ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Posts Tagged ‘過疎化

師走の丹後の村

わが「負動産」の片付けに,丹後の村に行ってきた。師走というのに異常に暖かく,まだ秋盛りのよう。付近の村は,2018年豪雪のせいか,荒廃が一段と進んだようだ。懐かしい山村風景が冬を越すたびに失われていく。


 ■紅葉の村/鉄橋を渡る気動車

 
 ■河原のススキと村/土蔵

■カヤ屋根の古民家


 ■カキとカン(空カンは鳥獣除け?)


 ■ゴールポスト?/廃屋

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/12/08 at 15:45

カテゴリー: 社会, 自然

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ひこばえの饗宴

今秋の「ひこばえ」は,温暖化のおかげか,出来がよい。刈り取り後の「二番穂」とは見えないほどの豊作だ。

かつて人出が有り余っていたころの農村では,こんな豊作なら,刈り取って何かに利用したに違いないが,いまではそんな奇特なことをする人はいない。というわけで,晩秋の水田は,野の鳥獣たちにとって,またとない饗宴の場となっているのだ。

▼ひこばえの水田と紅葉の里山
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▼ひこばえ(よく稔っている)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/11/16 at 19:16

カテゴリー: 自然, 農業

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休耕田と向日葵

農村では,過疎化と老齢化で,休耕田が増えている。雑草が茂り,原野に戻りつつある田畑も少なくない。

というわけで,ということであろうか,田畑に四季の花々を植えているところが,あちこちにある。あるいは,村おこしのため,という場合もあろう。

田畑のお花畑を愛でつつも,心境は複雑とならざるをえない。

▼丹後の向日葵(2016年8月)
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▼駒ヶ根の水仙(2016年4月)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/08/10 at 10:51

カテゴリー: 社会, 経済, 農業

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早春の野草と野獣

3月中旬,野草が一斉に小さな花をつけ,ウグイスがさえずりの練習を始めた。心なしか浮き浮きする。

ところが,野草といっても,このところ勢力を急拡大しているのは,外来種。写真のスミレらしき花も,どこかから飛んできて根づき,いち早く花を咲かせた外来種だろう。とにかく,外来種は,やたらと強い。少々のことでは枯れない。しかも,たいてい美しい花をつける。困ったような,うれしいような。

動物もそうだ。畑は三重に網を張ったが,イノシシやサルに加え,生命力あふれ悪知恵にたけた外来動物も増えており,専守防衛で防御できるかどうか,心許ない。ここはやはり,集団的自衛権を行使し,村民一丸となって,外来動物テロ攻撃を撃退せざるをえないだろう。

春到来はうれしくもあり,ゆううつでもある。

150318d ■これは外来種(たぶん)

150318b150318c ■これらは在来種(たぶん)

150318e ■専守防衛の猫の額

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/19 at 09:19

カテゴリー: 自然

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3Gの悲哀と自然に戻る喜び

情報格差(デジタル・デバイド)は,日本でも著しい。地方は,高齢化・過疎化で商売にならず,ネットは3Gがせいぜい。亀のように遅い。これでは,ネパールの方が通信環境はよいのではないか。

ネット新聞を読むときは,アドレスをクリックしてから,外でちょっと一仕事,数分後もどると,ようやくページが開かれている。写真があると,さらに遅い。

近現代化・民主化は,合理化=中央集権化であり,これは情報についても同じこと。いまやあらゆる情報が中央に集められ,整理分析され,保存され,利用されている。こんなことなら,少なくとも権力と情報の多元的分散という意味では,中世封建制の方がまだましだ。わが村も,つい数十年前までは,自主独立していた。が,それも今や昔。地方は中央の単なる末端であり,万事後回し,3Gの悲哀をかこつことにならざるをえない。

しかし,それは事の反面,ネット・アドレスをクリックして一歩家の外に出ると,春爛漫,動植物みな生の喜びにあふれ,一目見るだけでも深く癒される。わざわざ高山に登らなくても,あるいは人工交配や遺伝子操作をしなくても,自然は十二分に美しく多彩なのだ。

自宅のすぐそば,どこにでも,こんな美しい花々が咲き乱れ,生命が躍動している。そんなことに気づかせてくれたのが,鈍足3G。人間には,この程度の速度が相応しいのかもしれない。

自宅そばの野草(5月4日午後)

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/05/04 at 22:08

カテゴリー: 情報 IT, 文化

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過疎化と老齢化と葬儀社の品位

5月連休後半を故郷の丹後で過ごした。快晴で新緑が目に鮮やか。山野はいたるところ生命の息吹に充ち満ちていた。

ところが,自然とは対照的に,地方の生活は過疎化と老齢化で荒涼としている。空き家が増え,耕作放棄地がいたるところ見られる。人が減ると学校や商店などがなくなり,不便となると,また人が減る。悪循環だが,止めようもない。

そうしたなか,おそらく唯一,地方で繁盛しているのが,老人向け産業だ。地方で新しい豪華な建物が目に入れば,たいていそれは老人施設か葬儀場だ。加速度的な老齢化だから,これは当然の成り行きといえよう。

しかし,それはそうとしても,今回驚いたのは葬儀社の派手な宣伝。わが家周辺の町村の総人口はせいぜい数万程度だが,顧客急増の葬儀社はネット電話帳で見ただけでも20社ほどある(支社・営業所等含む)。それらの葬儀社が,死亡者が出ると,新聞に競って死亡通知広告を折り込むのだ。

死亡通知広告には,死亡者の姓名,死亡日,年齢,肩書き,住所,喪主,親族,葬儀会場,葬儀日時,出棺時間など事細かに記載し,そして引き受け葬儀社の各種葬儀商品の説明が地図と共に大きく掲載されている。プライバシーなし。もちろん,黒枠

葬儀社は,死亡者が出ると,いち早く情報をつかみ,葬儀を引き受け,黒枠死亡通知広告を印刷し,それを朝刊(地方は朝刊のみ)に折り込み,各家庭に配達してもらう。

村の人々は,朝起き,新聞を開くと,いやでも黒枠死亡通知広告が目に入る。読者はほとんど老人。「まだ若いのに・・・・」とか「この歳ならしかたないなぁ・・・・」などと,自分と比べ,ため息をつく。自分が顧客になり,広告に載る日のことを,多かれ少なかれ,思わざるをえないのだ。

先週の,たしか5月8日だったと思うが,朝刊を開くと,4人の黒枠死亡通知広告がドサッと出てきた。小さな町村なのに,なんと4人も!

葬儀社にとって,人が死ぬと,それはビジネス・チャンス。いち早く情報をキャッチし,葬儀一式を売り込み,死亡通知広告を配布する。広告のターゲットは,もちろん死を待つ老人たちだ。顧客老人は多いが,葬儀社も多い。勢い,競争は激しくなる。

これは,まさしく死の商人。峻厳な死への畏れは,いったいどこへ行ったのか? 金儲けの前では,人としてのつつしみ,たしなみ,品位,品格といったものへの配慮は色あせ,蹴散らされ,もはやどこにも見られない。

朝っぱらから黒枠死亡通知広告を一方的に送りつけ,老人たちを脅し,それで商売が成り立つとは,よい時代になったものだ。資本主義は万物を商品化する。死も例外ではない。

地方の過疎化は,人間も倫理もますます疎外しつつある。死すら商品化された地方の人々は,自分自身の死すら奪われ,死ぬに死ねない有様だ。日本の地方は,もうダメだ。

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■朝刊折り込みの死亡通知広告(2013年5月)

【追加2013/5/23】
葬祭関係の方から,次のようなご意見をいただいた。

▼地域コミュニティは,かつては緊密であり,死亡情報も伝令により共有されていたが,生活の変化で困難となり,迅速大量伝達方法として新聞折り込み広告を使うようになった。

▼地域の人びとにとって,新聞紙面の死亡通知欄よりも,配布範囲を限定できる折り込み広告の方が,好都合であった。

▼このような地域の理解と利益により,新聞折り込み広告が使われるようになった。

▼したがって,新聞折り込み広告は,地域社会・葬儀社・新聞販売店の「三方一両得」となり,「地域の独自の文化」となった。

丹後の現状は,このご意見の通りだと思う。新聞折り込み死亡広告は,多かれ少なかれ遺族・関係者の了解のもとに作られ,配布され,それを地域社会も受け入れているということであろう。

では,この新しい慣行をどう考えるか? 便利で必要だと肯定的に考える人もいれば,私のように,いくら何でもやり過ぎだと考える人もいるであろう。これは評価の問題だから,意見が分かれるのは致し方ない。

現代は,万物を商品化する資本主義社会であり,そこでは,多かれ少なかれ,たとえば教師は「知の商人」,画家は「美の商人」,男女は「愛の商人(性の商人)」たらざるをえない。そして,商品化されればされるほど,「知」や「美」や「愛(性)」は,それ本来の在り方・扱われ方から離れ,利潤のための手段とされていく。「死」とて例外ではあるまい。

このような観点から見た場合,人の死や葬儀はどうあるべきか? いま一度,原点に立ち戻って,考え直してみるべきではないだろうか。

【参照】ショッピングモールみたいな日本の葬儀場
「ヨーロッパの教会や、日本の昔ながらのお寺は、ここで最後に送られるんだったらまあいいか、という感じがありますが、今は葬儀場でさえ、イオンモールみたいな感じになってきています。・・・・ 」(死んだ家族が、“戻れない”マンションができるわけ 養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第3回,『日経ビジネスオンライン』2014/12/18) [2014-12-19追加]

スーパーやネットでお葬式(2016年2月2日追加)
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  ■朝日新聞(2016年2月1日)/価格COM HP(2016年2月2日)

アマゾン「お坊さん便」大繁盛(2016年2月22日追加)[アマゾン閲覧2月22日]
 Amazon [お坊さん便] 法事法要手配チケット (移動なし)
 価格:¥ 35,000  5つ星のうち 3.1 55件のカスタマーレビュー  通常3~5週間以内に発送します。 在庫状況について
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谷川昌幸(C)

 ウェッブ魚拓,削除申し立て済(2013-05/21)。

Written by Tanigawa

2013/05/12 at 21:07

丹後の春と過疎化

丹後でも,今年の冬は厳しく,その分,野の花々も彩り鮮やかだ。路傍の野草には自然の凛とした気品が,野生化した外来種や古民家前の桜には自然と化した人為の温かさが,感じられる。いずれ劣らず好ましい。

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 ■古民家と桜

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 ■自宅付近の路傍の野草と菜の花

しかし,その丹後でも,容赦なく過疎化は進み,それを押しとどめるはずの開発は乱雑な自然破壊・文化破壊となっている。山間の田畑や山林のため大金をかけ立派な舗装道路を張り巡らせても,農林業は廃れ,耕作放棄地・放置山林となり,野生動物の天国。舗装道路の最大の受益者は,タヌキやイタチ,トンビにカラスらだ。

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 ■舗装農道沿いの耕作放棄田

こうした地方の過疎化は,日本だけでなく,何とわれらがネパールでも進行している。グローバル化は,情報化でもあり,ネパールの農山村の人々も都市や外国の生活を見聞きできるようになった。そして、それを見た若者たちが,次々と故郷を捨て,都市や外国に出て行く。農山村には,老人と女性だけが取り残され始めたという。

グローバル情報化・資本主義化は,政治経済の中央集中化である。アベノミックスが引き金になって,博打グローバル市場経済が破綻することにでもならなければ,この不健康な現象を押しとどめることはできそうにない。残念ながら,

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/05 at 12:11