ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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自然と人為

自然は人の目に美しいが,自然を人為的に利用し収穫しようとすれば,その自然を破壊して搾取せざるをえない。人間の業。残念ながら。

▼丹後の寒村にて(2016年9月)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/23 at 14:34

カテゴリー: 自然, 農業

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Pesticide-free Veg: 無農薬の夢と現実

無農薬野菜は理想だが,現実は,この有様。私は,このような白菜を,時には青虫とともに食べているが,市場では,こんな白菜は絶対に売れない。

スーパーに並ぶ安くて見栄えの良い野菜は,いわゆる「害虫」や「雑草」や病気に強いいくつかの例外を除けば,おそらくすべて農薬まみれであろう(出荷時には残留「許容範囲内」と説明されてはいるが)。都市消費者は,カネを出すのも,青虫や虫食いもイヤなのだから,仕方ない。自業自得。

いまや,自家栽培者と無農薬栽培経費を負担できる人だけが,自然野菜を食べる特権を享受している。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/10/23 at 11:17

カテゴリー: 経済, 自然

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出荷用と自宅用を区別,ネパール農家も

昨日,日本農家は出荷用と自宅用を区別して栽培していたと書いたが,事情はネパールでも同じだ。

商品野菜を栽培している農家のほとんどは,農地を二つに分けている――出荷用農地では,殺虫殺菌剤,ホルモン剤,化学肥料を使って野菜を作り,自家用農地では,有機肥料だけを使い,農薬は使わない。」(Himalayan,22Jul)

そう,商品農作物生産の資本主義農業においては,自家用/出荷用別栽培は,どこでも見られる,きわめて合理的な農作物生産方式なのだ。日本だけでなく,ネパールでも。そして,おそらくは農産物輸出大国の某国,某々国においても。だから――

このようなことをする農家は不道徳であり,全くのペテン師であり,消費者の健康をもてあそぶものだ。」(Ibid)

などと,農家を非難してみても,全くの的外れ,お門違いだ。農家には,何の非もない。農薬まみれ野菜は,ネパールの近代的消費者自身が暗黙裏に求めたものに他ならないから。

農薬汚染が高いのは,カトマンズ,バクタプル,カブレ,ダディン,チトワン,バラなどの都市近郊農地だ。その結果,当然,都市部の野菜の残留農薬が高くなる。

カトマンズ野菜市場では,トマト,ナス,カリフラワー,トウガラシ,ササゲ豆,ヒョウタン,ジャガイモなどの野菜類の45%から残留農薬が検出され,特にササゲ豆の場合,なんと97.17%から検出されたそうだ(ekantipur,29 Jul)。

あるいは,ネパール農家は,DDTなど15種類の禁止農薬を使用しているとか,カリマティ市場のほぼすべての野菜からWHO許容基準の3倍の残留農薬が検出されたといった,恐ろしい報道もある(Himalayan,22 Jul)。

しかし,繰り返すが,これは農家の責任ではない。「商品」農作物を求めたのは消費者自身である。だから,ネパールでも,こう言うべきだ――

安全な農作物が食いたければ,農業労働に見合うだけのカネをだせ!
カネも出さず,農薬規制しても,誰がそんなもの守るものか!

140730 ■資本主義農業(写真:philosophers-stoneより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/07/30 at 13:53

カテゴリー: 経済

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ネパールの農薬汚染,中国が報道

1.ネパール野菜の高濃度残留農薬
中国の新華社通信記事(7月18日)によれば,カトマンズの野菜の14%から,WHO基準を大幅に超える農薬が検出された。胡椒,ニガウリ,ほうれん草,ジャガイモ,トマト,タマネギなど。検査したのはネパール農業開発省。

農業開発省のJM.カナル氏は,新華社記者インタビューに,「ネパールの農業が化学製品依存になってしまったのは,実に残念だ。・・・・消費者を守るため,厳しい対策をとることにした」と語っている。

ネパール農作物の農薬汚染については,以前から問題にされていた。農薬輸入はこの10年で7倍になっている(Gorkhapatra,1 Jan.2014)。しかし,むろんネパール全土が農薬汚染されているわけではない。農薬多用は,伝統農法の地方貧農ではなく,消費者向け商品農作物を作っている,多少とも資本主義化した農家だ。生活の都市化と,農業の近代化・資本主義化が,農薬まみれ農作物を生み出しているのだ。

ネパール近郊農業 ■ネパール都市近郊農業

2.自然離反の農業近代化
農業の近代化・資本主義化は,一般に,農業の自然からの離反,化学肥料・農薬依存をもたらす。この自明の理をわきまえず,上から目線で,優越感にむせびながら,たとえば「上海福喜食品」事件など,中国の食品問題を一方的に非難するのは,天に唾するもの,小国の小児,みっともないことこの上なし。

論より証拠,八百屋やスーパーの生鮮食品売り場にいけば,品定めに余念がない多くの買い物客を目にすることができる。品定めの基準は,(1)安い,(2)大きくて形が良い,(3)新鮮で美しい。(「味」はむろん重要だが,これは食った後でなければ,分からない)。

これが農作物の「商品」としての評価基準であることに間違いはなく,そうであるなら,商品生産者たる農家が,その基準に合わせて,「商品」としての農作物を作るのは当然ではないか。

3.自業自得の日本消費者
かつて高度経済成長期の日本では,すべてとはいわないが相当数の農家が,出荷用と自宅用を分けて栽培していた。出荷用には,化学肥料をたっぷり施し,農薬をふりかけ,大きくて美しい「商品」としての農作物を作った。自宅用は,有機肥料で,無農薬か低農薬で育てた。当然,自宅用は,形が悪く,虫に食われ,切ると中から青虫などが出てくることもあった。それでも農家は,自宅用には,そうした農作物を作り食べていた。安全だと知っていたから。

近くの町の人々も,日々の農作業が見えるので,できるだけ自然な農作物を買って食べようとし,農家もそれが分かっているので,近くの人々には自家用かそれに近い農作物を売るようにしていた。

が,遠くの都市住民の健康のことなど,知ったことではない。都市住民は,農作業のことには関心がなく,目の前の「商品」としての農作物をただ買いたたくだけ。農家としては,消費者の品定め3基準に合わせなければ,農作物は売れない。かくして,日本の農業も化学肥料・農薬依存となった。これは全部,消費者自身が求めたこと。

4.食の安全はカネで買え
食の安全をいうなら,カネをだせ! 形が悪くても,虫食いでも,青虫が出てきても,文句言うな!

そもそも,日本企業は,中国産の食材・食品に,いくらカネを払っているのか? タイから,鶏肉やエビをいくらで仕入れているのか? 安全なものが食べたいなら,自分の目の届く身近なところでつくられる食材・食品を,適正なカネで買い,食べるべきだ。

食材・食品を単なる「商品」と見なして買いたたく資本主義社会の「根無し草」市民なら,多少の農薬,多少の異物,多少の賞味期限切れなど,我慢せよ。すぐ死ぬわけではないのだから。

140728 ■農薬汚染風刺画(Nepali Times, 2014-07-28)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/07/29 at 10:50

カテゴリー: 経済

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農業現代化と動植物の権利

11月9日、奇跡の家を見学したついでに、キルティプールの南西の山麓を散策すると、農業の現代化(近代化)が急速に進行していることに驚いた。

これはトマトのビニールハウス栽培。他に、キャベツ、花などもハウス栽培。日本以上にぎっしり密集して植えている。

これは鶏舎。こちらも驚くほど多くの鶏を詰め込み、飼育している。
 

これは豚舎。やはり過密だ。

ネパールといえば、かつては自然粗放農業。米や野菜は雑草と競争しつつ共生していたし、鶏は庭先や畑を勝手に走り回り、卵を産み、そして肉となっていた。豚も、ビシュヌマティ川の川岸などで放牧されていた。いずれも生産性は低く、農民の生活が苦しかったことは容易に想像がつく。

ところが、写真に見るように、ネパールはその前近代的自然農法から一足飛びに現代的な高度集約農法に大飛躍。大丈夫だろうか?

農業専門家ではなく調査もしていないので推測にすぎないが、野菜にせよ鶏や豚にせよ、ビニールハウスや鶏舎・畜舎にこんなに詰め込めば、化学肥料・人工飼料に頼らざるをえないだろうし、殺虫剤・殺菌剤も欠かせないだろう。抗生物質やホルモン剤も使用されているかもしれない。

動物や植物にも、自然に生き、自由に育つ「権利」があるはずだ。たしかリンボウ先生の本に出ていたと思うが、イギリスでは豚にも自由と独立を認め、清潔な一戸建て豚舎をそれぞれの豚家族に割り当てているそうだ。

西洋の動物愛護団体は、動物の権利を理由に、水牛や山羊や鶏などの供犠に猛反対しているが、神の前で聖別され首を切り落とされるのと、鶏舎や豚舎に閉じこめられ、抗生物質入り人工飼料や殺菌剤まみれで飼育され、食肉工場で機械的に殺されていくのと、どちらがより残酷かは言うまでもあるまい。動物愛護団体の動物供犠反対の偽善は、惨めなまでに浅薄であり、愚劣だ。

ここで大切なことは、動植物の権利を守ることは、人間の権利を守ることでもある、ということだ。権利を奪われた不健康な動植物を食べると、当然、人間の健康も保たれない。日本の農村では、化学肥料・農薬まみれの作物は出荷用、自然農法作物は自宅用と、区別して作られている。これは、田舎の常識だ。

ただ、日本や先進諸国の場合、農薬規制がある程度きいており、短期的な被害は目立たない。しかし、ネパールの場合、そのような規制はあまり期待できない。だからこそ、ネパールでは、ヒステリックな偽善的動物供犠反対ではなく、動植物の自然な権利の擁護が、先進国以上に強く主張されなければならないのである。

郊外を散策していると、近代以前から近代以後への近代抜き飛躍が、とんでもない無理を引き起こしていることを、いたるところで目にすることができる。
 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/16 at 23:35

田の草取り:農村の厳しさと美しさから学ぶ

谷川昌幸(C)

カトマンズ周辺の水田では、いま最後の「田の草取り」が行われている。女性が4,5人並んで水田に入り、稲の間の雑草を手で取り除いていく。おしゃべりをしたり歌を歌ったりしながら、楽しそうだ。絵になる。

 

しかし、実際には、これは大変な重労働だ。日本でも、除草剤(枯葉剤)が使用される以前は、ネパール同様、農民が人力で田の草取りをしていた。ヒルが足に喰いつき血を吸う。稲や雑草の葉で目を傷つける。そして、長時間の腰をかがめた作業のため、腰が曲がってしまう。

 

以前の日本の農村では、ほぼ例外なく老人の腰は曲がっていた。栄養も悪かったが、最大の理由は長時間の田の草取りであろう。我が家の隣のおばあさんは、90度どころか、120度以上腰が曲がってしまっていた。機械化・農薬依存以前の農作業の厳しさがしのばれる。

 

その頃の日本農村は、ネパールの農村と同様、非常に美しかった。どこにいっても絵になった。しかし、この美しい農村は、厳しい労働と奉仕作業により維持されていた。人力と牛馬による麦、米、野菜の栽培は重労働だったし、燃料は農閑期に山から切り出す薪だった。田畑も山林も、こうした農民の重労働により、美しく維持されていた。

 

また絵のように美しい村々は、道路も水路も寺も神社もすべて農民の勤労奉仕と分担金により維持されていた。見方によれば、かつての日本の農村自治は現代の参加民主主義よりもはるかに公平で徹底していたといえる。その反面、農村には個人の自由はなかった。村々の美しさは、個人的自由の犠牲の上に維持されていたのである。

 

以前の農村のこの重労働、個人的自由の欠如は認めざるをえないが、それでもやはり美しいものは美しい。また農村自治に、現代民主主義以上の公平な参加の一面があったことも、事実だ。

 

ネパール農村の美しさやブータンの国民総幸福――これらには、懐古趣味だけではなく、時代を超えた普遍的な美しさや幸福の要素が、たしかに在る。

 

過去に戻ることはできないが、過去から学ぶことはできる。歴史は、過去を否定(克服)しつつ単線的に「発展」するものではない。過去には、現在よりもはるかに優れたものが、たくさんある。それらから学ぶ勇気が、われわれにはますます必要になってきているように感じられる。

 

キルティプールからパタン方面を望む

 

 キルティプールからビムセン塔方面を望む

Written by Tanigawa

2010/09/13 at 12:11