ネパール評論 Nepal Review

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ネパール社会科学の英語偏重

カトマンズ法科大学(Kathmandu School of Law)の准教授が2名連名で,ネパールの社会科学における英語偏重を手厳しく批判している。以下,補足説明を加えつつ,要旨を紹介する。
 ▼Pranab Kharel & Gaurab KC, “Beyond English,” Republica, 11 Jun 2017

ネパールの社会科学は,学校教育においても専門研究においても,使用言語は英語が主となっている。学生は,母語では受験対策本はあっても良い教科書はなく学習に苦しみ,たとえ十分な知識を持っていても英語発表を要求されるためその能力を十分に発揮できず悩んでいる。研究者・専門家向けの社会科学雑誌や,セミナー,シンポジュウムなども,多くが英語。

その結果,ネパールでは,社会科学の基本諸概念が十分に習得されず,創造的構想力が欠如し,英語文献をなぞるだけとなりがちである。そしてまた,これは英語文献の諸概念に相当する諸概念がネパール語にはないという状況をもたらすことにもなっている。

ネパールにおける英語偏重⇒創造的構想力育成不全⇒母語貧困化⇒さらなる英語偏重⇒・・・・

この英語支配への転落の悪循環をどう断つべきか? ネパール人学者には「ネパール語や他のネパール母語による学術論文の執筆を勧めるべきだ」。また,ネパール母語による良質の教科書の作成・使用も不可欠だ。

外国人学者にも責任はある。外国人学者には,ネパール母語の十分な知識を持たず,英語文献を選好するきらいがある。「これは,非英語文献を蔑視する尊大な態度といってもよいだろう。英語圏大学で英語が必須なら,ネパールで社会科学に携わる者にはネパール諸言語の知識が必要不可欠のはずだ。」

――以上が記事要旨。これは,ネパール語はおろか英語ですらおぼつかない私には耳の痛い批判だが,非英語圏の言語問題の核心を突く指摘であり,むろん日本も例外ではない。

日本の政府・財界はいま,金儲けファースト,浅薄なグローバリズムにとりつかれ,英米語を世界共通語と妄信し,小学校英語必修化や大学入試英語外部丸投げ,あるいは英語の会社公用語化などを進めている。

日本はこれまで,初等教育から高等教育まで,いや世界最先端学術研究でさえ,母語で行うことのできる世界でも稀な非英語圏国家の一つであった。わが先人たちは,舶来知識を参考にしつつも,日本語を工夫して必要な諸概念を日本語で構築し,洗練し,高度化させてきた。この努力は世界に誇り得るものである。

ネパールにおける英語偏重批判――日本も謙虚に耳を傾けるべきであろう。


 ■英語学校大繁盛(バグバザール)/カトマンズ法科大学HP

【参照】
英語帝国主義による英米文化の刷り込み
英語帝国主義にひれ伏す公立学校
英語帝国主義とネパール

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/06/12 at 16:13

カテゴリー: 言語, 教育, 文化

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国語としてのネパール語の位置

カナクマニ・デグジト氏が,「ネパール語の位置(ネパール語の役割)」と題した興味深い記事を『ネパリ・タイムズ』(4月7-13日号)に書いている。専門外の私には少々わかりにくい文章だが,論旨はおおよそ次のようなことだろう。(厳密には原文をご覧ください。)

ネパール語は,ネパールの国語(国家語・国民語)であり,ネパールの人々の便利な共通語(リンガフランカ)だが,その反面,それがネパールで用いられてきた他の多くの言語の衰退を招いたこともまた事実である。

歴史的にみて,ネワール語かマイティリ語あるいはヒンディ語にもチャンスはあったが,結局,国家統一した「カス」の人々の言語たるネパール語がネパールの国語・共通語になった。

特に1960年代以降,カトマンズの中央権力が国家統治のためネパール語を国語として普及させていった。また,知識人らも,ネパール語を多様な人々の住むネパール社会に適するように発展させていった。

ネパール語普及には,ゴルカ兵も大きく寄与した。ゴルカ兵は任地でネパール語を共通語として使用して習熟し,退役帰国後は,ネパール語訳『ラーマーヤナ』を持ち帰るなどして,非ネパール語地域にネパール語を広めた。

さらにもう一つ,ネパール語それ自体がきわめてダイナミックな言語だったことも,その普及に大きく寄与した。ネパール語は,複雑な思考や感情を簡潔な文章で表現できるし,擬音語(オノマトペ)も豊富だ。ネパール語は,この優れたダイナミズムにより,ネパールの他の言語とも結びつき,ネパールの国語・共通語となることができたのだ。

その結果,ネパールには,他の南アジア諸国に見られるような,英語対自国語といった言語対立・言語格差(English vs. Vernacular devide)はない。その反面,国語としてのネパール語を持つがため,外部世界との関係では島国的となるきらいがあり,今後,それが問題となるであろう。

以上がカナクマニ・デグジト氏の記事のおおよその論旨だとすると,彼はかなりのネパール語ナショナリストと見てよいであろう。しかし,国語としてのネパール語のおかげで,少なくともネパール国内には英語使用者と非使用者の間の言語に起因する深刻な対立や格差はないというのは,事実であろうか? とても,そのようには思えないのだが。


 ■様々なネパール語辞典。三枝編著『ネパール語辞典』はネパール国内書店販売のペーパーバック版。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/04/15 at 15:26

カテゴリー: 言語, 文化

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安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾

安倍首相が9月25日,国連で,また英語演説をした。英語は,ほとんどの日本人にとってチンプンカンプンの外国語であり,母語ではない。その異国の言語を,日本国元首たる首相が,国連という公の場で日本国民を代表し演説する場合,なぜ使わなければならないのか?

140928 ■国連演説(官邸HP)

1.取り戻すべきは日本語
安倍首相は,「日本を取り戻す」を信条とする愛国主義者だ。では,その取り戻すべき「日本」とは何か? 答えは様々でありうるが,もっとも核心的なものは「日本」をして「日本」たらしめている「日本文化」であり,その核心の核心が「言語」,つまり「日本語」だ。多くの日本人にとって,日本語は祖先から連綿として受け継がれてきたかけがえのない「母語」なのだ。

むろん,蛇足ながら誤解なきよう述べておくと,日本語以外の言語を母語とする日本人も,権利義務において,日本語を母語とする日本人と完全に平等であり,何ら差別されるはずはない。それを当然の前提とした上で,日本国元首たる首相が国連や他の公の場で日本国民を代表して発言する場合,便宜的にどの言語を選択し使用すべきかといえば,それは圧倒的多数の日本人の母語であり首相自身の母語でもある日本語をおいて他にはありえない。ほとんどの日本人が理解しえない外国語で,自分たちの代表たる首相が国連や他の国際会議の場で演説する――国民にとって,これほど卑屈で惨めなことはあるまい。

2.内外二枚舌の危険性
安倍首相は,国内向けには「日本を取り戻す」を信条とするコワモテ愛国主義者だが,一歩,外に出ると,英語帝国主義国に「日本を差し出す」お人好しの従属的「国際主義者」に豹変する。首相には,国内向けの舌と外国向けの舌がある。内外二枚舌!

世界各地において,少数派文化集団・言語集団が,自分たちの文化=言語=魂を守るため,長年にわたって艱難辛苦,どれほど苦しい闘いを強いられてきたか? 「国際派」の安倍首相が知らないはずはあるまい。

にもかかわらず,安倍首相は,自ら進んで,嬉々として,自らの母語=魂を英語帝国主義国に差し出す。国際社会で自国の母語すら使えない情けない国が,安保理常任理事国のイスを要求する? チャンチャラおかしい。日本国元首(=首相)たるもの,堂々と日本語で演説し,有能な専門家に国連公用語に正確に通訳してもらうのが,筋だ。(現在の国連公用語は差別的であり,国連自身の多文化共生理念に反するが,この問題については別途論じる。)内容のある演説なら日本語でも(通訳を通して)傾聴され,無内容なら英語でも居眠りされる。

安倍首相の内外二枚舌は,国内政治的には,十分に計算されたものだ。今回の国連演説でも,たとえば――
  [英語演説]    [政府日本語訳]
 ”war culture” ⇒⇒ 「ウォー・カルチャー」
 Proactive Contribution to Peace ⇒⇒ 積極的平和主義

国連英語演説の”war culture”が,国内向けの日本語訳では「ウォー・カルチャー」。これは断じて日本語ではない。なぜカタカナ英語にしているのか?

“war culture”は,いうまでもなく本来の「積極的平和(positive peace)」主義において使用されてきた概念である。ガルトゥングらは,平和の反対概念を「暴力(violence)」と捉え,その暴力には「直接的」「間接的(構造的)」「文化的」の三層があると考えた。これらのうちの「文化的暴力」は,最も基底的なものであり,戦争ないし暴力を容認したり是認したりする文化,つまり「平和の文化(culture of peace)」の反対概念たる「暴力の文化(culture of violence)」ないし「戦争の文化(culture of war)」のことである。では,もしそうなら,なぜ日本政府は「戦争文化」ないし「戦争容認文化」と訳さないのか?

一般に,行政がカタカナ英語を使うのは,ズバリ,本来の意味を誤魔化したり微妙にずらしたりして,国民を行政の望む方向に誘導するためである。「ウォー・カルチャー」もしかり。安倍首相が,「戦争容認文化」「戦争是認文化」の旗手たることは,国内では誰一人知らない人はない。それなのに国連演説では,世界世論に迎合するため――

Japan has been,is now, and will continue to be a force providing momentum for proactive contributions to peace.Moreover,I wish to state and pledge first of all that Japan is a nation that has worked to eliminate the “war culture” from people’s hearts and will spare no efforts to continue doing so.(国連演説英語原文)

と,大見得を切ってしまった。正確に訳せば,「人々の心から“戦争文化(戦争容認文化・戦争是認文化)”を除去する」となる。が,そう訳してしまうと,国内ではまさしく「戦争文化」の旗手たる安倍首相が困ったことになる。明々白々,丸見えの自己矛盾,自己否定だ。そこで知恵者・日本行政は例の手,カタカナ英語を繰り出した――

「日本とは、これまで、今、この先とも、積極的な平和の推進力である。しかも人の心から『ウォー・カルチャー』をなくそうとし、労を惜しまぬ国であると、まずはそう申し上げ、約束としましょう。」(国連演説政府訳)

「ウォー・カルチャー」は英語でも日本語でもない。それは,”war culture”でも「戦争文化」でもない。そして,その限りでは,それは「誤訳」ではない。

しかし,このようなカタカナ英語による内外二枚舌の使い分けは,いずれ必ず露見する。日本政府の信用は根底から失墜し,世界社会からも日本国民からも見放されてしまうであろう。

もう一つ,今回国連演説でも,「積極的平和主義」の誤魔化しが繰り返された。
 [国連演説] a force providing momentum for proactive contributions to peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的な平和の推進力
 [国連演説]Proactive Contribution to Peace
    ⇒⇒[国内向け政府訳] 積極的平和主義
この点については,すでに批判したので,参照されたい。
 [参照]自称「右翼軍国主義者」の「積極的平和主義」:安倍首相の国連演説

3.英語帝国主義国の精神に支配される日本国の身体
今回の国連演説で,安倍政権の危険性がさらに明白となった。国内では「日本を取り戻す」コワモテ愛国主義者,外国では英語帝国主義にひれ伏し日本の魂=日本語を売り渡すよい子ちゃん。

西洋合理主義によれば,情念や身体は魂(精神・理性)により支配されなければならない。とすれば,日本の身体も,当然,魂を売り渡した英語帝国主義国の意思により支配されねばならないことになる。カネだけではなく軍隊も出せといわれれば,はいはい分かりました,と国民の身体を差し出す。この屈辱の論理を誤魔化しているのが,英語演説とカタカナ英語と誤魔化し翻訳。

このままでは,「日本を取り戻す」どころか,いずれ日本は精神的にも身体的にも真の独立を失い,ヘラヘラ,カタカナ英語をしゃべる軽薄卑屈な三流従属国家に転落してしまうであろう。「日本を取り戻す」のであれば,まず日本語から始めよ! 

谷川昌幸(C)

英語帝国主義にひれ伏す公立学校

先住民族の尊厳や母語教育の権利を高らかに宣言しているネパールだが,建て前と本音は,教育においても別らしい。私立学校に続き公立学校も,母語どころかネパール語さえ放棄し,続々と英語帝国主義の軍門に降りつつある。そうした学校では,生徒は英語で挨拶し,歌い,勉強する。家でも英語で話す。

「英語が公立学校を魅了している」(Republica, 25 Mar)によれば,チトワンのある公立小中学校では,全教科を英語で教え始めた。

「3年生クラス成績3番のサンジタは,良い本を読むには英語学習は必須だと確信している。友人のカマルも同じで,英語が分かれば多くのことを学ぶことができるし,旅行者とも話すことができる,と考えている。『姉は家でも英語で話してくれるので,とても助かる』という。」

「政府は,ネパール語記述の教科書を英訳し始めた。学校は,これらの英訳された教科書を使い,授業をしている。」

ネパールは,教育でも,日本のはるか先を行っている。ネパールの教育は日本のお手本(格差大だが)。文科省はネパールに視察団を送り,謙虚に教えを請い,最先端の英語教育を学ぶべきだろう。
 [参照]水村美苗『日本語が亡びるとき』

140327

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/03/27 at 16:21

カテゴリー: 教育, 文化

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ガルトゥング「ネパールの危機」(再掲)

J・ガルトゥング氏のレポート「ネパールの危機:好機+危険」(2003年5月22日)を読んだ。4頁ほどの短文だが,ネパール・トランセンドの概略はつかめる。

1.ネパール・ワークショップ
ネパールでのトランセンドは,2002年7月,PATRIR/TRANSCENDによって始められ,全国へ展開され,その一環としてガルトゥング氏(G氏)も2003年5月16-20日,訪ネした。

2.8プログラムの実施
G氏の日程は,国家人権委員会(NHRC)により完璧に準備され,8プログラムが実施された。

No.1,7=リシケシ・シャハ記念講演。知識人,ネパール世界問題協会対象
No.2-6=主要当事者との対話。政党幹部,NHRC関係者,人権活動家,和平仲介者,政府要人,軍・警察幹部,政府和平交渉団,マオイスト和平交渉団。

3.直接暴力・構造的暴力・様子見
G氏によれば,紛争に対しては,大別すると,3つの態度がある。

(1)直接暴力を行使する党派
(2)構造的暴力の現状維持を図る党派
(3)「高貴な」,アパシーによる,あるいは無気力な様子見の多数派

4.M,K,TP
ネパール紛争の主要当事者は,マオイスト(M),国王=国軍(K),第三勢力(TP)の三者である。

G氏は,もしMとKの2者対立なら状況はいっそう悪かっただろうと考え,紛争解決への大きな役割を第三勢力のTPに期待する。

TP(Third Party)=主要政党(PP),市民社会(NGOなど),人民(People)

5.対話による平和
つまり,TPが一致協力して,MとKを交渉テーブルにつけ,Mとともに暫定政府を設立し,憲法を改正する。この方向に向け,人民(People)は街頭に出て圧力をかけ,また市民社会も強力に圧力をかける。Mには議会制民主主義を,Kには立憲君主制を宣言させる。

そして,MとKの兵士を武装解除し,彼らを保健衛生,学校・道路建設などの共同作業に就かせる。

以上が,停戦,対話,互譲,創造性の下に行われるなら,平和が実現する。

6.ネパール紛争の危険断層
G氏によれば,ネパールにはもともと紛争を引き起こす危険な断層が11カ所あった。

(1)資源枯渇,環境汚染,(2)ジェンダー差別,(3)青少年問題,(4)国王の政治権力,(5)国軍,(6)貧困,(7)少数派文化,(8)ダリット,(9)支配文化,(10)地域格差,(11)外国介入

G氏によれば,これらはすべて人権問題であり,いわゆる「マオイスト問題」ではない。したがって,それらには人権問題として取り組まなければならない。それには,以下のようなことが必要である。

・全党ラウンドテーブル,人権対話を組織し,停戦監視,人権実現を図る。
・スリランカのSarvodaya,インドのDevelopment Alternativesのような経験から学び,そうした活動を組織する。
・平和・人権のための大会議の設立。
・真実・和解のプロセスを進める。

7.いくつかの疑問
G氏のトランセンド提案は,包括的であり,試みるに値するものも多い。その反面,これを読んだだけでは,いくつかの疑問が残るのも事実だ。

(1)TPは平和勢力たり得るか?
G氏は,もしMとKだけなら,事態はもっと悪化していただろうと考えているが,私はむしろ逆だと思う。MとKの2項対立(G氏の最も嫌う構図)であれば,紛争は一方の勝利か両者の妥協でもっと早く解決していたのではないか。

私は,ネパール紛争を泥沼に引き込んだのはTPの無原則,無責任な行為だと考えている。

(2)「人民」の示威行動,市民社会の圧力は有効か?
G氏は,「人民」が街頭に出て圧力をかけ,また市民社会(NGO,労働組合など)が圧力をかけることにより,PP,M,Kを平和に導いていけると考えるが,私はそうではないと思う。

ネパール政治の病巣は,まさに街頭政治,圧力政治,つまり制度不信にある。これ以上,街頭政治,圧力政治に頼ったら,紛争はますます泥沼化し,収拾がつかなくなるだろう。

(3)人権問題か?
G氏は,「人権」を文化中立的,普遍的なものと考えているようだが,それは間違い。「人権」は,明らかに近代西洋的価値であり,ネパール伝統文化とは両立しない。

「人権」強要の痛みを考えず,それを普遍的価値としてネパールに押しつけようとしても,成功はしないだろうし,もし成功しても,それは文化的に望ましいこととは言い切れないと思う。

(4)分権は前進か?
G氏は,分権(devolution)や緩い連邦制(soft federation)を提案するが,それは近代国家を経た北側諸国の発想であり,ネパールには妥当しない。ネパールの課題は,むしろ強力な国家主権の確立である。

ネパールの悲劇は,国家権力が強すぎることにではなく,弱すぎることにある。

(5)母語教育の可能性?
母語教育は,本当に住民自身が望んでいるのか? それはむしろポストモダン西欧諸国のロマンチックな(はた迷惑な)失われた夢の強要であり,現実には少数派民族の差別強化,固定化になりはしないか?

(6)市民社会,NGOは機能するか?
G氏は,わずか5日間の訪ネ中に8つものプログラムが完璧に組織され,時間通り実施されたことにいたく感激されているが,これはセミナーがネパールでは効率的なイベントになっているからである。

その現状を見ると,NGOをさらに組織したり,会議を開催することにあまり多くは期待できない。NGO産業,セミナー興業が繁盛し,庶民には無縁の高級ホテルでの豪華パーティが増えるだけ。むしろ構造的暴力の拡大になるのではないか?

8.疑問を超えて
以上,あえてG氏のレポートへの疑問を述べたが,これはトランセンド法を否定したいがためではない。

ネパール紛争は10年もたつのに,他の方法ではこれを解決できなかったことは,歴然たる事実だ。トランセンド法についてはまだ読みかじった程度なので,まずは思うがままに疑問を提起し,これらを手がかりに,さらに学び,ネパール紛争へのトランセンド法の適用可能性を探っていきたいと思っている。

* Johan Galtung, The Crisis in Nepal: Opportunity + Danger, May 22, 2003. (Report to UNDP, Kathmandu and NHRC, Kathmandu)

(2006/04/03掲載)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/15 at 11:14

マオイストの憲法案(20)

4(14)教育権・言語権・文化権

(1)教育権
マオイスト憲法案 第37条 教育権
 (1)基礎教育権の保障
 (2)初等教育は無償義務教育。無償後期中等教育まで受ける権利の保障。
 (3)困窮階層には,法律の定めにより無償高等教育を受ける権利の保障。
 (4)国内各社会共同体は,母語による教育をおこなう学校や学術機関を設置運営する権利を有する。

教育権については,暫定憲法では,第17条(1)(2)で規定されている。ここでは「中等レベルまでの無償教育を受ける権利」の保障であり,「義務教育」は規定されていない。実効性がどこまであるか疑問だが,「義務教育」明記そのものはマオイスト憲法案が始めてであり,注目される。

困窮階層への無償高等教育保障は,現行の大学におけるジャナジャーティ優遇策の拡充と見てよいであろう。

(2)言語権・文化権
マオイスト憲法案 第38条
 (1)母語使用権を各人,各社会共同体に保障
 (2)社会共同体の社会活動への参加権
 (3)各社会共同体の言語,文字,文化,文化遺産を保護・振興する権利
 (4)芸術や文化を創造し発展させる権利,知的財産権の保障

この言語権・文化権規定は,あれもこれも詰め込んだ感じで,整理されていない。内容的には,暫定憲法第17条(2)と同じ。

言語権については,このような権利保障では守りきれない現実がある。少数言語は,たとえ学校で学んだとしても,社会では実際には利用価値が低い。流動性の少ない伝統的村落社会では自分たちの言語を学び保存することは可能であろうが,社会的流動性が拡大し経済活動が活発になってくると,それに反比例して少数言語の利用価値は低下し,結局は,利用価値のより高い言語,つまりネパール語や英語が自主的に選択されることになる。どうしようもない。

本当の言語問題は,ここにある。言語権,文化権の主張は,もちろん正当だが,しかし残念ながら少数言語や少数文化は,多文化主義者やマオイストの提唱するような方法では守りきれない。彼らの主張は的外れ。

少数言語を守るには,個人の言語選択の自由を制限し,社会集団の言語強制に服従させなければならない。そんなことが出来るだろうか? マオイストに出来るのか? 出来るとすれば,その方が,かえって恐ろしいことになるであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/06/30 at 17:16

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