ネパール評論 Nepal Review

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ラマ大佐逮捕で主権喪失

このところ鬱々,老人性鬱病らしいが,ネパール情勢は流動的,そんな些事にウジウジしてはいられない。扱いは大きくはないが,いまネパール国家の根幹に関わる重大事件が進行している。英国が,ラマ大佐を逮捕してしまったのだ。

1.拷問容疑
クマール・ラマ氏は,1984年に国軍に入り,現在は大佐(colonel)。国連南スーダンPKOに派遣されている。妻は看護師として英国で働き,子供2人と一緒にイースト・エッセクスに住んでいる。ラマ大佐は,その家族のところへ,クリスマス休暇で帰っていた。

ラマ大佐は,休暇終了後,南スーダンに戻る予定であったが,出発直前の1月5日,首都警察により逮捕・勾留されてしまった。容疑は,人民戦争期間中の拷問・虐待。

2.拷問禁止条約
このラマ大佐逮捕の法的根拠は,拷問禁止条約(拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)である。国連採択1984年,加入はイギリス1988年,ネパール1991年,日本1999年。

この条約によると,拷問は刑法犯罪とされ(第4条),容疑者を領域内で発見した政府は自国内で訴追することが出来る(第7条)。

3.英国刑事司法法
この拷問禁止条約に対応するのが1988年英国刑事司法法(Criminal Justice Act 1988)第134条。

それによると,国籍を問わず,また拷問が内外いずれで行われた場合でも,英国は容疑者を英国内で訴追できる。ラマ大佐の逮捕・勾留は,この条文に則り,行われたのである。

4.逮捕容疑
ラマ大佐を英国捜査当局に告発したのは,拷問の被害者あるいはその支援者らのようである。直接の容疑は,つぎの2件。

ラマ大佐は,カピルバスツのゴルシンゲ(Gorusinghe)国軍駐屯地に勤務していたとき,拘束中のジャナク・バハドール・ラウト氏とカラム・フサイン氏に拷問を加えた。1件は2005年4月15日~5月1日,もう1件は同年4月15日~10月31日。拷問,虐待がどのようなものであったのか,具体的なことは報道されていない。

英国首都警察は,英国内あるいはネパールからの告発を受け,1月5日,ラマ大佐を逮捕したのである。

5.ネパール政府・政党からの抗議
このラマ大佐逮捕については,ネパール政府も諸政党も一致して猛反発している。バタライ首相は,紛争中の事件は包括和平協定に基づき「真実和解委員会」や「失踪問題委員会」で審理することになっていると主張し,大佐逮捕は「ネパールの主権への攻撃だ」と非難した。

ナラヤン・カジ・シュレスタ副首相兼外相も,ラマ大佐逮捕を英国による内政干渉だとして非難した。大佐逮捕は,拷問禁止条約の通告規定を無視し,ネパール政府に通告することなく,一方的に行われた。また,ラマ大佐は,この件に関し,すでにカピルバスツ裁判所の審判を受け,政府もそれに基づき大佐を処分(1年間の昇進停止)した。したがって,大佐逮捕は不当だというのである。

政党は,他の件では反目が絶えないのに,ラマ大佐逮捕についてはコングレスからマオイスト,マデシ連合まで,一致して猛反発している。主要諸政党は,1月5日,大統領官邸で緊急会合を開き,独立主権国家として大佐逮捕は絶対に認められないと抗議し,大佐の即時釈放を要求した。

外交ルートを通した公式の抗議も行われている。ネパール政府は,駐ネパール英国大使を呼び出して抗議文書を手渡し,また駐英ネパール大使にも抗議文書を英国政府に届けさせた。ネパール政府は,政府経費で有能な弁護士をつけ,全力でラマ大佐を弁護することにしている。

これに対し,J.タクノット英大使は,「拷問禁止条約加入国として人権を守ることは英国の国際的義務である」と述べ,ネパール側の抗議を一蹴した。また,国連PKO局も,ネパール政府からの身分保全要求を拒否し,ラナ大佐を南スーダンPKOから排除する手続きを進めているという。英国に対しても,国際社会でも,ネパール政府は惨めなほど劣勢である。

6.主権喪失
ラマ大佐逮捕は,司法的にも世界が新しい時代に入った象徴的事件といってもよい。

ネパール人が,ネパール人に対し,ネパール国内で行い,一応司法審判も済んでいる行為を,直接的にはまったく無関係の外国である英国が,直接的には英国国内法に基づき,逮捕・起訴した。以前であれば,これは明白な内政干渉であり,絶対に許されないことであった。しかし,いまや英国当局が主張するように,国際法(拷問禁止条約)が認め,それに対応する国内法(1988年刑事司法法)が認めることによって,それが可能となったのである。

これは,ネパール(あるいは他の同様の国)にとって,革命的な意味を持つ。国内の事件を外国により裁かれるのだから,それを免れるためには,結局,国内の体制を,その外国あるいは国際社会が認めるものに改めざるをえない。人権と民主主義を「世界水準」に合わせないと,ネパールはもはや国内を統治できない。ネパール首相や大政党がいくら独立主権国家を言いつのろうが,ネパールは事実としてもはや主権国家ではない。主権の核心たる領域内裁判管轄権の独占が,失われてしまっている。

7.人権の普遍性と先進国の二重基準
ネパールの主権喪失は,もし人権と民主主義が普遍的なものであるべきなら,当然であり望ましいことである。しかし,である。普遍はつねに強者の友であり,その卑劣な二枚舌を美しい花輪で飾るものである。

もし英国がネパール国内での行為を理由として英国法により一方的にネパール人を逮捕してよいなら,当然,ネパールも同じ方法で英国人を逮捕してもよいことになる。しかし,もし実際にそのようなことをすれば,英国は黙ってはいまい。それが分かっているから,ネパール政府にも,そのようなことをする勇気はない。

深刻な人権侵害に対する普遍的裁判管轄権を各国に認めることになれば,人権救済の向上の可能性がある反面,それを口実とした先進国による途上国介入,途上国支配が正当化される怖れもある。人権侵害を口実に,英米はネパールに介入できても,ネパールは英米には介入できない。理念と現実,建前と本音が,世界社会ではまだまだ大きく乖離している。

ネパールの政府や政党の主張には,人権のグローバル・スタンダードからすれば分がないのは明白だが,だからといって,問答無用と切って捨てるのも躊躇せざるをえないのは,正義を掲げる先進諸国の巧妙な二枚舌がつねに見え隠れするからである。

[参照]
P. Dahal, “UN to question Nepal peacekeepers’ vetting basis,” ekantipur, Jan.6.
“NA expresses ‘sadness’ over Colonel Lama’s arrest,” Republica, Jan 7.
“Col Lama, Dekendra Thapa cases ploy against peace process: PM,” nepalnews.com, Jan.7.
“British police charge Nepali army colonel with two counts of torture during Himalayan nation’s decade long civil war,” Dailymail, UK, Jan.5.
“Nepal protests arrest of colonel on war crimes charges during East Sussex visit,” Telegraph, UK, Jan.4.
“MoFA summons UK envoy over arrest of col Lama,” Republica, Jan.5.
“UK defends decision to prosecute Nepalese colonel accused of torture,” Guardian, Jan 6.
“Hand over colonel to NY or UK missions: Nepal to tell UN dept,” Kathmandu Post, Jan.7.
“PM Bhattarai sends letter to UK seeking Lama’s release,” ekantipur, Jan.17.
“Nepalese colonel to face tourture trial in London,” France 24, Jan.24.
“Nepalis, not int’l community, should decide on TRC,” ekantipur, Jan.28.
“Col Lama to be in jail, trial of torture to begin in June,” Ujyaalo Online, Jan.25.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/04 at 20:00

軍事化の兆し、日ネ関係

1.秋爛漫に水を差す陸自幹部派遣
キルティプール付近は、いま桜が満開、他に菜の花、ブーゲンビリア、ラルパテ、マリーゴールド、カンナ、朝顔(といっても一日中開花)等々、百花繚乱、まるで東北の5月のようだ。

■ラルパテ■八重ブーゲンビリア(?)


 ■稲の刈り入れと満開の桜(右端)

そんな平和で、のどかな「秋爛漫」に水を差すような、物騒なニュースを各紙が伝えている。日本政府は、カワセ・マサトシ陸将補を団長とする3人のネパール軍事訪問団を派遣した。11月8日着、10日発の3日間の訪ネだ。

2.史上最高レベルの日本軍事訪問団
報道によれば、訪ネ軍人としては、カワセ陸将補は史上最高レベルであり、新聞やネットニュースの見出しも、勇ましい。

「日本国軍事団の異例の訪ネ」(ranabhola.blogspot,9 Nov)
「日本国安全保障チームの訪ネ」(Zeenews, 10 Nov)
「軍事協力を協議」(Himalayan Times, 7 Nov)
「日本国自衛隊幹部、首都へ」(nepalnews.com)

カワセ陸将補ら日本国陸自(陸軍)幹部は、プサン・チャンド国軍CGSと会見し、相互軍事協力や自然災害時の人的協力について協議した。また、国軍幹部学校や国軍司令部を訪問し、各部隊の幹部とも会見した。

 ■日ネ軍人協議(Himalayan Times)

3.米軍訪問団の訪ネ
さらに驚くべきことに、上記ヒマラヤンタイムズによれば、日本国軍事訪ネ団の翌日、やはり3日の日程で、アメリカ「近東南アジア」担当チームが訪ネ、チャンド国軍CGSと会見し米ネ軍事協力を協議、また軍幹部学校を訪問しているのだ。

4.日米の対ネ軍事協力作戦か?
軍事関係だから、報道はごく限られており推測せざるをえないのだが、日米軍事同盟の現状からして、日本の対ネ軍事協力・準軍事協力が日本単独で計画されるわけがない。

中国の軍事大国化、チベット問題、尖閣諸島問題などをにらみながら、日米が協力して、ネパールへの何らかの軍事的働きかけを始めたのではないか、と疑わざるをえない。

5.海外派兵への呼び水
日本では、2006年、自衛隊法が改悪され、自衛隊の海外活動が「本来任務」に格上げされた。そのための軍民協力精鋭部隊として「中央即応部隊」も設立された。「平和協力」の名目さえつけば、いまや自衛隊は世界のどこへでも、もちろんネパールへも、部隊を派遣できるのである。むろん日本独自ではなく、アメリカの下働き、あるいは尻ぬぐいとして、

ネパールへの自衛隊派遣は、2007年3月のUNMIN(国連ネパール政治ミッション)への陸自隊員6名の派遣から始まる。停戦監視のための非武装隊員派遣だったので、ネパール関係者の間では、支持こそあれ、反対はなかった。

しかし私は、これは日本の自衛隊海外派遣の本格化の呼び水になると考え、当初から反対してきた。今回の「対ネ日米軍事協力作戦」ともとれる動きは、その傍証の一つといえよう。

6.危険な軍民協力
今回の史上最高レベルでの日ネ軍事協議において、自然災害時の人的協力が話し合われたことも、看過しえない事態だ。

ネパールではマオイスト紛争は終結し、紛争がらみでの自衛隊派遣の理由は今のところはない。ところが、自然災害は頻発し、規模もますます大きくなっている。地震でもあれば、大惨事だ。自然災害時の自衛隊派遣は、そうした事態を想定している。

ネパールの災害時に救援隊を最大限派遣するのは当然だが、自衛隊派遣には反対である。

先のUNMIN派遣で自衛隊はネパール国軍との関係を一気に強化した。もし災害派遣が想定されるなら、平時から自衛隊とネパール国軍は関係を緊密化させ、そこには当然、民間・文民部門も深く関与する。日ネ軍民協力である。

自衛隊が、日ネ軍民協力を手がかりとしてネパールに関与していけば、自衛隊がらみの複雑な既得権益が生じ、もはやそこからは抜け出せなくなる。ネパールには、自然災害の危険は山ほどある。紛争の種もある。チベット問題も深刻だ。暗に中国の脅威をも想定しつつ自衛隊をネパールに出せば、引っ込みがつかなくなる。

ネパール関係者は、日本ODAが大幅削減され、あせり、防衛予算に目を向け始めたのだろうが、これは禁じ手、絶対に手を出してはならない。

某大学、某々大学などは、平和貢献を名目に、自衛隊関係者やその筋の某財団などとの共同研究に前のめりだが、こんな軍民協力、軍学協力こそが、国を誤らせることになるのである。

「太って満足した豚よりも、痩せたソクラテスになりたい」 J.S. ミル

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/11/12 at 02:04

軍民協力に前のめり,PWJ

朝日新聞(7月20日)耕論「PKOあれから20年」に,ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)の石川雄史氏のインタビュー記事が出ている。石川氏は,JICA専門家等を経てPWJ南スーダン現地事業責任者。(他のインタビューは,川端清隆国連政務官(安保理担当)と高村正彦元外相・防衛相)

この耕論インタビューにおいて,石川氏は自衛隊南スーダン派遣を高く評価し,自衛隊とNGOとの協力,つまり軍民協力(民軍協力)の積極的推進を提唱されている。

「今年初め、自衛隊の施設部隊が首都のジュバに入りました。少人数で活動する私たちNGOと違い、300人以上の部隊はやはり存在感があります。彼らは情報を求め、現地で活動してきた日本のNGOと、積極的に交流しています。・・・・様々な制約を抱える自衛隊が、さらに地域に根ざした活動をしようとする際には、私たちNGOとの連携もぜひ、前向きに模索していただきたい。今後のPKOでは、NGOとの連携で国益確保する道もあると思うのです。」

これは驚くべき発言だ。自衛隊南スーダン派遣は,憲法違反であり,自衛隊自身も消極的であった。内陸深くの南スーダンに,はるばる日本から軍隊を送り込み,道路や橋などを建設することに,何の意味があるのか? 補給をどうするのか? 戦死者が出たら,どうするのか?

自衛隊南スーダン派遣は,当事者の自衛隊のこのもっともな合理的な反対を無視し,外務省が「安全保障の素人」一川防衛大臣や迷走田中防衛大臣を利用し,ゴリ押ししたのだ。

その自衛隊南スーダン派遣を,PWJは積極的に評価し,しかもNGOとの連携で自衛隊は「国益確保」を目指せという。かつては日本政府を厳しく批判したこともあるPWJ=平和の風・日本だが,最近は,風向きがかなり変わったようだ。

すでにPWJは,ハイチにおける自衛隊協力について,軍民協力の先駆けとなるものとして,外務省や防衛省・自衛隊から高く評価されている。

「10年12月、わが国の非政府組織(NGO)であるピースウィンズ・ジャパンと連携し、瓦礫とゴミの山となっていた地域に公園を造るため、自衛隊部隊が敷地の整地を行った。・・・・国際平和協力活動でのわが国のNGOとの連携は自衛隊にとって初めてのことであった・・・・。・・・・NGOとの連携などは新防衛大綱で示された方針にも合致しており、今後とも、ハイチでの活動をより効果的なものとすべく様々な活動に取り組んでいくこととしている。」(防衛白書2011「ハイチにおける自衛隊の活動について」

このような軍民協力は,NGOだけの問題ではない。防衛省・自衛隊がいまNGOと並んで主要ターゲットとしているのが,大学である。大阪大,神戸大,広島大,慶応大など,多くの大学が,NGOも取り込みながら,軍学協力に向かって突っ走っている。

そして,ここにはなぜか日本財団・笹川平和財団が深くコミットしている。たとえば,平和構築フォーラム参照。また,軍学協力については,【政治の動向】軍民分離から軍民協力へ,参照。

しかし,NGOや大学が軍隊と共同作戦を展開し,国益を追求するのは,あまりにも危険ではないか? カネと権限をもつのは国家である。そして,「暴力装置としての国家」の暴力の中核はいうまでもなく軍隊=自衛隊である。そのような軍隊との「協力」や「連携」など,本当にあり得るのか? 「民軍協力」「民軍連携」などという甘言に釣られ,協力を始めると,いずれ「軍民協力」となり,結局は軍隊の下働きとなってしまうのではないだろうか?

NGOは非政府(非国家)組織であり,定義上からも,政府や国家と一線を画するところに存在意義がある。大学も,もともと独立した学問共同体であり,国家や企業の下働きではない。即戦力養成,役に立つ授業ほど,大学の理念から遠いものはない。

そうしたものであるはずのNGOや大学が,たとえ背に腹は代えられぬという切実な事情があるにせよ,よりにもよって軍隊と協力をするのは,少し長い目で見ると,自殺行為であるといわざるをえない。

【参照】 
2011/11/02 朝日社説の陸自スーダン派兵論
2009/09/22 自衛隊海外派遣:「民軍協力」から「軍民協力」へ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/07/20 at 19:16

カテゴリー: 平和

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朝日社説の陸自スーダン派兵論

1.陸自スーダン派兵
政府は11月1日,南スーダンへの陸上自衛隊(日本国陸軍Japanese Army)の派兵を決めた。実施計画を11月下旬に決定し,2012年1月から陸自「中央即応連隊」200人を派兵,5月頃には本隊300人規模とする。ネパールへの陸自6名派兵とは比較にならない大部隊の本格派兵だ。

 世界展開に備える即応連隊

2.軍国主義に傾く朝日新聞
朝日新聞は,敗戦後,ハト派・良識派・平和主義者に転向したが,2007年5月3日の「地球貢献国家」(社説21)提唱により,内に秘めてきた軍国主義への信仰を告白し,一躍,海外派兵の旗手に躍り出た。時流に乗り遅れるな,イケイケドンドン,産経も読売も蹴飛ばし,向かうところ敵なしである。

今回のスーダン派兵についても,11月2日付朝日社説は,お国のために戦果を,と全面支持の構えだ。社説はこう戦意高揚を煽っている。

「この派遣を,私たちは基本的に支持する。」
「自衛隊のPKO参加は1992年のカンボジア以来、9件目になる。規律の高さや仕事の手堅さには定評があり、とくに施設部隊などの後方支援は『日本のお家芸』とも評される。アフリカでの厳しい条件のもと、確かな仕事を期待する。」

この朝日社説が,産経や読売のようなまともなタカ派の派兵論よりも危険なのは,現実をみず,リアリティに欠けるからである。朝日社説は,大和魂で鬼畜米英の物量を圧倒し,竹槍で戦車を撃破せよと命令し,忠良なる臣民ばかりか自分自身にもそれを信じ込ませてしまった,あのあまりにも観念的な軍国主義指導者たちと相通じる精神構造をもっている。朝日社説の欺瞞は次の通り。

そもそも社説タイトルの「PKO,慎重に丁寧に」と,上掲の「基本的に支持する」「確かな仕事を期待する」のアジ演説が,ニュアンスにおいて矛盾している。

政情不安なスーダンへ大軍を送る。その危険性は,たとえば「治安が不安定な地域でのこれほどの長距離輸送は経験がない」と 朝日自身も認めている。このような危険なところに軍隊を出せば,当然,自他を守るための武器使用が問題になる。ところが,社説はーー

「武器使用問題は、日本の国際協力のあり方を根本から変えるほど重要なテーマだ。今回の派遣とは切り離して、時間をかけて議論するのが筋だ。」

と逃げてしまう。「時間をかけて議論する」あいだに,陸自隊員は現地で危険に直面する可能性が極めて高い。どうするのか? 結局,朝日は根性論,大和魂作戦なのだ。

これに対し,はるかに合理的・現実的なのが,自衛隊である。2日付朝日の関連記事によれば,自衛隊自身は,「自衛隊内では『出口作戦も大義名分も見えない』との不満もくすぶる」「自衛隊幹部は『ジュバ周辺もいつ治安が悪くなるかわからない』」と,批判的だ。もし自衛隊員が朝日社説を読んだら,きっとかんかんになって怒るにちがいない。――堂々たる日本国正規軍を危険な紛争地に派遣しながら,武器を使わせないとは,一体全体,どういう了見だ,大和魂で立ち向かえとでもいうのか。奇襲や特攻を「日本のお家芸」と自画自賛した大日本帝国と,丸腰平和貢献を「日本のお家芸」と賞賛する大朝日は,その精神において,同じではないか,と。

現代の自衛隊は,大和魂や竹槍,あるいは奇襲作戦・特攻作戦などは,はなから信じていない。朝日が大和魂平和貢献をいうのなら,朝日社員を一時入隊させ,スーダンに派遣してやろうか,といったところだろう。自衛隊の方が,朝日よりもはるかに合理的・現実的である。
  参照:スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意

3.自衛隊の世界展開とPKO5原則
朝日新聞は,自衛隊(Japanese Army)の本格的世界展開を煽っている。そもそも朝日には,「PKO参加5原則」ですら,守らせるつもりはない。

▼PKO参加5原則(外務省)
 1.紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
 2.当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
 3.当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
 4.上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
 5.武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。

朝日社説はこんな表現をしている。「武力衝突の現場と派遣先は離れているものの、ここは派遣直前まで、5原則を守れるかどうかを見極める必要がある。」

イケイケドンドンと煽っておきながら,「5原則を守れるかどうかを見極める必要がある」とごまかし,武器使用は「時間をかけて議論するのが筋だ」という。それはないだろう。参加5原則など,朝日には守らせる意思はないのだ。スーダン派遣を先行させ,自衛隊員に犠牲が出るか,武器使用が現実に行われてしまったら,その事実に合わせ社説を修正する。大日本帝国の世界に冠たる「お家芸」であった,あの既成事実への追従の古き良き伝統を,朝日は正統的に継承するつもりなのだ。近代的な合理主義・現実主義の立場に立つ自衛隊が怒るのは,もっともだ。

4.「良心的兵役拒否国家」の原点に立ち戻れ
いまさらこんなことを言っても朝日は聞く耳を持たないだろうが,それでもあえていいたい。朝日は,「地球貢献国家」(社説21,2007年5月)を撤回し,それ以前の「良心的兵役拒否国家」の原点に立ち戻るべきだ。

朝日が煽動する「地球貢献国家」が危険なのは,軍民協力が前提であり,その結果,必然的に軍と民が融合し,日本社会がじわじわと軍事化されていくこと。しかも,世界展開する米軍の代替補完として,世界から,つまりアメリカから,期待されており,時流にも乗っている。

日本が朝日の提唱する「地球貢献国家」になれば,たとえば日本の巨大な政府開発援助(ODA)が平和維持作戦(PKO)と融合し,見分けがつかなくなる。そうなれば,紛争地や政情不安地帯で活動する多くの非軍事機関やNGOなども,当然,軍事攻撃の対象となる。

そして,危なくなれば,NGOなどは,軍隊に警護を依頼するか,撤退するかのいずれかを選択せざるをえなくなる。 こうして,また開発援助や非軍事的平和貢献活動が軍事化され,それがまた軍事攻撃を招く。悪循環だ。

もしスーダン派遣自衛隊員に犠牲者が出たら,朝日新聞はどのような責任を取るつもりか? 靖国神社に御霊を祭り,その「お国のための名誉の戦死」を永遠に称えるつもりなのだろうか?

■スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意
■海外派兵を煽る朝日社説
■良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節
■丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/11/02 at 14:11

陸自,ネパール撤退

UNMIN派遣の第4次陸自隊員6名が1月18日帰国,日本のネパール派兵は終了した。

「ネパール国際平和協力隊」は,2007年3月1次隊派遣,以後,1年ごとに4次隊まで継続,通算3年10ヶ月派兵されていた。

この日本派兵は,ネパール人民には,ほとんど知られていない。北沢防衛大臣は「労いの言葉」において,「国連本部,UNMIN,ネパール政府などからも高い評価を受け」(自衛隊ニュース,2011.2.1)と自画自賛したが,ここには「ネパール人民」はない。日本政府が誰の目を気にし,誰のために派兵したかは明白である。

陸自UNMIN派遣は,本格的な自衛隊海外派兵のための予行演習である。北沢防衛大臣はこう述べている。

「UNMINにおける活動は、部隊ではなく個人の派遣による活動であり、またその業務内容も、任務地における武器及び兵士の管理の監視業務という、これまで防衛省・自衛隊が経験したことのない、新たな挑戦とも呼べるものでありました。・・・・さらには我が国の国際平和協力活動の幅を広げることができました。」(上記「労いの言葉」,強調引用者)

意味不明の(含意明白の)「個人派遣」,「武器及び兵士の管理の監視業務」――これまでやりたくて仕方なかったことが,快適で安全無比のネパールで実地訓練できた。防衛大臣自身がいうように,これは「我が国の国際平和協力活動の幅を広げること」が最大の目的であった。決してネパール人民のための派兵ではない。

派遣隊員の発言は,当然,検閲されているが,それでも本音が漏れており,興味深い

■赤瀬丈 1陸尉
「今回の派遣においての一番の成果は、様々な国の軍人たちと一緒に仕事をすることで、それぞれの国の人の考え方、文化等を知ることができ視野が広がったということである。」(自衛隊ニュース,2011.2.15,強調引用者)

「一番の成果」は、ネパール平和貢献ではなく、「様々な国の軍人」との交流だったという。自分を日本陸軍の「軍人」と自覚し、他国の「軍人」と一緒に作戦(operation)を展開した。それが「一番の成果」だったという。たいへん正直な、しかも正確な事実認識だ。

先の記事「丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論」でも述べたように,憲法前文による自衛隊合憲化・海外派兵拡大の動きは,朝日新聞社説の変説=変節もあり,ますます進行している。しかし,軍隊は自己増殖し始めたら止まらない。ピストルも持っている。あの苦い経験をもう忘れたのだろうか?

 (防衛省2011.1.18,朝雲新聞2011.1.20)
この写真を見ると,「陸自隊員→中央即応集団配属→PKO個人派遣→帰国・中央即応集団→陸自隊員」の手品がよくわかる。丸山眞男の国連警察隊(国連軍)派遣論そのものではないか!

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/16 at 11:13

カテゴリー: 平和, 憲法, 人民戦争

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丸山眞男の自衛隊合憲論・海外派兵論

丸山眞男(丸山真男,1914-1996)は,平和主義者のイメージが強いが,実際には冷徹な現実主義者であり,いわゆる「平和主義者」ではなく,自衛隊についても憲法前文による合憲化や積極的な海外派兵を説いていた。

1.「楽しき会の記録」
たとえば「楽しき会の記録」での丸山発言(『丸山眞男手帳56』2011.1)。これは1990年9月16日午後,丸山宅近くのホテルで開かれた「楽しき会」の録音テープを『手帳』編集部がおこしたもので,丸山自身の著作ではない。丸山は自分の文章についてはきわめて慎重で,一字一句おろそかにしなかった。その反面,少人数での座談は大好き饒舌であり,それらの多くは没後『丸山眞男座談』(9巻,岩波,1998),『丸山眞男回顧談』(上下,岩波,2006),『丸山眞男話文集』(4巻,みすず,2008-9)などにまとめられ出版されている。

これらの記録は丸山自身の著作ではないが,それだけにかえって彼の考えがストレートに出ている。特にこの「楽しき会の記録」のような丸山自身の校閲を経ていない発言記録は,彼の生の声,彼の本音をうかがい知る貴重な資料といえよう。録音テープからの文章化も丸山研究者や練達の編集者が当たっており,十分に信頼できる。

では,丸山は1990年の「楽しき会」において,自衛隊について何を語ったのか?

2.現実主義者としての丸山眞男
丸山眞男は,周知のように,主体的市民の成熟を説く近代主義者であり,「暴力」を手段として使う政治家の「政治責任」を問う冷徹な現実主義者であった。決していわゆる「平和主義者」ではない。

その丸山からすれば,たとえば仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という国会答弁(2010.11.18)を非難攻撃し辞任に追い込んでしまった自民党の行為は,笑止千万であろう。警察や軍隊が国家統治の「暴力装置」であることは常識であり,それを口汚くののしり,鬼の首を取ったかのようにはしゃぎ回るのは,およそ大人の政党たる自民党らしくない。自民党は退化し,おしゃぶり(政権)を取り上げられ,だだをこねている幼児のような政党になってしまった。丸山であれば,おそらくそう考えたにちがいない。丸山は,政治においては「暴力」を手段として使用せざるをえないという冷厳な事実を見据えていた。丸山は決していわゆる「平和主義者」ではない。

したがって,自衛隊についても,現実主義者(ウェーバー的現実主義者)としての丸山は,現実主義的な認識をしているとは思っていた。しかし,この「楽しき会の記録」を読むまでは,晩年の丸山が憲法前文による自衛隊の合憲化や積極的な海外派兵を唱えていたことは,まったく知らなかった。うかつと言えばそうだが,これには,正直,驚いた。

3.人民の自己武装権
1990年の「楽しき会」において,丸山は30年前の著作「拳銃を・・・・」(1960,『丸山集8』)を引き合いに出し,「国民の自衛権」を全面的に擁護している。

「拳銃を・・・・」によれば,アメリカ憲法修正2条(1791)は「武器を保持し武装する人民の権利」を保障しているが,それは元来「人身の自由」を最終的に担保する「個々人の武装権」であったし,現在もなお原理的にはそうである。アメリカ憲法は,自由を守るための個人の武装権,人民の自己武装権を認めているのである。

ところが日本では,秀吉の刀狩り以来,人民は武装解除されていき,今では丸裸にされている。また,権利や民主主義も日本では闘いとられたものではなく,既製品として輸入され国民に与えられたものである。したがって,日本人は権利や民主主義が危うくなっても,それらを守るために闘う気力も戦うための武器も持たない。

“私達は権力にたいしても,また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである。どうだろう,ここで思い切って,全国の各所帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して,世帯主の責任において管理することにしたら・・・・。そうすれば深夜にご婦人を襲う痴漢や,店に因縁を附けるに来るグレン隊も今迄のように迂闊にはおどせなくなるだろう。なにより大事なことは,これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが,社会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし,外国軍隊が入って来て乱暴狼藉をしても,自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるにちがいない。日本の良識を代表する人々につつしんでこの案の検討をお願いする。”(p.281)

このピストル配布武装論は,「権利のための闘争」の覚悟,あるいはより直接的には再軍備反対のための断固たる決意を説くためのレトリックのようにも見えるが,しかし私には必ずしもそうとは言い切れないように思える。丸山は,本気で,権利が国家から,あるいは外国から侵害されそうになったとき,最後のギリギリのところでは,個人や人民は武器を取って戦うべきだ,と考えていたのではないか。私にはそう思われる。

4.「国民」の自衛権行使の合憲性
丸山の「楽しき会」発言(1990)は,30年前のこの「拳銃を・・・・」(1960)とまったく同じ人民武装論の立場からなされている。

“外国が入ってきたらどうするのか,と。女房を犯されてどうするのか,と。そんなに言うのなら,各戸にピストルを配れ。そうしたら婦人も安心して夜間に外出できる,と。襲ってきたらやればよい。正当防衛ですよ。”(p.17)

“軍隊は国民の独立[のため]なんだ。個人の独立なんだ。・・・・市民が武器を取って自分を守るんです。”(p.20)

丸山は,「個人」の自衛権・武装権を認め,さらに「国民」の自衛権・武装権も認める。ただし,この「国民」の自衛権は,「国家」の自衛権とは異なる。

“国家の自衛権と国民の自衛権を区別しなければいけない。・・・・国民が自己防衛するのは憲法は許していますよ。完全に合憲です。ピストルを持とうが何をしようが。国家が国家として国家の軍隊を行使してはいけないとだけ,現在の憲法は禁止している。”(p.22)

論旨明快。丸山は,政府専制化や外国侵略に対し,個人やその集合である「人民」ないし「国民」は自衛権を持ち,武器を取って戦ってよいし,戦うべきだ,そして日本国憲法もそれを認めている,と明言している。

それはよく分かる。しかし,そこから先がよく分からない。つまり,「国民」の自衛権・軍隊と「国家」の自衛権・軍隊が,はたして区別できるかどうか? 日本攻撃に対する国民蜂起と国家防衛戦争が区別できるかどうか? 理念的・概念的には区別できるが,実際には多くの場合「国民」の軍隊と「国家」の軍隊は区別できないのではないか?

むろん丸山も,「こうした[アメリカ憲法修正2条の定めるような人民の]武装権が集合体としての『国民』の自衛権に,さらには『国家』の自衛権へといつの間にか蒸発して」しまう危険性を十分に自覚していた(「拳銃を・・・・」p.279)。

しかし,危ないと分かりつつも,近代主義者・現実主義者としての丸山は,個人・人民・国民の自衛権・自己武装権を認めざるをえなかったのである。

5.憲法前文による自衛隊合憲化
ここから,丸山眞男は,日本再軍備反対運動・戦後平和運動の代表的イデオローグでありながら,自衛隊容認,さらには自衛隊海外派遣(派兵)の提唱へと,勇敢にも,いやあまりにも大胆に,突き進んでいく。

丸山によれば,憲法9条は「国家」の自衛権・交戦権を放棄しており,したがってそれを前提とする現在の自衛隊は違憲である。ところが――

“憲法の前文を引用すれば,前文の趣旨に自衛隊を解釈すればジャスティファイできる。”(p.21)

これは重大な発言である。「前文の趣旨」が何かは直接的には説明されていないが,おそらくそれは日本および世界の諸国民の平和的生存権を保障するための軍隊であれば,ジャスティファイ(正当化)できる,ということであろう。憲法前文は,「全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とのべ,「日本国民は,国家の名誉にかけ,全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言している。この平和的生存権を守るための自衛隊であれば合憲ということ。それ以外には,考えられない。

6.グローバル化と海外派兵の合憲性
この丸山眞男の自衛隊合憲論は,彼のグローバル化時代の到来という時代認識に裏打ちされている。

“今や世界のシンボル・パワーズがみんな自分の国を自分の国の軍隊では守れなくなった。主権国家の軍隊という意味が全く歴史的に変わった。それと戦争概念の変化があるでしょ。”(p.29)

つまり,いまやグローバルな「ワン・ワールド」が現れつつあり,そこでは――

“国際連合は,世界の警察の役目で制裁するの。・・・・国内警察と同じように,違法行為を犯した奴を世界の警察が捕まえて裁判するんだ。それは警察であり軍隊なんだ。[イラク制裁では]それを主権国家が代用しているのがおかしいの。・・・・これは特定の国家群ではなく,グローバルな国際連合の行為なんです。警察と同じなんです,国連が。軍事行動を取るなら,世界警察としてのみ是認される。”(p.30)

丸山は,平和的生存権保障のための自衛隊を合憲と見なし,さらにそのための国連の軍事行動への自衛隊派遣(派兵)も合憲と考えるのである。

7.丸山「海外派兵論」の危険性
丸山の議論は,結局,国連軍ないし国連警察が成立するなら,日本は自衛隊をそこに参加(派兵)させうるし,積極的に参加(派兵)させるべきだ,という結論になる。しかし,現実には国連軍はまだ成立していない。では,どうするか?

“グローバルな安全保障だけが安全保障であって,軍事同盟は対立するものなんです。軍事同盟を否定するのが国際連合の政治。つまり,世界の警察軍だけを認める。ただ現実問題として主権国家が存在しているから,主権国家の軍隊の力を借りる。”(p.33)

冒頭で丸山は現実主義者だといった。ここでは,その丸山の現実主義が,議論を徐々に危ない方向へと向けていく。

“国連をエフェクティブeffectiveにしようと思ったら,国籍を離脱した国連軍を作るほかないんです。ただ,主権国家はなくならないから,軍人が国連軍から脱退した時には,前の国籍に戻すという保証がなければ,ちょっと困ります。”(p.18)

自衛隊も,当然,国連に派遣され「国連直属の軍隊」になるのであれば,「そうすれば,憲法に違反しない」(p.19)ということになる。しかも,先の説明によれば,国連軍から脱退すると,日本の国籍に戻る。たしかに現実的だ。しかし,そんなことをして本当に大丈夫か?

国連軍がまだ成立していないからといっても,PKO(PKF)の場合,指揮権は国連(総会・安保理)にあり,各国からの派遣軍はその指揮に服する。つまり国連警察軍といってもよい。とすれば,自衛隊のPKO派遣(派兵)は合憲となり,任務終了とともに日本国自衛隊に復帰することになる。自衛隊の活動は世界大に拡大し,国連フィルターを通して自衛隊の自己増殖が始まるのではないか?

丸山にはそうした躊躇は全くない。それどころか,彼の現実主義は,ここに止まらず,さらに議論を危険な方向へと前進させる。

“国籍離脱が無理なら,ぎりぎりの現実論は,さっきの話のように,自衛隊を二つに分けて,国連協力隊と今までの自衛隊と。”(p.34)

“国連協力隊法案のなかにその一条を入れる。今の自衛隊を二つに割って,一つを国連協力隊と名付けると。国連協力隊には自衛隊員以外も参加できるというのがあれば,なおいい。そうすると国連軍に近づくから。”(p.35)

丸山は,「楽しき会」の最後で,自衛隊の国連協力(国連軍参加)について,こう述べている――

“それが日本国憲法の精神だ,と言うんですよ。国内向けには,それがナショナル・インタレストだ,本当の意味で。”(p.36)

現実主義者らしい考え方だ。しかし,本当にこんなことをやってよいのだろうか? かつて明治憲法体制下で顕教(天皇統治)と密教(立憲君主制)の二枚舌が結局は顕教支配を招いたように(久野・鶴見『現代日本の思想』1956),自衛隊海外派遣は国益だという顕教と,それがこれからの世界益だという密教の使い分け二枚舌が,結局は日本国益のための自衛隊海外派兵という分かりやすい顕教の支配になってしまわないだろうか? 「本当の意味で」と限定されていても,国益は国益であり,「国内向け」に使えば,日本国益のために自衛隊を派遣する,となってしまうのは必定ではあるまいか?

私は,この「楽しき会」記録が公刊されるまで,丸山がこのような生々しい発言をしていたことを知らなかった。超国家主義の完膚無き批判者,非武装中立の提唱者,安保闘争支持の代表的知識人,戦後民主主義の旗手――その丸山眞男が,条件付きとはいえ,自衛隊合憲論・海外派兵論を唱えていたとは! これはショックだ。

8.丸山「海外派兵論」と朝日新聞の「変説」
ここでもう一度,「楽しき会」のメンバーを見てみよう(○印は出席者)。
 ○丸山眞男(1914-1996):東大法学部,政治学,日本政治思想史
 ○安東仁兵衛(1927-1998):構造改革派,『現代の理論』発行
 ○石川真澄(1933-2004):朝日新聞,朝日ジャーナル
 ○岩見隆夫(1935-):毎日新聞,サンデー毎日
 ○筑紫哲也(1935-2008):朝日新聞,朝日ジャーナル,TBS
  堤 清二(1927-):辻井喬,西武・セゾングループ
  冨森叡児(1928-):朝日新聞
  松山幸雄(1930-):朝日新聞

そうそうたるメンバーであり,いわゆる進歩派・良識派知識人の会といってよい。ここで丸山が,憲法前文による自衛隊海外派遣合憲論を語った。ジャーナリズム,特に朝日新聞への影響は大きかったのではないかと推察される。では,この「楽しき会」開催(1990年9月)前後の世界情勢,日本情勢はどのようなものであったのか?

 1989 ベルリンの壁崩壊
 1990 イラク軍クウェート侵攻,「楽しき会」
 1991 湾岸戦争勃発,ソ連崩壊
 1992 PKO法成立
 1993 55年体制崩壊,EU成立
 2001 PKO法改正によりPKF参加凍結解除
 2006 自衛隊法改正で自衛隊海外活動が「本来任務」に
 2007 陸自中央即応集団(CRF)設立
    朝日新聞社説21(5月3日)が「地球貢献国家」提唱

この年表から分かるように,「楽しき会」開催の1990年前後を境に,世界も日本も劇的に変化したことが分かる。近代主権国家からなる世界はベルリンの壁崩壊(1989)とソ連崩壊(1991)により終わりの秋を迎え,EU成立(1993)に象徴されるような,超国家的地域共同体やグローバル社会の形成へ向けて大きく方向転換した。

日本でも,保守対革新の55年体制が1993年に崩壊し,政治情勢が流動化,新しい体制への模索が始まった。丸山が1990年に語ったように,世界の構造が大きく変わったのであり,93年の日本政治の構造変化もそれを受けたものであったのである。

そして,ここで特に注目すべきは,自衛隊をめぐる議論がやはりこの頃を境に大きく変化したことである。1992年には国際平和協力法(PKO法)が成立,自衛隊の海外派遣が認められ,2001年には同法改正により平和維持軍(PKF)参加凍結も解除された。さらに2006年の自衛隊法改正により,自衛隊の海外活動が「本来任務」とされ,2007年にはPKOに対応するための部隊「中央即応集団(CRF)」も設立された。ここでは「民軍協力」が本格的に導入され,2007年のネパール国連ミッション(UNMIN)派遣ではCRF配属の陸自隊員が「個人の資格」で派遣され,以後,UNMIN指揮下で活動してきた。

この流れを追認し,さらに強くそれを後押ししたのが,2007年5月3日の朝日新聞「社説21」である。ここで朝日は従来の「良心的兵役拒否国家」を放棄し,「地球貢献国家」を社説として採用し,自衛隊の積極的海外派遣を唱え始めた。これは自衛隊をめぐる議論に決定的な影響を与えた。以前から自衛隊合憲・海外派遣を唱えてきた産経新聞や読売新聞ではなく,それに真っ向から反対してきた朝日新聞が「変説(変節?)」したからである。

この90年以降の日本の防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」は,少なくとも外見的には90年の丸山「楽しき会」発言に沿ったものである。では,丸山はこの防衛政策の変化や朝日新聞の「変説」にどのような影響を与えたのか?

丸山は,良識派・進歩派・革新派・護憲派の知識人や政治家に大きな影響力を持っており,多弁な彼がもし90年「楽しき会」発言と同趣旨の発言を別の機会に何回もしているとすると,それを聞いた人々から彼の考えが周辺に広まっていった可能性は十分にある。

特に注目すべきは,朝日新聞「変説」との関係である。「楽しき会」のメンバーには,朝日新聞系の重鎮が4人も含まれている。彼らが丸山に深く傾倒していたことは言うまでもない。具体的なことは,もちろん分からない。しかし,90年の丸山発言と朝日の「地球貢献国家」がよく似ていることは確かである。両者の間になんらかの関係があるのではないかと見られても不思議ではない。

9.丸山眞男と現実主義の陥穽
丸山には,通俗的現実主義を鋭く批判した「現実主義の陥穽」(1952,丸山集5)という論文がある。現実主義者の丸山であるからこそ,通俗的現実主義の危険性をよく認識していた。では,丸山自身の自衛隊合憲論・海外派兵論はどうなのか?

グローバル化時代における「新しい戦争(非正規戦争)」の拡大という「現実」への現実的対応という,「現実主義の陥穽」に陥っているのではないか? 国連を利用した自衛隊自己増殖の正当化理論となっているのではないか?

丸山がいうように,グローバルな「ワン・ワールド」が現れ「世界警察」の必要性が高まりつつあることは認めつつも,それでもなお自衛隊の海外派遣(派兵)には懐疑的とならざるをえない。それは,日本の平和にとって,本当に賢明な選択なのだろうか?

■参考資料
朝日新聞社説21(2007年5月3日)

提言 日本の新戦略―地球貢献国家を目指そう

15.自衛隊の海外派遣

国連PKOに積極参加していく・自衛隊が参加できる国連PKO任務の幅を広げる

・平和構築のための国際的部隊にも限定的に参加する

・多国籍軍については、安保理決議があっても戦闘中は不参加が原則

憲法の前文(資料6)は、日本だけでなく、世界の人々が平和に暮らす権利を重くみた歴史的な宣言でもある。紛争のあった国の再建を手伝う「平和構築」は、前文の精神に沿うものだ。

民族紛争、内戦などで疲弊、破綻(はたん)した国は、和平合意後も社会が不安定な場合が多い。暴力によらずに対立を解決していくためには、民主主義制度の整備や法の支配の確立が大きな鍵を握る。近年、国連主導で平和を持続し、国を再建していく「平和構築」が世界各地で進められてきたのはそのためだ。

「平和構築」は第一に、そこで暮らす人々のために進める。だが同時に、国際的な安全保障での意味も大きい。内戦などで法の支配が崩れると、テロや麻薬、武器密売などの犯罪組織が拠点を置く。そこから脅威が世界に散らばり、「世界の弱点」となる恐れがある。対応策として「平和構築」を進める必要がある。

「平和構築」には行政官やNGOの人たちを含む文民の活動がふさわしい仕事が多い。だが中には、武器を持った実力部隊でないと危険な時期や場所もある。そこに自衛隊の出番がある。

自衛隊の派遣は、日本にふさわしいものでなくてはならない。現地で歓迎され、実際に「平和構築」に役に立つ。あくまで憲法前文のような普遍的な理念に基づく派遣であって、「米国とのおつき合い」だけで海外に自衛隊を送るべきではない。そこで次のような諸点を前提に進めるべきだと考える。

国連PKOは、紛争終了後の平和構築の柱である。だが、他の先進諸国に比べて、自衛隊の派遣件数はまだまだ少ない。日本の参加先をもっと増やし、任務の幅も広げるべきだ。

日本は92年に国連平和維持活動(PKO)協力法を制定し、まずカンボジア復興で自衛隊を派遣した。その後もゴラン高原、東ティモールなどの国連PKOに参加してきた。これまでの参加は、紛争で壊された施設の復旧、医療活動などの人道復興、後方支援だった。

01年に同法は改正され、凍結されていた本体業務への参加が解除された。停戦や武装解除の監視、緩衝地帯での駐留、巡回などが本体業務にあたる。まだこの分野での参加例はないが、今後は協力していくのが適切だろう。

安保理決議に基づき、厳密に規定された任務を進めていくうえでのやむを得ない発砲などは、犯罪を抑える警察の武器使用に近い。武力行使にあたるような使用を認めないのは言うまでもない。

慎重に実績を重ねつつ、将来的には現在のPKO法では認めていない、国連や公的施設の警護などにも範囲を広げる道も探る。治安情勢や自衛隊の練度などを踏まえ、派遣の是非は個々のケースごとに決めるのは当然だろうし、さらにどんな条件が必要かを考えたい。

同じ平和構築でも近年は、国連PKOではなく、国連安保理決議に基づく国際部隊が配置されるケースが増えている。治安の変化に臨機応変に対応する必要性などから、国連ではなく国際部隊に参加した国の現地司令官が指揮するものだ。ただ、任務の内容としては公共施設の復旧、医療活動など国連PKOとあまり変わらない内容のものも含んでいる。

日本としても、こうした国際部隊について、国連PKOにおける後方支援に準じるものであれば、参加するケースがあってもいい。平和構築活動における日本の選択肢を広げるためだ。

その場合、国会の事前承認、武力行使の禁止などの厳しい条件を設けるべきだ。政権転覆が目的の「有志連合」による攻撃など正統性を欠く行動、たとえばイラク戦争のようなものには決して加担しない。そうした戦争の後の平和構築にも基本的に参加しない。

最後に、自衛隊は戦闘中の多国籍軍には後方支援であっても参加しない。この原則は今後も貫く。

例外中の例外が考えられるとすれば、(1)誰の目にも明らかな国際法違反(領土の侵略など)があり、(2)明確な国連安保理決議に基づいて、国際社会が一致する形で集団安全保障(軍事的制裁)が実行され、(3)事案の性格上、日本の国益のためにも最低限の責任を果たす必要がある、といった要件をすべて満たす、極めてまれな場合でしかない。

ただし、その場合でも、自衛隊が協力できるのは、憲法で許容される範囲内の後方支援に厳格に限定されるべきであり、国会の事前承認を大前提としなければならない。

こうした枠組みの中で自衛隊が技量を発揮し、日本らしさをアピールしたい。

資料6 憲法前文(抜粋)
○われら(日本国民)は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う

○われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

■参照
海外派兵を煽る朝日社説
良心的兵役拒否国家から地球貢献国家へ:朝日の変節

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/02/13 at 21:20

スーダン派兵で権益確保:朝日社説の含意

谷川昌幸(C)
朝日新聞はいったいどうなってしまったのだろうか? 25日付社説「スーダンPKO・目立たぬからやめるとは」は,陸自ヘリ部隊のスーダン派遣断念を非難し,積極派兵政策への転換を要求している。
 
スーダンには,2008年から中央即応集団の陸自隊員2名が派兵されている。そこにヘリコプター部隊も派遣することが,検討されていた。熱心にヘリ部隊派遣を唱えたのが,今回も外務省。砲艦外交で,外交力を増強しようという魂胆なのだ。
 
これに対し消極的だったのが,やはり防衛省・自衛隊。ヘリ部隊を派遣すると,低速・低高度のヘリは,格好の攻撃目標となり撃墜される危険性が高い。そんな危ないことはできないというのだ。この自衛隊の判断は極めて合理的であり,非難の余地は全くない。
 
ところが,朝日社説はこの防衛省・自衛隊の姿勢を「残念だ」と非難する。その理由は,まず第一に,国連や米国――本音は米国――を失望させるから。米国はケニヤ系のオバマ大統領が隣国スーダンの平和構築支援に熱心であり,外務省としては,ヘリ隊員を人身御供としても米政府のご機嫌を取りたいのだろう。
 
第二の理由は,変節朝日の自己正当化のためであろう。朝日は,数年前,自衛隊海外派兵論へと社説を180度転換した。それまでの「後ろ向き」「内向き」の社説(良心的兵役拒否国家)を,「前向き」「外向き」(地球貢献国家)に切り替えたのだ。それ以来,朝日は社をあげて自衛隊海外派兵イケイケドンドン,25日社説でもヘリ部隊スーダン派遣を「前向き」に検討してきた民主党政権を誉めたたえ,それに抵抗してきた防衛省・自衛隊を「内向き」と非難しているのである。
 
第三の理由は,社説では直接言及されてはいないが,資源確保である。周知のように,スーダンは石油など地下資源が豊富であり,中国などがPKO部隊(約300人)を送り込み,争奪戦を繰り広げている。朝日もそんなことは十分わかっているが,それには口をつぐみ,平和構築の美称で臭いものにふたをして,ヘリ部隊派遣を強行させようとしている。中国に後れをとるな,日本も派兵して資源の確保を図れ,というわけである。
 
やや深読みかもしれないが,これが朝日社説の真意だとすると,朝日は過去から何も学んでいないことになる。そもそも朝日は自己の戦争協力を検証し,それに基づき戦争責任を認めたはずである。これは「新聞と戦争」という特集記事として掲載され,あとで単行本『新聞と戦争』(朝日新聞社,2008)として公刊された。
 
 
この本については,井上ひさしが「過去の自己の活動を,驚くほど厳しく自己点検している」と高く評価している。また,赤澤史朗教授(立命大)も,朝日の戦争協力の事実を確認しした上で,この朝日の検証記事を高く評価している。
 
 「朝日新聞社が満州事変を契機に戦争支持へ社論を転換させ、戦意昂揚を煽る紙面作りをしたことは、従来から指摘されていた。その際、緒方竹虎など朝日新聞の首脳部の意図は、軍との協調関係を築きながら、他方で軍への批判や抵抗の芽も残しておこうとするものだったのかも知れない。しかし彼らには、どの地点で踏みとどまるべきか、どうしたら反撃に転じられるかということへの、見通しも勇気も欠けていたように見える。
 新聞社の戦争協力は、ずるずると多方面に広がっていった。戦争のニュース映画の製作と各地での上映、女性の組織化と国策協力への動員、文学者とタイアップした前線報道や帰国講演会など、そのいずれもが新聞の購読者の拡大につながるものだった。
 さらに進んで朝日新聞では、満蒙開拓青少年義勇軍の募集を後援し、戦争末期には少年兵の志願を勧める少国民総決起大会も開催している。そして新聞社が植民地や満州で、さらには南方占領地などで、新聞を発行し経営の手を広げるのにも、軍との良好な関係は大いに役立ったのである。」
 「日本の15年戦争は、マスメディアの協力なしには遂行できなかった。しかしこれまでその戦争責任を追及した研究は、外部の学者や元記者によるものであった。その点で朝日新聞が、自社の戦争協力を検証した「新聞と戦争」シリーズは、画期的な仕事といえるように思う。高齢の新聞社OBを探し出して取材する手法は、新聞社ならではのものであった。07年4月から1年間夕刊に連載されたそれは、日本ジャーナリスト会議の大賞を受賞し、連載をまとめた本書は570ページを超える大著となった。」 (http://book.asahi.com/review/TKY200807290119.html
 
朝日は自己の戦争協力・戦争責任を明確に認めた。では,それならどうして25日社説のような記事が書けるのか? 『新聞と戦争』と25日社説とは,どのような関係にあるのか? 朝日には,ハトとタカが同居しているのではないか? 朝日は,遺憾ながらジキル博士とハイド氏,危険な二重人格新聞ではないか?
 
■関連記事
 
スーダンPKO―目立たぬからやめるとは(朝日新聞社説 20107.25)
 南北統一の維持か、南部の独立か。アフリカ大陸のスーダンは、来年1月に実施する住民投票で岐路を迎える。20年以上にわたった悲惨な内戦が終結した後の和平プロセスの節目である。
 その支援のために、日本は国連スーダン派遣団(UNMIS)への陸上自衛隊ヘリコプター部隊の派遣を打診されていた。投票箱を運んだり、選挙監視要員を動かしたりといった活動に、国連や米国は期待を寄せた。
 しかし、菅政権は派遣を見送った。アフリカ内陸部にヘリ機材を送る困難さや安全性を主な理由に挙げている。
 破綻(はたん)国家再建の試みとして、世界の注目を集める国連平和維持活動(PKO)だけに、残念だ。
 スーダン南部では、2005年の内戦終結に伴い、70カ国近くのPKO要員約1万人が停戦監視や難民支援などにあたる。日本も08年から自衛官2人をUNMIS司令部に派遣してきた。
 「PKOへの積極参加」を掲げる民主党政権は、政権交代後、自衛隊によるインド洋での洋上補給活動を中止する代わりに、スーダンPKOへの部隊派遣を前向きに検討してきた。
 ところが最終的に、北沢俊美防衛相が100億円にのぼる経費や準備期間の長さなどをあげ、積極的だった岡田克也外相を押し切る形となった。
 気になるのは、防衛省が「自衛隊の評価につながらず、士気も上がらない」と、アピール度の低さを理由に難色を示した点だ。
 あまりに内向きな発想だ。まず考えるべきは、スーダンが日本の役に立つかどうかではない。日本がスーダンの役に立てるかどうかだろう。
 平和構築の大切さをわかっているのか。そんな疑いさえ抱いてしまう。平和構築は、民族紛争や内戦などで疲れ切った人々に救援の手をさしのべるためだけではない。
 国家が破綻していくのを放置すれば、国際社会へのとばっちりは計り知れない。テロや犯罪組織の温床となり、世界の安定を脅かす。平和構築は、それを阻む国際的な安全保障の意味合いが大きい。各国が協力する取り組みにできる範囲で加わる。それが回り回って日本の安全にもつながる。
 平和構築は「日本の存在感を世界に示せるかどうか」といった計算ずくで判断するべきことではない。
 今年のハイチ派遣でPKOの参加規模は増したものの、国際社会の期待はなお大きい。連立政権の複雑さや普天間移設問題の混迷があったとはいえ、鳩山由紀夫前首相、菅直人首相はもっと指導力を発揮できなかったものか。
 スーダン和平は住民投票を無事終えたとしても、さらに幾多の障害が予想される。まだまだ外からの支えが必要だ。菅政権は、次なる支援策の検討に大きな判断を示してもらいたい。
 

Written by Tanigawa

2010/07/25 at 15:43