ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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師走の村(2)

冬の村の生活は,以前ほどではないが,それでもなお厳しい。家には雪囲いがされ,道路わきの消火栓にはコモが着せられている。小道沿いの斜面には,横穴式の「芋穴」が掘られ,寒さに弱いサツマイモなどが,その中に保存されている。伝統的な村の生活だ。


 ■村遠景


 ■土蔵と三角屋根住居/雪囲いと南天


 ■土蔵の壁と雨だれ/斜面の芋穴

■コモを着た消火栓

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/22 at 09:17

カテゴリー: 自然, 農業, 文化, 旅行, 歴史

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ひこばえの饗宴

今秋の「ひこばえ」は,温暖化のおかげか,出来がよい。刈り取り後の「二番穂」とは見えないほどの豊作だ。

かつて人出が有り余っていたころの農村では,こんな豊作なら,刈り取って何かに利用したに違いないが,いまではそんな奇特なことをする人はいない。というわけで,晩秋の水田は,野の鳥獣たちにとって,またとない饗宴の場となっているのだ。

▼ひこばえの水田と紅葉の里山
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▼ひこばえ(よく稔っている)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/11/16 at 19:16

カテゴリー: 自然, 農業

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チョバールの丘*:古き良き農村

昨日は面白かった。むろん無責任な外人観光客の勝手な感傷に過ぎないが、事実、私自身、一観光客にすぎないのだから許されるだろう。世間で、文化人類学者は先住民族を調査し、見たいことをみ、聞きたいことを聞き、得意満面で「発見」を発表する、と揶揄されるのと、五十歩百歩だ。

●チョバールの丘
キルティプールから徒歩で30分くらいのところに、同じくらいの高さの小さな丘がある。「チョバールの丘*」とでも呼ぶのだろうか。昼食後、ちょっと散歩のつもりで出かけたら、これがなかなか面白い。結局、夕方まで遊びほうけてしまった。

[*訂正]当初「チャンパデビの丘とでも呼ぶのだろうか」と書いたが、この丘は「チョバール丘」とのころ。観光地図では「Chobhar」。在住邦人の方に教えていただいた。多謝。

1.ヒマラヤ絶景
この時期、キルティプールの丘からも、連日、ヒマラヤがよく見える。朝は、目覚めると、ベッドの上からヒマラヤ連山を拝し、夕は、ヒマラヤの日没を眺めながら夕食をとる。贅沢この上ない毎日だ。

ところが、チョバールの丘に登ると、ほんのわずかの距離なのに、ヒマラヤが何倍もの迫力で迫ってくる。信じられない。

たしかに登山では、峠を一つ越えると、景色が一変することはある。しかし、ここからヒマラヤ連山ははるか遠い。それなのに、ほんのわずか移動しただけで、こんなに見え方が変わる。驚き、いたく感動した。

この写真は、安物のカメラで適当に撮ったものだが、それでもヒマラヤの迫力は十分に感じ取れるだろう。写真は400ピクセル程度に縮小してある(以下同様)。


 ■ランタン(チョバールの丘より)

2.花盛り
チョバールの丘は、11月だというのに花盛り。ブーゲンビリア、マリーゴールド、ラルパテ、カンナ(のような花)、その他、名も知らぬ花々が咲き乱れている。そして、特記すべきは、菜の花(からし菜かもしれない)。

菜の花は、私の古き良き少年時代、あの夢のように幸せだった頃の原風景である。菜の花畑をみると、つい涙しそうになるほどだ。

その菜の花が、11月だというのに、チョバールの丘では、畑一面に咲いているではないか! 古き良き時代の、春霞のわが村の風景とそっくりだ。その歓喜は、安物カメラでは到底表現しきれないが、それでも一部は感じ取っていただけるだろう。

 ■菜の花畑、遠景はガネシュ

3.美しい民家
ヒマラヤと花々に自然にとけ込んでいるのが、伝統的な造りの民家。キルティプールの丘の民家も古いものが多いが、密集していて、どちらかというと中世小都市の趣がある。

ところが、チョバールの丘の家々は、適度に離れていて、村の趣が強い。しかも、古いにもかかわらず、手入れが行き届き、美しい家が多い。これには感心した。

■丘の中腹の民家


 ■丘の麓の民家

 

4.素朴な村人
都市からの観光客は、素朴な農民を期待するが、チョバールの丘には、そのような感じの村人が多い。キルティプールの丘の人々は、ちょっと小難しい感じの人が多いが、同じネワールのはずなのに、こちらの人々はたいへん愛想がよい。

都市的な造りのキルティプールと村的な造りのチョバールの、居住環境の違いからくるものだろうか? 文化人類学者になって、この思い込みを、村人たちからの聞き取り調査で「実証」してみると、面白いかもしれない。
 [補足]チョバールの丘は畑が多く、外部からバフン、チェットリ、タマンなど様々な人が移住してきている。相対的に民族/ジャーティが多いことも、開放的と感じる理由かもしれない。

 ■通路で籾干し(テャンパデビ)

5.愛想のよいマオイスト
チョバールの丘を歩いていると、愛想のよい中年男性が、日本から来たのかと話しかけてきて、あれが自分の家だ、寄っていかないか、と誘われた。見ると、その家は古い造りだが、よく手入れされていて、ちょっと見物したくなった。

そこで、言葉に甘えて、家の軒先に座り(古い民家の軒先には腰掛けて話す場所が作られている)、話を聞いた。

すると、驚いたことに、彼はマオイスト中央委員会委員で、バグルン出身。数年前、この家を買い、ここからカトマンズ市内に通い、党活動をしているとのこと。もちろん、ネワールではない。

私がよほどマオイスト好きと見えたのか、彼は、プラチャンダ議長やバブラム・バタライ首相のことをあれこれ話してくれた。また、彼自身についても、バグルンやカトマンズで幾度も逮捕され、拷問されたことなど、詳しく話してくれた。

しかし、感心なことに、そんな厳しい闘争を経験したにもかかわらず、彼には陰のようなものは全くなく、快活な明るい人物であった。マオイストのことが知りたかったらいつでも訪ねてくれ、と言ってくれたので、メールで連絡することにし、彼の家をあとにした。マオイストですら、この丘では、愛想よくなるらしい。

6.変化の兆し
無責任な外人観光客としては残念なことだが、そのチョバールの丘にも、邪悪な近現代文明の波が押し寄せてきている。

諸悪の根源は、車とテレビ。寺院のある丘の頂上まで道ができ、車やバイクが登ってくる。村人が、下の水田で収穫した米やジャガイモを袋に入れ背負って急坂を喘ぎ喘ぎ運び上げているのに、それを蹴散らし成金都会人が車やバイクで排ガスを吐きつつ駈けのぼる。この不条理、罰当たり!

また、TV。西洋やインドの俗悪番組が、村の神聖な寺院のそばでも見られている。子供たちから急激に俗物化し、伝統文化は失われていくだろう。

繰り返すが、以上はもちろん「素朴な農民」を期待する外人観光客の勝手な願望である。私自身、日本三大秘境の一つの出身だから、よそ者の勝手な「思い込み」や好奇心が村住民の感情をいたく傷つけることは、よくわかっている。

が、それはたしかにそうだが、私もここでは外人観光客の一人に過ぎないから、どうしても「古き良きネパール」を期待してしまう。どうしようもない。

せめて、できるだけ謙虚に振る舞い、よそ者として嫌われないよう努力する以外に方法はあるまい。因果なものだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/08 at 15:03

田の草取り:農村の厳しさと美しさから学ぶ

谷川昌幸(C)

カトマンズ周辺の水田では、いま最後の「田の草取り」が行われている。女性が4,5人並んで水田に入り、稲の間の雑草を手で取り除いていく。おしゃべりをしたり歌を歌ったりしながら、楽しそうだ。絵になる。

 

しかし、実際には、これは大変な重労働だ。日本でも、除草剤(枯葉剤)が使用される以前は、ネパール同様、農民が人力で田の草取りをしていた。ヒルが足に喰いつき血を吸う。稲や雑草の葉で目を傷つける。そして、長時間の腰をかがめた作業のため、腰が曲がってしまう。

 

以前の日本の農村では、ほぼ例外なく老人の腰は曲がっていた。栄養も悪かったが、最大の理由は長時間の田の草取りであろう。我が家の隣のおばあさんは、90度どころか、120度以上腰が曲がってしまっていた。機械化・農薬依存以前の農作業の厳しさがしのばれる。

 

その頃の日本農村は、ネパールの農村と同様、非常に美しかった。どこにいっても絵になった。しかし、この美しい農村は、厳しい労働と奉仕作業により維持されていた。人力と牛馬による麦、米、野菜の栽培は重労働だったし、燃料は農閑期に山から切り出す薪だった。田畑も山林も、こうした農民の重労働により、美しく維持されていた。

 

また絵のように美しい村々は、道路も水路も寺も神社もすべて農民の勤労奉仕と分担金により維持されていた。見方によれば、かつての日本の農村自治は現代の参加民主主義よりもはるかに公平で徹底していたといえる。その反面、農村には個人の自由はなかった。村々の美しさは、個人的自由の犠牲の上に維持されていたのである。

 

以前の農村のこの重労働、個人的自由の欠如は認めざるをえないが、それでもやはり美しいものは美しい。また農村自治に、現代民主主義以上の公平な参加の一面があったことも、事実だ。

 

ネパール農村の美しさやブータンの国民総幸福――これらには、懐古趣味だけではなく、時代を超えた普遍的な美しさや幸福の要素が、たしかに在る。

 

過去に戻ることはできないが、過去から学ぶことはできる。歴史は、過去を否定(克服)しつつ単線的に「発展」するものではない。過去には、現在よりもはるかに優れたものが、たくさんある。それらから学ぶ勇気が、われわれにはますます必要になってきているように感じられる。

 

キルティプールからパタン方面を望む

 

 キルティプールからビムセン塔方面を望む

Written by Tanigawa

2010/09/13 at 12:11