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ゴビンダ医師のハンスト闘争(7)
3.マテマ委員会報告
ゴビンダ・KC医師は,保健医療の抜本的改革には「医学教育政策に関する上級委員会報告(マテマ委員会報告)」の実施が不可欠だと考えている。
ゴビンダ医師のハンスト闘争は,トリブバン大学医学部(IoM)人事への政治介入に反対して行った,最初のハンスト(2012年7月5日~8日)から始まる。人事は大きな利権であり,学部長など大学人事を巡っても政治家の介入が絶えなかった。ゴビンダ医師は,そうした政治介入により大学運営がゆがめられるのを阻止するため,大学人事は年功を原則とせよと訴えたのである。この要求は,以後,今回の第15回ハンストまで一貫して最も重要な要求項目の一つとして掲げられてきた。
1年半後の4回目のハンスト(2014年2月8~15日)になると,年功人事要求に加え,医科大学の新設手続き規正と地方開設推進,医学教育委員会(MEC)勧告の実施など,ゴビンダ医師の要求は国家の医学教育・医療制度全般の根本的改革にまで拡大した。
こうしたゴビンダ医師の改革要求に押され,スシラ・コイララ首相(NC,在職2014年2月11日~2015年10月12日)は2014年11月17日,「保健医療専門職教育に関する上級委員会(マテマ委員会)」を設置し,保健医療専門職教育(HPE)の現状と課題を調査し,報告を求めることにした。
ゴビンダ医師は,この委員会には委員としては参加していないが,マテマ委員長によれば,委員会の求めに応じ意見は述べている。
(1)保健医療専門職教育に関する上級委員会(マテマ委員会)
設置:2014年11月17日(S・コイララ内閣設置)
報告書提出:「医学教育政策に関する上級委員会報告2072(2015)」2015年6月29日(S・コイララ首相へ提出)
委員長:ケダル・バクタ・マテマ(元トリブバン大学[TU]学長)(注)
委員:SR・シャルマ(元カトマンズ大学学長)
委員:マダン・ウパダヤ(元TU医学部長)
委員:RK・アディカリ(元TU医学部長)
委員:B・コイララ(元TU教育病院長)
委員:G・ロハニ(保健省医療局長)
委員(事務局):H・ラムサル(教育省次官)
(注)Kedar Bakta Mathema. 1945年11月25日生。1991~94年トリブバン大学学長。(ネパール全大学の総長は首相[王制下では国王]。学長(vice-chancellor) は事実上の大学最高責任者。)1996~2003年日本,韓国,オーストラリア,ニュージーランド大使歴任。これまでに政府設置の教育,外交等に関する各種委員会委員歴任。
谷川昌幸(C)
スシル・コイララ前首相,憲法史に名を残すか?
スシル・コイララ前首相が2月9日,亡くなられた。77歳。1939年8月12日生まれ。首相在職2014年2月11日~2015年10月10日。
スシル前首相は,名門コイララ一族出身で,いずれも元首相のMP・コイララ,BP・コイララ,ギリジャ・コイララのいとこ。1954年頃からネパール民主化運動に参加。インド亡命16年間。反政府活動資金獲得のためのロイヤルネパール航空機ハイジャック事件(1973)に関与し,インドで逮捕,3年間投獄。
スシル前首相は,BPやギリジャのような雄弁なカリスマ的指導者ではなかったが,決断すべき時には果敢に決断し実行する,ネパール政界では数少ない「清貧政治家」だったという。その彼の最大の業績は,いうまでもなく2015年9月16日,首相として主要諸政党を説得し,制憲議会において「2015年憲法」を可決成立させ,9月20日大統領の名により公布施行したこと。
この2015年憲法については,マデシ諸党を中心に反対も少なくないが,歴史的にみると,それこそが長きにわたるマオイスト紛争を法的に決着させたことに疑いの余地はない。今後,この憲法が,必要な場合には適切に改正され,永続化することになれば,スシル・コイララ前首相の名はネパール憲法史に長く残ることになるであろう。
谷川昌幸(C)
制憲議会選挙(40):17議席指名
コイララ内閣が8月29日,暫定憲法第63条3(C)により,内閣指名26議席のうちの17議席17名を指名した。コングレス党(NC)8,統一共産党(CPN-UML)8,国民民主党(RPP)1。しかし,この指名には,問題が少なくない。
第一に,最も根本的な問題は,第二次制憲議会開会(1月22日)から7か月も経過していること。新憲法案が来年早々にも提案され成立するなら,憲法規定の指名26議員は憲法審議の半分以上に参加できなかったことになる。
指名26議員ぬきの議会には正統性がなく,したがって新憲法にも厳密には正統性はない。この問題は,党派対立が激化すれば,まちがいなく持ち出され,最高裁への提訴や,反政府運動のスローガンとされるだろう。
第二に,指名議席は26なのに,マオイスト(UCPN-M)やマデシ諸党の反対のため,NC,UML,RPPの3党推薦分しか指名できなかった。全議席が指名できなければ,制憲議会の正統性への懐疑は,むしろ深まるであろう。
第三に,指名には,相変わらずコネが強く働いた。NCは,当初,最高裁命令(5月12日)を無視して11月選挙落選者を候補として提出し,あとで撤回するという醜態を演じた。また,デウバら党内有力者も,人選が不公平だと非難している。
UMLは,ポカレル書記長の妻を党推薦し指名された。党内では,MK.ネパールらが,やはり不公平だと非難している。RPPのカマル・タパ議長は,弟を党推薦し指名された。彼は,汚職疑惑で調査されており,この情実推薦指名にも批判は強い。
このように見てくると,新憲法が本当に出来るのか,また,たとえ出来たとしても,それがどこまで正統性を持ちうるか,はなはだ心許ないと言わざるをえないだろう。
谷川昌幸(C)
第37代首相はスシル・コイララNC議長
1.首相選挙
ネパール制憲議会=立法議会は2月10日,コングレス党(NC)のスシル・コイララ議長(सभापति शुशिल कोइराला)を首相に選出した(सभापति =chairman, president)。第37代首相。
首相選挙立候補:スシル・コイララNC議長のみ。
議員総数:571(2月10日現在)
政党別議席数:NC196, 統一共産党(UML)175, マオイスト(UCPN-M)80, 国民民主党(RPP)24, 他96(2月10日現在)
出席議員数:533
賛成:405(NC,UML,RPP,共産党ML,MJF-L,他)
反対:148(マオイスト,他)
2.NC=UML連立政権
スシル・コイララ首相選出は,選挙で大勝したNCとUMLの「7項目合意」(2月7日)により,実現した。
▼NC=UML7項目合意(2月7日)
(1)新憲法は1年以内に制定。
(2)第1次制憲議会における憲法関係各党合意事項の承認・継承。
(3)新憲法施行前に大統領と副大統領を新たに選出。
(4)現大統領と現副大統領の任期は,制憲議会=立法議会において暫定的に延長する。
(5)UMLは,首相選挙において,スシル・コイララNC議長に投票する。
(7)制憲議会議長はUMLとし,NCはこれを支援する。
3.コイララ首相の公約
コイララ首相は,NC=UML連立内閣首相であり,当然,「7項目合意」が基本となる。この合意に基づき,彼は,首相選挙立候補演説において,つぎの「12項目目標」を公約した。
▼12項目目標(2月10日)(nepalnews.com, 10 Feb)
(1)和平プロセスの継続・完了。
(2)新しい民主的・共和的憲法の1年以内の公布施行。
(3)地方選挙の6か月以内の実施。
(4)経済発展と社会正義のための基本政策の作成。
(5)インフレ抑制。
(6)すべてのバンダ(ストライキあるいは閉鎖)の規制。
(7)紛争被害者の救済。
(8)法の支配による平和と秩序の確立。
(9)内外資本の投資環境の改善。
(10)インフラ建設および社会サービスの可及的速やかな促進。
(11)印中および他の友好国との関係の強化。
(12)すべての政党とつねに協力し,コンセンサスによる統治を目指す。
4.勇猛にして清貧
スシル・コイララ氏は,1939年生まれで74歳。独身で,質素な生活を好み,「清貧指導者(saint leader)」などとも評されている。
一方,スシル氏は,名門中の名門,コイララ一族の一員であり,パンチャヤト期にはBP・コイララ,ギリジャ・コイララらとともに激しい民主化闘争を闘っている。
特に有名なのは,1973年のギリジャをリーダーとするハイジャック事件。1973年6月10日,NC党員3人がビラトナガルを離陸したロイヤル・ネパール航空機をハイジャックし,インド・ビハール州に強制着陸させ,ネパール政府公金3百万ルピーを強奪した。反パンチャヤト武装闘争の軍資金とするためだった。スシルは,このハイジャック事件の支援メンバーの1人として逮捕され,デリー監獄に投獄されたが,1975年,保釈された(wiki)。
政党活動が禁止されていたパンチャヤト期には,ガネッシュマン・シン,KP・バッタライなど激しい実力闘争を闘い長期間投獄された政党政治家が,たくさんいた。スシル首相もその1人なのである。
5.揺り戻し
NC=UML連立コイララ内閣が,「行きすぎた」民主化革命体制からの揺り戻しとなることは間違いない。「12項目目標」を見ても,バンダ規制や「法の支配」強化があげられている。
NCとUMLは旧1990年体制の中心勢力だったし,コイララ首相に賛成投票したRPPも今回の選挙で26議席を獲得し勢力を回復しつつあ。
さらに,マオイストは野党を選択したものの,幹部らはこの数年で戦利品を十分すぎるほど手中にし,体制内化している。プラチャンダ議長自身,「1年以内の新憲法制定というコイララの公約は評価できる。われわれは,憲法制定を建設的な立場から支援する」と明言している(Republica, 10 Feb)。
だから,2007年暫定憲法体制からの揺り戻しは避けられないだろうが,問題は,それがどの程度になるか。たとえば,「12項目目標」の公約では,新憲法は「民主的・共和的」とされている。「連邦制」はない! たまたまなのか,それとも意図的なのか? もし意図的に落としたとすれば,これは大問題になる。
歴史的に見ると,イギリス革命,フランス革命など大きな革命はたいてい「行きすぎ」,それへの揺り戻しが起こり,結局,状況から見てそこそこ妥当なところに落ち着く。巨視的に見れば,ネパール革命も,そのような経過をたどるのではないだろうか?
谷川昌幸(C)
バブラム・バタライ,名誉職の不名誉な駆け引き
統一共産党毛派(UCPN-M)の副議長辞任を表明したバブラム・バタライが,党の名誉職(党長老)を引き受けてもよいと言っている。コングレスのSB・デウバとほぼ同様の地位。党序列2位ながら,党運営権限なし。
しかし,その一方,バタライは,議長と中央委員以外の役職・組織は廃止し,これにより党内対立を根絶せよ,とも要求している。もしこの提案通り党組織が改編されれば,副議長のNK・シュレスタや書記長のボガティは役職を失い,中央委員降格となる。自分は名誉職でいいよ,といいつつも,ちゃっかり計算している。ドロドロの党内権力闘争。
他方,マオイスト本家から分家したモハン・バイダ(キラン)CPN-M議長は,クルシード印外相訪ネ前夜に訪中し,親印派に親中を見せつけた。ところが,テレグラフ(7月17日)によれば,親印NCのスシル・コイララ議長は16日,楊厚蘭駐ネ中国大使と会談し,CA選挙に出るようバイダ議長を説得して欲しいと大使に頼んだのだそうだ。コイララ議長自身が,NEFINとの会合でこの話をしたというから,本当なのだろう。
親印のコングレス議長が,印とは犬猿の仲の中国の大使に,親中CPN-MのCA選挙参加説得を依頼する。内政干渉の依頼?
と,かくもネパール諸政党は,政党政治の理念から遠ざかり,複雑怪奇なズブズブの権力闘争にはまり込んだ。その意味でも,CA選挙は注目される。
谷川昌幸(C)
コングレス支持回復:ヒマール世論調査
ヒマールメディアが,2013年世論調査の概要を発表した。
調査期間: 2月中旬1週間
調査場所: 全国38郡
調査対象: 3508人
調査方法: 面接調査
政党支持率は,小差ながらコングレス(NC)が1位,以下,UML,UCPN-M,RPP,マデシ諸党となった。CPN-M(バイダ派マオイスト)は7位。これに対し,RPPは2派を合わせると,マデシ諸党よりもかなり大きい第4勢力となる。
首相候補でも,NCはスシル・コイララ党首が第1。UCPNは,バブラム・バタライ前首相が2位,プラチャンダ党首が5位と,かつての勢いはない。
調査の精度ははっきりしないが,このままいけばNCが勝利しそうな形勢だ。RPPも,カマル・タパ党首が首相候補第4位であり,そこそこ勢力を回復しそうである。
■政党支持率(Nepali Times, Mar.21, 2013)
谷川昌幸(C)
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