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伝統の厚みと生活の豊かさ:オーストリア
オーストリアは初めて。数カ所を2週間ほど見て回ったにすぎないが,都市も地方も美しく整っており,伝統の厚みと,それを基盤とする生活の豊かさに圧倒された。日本と比較すると,主な指標は以下の通り(「世界のランキング」,「世界経済のネタ帳」ほか)。
オーストリア | 日 本 | |
国土面積 | 8.4万㎢ | 37.8万㎢ (北海道8.3万㎢) |
人口 | 8.6百万人 | 126.9百万人 (大阪府8.9百万人) |
GDP 1人当たりGDP |
3,741億ドル 43,724ドル |
41,232億ドル 32,486ドル |
失業率 | 5.7% | 3.4% |
報道の自由度 | 13.2(11位) | 28.7(72位) |
平和度指数 | 1,278(3位) | 1,395(9位) |
男女平等度 | 0.733(37位) | 0.670(101位) |
所得格差指数 (ジニ係数) [0%=格差0] |
26.3%(132位) | 37.9%(73位) |
貧困率(CIA版) | 6.2%(154位) | 16.0%(120位) |
子供貧困率 | 8%(29位) | 16%(9位) |
社会保障費割合 (対GDP) |
25.48%(7位) | 24.99%(11位) |
教育公費支出割合 | 88%(7位) | 34%(26位) |
これらの指標からもオーストリアの表面的な豊かさはわかるが,実際に行ってみると,そうした指標では示しきれない伝統の蓄積が街や村の品格や,そこで生活する人々の生活の文化的な豊かさを,より一層高めていることに気づかされる。オーストリアはやはり伝統と文化の国なのだ。
■ハル/メルク
谷川昌幸(C)
早春の小川のカワセミ
宝塚のわが下駄箱アパートのすぐ傍を小さな小川が流れている。市街地の小川だが,緑濃い六甲山のおかげで,清流は真夏でも絶えることはない。
今日(3月21日),散歩に行くと,岸辺にははや早春の花々が咲き,小鳥たちが水浴びに来ていた。その風景の写真を撮っていると,目の前に,なんとあの幻の小鳥カワセミがやってきた。総天然色! 美しい。残念ながら,写真には撮り損ねた。(参照:「水辺の宝石」カワセミきらり」神戸新聞,「カワセミ」サントリー愛鳥活動)
この小川の岸辺では,真冬を除けばいつも季節の野の花が咲き,梅雨には蛍が群舞し,夏や秋にはトンボが飛び交う。セキレイも来れば,オシドリや白鷺(?)も来る。
むろん,小川は交通の邪魔だし,そこにカワセミが来ようが,蛍が群舞しようが,国民総生産(GNP)には何の関係もない。いや,むしろ,そんなものを愛で時間をつぶす市民が増えたら,消費は減退し,経済的にはマイナス効果しかない。だから,そんな厄介者の小川など埋め立て,あるいは暗渠にし,道路や商業地などをつくった方がよい,といった意見が出てくるのもわからないではない。
しかし,ここは考えどころーー小川か道路か? カワセミか商売か?
谷川昌幸(C)
囲い込まれた自然と文化:宝塚
宝塚に転居して一年,近隣の目もくらむ自然格差・文化格差に愕然たる思いだ。
宝塚は神戸・六甲山系の東山麓。かつては美しい里山・田園地帯であったのだろうが,容赦ない宅地開発で,いまや醜怪な現代都市に変貌している。
以前の比較的余裕のあった邸宅が相続で売却されると,跡地は分割され,3~4軒のマッチ箱住宅が建つ。あるいは,わがアパートのような,貧相な墓石型集合住宅となる。
このような新興住宅住民には,豊かな自然や文化は無縁だ。働き,食い,寝るだけ。貴族主義者のハンナ・アーレントは,「労働」を必然と消費に隷従する最下級の人間行為と喝破したが,私のような庶民アパート住民には,反論のしようもない。
かつて高度成長以前の日本社会では,そうではなかった。人々の多くは貧しかったが,下町でも農村でも時間はあふれ,様々な趣味や遊び,つまり多様な文化が栄えていた。美しい自然と多様な文化は,日本を訪れた外国人を痛く感動させた,日本古来の伝統であった。
いまの宝塚には,もはやそのような自然や文化はない。雑然とした必要と消費のための街に成り下がってしまった。
例外があるとすれば,それは金網と鉄格子で囲い込まれた広大なゴルフ場だけ。そこは別天地。花々が咲き乱れ,小鳥がさえずる美しい自然の中で,時間はゆったり流れ,優雅なゴルフ文化が享受されている。
現代資本主義は,富だけでなく,自然と文化をも囲い込む。現代型エンクロージャー! 貧しくとも,自然と時間と文化を享受できた頃の方が,庶民は幸福であったのではないだろうか。
■切れ切れながらも,わずかに残る里道の桜並木。先人の風流が忍ばれる。金網の向こうはゴルフ場。
谷川昌幸(C)
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