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キリスト教とネパール政治(6)
4.改宗の理由
キリスト教会がネパールで布教し信者を増やしたいと考えるのは当然だが,それではネパールの人々はどうしてキリスト教を受け入れ信者となるのだろうか?
キリスト教改宗の理由ないし動機は,むろん人それぞれだし,また1つだけとは限らない。英国ジャーナリストのピート・パティソンは,その記事「多くのネパール人がキリスト教に改宗するのはなぜか」(2017年8月30日)において,主な改宗理由を4つあげ,次のように説明している(*1)。(*2参照)
<以下,引用>
「これほど多くのネパール人がキリスト教徒になろうと決心するのはなぜなのか? その理由は少なくとも4つある。
第一に,ダリットの人々が,キリスト教を,カースト制から逃れさせてくれるものとみていること。ネパール全国クリスチャン連盟(FNCN)によれば,クリスチャンの65%はダリットである。[マクワンプル郡]マナハリの近くの村のダリット牧師によれば,『村の高位カーストの人々は,われわれダリットを犬以下として扱ってきたし,・・・・いまでもなお,たいていはそう扱っている。・・・・これに対し,クリスチャンの間では差別はない。・・・・われわれはみな平等だ』。
しかしながら,そうはいっても,キリスト教が社会諸集団の垣根を取り払いつつあるわけではない。たとえば,マナハリやその近辺の教会は,チェパンの教会,タマンの教会,ダリットの教会といったように,カーストや民族ごとにそれぞれ別に組織されているとみられるからだ。
第二に,多くの改宗者が,長患いや原因不明の病気が治った後で,クリスチャンになっていること。彼らは,この治癒を奇跡と語る一方,薬(折々教会が配布)も効くと考えている。まだ十分な社会保険制度がないので,シャーマンのところや病院に行くお金がない人々にとって,これは大きな動機である。似非科学的な似非医者が地方だけでなく都市部にもはびこっている現状では,これは驚くべきことではない。
[第三に]お金もまた,大きな動機である。多くの人にとって,キリスト教はヒンドゥー教よりも,要するに安上がりで済む。ある女性によれば,ヒンドゥー僧やシャーマンは,『ヤギとニワトリで太る』といわれるほど多くの贈り物を儀式のために要求する。教会も十分の一税――収入の十分の一を教会に納める――をキリスト教徒に期待してはいるが,私が話を聞いた信者たちによれば,これは強制ではないし,また献金の代わりに食料品を献上することもできる。
といっても,それだけではなく,キリスト教がビッグビジネスともなっている地域もある。ある牧師によれば,『金のためにクリスチャンになっている人が何人かいることは確かだ』。その資金の多くは,海外から,特にアメリカと韓国から持ち込まれる。マナハリのあるシャーマンが私にこう語った――『(キリスト教牧師たちは)強欲だ。・・・・彼らは,四六時中,外国にメールを送り,お金を無心している』。震災後,マナハリのクリスチャン住民や外国人クリスチャンは,物資支援に特に熱心であった。人々の中には,こうした活動を露骨なご都合主義と見る人もいる。たとえば,ある地元ヒンドゥー僧は,こう述べている――『震災後,・・・・聖書が米袋に入れ持ち込まれた。・・・・聖書は,あらゆるものと組み合わせ,持ち込まれた。・・・・彼らは,金を使ってキリスト教を宣伝している』(*1)。
[第四に]重要だが,しばしば見過ごされる理由もある――信仰だ。たしかに,キリスト教改宗ネパール人の多くは,健康,お金,被差別など極めて実用的な理由で改宗するが,一方,そのような改宗が純真な宗教信仰に人々を導くことも少なくない。さらに別の人々にとっては,クリスチャンになることは,それ自体,信仰上の事柄である。あるキリスト教牧師が私にこう語った――『ありとあらゆる宗教の本を読んだが,私の疑問に対する答えが見つかったのは,聖書を読んだ時である』」。
<以上,引用>
さすが,アムネスティ・メディア賞などを受賞したP・パティソン,バランスの取れた改宗理由のリアルな分析だ。
その一方,改宗の歴史的・文化的分析は少し弱いように思われる。キリスト教は,日本では西洋近代文明とともにやってきた。幕末・維新以降,近代化を急ぐ日本の人々は,キリスト教の中に近代化の諸原理や資本主義の精神を求め,学び,そして,そのうちの何人かはキリスト教に改宗した。
これと同じようなことが,今のネパールでも起きているとみて,まず間違いはあるまい。ネパールにおけるキリスト教改宗は,パティソンの改宗4理由をこのような歴史的・文化的理由でもって補足すれば,いっそう理解しやすくなるであろう。
*1 Pete Pattisson, “Why many Nepalis are converting to Christianity,” The Wire, 30 Aug 2017
*2 Pete Pattisson, “They use money to promote Christianity’: Nepal’s battle for souls,” The Guardian, 15 Aug 2017
谷川昌幸(C)
ネパール大地震報告会: NGOカトマンドゥ
ネパール大地震(破壊と復興)報告会~水の森は死なず~
2月28日(日曜日)午後2時00分より 入場料: 無料
穂高交流学習センター「みらい」(安曇野市穂高,電話0263-81-3111)
主催: NGOカトマンドゥ
【参照】
*ネパールの復興支える 安倍泰夫さん(毎日新聞2015年9月14日)
*安倍泰夫著『ネパールの山よ緑になれ』春秋社
【新聞記事】(3月2日追加)
ネパール復興支援活動報告 安曇野でNGO
昨年4月に起きたネパール地震で復興支援活動を続ける安曇野市のNGO「カトマンドゥ」が28日、同市内で初の報告会を開いた。約25年間にわたって植林をしてきた山村の被害の様子や、現在進めている耐震性のモデル住宅建設について紹介した。・・・・・・(朝日新聞デジタル2016年2月29日)
谷川昌幸(C)
建て替え進むキルティプル
カトマンズ近郊で伝統的景観がまだ奇跡的に残っているキルティプルの丘でも,震災を機に,建て替えが進み始めた。老朽化に地震被害が追い打ちをかけたためである。
地震被害は,当然ながら,古い家屋に多い。しかし,地盤の良いキルティプルの丘では,地震被害はそれほど大きくはなかった。古い家屋でも,多くは破損部分の修理で十分使用し続けられるように見えた。ところが,残念なことに,現実には修繕使用ではなく,取り壊し・建て替えがあちこちで始まった。
キルティプルは,カトマンズ市内からも空港からも40~50分。しかも,カトマンズやパタンは街並みが急速に近現代化し,伝統的文化遺産としての魅力を失いつつある。
この状況は,キルティプルにとっては,またとないチャンスであるはずなのに,気位が高いのか,ここの人々は,自分たちの街を観光地として売り出そうとはしていない。惜しい。
むろん,これは余所者外国人の勝手な感傷に過ぎないが,それにしても,返す返す惜しい。
谷川昌幸(C)
観光客,本当に少ない
地震後3か月たつというのに,観光客は本当に少ない。オフシーズンにはちがいないが,それにしても往きのタイ航空はガラガラだったし,カトマンズやパタンの観光地にも外人観光客はほとんどいなかった。中華街と化しつつあるタメルにも,中国人客はごく少ない。噂では,地震被害のほとんどなかったポカラ方面でも,観光客は激減だそうだ。これでは,観光業者は大打撃をまぬかれないだろう。
これは風評被害。震災復興のためにも,安全なところへの観光はもっともっと宣伝してしかるべきであろう。ネパール激励観光ツアー「ネパールで散財しよう!」。これは正常な経済活動であって,一方的な援助に伴う不愉快な副作用はない。大いに遊んで,そのことが結果的に震災ネパールの復興に寄与することになる。
谷川昌幸(C)
中国プレゼンス,震災支援で急拡大
ネパールにおける中国のプレゼンス(存在感)が,急拡大している。小中学校に行くと,以前は「こんにちは!」などと声をかけられたが,いまでは「ニーハオ」だ。街には中国製品があふれ,あちこちで中国企業が工事をしている。
そして,それにダメ押ししたのが,震災救援活動。どこにいっても中国政府援助の青テントや「中国紅十字」の白テントが張られている。公園はむろんのこと,路地にも民家の庭にも中国援助テントはある。(個人購入中国製テントもあるかもしれないが,見ただけでは区別できない。)とにかく,ものすごい数。
援助国,援助団体などの間で援助地域割りがなされているのかどうか知らないが,首都圏を見るかぎり,メッセージは一目瞭然。中国は,目に見える形で,被災したネパールの人々を全力で支援している,ということ。
震災後のテント緊急援助は有効で,中国の支援は高く評価される。と同時に,その中国の震災救援作戦は,政治的にみても実に見事であり,羨望を感じざるをえない。なにはばかることなき大国のおおらかなふるまい――日本にはとうてい真似はできまい。
谷川昌幸(C)
仮設教室で憲法授業,ネパールの生徒たち
震災で校舎が損壊したネパールの学校では,テントや竹製の仮設教室をつくり,急場をしのいでいる。テントにせよ,竹を柱と壁に使用した竹製教室にせよ,寒暑,風雨などに十分対応できず,また音も筒抜けなので,授業はやりにくい。日本では想像もできないほど劣悪な授業環境だ。
そのような学校の一つが,カトマンズのスリョダヤ校。地震で本校舎が全壊,別棟の小さな数教室を除き,全教室を失った。そのため,USAID等のテント提供を受け,校庭にテント仮設教室をつくり,そこで授業を続けている。
そのスリョダヤ校で,先日,憲法制定議会の2議員を招き,いま最終段階にある新憲法をテーマに,特別授業が行われた。私は参加できなかったが,同校FBの写真からは,生徒たちが出席議員や先生たちを前に,盛んに意見を述べている様子がうかがわれる。
全壊校舎跡のテント教室で,祖国の未来を託す新憲法について存分に議論する――なんと健気なことか!
ひるがえって,日本。冷暖房完備の快適な教室。雨も吹き込まなければ,蚊や蠅に悩まされることもない。ネパールの生徒から見れば,天国のような日本の学校で,いまどのような教育が行われているのか? どのような教育に変えようとされているのか? 日本で,憲法や国家の基本問題について,先生や生徒たちが自由に学び議論する権利は保障されているのか?
スリョダヤ校には,長年にわたって交流のある仲間たちと一緒に,ささやかながら再建支援を行っている。(参照:ネパール 震災支援 ムスムス)
谷川昌幸(C)
マチェガオン付近の震災,散策にさして支障なし
23日午後,暇つぶしにマチェガオン付近をぶらぶらしてきた。下記のコース。
キルティプル⇒⇒バトケパティ⇒⇒ドゥドポカリ⇒⇒マチェガオン⇒⇒タウケル⇒⇒サルヤンスタン⇒⇒キルティプル
ちょっと長いが,特にドゥドポカリ~マチェガオン間は,乾季にはマナスルやランタンの山々が見えるし,カトマンズ市街方面の景色もよい。山麓沿いの,車もバイクも少ない絶好の散歩コース。
数日前から天候が変わり,初秋のような爽やかな風。途中の茶店でお茶を飲んだりしながら,のんびり半日を過ごした。
この小路沿いにも古いレンガ積みの家屋があちこちにあり,山麓の風景とよくマッチしていたが,地震でかなり倒壊してしまった。特に,古い村であるマチェガオンには,レンガ造りの趣のある家が多かったが,地震で相当数が倒壊した。残念だか,自然には手向かえない。
マチェガオンからタウケルに向かって緩やかに下っていく小路からは,両側にレンガ工場が見える。特に情緒があるのが,乾季の花と霧の季節,いつまで見ていても飽きない。
ところが,そのレンガ工場の煙突が,地震で折れてしまった。これでは情緒半減。レンガ工場は,半壊煙突でも震災後復興のためフル操業,周囲にはレンガ山積みだ。この景気なら,煙突など,すぐ直すだろう。
環境上問題もあろうが,霧に霞むレンガ工場の煙突は,菜の花の田園によく似合う。
【参照】
カトマンズ市街の震災「軽微」,観光支障なし(2015-07-16
震災深刻
谷川昌幸(C)
パタン震災,観光にさして支障なし
パタン旧市街は,まだ古い家がたくさん残っているので,地震被害は,カトマンズ市街に比べ,はるかに大きい。いたるところで家屋がツッカイ棒で支えれている。見るからに痛々しいが,しかし,それでも倒壊は思ったより少ない。
寺院はいくつか倒壊したが,すでに瓦礫はきれいに片づけられ,見て歩くに特に大きな支障はない。寺院周辺の趣のある古い店や喫茶食堂の多くも健在。のんびり歩きながら,古き良きネパールを存分に楽しめる。
街では,いつものように山鉾を立て,祭りを楽しんでいた。収穫と雨の神様,マッチェンドラナートの祭らしい。ブンガマティのはずれに大きな山鉾が立っていたが,パタンのこの小ぶりの山鉾はそれを迎えに行くものという。地震被害で巡行は延び延びになっているが,それでも修理し何とか祭りをやろうとする。家々をツッカイ棒で支えつつ,祭りは楽しむ。やぼな自粛はなし。粋だ。
というわけで,パタン観光は,必要な注意さえしておれば,特に危険ということはない。危険性から言えば,バイクや車の方が,何倍も危険だ。傍若無人,凶暴とさえ言ってもよい。ネパール観光は大いに楽しみつつも,バイクと車には,くれぐれもご用心いただきたい。
谷川昌幸(C)
震災深刻(6): ブンガマティ
ブンガマティは,コカナの南方2~3Kmのところにあるネワールの古い村ないし町。コカナ~ブンガマティ間は,つい最近まで田畑の中の田舎道であり,ところどころに伝統的な彫刻や手織りやタンカ工房があり,それらを冷かしながらぶらぶら散歩するのに最適のコースであった。いまでは,少し家屋が増えたが,それでものどかな田舎道に変わりなく,地震以前は,外国人旅行者ともときどき途中で出会ったものだ。それが,今回は,一人も見かけなかった。
コカナから歩いてブンガマティに入ったとたん,あまりの激しい崩壊に,茫然自失。爆撃を受けた町のようだ。コカナ以上の惨状。
ブンガマティは,趣のある調和のとれた美しい町だったのに,この損壊の状況では,復元は難しいであろう。
それでも,驚くべきは,町の人々。他の被災地でもそうだったが,ここブンガマティでも,被災家族が,ごく自然な当然の作業をしているかのように,黙々と損壊した自宅の後片付けや取り壊しをしていた。状況が絶望的なだけに,ネパール庶民の不屈の精神と力強さを深く印象付けられた。
▼震災以前のブンガマティ
コカナとブンガマティ ブログ内検索:ブンガマティ
【参照】カトマンズ市街の震災「軽微」,観光支障なし(2015-07-16)
谷川昌幸(C)
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