ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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オリ政権と国際機関

1. 最高裁命令
最高裁は5月2日、十分な理由のない勾留は違法であるとして、CIAAに対しカナク・デクシト氏の釈放命令を出した。

一方、カナダ人ペンナー氏は5月4日、入管=内務省によるビザ取り消し処分を不当だとして、処分撤回を求める訴えを最高裁に提出した。ところが、最高裁は、時間がないことを理由として審理は6日になると通告した。やむなく、ペンナー氏は5月5日、出国した。

2.「人権監視」のオリ首相宛書簡
「オリ首相閣下
多くの死傷者を出したタライ暴力事件へのネパール政府の対応は、どのようになっているでしょうか? タライの人々は、新憲法の差別的諸規定に抗議してきました。暴力攻撃した人々や過剰な実力行使をした人々の責任を明らかにすべきです。それは、犠牲者にとっても、法の支配にとっても、重要なことです。……
2016年5月5日
人権監視アジア局長 ブラッド・アダムズ 」(HRW.org)

3.「ジャーナリスト保護委員会」の談話
「批判的なツイートを理由に居住者のビザが取り消されるような国に、報道の自由は、ないであろう。…… ネパール政府は批判や公論に寛容となることを学ぶべきだ。
ジャーナリスト保護委員会アジア ボブ・ディーツ」(The Committee to Protect Journalists, “CJP concerned by climate for free expression in Nepal”)

※スマホからの書き込み。難しい。

©谷川昌幸

 

Written by Tanigawa

2016/05/06 at 19:02

カテゴリー: 情報 IT, 憲法, 人権

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ツイートでカナダ人逮捕,国外退去処分

ネパール入管と警察が5月2日,ネパール政府に批判的なネット発言をしたカナダ人を逮捕・勾留し,翌3日,国外退去処分にした。

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1.政府批判ネット発言
逮捕されたのは,カナダ人のロバート・ペンナー氏(37歳)。2012年から,労働ビザを取得してラリトプルのスプラウト・テクノロジー社(香港のクラウド・ファクトリー社子会社)でIT技術者として働いていた。

ペンナー氏は,ツイッターやフェイスブックに,ネパールの政治や憲法に関する意見を,しばしば投稿していた。各紙報道によれば,最近は,マデシ闘争に関心を持ち,新憲法はマデシ,とくにマデシ女性に差別的だとして新憲法を批判し,また政府の対マデシ政策を人権抑圧と非難してきた。さらに,カナク・デクシト氏逮捕についても,さかんに発言していた。

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2.ネット言論監視とペンナー氏逮捕
バス・ギミレ入管職員によれば,「このペンナーの行動を,警察は長期間にわたり監視していた」(*3)。また,ネパール政府にも,ペンナーは政治活動をしている,入管法違反だ,といった告発が,この4月から多数寄せられていた(*2)。

それらの情報に基づき,入管は捜査を進め,5月2日警察に指示し,ペンナー氏を逮捕させた。K.ネウパネ入管局長はこう説明している――

「彼のこの数週間のツイートを分析した結果,入管法違反と判断した。彼のツイートは,人々をマデシ闘争へと扇動するものであり違憲である」(*2)。
「彼は,IT企業で働くことを理由にビザを取得したにもかかわらず,調査の結果,国民統一を害する恐れのある挑発的発言をしていることが判明した。・・・・外国人には,そのような行為は認められない」(*4)。

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3.弁護側の反論
これに対し,ペンナーの弁護士ディペンドラ・ジャーは,「ネパールの政治を話題にしたという理由で,外国人が恣意的に逮捕勾留され,国外退去処分にされるのは,これが初めてだ」と批判している(*2)。

また,ブロガーのムケシュ・ジャーはこう述べている。「ネパール人民の現状を世界に知らせようとする人々への脅しだ。ペンナーは,ネパールを破壊するために,ここにいるわけではない。彼の批判は,きわめて建設的だ。」カナク・デクシトのような著名人も,ペンナーのような外国人も,政府は例外扱いはしないという警告。「次はだれか? それが問題だ」(*3)。

4.2015年憲法における言論制限
ここで見落としてはならないのは,現行2015年憲法が,以前の憲法以上に,言論表現の自由を厳しく規制しているという事実。

「第17条(2)(a)意見表現の自由」の但し書きにより禁止されうる言論。
 ・ネパールの国民性,主権,および独立を害するような言論
 ・様々なカースト,民族,宗教および社会集団の調和的関係を害するような言論
 ・人種差別をあおる言論
 ・公序良俗に反する言論

但し書きには,ほかにも禁止される行為として,スパイ行為,ネパールの安全を損なうような外国機関への協力,州間の調和的関係を害する行為,共同体間の憎悪をあおる行為などが挙げられており,それらに関する言論も規制されるとみるべきだろう。

この憲法規定を前提とするなら,ネウパネ入管局長の上述の発言は,当然といえる。ネット言論も,外国人によるものを含め,規制対象になりうると考えざるをえないだろう。

5.在ネ外国人への警告
今回のロバート・ペンナー氏の逮捕・国外退去処分は,ムケシュ・ジャー氏の言うように,在ネ外国人に対する「警告」となるだろう。ネパールのことについてツイッターやフェイスブックで発言しただけで,逮捕勾留され,国外退去処分となるかもしれない。いや,それより重い処罰もありうる,ということ。

これまで,とくに人民戦争勃発以降,外国人がネパール内政にしばしば無遠慮に介入し,言いたい放題,まるで宗主国のようにふるまってきた。内政干渉そのもの。今回の事件は,そのような外国人に対するネパール・ナショナリストの反発の一つであろう。

このところネパールにおいてもナショナリズム感情が高まってきており,こうした事件も予測されないことはなかったが,いずれにせよ,在ネ外国人にとってはたいへん気になる動きであることは確かである。

[参照資料]
*1 BHADRA SHARMA, “Nepal Expels Canadian for Sowing ‘Discord’ on Twitter,” New York Times, MAY 3, 2016
*2 Anup Kaphle, “Nepal Expels Canadian for Sowing ‘Discord’ on Twitter,” Buzz Feed News, May 3, 2016
*3 Stephen Groves, “Canadian Robert Penner told to leave Nepal for tweets causing ‘social discord’,” CBC News, May 03
*4 “Pro-Madhesi Canadian citizen arrested in Nepal for provocative tweets,” Hindustan Times, May 02, 2016
*5 “Canadian man asked to leave Nepal after criticising government on Twitter,” BBC, 2016-05-04
*6 The Committee to Protect Journalists, “CPJ concerned by climate for free expression in Nepal,” The Committee to Protect Journalists, May 3, 2016
*7 TU THANH HA, “Canadian arrested in Nepal over tweets criticizing human rights,” The Globe and Mail, May 02, 2016
*8 Anil Giri, “Canadian arrested in Nepal over Twitter posts,” Business Standard, May 2, 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/04 at 20:14

カテゴリー: 情報 IT, 憲法, 民主主義, 人権

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デクシト氏釈放を首相に要請,世界新聞協会

「世界新聞協会(WAN-IFRA)」とその傘下の「世界編集者フォーラム(WEF)」が連名で,カナク・デクシト氏の釈放を求めるオリ首相あての書簡を公開した。

書簡は,デクシト氏の主張の要点を述べたうえで,オリ首相に対し,氏の即時釈放と,独立の機関による事件の調査を要請している。以下,書簡の結び部分。

ネパール首相あて書簡(WAN-IFRA & WEF, 2016年4月26日)
首相閣下 ・・・・
われわれは,デクシト氏が自らの見解を表明したため沈黙させられていること,またCIAA(職権乱用調査委員会)が権限を行使して彼を脅迫していることについて,深く憂慮している。世界中の指導的な編集者やメディア関係者,活動家,知識人そして学者が60名以上,このデクシト氏釈放要請公開書簡に署名している。

われわれは,勾留命令を直ちに撤回しCIAA調査を中止するためのあらゆる手段をとられるよう,首相閣下に謹んでお願い申し上げる。本件は本質的に個人的・私的なものであるので,独立の調査機関を設置し,CIAAの行為とその調査につき,調査されることを,首相閣下に強く要請するものである。

160427a160427b■世界新聞協会HPより

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/04/27 at 11:39

表現の自由と構造的暴力:ムハンマド風刺画事件

フランスのムハンマド風刺画掲載紙(シャルリー・エブド)襲撃事件(2015年1月7日)は,現代民主主義社会の根幹に関わる難しい問題である。「表現の自由は無限定だ」とか「言論には言論で」といった形式論理の「正論」で応えても,それは空論というよりはむしろ,より根源的な問題の隠蔽に他ならず,決して問題の真の解決にはならないであろう。
150117 ■仏政府HPより

現代社会においても,言論や表現は無制限どころか,実際には法的あるいは社会的規制が無数にある。名誉毀損,プライバシー侵害,危険行為煽動など,言論・表現の自由の乱用は許されない。これは常識だ。またヘイトスピーチやナチス賛美のような言論・表現も,多かれ少なかれ禁止している国が少なくない。では,もしそうであるなら,なぜ信者に耐えがたい苦痛を与えるようなムハンマド風刺は,許されなければならないのか?

言論・表現の自由は,本来,弱者や少数派が強者や多数派に対して抵抗するための武器である。力は強者・多数派のものであり,弱者・少数派は力では勝ち目はない。だから,弱者や少数派には,言論・表現をもって強者や多数派に抵抗する自由や権利が認められているのである。他方,強者や多数派には,言論・表現の自由をことさら保障するに及ばない。彼らは,事実として,自分たちの考えや意見を押し通す優越した力をもっているからである。

このように,本来,主張され守られなければならないのは弱者・少数派の言論・表現の自由であるが,しかし,この自由は民主化とともにますます保障が困難になってきている。なぜなら,民主社会では,多数派が権力を握り,多数意見が「正義」「正論」とみなされているからである。

いや,そればかりか,「言論・表現の自由」という場合の「自由」の概念それ自体からして,現代社会では強者・多数派によって形づくられてしまっており,彼らはその自分たちの「自由」概念を使って弱者・少数派を抑圧支配するのである。

そのことは,強者・多数派には意見を形成し宣伝普及させるための様々な前提条件(教育・資金・メディア等々)が十分に整っているのに,弱者・少数派にとってはそうではない,という事実をみれば,一目瞭然である。

現代社会の強者・多数派が「言論・表現の自由」を大上段に振りかざし,「自由を守れ!」と叫ぶとき,それはたいてい社会の弱者・少数派を抑圧し黙らせるためである。トクヴィルやJ・S・ミルが警告した「世論の専制」「社会的専制」である。

もっとも,強者/弱者,多数派/少数派といっても,それはあくまでも相対的な区別である。社会や人間関係は多元的・複層的であり,ある人が同時に社会関係Aでは強者・多数派,社会関係Bでは弱者・少数派ということも少なくない。言論・表現の自由が守られなければならないのは,この相対的弱者・少数派に対してである。

では,今回のムハンマド風刺画事件は,どう見るべきであろうか? 問題は単純ではない。現代の世界社会全体から見ても,ヨーロッパ社会から見ても,掲載週刊紙は強者・多数派の側に立っているか,あるいはそちらに近いように思われる。しかし,もしイスラム教原理主義により抑圧されている人々の側に立っているといえるとするならば,掲載週刊紙は弱者・少数派を代弁しているということにもなる。

掲載週刊紙は,実際には,おそらくこれら両側面を併せ持っているのであろうが,これまでの報道を見ると,その限りでは,この週刊紙は現代世界の強者・多数派の側からムハンマド風刺画を掲載したという印象は否めない。先進国・日本の一市民たる私ですらそう感じるのだから,ましてや途上国や周縁化された地域のイスラム教徒たちがそう感じたとしても,それはやむをえないであろう。

言論を暴力で封じることは,もちろん許されない。が,その「暴力」とはなにか? 現代平和学の権威,ガルトゥング博士は,暴力には「直接的暴力」と「構造的暴力(間接的暴力)」があるといっている。暴力は許されない,という場合の「暴力」は,これら二つの暴力のいずれも許されないということである。そして,「平和」とは,この直接的暴力と構造的暴力のいずれもがない状態のことに他ならない。この平和概念,暴力概念は,いまでは国連でも西洋でも広く認められている。

もしそうだとするなら,言論・表現を「直接的暴力」で封じるのが許されないのと同様,それを「構造的暴力」で間接的に封じることもまた許されないはずである。ところが,先進諸国の「表現の自由」大合唱は,彼ら自身も認めている「構造的暴力」の問題にご都合主義的に目をふさぎ,もっぱら「直接的暴力」のみを非難攻撃しているように見えて仕方ない。直接的暴力は残虐だが,構造的暴力はそうではない,とでも強弁するつもりだろうか? 

[参照]
宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件
文化と「表現の自由」:インド映画禁止運動
前田朗,「私はシャルリではない。テロの挑発をやめよ」-2015年をどう闘うか(『関西共同行動』ニュース67号2015年1月31日)

谷川昌幸(C)