ネパール評論

ネパール研究会

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人民政府不動産登記と「9項目合意」

人民戦争のころ,マオイストは支配地域において人民政府を設立し,実効支配をしていた。人民政府は,行政窓口で地域住民の身分関係変更や不動産取引などの届け出を受け付け,人民法廷で民事・刑事事件の裁判を行い,判決を執行した。それらの行政手続きや統治行為はおびただしい数にのぼるが,和平後の現在,それらはどう評価され,どこまで有効とされているのだろうか?

問題は多岐にわたるが,いまUML・UCPN「9項目合意」(5月5日)との関係で注目されているのが,人民政府の下での不動産移転登記の有効性。身近な家や土地にかかわることであり,事態は深刻だ。たとえば,ハリ・ガウタム(*)は次のような事例を紹介している。
 *HARI GAUTAM , “In the name of the people,” Nepali Times, May 22, 2016

【事例1】
ルクム郡の住民Aは2004年,Bの土地を17万3千ルピーで買い,郡人民政府で登記し,以後,その土地を耕作してきた。

ところが,2006年和平により,人民政府の土地登記は無効とされ,土地は元の所有者Bに戻されることになった。これを受け,Bは2010年,Aが耕作し続けている土地をAの隣人Cに売却し,政府事務所で登記した。

Bから土地を買い登記したCは,Aに対し土地の明け渡しを要求したが,Aは拒否。そこでCはルクム郡裁判所に訴え,土地所有権はCにあるとする判決をえた。

この判決によりAは土地を取り上げられ,これまで住んでいた村を出て別の村に移り,土地なしスクォッターとして生活している。

【事例2】
ルクム郡のDは2003年,Eの土地を買い,郡人民政府で登記した。ところが,和平後,郡裁判所はDの土地登記を無効とした。しかし,Dは土地の引き渡しを拒否し,自らの土地所有権の確認を要求し続けている。

 160527■ルクム郡役所(同FBより)

以上の2例は,多くの事例の一部にすぎない。著者によれば,ルクム郡だけで約3500家族が人民政府による土地登記を無効とされ,すでに土地を失ってしまったか,これから失う恐れがるという。なお,購入代金の扱いについては,記事では全く触れられていない。

この問題については,これまでにも繰り返し議論されてきた。2012年,バブラム・バタライ政府(マオイスト)が人民政府による不動産登記を有効とする決定をしたが,これは最高裁により無効判決が下された。

ところが,先述のように,またもやオリ首相(UML)がプラチャンダUCPN議長の求める「9項目合意」に同意し,人民政府による不動産登記を有効と認める約束をしてしまった。

このように,関係地域住民は,不動産登記に関する中央の政治決定に翻弄され続けているが,これは10年の長きにわたる人民戦争の戦後処理であり,どう決めても,どこかに不平不満が出ることは避けられない。

しかも,人民戦争は,中央政府とマオイストのいずれも決定的な勝利を得られないまま,国際社会の仲介により和平をもって終息した。そのため,内戦継続による犠牲拡大は免れたが,そのかわり和平はあいまいな妥協によるものとなり,戦後処理は,それだけ難しいものとなってしまった。

そのつけの一つが,「9項目合意」の主要項目の一つとなっている,内戦期における家や土地の移転登記の有効性をめぐる争いなのである。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/27 at 15:06

憲法骨格案も課題一覧も作成できず,CPDCC

「憲法に関する政治的対話と合意形成委員会(CPDCC)」(バブラム・バタライ議長=UCPN)は,憲法骨格案を10月16日までに,それができない場合は,投票用課題一覧を17日までに,制憲議会に提出することになっていたが,なんと驚くなかれ,バブラムCPDCC議長は,そのいずれもしなかった,いやできなかった。ネパールでは,紛糾すればするほど,合意形成機関の名前が長~くなり,合意形成期間も長~くなる。(参照:憲法基本合意,また延期

141021 ■バブラム・バラライTwitter

バブラムCPDCC議長は,議会への答申の代わりに,最後の「最後の話し合い」を求め,その結果,今日10月21日と明日22日に,それが行われることになった。コイララ首相と主要3党代表の出席が要請されている。

一方,制憲議会「憲法起草委員会」のクリシュナ・シタウラ議長(NC)は,憲法起草には最低1か月はかかるので,憲法骨格案の答申が11月1日までになければ,1月22日の憲法制定・公布には間に合わない,と警告している。

10月21~22日の最後の「最後の話し合い」がどうなるか予断を許さないが,現在のところ,CPDCC答申が11月1日までまたまた延期される可能性が高い。

それでも答申がない場合はどうするか? NCとUMLは,連邦制,政府形態,司法,選挙制度など,意見の分かれる部分については議会での投票採決を主張している。議会多数を制しているから,当然といえよう。

これに対し,マオイスト(UCPN-M)を中心とする22党連合は,「12項目合意(2005)」などを引き合いに出し猛反対,投票に持ち込めば,街頭に出て実力阻止を図る構えだ。

この点については,すでに指摘したように,合意形成も投票採決も実際には困難な状況だ。(参照:憲法基本合意,また延期

そこで再び注目され始めたのが,10月8日復活した立憲政府の上の政治的「政府」たる「高次政治委員会(HLPC)」(プラチャンダ議長=UCPN)。議会内の正規手続きでは決着をみなければ,結局,議会外の主要諸勢力の手打ちで政治的打開を図る。豪傑プラチャンダならやれそうな気もするが,たとえ成功しても,それは一時的で,民族アイデンティティ政治をいつまでも封じ込めるのは無理だろう。

結局,憲法制定・公布をまたまた延期し現状維持を策すのが,最も現実的な解決策ということになりかねない。厄介なことだ。

* Cf. Kathmandu Post & Nepalnews.com,19 Oct; Ekantipur & Republica,20 Oct.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/10/21 at 11:34

軽い日本,重い中国

ネパールにとって,日本はますます軽く,中国はますます重くなってきた。たとえば,先日の,ほぼ同時期の木原誠二外務副大臣(Vice-Minister,外務大臣政務官)の訪ネと,バブラム・バタライUCPN-M幹部の訪中の扱い。

1.木原外務副大臣の訪ネ報道
木原外務副大臣の訪ネ(5月7-8日)は,2012年4月の玄葉外務大臣訪ネ以来の日本要人の訪ネであったが,ネパール各紙の扱いはごく控え目であり,ほとんど注目されなかった。

木原副大臣は,大統領,首相,外務大臣などネパール側要人と会談した。また,日本援助事業を視察し,社会・経済開発支援,民主化支援などの継続も確認した。ところが,新聞は,こう報道している。

「(日本大使館の)浜田氏によれば,副大臣は,今回の訪ネにおいて,いかなる二国間援助の約束も,いかなる事業計画への署名もしないという。」(Himalayan, 6 May)

冷めている。あまり期待はされていない。しかも,各紙は,木原副大臣が,ネパールに対し,次期国連安保理非常任理事国選挙において日本を支持することを要請したとも伝えている。つまり,木原副大臣の訪ネは安保理選挙運動のためだ,と見透かされているのだ。

この情況では,ネパールの1票は期待できないのではないか? かつて(2000年8月),日本の安保理入りへの支持を得るため森首相がわざわざ訪ネしたにもかかわらず,ネパールは日本に1票を入れず,中国に恩を売った。ましてや今回は,中国がちょっと動けば,日本への1票は期待薄であろう。

ネパールは,もはや日本をそれほど必要とはしていない。

2.バブラム・バタライUCPN-M幹部の訪中
対照的に,中ネ関係はますます重要となりつつある。両国要人の相互訪問も日常化している。たとえば,木原副大臣訪ネと前後して,バブラム・バタライUCPN-M幹部が訪中した。

バタライ氏は,今回の党大会(5月7日閉会)で中央委員会から離脱し,現在は無役。ところが,その無役のバタライ氏が一私人として家族を連れ訪中すると,中国政府は,要人の公式訪問と同等以上の処遇をもって応えた。

バタライ氏の今回の訪中は,実に興味深いものだ。5月7日,ラサ経由で成都着。成都には,数名の中国共産党要人がわざわざ北京からやってきて,バタライ氏と会談した。共産党四川省書記や成都市長も彼と会談した。

翌8日,バタライ氏はラサに戻り,中国政府要人と会談し,シガツェに移り,そこで1泊。さらに次は,中国政府の手配により,チベット最西部のマナサロワールに行っている(詳細不明)。

この間の一連の会談において,中国側はバタライ氏に対し,チベット問題での協力を要請した。これに対し,バタライ氏は中国側にこう請した。

「ネパールは,中印間の強靱な架け橋となりうる。チベット鉄道をインドにまで延伸し,南北道路をコシ川,ガンダキ川,カルナリ川沿いに建設すべきだ。また,中国はインドと協力してネパールの水力発電事業を推進すべきだ。」(Republica, 8 May)

バタライ氏の発言は,中国に対する要請ではあるが,これは中国側のネパールに対する要請でもある。ネ中両国の利害は,大きく見ると,いまのところ多くの点で一致している。

この観点から,今回のバタライ氏の旅程は実に興味深い。これはどう見ても,単なる私的旅行ではない。政治臭プンプンの,生臭い政治目的旅行といってよいであろう。

140512
 ■=カトマンズ,A=ラサ,B=成都,C=シガツェ,D=マナサロワール(Google)

*Republica,7-8 May; Ekantipur,8 May,; Himalayan, 6-7 May; Nepalnews.com, 8 May

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/05/12 at 09:02

制憲議会選挙2013(8):ヒシラ・ヤミ候補の戦い

ダサイン/ティハール休暇が明け,今日(10日)から選挙戦が本格化した。カトマンズ市内でも,各党の横断幕,垂れ幕,旗,ビラなどが増えた。が,それでも予想よりは少ない。

今日は,マオイスト革命の女性英雄パルバティたる,ヒシラ・ヤミ候補(バブラム・バタライ副議長夫人)の選挙区,カトマンズ第7区を見てきた。ビシュヌマティ川左岸の市街地。

131110b ■女性労働者に微笑むヤミ候補

ヤミ候補のビラが多いのは当然だが,予想以上にコングレスが多い。旗だけで優劣はつけられないが,それでも「旗色」という表現があるくらいだから,選挙において旗や幟の勢いは大切だ。

131110e ■コングレス選挙集会(アサン:10日午後)

ヤミ候補は,虐げられた女性の味方,女性代表のはずだが,プラチャンダ党首(議長)同様,人気はいまいちだ。汚職・腐敗の女王などといった罵詈雑言をしばしば浴びせられてきた。一介の見物人の私には,噂の真相は分からないが,どうも旗色は悪そうだ。カトマンズ第7選挙区も,注目すべき選挙区の一つである。

 ▼ヤミ候補の選挙活動
131110a131110c131110d131110f131110g

【付記】明日(11日)から選挙粉砕バンダ(ゼネスト)の予定。すでに各地で衝突による負傷者が出始めている。こちらも気になる。

[追加]バンダ予定変更(10日午後11時)
[11日]完全バンダ(ゼネスト)
[12-19日]交通スト。以下は除外: 救急車,ゴミ収集車,水・ミルク運搬車,報道用車両,外交官用車両,人力車,自転車,荷車
 *これも変更の可能性あり。最新情報をご確認ください。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/11 at 01:42

極左・極右共闘へ:CPN-MとRPP

極左派の共産党毛派(CPN-M)が,極右派のギャネンドラ元国王・国民民主党(RPP)に接近し,主流派(UCPN-M,NC,CPN-MUL)に対する共闘を呼びかけ始めた。日本と同様,極左と極右は,磁石の両極のように引き合うものらしい。

130725b ■「国王」フェイスブック

1.CPN-M,元国王へ共闘呼びかけ
バイダ(キラン)CPN-M議長は,こう述べている。

「この国の主権と国民統合を守るため,元国王をはじめナショナリストと協力することが必要となった。」

「元国王が,われわれのナショナリズム強化闘争に参加するというのであれば,歓迎するが,われわれの共和制・世俗制・連邦制政策については譲歩するつもりはない。」(Telegraph, Access:Jul.24)

この考えは,CPN-Mの他の幹部,たとえばNB.チャンド(ビブラブ)らも表明している。CPN-Mは,すでに元国王側と接触しているという(Ibid)。

バイダCPN-M議長は,つい先日,印外相訪ネにあてつけ,前夜に中国に発ち,中国高官と懇ろに会談してきたばかり。バイダ議長は,ネパール内政については何も言われていない,中国にはネパール内政干渉の意思なし,といっているが,果たしてどうか? もともと中国と歴代国王は仲良しだったのだ。

2.NC内の王制懐旧感情
王制への懐旧感情は,コングレス党(NC)内にも生まれつつある。BP.コイララの息子でNC幹部のシャシャンク・コイララ(Shashank Koirala)は,BBCインタビュー(7月19日)において,こう述べている。

「王制を廃止し共和制にしたのは,大きな誤りであった。2006年,人民が抗議のため街頭に出たとき,事態を統制しうるBPのような指導者は1人もいなかった。世俗制と連邦制をほとんどの政党が考えてはいたが,政策として明確に共和制国家を掲げていたのは,マオイストだけだった。王制廃止は,マオイスト側から出されたものだった。」(Nepali Times, Jul.21)

3.RPPの王制ナショナリズムの訴え
このようなCPN-MのラブコールやNC内の王制懐旧感情の高まりは,王制派にとっては,もちろん大歓迎だ。カマル・タパ国民民主党(RPP)議長は,こう述べている。

「BP.コイララの息子でコングレス党幹部のシャシャンク・コイララは,王制廃止は失敗だったと語り,またCPN-M幹部たちも元国王とナショナリスト諸勢力はネパール・ナショナリズム強化のため協力すべきだと述べたが,これらはいずれも評価されるべき発言である。」(Republica,Jul.23)

4.UCPN-Mの反撃
元国王を担ぎ出そうとするCPN-MやRPPの動きに対し,最も激しく反発しているのは,統一共産党毛派(UCPN-M)である。前首相でUCPN-M序列2位のバブラム・バタライ中央委員(先日,副議長辞任)は,こう述べている。

「CPN-Mは,ギャネンドラの手先にすぎない。革命のためといって王制派と手を組むのは,自殺行為だ。」(Himalayan,Jul.23)

あるいは,ギャネンドラ元国王が極西部諸郡で行っている洪水被害者救援活動についても,バタライ中央委員は,怒りを抑えきれず,「逮捕してしまえ」とまで主張している。

「洪水被害住民へのギャネンドラの救援活動は,扇動であり,選挙を妨害するための策略である。在任中なら,彼を投獄していただろう。(彼の地方歴訪は)1990年憲法を復活させること・・・・(が目的である)。」(Himalayan,Jul.23)

130725a 
 ■洪水被害救援をしている王族NGO「Himani Trust」

5.王制復古の可能性
2006年革命後の共和国政党政治の「失敗」により,革命以前の1990年憲法体制の再評価の機運が少しずつ高まりつつある。

しかし,いまのところ,その動きは最左翼のCPN-Mと最右翼のRPPの結託,あるいはより直截的に言うならば「野合」で進められており,その限りでは成功の可能性は少ない。

しかしながら,S.コイララのような考え方がNCやUMLの中に広まっていくなら,王制復古もあり得ないことではない。投票で王制を廃止したのだから,投票で王制復古を決めてもよいわけだ。またまた,世界が,アッと驚くであろうが。

谷川昌幸(C)

プラチャンダ独裁体制か?

統一共産党毛沢東派(UCPN-M)は,7月21日の拡大中央委員会で,第7回党大会(2013年2月,ヘタウダ)における副議長(バブラム・バタライ,NK.シュレスタ),書記長(PB.ボガティ)等の人事を白紙に戻し,「議長(プラチャンダ)―中央委員会」の指導体制とした。バタライも中央委員の一人となり,名誉職就任はなし。

130722 ■マオイスト・トロイカ(UCPN-M HP)

これは形式的にはプラチャンダ独裁体制だが,彼自身は「集団指導体制」とすると繰り返し説明している。あるときは,8月27日に中央委員会を開催し,前役職者ら17人からなる常任委員会のようなものをつくるといい,またあるときは制憲議会選挙(11月19日予定)後に特別党大会を開き,副議長,書記長,書記,会計などの役職者を選任すると説明している。

いずれにせよ,外から見る限り,プラチャンダが,バタライとNK.シュレスタ(Unity Centre Masalから2009年合流)の反目を利用したことは明白だ。ケンカ両成敗で,バタライに名誉職を与えず,両名とも中央委員降格,議長だけが残った。

これは,少なくとも制度的にはプラチャンダ独裁であり,それが本当に形式的・一時的なものに留まるかどうか,注目されるところである。
* Republica, Jul.21; ekantipur, Jul.21; Himalayan, Jul.21.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/07/22 at 19:51

バブラム・バタライ,名誉職の不名誉な駆け引き

統一共産党毛派(UCPN-M)の副議長辞任を表明したバブラム・バタライが,党の名誉職(党長老)を引き受けてもよいと言っている。コングレスのSB・デウバとほぼ同様の地位。党序列2位ながら,党運営権限なし。

しかし,その一方,バタライは,議長と中央委員以外の役職・組織は廃止し,これにより党内対立を根絶せよ,とも要求している。もしこの提案通り党組織が改編されれば,副議長のNK・シュレスタや書記長のボガティは役職を失い,中央委員降格となる。自分は名誉職でいいよ,といいつつも,ちゃっかり計算している。ドロドロの党内権力闘争。

他方,マオイスト本家から分家したモハン・バイダ(キラン)CPN-M議長は,クルシード印外相訪ネ前夜に訪中し,親印派に親中を見せつけた。ところが,テレグラフ(7月17日)によれば,親印NCのスシル・コイララ議長は16日,楊厚蘭駐ネ中国大使と会談し,CA選挙に出るようバイダ議長を説得して欲しいと大使に頼んだのだそうだ。コイララ議長自身が,NEFINとの会合でこの話をしたというから,本当なのだろう。

親印のコングレス議長が,印とは犬猿の仲の中国の大使に,親中CPN-MのCA選挙参加説得を依頼する。内政干渉の依頼? 

と,かくもネパール諸政党は,政党政治の理念から遠ざかり,複雑怪奇なズブズブの権力闘争にはまり込んだ。その意味でも,CA選挙は注目される。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/07/18 at 19:29

バブラム・バタライ,UCPN副議長辞任表明

統一共産党マオイスト(UCPN-M)のバブラム・バタライが6月29日,党副議長辞任を表明した。バタライは,党内ではプラチャンダ議長に次ぐ実力者であり,このまま辞任し,もし離党ともなれば,マオイストにとって,2012年6月のモハン・バイダ(キラン)副議長辞任(辞任後,共産党マオイストCPN-M結成)以上の大打撃となるであろう。

バタライは,29日の党中央委員会において,突然,副議長辞任を表明した。本人はその理由を次のように説明している。

「党内には利己的野心が広がっている。だから党のためを思い,副議長の職を辞することにした。」(THT, Jun29)
「党指導を若い世代に引き継ぐプロセスを始めるため」辞任する(ekantipur,Jun30)。
「私の辞任は取り引きのためではない。遅かれ早かれ,われわれは辞任せざるをえない。いまがその時だと私は考えた。」(Telegraph,nd)

バタライのこのような説明は,もちろん誰も真に受けない。マオイストは,党内派閥対立のため,この2月の党大会において主要役職人事を決められなかった。ところが,制憲議会選挙が11月実施となり,これ以上人事の先送りはできないため,中央委員会などで人事を進めようとした。ところが,具体的な人事案が出されると,危惧されたとおり,それらをめぐって激しい派閥抗争が始まった。バタライの副議長辞任がこの人事抗争に関わるものであることはいうまでもない。

辞任理由の説明は,いくつかある。一つは,プラチャンダら党幹部の身内えこひいき,特に妻のヒシラ・ヤミを党会計に就けようとしたバタライの動きが,大多数の中央委員の激しい反発を招いたため(ekantipur,Jun30)。この説であれば,プラチャンダとバブラムは同じ穴の狢ということになる。

二つ目は,プラチャンダ議長とナラヤンカジ・シュレスタ副議長が接近し,その線に沿った人事案にバタライ副議長が反発したとする説(Gorkhapatra,nd)。三つ目は,プラチャンダ議長が6月26日,バハドール・ボガティ暫定書記長を副議長に,KB.マハラを書記長にすることを提案し,これにバタライが反発したという説(Kathmandu Post,Jun26)。

バタライ辞任については,他にもいくつか説があるが,いずれにせよバタライは辞任を公言したのであり,撤回は難しいとみられている。プラチャンダはこう述べている。

「バブラム・ジに辞職撤回を求め一時間ほど話したが,彼は撤回に応じようとはしなかった。党議長のポストを提案してみたが,それでもバブラム・ジは私の提案を拒絶した。」(Telegraph,Jun30)

もともとプラチャンダとバタライはそれぞれ別の政党を率いていたのであり,両者の対立はマオイスト結成当時から続いてきた。マオイスト運動の宿痾とも言えるが,さりとて,もしプラチャンダがバタライ派を切り捨てると,マオイストは一気に弱体化する。一方,バタライ派も,分離独立するには力不足であり,リスクが大きすぎる。

結局,ekanitipur(Jul3)がいうように,副議長ではなく,党内序列第2位相当の別の役職をつくり,とりあえずそこにバタライを祭り上げるというのがプラチャンダにとって,またバタライ自身にとっても,良策ということになるであろう。

130709
 ■バブラム・バタライのフェイスブック

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/07/09 at 04:53

カテゴリー: マオイスト

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中印覇権競争とプラチャンダ外交(3)

4.プラチャンダ訪中招待
プラチャンダは,当初,11月予定の次回制憲議会選挙のため,訪印を第一に考えていた。2008年制憲議会選挙後,政権をとったプラチャンダは,首相としては初めて訪印の前に訪中してインドを怒らせ,その結果,インドから様々な嫌がらせを受け,特に2009年のカトワル軍総監更迭失敗で,政権は崩壊してしまった。(プラチャンダ政権2008年8月~2009年5月)。ネパールにおいて政権を安定的に運営して行くには,やはりインドの協力は欠かせない。そう反省したプラチャンダは,次の制憲議会選挙後のことを考え,訪印を先にするつもりだったのだ。

ところが,反印の頭目であったプラチャンダの訪印打診に,インド側は色よい返事をしなかったらしい。そこに,中国がちゃっかり目をつけ,早々と,元首並みの待遇での招待を約束し,プラチャンダを釣り上げてしまった。外交だから,本当のことはよくわからないが,いかにもありそうな話しである。

しかし,訪中を先にするにしても,インド側の了解は取っておかなければならない。そう考えたプラチャンダは,在ネ印大使館を親印派のバブラム・バタライ副議長と共に密かに訪れ,訪中について説明,インド側から訪中了承の「ビザ」を得たという。これは反印派のPeople’s Review(nd)の情報。訪中にインドの事前了解「ビザ」をもらうのは,独立国家にあるまじきこと,ケシカランという非難である。どこまで事実かよくわからないが,訪中の前にインド側に説明し何らかの了解を得ておくということは,十分にあり得ることだ。おそらく,そうした根回しはあったと見てよいであろう。

5.マオイストの路線転換と対中印関係
プラチャンダの今回の訪中・訪印は,いうまでもなく第7回党大会(ヘトウダ,2013年2月2~8日)におけるマオイストの路線(戦術)転換を踏まえたものであり,これと関連づけなければ,その意味を十分に解読することはできない。

マオイストの非軍事的政治闘争への路線転換は,人民戦争にほぼ勝利し議会派諸政党を取り込み反国王共闘に向かうことを決めた2005年10月チュバン党集会の頃から事実上始まっていたが,それが正式に決定されたのは,この第7回党大会においてであった。

党大会は,議長にプラチャンダ,副議長にバブラム・バタライとNK.シュレスタを選出した。再任で,任期は5年。(出席代議員はプラチャンダ派70%,バブラム派25%,シュレスタ派5%とされている。)そして,党大会は,プラチャンダ=バブラム提出の「政策文書」について議論し,ほぼ提案どおり,それを採択した。この党大会採択文書の要点は,メディアの報道によれば,以下の通り。

(1)「プラチャンダの道以後(post-Prachanda path)」への路線転換。これまでの暴力革命から非軍事的な政治闘争への戦術転換。これまでの人民戦争の成果を制憲議会選挙と,その後の新議会により確認・発展させていく。多党制議会制民主主義の枠内での闘争。

この戦術転換の結果,「持続的人民戦争」,「新民主主義革命」,「プラチャンダの道」や,「インド膨張主義」,「アメリカ帝国主義」,「中国修正主義」といった表現は採択文書からは除外された。また,スターリン主義と文化大革命が批判され,ネパールを「半封建的・半植民地的社会」とする規定も,文書からは外された。

(2)社会主義実現のための「資本主義革命(capitalist revolution)」。生産革命による経済発展を目指す。「階級の敵」の言及なし。土地については,「革命的土地改革」ではなく,没収・再配分によらない「科学的土地改革」。経済発展のためには,中印との協力促進。

(3)「進歩的ナショナリズム(progressive nationalism)」。偏狭(blind)ナショナリズムも,封建的ナショナリズムも否定し,「進歩的ナショナリズム」の立場をとる。従来のネパール人民の敵としての「インド膨張主義」と「米帝国主義」は文書から外す。

(4)「3国協定(Nepal-India-China Tripartite Agreement)」。中印あるいはそのいずれかの敵視ではなく,両国と「3国協定」ないしは「3国協力(cooperation, partnership)」を取り結ぶ。(nepalnews.com, Apr2;newbusinessage, nd;The Hindu, Feb8-9,Apr30;Kathmandu Post, Feb2,12,17, ekantipur, Feb8-9,12; Republica, Apr24, Riseofnepal, Feb5,2013)

130509 ■第7回党大会ポスター(党中央委員会)

党大会の正式採択文書はまだ見ていないが,もしこの報道通りだとすると,マオイストは,暴力革命・人民戦争を完全に放棄したとまでは言えないだろうが,当面は多党制議会制民主主義の枠内で闘い,社会主義にいたるための「資本主義革命」による経済発展を目指すことになる。

プラチャンダは,このヘトウダ党大会における議長再選と提案承認により,内政・外交における選択の幅を大きく拡大することに成功した。

また,このヘトウダ党大会には駐ネ中国大使が出席,会開挨拶をし,歓迎夕食会(5時間!)にも参加した。これは新華社や在ネ中国大使館HPが大きく伝え,在日中国大使館HPにも掲載された。

戦術転換を図るプラチャンダは,中国を必要としているが,チベット封じ込め・南アジア進出を狙う中国もまたネパールを必要としている。そして,このようにして中国がプラチャンダに接近すれば,当然,インドも対抗措置を執らざるをえない。その結果,プラチャンダは,相対的に交渉の余地を広げることができる。プラチャンダの訪中・訪印の背後には,おそらく,このような新しい情況が生まれつつあった、と見てよいであろう。

130509a ■”Post-Prachanda Path” (Nepali Times, nd)

谷川昌幸(C)

首相HP,ブロックされる

バブラム首相のホームページを見ようとしたら,下記のような警告が出た。たしかに,最高裁判事(定数15人)が6人にまで減少するなど,ネパール統治は全般に正統性(legitimacy)を失いつつあり,バブラム博士の政府も専制的となってきた。しかし,それはそれ,このバ博士HPブロックは、なにやらうさんくさい。

130122 ■マカフィーのブロック画面

そもそも王様系など,右派サイトはこれまでほとんどブロックされたことがない。ブロックされるのは,たいてい左派系。ネット(の技術者)は,右傾化しているのかな?

そう思いつつも,ネット素人の私には,このような警告を出されると,それを無視し読み進む勇気はない。おそらく,こうして,某世界超大国の密かなネット介入による世界世論誘導により,世界は全体として無意識のうちに右傾化していくのだろう。世界全体が動けば,基準となる座標軸が動くわけであり,その中にいる人々は気づきようもない。

インテリ博士首相のホームページは,さぞかし立派であろうに,残念なことだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/01/22 at 16:21

カテゴリー: マオイスト, 情報 IT

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