ネパール評論

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後進国への後退とシャネル広告

シャネルが,朝日新聞朝刊(3月29日)に,全面広告を6頁(!!)も出している。日本人を見くびり,自然や人類をバカにした,許されざる所業だ。

後進国が「途上国」と改称される以前の後進国にいって真っ先に驚いたのが,高級ブランド店の超豪華仕様。後進国住民の大半はその日暮らしさえままならない惨状なのに,ごくわずかの特権階級相手に,目玉の飛び出そうな高価な贅沢品を売っていた。最近はめでたく「途上国」に発展したので,以前ほど酷くはなくなったが,それでも庶民生活と高級ブランド店との落差は大きい。

高級ブランド店は,少数の特権階級に寄生し,格差拡大とともに厚かましくも派手になり,格差を商品化し,繁栄する。

シャネルが高級紙に6頁もの全面広告を出したのは,日本が後進国へと後退し,宿主が生まれ生長し始めたからだ。特権階級は,むろん大多数の庶民を搾取して太っていく。日本は,搾取が構造化された後進国型階級社会に転落し始めたのだ。マルクス万歳!

そもそも6頁全面広告は,日本人見くびり以前に,自然浪費だ。この空疎な広告のため,山や森の木が何本切り倒されたのか? 石油が何ガロン燃やされたのか? 川の水や地下水が何万KL汚染されたのか? 反自然的・反人類的と断罪せざるをえない。

こんな反倫理的・反社会的広告を掲載した朝日も,むろん同罪だ。高級紙なら,貧すれども鈍せず,高級紙としての品格を堅持すべきだろう。

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[参照]シャネルの新聞広告

谷川昌幸(C)

 

Written by Tanigawa

2014/03/29 at 11:34

ガルトゥングの王制擁護論

1.ガルトゥングの訪ネ前インタビュー
ヨハン・ガルトゥングといえば,「積極的平和」や「トランセンド法」で知られる平和学の世界的権威だ。そのガルトゥングが,来年1月のネパール訪問をまえにインタビューに応じ,いくつか興味深い指摘をした。インタビューは下記ネパリタイムズに掲載。

▼Johan Galtung,Interview, “If you want peace, abolish hunger,” Nepali Times, #626, 12-18 Oct, 2012

2.王制の正統性
第一に注目すべきは,王制(君主制)についてだ。ガルトゥングの祖国ノルウェーは王国であり,立憲君主制・議院内閣制をとっている。ネパールについても,ガルトゥングは,このような立憲君主制の方が適切だと考えているようだ。

ガルトゥング:王制(君主制)についていうならば,正しい(正統性がある Legitimate)か否かは,ひとえに王制の在り方による。王制だから正しくないとは思わない。専制(despotism)こそが不正なのだ。国王個々人と王制そのものとは区別されなければならない。

ネパール人の多くは,王制そのものは支持していたと思われる。立憲君主制は,王制の象徴性と憲法による規制を両立させるものだ。マオイスト紛争期に,私はカトマンズのある警察署長と話したことがある。彼が言うには,マオイストの40項目要求のうちの39項目には賛成であり,したがってマオイストの断固取締には躊躇するほどであったが,それでも他の1項目,王制廃止には賛成できなかった。

マオイストの王制廃止要求は,一般の人々の思いからは外れるものであったと考えられる。」(Ibid)

ここでガルトゥングは,まず第一に,制度と人を区別せよ,といっている。これは常識であり,もし区別しないなら,ヒトラーを生み出した民主制は悪ということになってしまう。王制についても,ある国王が悪政を行っても,だからといって直ちに王制そのものが悪となるわけではない。王制と専制は峻別されなければならないということである。

ここでガルトゥングは,ネパールの王制復古を積極的に唱えているわけではないが,自国ノルウェーが王国であることもあり,立憲君主制には彼は好意的であるとみてよいであろう。

3.連邦制と国家統一
連邦制については,ガルトゥングは強く支持しているが,その根拠は,説明(ネパリタイムズ記事)の限りでは不明確だ。

ガルトゥングによれば,連邦制は,権力や資源を豊かなところから貧しいところに移転させるが,これが直ちに国家分裂をもたらすわけではない。各州は,資源自治権や言語教育決定権などを保有しつつも,「国家」や「国民」の一部として行動する。州は地理的区分だが,どの州も他州の権利を侵害できず,したがってその意味では,一つの国の部分として行動せざるをえない。だから,分裂とはならない。

このガルトゥングの連邦制擁護論は,記事が正確だとすれば,論拠薄弱であり,説得力がない。彼自身のこのインタビューにおける他の主張とも整合性がない。西洋諸国には,多民族途上国の連邦制への思い入れがあるのではないだろうか?

4.自由より食糧
これはインタビュータイトル(If you want peace, abolish hunger)となっている議論である。この部分を見ても,ガルトゥングが想像以上に保守的な考えをもっていることがよくわかる。

たとえば,ネパール暫定憲法は最高裁解釈では同性婚を認めているが,ガルトゥングによれば,そうした権利は西洋諸国では重要となっているが,ネパールではまだ最優先課題の一つであるわけではない。「ネパール人にとっては,日々の食事への権利の方がもっと重要であろう。一言でいえば,ネパール憲法は,もっと守備範囲を限定した憲法であるべきだ。」

このガルトゥングの忠告は,わからないわけではない。メシもまともに食えないのに,同性婚のような,最先端の権利をあれもこれもと追いかけ回してどうなる,憲法は身の丈相応の簡素なものにせよ,という忠告である。

それはそうだ。私もそう思うし,幾度もその趣旨の発言をしてきた。途上国では,自由権,社会権,参政権のいずれも満足には保障されていない。一気に,それらすべてを実現することは到底不可能なので,当然,優先順位をつけざるをえない。もしそうだとすると,同性婚などのような最先端の権利よりも,国家としていま努力を傾注すべきは飢餓救済などの基本的権利の保障だ,という議論は十分になりたつ。これは合理的,現実的な判断だ。

しかし,その一方,これは一種の途上国差別であり,無意識の優越感の現れといってもよいであろう。「まともにメシも食えず学校へも行けないのにケイタイをほしがってどうする」といった,上から目線の「おごり」である。

食糧にも事欠き,電気・水道・道路も普及していない途上国に行って,最先端の法・政治制度や最新の工業製品を宣伝して回るのはいかがなものかと思うが,その一方,現地の人々がそうした最先端・最新の制度や製品を求めることについては,それは彼ら自身の選択であり,見守るよりほかはあるまい。日本人だって,幕末維新の頃は,ずいぶん分不相応な新制度・新製品に飛びついていた。自戒したい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/10/14 at 15:06

カテゴリー: 国王, 憲法

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