ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Posts Tagged ‘inclusion

NC党役員,それでも包摂不足の批判

コングレス党(NC)新役員は包摂的選挙で選出されたが,デワン・ライ氏らは,それでも包摂不足と批判している。
 * DEWAN RAI, “Congress puts marginalised communities on the margins,” Kathmandu Post, Mar 15, 2016

記事によれば,新しい党中央執行委員会の女性委員数は,以前の17人から14人に減少した。その14委員のうち,一般枠選出は一人だけで,他の13委員は留保クォータ枠から選出。憲法は女性議員33%を定めているのに,党女性役員は17%だけ。党では女性が周縁化されている,というわけだ。

また,マデシからは,マデシ住民の多い第2州を含め,州選出委員は一人も選ばれていない。このように,NCは「周縁化されているダリット,女性,ジャナジャーティおよびムスリムを代表させることに大きく失敗した」。

“マデシ住民多数州からはマデシを代表として選出しなければならない”――そうとも言えるし,そうでないとも言える。ここで,包摂民主主義の評価は分かれる。

160316■たしかに男ばかり(コングレス党FB)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/03/16 at 11:29

カテゴリー: 政党, 民族

Tagged with , , ,

ネパール憲法,改正

ネパール憲法が1月23日,改正された(第一次憲法改正)。制定・公布・施行が2015年9月20日だから,4か月足らずでの改正。
 ▼立法議会(定員601,現議員総数596)
    賛成461
    反対  7
    欠席128

改正されたのは,第42(1)条,第84(5)(a)条,第286(5)条。改正後の憲法正文がまだないので正確ではないかもしれないが,新聞報道によると,主な改正は次の通り。

第42条 社会的公正への権利
 (1)[国家諸機関への比例的包摂参加の権利を保障。ただし,包摂単位となる帰属社会諸集団から「青年」と「先住民(アディバシ)」を削除し,15集団としたことの意味は不明。]
第84条 代議院の構成
 (1)(a)[「小選挙区は,「地理と人口」によってではなく,「人口」を第一に,「地理」を第二に考慮して,区画する。]
第286条 選挙区区画委員会
 (5)[選挙区は,「人口」を第一に,「地理」を第二に考慮して,区画する。また,各郡に,少なくとも1選挙区を割り当てる。]

この改正の結果,国家諸機関への社会諸集団比例包摂参加が強化され,またタライへの小選挙区議席配分が増加するとみられている。
 ▼タライ20郡=79~80議席
  丘陵・山地55郡=85~86議席

この第一次憲法改正は,比例的包摂をさらに一歩前進させたが,マデシ諸派にとっては不十分なものであり,とくにタライ2州の要求は完全に無視された。そのため,マデシ諸派は,第一次憲法改正文書を焚書にし,反憲法・反政府闘争の継続を宣言した。

他方,マデシ闘争を暗黙裡に支援しているとされるインド政府は,外務省スワラプ報道官が第一次憲法改正を「歓迎すべき前進」と述べ,一定の評価はした。しかし,おそらくこれは,訪中と訪印を天秤にかけているオリ首相への揺さぶりとみるべきだろう。もしそうなら,インドの「暗黙の」マデシ支援は続き,マデシ闘争も終息しないことになる。

ネパール憲法は,改正前でも十分に包摂的であったし,ましてや改正後はさらに包摂的となった。しかし,それでもなお,マデシや他の非主流派諸集団を満足させられない。包摂民主主義は,理念は美しいが,運用は難しい。ネパールは,本当にそれを使いこなせるのだろうか?

いずれにせよ,ほんの4か月前,制憲議会の圧倒的多数の賛成をもって制定した憲法を,その憲法による選挙もせぬまま,同じ議会,同じ議員が改正する。あまりに安易。朝令暮改! 憲法といえば,国家の根本法。それをコロコロ変えていては,憲法の権威が損なわれ,国家統治そのものへの信頼すら失われてしまうであろう。

[参照]
*1 KESHAV P. KOIRALA,”Nepal makes first amendment of its constitution four months after promulgation,” The Himalayan Times, January 23, 2016
*2 “Four months after promulgation, Parliament endorses first amendment to the constitution,” Kathmandu Post Report,Jan 23,2016.
*3 KALLOL BHATTACHERJEE, “India welcomes amendments in Nepal Constitution,” The Hindu,January 24, 2016.
*4 “INDIA SAYS AMENDMENT A POSITIVE DEVELOPMENT,” Republica,24 Jan 2016

 160125■Amit Ranjan,”Diversity and Inclusion in Nepal– Hot from Rubbles,” January 19, 2016 (MADHESI YOUTH,January 25,2016)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/01/25 at 18:44

憲法修正,103議員が24案提出

昨年9月20日公布施行されたばかりのネパール新憲法に対し,すでに政府与党自身が修正案を出しているが,これに不満のコングレスなど十数党の103議員が1月8日,24の修正案を出した。その中には与党のはずのマオイスト議員も含まれている。主な修正提案は,国家諸機関への社会諸集団の比例参加強化と,包摂参加のための選挙区割改変。条文でいうと,第42条と第84条。

——————————
第42条 社会的公正への権利
(1)女性,ダリット,先住民,少数民族,先住少数民族,マデシ,タルー,少数派諸集団,障害者,周縁諸集団,イスラム教徒,後進諸集団,ジェンダー的性的少数派,青年,労働者,被抑圧諸集団および後進地域市民,ならびに経済的に貧困なカス・アーリアは,包摂原理に則り国家諸機関に雇用される権利を持つ。
[以下,(2)~(5)でさらに詳細に補足追加。]
—————————–

目がチカチカ,頭がクラクラ。ものすごい規定だが,修正案はこれでも不十分だ,もっと詳しく網羅的に,もっと具体的に,もっと「公正」に諸集団の権利保障を書き込め,と要求している。

むろん歴史的に見るなら,このような社会諸集団の包摂要求が出される理由はよくわかるし,またそうした「過激」な要求によってはじめて積年の不公平が大きく是正されてきたことも事実であり,その意義を認めるにやぶさかではない。

しかし,それはそうとしても,このような要求を憲法に事細かく書き込み,それを根拠にもろもろの社会集団が「権利のための闘争」を始めたら,どうなるか? 収拾がつかなくなるのではないか?

—————————
第84条 代議院の構成
(1)代議院は,次の275議員から構成される。
 (a)[小選挙区選出165議員。]
 (b)[全国1区比例制選出110議員。]
(2)[立候補者は,政党ごとに,比例原則に則り社会諸集団から選出。]
(3)~(9)[略]
—————————

この第84条は,社会諸集団の議会への包摂比例代表をこまごまと規定するもので,先述の第42条についてと同じ評価,同じ批判ができる。しかも政治的には,選挙区割や各政党の社会集団への候補者割当に直結するので,より生臭く,平和的な解決は絶望的に困難といわざるをえない。

以上のように,現行憲法もすでに十分に「過激」な包摂民主主義だが,1月8日提出の主な修正案は,現行憲法も政府与党提出修正案も不十分,もっと包摂民主主義に忠実たれ,と要求するものである。

いまネパールでは,与野党が入り乱れて,包摂参加の過激化を競い合っている。設計主義的包摂民主主義の原理主義化! もし政治が「可能性の術」だとするなら,本来の意味での「政治(ステーツマンシップ)」が,そこではあまりにも軽視されているといわざるをえないだろう。

160110
 ■UNDPによる設計主義的ネパール再構築扇動(谷川「連邦制とネパールの国家再構築」2010)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/01/10 at 10:04

カテゴリー: 選挙, 憲法, 民族, 民主主義

Tagged with , , ,

ネパールと包摂参加民主主義:石川論文を手掛かりとして

谷川昌幸(C)

Ⅰ 世界最新政治への驀進
後発国の技術的優位については幾度か論じたが,このところの政治の動き――2006年民主化運動→停戦→暫定憲法→制憲議会選挙→制憲議会開催→新憲法制定――を見ていると,政治についてもその思いを強くする。この一連の政治プロセスを導いている理論や思想は,少なくともそれ自体,世界最先端であり,もし成功すれば,ネパールは21世紀型政治の世界最先進国となる。

いまネパール政治を導いているのは,社会諸集団の「自治(autonomy)」,「包摂(inclusion)」と「参加(participation)」,「権力分有(power-sharing)」であり,そのための制度としては共和制,連邦制,比例制が実現したかあるいは実現間近であり,さらには社会諸集団の「自決(self-determination)」,「拒否権(veto)」,「分離権(secession)」までも唱えられている。あまりにもスゴくて目がくらくら,腰を抜かしそうだ。

Ⅱ 自治と包摂参加:石川論文を手掛かりに
ネパール包摂参加民主主義のスゴさは,たとえばネット公開されている論文,石川一雄「パワー・シェアリング型ガバナンスと民主主義の赤字――カナダとマーストリヒト体制のEUを事例として――」(専修大学法学研究所『所報』第29号,2004年11月)を参照すると,よく分かる。この問題については,もっと新しい文献もあろうが,石川論文は論点を明晰に分析しており,ネット公開され便利でもあるので,以下,この論文を手掛かりに,ネパール包摂民主主義の可能性を検討していくことにする。

1.ガバナンス
(1)ガバナンスの概念
私は文化保守主義者なので,外来語のカタカナ表記は好まない。映画や本の題名のカタカナ表記は知的怠慢だし,お役所のカタカナ使用は国民を欺くための常套手段である。だから,「ガバナンス」もよいとは思わない。

Governanceは,「統治」「管理」のことであり,governの語源はgubernare(操船),つまり国家という船を操ることだ。だから,「統治」と訳してもよいのだが,そうしないのは「ガバナンス」に別の意味を与えたいからであろう。石川氏の文学的表現では,次のようになる。

「ガバナンスは,中心権力をもち,権威的支配をビジュアルに成立させるガバメントとは違い,中心的権力や権威が不在なままに諸単位が統治にかかわって生み出す秩序だといわれる。しかし,実際には,いくつもの大小の中心を併存させ,絶えざる危機に直面しつつ,さまざまに工夫される安全のための手続きが合体し,衝突し,アメーバのように形を変え,混血的な一時的権力体を生み出し,消えゆき,星雲のような在りようを示す。それは絶えず政治を生み出す場である。降りかかる困難から人びとを救うことは,出来上がった手続きを通じてはできない。組織の論理,制度の倫理を超えるところで,自由に情況に対応し,結果を見つめる完結し得ない作業が永劫に続く場,それがガバナンスである。」(p.2-3)

わかりやすくいえば,理念としてのインターネット世界のようなもの,あるいはより正確には,ネグリ=ハートのいうマルチチュードが生み出す世界のようなものであろう。

2.自由主義者の「良きガバナンス」
このガバナンス理念と似て非なるものが自由主義者の「良きガバナンス」である。石川氏によると,それは「政治の行政化」,「governance without government」であり,「リベラル・ピース論と武力平和論の二つの顔をもっており,民主主義と人権を擁護する正義論とともに,人道的目的での軍事介入の論理,治安維持目的での戦争権限行使によって構成されている」,つまり「主権国家間体制を超え,世界政府を希求する姿勢と繋がっている」(p.3)。

この近代主義的「良きガバナンス」論では,公開性,透明性,説明責任が求められ,社会諸集団は「包摂」され,市民社会の中に「場所」を与えられるが,そのかわり「参加の名の下に統治の枠の中に組み込まれてしまう」(p.4)。これは,権力空間であり,「中心」が周縁部を支配する。「克服されるべき危機は中心によって構築され,取り組むべき政策的問題群も選別される」(p.4)。

以上の「ガバナンス」と「良きガバナンス」の対比は,ネグリ=ハートの「マルチチュード」と「帝国」のそれにほぼ対応すると見てよいだろう。そして,著者の立脚するのは,いうまでもなく前者「ガバナンス」の立場である。

3.パワー・シェアリング
(1)パワー・シェアリング
ガバナンスにおいては,支配する中央権力は否定され,権力は分有される。つまり,

「パワー・シェアリング(権力分有)は,自治権の相互承認を柱とする協同統治体制を意味する。それは,支配-従属関係を核とする集権的統治(垂直的権力関係)に対し,権力の共同行使を核とする多層分権的統治(水平的権力関係)に力点を置く概念である。」(p.7)

この権力を分有するのは民族等であるが,石川氏は,そうした構成単位を「実体化(閉域化,絶対化)」するのは誤りであるとし,「構成諸単位をつねに『境界線をもった単位』として,内実そのものは流動的にとらえている」(p.6)とされる。

これは著者のいうとおりで,民族等を「実体化」してしまえば,今度はその民族内の中心-周縁(支配-被支配)が問題になる。しかし,現実問題として,「集団の権利」を認めると,集団は実体化してくる。実体化するからこそ,個人の集合ではなく,「集団」そのものが権利(集団的権利)をもつのだ。集団の何らかの実体化なくして,集団の権利を認めるのは難しいのではないか? ここが,理論的にも,現実政治としても,難しいところだ。

(2)パワー・シェアリング体制
パワー・シェアリングは,制度的には状況に応じて,自治権,拒否権,大連合,比例制,離脱権,政権輪番制,連邦制などを要請するが,基本にあるのは「自治(autonomy)」である。

パワー・シェアリングにおいては,「あくまで自治(self-rule)の承認による共治(shared rule)が原則であり,集権と分権とのさまざまな組み合わせによって構成単位の自治を確保し,人口の多寡にかかわらず,集団としての存在比例(proportionality)への配慮を柱とした大連合体制を組むのが特徴である」(p.9)。

このパワー・シェアリングの体制は様々であるが,代表的なのは,著者によれば次のようなものである(p.9-12)。この分類は大変わかりやすく,ネパールの憲法論にとっても参考になる。

政治体制 制度の概要 主な採用国等

Confederation 共通中央政府-自治権を持つ構成諸国家 EU, CIS

Federation 連邦制。連邦政府-州政府 米,印,加,独,スイス

Federacy 大きな単位-自治権を持つ小さな単位 米-プエルトリコ
印-カシミール

Associated state 結合国家。一方的離脱権の保障 仏-モナコ

Consociation 「非領土的連邦化原則により複数エスニック集団の自治と協同とをエリート協調を通じて実現する体制」(p.10)。自治,拒否権,比例制 スイス,ベルギー,オランダ

Union 連合。構成単位が主権性を維持しつつ,共通の統治機構を設立 ニュージーランド,レバノン

League 連盟。特定の目的のための連携 アラブ連盟,ASEAN, NATO

Joint functional authority 特定機能の協同遂行のための専門機構 NAFO, JAEA

Condominium 共同統治 アンドラ(1278-1993)
バヌアツ(-1980)

Home rule 内政(地域,地方)自治。権限移譲による自治 スコットランド,北アイルランド

Cultural home rule 文化的内政自治。言語,宗教などの自治

Autonomous provinces or national districts 自治州,民族自治区 スペイン

その他 輪番統治制,協同協会制など

 

4.多民族民主主義
パワー・シェアリングの形は多種多様であり,歴史的にも多くの実例があるが,近代的代表制民主主義,あるいはウェストミンスター型議会制民主主義の立場からは,いくつかの問題点が指摘されていることも事実だ。

石川氏によれば,そうした立場からは,パワー・シェアリングはエリート協調主義であり,拒否権付与で多数決デモクラシーが否定され,集団的権利の肯定により特定のサブカルチャーが実体化され個人の権利保護が危うくなるといった批判,つまりはアイデンティティ政治への批判がなされている(p.12-13)。

したがって,この立場からは,多民族社会で暴力的紛争後,パワー・シェアリング体制とするとしても,それは「あくまでも暫定的な措置,あるいは非民主性に目をつぶった上での移行的措置」(p.13)ということになる。

しかし,石川氏は,パワー・シェアリング体制を民主主義を実現しうる政治的仕組みと考え,卓抜な哲学的表現で次のように説明されている。

「パワー・シェアリング体制を独特なものにしているのは,多様性への深い理解である。そこには,極化を許容する姿勢が組み込まれている。それは,極としての存在を他の極との相互依存関係においてとらえ,極と非極との相即性を政治空間の構成原理とする姿勢である。・・・・極は,他者媒介的であり,同時に他者否定媒介的でもある。極間の関係は,非連続的性と連続性とを両立させ,相互媒介的で,他を内に含み,同時にそれを否定して自己自身であるような関係である。それは,ちょうど棒磁石のN極とS極の関係に等しい。NもSも,それぞれに絶対的極である。しかし,その極性は対立する他の極の存在とともに成立している。二つはそれぞれに有(実体)でもなく,無(単なる依存性)でもなく,有無相通ずる相互性のもとにある。これが,ナショナルあるいはエスニックなアイデンティティの在りようとなる。一即他,他即一のこのような単位の在りようによって極をとらえるならば,国家やエスニック集団を実体化し,本質主義的単位として,そのアイデンティティと主権性とを承認させようとする姿勢はどこからも出てこない。」(p14)

これをもう少し具体的に言い換えると,次のようになる。

「人々がその生まれて生きる環境の違いを反映した政治的・社会的秩序を生き,独自な文化を育み,そこに共有されるアイデンティティを重視するとしても,それはきわめて自然なことである。そうした文化的価値の共有を踏まえた行政区画からなるパワー・シェアリングの工夫は,領土的自治の承認,あるいは機能的で非領土的な自治単位を肯定し,単純に国民人口規模の多数の意思のみを実現していく普遍的正義観とは異なる秩序への視点を生み出す。それは,もちろん普遍を否定し,すべてを相対化することを意味してはいない。そうではなく,とことんその特殊な生を生きた果てに,おそらくは普遍に通ずるものに触れることができるという理解がそこにはあると考えるべきだろう。」(p.15)

この説明は,よく理解できる。ネグリ=ハートがマルチチュードで主張していることも,おそらくこのようなことであろう。

Ⅲ 包摂参加民主主義の可能性

グローバル化により,もはや近代主権国家をそのまま維持できないことは自明なことだ。日本の教科書では,いまだ近代主権国家を当然の前提とし,主権,領土,国民を排他的な不可侵なものと教えているが,そんな見方はもはや現実とはほど遠い。グローバル化により,それらは急速に相対化され,すでに世界社会も国内社会も多かれ少なかれパワー・シェアリング体制となり,今後さらにそれが加速して行くであろうことは確かである。したがって,ここでの問題は,それがどのような過程を経て進行するかである。

核心は,集団の権利と自治である。石川氏も指摘するように,集団の自治を認めるなら,当然,その延長として自決権があり,国家(あるいは所属政治組織)からの離脱権も認めざるをえない。すでに個人には国籍離脱権があるのだから,集団に権利を認めるなら,国家離脱権も認められて当然だ。民族自治は民族自決であり,これは分離独立の権利だ。たとえば,九州は東京に従属する必要はなく,いつでも日本から分離し,韓国や中国と連合を組んでもよいわけだ。

しかし,問題は,離脱権さえ認めた上でのパワー・シェアリングによるガバナンスが,現実にどこまでうまくいくかということだ。石川氏自身,「いずれのケースもうまく機能しておらず,これから制度化するプロジェクトについても,誰の目にも困難さの方が際だっている」と指摘している通りだ。

特にネパールのような途上国の場合,いったんアイデンティティ政治を認めると,およそ個人の自由や人権と相容れないような文化や集団がパンドラの箱から次々と出てくる恐れがある。法では禁止されていても,実際にはまだ農奴制に近いものがあり,これだって立派な文化といえる。周知の売春集団だって,一つの社会集団だ。そんな有象無象が文化自治,集団自治を主張し始めたら,収拾がつかなくなる。あるいは,もっとやっかいなのは地域や民族。タライ地方が民族自決でネパールから分離すれば,実際には,インド併合となる。その場合,タライ内の非インド系民族はどうなるのか?

さらに見落としてならないのが,政治体制はパワー・シェアリングで多民族の分立自治化していっても,非政治領域とくに経済は際限なくグローバル化し,その支配力は巨大化していく。この強大化する非政治的権力の支配に,分節化・多元化し弱体化した個々の政治単位がどこまで対抗しうるのか? 

パワー・シェアリングは,自由・独立の個人の権利を平等に保障することを理念とする近代主権国家を解体することによって,実際には,グロ-バル資本主義の普遍主義的支配を裏から支えることになるだけではないのか? つまり,それはネグリ=ハートのいう「帝国」に敵対するようでいて,実際にはその下働きをすることになるだけではないのか?

たとえば,ネパールにおいて,近年,民族の言語や文化を破壊しているのは,国内多数派民族というよりは,むしろグローバル資本主義である。中央国家権力を弱体化させれば,グローバル資本のネパール支配はさらに容易となり,各民族のグローバル資本主義への従属はさらに進行するであろう。

国家相対化が時流であることを認めた上で,私はあえて言いたい。

・すでに強大な近代国家権力を確立し終えている先進諸国には,途上国の近代的国家主権確立の努力を非難・妨害する権利はない。

・途上国には,中立的,合理的,合法的な近代的国家主権を確立する権利があり,それによって得られるものは,失うものよりも断然多い。

Written by Tanigawa

2008/05/19 at 19:56