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セピア色のネパール(4):水の都カトマンズ
1990年代初期は,カトマンズやパタン,バクタプルはまだ,それぞれ水の豊かな盆地の小さな古都であったと記憶している。
共同水場の多くでは,水場がそこにつくられたのだから当然とはいえ,吐水口から水が出ていて,水汲み,水浴,洗濯などが日常的に行われていた。
バグマティ川やビシュヌマティ川も,汚れ始めていたとはいえ,水浴や魚取をするなど,まだ人びとの生活で日常的に利用されていた。
そのカトマンズで水場の水が枯渇し,河川がドブ川のように汚染されてしまったのは,いつの頃からであろうか?
それは,おそらく1990年代半頃からのカトマンズ盆地の急激な人口増,都市化の結果であろう。それまでは田園に囲まれた小さな,雰囲気的には半農村的な古都であったカトマンズ,パタン,バクタプルが,民主化運動(1990年)成功後の自由資本主義化とマオイスト人民戦争(1996~2006年)による地方からの大量人口流入とにより,一つの巨大な近現代的大消費都市圏となってしまった。
水が大量に汲み上げられ,使用され,枯渇してしまい,また河川が無処理廃棄物でドブ川となってしまったのは当然と言わざるをえない。




【参照】(1)The Bagmati at Thapathali as recently as the 1970s was still flowing along a broad , sandy floodplain.
(2)ゴミのネパール
(3)1965年のバグマティ川はきれいだった。(भीष्म)Bhisma@Bhismak1962
(4)渇水バイスダーラ https://www.himalkhabar.com/news/133500
谷川昌幸
ネパール不動産バブル,日本人もビックリ!(3)
3.不動産価格高騰の主要因
都市部とその近郊の不動産価格が高騰し続けている主な要因は,ネパリタイムズ記事などによれば,以下の通り。
(1)1990年民主化運動とマオイスト紛争
民主化運動成功後の自由市場社会化により人口流動化が始まったところに,マオイスト人民戦争(1996-2006)が勃発,紛争の激しかった地方から多くの人々が都市部に逃れた。紛争が終結しても紛争中に流入した人々の相当数が地方に戻らなかったのに加え,自由市場社会化の加速により地方から都市部への人口移動は増加し続けた。
近年の移入者比率は,バグマティ州(カトマンズなど)が47.3%,ガンダキ州(ポカラなど)が40.2%,第1州(ビラトナガルなど)が38.9%。
(2)不動産取引の規制の甘さ
ネパールの不動産取引は,規制が甘く,銀行は大量の不動産融資をしている。庶民が預けた金も,不動産投資に回されている。
政治家,官僚,軍人,裁判官など,政官界有力者の多くは自身や縁者が不動産所有者であり,したがって,彼らの影響下にある政府や中央銀行(Nepal Rastra Bank)には,不動産取引や融資を規制するに十分な意思や能力を持たされていない。
(3)不動産取引税の低さ
市民所得税は最大36%,法人所得税は25%だが,不動産取引税は極めて低い。
土地取得後5年以内で売却⇒利益の5%が税
土地取得後5年以上で売却⇒利益の2.5%が税
また,不動産取引においては,関係職員を買収して取引額を低く見せ,課税額を引き下げることも行われているという。
(4)不動産マネーロンダリング
経済学者のAchyat Wagle教授は,不動産マネーロンダリングを,こう批判している。「不動産は,不正に得た金の一時移転先として理想的なものとなったので,土地を必要としない人々までが土地に投資した。・・・・そして,働かなくても短期間で金持ちになれるので,不動産投機は起業意欲を失わせることにもなった。」(Nepali Times)
(5)農地の宅地転用
農地の細分化・宅地転用についても,大量の金で買収が行われ,規制法が改定された。その結果,2021年だけでも,50万もの新たな不動産所有証書が発行された。また,合法的な分割土地であっても,係官は土地取引手続きの際,賄賂を要求するという。
■10年前撮影の新興住宅地(カランキ付近,2012/12/10)
谷川昌幸(C)
初秋の村:別荘生活のすすめ
半年ぶりに丹後の村に行ってきた。文字通りの「負動産」となった村のわが家。窓を開け放って外気を入れ,庭木を電気鋸でバッサリ剪定し,雑草を引っこ抜いて回った。重労働。
それでも,ほっとし,慰められるのが,周囲の自然。彼岸花,野菊,ツユクサなどが咲き,イナゴが飛び,トカゲが駆け,かたつむりが角をふりふり這っている。村にいたときは,日常のありふれた風景であり,美しいとも面白いとも特に感じなかったが,都会からたまに帰ると,自然の豊かさに改めて気づき,心和まされる。
丹後に限らず,地方はどこも人口減少,空き家が急増している。それらの多くは,都会では信じがたいほど安い。なかには維持するにせよ解体するにせよ経費が掛かるので,タダ同然で譲ってもらえる家さえあるという。しかも田舎だから敷地は広い。百坪,二百坪,いや三百,四百坪のものもある。広い菜園付きも少なくない。そうした家屋が,電気・水道付きで,つまりすぐ使える状態で,手に入るのだ。都市住民の別荘に最適ではないか。
別荘は,近代化以降,都市住民の憧れでありステータスシンボルでもあった。彼らは,大金をはたき,軽井沢などに別荘を持とうとしたが,不自然な都会生活から一時的に逃れ,人間の自然(human nature)を取り戻すためであれば,何も別荘のために開発された別荘地に行く必要はない。別荘地は,所詮,人造の疑似自然にすぎない。
いまの日本であれば,自然豊かな地方に行けば,買うにせよ借りるにせよタダ同然で,すぐにでも使える家が簡単に見つかるのだ。都市住民は,このチャンスを見逃さず,地方に第二の家(セカンドハウス)を持ち,その別荘で何日か暮らすことにより,自分の人間としての自然(本性)を取り戻そう。
これは,過疎の地方にとってもチャンスだ。どのような形であれ人が来て住めば,地方は活気を取り戻し,地域社会として蘇るきっかけをつかむことができるに違いない。
谷川昌幸(C)
カトマンズの壁画: 寺院
ティンクネ~マイティガル道路の拡幅近代化のためマイティガル手前の丘が削り取られ,大きな壁ができた。ここに描かれたのが,この寺院。
壁は巨大だし,前景は超近代的ソーラー街路灯付き高規格道路。舞台装置は申し分ないが,作品はいまいち。文字遊びの「Let’s stART」も,遊びきれていない。空間ができると埋めたくなる心理はわからないではないが,広ければ広いほど,使い方は難しくなるようだ。
ここは,強引な拡幅工事により1階部分が削り取られた家が頑張っているところ。この家は,本格的な補修が行われていたので,このまま存続することになるのだろう。こちらの方がシュールであり,作品としては面白い。
【参照】 国土改造ブームのネパール 震災なきがごときカトマンズ
谷川昌幸(C)
制憲議会選挙2013(23):パタン南方の桜と中国日報
11月24日,パタン南方のティカ・バイラブに行ってみた。キルティプルからパタン経由,タクシーで1時間近くかかる山麓の小村だが,テチョ,チャパガオン方面からの市街地開発はすぐ近くにまで及び,山腹には自動車道も出来ていた。数年で,道路沿いは商店や住居で埋め尽くされるだろう。テチョ,チャパガオンまでは,すでに前日(23日),行っているが,少なくとも道路沿いは無秩序な新築建築物で埋め尽くされ,車も多く,あまり感心しなかった。
24日にティカ・バイラブに行ったのは,一つ西の丘,コカナ,ブンガマティ経由。こちらは車も少なく,道路沿いには緑が多く,美しい。往きはタクシーだったが,帰りはチャミ付近で下車し,丘の上の道をパタンに向け歩いて戻った。舗装道路だが,車はたまに通るだけ。菜の花(からし菜?),マリーゴールド,ラルパテなど,花々が咲き乱れている。
そして,圧巻はなんと言っても,桜。ちょうど満開で,いたるところに咲いている。特に西側斜面に多く,まるでネパールの吉野。自然林なのか植林なのか分からないが,一面,桜の小高い丘もあった。
この付近の桜は,色は白に近いものから濃い桃色まで,花は一重からから八重に見えるものまである。ソメイヨシノそっくりの桜もあった。しかも,花持ちがよく,長く咲いている。もう少し増やせば,桜大好き日本人が大挙押し寄せるにちがいない。
■農民と桜(チャミ)/チョウタラ・農民・菜の花(チャミ)/カンナと桜(コカナ)
そんな野山の花々を愛でながらしばらく歩くと,道ばたに小さな茶店があったので,一服した。ネパール茶一杯10ルピー(10円)。茶を飲みながら,ふと見ると,なんと「中国日報英語版」がおいてあった。パタン郊外とはいえ,かなり遠い山村の地元民しか立ち寄りそうにない小さな茶店に,どうして「中国日報」がおいてあるのだろう?
村の茶店が「中国日報」を販売しているとは思えない。おそらく,誰かがカトマンズかパタンから持ち込み,茶店においていったのだろう。が,そうだとしても,こんな田舎にまで「中国の進出」が及んでいるとは,正直,驚いた。
茶店から丘の上の道を少し歩き,チュニッケル付近から踏み分け道を西に降り,中腹の小道に出て,それをブンガマティまで歩いた。この付近は,よそ者が少ないとみえ,昼間でも犬が吠えかかり,かなり危険。それさえ用心すれば,静かで,花々が咲き乱れる絶好の散歩道。次は,この道をもう少し奥までたどってみたい思っている。
ブンガマティは,昨年,来たことがあるので,ざっと見て回るにとどめ,村道をさらにコカナまで歩いた。コカナは,村開発委員会(VDC)が外人入域料50ルピーを徴収するようになっていた。
24日,見て歩いたパタン南方郊外では,コングレスの旗やビラが他党よりも多かった。たとえば,コカナには下図のような“コングレスの門”が造られていた。おそらく,この付近の共同体はコングレス支持なのだろう。ネパール国民の投票行動は,このような現実をも踏まえ,理解すべきであろう。
谷川昌幸(C)
囲い込まれた自然と文化:宝塚
宝塚に転居して一年,近隣の目もくらむ自然格差・文化格差に愕然たる思いだ。
宝塚は神戸・六甲山系の東山麓。かつては美しい里山・田園地帯であったのだろうが,容赦ない宅地開発で,いまや醜怪な現代都市に変貌している。
以前の比較的余裕のあった邸宅が相続で売却されると,跡地は分割され,3~4軒のマッチ箱住宅が建つ。あるいは,わがアパートのような,貧相な墓石型集合住宅となる。
このような新興住宅住民には,豊かな自然や文化は無縁だ。働き,食い,寝るだけ。貴族主義者のハンナ・アーレントは,「労働」を必然と消費に隷従する最下級の人間行為と喝破したが,私のような庶民アパート住民には,反論のしようもない。
かつて高度成長以前の日本社会では,そうではなかった。人々の多くは貧しかったが,下町でも農村でも時間はあふれ,様々な趣味や遊び,つまり多様な文化が栄えていた。美しい自然と多様な文化は,日本を訪れた外国人を痛く感動させた,日本古来の伝統であった。
いまの宝塚には,もはやそのような自然や文化はない。雑然とした必要と消費のための街に成り下がってしまった。
例外があるとすれば,それは金網と鉄格子で囲い込まれた広大なゴルフ場だけ。そこは別天地。花々が咲き乱れ,小鳥がさえずる美しい自然の中で,時間はゆったり流れ,優雅なゴルフ文化が享受されている。
現代資本主義は,富だけでなく,自然と文化をも囲い込む。現代型エンクロージャー! 貧しくとも,自然と時間と文化を享受できた頃の方が,庶民は幸福であったのではないだろうか。
■切れ切れながらも,わずかに残る里道の桜並木。先人の風流が忍ばれる。金網の向こうはゴルフ場。
谷川昌幸(C)
ネパール人口3千万人,山地・農村から都市とタライへ
ネパリタイムズ(#573, Sep.30)の社説「人口統計・民主主義・デマ扇動家(Demography,Democracyand Demagogues)」が面白い。
ネパール統計局2011年度調査によれば,ネパール人口は2662万人。ところが,出稼ぎなどで不在,不明が統計局公認で200万人,実際には400万人くらいはいるので,ネパールの人口はいまやほぼ3千万人に達しているという。
人口増加率は,2001年調査の2.25%から2011年調査の1.4%へと低下しているが,それでも当分は,年40万人が労働年齢となり,半分は海外出稼ぎ,残りの20万人が国内で働き口を探すことになる。
そこに,雪崩的人口移動が重なる。山地23郡では人口減少。とくにマナン郡はこの10年で人口が2/3に減少した。青年が都市や海外に出てしまうのだ。
その一方,タライでは,出生率が高く,山地や外国からの移入も多く,その結果,この10年間で人口が20%も増加し,いまや全人口の過半数を超えてしまった。
バタライ首相は,分権化,地方開発で人口分散を目指しているが,こうした長期的観点からの政策は,目先の利害で動くデマ扇動家たちによって常に妨害され,遂行が困難となっている。
「バタライ首相にダサインの祝福あれ。デマ政治家どもが排除され,この国の人口と民主主義の健全性が保たれることを祈る。」
谷川昌幸(C)
火に入る聖牛の捨身救世
【参照】
▼ゴミのネパール
▼ゴミと糞尿のポストモダン都市カトマンズ
▼ゴミと聖牛
谷川昌幸(C)
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