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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(6)

6.ジーラーニ逮捕・起訴の不当性
国会襲撃事件の容疑者として逮捕された4人のうち,最も不可解なのが,デリー大学アラビア学講師ジーラーニの逮捕。15日の逮捕直後からマスコミは,「デリー大学講師はテロ計画の中心だった」,「大学教師がフェダイーン(革命戦士)の手引き」,「大学教師がテロの課外授業」などとセンセーショナルに報道した。当初,デリー警察がジーラーニ自供からアフザルを割り出したと説明していたように,ジーラーニこそがターゲット,襲撃の「首謀者(mastermind)」と想定されていたのだろう(Roy:ⅰ&ⅳ)。

ところが,逮捕されたジーラーニは,デリー警察で激しい拷問を受け,妻・子・兄弟までも拘束され,彼らを人質に脅迫さえされたが,自供はしなかった。ジーラーニは,知識人(大学講師)であり,有能な弁護士がつき,また同僚や多くの支援者がいた。それでがんばり通せたのだろう。

一方,警察には,ジーラーニを逮捕したものの,十分な根拠がなかったことは,アフザルの弁護士宛書簡を見ると,よく分かる。12月20日の強制的マスコミ会見でのやりとりについて,アフザルはこう述べている。

「そこにはNDTV, Aaj Tak, Zee News, Sahara TVなどがきていた。ラジビール・シン(A.C.P.)もきていた。記者の一人,Shams Tahirが,議会襲撃におけるジーラーニの役割について質問した。私は,ジーラーニは無実だ,と答えた。その瞬間,A.C.P.のラジビール・シンが椅子から立ち上がり,誰(メディア)の前でもジーラーニについてはしゃべるなといったはずだ,と私を怒鳴りつけた。・・・・それから,ラジビール・シン(A.C.P.)は,ジーラーニに関する質問部分は消去するか公開しないようにせよ,とTV関係者に要請した。」(“Letter to His Lawyerr”)

このように,ジーラーニを見込み逮捕したものの,デリー警察には十分な確信がなかったことは明白だ。それにもかかわらずジーラーニ起訴を強行したのは,一つには,マスコミの煽った「人民の超ナショナリズム(hypernationalism)」の圧力のためだった,とロイは考える。

「そのとき,デリー警察が結果を出す圧力の下にあったことは明白だ。そして結果を,警察は出した。人民の超ナショナリズム(hypernationalism)の波に乗って,警察は適法手続きも合法性も,そしてもちろん基本的な整合性も,すべて無視した。被告,特にジーラーニに関する証拠は穴だらけであり,捏造されたものさえあった。この不正な証拠により,ジーラーニは逮捕され,激しい拷問を受けた。1年間投獄され,悪夢のような死刑の重圧の下に置かれた。デリー高裁の無罪判決により,ようやく彼は釈放された。」(Roy:ⅴ)

デリー警察は,結局,ジーラーニを「首謀者」にでっち上げることには失敗したが,しかしロイによれば,警察はそれも織り込み済み,別のもっと深い策謀があったという。

「警察は,刑事裁判では判事はメディア報道そのものは考慮しないであろうことを十二分に知っていた。警察は,冷血にも捏造した『テロリストたち』のプロフィールが世論をつくり上げ,裁判にとって好都合な環境をつくり出すこと,そしてそれは法的な検証はまったく受けないであろうことをよく知っていた。」(Roy:ⅳ)

国会襲撃をフェダイーンの犯行とする構図ができあがれば,スケープゴート(犠牲の子羊)は誰でもよいということ。アフザル自身が,こう述べている。

「警察特任隊(STF)は[私を]この犯行全体のスケープゴートにした。この犯行は,STFや私の知らない他の組織が計画し実行したものだ。警察特捜部も間違いなくこの策謀に加担している。特捜部は,いつも私に沈黙を強制したからだ。」(”Letter to His Lawyer”)

これがもし本当だとすると,権力の底知れぬ冷酷さと恐ろしさに戦慄を禁じ得ない。

130308
  ■デリー警察HP。「テロ防止」が重点10目標のトップ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/08 at 11:42

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(5)

5.国会襲撃事件の13の謎
2001年の国会襲撃は不可解な事件であり,多くの謎が未解決のままだ。ロイは『12月13日選集』(2006年)への「序文」(Roy:ⅲ)において,13の謎を指摘している。いずれも,事件の核心に関わるものだ。

Q1. 12月13日の襲撃の何ヶ月も前から,政府と警察は議会襲撃の恐れを指摘していた。前日の12日,バジパイ首相は,近く議会が襲撃されると警告さえした。もし情報機関から情報があったのなら,翌13日に襲撃車両が易々と議会エリアに進入できたのは,なぜか?

Q2. 襲撃後数日のうちに,デリー警察特捜部が,襲撃はジェイシェ・ムハンマドとラシュカレ・タイバの周到な共同作戦であり,IC814ハイジャック(1999)犯人の「ムハンマド」が襲撃を指揮した,と発表した。ところが,これは法廷では立証されなかった。特捜部は何を根拠に,この発表をしたのか?

Q3. 襲撃の一部始終をCCTVが録画しており,そこには6人の犯人が映っていたとされるが,射殺されたのは5人だけ。残りの1人はどうなったのか? また,このビデオ映像が証拠としての法廷開示も,議会での再生も,一般への放映もされなかったのは,なぜか?

Q4. 以上のような疑問が出されているのに,議会を休会にしてしまったのは,なぜか?

Q5. 襲撃の数日後,政府はパキスタン関与の「疑う余地のない証拠」があると発表し,印パ国境に数十万の軍隊を動員,核戦争にさえなりかねない危機を招いた。拷問により引き出したアフザルの「自供」(最高裁は証拠採用留保)以外に,「疑う余地のない証拠」はあるのか?

Q6. パキスタン国境への軍隊動員は襲撃のはるか以前から始められていた,というのは本当か?

Q7. この危機対処のための軍事費は,どれくらいか? また,この作戦による死者数や土地・家屋等の被害は,どれくらいか?

Q8. 警察は,どの情報に基づきアフザルを犯人とし,逮捕したのか? ジーラーニ自供によるというが,カシミール警察によるアフザル捜査開始はその自供以前。

Q9. アフザルは投降ミリタントで,治安機関(カシミール警察STFなど)の常時監視下にあった。そのアフザンが,どうして襲撃に関与できたのか?

Q10. ラシュカレ・タイバやジェイシェ・ムハンマドのような組織が,治安機関常時監視下のアフザルのような人物を信用し,作戦実行のための重要な役割を任せるだろうか?

Q11. アフザル証言によれば,警察特任隊(STF)の下で働いていた”Tariq”という人物に紹介され,「ムハンマド」をデリーに連れて行った。警察調書にもある,この「タリク」とは,いったい何者なのか?

Q12. 2001年12月19日,警察は,襲撃犯の一人はラシュカレ・タイバのMohammed Yasin Fateh Mohammed(Abu Hamza)である,と発表した。しかし,ヤシンは2000年11月に逮捕され,カシミール警察拘置所に拘置されていた。そのヤシンが,どうして襲撃に参加できたのか? もしそれがヤシンでなければ,ヤシンはいまどこにいるのか?

Q13. 議会を襲撃した5人の「テロリスト」は,いったい誰なのか?

――ロイの指摘する「13日襲撃事件」の13の疑問を見ると,この事件がアフザル絞首刑で幕引きされてよいものではないことは明白だ。アフザルは,ケネディ暗殺事件の「オズワルド」,あるいはネパール王族殺害事件の「ディペンドラ皇太子」のような存在といってもよいであろう。闇は深い。 

130307
■混沌のデリー市街(2010/3/20,本文とは無関係)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/07 at 14:11