Posts Tagged ‘近代以後’
包摂トイレ,ネパール国連ビルに設置
国連開発計画(UNDP)ツイッター(8月24日)によれば,ネパール国連ビル内に初の「全ジェンダー用トイレ(All Gender Restroom)」が設置され,にぎにぎしく開所式が執り行われた。「このトイレは,ジェンダーの意識や外見にかかわりなく,だれでも使用できます。」
すべてのジェンダーとは,全ジェンダー包摂的ということ。つまり「包摂トイレ」の開設なのだ。さすが包摂民主主義を国是とするネパール!!
国連が誇らしげに宣伝するだけに,包摂トイレは最新・最先端であり,まだ呼称も確定していない。ここでは,とりあえず「包摂トイレ(inclusive toilet)」としておく。
[包摂トイレの呼称例]
Inclusive toilet
Gender-inclusive toilet
Gender-neutral toilet
Gender-open toilet
Unisex toilet
1.欧米の包摂トイレ
包摂トイレは,ジェンダー意識の高まりとともに要望が強くなり,大学,公共施設,飲食店などに広まり始めた。
トイレが「男用」「女用」だけでは,LGBTなど男女以外の様々な性(ジェンダー)の人が安心して用を足すことが出来ない場合が少なくない。これは身近な切実な問題である。
そこで,英国では,トイレを「女」,「男」,「gender-neutral」「disabled」などと,いくつかに区別して設置し始めている(*2)。
アメリカでは,自分のジェンダーのトイレを使う権利が法的に認められ始めた。たとえば,「ニューヨーク市人権法(New York City Human Rights Law)によれば,人々は自分のアイデンティティに適合する単一性別トイレ(single-sex toilet)を使うことが出来る。」(*1)
大学では設置がかなり進んでいる。バーナード・カレッジは,「ジェンダー包摂トイレ」と表示し,「皆さんが誰でも安心して(in peace)おしっこできるようにしています」と広報した。(*1)
イリノイ州立大学では,「全ジェンダー・トイレ」と表示し,「誰でも,ジェンダー,ジェンダーのアイデンティティ,ジェンダーの外見にかかわりなく,このトイレを使用できます」と説明している。(*1)
街ではスターバックスが「全ジェンダー・トイレ」の設置を進めているし,ワシントンDCのあるレストランはトイレを「男用」「女用」「その他全員用」に区別しているという。(*1)
2.ネパールの包摂トイレ
ネパールでは,2007年に「第三の性」が公認され,そして2012年3月,ブルーダイヤモンド・ソサエティがネパールガンジに「gender-neutral toilet」を設置した。これがネパール初の包摂トイレとされている(*3)。
以後,バルディアなど何カ所かに包摂トイレが設置されたというが,私はまだ実物は見ていない(*4)。おそらく,いまのところそれほど普及はしておらず,だからこそUNDPが国連ビル内包摂トイレ設置をツイッターで宣伝することにもなったのだろう。
こうした動きに対しては,ネパールではトイレそのものさえまだ普及していないのに,といった批判の声が上がりそうだ。近代以前の無トイレ社会と,近代以後の包摂トイレ社会――この両極端の共存が,いかにもネパールらしい。
3.性の近代以前・近代・近代以後
欧米やネパールの「性とトイレ」論争を見ていると,近代以後が近代以前に先祖返りしているような気がしてならない。
現代のジェンダー闘争は,性アイデンティティの覚醒・強化,ジェンダーごとの権利獲得へと展開してきた。ジェンダー・アイデンティティ政治である。
ところが,ジェンダーは,LGBTなどというものの,実際には無数にある。そのそれぞれのジェンダーが,ジェンダー・アイデンティティをたてに権利要求を突き付ければ,社会は実際には維持できなくなってしまう。
トイレのような簡単な構造物ですら,ジェンダーごとの設置は困難。そのため,gender-neutral, gender-open, all-gender, unisexなどといったトイレを設置せざるを得なくなった。要するに,どのジェンダーであれ,このトイレでおしっこしてもよいですよ,ということ。これはトイレにおけるジェンダー識別の放棄に他ならない。
これは,近代化以前の日本の湯屋や温泉と,性の扱いにおいて,よく似ている。湯屋のことはよく知らないが,温泉は,つい最近まで東北や山陰には混浴がたくさんあった。いまでも山間部には残っているはずだ。私自身,そうした混浴温泉にいくつか入ったことがあるが,そこでは老若男女の差異にかかわりなく,皆ごく自然に温泉を楽しんでいた。
Gender-inclusive Onsen! これは,まちがいなく近代以前だが,少なくとも外見的には,近代以後が向かいつつあるところでもあるような気がしてならない。
谷川昌幸(C)
交差点に見る前近代・近代・近代以後
ネパールの交差点は,文化の交差点であり,一目でネパール文化のありようが見て取れる。この写真は,ナラヤンヒティ王宮博物館前。左が交通警官,右下が信号機,そして右上がソーラーLED照明。
これは,ニューバネスワル(制憲議会前)。左が交通警官,中央がソーラーLED照明,右が信号機。
これらの交差点において,交通警官は,人々の動きを見て交通整理をしている。これは人の支配としての人治であり,したがって「前近代」。
これに対し,信号機は,定められた規則により合理的・機械的に交通整理。これは非人間的な合理的な規則による支配であり,法治(法の支配)であり,したがって「近代」。
そして,ソーラーLED照明は,人間が作ったものながら,設置後は自然光の恵みにより自動的に発電し交差点を照らす。その限りでは人為を超克しており,いわば「近代以後」。
カトマンズの交差点では,見た限りでは,信号機は全滅,まともに機能しているものは一つもない。点灯していても,点滅であり,実際の交通整理は,交通警官が手信号でやっている。つまり,近代原理の象徴たる信号機は,日本援助などで何回も導入が試みられてきたにもかかわらず,ネパール社会には受け入れられず,打ち捨てられ,埃まみれの立ち枯れ信号機の無残な姿をさらすことになっている。交差点において,「近代」は「前近代」に完全敗北したのだ。
では,ソーラーLED照明はどうか? うまく維持され機能すれば,「近代」を超克する「近代以後」の象徴となり,世界中の絶賛を浴びることになるだろう。「近代」なきネパールにおける「近代以後(ポストモダン)」の輝かしい勝利。さて,どうなるか? 興味深い。
谷川昌幸(C)
伝統農法と電力の自給自足:シュールなネパール
日本は柔らかい全体主義、電力も水道も地域独占となっている。福島原発事故で発送電分離が叫ばれているが、自由化は難しいであろう。
これと対照的に、ネパールは自由競争の国。電力も水も自由に調達してよく、自給自足が進行している。
水は、水道不足分を給水タンクローリーから買ったり、町の水商売屋さんから買う。水は普通の商品の一つとして自由に取引されている。
電力も、自主独立のネパール人はお上依存から脱却している。まかなえるだけの余裕のある人や企業は、それぞれ自家発電装置を備え、停電時には必要なだけ発電して使用する。
ネパールが電力自由化超先進国であることを実感させられるのは、最近めざましい高層マンション建設。カトマンズ盆地のあちこちにニョキニョキと建ち始めた。
周囲の水田では農民が昔ながらの農法で稲作をしている。手で稲を刈り、人力脱穀機で脱穀し、自然の風を利用し米を選別している。その背後には、高層ビル群。この超現実的な、シュールな風景のあまりのコントラストに目がくらくらするほどだ。
こんなところに、こんな高層ビルを建てて本当に大丈夫なのか? 停電になったらエレベータも水も止まり、生活できないではないか?
友人に聞くと、心配ないという。高層ビルはそれぞれ自給自足であり、イザというときには自前の電力と水で十分生活できるのだそうだ。
自給自足の前近代的農民のとなりに、自給自足の世界最先端未来型高層マンション。国家依存の近代を超克して勇猛果敢に前進するネパール! 自生的秩序とは、こんなものなのか?
谷川昌幸(C)
コメントを投稿するにはログインしてください。