ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

Posts Tagged ‘Marx

非領域州は外国の謀略:マオイスト政治局員

国家再構築委員会(SRC)が非領域ダリット州の設置を含む連邦制案を提出したが,この革命的な連邦制案に対し,超革命的マオイスト急進派が猛反対している。ekantipur(Feb2)がインタビューしたのは,カドガバハドール・ビシュワカルマ議員(カリコット選出)。ダリット指導者であり,急進派のマオイスト政治局員。

ビシュワカルマ議員によると,州区分は地理によるべきであり,自決権・分離権も認められるべきだ――

1.民主主義の核心は分離権
「連邦制ネパールは,自決権を認めるべきだ。分離権(離脱権)の理論的承認こそ,民主主義の核心だ。国家が州に認めるべきは自治であり,これが認められてはじめて,プリトビナラヤン・シャハの征服に始まる周縁化された人々・少数派の抑圧を廃止できる。これこそ,新国家の果たすべき任務だ。もしこれが達成できたら,われわれは世界を政治的・イデオロギー的に指導することが出来るだろう。そして,自治さえあれば,実際には,諸州は分離する必要などなくなるはずだ。」

2.非領域州は外国の謀略
「党の政策によれば,ダリットには,新しい連邦共和国において特別の諸権利が保障される。非領域的な州は,突拍子もないもので,到底認められない。非領域州は,ブルジョアのスローガンでもなければ,修正主義者や革命派のスローガンでもない。修正主義者のスローガンは保留推進であり,革命派の要求は特別の諸権利の保障だ。議論されているのは,これらの問題だ。非領域州は,ダリット運動に関わる誰の要求でもない。ダリットは,いままさに諸権利を獲得しようとしている。非領域州は,そのダリットに対する,外から持ち込まれた謀略である。」

3.「民族」の泥沼
このビシュワカルマ議員の議論は,いまのネパールの連邦制論を純化したもので,劇画的にわかりやすく,面白い。

そもそもマルクス主義は,生産関係に基づく「階級」を前提にしており,「民族」本質主義とは相容れない。特に労働者は,普遍階級として国境を越えて連帯し,「万国の労働者」となるはずだ。

それなのに,ネパール・マオイストは,被抑圧カースト・民族を利用し革命に動員したがため,非科学的な「民族」の泥沼にはまってしまった。「民族」本質主義,「民族」原理主義だ。

まず第一に,分離権付与の論理。ビシュワカルマ議員によると,被抑圧カースト・民族の解放には分離権を認める連邦制が必要だが,各州は分離権を認められても,自治権があるので実際には分離はしないだろうという。

しかし,これは何の根拠もない単なる希望的観測であり,現にタライなどでは,つねに分離が策謀されている。そういう状況で,もし分離権が認められたら,議会決議や住民投票で分離する州が出るだろうし,たとえそこまで行かないにしても,分離運動が激化し大混乱になることは避けられない。分離権などという劇薬は,そう安易に処方されてはならない。

第二に,もっと面白いのが,非領域州否定の論理。ビシュワカルマ議員によれば,ダリット共同体はダリットとしての特権の要求でよく,非領域州は不必要だという。しかし,全国のダリットが,一つの社会共同体として諸特権を要求し享受するのは,そのダリット共同体を非領域州(ダリット州)として認めるのと,どこがどう違うのか? 議員は,いったい何を怖れているのか?

それはいうまでもあるまい。もしダリットを非領域的なカースト州として認めたら,全国に散在する他の民族集団,宗教集団,文化集団などが次々と非領域的な州としての自治を要求することになるからだ。たとえば,ムスリム州,チェットリ州等々。そうなれば,元の木阿弥,ダリットの特権も消滅する。

ビシュワカルマ議員は,一方で,ダリット以外の諸民族を領域州の州境の中に囲い込み,他方で,ダリットには州境を超えた被抑圧カーストとしての諸特権を認めさせようとしている。

これは劇画的に面白い議論だ。そして,この面白い論理を,マオイスト主流派もさかんに利用している。マオイスト幹部らは,被抑圧カースト・民族を人民戦争に動員し,勝利後,彼らを地理的に分割し,州に安堵する。他方,マオイスト幹部ら自身は,普遍的プロレタリアートの前衛として,州分割された諸民族を,一段高い国家(連邦)の高見から分割統治するわけだ。

しかし,本当にそんな面白いことが実行できるだろうか? 歴史を見ると,「民族」を利用したものは,例外なく非合理な民族情念の泥沼にはまりこみ,破滅することになるのだが。

■6州案・11州案答申,国家再構築委員会

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/02/17 at 14:39

Howard Zinnとネパールの「人民」幻想

リパブリカ(2011-05-28)に,”KUIRE KA KURA, People’s Power, HEROJIG”というタイトルの記事が出ている。著者はよく分からないが,ニューヨーク育ち,現在,カトマンズのドービガートでネパール人家族と居住とのこと。

記事によると,著者は,ニューヨークの小学校でアメリカ建国史を徹底的に教えられ,アメリカ憲法こそが理想的規則であり,憲法制定者たち(Founding Fathers)は英雄であったと信じ込んでいた。

ところが,大学でハワード・ジンの「合衆国人民史」を聴き,目から鱗,憲法制定者たちは聖者ではなく,人民の不満を外にそらす計算高い商売人であったことを知ったという。

著者が信頼するのは,いまやネパールの村にあるような原初的(primitive)な直接民主制のみだ。ジンはこう書いているという――

「政府は,アメリカ政府を含め,中立ではない。・・・・政府は社会の支配的な経済的利益を代表しており,憲法はその利益に奉仕するものだ。」

「権力はこれまで富と武器を持つ者の手にあったが,必ずや人民自身のものとなり,人民が使うことが出来るようになる。歴史の時々で,人民は権力を行使してきたのだ・・・・」

著者は,このジンの言葉にネパールは耳を傾けるべきだという。「ネパールにとって,いまが,ジンのいうその(人民が権力を行使する)ときだ。」

ジンの本は,何冊か読んだが,内容はすっかり忘れてしまった。しかし,もしジンの議論の核心がこの著者のいうところにあるとしたなら,もし本当にそうなら,ジンはマルクスの小学生版,ウェーバーの幼稚園版ということになってしまう。

「人民」が権力を行使するなんて,そんな幼稚(primitive)な,甘~い幻想から早く目覚めないと,ネパールはアナーキーか軍事独裁に転落してしまうであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/06/14 at 12:09

カテゴリー: 政治, 民主主義

Tagged with , , , ,

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。