ネパール評論 Nepal Review

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京都の米軍基地(89): 「愛する会」・米軍・「憂う会」

京丹後駐留米軍司令官カルデナス少佐が,皇紀2676年紀元節(平成28年建国記念日)の2月11日,「宮津の郷土を愛する友の会」(「愛する会」と略記)の第50回定期総会に出席された。

この「愛する会」については,余所者の私には,これまで全く何の知識もなかった。そこでネットで調べてみると,この会は宮津では相当ステータスの高い著名な団体であることが分かった。定期総会は一流ホテルの豪華催事場で開催され,そこには毎年,宮津市議会議長も議長交際費から「総会会費5000円」を支出されている。公費支出なので,議長ご本人か代理の方が出席されているのだろう。

この「愛する会」定期総会には,各界の名士の方々も出席されているようだ。昨年は,南スーダン派遣自衛隊の品川隊長という方(ご所属等不明)だったという。今年は米軍司令官カルデナス少佐。

 160218a160218b■京丹後駐留米軍FB(2月16日)

他方,米軍基地の地元には,「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」(「憂う会」と略記)という,これまた著名な会がある。新聞,テレビなどでしばしば取り上げられ,全国的に知られるようになってきた。会の集会も機会あるごとに開催されている。ところが,管見の限りでは,こちらの会主催の集会には,駐留米軍の方々は全く参加されていないようだ。

これは,実に惜しいことだ。米国といえば,イギリス国王の植民地支配に抵抗して立ち上がり,勇敢に戦い,そして解放を勝ち取った偉大な自由の国だ。また,自分たちのことだけでなく,つい数十年前にはヨーロッパやアジアの被抑圧人民解放のため甚大な犠牲をものともせず戦ってくれた,尊敬すべき民主主義の国だ。日本にとっても,米国は,大日本帝国天皇制軍国主義から国民を解放し,自由と人権と平和を手とり足とり教えてくれた敬愛すべき民主主義の師父だ。だから,もしその米国の京丹後駐留軍司令官が「憂う会」集会に出席されるなら,司令官は地元住民の方々と自由や人権や民主主義について大いに語り合い,必ずや意気投合されるにちがいない。

京丹後駐留米軍は,「独立宣言」にうたわれている建国の理念を奉ずるなら,「憂う会」のような団体の集会にこそ積極的に参加し,地元住民の声に耳を傾け,駐留の意義について今一度,自ら深く省察してみるべきであろう。

▼独立宣言(1776年7月4日採択)
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が 最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということ、である。(在日米大使館HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/02/18 at 17:44

マオイストの憲法案(10)

4(3)自由権(6)

[6]個人に対する著しい不正,暴行および搾取に対する最後の手段としての反逆の自由(23条(2)g)

これは,個人の抵抗権の規定。「但し書き」による制限はない。このような抵抗権の保障は,1962年憲法にはむろんのこと,1990年憲法にも2007年暫定憲法にもない。マオイスト憲法案の目玉の一つといってよい。

1)抵抗権の実定法化としての憲法
近代国家は,もともと旧体制に対する革命ないし抵抗の結果,生み出されたものである。たとえば,「アメリカ独立宣言」や「フランス人権宣言(1789)」にそのような宣言がある。

アメリカ独立宣言(1776)
「われわれは,自明の真理として,すべての人は平等に造られ,造物主によって,一定の奪いがたい天賦の権利を付与され,そのなかに生命,自由および幸福の含まれることを信ずる。また,これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと,そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形態といえども,もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には,人民はそれを改廃し,彼らの安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし,また権限の機構をもつ,新たな政府を組織する権利を有することを信ずる。・・・・

連続せる暴虐と簒奪の事実が明らかに一貫した目的のもとに,人民を絶対的暴政のもとに圧倒せんとする企図を表示するにいたるとき,そのような政府を廃棄し,自らの将来の保安のために,新たなる保障の組織を創設することは,彼らの権利であり,また義務である。」(斉藤真訳,岩波文庫,114-115頁)

フランス人権宣言(人および市民の権利の宣言)(1789)
「あらゆる政治社会形成の目的は,人の自然的で時効消滅することのない権利の保全である。その権利とは,自由,所有権,安全,圧政への抵抗である。」(高橋和之訳,岩波文庫,316頁)

近代国家の憲法の規定する自由や権利は,こうした革命や抵抗の成果を憲法条文に実定法化したものだといえる。換言するなら,近代憲法の保障するどの自由や権利にも,憲法をつくり出した人民の革命権や抵抗権が堅固な基盤として埋め込まれているといってよいだろう。

しかし,その一方,革命ないし抵抗が成功し,その成果が憲法の中に書き込まれてしまうと,自由や権利は憲法が保障する実定法上の自由や権利となり,憲法の定める方法で主張され守られるべきものとなってしまう。

2)法実証主義による抵抗権の否定
この考え方を徹底させたのが法実証主義(legal positivism)である。この立場に立つと,実定法に優位する自然法のようなものの法的効力は認められない。悪法も法である。したがって,現に有効(valid)な実定法への抵抗を権利として認める抵抗権は,憲法においても規定することはできない。悪政や悪法への抵抗はあり得ても,それは事実としての抵抗であり,実定法としての憲法の規定する権利ではありえない,という考え方だ。

この実定法の考え方は明快ではあるが,その反面,形式的に合憲的な権力による自由や権利の実質的な侵害に対し,憲法を根拠として抵抗することが困難になるという問題がある。悪法も法であり,改正されるまでは,国民には遵守義務がある。たとえ悪法と思われても,法を破る抵抗行為を法的権利として主張する余地はない。

これは、自由や権利にとっては危険な考え方であり、事実、たとえばナチスはこれを巧妙に利用し、残虐非道な全体主義支配を行うことに成功した。

3)抵抗権の憲法規定
こうした行き過ぎた法実証主義への反省から、自然法や抵抗権が再評価され、憲法の中にも抵抗権が書き込まれるようになった。代表的なものとしては、ドイツ基本法がある。

■ドイツ基本法第20条
「すべてドイツ人は、この秩序(合憲的秩序)を排除することを企図する何人に対しても、その他の救済手段を用いることが不可能な場合には、抵抗する権利を有する。」(『世界憲法集』岩波文庫)

アジアでは、タイ王国憲法(1997)に抵抗権の規定がある。

■タイ王国憲法65条
「何人も、本憲法が規定していない方法により、国家統治権の収奪につながる行為に、平和的に抵抗する権利を有する。」(『アジア憲法集』明石書店)

4)日本国憲法の抵抗権
日本国憲法には「抵抗権」の文言はないが、内容的に抵抗権と考えられる規定はある。

■日本国憲法第12条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」

ここには「抵抗」の文言はないが、自由と権利の保持義務が定められており、そこからは当然、それらの侵害に対する抵抗の義務、つまり抵抗権が導き出される。

しかし、この自由や権利の保持努力は、先述のように、憲法秩序のあるところでは、合法的手段によるものに限定されるという見方もある。実定法としての憲法は、有効な実定法に違反する行為を法的権利として正当化することはできないという論理である。

もちろん、自由や権利が侵害され、実定法による救済が全く期待できないような場合はあり得る。そうしたときの抵抗は、自然法を認める立場に立てば、自然法上の権利(自然権)となり、自然法を認めない立場に立てば、事実としての抵抗となる。しかし、いずれにせよ、それは実定法としての憲法上の権利ではない、という考え方である。

この問題、すなわち抵抗権は憲法上の権利か否かは、難しい問題であるが、結局、それは憲法の究極的解釈権が誰にあるかによって決まると考えられる。憲法は、制定後は、もっぱら憲法の定める手続きによって立法・行政・司法を通して解釈・適用されると考えるなら、その国家統治に反する抵抗行為を法的権利として正当化することは、憲法それ自体にはできない。

しかし、憲法が、立法・行政・司法による、あるいは国家の実定法による救済が不可能と国民が判断する場合は、自由や権利を保持するためそれらに抵抗する権利がある、と規定しているのであれば、抵抗権は憲法上の権利と言うことになるであろう。

たしかに、憲法設置の立法・行政・司法が形式的には合憲でも実質的には憲法実序を著しく侵害し、しかも合法的手段ではそれを阻止できない場合は、ありうる。そうした場合、憲法自体が抵抗権を認めておれば、違憲的統治への抵抗は憲法上の権利ないし義務となり、抵抗は合憲化・正当化され抵抗が容易となる。

しかし、具体的に、誰が、いつ、どのような形で抵抗権を行使できるかとなると、これは難しい。抵抗権行使の条件を緩くすると、憲法の定める合法的手続きが空洞化し、統治が不安定化する。悪法は法ではないから服従義務はないということになれば、恣意的解釈による法律無視が横行し、アナーキーになりかねない。逆に、要件を厳しくすると、結局、抵抗権を発動できなくなり、憲法に規定する意味が無くなってしまう。これは、近代的抵抗権理論の始祖ジョン・ロック以来、つねに問われ続けてきた難問である。

抵抗権発動の要件は難問であるが、それでもやはり憲法あるいは自由や権利が根底から破壊されそうなとき、人民には抵抗権がある、と憲法に規定することの意義は大きい。それは、そのような規定がない場合と比較してみれば、自明である。

5)市民的抵抗
それともう一つ、悪政や悪法に対する抵抗には、HD・ソローやガンディー、ML・キングらが唱え実践した市民的抵抗(civil disobedience)がある。これは、悪政や悪法への服従を拒否して抵抗するが、服従拒否に対する処罰は甘受するというところに特徴がある。

悪法を破り、有罪判決を受けたら、その判決に従い投獄される。その服従拒否・裁判・投獄の過程を通して、悪政や悪法の実態を暴き、これを世間に広く知らしめ、統治者に反省を迫り、悪政を改めさせる、という考え方である。

非力なユートピア思想のように見えるが、強い信念と適切な戦略・戦術があれば、これもきわめて有効な抵抗方法である。ガンディーのインド独立運動やキング牧師の黒人公民権闘争がそれを如実に実証している。

この市民的抵抗も、抵抗権の一種といってよい。市民的抵抗は憲法に抵抗権の規定がなければ、一種の自然権として行使される。もし抵抗権の規定が憲法にあれば、それは憲法上の抵抗権行使の一つとして正当に行使されるであろう。たとえば、ドイツ基本法は抵抗方法を限定していないので、実力による抵抗も可能であろう。これに対し、タイ王国憲法は「平和的に抵抗する権利」と限定しているので、これは市民的抵抗の規定といってよいであろう。

6)マオイスト憲法案の「反逆の自由」
では、マオイスト憲法案の「反逆の自由(freedom to revolt)」については、どのように考えたらよいのか? 

マオイスト憲法案の「反逆の自由」は、抵抗権ではあるが、他の憲法のそれとはかなり異なる。ドイツ基本法は、憲法秩序の破壊に対して抵抗する権利をすべてのドイツ人に認めている。抵抗方法の限定がないので、必要なあらゆる手段で抵抗する権利と見てよいであろう。

タイ王国憲法は、違憲な方法による国家統治権奪取(簒奪)に対し平和的に抵抗する権利を、すべての人に認めている。先述のように、「平和的」と限定しているので、非暴力的な抵抗に限定される。市民的抵抗のような抵抗権行使である。

日本国憲法は「国民の不断の努力」と規定するだけなので、自由や権利を守るため、どのような抵抗方法をとることができるか、ここからだけでは明確ではない。しかし、日本国憲法の根本原理の一つは平和主義であり、非戦非武装を前文と9条で規定しているので、自由や権利を守るためのギリギリの抵抗も非暴力的抵抗と考えなければならない。市民的抵抗である。

これに対し、マオイスト憲法案は、「個人に対する著しい不正、暴行および搾取」に対する「最後の手段としての反逆の自由」を規定している。抵抗権発動の目的が、ドイツ基本法とタイ王国憲法では憲法秩序の破壊から憲法を守ることであるのに対し、マオイスト憲法案では実質的には個人の権利を守ることであり、これは日本国憲法第12条とほぼ同じである。しかし、抵抗の手段の限定がないので、ドイツ基本法と同じく、必要なあらゆる手段を執りうると見てよいであろう。

しかも、注目すべきことに、この「反逆の自由」には「但し書き」による限定がない。したがって、他に手段がないと判断したら、誰でも「最後の手段」としてこの「反逆の自由」を行使できるのだ。これは、アナーキーの容認といってよいほどの驚くべき規定である。マオイストは、どうしてこのような「革命的」な規定を憲法案に入れたのであろうか?

ここでもやはり、マオイストは憲法を攻撃の道具として使うことばかり考え、自分たちが権力に就いたときのことには考えが及んでいないと断じざるをえない。コングレス党や統一共産党(UML)が権力にあるとき、この「反逆の自由」は強力無比の政府攻撃の武器となる。しかし、もしマオイスト政権となれば、今度は、マオイストがこの「反逆の自由」により攻撃されることになる。そこのところに、マオイストの考えは及んでいないらしい。制憲議会で大勝利し、議会第1党になっているにもかかわらず。

マオイスト憲法案の「反逆の自由」は、ドイツ、タイ、日本の抵抗権規定に比べ、はるかにずさんといわざるをえない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/03/27 at 17:25