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ゴビンダ医師のハンスト闘争(4)
1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(4)
ゴビンダ医師のハンスト(サティヤグラハ)は,こうしたネパール社会の現状を踏まえたうえで行われたものだが,そこには日本のわれわれにとっても学びうるものが少なからず存在するように思われる。
現代の日本は,自由や権利も民主主義も,制度的にはネパールと同様,憲法等により明確に保障されている。ところが,現実には,政治は野党の無原則な離合集散,萎縮により与党政府の思いのまま,民主主義の土台をなす政治倫理は衰弱し,国民の諸権利も侵食される一方だし,社会は政財界バックの市場原理主義により格差拡大,少数勝者の楽園となりつつある。日本国民の多くは正当な権利も健康で文化的な生活も満足には保障されていないのに,現体制は民主主義により成立し,支持を拡大し,着々と永続化に向け前進している。現代日本は,露骨な強権的専制ではなく,柔らかい,真綿で絞められるような「民主的専制」ないし「多数者専制」に陥りつつあるとみるべきである。構造的には,ネパールと同じではないか?
むろん,現代の日本にはネパールとは比較にならないほど長い,豊富な自由主義と民主主義の経験がある。しかし,たとえそうではあっても,日本政治が先の希望が見えない時代閉塞的な状況に陥りつつあるという点では,ネパールと同じである。日本でも,民主主義はいまや,富者・勝者がつくり出す国民多数派のものである。少数派が国民に訴え,支持を広め,民主的に体制を変えることは,ますます困難になりつつある。
たとえば,憲法改正について,これまでよく目にしてきたのは反対派の署名活動や意見広告であった。改正賛成派の同様の動きは,いまのところそれほど活発ではない。しかし,もし改正賛成派が,機塾せりと見て,一般国民向けの署名活動や意見広告を本格的に始めたらどうなるか? おそらく形勢一転,署名活動も意見広告も改憲派圧倒的優勢となるだろう。反対派は,街に出ても,新聞を開いても,テレビをつけても,改憲派の署名活動や意見広告を見聞きすることになる。民主国では,体制が民主的であればあるほど,反体制派の反対運動は困難となる。
■護憲派意見広告(朝日2007/5/3)/改憲派意見広告(産経&読売2018/6/28)
いまの日本は,そのような反政府少数派の反対運動が困難なソフトな「民主的専制」に陥りつつある。この状況では,体制側の政策に反対するには,民主主義以外の方法をも模索せざるをえない。そうした方法のうち,非民主的だが倫理的に正当であり,困難を極めるが実行されれば極めて効果的と思われるのが,サティヤグラハである。ここでゴビンダ医師のサティヤグラハとしてのハンスト闘争の紹介を試みるのは,このような問題意識からである。
ただし,ここでは,ゴビンダ医師の第15回ハンストにつき,全過程を跡付けたうえで,首尾一貫した形で紹介することは,断念せざるをえない。ハンストをめぐる動きが極めて複雑なうえ,このところの情報化により関係情報もおびただしい数量にのぼるからである。以下では,主な出来事や論点ごとに紹介していく。時間の前後や記述の濃淡,重複などが生じるかもしれないが,ご容赦願いたい。
谷川昌幸(C)
ゴビンダ医師のハンスト闘争(3)
1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(3)
このような現代型「民主的専制」が行われているとき,人々はそれに対しどのような方法で抵抗できるのか?
民主主義そのものの第一原理は,あくまでも理念的には主権者人民の自治であり,方法的には多数決である。個人の自由や権利は自由主義ないし個人主義の原理。したがって民主国では国民多数派が政府を組織し,政策を決定し施行する。そして,この政策の決定・施行が民主的な手続きに則って行われている限り,その政策への不服従は,論理的には,民主的ではないことになる。
むろん民主国では一般に,国民の自由や権利が保障されているので,少数派が自分たちの意見を広め多数の支持を得,自ら多数派となって政府を民主的に変えることは,論理的には可能である。が,先述のように,民主国の政府は民主的に国民を教化するので,教化が進めば進むほど,少数派が国民に訴え支持を広めることは,実際には困難となる。現代型「民主的専制」の成立である。
このようなとき採りうる抵抗手段の一つが,「サティヤグラハ」である。サティヤグラハは,他の人々がどうであれ,不正をただすため一人敢然と立ち,実行する。その意味で,それは多数派に依存せず,したがってそれ自体は「非民主的」な政治闘争である。いまのネパールは,そのようなサティヤグラハに訴えざるをえないような状況になりつつある。
サティヤグラハは,このように民主的方法に依存しないので民主的専制に対しても有効でありうるが,その一方,その闘争行為が人々に見聞きされなければ効果を発揮できないこともまた事実である。ガンジーの一連のサティヤグラハが成功したのも,それが地域から全国へ,そして世界へと広く知られるようになったからである。いまのネパールはどうか?
ネパールはいま,情報化が急激に進み,地域の出来事であっても全国に,いや全世界に瞬く間に知れ渡るようになった。以前のネパールでも情報は口コミなどで伝わっていたが,情報伝播は,量と質の点でも速さと広さの点でも,現代の比ではない。いまのネパールは情報化社会であり,そこはすでに,知られることを大前提とするサティヤグラハが効果を発揮しうる社会状況となっていると見てよいであろう。
■与党絶対多数の代議院(WIKIより作成2018年9月30日)/ゴ医師連帯FB(2016年8月30日)
谷川昌幸(C)
ゴビンダ医師のハンスト闘争(2)
1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(2)
それにしても,なぜいまハンストなのか? ネパールは民主化し,最高水準の民主的な2015年憲法も制定され施行されているのではないか?
ゴビンダ医師のハンストは,直接的にはネパールの保健医療分野の不正を告発し抜本的な改革を要求するものだが,それは同時に,その不正を容認し助長しているネパール民主主義の現状に対する真っ向からの異議申し立てともなっている。
ネパールの民主化は,マオイスト人民戦争(1996-2006年)後,急激に進み,2008年には王制が廃止され連邦共和制となり,そして2015年にはその成果を法的に確定する2015年憲法が制定された。この現行2015年憲法は,国民の権利と民主主義を詳細に規定しており,これによりネパールは少なくとも制度的には世界最高水準の民主国の一つとなった。
しかし,制度はできても,その運用には相当の経験と努力が必要である。ネパールの場合,前近代的・半封建的王制から21世紀的包摂民主主義体制に一気に飛躍したため,人権と民主主義の経験が乏しく,そのため様々な前近代的因習や慣行が根深く残る一方,他方では現代的な市場経済や自由競争社会の論理が有力者によりご都合主義的に利用され始めている。国民各人に保障されるはずの自由や権利は,実際には旧来の,あるいは新興の富者や強者のものとして利用され,そしてそれが民主主義の名により正当化され保護される。憲法規定の民主主義は,富者や強者が,彼ら独占のメディアや彼らの意を体する議会等の統治諸機関を通して国民を教化し,操作し,動員し,かくして彼らの特殊利益に奉仕させるための格好の手段となりつつある。現代型の「民主的専制」といってもよいであろう。
谷川昌幸(C)
ゴビンダ医師のハンスト闘争(1)
1.民主的専制とサティヤグラハ:ネパールから学ぶ(1)
ゴビンダ・KC医師(博士,TU教授)が,ネパール保健医療の抜本的改革を求め,15回目のハンストを行った。ハンストは,6月30日カルナリ州ジュムラで開始され,7月26日強制移送されたカトマンズで終了した。27日間にも及ぶゴビンダ医師最長のハンスト。
*ハンスト(ハンガーストライキ):要求実現のための絶食による非暴力的闘争。
この生命を賭した壮絶な決死のハンストは,保健医療分野の人々を中心に共感を呼び起こし,ゴビンダ支持運動が拡大,結局,オリ政府をしてゴビンダ医師要求をほぼ全面的に受け入れさせることとなった。約束の実行はまだだが,そしてネパールでは約束実行の反故は珍しくないとはいえ,それでも確固たる信念に基づくハンスト闘争の現代における有効性を,ゴビンダ医師のハンストは十二分に実証したといってもよいであろう。
ゴビンダ医師のハンストは,悪政に対し率先して自ら一人敢然と立ち,正義実現のため公然と敢行される非暴力の政治闘争であった。それは,言い換えるなら,ガンジー(ガンディー)の唱えた「サティヤグラハ(सत्याग्रह, 真理要求,真理把持)」に他ならない。ガンジーはネパールではなぜかあまり人気がないが,今回の劇的勝利により,ゴビンダ医師を「ネパールのガンジー」と呼んだり,そのハンストを「サティヤグラハ」として評価する人も出始めた。ゴビンダ医師のハンストは,国内に限定された地域的政治闘争の一つとしてだけではなく,普遍的意義をも持ちうる「サティヤグラハ」としても注目され始めたのである。
谷川昌幸(C)
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