国家機関の状況は,以下の通り。

・元首: ラムバラン・ヤダブ大統領(コングレス党)
・立法: 制憲議会=立法議会は2012年5月27日解散,以後議会なし。
・行政: 大臣会議(選挙管理内閣)。議長(首相)はキルラジ・レグミ最高裁長官(2013年3月14日~現在)。
・司法: 最高裁判所。レグミ長官は最高裁長官としての職務停止。長官代理判事が職務代行。
・高等政治委員会(High Level Political Committee): 主要4党の「11項目合意」(3月13日)により2013年3月16日設立。委員8名。委員長ポストはマオイスト,コングレス,統一共産党,統一民主マデシ戦線の1月交代回り持ち。

このように,議会は2012年5月27日解散し,以後,存在しない。内閣も,バブラム・バタライ首相の辞任(2013年3月13日)以後,正式なものは存在せず,レグミ最高裁長官を議長とする大臣会議が,選挙管理内閣として行政権を担当してきたにすぎない。一方,最高裁は,長官がいわば「出向中」で,職務は長官代理が代行している。「出向中」の長官と長官代理は,一応,区別されているとはいうものの,誰がみても不自然であり,当然ながら,行政・司法一体の非民主的体制と何かにつけ批判されている。

議会解散以降のネパールには,国家権力を正統かつ効果的に行使しうる機関は存在しなかった,といってよいだろう。

この状況において,最終的な意思決定をしてきたのは,おそらく「高等政治委員会(HLPC)」であろう。しかし,HLPCは,旧制憲議会の4大勢力(マオイスト,コングレス,統一共産党,統一民主マデシ戦線)の,いわば「談合」により設置された機関であり,委員長は各党の1月交替回り持ちだ。こんな有様では,HLPCも国家意思の責任ある最終決定機関とは到底いえはしない。むしろ,4大政治勢力の不透明で不安定で無責任な談合組織といった方がよいかもしれない。

今回の制憲議会選挙は,実際には,このような混沌とした政治状況の下で行われた。形式的にはともかく,実質的には,選挙制度変更や候補者・当選者選考に見られるように,選挙に不透明な部分が多いのはそのためである。

140109
■投票所。壁には「銃持込禁止」ビラ貼付(キルティプル)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/01/09 at 18:58

レグミ最高裁長官,暫定選挙管理内閣「議長」就任

3月13日,UCPN,NC,UML,UDMTの主要4党が,最高裁長官(Khil Raj Regmi)の下で制憲議会選挙を実施することに合意した。主な合意内容は,以下の通り。

(1)暫定選挙管理内閣
 (a)内閣の長は,「首相」ではなく,「議長」とする。「議長」には,レグミ最高裁長官を任命する。制憲議会選挙終了後,レグミ氏は「議長」を辞任し,最高裁長官に復職する。
 (b)大臣は11名とし,高位官職経験者の中から選任する。

(2)選挙実施日
 制憲議会選挙は,6月までに実施する。もし6月までに実施できない場合は,12月15日までに,選挙実施日を決定する。

(3)制憲議会の構成
 ・定数:491(小選挙区240,比例制240,内閣指名11)
   (旧制憲議会:定数601[小選挙区240,比例制335,首相指名26])

 ・任期:無期(任期規定なし)
  (旧制憲議会任期:2年)

(4)就任宣誓
 レグミ最高裁長官の暫定選挙管理内閣「議長」就任宣誓は,14日午前9時からの予定。

  130314 ■レグミ最高裁長官/暫定内閣議長(最高裁HP)

――以上が,13日の4党合意の骨子だが,いやはや泥縄というか,面妖というか,何ともいいようのないヒドイ内容だ。

これは,事実上,政治家の任務放棄宣言・降伏宣言だから,統治放棄された国家の管理を最高裁判所(司法)にお願いするのは,やむを得ない。(先述のように,本来なら大統領の下での選挙とすべきではあるが。)

また,政治家が自ら統治能力欠如を認めたのだから,官僚(行政)に国家運営を丸投げするのも,やむをえない。テクノクラート支配,専門家支配だが,素人の政治家に統治能力がなかったのだから,いくらみっともなくても,自業自得,いたしかたあるまい。

しかし,この丸投げには,暫定といいつつも,とんでもないおまけがついている。6月までに選挙ができなければ,12月15日までに選挙実施日を決定すればよい。結局,いつ選挙ができるのか,実際には,まったくわからない。

さらに,かりに,めでたく選挙ができ,新しい制憲議会が成立しても,この議会には任期の規定がない。無期限議会! いつまでも,永遠に存続可能なのだ。これでは,正式の憲法がいつ制定されるか,まったく見当もつかない。

このままでは,統治の正統性が限りなく蚕食されていき,「法の支配」はますます衰退し,ネパールは底なしの無政府状態に沈み込んでいくであろう。

◆暫定選挙管理内閣成立
この記事を書いている間に,レグミ最高裁長官が「議長」就任宣誓を行い,レグミ氏を「議長」とする暫定選挙管理内閣が正式に発足した。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/14 at 14:38

ガルトゥング提案の観念性と危険性

訪ネ中のガルトゥング教授のインタビュー記事を「ヒマラヤン・タイムズ」(2月14日)が掲載している。教授は平和学の権威であり,国際社会の平和政策にも絶大な影響力をお持ちだが,もし記事が教授の発言を正しく伝えているとするなら,教授のネパール政治分析と政策提案には落胆せざるをえない。いやそれどころか,ネパールにこれまで深く関与されてきたことを考えると,教授の諸提案はいささか無責任なような印象さえ禁じ得ない。

1.政党利己支配(partyocracy)
ガルトゥング教授によれば,ネパール政治は,マオイストの国政参加後も「政党利己支配(partyocracy)」の強化を除けば,他は何も変わっていない。

「一国家,二軍隊,王制と[国王の]直接専制支配はもはや存在しない。しかし,事態は以前と同じだ。憲法制定の見込みはなく,議会もなく,選挙された政府もなく,和平プロセスを担う機関もなく,不平等の改善もない。民主主義はなく,あるのは政党利己支配(少数の政党が議会制民主主義の諸制度を危険に陥れる政治的疾病)のみだ。」

この現状認識は,一般に広く共有されている。常識といってもよい。

2.アイデンティティ連邦制
そこで次に,少し具体的な話になる。まず連邦制だが,ガルトゥング教授は,以前からアイデンティティ(カースト/民族)による州区画を説かれていた。

教授は,そのアイデンティティ連邦制がいまも望ましいといいつつも,ここでは世界の25の連邦国家のうちアイデンティティ州区画をしているのは4カ国(印,マレーシア,ベルギー,スイス)だけだと認め,「ネパールにとって参考になる別のモデルは,マレーシアとインドの連邦制の組み合わせであろう」と提案されている。

意味不明。ひょっとすると,これは,インドもマレーシアも英植民地であったから,植民地時代の区画(スルタンやラージャの領地)を州区画とせよ,ということかもしれない。しかし,ネパールは,両国とちがい,有史以来独立国であり,植民地にはならなかった。あるいは,プリトビナラヤン・シャハ王の頃の小王国領を州区画にせよとでもいうのであろうか? まさか! よく分からない。

そもそも,マレーシアは立憲君主制のイスラム教国であり,中央権力が強い。また,インドもユニオン(連邦)権力が強く,単一制に近い連邦国家として知られている。ガルトゥング教授は,両国のどこがネパール連邦制のモデルになるといわれているのか,さっぱりわからない。

3.「カトマンズ・ゲーム」
中央政府権力の強いマレーシアやインドをモデルとせよと提案される一方,ガルトゥング教授は,カトマンズ中心主義(Kathmandu-game)を打破せよ,と主張される。

教授によれば,国王,ラナ家,封建領主らはみな,「カトマンズ・ゲーム」に明け暮れてきた。そしていま,政党が同じことをしている。制憲議会解散も憲法制定失敗も,カトマンズが地方を支配するための陰謀だ。「国王もラナ家も封建領主も一つのことではほぼ同じ考えだった――人民を搾取せよ。」

教授は,これは悪質なガンのようなものであり,直ちに治療しないと「新しい暴力」が始まるだろう,と警告される。

「もし治療するつもりなら,人民の三分の二の下層の人々を引き上げる必要がある。」

中央集権国家をモデルとせよといいつつも,カトマンズ中心主義がガンであり,治療しないと再び暴力紛争が始まると警告される。いったい,どうすればいいのだろうか?

そもそも人民の三分の二の生活を引き上げることができるのなら,誰も苦労はしない。ネパール人民の三分の二,つまり1800万もの人々の生活を,いったいどのような方法で向上させるのか? 強力な中央権力なしにそんなことができるのか? 教授からは,具体的な提案は何もない。

4.人民投票による連邦制
ガルトゥング教授の提案は,矛盾と観念論に留まらず,とんでもない危険へと人々を導いていく。つまり,政党は「草の根」に働きかけよ,と扇動されるのだ。

「どの政党も組織も政府も,草の根の人々とは結びついていなかった。」

連邦制は,少数の政党だけで決められるものではない。人民にはかり決めるべきだ。つまり「人民投票が方法としてはよいだろう」という。

しかし,これは変ではないか? 多数決では決められないから,あるいは決めてはいけないから,という理由でカースト/民族自治の連邦制を提案しておきながら,結局は,数で決めよ,というのだ。

たかだか601人の議会で決められなかったことが,どうして膨大な数(2千万以上?)の有権者人民によって決められるのだろうか? 決められるとすれば,手品か奇跡だ。具体的な州区画も権限分配も決めずに,「連邦制に賛成・反対」といった観念論投票をやるのだろうか? やってやれないことはないが,実際には,このような投票は無意味なばかりか,限りなく白紙委任に近く,危険でもある。

5.マオイストは地域を変革せよ
ガルトゥング教授は,政党は「カトマンズ・ゲーム」ではなく「草の根」と結びつくべきだという考えから,マオイストに対しても「草の根」への働きかけを提案される。

「マオイストへの私の提案は,ネパールを全体として変えようとするな,地域社会に焦点を当てよ,ということにつきる。」

教授は,マオイストがこれまで村や町で何をしてきたか,よくご存じのはずである。地域の「草の根」の人々は,マオイストが中央政界に活動の重点を移してくれたので,やっと一息ついているところだ。

それなのに,教授は,そんな「カトマンズ・ゲーム」はやめ,村や町の「草の根」の人々の生活に介入し,変革せよ,と提案される。

「草の根」民主主義が,ノルウェーや欧米の国々,あるいはひょっとすると日本でも重要なのはよく分かる。しかし,状況を無視して理念を押しつけるのは,「原理主義」であり,危険である。かつて各地に設立された「人民政府」こそが,マオイストにとっては「草の根」民主主義ということになるのではないだろうか? その原点に立ち戻れということなのだろうか?

6.最高裁長官の首相任命に反対
ガルトゥング教授は,最高裁判所長官の暫定首相への任命にもまた,人民の直接表明した意思によらないとして,真っ向から反対される。それは,「専門家(エリート)支配(technocracy)への動き」であり,「政党利己支配への反発(reaction)」にすぎないというのである。

しかし,この議論も,現実を見ない観念論である。第一に,「草の根」から「人民意思」がどう形成されるのか,そして,現在のネパールでそれがどこまで可能か,といった基礎的な議論がない。まさか,選挙(投票)により「人民」の「意思」が表明されるなどといった楽観論はおとりではあるまい。

選挙がある程度有効に機能するには,多くの前提条件が満たされている必要がある。アメリカやその意を体する国連は,選挙すれば「人民意思」が発見され,それに基づく統治は民主政治だなどと無責任なことをいい,それを途上国に押しつけてきたが,これは根拠なき「選挙民主主義(electoral democracy)」である。選挙過信や「人民意思」の実体化ほど危険なことはない。ガルトゥング教授には,「草の根」民主主義と「選挙」民主主義の間の十分な架橋がないように思われる。

第二に,現在のネパールの三権のうち,正統性をかろうじて残しているのは,大統領と最高裁判所長官だけである。議会(立法権)はなく,政府(内閣,行政権)は次の政府へのつなぎ役にすぎない。政党はもちろん,2008年4月選挙に基づくものにすぎず,現在の人民の意思など代表してはいない。2012年5月末以来の無議会政治によりバタライ首相が正統性をあらかた失ってしまったことは,これまたいうまでもない。

この状況で,選挙をするとすれば,結局,大統領の下での選挙か,それができないのであれば,次善の策として,最高裁長官あるいはその選任する者を「破綻国家の管財人」のようなものとして選挙を実施するしか,選択肢はあるまい。しかしながら,最高裁長官の場合,司法権・行政権分離の原則からすると難しい問題もあるので,やはり国家元首としての大統領の下での選挙が最善であろう。民意を代表しない諸政党の談合首相任命よりも,大統領の下での選挙の方が,正統性と透明性ははるかに大きい。

ガルトゥング教授は「専門家(エリート)支配」と批判されるが,政治の場では,大統領委任独裁や,それに準ずるエリート統治が選挙民主主義よりもはるかに安全で効果的なことが決して少なくない。

議会はなく,政党も民意を代表していないとすれば,現行憲法で正統性を持つ大統領が選挙管理政府を率いらざるをえないのではないだろうか。

7.政官民有力者とのカトマンズ会談
ガルトゥング教授は,滞在中に,カトマンズで,大統領閣下をはじめとする政府高官,政党指導者,市民社会リーダー,専門職団体リーダーらと会談されるという。地方の村や町での「草の根」の人々との対話の有無については,記事には記載されていない。

――以上は,あくまでも「ヒマラヤン・タイムズ」のインタビュー記事に基づく批評である。おそらく,記事は,ガルトゥング教授の発言を正確には伝えていないのであろう。後日,大幅な訂正記事が出るにちがいない。もしそうなら,改めて,教授の正確なお考えを紹介することにする。

【参照】ガルトゥング教授関連記事

谷川昌幸(C)

棄権か死票か?

明日は投票日。テレビ・新聞は声を揃えて、「投票に行こう!」と、お説教をしている。しかし、今回の選挙での投票に、どのような意味があるのか? この根源的な問いが、少なくとも、もっと議論はされてしかるべきであろう。

そもそも、この選挙自体が、「違憲状態」つまり違憲なのだ。違憲と判っていて、投票するのか? 投票すれば、どの党に入れようが、選挙の正統性を認めたことになる。憲法は最高法規である。憲法を守るなら、棄権こそが国民の義務となる。

あるいは、今回の選挙のように、大局的に大勢がほぼ見えているように思われる場合、多数派への反対意思を表明するため、落選確実と見られている候補(政党)へ投票すること、つまり死票に、どのような意味があるのか? 死票も、投票には参加するわけだから、多数派追認のための違憲選挙の根本的否定にはならない。これは、白票でも同じことである。死票も白票も、投票という形で選挙の正統性、そして選挙で形式的に選出される既成多数派の根源的正統性を保証する。

死票も白票も政治的には「無」ではなく、既成の体制を、その根底において正統化する役割を果たす。

棄権はいずれとも違う。棄権は選挙に参加せず、したがって政治的には既成の体制そのものの拒否となる。棄権はラディカルであり、死票や白票よりも強力だ。棄権は危険である。

これに対しテレビ・新聞は基本的に体制擁護だから、この危険な棄権をとにかくなくそうと、声を揃えて「投票に行こう!」と、大合唱を繰り返している。原発安全神話と同種の「選挙神話」である。専門的には「選挙民主主義(electoral democracy」。

マスコミは、たとえベストがなくてもベターな選択はある。とにかく選挙には行くべきだ。それが、あなたのため、国民のため、と強弁する。これはウソだ。あるいは、より正確には、どのような場合にも妥当する自明の真理ではない。これは、原発神話とは別種の、だが同程度に危険な「神話」だ。われわれは、選挙に行く前に、少なくとも一度はこの選挙神話をも疑ってみるべきだ。異論なき議論はお説教であり、たいていまやかしだ。

「棄権」は、決して、非国民的国家反逆行為ではない。日本の現状を深く憂うが故に、熟考の上、あえてもっとも過激な「棄権」を選択する。これも立派な政治的態度だ。もし自覚的棄権が増加し、投票率が50%を下回る、あるいは40%を切るような事態になれば、政治への根本的反省が始まるはずだ。

かつて共産主義国では投票率98%とか99%も決して珍しくはなかった。わが村でも投票率はつねに80%以上だ。これをもって政治意識が高いとか民主的とかいえるであろうか?

ゆめゆめ大政翼賛会的な、「選挙に行こう!」大合唱に洗脳されてはならない。選挙神話は、少なくとも棄権と同程度に危険だ。投票と棄権の政治的意味をよく比較し、熟考し、投票するか棄権するかを冷静に判断すべきだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/15 at 23:50

カテゴリー: 選挙

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