ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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平和のハトと,ハトを食うヒト

1.「平和の象徴」としてのハト
ハト(鳩)は,欧米でも日本でも,一般に「平和の象徴」と見られている。旧約聖書では,ハトがオリーブの小枝をくわえて箱舟に戻り,新約聖書では,聖霊がハトの姿でイエスのもとに降りてくる。

「旧約聖書」創世記:8-11
ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。・・・・それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。
「新約聖書」マタイ3:16
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
同上,10:16
へびのように賢く、はとのように素直であれ。

日本では,たばこの「ピース」がハトのデザイン。紫煙をくゆらせ,ハトの平和を嗜むわけだ。

150222d150222f ■UN/UNODA

150222e150222a ■ドン・ボスコ社刊/ピース

2.食用としてのハト
しかし,ハトにとって,人間社会は平和なところばかりではない。ハトは,ヒトによって食用として飼われ,殺され,食われてしまうこともある。なんて野蛮,残酷! そんな悲鳴が聞こえてきそうである。

しかしながら,ハトを食べる文化は,決して珍しくはない。中近東では一般的だそうだし,ネパールでも食用にハトを飼っているところはある。私自身,山麓トレッキングのとき,小さなハト小屋のある農家をあちこちで何軒も見ている。

食用鳩のことは,したがって私も知ってはいたが,その一方,長年にわたる西洋キリスト教文明の刷り込みにより,私の心の中には,「ハト=神聖=平和」という心象イメージができあがってしまっていた。だから,ルンビニの近くのタルー民族の村で,ハトが食用として広く飼育されているのを見て,少なからぬショックを受けた。

この村のハト小屋は,大きな立派な粘土製で,小屋というよりはマンション。そんな豪華なハト小屋マンションが,各農家の庭先にデーンと据えられ,ハトが頻繁に出入りしている。平和といえば平和な風景だが,「ハト=神聖=平和」の心象イメージが強いだけに,殺され食われるためかと思うと,「残酷,かわいそう!」という感情に捕らわれるのをどうしても禁じえなかった。

食は性と同様,文化の基底にあり,食生活の相違は,知識としては理解していても,感情としては,なかなか納得できるものではない。聖牛文化圏の人であれば,神戸牛を見てよだれを垂らすようなことは,けっしてないだろう。クジラ高等動物信者は,牛を殺して食っても,捕鯨は生理的に嫌悪するだろう。

150222b ■ハト小屋

3.異文化の実地学習
私自身,今回,イタハリの食堂で昼食中,たまたま朝食で残したゆで玉子があったので食べていたら,店員が血相を変えて飛んできた。全く気づかなかったのだが,そこは菜食主義(ベジタリアン)食堂だったのだ。

不注意を平謝りし,何とか許してもらった。内心,ゆで玉子くらい,と思わないでもなかったが,これは,インド国境付近を旅しているにもかかわらず,地元食文化に鈍感だった私の誤りである。よい勉強になった。

人類を救ったハトは,救った人間に食われることもある。不殺生の聖地ルンビニで,そんなことも実地学習した。

150222c ■巨大な保存壺

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/23 at 13:36

ケネディ大使,ジュゴン保護を!

ケネディ大使のイルカ漁非難は,先述のように政治戦略に基づく発言であり,それ以上の正当な根拠は見あたらない。

もしイルカに限らず動物が保護されるべきなら,それは,不殺生倫理によるか,さもなければ人間のための自然保護を根拠とすべきである。ケネディ大使は不殺生倫理の立場はおとりではないはずなので,とすれば,当然,自然保護を非難の根拠とされるべきである。

これはキリスト教の教えにも合致している。聖書は,人間と他の被造物を峻別する。人間は他の被造物すべてを支配し利用する権利を神により与えられ,その限りで他の被造物を保護する。動物保護の根拠は「人道性」ではなく,人間による自然の有効利用にほかならない。

たとえば,パンダを殺して食べるのを禁止するのは,パンダの「知能が高い」からでも「かわいい」からでもない。もしパンダ猟を禁止しなければ,すぐパンダが絶滅してしまうからにすぎない。「かしこさ」や「かわいらしさ」が同情を呼ぶとしても,保護の目的は,あくまでも神の創造になる自然秩序を維持し,もって人間生存の神与の目的に資することである。

さて,もしそうだとするなら,ケネディ大使が率先して反対の声を上げ,本国政府に申し入れるべきは,沖縄のジュゴン保護である。

いま沖縄では,米軍が日本政府と協力し名護市辺野古の近海を埋め立て,広大な軍事基地をつくろうとしている。もしこれが強行されれば,ジュゴンはむろんのこと,他の多くの貴重な動植物が死滅の危機に瀕する。

神の前での宣誓を慣行とされる国の大使として,ケネディ閣下は,本国政府に対し,ただちに辺野古基地建設の中止を進言されるべきであろう。

また,イルカやクジラの捕獲反対を叫ぶ動物愛護団体に対しては,いまこそ辺野古に結集し,基地建設反対に立ち上がれと檄を飛ばされるべきであろう。

これは,けっして過激な極論ではない。すでにN・チョムスキー,M・ムーア,J・ダワー各氏をはじめ,内外の多くの人々が,辺野古米軍基地建設反対,ジュゴンを守れ,と世界に向け訴えかけている。ケネディ大使にも,ぜひ,この平和の訴えへの支援をお願いしたい。

   140122  ■美しい辺野古の海(Google)

【参照】
International Scholars, Peace Advocates and Artists Condemn Agreement to Build New U.S. Marine Base in Okinawa
   (……) the US and Japanese governments planned to close Futenma Marine Air Base in the middle of Ginowan City and move its functions to a new base to be constructed at Henoko, a site of extraordinary bio-diversity and home to the endangered marine mammal dugong. (…..)
   We support the people of Okinawa in their non-violent struggle for peace, dignity, human rights and protection of the environment. The Henoko marine base project must be canceled and Futenma returned forthwith to the people of Okinawa.
   January 2014
Noam Chomsky, John W. Dower, Michael Moore, Oliver Stone, et. al.

世界の識者と文化人による、沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明
 辺野古は稀に見る生物多様性を抱え、絶滅の危機にある海洋哺乳動物、ジュゴンが棲息する地域です。・・・・
 私たちは、沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。
    2014年1月
ノーム・チョムスキー,ジョン・W・ダワー,マイケル・ムーア,オリバー・ストーンほか
(http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/01/international-scholars-peace-advocates.html)

Defense Bureau keeps information on dugongs from the public [Editorial, Ryukyu Shimpo, Sep.24, 2013]
   Three times in the past, the International Union for Conservation of Nature (IUCN) has recommended action to save the dugongs. That Japan and the United States continue to ignore this recommendation is sinful in the extreme…..
   That they are prepared to cause damage to the sea in order to build a military base is contrary to the global trend of strengthening environmental protection policies. Government officials should feel pangs of conscience for what they are doing to the sea, which is so valuable and rich in biodiversity.

ジュゴン情報非公表 普天間撤去は逆転の発想で (琉球新報社説2013-9-24)
 辺野古埋め立てに関しては、国際自然保護連合(IUCN)も過去に3度、ジュゴンの保護を勧告している。日米が勧告を事実上無視し続けていることは罪深い。・・・・
 海を破壊し軍事施設を建設するという発想自体が、環境保護政策の強化を求める世界潮流に逆行している。政府当局者は、生物多様性に富んだ貴重な海を痛めつけることの罪悪を自覚すべきだ。
(http://english.ryukyushimpo.jp/2013/10/05/11911/) (http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212912-storytopic-11.html)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/01/22 at 17:06

毛沢東主義vsキリスト教vsヒンズー教

[1]

ネパールの混乱は、深層では、むしろ宗教にある。11日のekantipurをみると、マオイストのプラチャンダ(ダハール)議長がナクサライト(印マオイスト)のネパールでの訓練を必死になって否定している、そのすぐ横に、キリスト教会が黄金色の宣伝を出している。この場所は、アメリカ国務省の定位置だが、そこに今度は米系キリスト教会の宣伝がでているのだ。(記事連動広告であろう。)
 

[2]

たしかに近代民主主義は近代キリスト教(プロテスタント)によって生み出されたものであり、相補関係にあることは事実である。その意味では、アメリカ国務省とキリスト教会が交代で前近代的偶像崇拝や非民主的政治を批判し、“無知蒙昧なネパール人たち”を啓蒙し彼らの神に目を向けさせようとするのは、きわめて合理的なことであり、当然といってよいかもしれない。

しかし、こんな無神経なことをもし日本でやったら、余計なお世話だ、Yankee, Go Home! となることは、まず間違いない。だから、もちろんアメリカもそんな馬鹿なことはしない。にもかかわらず、ネパールでは堂々とやっている。ネパールは馬鹿にされているのだ。

[3]

ekantipurの画面を見ていただきたい。「宗教はアヘン」と信じるマルクス主義者、「革命は銃口から」と唱える毛沢東主義者の右横で、Global Media Outreach というキリスト教団体が、「神を信じるものは救われる」と説教している。クリックしてみると、本部はアメリカ。こんな取り合わせは、日本なら喜劇だが、ネパールでは悲劇。悲愴感がつきまとう。それだけ、ネパール社会の亀裂は深いのだ。

いまの日本社会であれば、キリスト教会が「信じるものは救われる」と宣伝しても、大多数の日本人は「あっ、そう、それはすばらしいですね」で済ませてしまう。ところが、ヒンズー教が生活となっているネパールでは、そうではない。

[4]

そもそもヒンズー教とキリスト教は、歴史的に不幸な関係にあった。ヒンズー教は、イエス=キリストを神々の一人として受け入れようとしたが、キリスト教はヒンズーの神々を猥雑な偶像として唾棄し、ヒンズー教徒を改宗させ、彼らの神の絶対的支配の下に服従させようとした。しかも、キリスト教は経済的にも政治的にも圧倒的優位にある欧米諸国をバックにしている。キリスト教会には、金力と権力の後光が輝いていた。

ヒンズー教徒は、教徒として生まれるのであり、ヒンズー教に改宗の思想はない。これに対し、キリスト教、特にプロテスタントは、一切の伝統や慣習を否定し、絶対的な唯一の神への全面的改宗を迫る。他者、他宗教を無限に受容しようとするヒンズー教と、自己以外の他者を絶対的に拒否するキリスト教。こんな両極端の宗教が、いまネパールでは真正面から激突し始めているのである。

[5]

欧米や日本は、このような原理的対立の時代をすでに経てきており、一歩引いてみるだけの余裕がある。先進諸国のスレた現代人には、そのような原理的対立は、むしろ喜劇に見えてしまう。「 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ福音書19・24)。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(同5・3)。

ところが、ネパールではそうではない。マオイストは唯物論に立ち「宗教はアヘン」と信じ、「銃口から革命」を生み出そうとしている。その一方、大多数のヒンズー教徒は無数の神々を日々礼拝し、神々と共に生活している。その基本的事実を無視し、そんな初歩的なことも考慮せず、アメリカ国務省やキリスト教会は、無邪気に、一方的な原理主義的宣伝を垂れ流している。国務省もキリスト教会も、ネパールは彼らよりもはるかに長く深く重い文化の豊かな伝統を持っている、という事実を見るべきであろう。

[6]

日本でなら、もちろんかまわない。喜劇として、笑い飛ばされるだけだから。たとえば、はるばる欧米から和歌山県大地町に押しかけたシーシェパードのイルカ原理主義者たちに対しては、高々と聖書を掲げ、語りかけよう!

「神は彼ら(人間)を祝福して言われた。産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1・28)

「地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。」(創世記9・2-3)

みよ、神は「すべて生きて動くもの」を人間の「食物」として与えられた。クジラもイルカも、神が人間に与えられた「食物」である。これは全能の神の命令である。シーシェパードごときに、この神の命令を改変する力はない。大地に来るなら、キリスト教の神を殺してから来るべきだ。ニーチェなら、そうしたであろう。

日本の仏教徒や無神論者には、聖書を使ってイルカ原理主義を笑殺するだけの余裕がある。創世記の一節を看板やチラシに書き、イルカ原理主義者に見せてやるだけのカネもある。

しかし、われわれ日本人は、牛を神聖視する人々に向かって、「牛の偶像崇拝をやめよ」「神は牛を人間の食物とされた、牛を食え」とは、決していわない。日本人はその程度のたしなみは心得ているのだ。アメリカやキリスト教会にも、無神経によその国に手を突っ込み、引っかき回すようなことはやめていただきたいものだ。

▼キリスト教とヒンズー教の関係については、小谷汪之「キリスト教とヒンドゥー教」(『インド社会、文化史論』明石書店、2010年)が、この上なく鋭く、明快に分析している。必読文献。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2010/11/12 at 13:46