ネパール評論

ネパール研究会

父権社会ネパールの母子の苦しみ

1.日本の父権制
家族は人間関係の基礎だから,その在り方の変更は容易ではない。私自身,結婚の時,姓を籤で選択したところ,私が負け,戸籍上の姓は妻側のものとなってしまった。(家族法は夫婦別姓を認めていない。)

私にとって,これは便宜的なものに過ぎないが,両親や村の人々にとっては,そうではなかった。姓の変更は「婿」となることを意味し,もはやわたしは「谷川家」の一員とは見なされなくなった。冠婚葬祭も主催できない。このように,日本はまだまだ父権制・家父長制(patriarchy)であり,奥深いところで家族や地域社会の在り方がそれにより規制されいるのである。

日本全体についてみても,精神的には父権制が国家の在り方を根底において規定している。皇室典範第1条「皇位は,皇統に属する男系の男子が,これを継承する。」日本は男尊女卑の父権制国家なのである。

したがって,この事実を棚に上げ,ネパールを云々するのははばかられるが,それでも,少なくとも程度問題としてはネパールの父権制は日本のそれよりもはるかに頑迷だとはいってよいであろう。

2.男女平等の暫定憲法
ネパール暫定憲法の権利規定は,世界最高水準にあり,市民権・国籍についても父系と母系の平等を明記している。

「出生時に父または母がネパール国民であった者はネパール国民である。」(第8条2b)
「女性は,ジェンダーを理由とするいかなる差別をも受けてはならない。」(第20条)
「すべて子供は,彼または彼女自身のアイデンティティと名前への権利を有する。」(第22条1)

完璧といってよい。日本国憲法など,足下にも及ばない。

3.市民権なき子供たち
ところが,実際には,ネパールの母子の権利は,父権制的出生登録・市民登録制度により,厳しく制限されている。

■ Anjali Subedi, “Mother’s identity ‘insufficient’ for child’s birth registration,” Republica, 6 Aug.

スベディのこの記事によると,ネパールでは,母親だけでは,自分の子供の出生届もできなければ,国籍取得もできない。住民登録法(personal events act, 1976)は明記していないが,所管役所では,(1)父と母がネパール人であるか,(2)父の身分証明証の提出がなければ,子供の出生登録は受け付けない。出生届用紙には,子供の父親,祖父,祖祖父の記入欄がある。これらが記入されなければ,受理されないという。まさしく父権制そのものである。

4.身元証明必携の現代社会
スベディによれば,住民登録法制定(1976年)のころは,出生届も市民登録証も,たいていの人の実生活においては不必要であった。前近代社会では人々の移動は少なく,身元証明証(identity card)を提示しなくても,誰が誰かを知るにたいした不都合はなかった。

ところが,この数年来,人々の内外での移動が激増,見知らぬ人々の間の交際が日常化し,身元証明証が必要不可欠のものとなった。いま村や町の役所には,身分証明証を求める人々が押しかけているという。

現代社会では,市民登録証のような公的身元保証書証なければ,生活は困難となっているのである。

5.市民権なき子供たち
したがって,父が理由で出生届ができないと,子供も,様々なハンディを負わされる。たとえば,入学や旅行の制限。ダリットであれば,月200ルピーの給付金が受け取れない,等々。

特にタライでは,先にも述べたように,インド人の夫との間に生まれた多くの子供が無国籍となる,という深刻な問題が生じている。

6.憲法理念との乖離
ネパールは,日本より遙かに優れた人権保障憲法をもつ国だ。その世界最高水準の人権保障国家において,市民権や国籍が母の子に認められないのは,どう考えても不合理だ。

せめて,頑迷な家父長制国家・日本の子供たち程度には,権利が認められるべきであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/08/07 @ 15:54