ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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ジャーナリスト逮捕、つづく

ネパールでは、このところジャーナリストの逮捕がつづいている。別件(職権乱用)だが超大物カナク・デグジト氏逮捕に続き、様々な容疑でジャーナリストが逮捕されている事態に対し、「国際ジャーナリスト連盟(IFJ)」は、次のように警鐘を鳴らしている。
※ “Three journalists arrested in three weeks in Nepal,” The International Federation of Journalists, 26 May 2016.

(1) Manoj K. Rai (Bhadragol Kirati): Gaunle編集長
自称宗教指導者バクタ・B・ライを批判する記事を掲載した容疑で1週間以上勾留後、裁判所命令により保釈。

(2) Shesh N. Jha: Sahayatra編集長
5月22日、シェシュ・N・ジャー編集長は、反政府派の一人が首相官邸の壁に抗議の落書きをしている現場にいて、その人物と一緒に警察に拘束され、その日は釈放された。

ところが、翌23日、ジャー編集長は、同じ反政府派の人物が今度はシンハ・ダルバールの壁に抗議の落書きするのを写真に撮っているところを、その人物とともに、公安法違反容疑で逮捕された。

(3)Chandra Man Shrestha: Nepal Sandesh編集長
5月23日、ガガン・タパ議員に関する虚偽記事掲載の容疑で逮捕。根拠は、不道徳・不当な記事掲載を禁止するElectoronic Transaction法。

IFJは、これらの逮捕を非難し、表現の自由、報道の自由を保障するよう、ネパール政府に強く要求している。
©谷川

Written by Tanigawa

2016/05/30 at 10:31

在ネ外国人への警告:ネパール入管局&英国政府

1.ネパール入管局の警告表示
ネパール内務省入国管理局が,一時滞在ビザ入国外国人に対し,強い調子の警告を出している。

警告は,入管局ホームページを開くと,ポップアップで最前面に開く。いつからこの警告が出始めたのか定かではないが,ネット上で話題になりだしたのが英国人画家トラバース氏逮捕・勾留事件(5月15・16日)後のことだから,おそらくそのころからであろう。警告の要点は,次の通り。

外国人への警告(内務省入管局)
下記の規定を遵守すること
1.観光ビザ,学生ビザ,報道ビザ,親族ビザ,配偶者ビザおよび居住(residential)ビザで一時滞在の外国人が,ネパール国内で報酬付きの活動をすることは禁止されている。
2.これらの禁止行為を行った外国人は,最長10年間の再入国禁止を付け,またはそれを付けることなく,国外退去処分とする。当該外国人のビザは無効とし,5万ルピー以下の罰金に処する。
注意:一時滞在ビザの外国人には,ビザ取得目的以外の活動は許されていない。

この警告表示は,前述のように,カナダ人ペンナー氏のツイッター政府批判発言事件(5月2・3日)と英国人画家トラバース氏の反政府闘争参加事件(5月15・16日)を受けたものであろう。もしそうなら,ここでビザ取得目的外活動として特に警戒されているのは,政治的発言や政治的活動への関与ということになる。

入管局のケダル・ネウパネ局長も5月20日,こう明言している。「これまで重罪の外国人しか国外退去処分とはしなかったが,これからはネパール内政に関与した外国人をも国外退去または/および罰金に処するであろう」(Nepali Times, 20 May)。

160523■入管HPトップページ

2.英国政府の訪ネ注意勧告
画家トラバース氏が逮捕・勾留(5月15・16日)された英国は,5月19日,ネパール旅行注意を勧告した。

「ネパールでは新憲法に反対する抗議やデモやストライキが国中で頻繁に行われている。・・・・抗議行動は突然始まったり暴力化することがある。反対派と警察との衝突はどこで起こるかわからない。反対運動には近づかないこと。もしネパールで政治活動に巻き込まれたら,国外退去および/または罰金を含む処罰を受ける可能性がある。」(英政府HP)

このように,英国政府の対応はすばやいが,そこは政治大国,とりあえす注意しておいた,といったアリバイつくりであろう。前の駐ネ英国大使も,改宗の自由を認めよと平然と公言し,さっさと帰国してしまった。独立自尊の英国人が,大使館の注意勧告くらいでネパールでの行動を自己規制するとは思えない。

しかし,それはそれ。もしネパール政府が外国人の国内での政治的行為の取り締まりを報道通り強化するなら,ペンナー事件のように,在ネ外国人にはツイッター発言ですら自由にはできなくなる。これは,大変なことだ。オリ政府は,どこまでやるつもりであろうか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/23 at 11:28

英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(5)

マーティン・トラバース氏は,体制プロパガンダ画家ではなく,住民の側に立とうとする壁画芸術家の一人である。体制に抑圧され,周縁に追いやられている人々の苦しみや怒り,そして闘いを通して見えてくる希望を壁画に描きこもうとする。彼の壁画が「政治的」となるのは当然といえよう。

このことは,トラバース氏のIgnite South Asia(April 3, 2014[?])のインタビュー「文化を搾取させるな」(*1)を見ると,よくわかる。Ignite South Asiaは,被抑圧人民の開放を唱える「過激な」組織であり,ホームページにはかつてのプラチャンダ氏など,「過激派」の面々の写真やインタビューが満載されている。では,そのインタビューで,トラバース氏は,何を語っているのだろうか?

「文化を搾取させるな:マーティン・トラバース」(*1)
(1)「新たな夜明け」について
この壁画は,先述のように,サンフランシスコ市街に描かれている。米国議会図書館も写真を所蔵し公開。トラバース氏は,こう語っている。

「ネパールで起こっていること[人民戦争]は,世界の人々にとって様々な点で希望の光であると思います。社会の底辺の人々が鎖を切り権力をとることがどのようにして可能になったのかを見ること――これが,そのころ(2000-2003年),この壁画を描いた主な動機です。」

160521■「新たな夜明け」(米議会図書館HP)

(2)ポカラ壁画について
このポカラ壁画は,トラバース氏が初めて訪ネした2012年3月の「女性の日」に描かれた。「ネパール闘争における女性の役割の重要性――それを訴えるため,何かをしたかったのです。」

160521e■ポカラ壁画(Ignite South Asia)

(3)「鎖を断ち切れ」について
「鎖を断ち切れ」は2012年4月,カトマンズの川沿いの建物の壁に描かれた。この壁画について,トラバース氏はこう説明している。

「壁画を描いていると,スラムの人々がお茶を持ってきてくれた。われわれと一つになったのだ。革命芸術運動(Revolutionary Art Movement)のメンバーと協力して描いていると,地域住民と容易に結びつくことが出来ます。」

160521f■「鎖を断ち切れ」(Ignite South Asia)

(4)芸術を人民の手に
トラバース氏は,芸術と人民解放闘争との関係について,次のようにまとめている。

「人々が壁画を好きになり描くのは,すばらしいことです。が,[それだけでは]社会の底辺で闘っている人々を描くという方向性が欠けている。先に述べたように,壁画は,そうした闘いを描くべきです。私にとって,壁画はそうしたものです。これは極めて大切なことだと思います。」

「特にネパールの歴史においては,人民戦争,すなわち貧しい人民の蜂起の精神を生かし続けるべきです。それには,壁画は良い手段です。われわれの文化を特定の人々に奪われ自分のものにされてしまうことを許してはなりません。」

「ネパールのような闘争があるところでは,闘っている人々の側が訴えようとしていることを描くことが大切です。壁画を描き始める前に,人々が何を語り,なんのために闘っているかを見極め,人々とつながり,ともに座り,顔を見合わせ,そして話を交わすべきです。人々が語ることの奥底にある思いをつかむべきです。そうしないなら,芸術は無意味となり,語りかける声をもつことはないでしょう。」

「さらに,進歩的な人々は,貧困地域の人々に芸術家になってもらうべきです。壁画を描き,芸術に参加する。世界中の芸術運動を見てもらい,人々が芸術を自分たちのものと考え,意見表明のためにその芸術をどのように使っているかを知ってもらう。公開壁画は,まさにそれです。声をあげ,聞かせよう。さもなければ,壁という壁が,広告と掲示,上中流階級芸術の声で埋め尽くされることになってしまいます。」

――以上のように,Ignite South Asiaインタビューのトラバース氏は,極めて雄弁であり,彼の壁画が周縁化され虐げられている人々の声を視覚化し代弁していることをはっきり認めている。いや,そればかりか,かれは地域住民に働きかけ,人民による人民のための壁画制作運動に参加させようとしているのだ。トラバース氏は,ネパールの被抑圧社会諸集団のことを熟知しているとみてよいだろう。

もしそうなら,そしてもし15日逮捕されたトラバース氏がこのトラバース氏なら,15日のシンハダルバール闘争のことは何も知らなかったという各紙報道,とりわけリパブリカ紙の報道は,極めて不自然,不可解と言わざるをえないであろう。

*1 “Let’s not let certain people take our culture and turn it into theirs: Martin Travers,” Ignite South Asia, April 3, 2014[?]

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/21 at 12:25

カテゴリー: 社会, 文化, 民主主義, 人権

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英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(3)

英国人画家トラバース氏逮捕・釈放報道が,極めて不自然であり,とうてい信じがたいのは,トラバース氏がネパールに相当深くコミットし,ネパール事情によく通じている,と思われるからだ。彼の逮捕は,狙い撃ちではなかったか? もう一度,5月17日付リパブリカ紙「英国人釈放,座り込み『政治的参加』ではなかった」(*1)の要点を見てみよう。

「『音楽演奏の写真を撮った後,抵抗運動をしている人々の何人かに引き入れられ,彼ら多数の間に座らされ,頭にはバンダナ[ハチマキ]を巻きつけられた』と,彼は,その時の出来事を振り返りつつ,笑顔で語った。[頭の]バンダナに何が書かれているかさえ知らなかった,と彼は付け加えた。トラバースは,これまでこのようなイベントに参加したことは決してないし,今回の抗議の目的も知らなかった,と語った。」

そして,記事はこう続く。

「彼はこう語った。『私だけでなく,他国を訪れる旅行者はすべて,どのようなプログラムであれ,それに参加するのであれば,そのプログラムの趣旨を理解しておくべきだ』と。」

手の内モロ見え! 記事はでっち上げなのか? それとも,トラバース氏が,すべてわかったうえで,求められるがままに供述し,また記者に語ったのだろうか?

トラバース「新たな夜明け」(2000-03頃)
160519c
■トラバース氏が人民戦争に共感し制作(Ignite)。所在サンフランシスコ(Library of Congress)

*1 KAMAL PARIYAR, “BRITON NOT ‘POLITICALLY INVOLVED’ IN SIT-IN, RELEASED,” Republica, 17 May 2016

Written by Tanigawa

2016/05/19 at 10:49

デクシト氏釈放を首相に要請,世界新聞協会

「世界新聞協会(WAN-IFRA)」とその傘下の「世界編集者フォーラム(WEF)」が連名で,カナク・デクシト氏の釈放を求めるオリ首相あての書簡を公開した。

書簡は,デクシト氏の主張の要点を述べたうえで,オリ首相に対し,氏の即時釈放と,独立の機関による事件の調査を要請している。以下,書簡の結び部分。

ネパール首相あて書簡(WAN-IFRA & WEF, 2016年4月26日)
首相閣下 ・・・・
われわれは,デクシト氏が自らの見解を表明したため沈黙させられていること,またCIAA(職権乱用調査委員会)が権限を行使して彼を脅迫していることについて,深く憂慮している。世界中の指導的な編集者やメディア関係者,活動家,知識人そして学者が60名以上,このデクシト氏釈放要請公開書簡に署名している。

われわれは,勾留命令を直ちに撤回しCIAA調査を中止するためのあらゆる手段をとられるよう,首相閣下に謹んでお願い申し上げる。本件は本質的に個人的・私的なものであるので,独立の調査機関を設置し,CIAAの行為とその調査につき,調査されることを,首相閣下に強く要請するものである。

160427a160427b■世界新聞協会HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/04/27 at 11:39

表現の自由と構造的暴力:ムハンマド風刺画事件

フランスのムハンマド風刺画掲載紙(シャルリー・エブド)襲撃事件(2015年1月7日)は,現代民主主義社会の根幹に関わる難しい問題である。「表現の自由は無限定だ」とか「言論には言論で」といった形式論理の「正論」で応えても,それは空論というよりはむしろ,より根源的な問題の隠蔽に他ならず,決して問題の真の解決にはならないであろう。
150117 ■仏政府HPより

現代社会においても,言論や表現は無制限どころか,実際には法的あるいは社会的規制が無数にある。名誉毀損,プライバシー侵害,危険行為煽動など,言論・表現の自由の乱用は許されない。これは常識だ。またヘイトスピーチやナチス賛美のような言論・表現も,多かれ少なかれ禁止している国が少なくない。では,もしそうであるなら,なぜ信者に耐えがたい苦痛を与えるようなムハンマド風刺は,許されなければならないのか?

言論・表現の自由は,本来,弱者や少数派が強者や多数派に対して抵抗するための武器である。力は強者・多数派のものであり,弱者・少数派は力では勝ち目はない。だから,弱者や少数派には,言論・表現をもって強者や多数派に抵抗する自由や権利が認められているのである。他方,強者や多数派には,言論・表現の自由をことさら保障するに及ばない。彼らは,事実として,自分たちの考えや意見を押し通す優越した力をもっているからである。

このように,本来,主張され守られなければならないのは弱者・少数派の言論・表現の自由であるが,しかし,この自由は民主化とともにますます保障が困難になってきている。なぜなら,民主社会では,多数派が権力を握り,多数意見が「正義」「正論」とみなされているからである。

いや,そればかりか,「言論・表現の自由」という場合の「自由」の概念それ自体からして,現代社会では強者・多数派によって形づくられてしまっており,彼らはその自分たちの「自由」概念を使って弱者・少数派を抑圧支配するのである。

そのことは,強者・多数派には意見を形成し宣伝普及させるための様々な前提条件(教育・資金・メディア等々)が十分に整っているのに,弱者・少数派にとってはそうではない,という事実をみれば,一目瞭然である。

現代社会の強者・多数派が「言論・表現の自由」を大上段に振りかざし,「自由を守れ!」と叫ぶとき,それはたいてい社会の弱者・少数派を抑圧し黙らせるためである。トクヴィルやJ・S・ミルが警告した「世論の専制」「社会的専制」である。

もっとも,強者/弱者,多数派/少数派といっても,それはあくまでも相対的な区別である。社会や人間関係は多元的・複層的であり,ある人が同時に社会関係Aでは強者・多数派,社会関係Bでは弱者・少数派ということも少なくない。言論・表現の自由が守られなければならないのは,この相対的弱者・少数派に対してである。

では,今回のムハンマド風刺画事件は,どう見るべきであろうか? 問題は単純ではない。現代の世界社会全体から見ても,ヨーロッパ社会から見ても,掲載週刊紙は強者・多数派の側に立っているか,あるいはそちらに近いように思われる。しかし,もしイスラム教原理主義により抑圧されている人々の側に立っているといえるとするならば,掲載週刊紙は弱者・少数派を代弁しているということにもなる。

掲載週刊紙は,実際には,おそらくこれら両側面を併せ持っているのであろうが,これまでの報道を見ると,その限りでは,この週刊紙は現代世界の強者・多数派の側からムハンマド風刺画を掲載したという印象は否めない。先進国・日本の一市民たる私ですらそう感じるのだから,ましてや途上国や周縁化された地域のイスラム教徒たちがそう感じたとしても,それはやむをえないであろう。

言論を暴力で封じることは,もちろん許されない。が,その「暴力」とはなにか? 現代平和学の権威,ガルトゥング博士は,暴力には「直接的暴力」と「構造的暴力(間接的暴力)」があるといっている。暴力は許されない,という場合の「暴力」は,これら二つの暴力のいずれも許されないということである。そして,「平和」とは,この直接的暴力と構造的暴力のいずれもがない状態のことに他ならない。この平和概念,暴力概念は,いまでは国連でも西洋でも広く認められている。

もしそうだとするなら,言論・表現を「直接的暴力」で封じるのが許されないのと同様,それを「構造的暴力」で間接的に封じることもまた許されないはずである。ところが,先進諸国の「表現の自由」大合唱は,彼ら自身も認めている「構造的暴力」の問題にご都合主義的に目をふさぎ,もっぱら「直接的暴力」のみを非難攻撃しているように見えて仕方ない。直接的暴力は残虐だが,構造的暴力はそうではない,とでも強弁するつもりだろうか? 

[参照]
宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件
文化と「表現の自由」:インド映画禁止運動
前田朗,「私はシャルリではない。テロの挑発をやめよ」-2015年をどう闘うか(『関西共同行動』ニュース67号2015年1月31日)

谷川昌幸(C)

ゴシップで売る朝日と佐野眞一氏の名前

1.「ハシシタ 奴の本性」の販促効果
今日,近所の小さな書店に行ったら,『週刊朝日』11月2日号が山積みされていて,けっこう売れていた。先週号に続き,「ハシシタ,奴の本性」の販促効果だ。

スキャンダルを暴露し,あるいは自らゴシップの種となり,売上増を狙うのは,週刊誌の常套手段だが,まさか朝日までもがその手を疑われる事態になろうとは想像もしなかった。

たしかに朝日は,本体の朝日新聞にしても,特に地方では販売が厳しいらしく,以前なら考えられないような怪しげな広告を掲載するようになっている。デジタル版も,有料購読者はおそらく期待以下であり,経営の足しにはなるまい。貧すれば鈍するだ。

「ハシシタ 奴の本性」が,意図的なゴッシプ販促狙いと疑わざるをえないのは,多くの識者が指摘しているように,このような低俗な見出しや品性下劣な文章が厳格をもって知られる朝日の記事チェックをやすやすと通ってしまったのが,あまりにも不自然だからだ。

私のようなジャーナリズム素人が見ても,これはマズイ,こんな人権侵害の反社会的記事は大幅修正か掲載中止とすべきだ,と反射的に感じたほどだ。

そんなひどい記事を朝日が掲載したのは,どう考えても,意図的としか思われない。朝日は,おそらくゴシップで売るきわもの経営に方向転換したのだろう。


 ■ゴシップとハウツーに向かう『週刊朝日』(11月2日号)。他に「自分の女性器,見たことある?」(62頁)など。

2.編集長の編集・掲載責任
『週刊朝日』11月2日号には,川畠大四編集長「おわびします」(18-19頁)が掲載されている。要点は,次の4つ。

(1)編集部がノンフィクション作家・佐野眞一氏に執筆を依頼したこと。
(2)不適切な表現があり,人権に著しく配慮を欠くものであったこと。
(3)編集・掲載責任は編集部にあること。
(4)この記事の企画立案・記事作成について,徹底的に検証すること。

3.執筆者としての佐野眞一氏
朝日が編集・掲載責任を明確にし,検証を進めるということなので,記事執筆者である「はず」の佐野眞一氏の作家としての責任も自ずと明らかとなるであろう。

しかし,それはそれ。私たちが知りたいのは,なぜ佐野氏ともあろう方が,このような文章を書かれ掲載を承認されたのか,ということだ。まさか,ゴシップで売ろうとする朝日に名前を利用されただけ,ということはあるまい。

そもそも,名前は単なる記号ではない。人の本質は,DNAや血脈にあるのではなく,名前にある。名前こそが自分の人格であり自分自身である。佐野氏の名前を冠した文章,「ハシシタ 奴の本性」は,佐野氏の人格の外化であり文章化である。川畠編集長も,「佐野眞一氏に執筆を依頼しました」(18頁)と明言している。

もしそうであるなら,執筆の目的や連載中止の理由を説明する責任は,編集部以上に佐野氏自身の方にある。にもかかわらず,「すべての対応は『週刊朝日』側に任せています」(朝日新聞11月20日)で済ますことは,作家としての沽券に関わることではあるまいか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/10/23 at 19:07

カテゴリー: 文化, 人権

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