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京都の米軍基地(19):高齢化と青年アパシーと平和運動
9月17日は,Xバンドレーダー受け入れが審議される京都府議会9月定例会の開会日。これに合わせて開催された「京都に米軍基地はいりません 9・17府庁前街頭演説会&昼デモ」(主催:京都に米軍いらない府民の会)に参加した。
平日午後ということもあろうが,参加は労組系中高年中心の数十名。集会関係者,参加者への敬意は惜しまないが,あまりの寂しさに愕然とした。
■9・17米軍基地反対集会(京都府庁東門前)
[追加」米軍レーダー 京丹後市が受け入れ(ABC WEB NEWS 9/19)
京都は,かつては革新と学生運動の牙城。以前であれば,府内に米軍基地設置などといった大事件が起これば,市民,学生,教員,僧侶など,各界各層の人びとが反対集会に多数参加したはずだ。ところが,今では,反戦平和は各種団体系の中高年中心の運動に様変わりしてしまった。
反対集会が行われた府庁近くに,同志社大学がある。幕末維新の「過激派」新島襄・八重らが創った学校だ。伝統的に反権力的であり,学生運動も盛んであった。もし1970年代以前,いや1980年代であっても,今回のような米軍基地設置問題が起これば,学内は騒然とし,様々な反対運動が起こり,街にも繰り出し,市民を巻き込んだ大運動に発展していたはずだ。
学生らしき姿は府庁前反対集会には見られなかったが,すぐ近くの同志社大学では何かやっているだろうと思い,10分ほど歩き,キャンパスに行ってみた。
な~んにもない! 反対の立看はおろか,ビラ一つない。キャンパスは美しく管理され,八重目当ての観光客が記念写真を撮り,TV局が取材しているだけ。現役「過激派」佐藤優の学んだ神学部付近も,ご覧の通り,政治的なものは何一つない。学生たちは,以前にもましてよく勉強していると思うが,少なくともキャンパスを見る限り,政治的には活発とはいえないようだ。
これは学生・青年層の政治的アパシーと見てよいのだろうか? にわかに断定はできないが,もしかりにそうだとすると,中高年層中心の反戦平和運動も訴え方を工夫すべきだろう。ピチピチ「山ガール」がトレンドとなり,つられて「山男」も戻り,山の運動が華麗多彩に変身し,俄然活気を取り戻したように。
■山ガール人気の北八ヶ岳(2013.8.26)/高山の花と蝶(同左)
谷川昌幸(C)
文化の保守と革新
カトマンズの近現代はすさまじく、もはや古き良き古都の面影はほとんど残っていない。これは統計局向かいにできた巨大商業ビル。およそ文化的ではない。
こうした近現代の風景を望遠レンズで切り捨てると、たとえば、かろうじてこのような景色を拾い出すことができるにすぎない。
■旧王宮広場前の屋上喫茶より望むスワヤンブー(2012-11-6)
これは京都も同じ。先日、久し振りに烏丸四条~御池付近を歩いたら、近現代的ビルにほとんど建て替えられ、非文化的な無個性な街に様変わりしていた。
言い古されたことだが、日本は世界でもまれな保守思想の薄弱な国。「古いもの」を平気で破壊し、「新しいもの」に置き換えていく。日本は、時とともに流れ流されていく、根無し草の国なのだ。天皇が天壌無窮の「根」だと言う人もいるが、天皇は丸山真男が論証したように「からっぽ」であり、保守思想の「根」とははなりえない。
京都には、日本における保守思想の薄弱を実証するものが他にも無数ある。たとえば、二条駅。旧二条駅は、寺院風の巨大木造駅舎であったのに、高架複線化を錦の御旗に、あっという間に破壊され、平凡無粋な新駅にされてしまった。もし二条駅が保存されていたら、修復された東京駅の少なくとも数倍の価値があり、京都観光の目玉の一つになっていたはずだ。まことにもって、残念。
同じく京都北部の北京都タンゴ鉄道(旧国鉄宮津線)。かつては各村に、おそらく村民総出で建てたであろう、趣のある木造駅舎があったのに、民営化と引き替えの手切れ金で、何の変哲もない画一的な近現代的駅舎に建て替えられてしまった。
たとえば、「山椒大夫」の舞台ともなった、風光明媚な丹後由良の駅舎。これでは鴎外先生も草葉の陰で涙されているに違いない。あるいはまた、天橋立・阿蘇海と桜とトンネルの情緒豊かであった岩滝口駅。それが、この惨状、見る影もない。いま北京都タンゴ鉄道は、むなしく空気を運び、駅舎は閑散としている。
もしかりに、10駅ほど、いや2~3駅でも昔のままの駅舎が修復保存され、利用されていたら、全国の「鉄の男」や「鉄の女」がわんさと押しかけ、田舎の村々はにぎわっていたはずだ。九州の、偶然に残った木造駅舎の人気をみても、それはまず間違いあるまい。かえすがえすも残念だ。
この点、たとえば保守本家の英国は、偉い。原則として、古いものを修復して使う。文化は保守であり、保守が強靱であればあるほど、また強烈な革新も生まれる。ビートルズのように。文化の革新のためにも、保守に値する「古いもの」は頑固に保守されなければならないだろう。
谷川昌幸(C)
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