ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

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チティパティに魅せられて(2)

こちらのチティパティ・タンカは,さらにシンプルであり,好ましい。仏教知識皆無で専門的な絵解きはできないが,それだけにかえって邪念なしに,絵そのものを見ることができる。

この男女は骸骨であり,当然,死んでしまっているが,それにもかかわらず歓喜にあふれている。

近代の哲学者,ホッブスは,死を最大苦=最大悪と考え,死を防止するための主権国家リバイアサンを構想した。このように,近代人にとって死は如何ともしがたい宿命ではなく,人為により最大限防止すべきものとなった。医学をはじめ近代諸科学の目標は,死の克服である。

このようにして,神仏の加護ではなく,人為による死の克服が目標になると,現実の死はとりあえずカッコ(病院など)にいれ,日常生活においては,できるだけ見えないようにされる。あたかも死が存在しないかのような生活が,一般化したのである。

しかし,これは根拠なき生の永続幻想である。そのため,近現代人は,そこはかとない不安に常につきまとわれ,生の無上の歓喜を味わうことが出来なくなってしまっている。

ところが,チティパティの男女は,ホッブス流の最大苦=死にもかかわらず,歓喜雀躍している。あるいは,この男女は,骸骨になっているにもかかわらず性行為中のようであり,もしそうなら,生(性)から死まで,すべてを悟得して,そこに無限の歓喜はあるといっているのかもしれない。

いずれにせよ,この骸骨男女の表情は,すばらしい。無邪気な歓喜にあふれている。骸骨なのに,生者より生き生きとしている。彼らを見ると,見返され,つい微笑まざるをえない。このような満面の笑みをもって死を迎えられたら,これに勝る幸せはあるまい。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/13 at 11:39

カテゴリー: 宗教, 文化

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チティパティに魅せられて(1)

ネパールに初めていった頃,何もかもが珍しかったが,それらの中でも最も深く魅せられたのが,チティパティ・タンカ(Cicipati Thangka)である。

仏教の知識は皆無に近く,チティパティについても詳しくは何も知らない。ネット情報によれば,チベットのツャム(仮面舞踏)の祭りに登場する男女の骸骨が「墓場の主(lords of the cemetery)」たるチティパティ(屍陀林王)。

伝承によれば,この2人は深く瞑想修行していたため,賊に首を切られても気づかなかったという。チティパティは,このような深い瞑想,人生を果てなき死の舞踏と悟ること,あるいは完全な解脱,を意味するらしい。恐ろしい骸骨姿のため,盗人や悪霊からの守護といった現世利益も期待されているようだが,これはいわば方便であろう。

いずれにせよ,そうした宗教的な深遠なことは,私には分からない。しかし,何の予備知識もなかったが,曼荼羅屋さんでチティパテイ・タンカを見たとたん,深く魅せられ,どうしても欲しくなってしまった。言い値は,高僧が修行で描いたとかで,かなり高かったが,仏罰も顧みず散々値切り,それでも大枚をはたいて購入し,持ち帰った。

気が滅入ったとき,落ち込んだとき,このチティパティをみると,大いに癒やされ,心穏やかとなる。信心を超えた,深甚な真実の力に大きく包まれるからであろう。

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/04/12 at 19:36