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JICAのCOMCAP支援事業

ネパールメディアが,JICAの地域社会調停能力向上(COMCAP)支援事業の紹介をしている。
 ■A win-win situation, Naoko Kitadate in Mahottari,Nepali Times, #591, 10-16 Feb.
 ■Local people resolving disputes on their own, ekantipur, 2011-12-29.

記事によると,COMCAP(平和的調和的社会のための地域社会調停能力向上)事業とは,次のようなものらしい。

1.紛争解決メカニズムの機能不全
紛争はどの社会にもつきものであり,したがってそこには必ず紛争解決メカニズムがある。伝統的社会であれば長老,権威的社会であれば権威者(君主,英雄,独裁者など),そして近代社会であれば合理的司法制度により,紛争は調停あるいは裁定され,解決される。

ところが,記事によると,現在のネパールでは,正式の司法制度は特に貧困者や少数派には利用困難であり,また伝統的紛争解決メカニズムは地域社会の有力者により支配されている。さらに,もし第三者に依頼すると,勝敗を決め,当事者の一方を処罰することになりがちで,これでは地域社会に新たな紛争のタネを播くことになってしまう。

そこで,従来のものとは別の,両当事者にとって納得のいく紛争解決方法として,地域社会調停が求められ,JICAがその能力向上支援を行ってきたというわけである。

2.COMCAP支援事業
JICAは,2年前から,地方開発省と協力し,マホタリとシンズリでCOMCAP事業支援を実施してきた。

各村落開発区で,27人(女性1/3以上)のボランティア調停員を選び,紛争解決能力訓練を行う。

紛争が発生すると,調停員は,両当事者の言い分をよく聞き,論点を整理し,可能な選択肢を探り,当事者自身で双方とも納得できる,win-winの解決策を発見できるように支援していく。これにより,紛争は解決され,両当事者の人間関係も修復される。

3.調停解決事例
▼ヒンドゥー対ムスリム
マホタリで,ヒンドゥーとムスリムが,同じ場所で同時に宗教儀式を行うことを主張し,対立していた。

そこに,調停員が調停に入り,話しをよく聞いたところ,ヒンドゥー儀式は別の日でもよいが,ムスリム儀式はその日でなければならないことが分かった。そこで,ヒンドゥー側が後日開催することとし,紛争は解決され,両宗教の友好関係も促進された。

▼財産分与
シンズリで,父親の財産をめぐり,3人の兄弟が争っていた。

そこに調停員が入り,話しをよく聞くと,父母はきちんと扶養されるなら財産を3人の息子に譲る意思があることが分かった。そこで,父親と3人の息子は,財産分与と3人の両親扶養分担を取り決め,合意書に署名した。

こうして,父親と3人の息子の財産紛争は解決され,家族の絆は再建強化された。

4.移行期の応急的支援事業
記事だけでは詳しいことは分からないが,これはガルトゥングの提唱するトランセンド法に近い紛争解決法のように思われる。

先述のように,どのような社会にも,その社会に適した紛争解決メカニズムがある。ネパールにも,そうしたものがあったはずなのに,わざわざ外部支援を受け和解調停能力向上を図らなければならないのは,地域社会が分解し始めたからであろう。

伝統的紛争解決メカニズムが機能不全に陥る一方,それに代わる近代的紛争解決方法もまだ出来ていない。そんな状況では,外部の権威をバックにした調停和解システムの構築は,たしかに必要であり有効であろう。

しかし,ボランティア調停員は,やはり本質的に応急的なものであって,利害の厳しい対立や複雑な紛争には対応できない。上掲事例のヒンドゥーとムスリムの対立は,通常の人間関係があれば自主解決できるものだし,父親と息子の財産分与も家族内問題か相続法問題である。

ボランティア調停は社会移行期には応急的に必要だが,新しい社会秩序が整い始めたら,新しい社会規範による自己規律・紛争防止と,それを超える問題については公権力による司法的解決に移行せざるをえない。

応急的なボランティア調停能力の向上を図る一方,費用対効果,解決の客観性と安定性を考えるなら,公権力の確立による合理的な「法の支配」への移行を支援し促進すべきであろう。

【参照】
■正義か平和か:トランセンド法の可能性
■ガルトゥング「ネパールの危機」
■ヤコブセン「ネパール平和構築・紛争転換ツールキット」
■ヤコブセン「ネパール平和構築・紛争転換: 包括的戦略のために」
■ガルトゥング提案と包摂民主制の空回り
■仏教の政治的利用:ガルトゥング批判

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/02/22 at 11:58

[訂正] 信号機援助と「消された日本」

谷川昌幸(C)
1.訂正とお詫び:消されていなかった日本
2009年8月26日付記事「アメリカンクラブと市民マラソンと消された日本」について,JICAのご担当者の方から,事実誤認のご指摘をいただいた。
 
「8月26日付けのブログにあります信号機のドネーションボード撤去の件ですが、実は教育省側の交差点付近に永久構造物(コンクリート製の演台ぐらいの大きさ)として設置されており、それはいまも残っております。現地事務所を通じて確認いたしましたし、私も先週ネパールに出張した際、自分の目でも確認しております。」
 
ご確認されたとのことですので,「日本の痕跡が跡形もなく消し去られている」という部分は取り消し,事実誤認をJICAとネパール政府にお詫び申し上げます。
 
私自身,文部省側にも行って探したのですが,向い側の小銃を構えた警備兵が恐ろしくて,見落としてしまったのでしょう。
 
2.信号機支援の文化的意義
ところで,ネパールへの信号機援助は,たんに信号機を設置すればよい,というものではない。信号機そのものよりもむしろ「信号=ルールに従う」という遵法精神の育成の方が重要だ。「赤=止まれ」「青=進行可」という規則を守る,その法治主義のエートスの涵養だ。これは,ルールに従うという主体的自主的行為を要求するものであり,同時期に導入され始めたATM以上にネパールの近代化,民主化に寄与する。
 
この観点からいうと,この信号機援助は,模範的だった。信号機設置後,信号とは何か,信号にどう従うべきかということをイラストで易しく説明した看板が多数設置され,多くの指導員が出て「信号=ルールに従う」よう懇切丁寧に実地指導していた。
 
このようなソフト支援は,ハコモノとは異なり,あとにはエートス=文化しか残さないが,援助の不可欠の部分といってよいだろう。まだまだ信号無視は多いが,以前と比べ,雲泥の差がある。革命的変化といってよい。
 
 JICAがこの信号援助においてソフト支援にどの程度関与されたか私には分からないが,おそらく積極的に支援されたのであろう。もしそうだとすると,その功績は高く評価される。
 
 
設置直後の信号と交通安全教育(撮影2003年3月,以下同様)。上部に日本支援の表示
 
 
信号の意味をイラストで説明。上部に日本援助の表示
 
信号機支柱の表示。日の丸強制には断固反対だが,この信号機の「日の丸」には感動した。軍事支援の米国,軍依存の王室,拉致とテロのマオイスト――その血生臭い殺伐とした内戦の真っ只中で,敢然と非軍事的援助に徹する日本の象徴が,この「日の丸」だ。祖国への誇り,祖国愛,愛国心が沸々と沸きたぎり,しばし愛国者の歓喜を味わうことができた。
 
3.援助と宣伝
ここで難しいのは,援助の痕跡を残すか否かだ。堅牢な看板を立て「日本援助」と書いておけば,痕跡はいつまでも残る。そして,ネパール開発を日本が支援してきたこと,日本はネパールの友人であることを,看板を見るネパールの人々に,そのつど思い起こしてもらえる。
 
しかし他方,開発援助は自立支援であり,援助を吸収し自分のものにしてもらうことが目標である。とすると,援助の痕跡が消え去ってしまえばしまうほど,援助は成功したということになる。
 
とくにソフト支援の場合,ハコモノ以上に経費も時間もかかることが少なくないのに,支援が成功すれば,残るのは「交通マナー」などの文化だけである。ソフト支援においては,人々の記憶と歴史に残るという密かな期待――そうなれば最高の名誉であるとしても――をもって満足せざるをえない。
 
さらに日本の場合,援助を積極的に宣伝することに照れを感じるという奥ゆかしい国民性もある。ネパールの新聞などを見ると,日本関係の記事は非常に少ない。他の国々の多くは,日本よりも援助の件数も額もはるかに少ないのに,派手に宣伝し,記事で大きく紹介される。お国柄であろう。日本人は,援助を宣伝し日の丸を立てまくるのをハシタナイと本能的に感じてしまうようだ。
 
日本援助のグラウンドと巨大看板:デュリケル(撮影2003年3月)
 
スンダラ配電所1997年完成(撮影2009年8月)
 
4.援助の多面性
ネパール援助の痕跡を残すべきか否か,もっと宣伝すべきか否か? これは難しい。開発援助には,善意だけでなく,政治的計算や経済的打算も当然働いているからである。
 
参照:
2007/03/25   信号援助と「法の支配」と宣伝看板消失 (注)この記事についても,関係部分は,上記のように訂正します。
 

Written by Tanigawa

2009/09/08 at 13:12

カテゴリー: 社会

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