ネパール評論 Nepal Review

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ガルトゥング訪ネと積極的非暴力の理念

平和学の権威ヨハン・ガルトゥング教授(トランセンド平和大学学長)が,ネパール開催の平和集会(2月10~18日)に参加され,また政官民各界有力者と意見交換される。

130209 ■ガルトゥング教授(http://www.transcend.org/)

ガルトゥング教授は,2003年5月,2006年10~11月にも訪ネされ,和平交渉,とくに包括和平協定の締結に重要な役割を果たされたといわれている。

現在,ネパールでは,マオイスト連立政府(バッタライ首相)の無議会統治がずるずると続き,挙国政府設立のための諸党合意がいつになるのか皆目見当もつかない。正式憲法もなく,最高裁など主要国家機関の構成員も減少しており,統治の正統性そのものが日々損なわれていく。国家存立の危機といってよい。

今回のガルトゥング教授訪ネの目的も,講演や意見交換などを通して平和構築への合意形成を促し,平和プロセスを前進させることだという。成果を期待したい。

ところで,ガルトゥング教授の平和学の核心は,平和的手段による紛争転換(トランセンド)による「積極的平和」の実現である。この平和学は,グローバル化時代の平和理念として,広く認められている。また,ネパール人は,「消極的非暴力」は得意だが,「積極的非暴力」は不得手だ,という批判も鋭く的を射ている。

 *消極的非暴力=negative non-violence. 市民的抵抗,デモ,非協力など。非暴力による抵抗
 *積極的非暴力=positive non-violence. 国家構築,平和構築など。制度や組織の積極的構築

しかしながら,その一方,ガルトゥング教授は,積極的平和(積極的非暴力)をどう実現していくか,という点では,やや具体性に欠ける嫌いがある。「平和を求めるなら,飢餓をなくせ」(Nepali Times, #626)といわれても,「では,具体的にはどうのようにして?」ということにならざるをえない。

また,教授の連邦制論は一種の「原理主義」であり,観念論の域を出ない。「各州は,資源と言語等の自決権を持つが,それでも一つの国民・一つの国家の部分として機能する」(同上)といわれても,「では,どのように州を区画するの?」とか,「無資源州はどうするの?」とか,「少数言語必修の生徒の就職は?」などと問われたら,答えようもない。

ガルトゥング教授には,制度としての「王制」と具体的な「国王」個々人とは区別すべきだとか,同性婚は欧米では必要だがネパールでは時期尚早だ,などといった極めて現実的・保守的な主張もある(同上)。各論に入れば,教授も現実主義者とならざるをえないのだ。

ネパールはいま,理念というよりは各論をめぐって議論が錯綜し,収拾がつかなくなっている。そもそも「積極的平和」「積極的非暴力」は,具体的な各論がなければ空虚な観念論にすぎない。それは、「消極的平和」「消極的非暴力」よりもはるかに複雑多様で、高度な政治力を必要とする。現実との妥協も避けられない。難しい課題だが、教授には,あえてその各論に一歩踏み込み,できるだけ具体的な平和構築のための政策提案をしていただきたい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/02/09 at 18:22

正義か平和か:トランセンド法の可能性

谷川昌幸(C)

ネパール紛争は常態化し,今のところ解決の兆しは見られない。3月21日にも,交戦で30人以上の犠牲者が出た。内戦とは規定されていないが,30人以上もの死者が出る武力紛争は,常識では内戦であり,ネパールは内戦状態といってよい。

1.紛争地トレッキングの異様さ
この内戦のような内戦でないような状態――ここに,ネパール紛争の特徴があり,また解決の難しさがある。紛争で毎日のように死傷者が出る一方,都市部では平静な日常生活が営まれ,外人客はヒマラヤ・トレッキングを楽しんでいる。北側諸国,ましてや日本では絶対に考えられない状態だ。

たとえば,東京郊外や地方が内戦状態になっているのに,東京は平静,信州では楽しい山歩き――そんな異様なことが日本でありうるか? 絶対にない。人々が殺し合っているすぐそばを,楽しくハイキングするなどという感覚自体が,異常だ。

2.ダブルスタンダード
これは明白なダブル・スタンダードであり,構造的暴力だ。この構造的暴力を,加害者の側,つまり外人トレッカーに象徴される北側諸国やカトマンズ特権階級は容認している。そして,そこにネパール紛争の根本的な原因があり,またそれがこの紛争の解決を困難にしている元凶なのだ。

3.「平和」か?
もしそうだとすると,ネパール紛争の解決は,「平和」ではなく「正義」が目標になる。

「平和」とは,いまさかんに試みられている和平努力のことであり,つまりはパワーゲームである。これは対立する諸勢力のいずれに「正義」があるかは問わない。どこかで妥協し,戦争がない状態にすれば,「平和」(消極的平和)は実現される。その反面,「正義」を問わないから,問題そのものの解決にはならない。

この「平和」(和平)努力は,ネパールがグローバル化以前の伝統的社会であったなら,たぶん有効であっただろう。諸勢力が対立していても,社会構造の変更をめぐる対立ではないから,どこかでパワーエリート間の妥協がなり,新しい権力バランスが成立し,「平和」が実現される。

4.「正義」か?
ところが,いまのネパール紛争は,社会構造にかかわる紛争であり,構造的暴力の除去,つまり「正義」が実現されなければ,解決されないだろう。

しかし,ここで問題になるのは,周知のごとく,「正義」は対立する諸勢力のいずれの側にもある(と主張される)ことである。プロパガンダだけを見ると,構造的暴力除去としての「正義」は,明らかにマオイストの側にある。しかし,政治の世界では,プロパガンダ通りの行動は難しく,そうなると,国王や諸政党の側のプロパガンダの中にも「正義」はある可能性がある。

ネパール紛争の解決には,「平和」ではなく「正義」が必要だが,「正義」を求めると解釈をめぐって紛争になり,解決には「平和」を求めざるを得ないが,「平和」は「正義」の実現なしには実現されない・・・・

5.トランセンド
この難問とどう取り組むか? 一つの選択肢は,ガルトゥングの紛争転換(Transcend)だ。トランセンドについては,全くの素人であり,ガルトゥングの『平和を創る発想術』をぱらぱら見たくらいの知識しかないが,たとえば次のようなことらしい。

“私たちは紛争を「力で解決する」のではなく,いずれの紛争当事者もが満足できる平和的な解決法を見いださなければなりません。それは単に「解決」にとどまらず,「解決によって,創造性のあるアイデアを創り出す」ことです。これを私は「紛争の転換」と呼びます。”(p.2)

●沖縄米軍基地問題の場合(p.7)
<解決策>
1  琉球王国独立
1.5 永世中立国
2. 日本へ返還
3. 米軍駐留継続
4. 日米による共同管理
5. (考えるべきでない)

ガルトゥングの考える紛争転換(トランセンド)は,1か1.5だという。たしかに,沖縄を永世中立国にしてしまえば,基地問題の根本的転換(トランセンド)は実現する。どこまで現実的か別にして,論理的には,確かに紛争の転換ではある。

6.ネパール紛争の転換
このようなトランセンド法がネパール紛争にも適用可能か? 適用可能としたら,どの局面か? 今のところ,これは私には分からない。

ネパール紛争を解決するには,何かをしなければならない。その方法の一つとして,トランセンド法を学び,適用の可能性を探ってみたいと考えている。

*ヨハン・ガルトゥング『平和を創る発想術』岩波ブックレット,2003

Written by Tanigawa

2006/03/25 at 13:02