ネパール評論

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生成AI問答(8): 内戦後,ネパールはなぜ単一国家から連邦制国家に変わったのですか? その変更に,反対はなかったのですか?

ネパールにとって,単一国家としての立憲君主制から連邦民主共和国への移行は,歴史を画する大事件。成功してネパールは発展を遂げていくか,それとも「民族州」絡みの地域対立が激化し,再び内戦に向かうのか? まだ,いずれとも言い切れない。

この難問について,今回はマイクロソフトBing(日本語版)に加え,最新のグーグルBard(日本語版)でも質問してみた。Bing回答は,典拠明記は好ましいが,いかにも平板。外務省やWIKIが典拠だからか? Bard回答は,Bingよりは一歩踏み込んでいるものの,やはり表面的・形式的。参照先がBingと同様,日本語資料のみだからかもしれない。

OpenAIのChatGPT(英語版)には,今回はDeepL自動翻訳を介して質問し回答してもらった。翻訳精度では,グーグル翻訳も素晴らしいが,DeepLは,今回試みた限りでは,それ以上にスゴイ。文句なし。そして,ChatGPT回答。これまたスゴイ! 論点を的確にとらえ,過不足なく答えている。どうしてChatGPTには,こんな見事な回答が出来るのだろうか?

推測にすぎないが,日本語版のBingやBardは,政府関係文書やWIKIなどの日本語資料しか参照していないからかもしれない。外国資料翻訳の手間を省いた分,回答が平板で説明不足となる。これに対し,英文ChatGPTは,おそらく世界中の関係資料を渉猟し,回答文を作成している。もしそうであるなら,回答が,より適切にして深くなるのは,当然と言えよう。

このように,BingとBard,そしてChatGPTを比較して見ると,生成AIという点では同じでも,①その回答は様々であり,②参照資料をちょっと変えれば,回答はどうにでも操作できる,ということがよくわかる。生成AIには,その気になれば世論操作など簡単,お茶の子さいさい,朝飯前なのだ。

恐ろしい。が,すでにわれわれは,21世紀の禁断の知恵の木の実を齧ってしまったのだ。もはや,どうにもならない!

*****<以下,生成AI回答>*****

Bing回答(質問回答=日本語)
内戦後、ネパールは2008年に単一国家から連邦制国家に変わりました。この変更は、ネパールの憲法制定議会によって承認され、2007年11月に署名された和平協定に基づいて実施されました。この変更には、反対する人々もいましたが、和平協定の一環として実施されたため、多数決で承認されました12。ソース: (1) 外務省: わかる!国際情勢 ネパールの民主化・平和構築プロセス (2) ネパールの和平プロセスにおける連邦制への移行と和解(高澤)(3) ネパール WIKI

Bard回答(質問回答=日本語)
ネパールは、内戦終結後の2015年に連邦制に移行しました。これは、国の統治をより民主的で包括的なものにし、ネパールのさまざまな民族グループのニーズをよりよく満たすために行われました。

連邦制への移行は、多くの異なる政治勢力間の長い交渉の末に行われました。ネパール共産党(毛沢東主義派)とネパール会議派は、どちらも連邦制の支持者であり、この問題で協力しました。しかし、連邦制に反対する勢力も多く、移行プロセスは困難でした。

連邦制への移行は、ネパールの歴史における大きな変化でした。それは、国の統治方法に大きな影響を与え、ネパールの未来に大きな影響を与える可能性があります。

ChatGPT回答(質問回答=DeepL翻訳)
ネパールが単一国家から連邦国家に移行したのは、主に、周縁化されたコミュニティの包摂と代表性を高めるという長年の要求と、ガバナンスと開発における地域の不均衡に対処する必要性からであった。1996年から2006年まで続いた、政府とマオイストの反政府勢力との間の内戦も、この移行に大きな役割を果たしました。

反政府勢力は、ダリットや少数民族など社会から疎外された人々の代表権を確保し、首都カトマンズへの権力と資源の集中を解決する手段として、連邦制を要求していました。2006年に紛争を終結させた和平プロセスの一環として、政府は連邦制の確立に合意し、2015年に採択された新憲法に明記された。

しかし、この変更には反対もあり、特に連邦制が国のさらなる分断を招き、民族間の緊張を悪化させることを危惧する人たちから反発があった。また、一部の政党、特に歴史的に支配的な地域に拠点を置く政党は、連邦制を自分たちの権力と影響力を脅かすものと考えて反対した。

こうした懸念にもかかわらず、連邦制は実施され、現在、国内は7つの州に分割されている。実施には時間がかかり、資源の分配や州境の画定をめぐる紛争など、いくつかの課題に直面している。しかし、連邦制は社会から疎外された人々により大きな代表性と包摂をもたらし、より参加型で民主的な統治システムを作り上げたと多くの人が主張している。

*****<以上,生成AI回答>*****

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2023/05/12 at 16:33

地方選,実施準備指示

プラチャンダ内閣は2月2日,地方選挙を5月24日までに実施する方針を決め,選管に準備を指示した。実施されれば,20年ぶりの地方選となる。

たしかに,必要な選挙関係諸法のうち,政党要件を定める「政党法」を除く他の諸法はほぼすべて成立した。しかし,地方選挙を現行地方制度(旧憲法体制)でやるのか,それとも新しい連邦制体制でやるのかさえ,まだ決まっていない。州や町村の区画,とくに第2州については,いまなおマデシ諸勢力等の反対がつよく,確定していない。

そのため,選管が1月8日,地方選に出る政党は1月30日までに地方選管に政党登録をせよ,と公告したが,締め切りまでに登録したのは45政党のみであった。(中央選管登録は111政党。)

こうした状況で,プラチャンダ首相は,5月地方選実施を強行できるのであろうか?

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■憲法規定の州区画(Wikimedia Commons)/表彰される選管委員(選管HP)

*1 “Local polls by 24 May,” Nepali Times, Feb. 2, 2017
*2 Sangeet Sangroula, “Govt writes to EC for local poll preparations,” Republica, Feb. 3, 2017
*3 “EC now has 4 of 5 laws needed for local poll,” Republica, Feb. 3, 2017
*4 PRITHVI MAN SHRESTHA, “45 parties registered with EC for local elections,” Kathmandu Post, Feb 2, 2017

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/02/03 at 12:24

カテゴリー: 選挙, 議会

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地方選,5月実施?

ネパールの代議院議員任期は5年だが,経過規定(憲法296条)により現議員(立法議会議員)の任期は2074年マーグ月7日(2018年1月21日)まで。はや1年を切っている。したがって,代議院議員選挙の準備を急がなければならないが,それには,なによりもまず州,郡,町村の選挙を行い,正統な地方政府を構成しておくことが必要である。(上院の方は議員の大半が地方と州の長や議員から互選されることになっており,町村や州の正統な政府が成立していなければ,そもそも選出できない。)

これは,政治的にも実務(事務)的・経済的にも,たいへんな大事業である。へたをすると,国家そのものが選挙倒産しかねない。本当に,実施できるのだろうか?

準備は進められている。立法議会(連邦議会)は1月25日,「改正選管法」と「有権者登録法」を可決した。そして,地方(स्तनिय),州,連邦の3レベルの選挙を実施するに必要な他の法令や制度の準備も急いでいる。

しかし,州については,マデシ諸勢力が現行憲法付則の州区分に強硬に反対,議会ではこの部分の改正につき議論が続いている。州区画は,事実上まだ確定していないといっても過言ではない。この状態で,どのようにして州議会選挙を実施するのか?

地方レベルの村(गाउँ)や町(नगर)も,当然,どう区画するかをめぐり,タライを中心に,大混乱している。現在,地方自治体は町が217,村が3117あるという(CBS2002では町58,村3915)。「地方制度再編委員会(LLRC)」は1月6日,これらを719に再編・統合する答申書をプラチャンダ首相に提出した。

このLLRC答申は,地方自治体を「人口と地理」を基準に719に区分している。これに対し,タライ諸勢力は,「人口」を基準に区分すべきだと主張している。タライは人口が多い。タライは,答申では719自治体のうち30%しか配分されていないが,「人口」だけを基準にすれば,少なくとも45%は配分されることになる。これは,州区分争いと同じ構図だ。町村は生活に近いだけに,州区分以上に再編・統合は難しいだろう。(日本では平成大合併の後遺症がなおも継続中。)

 ▼1町村の区画基準人口(LLRC,2016年10月)
  地 域  村(ガウン) 町(ナガル)
  山 地 13,000    17,000
  丘 陵 22,000    31,000
  タライ 40,000    60,000

現状はこのような有様なのに,プラチャンダ首相は,必要な法令を成立させ,5月半ばまでに地方選挙を実施すると繰り返し明言している。自らの手で地方選挙を断行し,これをてこに,州議会選挙と連邦議会選挙を実施しマオイストを勝利に導きたいと考えているのだろう。

しかし,本当にプラチャンダはこれらの選挙を実施できるのであろうか? あるいは,かれ,または他党の誰かがこれらの選挙を実施するとして,それでネパールの財政はもつのであろうか? 

ネパールに設計主義的な選挙民主主義(選挙原理主義)を押し付けた国連や西洋諸国は,責任を免れない。必要なカネとヒトの支援を惜しむべきではあるまい。

170129■松本の姉妹都市カトマンズ(同市HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/01/29 at 16:59

憲法改正案,審議入りか

政府が2016年11月29日に議会に提出していた憲法改正案が,UML等の反対はあるものの,いよいよ審議入りとなりそうな雲行きだ。

現行2015年憲法は,それに基づく国政選挙や地方議会選挙も行われておらず,実質的にはその基幹部分がほとんど具体化されていない。その意味では,憲法はまだ形だけといっても言い過ぎではない。

ところが,それにもかかわらず,政府はその憲法の重要部分7か所を早々と改正するのだそうだ。しかも,その政府提出改正案ですら,反対派との泥沼交渉により,またまた修正ということになるかもしれない。この調子では,憲法改正案の改正案の,そのまた改正案の・・・・といったことになりかねない。

というわけで,あまり気は進まないが,重要問題ではあるので,一応,正式の政府提出憲法改正案の概要を紹介しておく。ただし,諸要求をつぎはぎしたため,複雑にして難解なため,誤読があるかもしれない。不審な部分があれば,原文でご確認ください。

第6条 ネパールで話されるすべての母語は,国民言語(national language) である。
改正案⇒第6条 ネパール政府は,言語委員会の勧告に基づき,すべての母語を憲法の付表に掲載する。

第7条(2) ネパール語に加え,各州は,州法に則り,州民の多数の話す1つまたはそれ以上の国民言語を公用語とする。
改正案(第7条(2)に(a)追加)⇒第7条(2)(a) 政府は,言語委員会の勧告に基づき,公用語とされたすべての言語を憲法の付表に掲載する。

第11条(6) ネパール人と結婚した外国人女性は,希望するなら,連邦法の定めるところにより,ネパールの帰化国籍を取得することが出来る。
改正案⇒第11条(6) ネパール人と結婚した外国人女性は,希望するなら,外国籍放棄手続き開始後に,連邦法に則り,ネパール帰化国籍を取得できる。

第86条(2)a 56議員は,州議会議員,村会の議長と副議長,および市の市長と副市長からなる選挙人団の中から選出される。投票には,それぞれ重みを配分する。各州から8議員を選出し,その中には少なくとも女性3人,ダリット1人,および障害者または少数者集団に属する者1人を含まなければならない。
改正案⇒第86条(2)a 56議員は,州議会議員,村会の議長と副議長,および市の市長と副市長からなる選挙人団の中から選出される。投票には,それぞれ重みを配分する。各州から3議員以上を選出し,その中には少なくとも女性3人,ダリット1人,および障害者または少数者集団に属する者1人を含まなければならない。それ以外の35議員は,各州の人口に基づき選出する。ただし,連邦法に則り,各州から人口比に基づき選出される35議員のうち14議員は女性とする。

第287条(6)a 公用語の要件を決め,ネパール政府に勧告する。
改正案(第287条(6)aに1)を追加)⇒第287条(6)(a) 1) 第6条に則り,ネパールで話されるすべての母語の表をつくり,ネパール政府に提出する。

付表(4)
第5州 ナワルパラシ(ススタ・バルダガート以西),ルパンデヒ,カピルバストゥ,パルパ,アルガカンチ,グルミ,ルクム(東部),ロルパ,ピュタン,ダン,バンケ,バルディヤ
改正案⇒第5州 ナワルパラシ(ススタ・バルダガート以西),ルパンデヒ,カピルバストゥ,ダン,バンケ,バルディヤ

第4州 ゴルカ,ラムジュン,タナフ,カスキ,マナン,ムスタン,パルバト,シャンジャー,ミャグディ,バグルン,ナワルパラシ(ススタ以東)
改正案⇒第4州 パルパ,アルガカンチ,グルミ,ルクム(東部),ゴルカ,ラムジュン,タナフ,カスキ,マナン,ムスタン,パルバト,シャンジャー,ミャグディ,バグルン,ナワルパラシ(ススタ・バルダガート以西),ロルパ,ピュタン

161225a■2015年憲法の州区画(Wikimedia Commons)

*1 “Govt registers 7-point constitution amendment bill,” Republica, November 30, 2016
*2 “SC gives nod for Constitution amendment bill,” Business Standard, 2 Jan. 2017
*3 “Govt preparing to table constitution amendment bill tomorrow,” Republica, January 7, 2017

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/01/08 at 04:59

カテゴリー: 議会, 憲法

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連邦制,希望から失望へ(4)

3.連邦制はインド押し付け
連邦制はインドの押し付けだとする説は,左右を問わずナショナリストに共通する見方である。たとえば,チトラ・B・KC元副首相(人民戦線議長)は,新聞インタビューにおいて,こう語っている。
 ▼”Federalism in Mepal an Indian design: Ex DPM KC,” Republica, 16 Dec. 2016.

ネパール経済は連邦制の重荷に耐えきれない。「連邦制はネパールのガンだ。」にもかかわらず,「政府は,インドの要求に沿うため,[連邦制に関する]憲法改正案を議会に提出した。これは,解決にならないどころか,逆に,事態をさらに紛糾させただけだった。」

「インドは,タライ‐マデシュ地方をネパールから分離しインドに併合することを目論み,連邦制をネパールに押し付けてきたのである。」

161230

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/30 at 17:21

連邦制,希望から失望へ(3)

2.シャンブー・デオ「アイデンティティ連邦制よりも分権化を」
アイデンティティ連邦制を原理的に批判し,民主的な集権化と分権化の必要性を説いているのが,この記事。少々難解だが,要旨は以下の通り。
 ▼Shambhu Deo, “Identity-based federalism: Decentralization is a better option,” Himalayan Times, 21 Dec. 2016.

「アイデンティティ連邦制(Identity-based federalism)は,ネパールにとって耐え難いリスクである。・・・・包摂的な民主主義,開発,平等を実現し,国民に効果的なサービスを提供する国家の責任を果たすには,アイデンティティ連邦制よりも実効的な分権化の方が効果的である。」

「南アジア諸国の大半は,20世紀半ばまで英国の植民地だった。それらの国々は,独立すると,アイデンティティに基づく連邦制をとりやすかったので,それを採用した。これにより,文化的,言語的,宗教的,民族的に異なる多くの小国家の人々を,一つの国にまとめたわけである。ところが,ネパールは,すでにこの段階を乗り越え,強く団結した統一国家になることに成功していた。」ネパールは,連邦制の長い経験を持つアメリカやスイスとも,膨大な人口を持つインドとも異なる。「2千9百万のネパール人は,分割されない一つの統一体として生きていくことができる。」

「連邦制は,各部分が統治機構を持つので,他と比べコスト高の統治制度である。」また,「連邦制は,インドで経済的不平等,民族格差,地域格差が拡大していることを見れば明らかなように,それ自体,政治的,経済的,地域的,民族的平等への前進を必ずしも保証するものではない。」ネパールでも,階級の方がアイデンティティよりも重要なのだ。

それにもかかわらず,ネパールは,単一制国家構造を放棄したため,人々の統合が弱体化し,政治が不安定となり,法と秩序が揺らぎ始めた。「アイデンティティ連邦制をさらに推し進めると,この国は暴力と終わりなき紛争に陥るだろう。そのようなことは止めるのが賢明だ。」

「国家は集権化と分権化の双方を必要とする。」「分権化は,民主主義の最小単位たる個人をてこに,国民統合と民主化を推進する。分権化された地方統治は,国家の民主主義のレベルを判断する指標である。」

「ネパールにおいて,より効果的に人民の要望に応えうるのは,アイデンティティ連邦制ではなく,定期的に選出される分権化された地方統治制である。アイデンティティ連邦制は,複雑で,コスト高で,不平等を拡大し,国民統合を脅かす制度であるにもかかわらず,主権を分割し,その連邦制[の各州]に自立権を与えるのは,ネパールには受け入れがたいリスクである。」
161225a■2015年憲法の州区画(Wikimedia Commons)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/30 at 01:12

連邦制,希望から失望へ(2)

1.M・パウダャル「連邦制はなぜ失敗するのか?」
最近の連邦制批判としては,たとえばジャーナリスト,K・パウダャルの次のような記事がある。かれは,こう述べている。(大意紹介。正確には原典参照。)。
 ▼Mahabir Paudyal,”Why federalism is failing,” Republica, December 10, 2016.

(1)連邦制の政治的・経済的コスト
「専門家や学者は,ネパールには連邦制は維持できない,と警告してきた。」経済的には,2回の制憲議会選挙(2008年と2013年)で600億ルピーを費やしたし,印ネ国境封鎖によるダメージも大きかった。

政治的には,首相がいくら替わっても,連邦制問題は未解決のままだ。「連邦制推進派と反対派の対立抗争が日常化した。」議会でも解決できなければ,強力な委員会を設置してみても,解決できない。

「このように見てくると,連邦制は,これまで平和構築や憲法制定における『偉大な』成果の一つとされてきたが,実際には,連邦制への移行の前に,連邦制は欠陥品だとの烙印を押される瀬戸際にまで追い詰められている。どうして,このようなことになってしまったのか? 他に選択肢はないのだろうか?」

(2)周縁諸集団の支持獲得手段としての連邦制
ネパールの主要諸政党は,元来,連邦制には好意的ではなかった。ところが,マオイストが人民戦争後期になって,[高位カーストによる封建的中央集権体制により周縁化されていた]ジャナジャーティやマデシの支持を得るため,連邦制を前面に出し始めた。和平合意後も,制憲議会選挙において,マオイストは連邦制を公約に掲げた。

これに対抗するため,UMLは2006年に連邦制支持を決め,NCも翌2007年11月の党大会において連邦制支持を決議した。こうして,「連邦制は,第1次制憲議会選挙[2008年4月]のころから広く支持されるようになった。」

その結果,様々な社会諸集団が,それぞれ自分たちの州を要求し始めた。「そして,その時々の政府が,それぞれの集団の州要求に応えることを約束し,合意書に署名し始めた。第1次制憲議会末期までに,連邦制は使いまわされ,乱用され,その結果,問題解決のための制度というよりは,むしろ諸問題の源泉とさえ見られるようになった。」

(3)連邦制の名目化
第二次制憲議会選挙(2013年11月)では,連邦制を強く要求してきた人々が敗北した。その結果,いまでは連邦制を原則[建前]としては受け入れるが,マオイストやマデシが要求してきたような連邦制には反対する人々が主流となった。

「ネパールの政治家たちは,すでに後悔しているようだ。ネパール会議派幹部のアムレシュ・クマール・シンはこの7月,ネパールの連邦制は失敗すると警告した。『連邦制は,ネパールではうまくいかない』と,彼はBBCネパールに語っている。KP・オリUML議長も,結局,こう認めた――すなわち,UMLは,諸問題を解決してくれると期待して連邦制を輸入し受け入れたが,『今ではもはや』そんなことは信じてはいない,と。他の諸党も,いずれ連邦制を放棄するのではないかと思われる。」

■カナク・マニ・デグジトがこの記事ツイート(12月11日)。イラストは難破寸前の連邦制。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/26 at 19:00

カテゴリー: 憲法, 民族, 民主主義

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連邦制,希望から失望へ(1)

ネパールは2008年5月,制憲議会初会議において賛成560,反対4の圧倒的多数をもって王制を廃止し,連邦制の共和国となることを宣言した。「ネパールは,・・・・連邦民主共和国である」(2007年暫定憲法4(1)条[2008年5月29日改正])

この連邦制規定は,現行2015年憲法4(1)条に,そのまま継承されている。連邦制が,現代ネパールの最も基本的な国家理念の一つであることは明白である。

連邦制は,長年にわたる封建的中央集権支配への反発が強かっただけに,ネパールでは期待が極めて大きかった。西洋諸国を中心に国際社会も,民族やカーストあるいは地域,すなわち様々なアイデンティティを持つ社会集団に対する積年の根深い差別を解決できる制度として,連邦制の導入を物心両面で強力に支援した。

こうして,ネパールにおける連邦制は,社会集団の独自性や集団としての権利を特に強調する「アイデンティティ連邦制(identity federalism; identity-based federalism)」の側面が極めて強いものとなった。ネパールの人々は,その連邦制に政治の抜本的改革への希望を託したのである。

ところが,ここにきて,こうした連邦制評価やそれへの期待に対する批判が目に付き始めた。連邦制は,ネパール政治改革の特効薬であるどころか,むしろ逆に,混乱と浪費の根源であり,よくて実現不可能な観念論,悪くするとネパール国家を破滅させかねないというのである。

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■2015年憲法の州区分(Wikimedia Commons) / NEFINポスター(同HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/25 at 20:32

カテゴリー: 憲法, 民族

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プラチャンダ訪印と憲法改正問題

プラチャンダ首相が9月15-18日,インドを訪問した。初の外国公式訪問。訪印中の両国会談では,経済協力や防衛治安協力も取り上げられたが,注目されたのは,やはり憲法改正問題。

モディ首相:「首相閣下の賢明な指導の下,包摂的対話を通して多様な社会のすべての人々の要望を受け止め,憲法をうまく施行されていくに違いないと,私は確信しています。」(*1)

プラチャンダ首相:「ネパール国民選出の制憲議会による昨年の憲法公布は,歴史的な成果であった。わが政府は,すべての人々の参加をえてネパール憲法を施行していく真摯な努力を続けてきた。/タルー,マデシ,ジャナジャーティのことを真剣に考え彼らの正当な要求に応えなければ,新憲法施行の環境は整わない。/民族,言語,カースト,階級に違いはあっても,ネパールの国家と国民を統一していかなければならない。/もし人々を統一できなければ,政治危機が拡大するだろう。」(*1,4)

これらネ印両国首相の発言を見る限り,ネパール憲法については,評価がほぼ一致しているように見える。しかも,インド側は,慎重に,こう念押しさえしている。

V・スワラップ印外務省報道官「憲法制定はネパールの国内問題だ。われわれは,そこに介入したことは決してない。何が最善かを決めるのは,ネパール国民である。」(*4)

しかし,非公式の場では,マデシの要求する憲法改正をめぐり,かなり突っ込んだ議論があったといわれている。ネパール側が印政府に対しネパール憲法「歓迎」の表明を求めたのに対し,印政府はこれを拒否したとも伝えられている。もしそれが事実なら,憲法改正が依然としてネ印間の懸案として残っているということになる。(*5)

そうした中,ネパールでは憲法記念日(9月20日)が祝われたが,報道を見る限り,あまり盛り上がらなかったようだ。国家構成の基本たる憲法について評価が鋭く分裂している現状は,政治的に健全な状態とは到底いえないであろう。

160924■在印ネ大使館HP

*1 KALLOL BHATTACHARJEE, “Nepal constitution, a historic achievement: Prachanda,” The Hindu, September 17, 2016
*2 Shubhajit Roy, “Involve all in implementing Constitution, India tells Nepal,” The Indian Express, September 17, 2016
*3 NAYANIMA BASU, “Nepal’s Constitution amendments dominate Modi, Prachanda talks,” The Hindu Businessline, Sep 16, 2016
*4 “Never Been Prescriptive In Nepal’s Constitution Making: India,” NDTV, September 16, 2016
*5 Ram Khatry, “Report claims PM Narendra Modi refused to “welcome” Nepal constitution,” southasia.com, 17 September 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/24 at 16:22

英国人画家,デモ参加容疑で逮捕(2)

釈放
政治活動容疑で逮捕された英国人画家マーティン・トラバース氏(41歳)が,16日午後,釈放された。「取り調べの結果,政治活動をしていないことがはっきりしたので,この旅行者を英国大使館に引き渡した」(カトマンズ警察DSPプラジト・KC)。(*1)

15日逮捕時の状況
(1)トラバース氏の説明
リパブリカ紙(*1)によれば,トラバース氏は次のように説明した。15日,ダルバールマルグからパタンに行こうとしていたら音楽が聞こえたので,行ってみた。「そこで演奏をしている写真を撮っていると,ピケ隊の何人かに引き入れられ,座らされ,頭にバンダナ(ハチマキ?)をつけられた。」そのバンダナに何が書いてあるかは,まったく知らなかった。

これまで,この種の活動に参加したことはないし,この日の抗議行動の目的も知らなかった。ネパールには震災救援のために来たのであり,政治活動はしていない。「私だけでなく,旅行者はだれでも,催事に参加するのなら,その意味を理解しておくべきだ。」(*1)

(2)内務省の説明
AP記事(*2)によれば,トラバース氏は,「われらのアイデンティティを認めよ」とシュプレヒコールを上げているデモ隊のメンバーと同じ赤のハチマキをしていた。警察は,その写真を撮り,トラバース氏を逮捕した。またリパブリカ紙は,こう書いている。「治安当局は,写真や他の画像[ビデオなど?]を使い,旅行者の政治活動を監視しており,もし参加がわかれば,厳しい措置をとる,と内務省は述べている。」(*1)

不可解な説明
これらの説明は,トラバース氏の側のものも治安当局の側のものも,実に不可解だ。トラバース氏が,マデシ・ジャナジャーティ同盟の抗議活動のことを何も知らなかったとは全く信じられないし,写真など証拠をもつ警察が逮捕後あっさりと「無実」が証明されたと説明するのも変な話だ。

監視社会ネパール
これまで幾度も指摘してきたように,ネパール,とくにカトマンズは,いまでは世界有数の監視社会となっている(*4,5)。街中いたるところに監視カメラがあり,ちゃんと作動している。デモやピケなど,あらゆる出来事が,一部始終,カメラで監視されているはずだ。

トラバース氏の行動も,治安当局は,はっきり見ていたに違いない。そのうえで逮捕して一日勾留,翌日,呼び出しに応じるという条件を付けたうえで,「政治活動とは知らなかった」ということにして,英国大使館に身柄を引き渡した。

このような逮捕・勾留・釈放に関するメディア報道は極めて不自然だが,それだけに,かえってそこに込められているメッセージははっきりしている。すなわち,ネパール治安当局は外国人の行動を監視しており,いつでも逮捕できるということを,メディアを通して外国人に知らしめるということである。

 160518■外国人らしき人も多数みられる(Madhesi Youth FB, 17 May)

*1 KAMAL PARIYAR, “BRITON NOT ‘POLITICALLY INVOLVED’ IN SIT-IN, RELEASED,” Republica, 17 May 2016
*2 “Detention of Briton sparks concerns over Nepal’s democracy,” AP=Himalayan, May 17, 2016
*3 “Briton detained in Nepal released after anti-government protest arrest,” Belfast Telegraph, 17/05/2016
*4 監視カメラ設置,先進国ネパールから学ぶな
*5 前近代的共同体監視社会から超近代的カメラ監視社会へ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/18 at 13:50