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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(9)

8.対テロ戦争の悲惨と愚劣
(1)対テロ戦争のためのアフザル処刑
アフザル裁判が,彼の出身地カシミールの紛争と密接に関係していることは,いうまでもない。ロイによれば,カシミールは20年以上にわたってインド本国に軍事的に占領され,何万ものカシミール人が拘置所,刑務所,仕組まれた(みせかけの)遭遇戦などで殺されてきた。アフザル処刑は,そのカシミール紛争を新たな次元に引き込むものだという。

「アフザル・グル処刑は,これまで民主主義を一度も実体験したことのない若者たちに,リングサイド特等席でインド民主主義の威厳と壮麗な働きを観る機会を与えてくれた。カシミールの若者たちは,法輪が回るのを観た(*1)。彼らは,インド民主主義の厳かな白い諸制度のすべてを観た(*2)。政府,警察,裁判所,政党と,そしてそう,あのメディアが共謀して,一人の男を縛り首にした。公正と彼らの信じない裁判により,一人のカシミール人が処刑されたのだ。」(Roy:ⅱ)

 *1 法輪:国旗中央のアショーカ・チャクラ。空と海。
 *2 白い諸制度:国旗上部のサフラン色はヒンドゥー教,下部の緑色はイスラム教,そして中間の白色は2宗教の和解を象徴するとされている。「白い」諸制度とは,「和解と真実と平和」の諸制度ということ。

  130313a ■インド国旗

(2)カシミールとアフザルとインド民主主義
カシミールは,ロイによれば,ミリタント,治安部隊,印パ越境者,スパイ,密告者,印パ情報機関,人権活動家,NGO,地下資金,密売武器,等々の巣窟である。「これらの物事や人々を区別する明確な線は必ずしも無い。誰が誰のために働いているのか知ることは,容易ではない。」(Roy:ⅳ)ロイは,次のように述べている。

「カシミールでは,真実は,他の何よりも危険といってもよい。深く掘れば掘るほど,悪くなる。穴の底には,アフザルの語るSOG(Special Operation Group 特殊作戦部隊)やSTF(State Task Force 州警察特任部隊)がいる。これらは,カシミールのインド治安機関の中でも最も冷酷で,無規律で,恐ろしい組織である。より正規の他の部隊とは異なり,これらは,警官,投降ミリタント,裏切り者,そして他のあらゆる犯罪者たちがうごめくグレーゾーンで行動する。それらは,カシミールの人々,特に地方の人々を食い物にし,苦しめる。その最大の犠牲者が,1990年代初めの無統制な蜂起の際,立ち上がって抵抗したのち投降し,普通の生活に戻ろうとしている何千というカシミール青年たちである。」(Roy:ⅳ)

アフザルも,1989年,20歳の時,パキスタンに越境したが,本格的な訓練は受けることなく舞い戻り,デリー大学に入学した。ジーラーニ講師とも,そこで知り合いになったらしい。1993年,ミリタントとしての活動経歴はなかったが,自ら国境治安部隊(BSF)に投降した。

「あまりにも皮肉なことに,アフザルの悪夢は,ここに始まる。投降した彼は罪にとわれ,人生は地獄と化した。もしカシミールの青年たちが,アフザルの境遇を見てそこから教訓を引き出したとしても,誰も非難はできまい――武器を捨てて投降し,インド国家が差し出す,ありとあらゆる残虐行為に身をゆだねるのは,狂気の沙汰だ,という教訓である。

ムハンマド・アフザルの境遇はカシミール人の境遇でもあり,カシミール人を怒らせた。アフザルの身に起こったことは,何千ものカシミールの若者たちとその家族にも起こりえたことであり,起こりつつあることであり,そして事実起こってきたことなのだ。

違いがあるとすれば,彼らの場合,共同尋問センター,軍キャンプそして警察署の内部の薄汚い場所で,それが起こることだけだった――そこで,彼らは火を押しつけられ,殴られ,電気を流され,恐喝され,そして殺される。死体はトラックから放り捨てられ,通行人に発見させる。

アフザルの場合,中世の舞台の一場面であるかのように,それは行われている。国家を舞台に,白昼堂々と,『公正な裁判』による法的承認の下に,『自由な報道』のうつろな利益のために,そして,いわゆる民主主義の威厳と儀式のために,それは行われているのだ。

もしアフザルが縛り首にされたら,問われるべき真の問題への答えを,私たちは決して知ることができなくなってしまうだろう。インド議会を襲撃したのは,誰か? ラシュカレ・トイバだったのか? ジェイシェ・モハンマドだったのか? あるいは,われわれすべてがその中で生き,美しくも複雑であり,また痛みを伴うわれわれ自身の仕方で愛し憎んでいるこの国の奥底の,秘密の,とある場所に,その答えはあるのだろうか? ・・・・

実際には何が起こったのかを知ることなく,モハンマド・アフザルを縛り首にするのは,誤りである。すぐ忘れられるようなことではない。許されるべきことでもない。決して,忘れられるべきでも許されるべきでもないこと,である。」(Roy:ⅳ)

 130313b ■カシミール解放戦線HP(Feb.13,2012)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/13 at 15:46

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(4)

4.裁判の概要
(1)逮捕(2001年12月)
国会襲撃事件で逮捕・起訴されたのは,次の4人である。

▼アフザル(Mohammed Afzal Guru)
1969年カシミール生まれ。妻Tabasumと息子。ジャム・カシミール解放戦線(JKLF)参加。デリー大学卒(1994)。国境治安部隊投降(1994)により「投降ミリタント」となる。医療品業を営み,スリナガルとデリーを往復。2001年12月15日,スリナガルの果物市場で,いとこのシャウカトとともに逮捕。

[容疑]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。
[記者会見]2001年12月20日,デリー警察が記者会見,アフザルを引き出し自供強要。

    130303a ■アフザル(Times of India, Feb 9, 2013)

▼シャウカト(Shaukat Hussain Guru)
アフザルのいとこ。果物商。12月15日,スリナガルでアフザルとともに逮捕。

▼アフザン(Afsan Guru)
シャウカトの妻。アフザルとシャウカトが逃亡を図ったと警察の主張するトラックの所有者。アフザルとシャウカトの逮捕後,逮捕される。妊娠中。刑務所内で出産。

▼ジーラーニ(S.A.R. Geelani)
デリー大学アラビア学講師。デリーで拘束され(12月14日?),その後,逮捕(15日)。

   130303b  ■ジーラーニ(Outlook, Feb 28, 2005)

(2)起訴(2002年5月14日)
早期結審法廷(fast-track court)に被告4人を起訴。[罪状]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。

(3)テロ防止法特別法廷(第1審)判決(2002.12.18)
  ・アフザン:投獄5年
  ・ジーラーニ,シャウカト,アフザル:死刑

(4)デリー高裁判決(2003.10.29)
  ・シャウカト,アフザル:死刑
  ・ジーラーニ,アフザン:無罪

(5)最高裁判決(2005.8.4)
  ・アフザル:死刑(2013年2月13日午前8時,絞首刑執行。Tihar刑務所内埋葬)
  ・シャウカト:投獄10年(素行良好により6月短縮し,2010年12月釈放)
 
[死刑判決理由]
「アフザルの自供とは別に,状況証拠を検証する。・・・・それゆえ[かりに自供を除外しても],アフザルがこの重大な共謀犯罪の一員であったことを示すに十分なだけの状況証拠がある,と判定される。」

「本件における最も適切な刑罰が死刑であることに疑いの余地はない。第1審(事実審)裁判所と高等裁判所もそう審判した。これは,インド共和国の歴史に類例を見ない事件であり,まさしく希有な事件の中でも最も希有な事件(rarest of rare cases)である。強力な武器と爆発物を使い,インドの多くの国民代表議員や憲法設置機関や政府職員の安全を脅かし,治安部隊を攻撃し,もって主権的な民主主義制度を攻撃し覆そうとする――これは,最も危険なテロ行為に他ならない。これこそ,希有な事例の中でも最も希有な事例(rarest of rare cases)の典型的な実例である。」

「この事件は,重大な被害をもたらし,全国を震撼させた。社会の集合的良心(the collective conscience of the society)は,襲撃犯に死刑を科すことによってのみ満足させられるであろう。テロリストや共謀犯の行為はインドの統一・統合・主権に対する挑戦であり,反逆・陰謀犯と判明した者には極刑をもって償わせる以外に方法はない。上訴人は投降ミリタント(surrendered militant)であり,国家反逆行為を繰り返した。上訴人は社会の脅威(a menace to the society)であり,その生命は絶たれねばならない。したがって,死刑判決は支持される。」
  (出典) CASE OF MOHD. AFZAL (A1), Supreme Court Judgment, in Outlook.

(注)複雑な事件のため不正確な部分があるかもしれない。もしあれば,後日訂正する。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/03 at 14:50

カテゴリー: インド, 司法, 人権

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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(3)

3.国会議事堂襲撃事件の構図
インド国会議事堂襲撃事件は,「米国同時多発テロ(2001.9.11)」後の対テロ戦争の異様な高揚の只中で発生した。この事件は日本でも報道され,朝日新聞(12月14~30日)によれば,2001年12月13日午前11時45分頃,武装集団5人(又は6人)が議事堂に車で乗りつけ,警備員らに小銃を乱射,手榴弾を投げ,一人が自爆した。銃撃は約40分間続き,その数時間後,持ち込まれた爆弾が爆発したという。襲撃犯5人は射殺された。(1人が自爆なら射殺は4人,また6人侵入なら1人は逃亡ということになるが。)

翌日の14日,シン外相は,襲撃はラシュカレ・トイバ(カシミール反政府組織)によるものだと語り,16日にはニューデリー警察が記者会見し,射殺された5人はパキスタン人であり,逮捕したデリー大学講師ら4人の取り調べの結果,ISI(パキスタン国防省統合情報局)の関与が疑われると発表した。19日には,バジパイ首相が国会において,「襲撃犯5人はいずれもパキスタン人であり,同国の過激派組織の関与は明白」とのべ,外交的手段以外の「他の選択肢もあり得る」と宣言した。

20日付朝日記事は,「インド国会議事堂を13日白昼襲撃した犯人5人は,パキスタン領カシミールを活動拠点とするイスラム過激組織『ラシュカレ・トイバ』と『ジャイシェ・モハメド』のメンバー」と断定しているが,これもインドの当局やマスコミ報道によるものだろう。

こうして印パ関係は一気に険悪化し,インドは駐パキスタン大使を召還する一方,カシミールや他の印パ国境付近に軍隊を移動させた。カシミールでは両軍が衝突し,19日以降,双方に数名の死者と多数の負傷者が出た。インドはミサイルも配備,一触即発,核戦争さえ勃発しかねない緊迫した状況になった。この危機に対し,アフガンでの対テロ作戦の障害になることを怖れたアメリカが調停に入り,またパキスタンも比較的抑制的な態度をとったこともあり,本格的な軍事衝突となることは免れた。しかし,危機一髪であったことはまちがいない。

この事件の構図は,警察・政府・マスコミによれば,単純明快である。しかし,これほどの重大事件であるにもかかわらず,いやまさに重大事件であるからこそ,その明白とみられている構図そのものの信憑性を,もう一度,最初から検証してみる必要がある。たしかに,警察・政府・マスコミ発表の構図を信じるなら,すべてがきれいに説明できる。いや,できすぎるくらいだ。ところが,具体的な事実を細かく検証していくと,合理的に説明できないことがいくつも見つかり,全体の構図そのものが怪しくなる。

こうしたことは,重大な政治的事件の場合には,決して少なくない。有名なのは,「ケネディ暗殺事件(1963年)」。公式発表ではオズワルドの犯行とされているが,これを疑う人は少なくない。マフィア説,産軍複合体説,CIA説など,いくつか有力な説があり,たとえば「JFK(2001年制作)」も,映画にはちがいないが,相当の説得力がある。あるいは,ネパールの「王族殺害事件(2001年)」も,政府発表では事件3日後に死亡したディペンドラ皇太子の犯行とされているが,あまりにも不自然であり,不可解な点が多く,この発表をそのまま信じる人は多くはない。秘密機関陰謀説,王室内あるいは軍のクーデター説など,いまも繰り返し蒸し返されている。

インド国会議事堂襲撃事件も,きわめて政治的な事件であり,警察や政府発表をそのまま信じることは,危険である。イスラム過激派集団のテロという,世論を動員しやすい構図に合わせ,アフザルら4人が逮捕され,「自白」が引き出されたのかもしれないからである。ロイが問題にするのは,まさにこの点である。それは,もしこの事件が何らかの政治的意図によるフレームアップであったとすれば,背後にいるであろう闇の権力にとっては,到底,放置できない危険な議論ということになりかねない。

130227a

130227b
  ■インド国会議事堂(2010.3.9)

谷川昌幸(C)

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(2)

2.インド憲法と絞首刑
インド憲法では,死刑は禁止されていない。

第21条 何人も,法の定める手続きによらなければ,その生命または人身の自由を奪われない。

この第21条の規定は,法に定めさえすれば,あるいは「適正手続き」によりさえすれば,死刑は認められるという意味である。さらに,通説によれば,死刑は第14条(法の前の平等)や第19条(自由)の権利規定にも反しない。いや,それどころか,最高裁は,その判決において,しばしば,死刑確定後の執行の先送りは,第21条の規定に反する,とさえ判示してきた*。
 * B.K. Sharma, Introduction to the Constitution of India, Prentice-Hall of India, 2002, pp.88-89.

また,絞首刑も,最高裁判示(1983年など)により,残虐な死刑執行方法ではなく,合憲とされている。

むろん,死刑は極刑であり,最高裁も「もっとも限定的な場合(the rarest of rare cases)」にのみ適用されると判示している。たとえば,残虐非道な強盗殺人,国民(国家)にたいする戦争(テロ)行為,軍人等の反逆扇動,大規模な麻薬取引など。したがって,インドでも死刑判決は少なくないが,内閣の助言に基づく大統領恩赦により減刑され,実際の執行は日本よりもはるかに少ない。1995年以降,今回を含め4件のみである。

【参考】ティハール刑務所
デリー刑務所のHPを開くと,「Welcome」と歓迎してもらえる。それによると,ティハール刑務所は「世界最大の刑務所」の一つであり,定員6250人なのに12000人も収容,大繁盛という。いかにもスパイス濃厚味・原色ギラギラの世界最大民主国インドらしい。

130223b ■デリー刑務所HP

130223c ■レイプ犯絞首刑要求デモ(India Today, Jan.5, 2013)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/23 at 20:51

カテゴリー: インド, 人権

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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(1)

1.絞首刑と民主主義とロイ
アフザル・グル氏が,2月9日,デリーのティハール刑務所で絞首刑に処され,刑務所内に埋められた。2001年の国会議事堂襲撃事件の共謀者として逮捕・起訴され,2005年8月,最高裁判決で絞首刑が確定していた。

アフザル氏は,世界最大の民主主義国であるインドの熱狂的な「人民の意思」により,「縛り首」にされた。「インド:絞首刑執行人が語る」によれば,インドの「縛り首」は非常に洗練されており,体重と同じ重さの砂袋を使って専門家が事前に十分練習するらしい。縄には,石鹸とギー,そして直前には潰したバナナを塗る。首にかける輪には,結び目を5つ作る。そして,首が切断されたり,目や鼻から出血したりせず,苦痛なく死なせる程度の強さでレバーを引く。アフザル氏も,おそらくこのような方法で絞首刑に処されたのだろう。(絞首刑は,日本の方がはるかに多い。21日にも3人が一度に執行された。インドのように,洗練された「人道的」な方法で執行されているのだろうか?)

この処刑の日は,アルンダティ・ロイによれば,「[インド]民主主義にとって完璧な日」であった。

これは,どのような意味であろうか? インド「人民」が熱狂的に要求した「縛り首」が執行され,「人民の意思」が実現されたからなのだろうか? この問題につき,ロイは事件当初から関心を持ち,長文の批評をいくつか書いている。

By Arundhati Roy:
[ⅰ] “A Perfect Day for Democracy,” The Hindu, Feb.10, 2013
[ⅱ] “Does Your Bomb-Proof Basement Have an Attached Toilet?,” Outlook, Feb.25, 2013
[ⅲ] “Introduction,” 13 December: A Reader, The Strange Case of the Attack on the Indian Parliament, Penguin Books, 2006 (Outlook, Dec.18, 2006).
[ⅳ] “Afzal Hanging: The Very Strange Story of the Attack on the Indian Parliament,” Outlook, Oct.30, 2006
[ⅴ] “Who Pulled the Trigger…Didn’t We All?,” Outlook, Feb.28, 2005

Afzal Guru, “Letter to All India Defence Committee for SAR Geelani,”(The Police Made Me a Scapegoat), Outlook, Oct.5, 2006
Afzal Guru, ”Letter to His Lawyer Sushil Kumar, Sr. Advocate, Supreme Court,” Outlook, Oct.21, 2004

Anjali Mody, “Unansewered Questions Are the Remains of the Day,” The Hindu, Feb.10, 2013
Sandeep Joshi, “Afzal Guru Hanged in Secrecy, Buried in Tihal Jail,” The Hindu, Feb.9, 2013
Nirmalangshu Mukherji, “The Media and December 13,” Outlook, Sep.30, 2004
David Kumar, “The Ham Burger,” Outlook, Jan.14, 2002
Davinder Kumar, “Tracing a Puppet Chain,” Outlook, Dec.31, 2001.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/22 at 22:20

カテゴリー: インド, 民主主義

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