ネパール評論

ネパール研究会

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紹介:名和克郎「近現代ネパールにおける国家による人々の範疇化とその論理の変遷」

これは,名和(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』(三元社2017)の第1章(p35-87)。近現代ネパールの憲法(広義)が原典資料にもとづき明快に分析・評価されており,私にとっては特に憲法史・憲法思想史の観点から大変興味深く読むことができた。以下,私見を適宜交えつつ,要点を紹介する。

1.集団的権利⇒個人的権利⇒集団的権利
この論文では,ムルキ・アイン(1854)から2015年憲法に至るネパールの広義の憲法が,D・ゲルナーの「集団的権利から個人的権利へ,そしてまた集団的権利へ」(同名論文2001)という図式を手掛かりとして分析・評価されている(p39,79)。すなわち――
 ・1854年ムルキ・アイン=「ヒエラルヒー的なカースト基盤モデル」
 ・1962年憲法=「開発的な文化均質化モデル」
 ・1990年憲法~2015年憲法=「多文化的な『異なっているが平等』モデル」

この図式は,ネパール憲法(国制constitution)の展開を俯瞰する場合,たしかに極めて明快で魅力的である。

2.ムルキ・アイン
「ムルキ・アイン(国の法)」は,ジャング・バハドゥル・ラナ[クンワル」が1854年に制定した法律。163項,1400ページからなる成文大法典で,国の在り方を決めているという意味では広義の憲法(国制constitution)である。このムルキ・アインについて,著者はこう評価している。

「国家のヒンドゥー性が強調され,全国統一のカースト的ヒエラルヒーによってネパールの全住民を不平等な形で一つの法の下に位置付けたこの法律[ムルキ・アイン]は,しかし,国境により閉ざされた一つの領域内に住む人々を統一的に支配しようとする点で,近代的な性格をも併せ持っていた。」(p77)

たしかに,ラナ宰相家統治は,ムルキ・アインによる統一的領域国家支配という意味では近代的であった。一方,ムルキ・アイン自体は,刑罰等の一部合理化はあるものの,大部分は伝統的ヒンドゥー法や既存の様々な社会慣行を整理し法典化したものであり,内容的には前近代的・封建的である。このムルキ・アインに基づくラナ家統治は,1951年まで続く。これを,全体として,どこまで近代的と評価するか?

また,この論文では,ラナ家統治末期から1962年憲法までの憲法についてはほとんど触れられていないが,憲法史的にはこの間にいくつかの憲法が制定されたことも無視できない。

1948年の「ネパール統治法(1948年憲法)」は,6編68か条の堂々たる成文憲法で,二院制議会や裁判所など近代的統治制度を定め,人身の自由,言論集会の自由,信仰の自由,法の前の平等,無償義務教育など近代的な諸権利をネパール市民(国民)個人に保障している。この憲法は,ラナ家統治崩壊から王政復古に至る政治的混乱のため,事実上,施行されなかった。

1951年王政復古後,新体制移行のため1951年暫定統治法(暫定憲法)がつくられ,そして1959年には公式にはネパール初の「ネパール王国憲法(1959年憲法)」が制定された。この憲法は,立憲君主制,二院制議会,議院内閣制など民主的な統治諸制度を定め,国民個人に,人身の自由,言論・出版の自由,集会の自由,財産権,平等権,自らの古来の宗教への権利など多くの権利を認めている。多くの点で近代的・民主的な立憲君主制の本格的な正式憲法であったが,残念なことにこの憲法も翌年(1960年)の国王クーデターにより1年余りで停止されてしまった。

なお,宗教,民族,カースト,性などによる差別の禁止は,1951年暫定憲法も1959年憲法も規定しており,またネパール語を国語とすることは1959年憲法が規定している。

このように,1962年憲法制定以前に相当程度近代的な成文憲法が制定されていたこと,またそのような近代的な憲法をつくりつつも,他方では前近代的・封建的なムルキ・アイン秩序を温存していたこと――これをどう評価するか? 憲法史的には,大いに関心のあるところである。

3.1962年憲法
1960年クーデターで全権掌握したマヘンドラ国王は,1962年,非政党制パンチャーヤット民主主義を理念とする「1962年憲法」を制定した。この憲法につき,著者はこう評価する。

「1962年憲法においては,ネパールがヒンドゥーの国家だという条文は存在するが,ジャートの違いに関するいわゆるカースト的な規定が全て姿を消し,全く逆に宗教,人種,性,カースト,民族による差別の禁止に関する条項が現れているのだ。」(p52)

「1950年代から1960年代前半にかけて,ネパールの法のあり方は根本的に変化した。ジャートによる扱いの差異は法律から消滅し,代わって国王とネパール語,ヒンドゥー教を中核とする国民国家ネパールの発展が目指されるようになった。そこで想定されたネパール国民は,ネパール語を話すヒンドゥー教徒たる平等な臣民であった。」(p56)

1962年憲法が,国王・国語・国教による強力な国民国家を目指していることは明らかである。中央集権的開発独裁。しかし,その一方,多言語・多民族のネパールでネパール語を国語と定め,特有の社会構造を持つヒンドゥー教を国教と定める憲法が,どこまで「個人の権利へ」(ゲルナー)を志向していたかについては,疑問が残る。

4.1990年憲法
1990年民主化により成立した「1990年憲法」は,著者によれば「画期的なもの」である。

「この憲法においてネパール史上初めて,ネパールの国民の民族的,言語的多様性がヒエラルヒー的合意抜きで明確に認められ,少数者の言語的権利が条文の中で具体的に示されたからである。」(p60)

しかし,そう評価しつつも,著者は,1990年憲法では依然としてヒンドゥー王国であり,西洋近代的な「信仰の自由」,ないし「個人が宗教を選択すること」は想定されていない,という留保をつけている。このことは,他の自由や権利についても,多かれ少なかれ言えることであろうか。もしそうなら,これは宗教以外の領域でも重要な意味を持つ指摘である。

5.2007年暫定憲法から2015年憲法へ
マオイスト人民戦争後,彼らの要求の相当部分をうけいれ制定された「2007年暫定憲法」と現行「2015年憲法」につき,著者はこう述べている。

「2007年暫定憲法では,ネパール国内の多様な人々の範疇が,『包摂』の対象として明確に現れることになった。こうした方向性は,2015年憲法においても基本的には引き継がれており,『包摂』は連邦共和制国家ネパールの主要原理の一つとなった感がある。」(p78)

こうして「包摂」が憲法の基本原理となれば,当然,包摂を求め「集団範疇の細分化」や多重化・多元化が進んでいく(p74-79)。これをどう評価するか?

また,すでに紹介した部分と一部重複するが,次のような指摘も重要である。
 
「宗教=dharmaについては,出自に基づく集団に帰属することが長く前提とされ,他人を改宗させることが禁じられてきたことから,『個人的権利』への十全な移行は一度も生じなかったと言える。そして興味深いことに,ジャナジャーティの運動家の多くは,ヒンドゥー教の強制には強く反対する一方,宗教=dharmaを集団的なものとする基本的発想を,多くのヒンドゥー達と共有してきた。自らの社会的文化的独自性に基づく集団的な権利の主張にとって,ネパールの宗教=dharma概念は確かに適合的ではある。」(p78-79)

著者は,この論文をこう結んでいる。ゲルナーは,多文化的な「異なっているが平等」モデルに「未だ実現されておらず,おそらく実現不可能な」という形容詞句をつけたが,「これはやや拙速な表現であった。・・・・ネパールの事例もまた,西洋的範疇を逸脱した変則的な例外としてではなく,様々な地理的歴史的制約のもとに展開しつつある一つの現在進行形の挑戦として,捉えられるべきである。」(p79)

多文化主義的「包摂」を前提とすると,これはネパールの「挑戦」の妥当な評価であろう。ただ「近代主義者」としての私としては,いまのネパール憲法論における「個人の権利」の理論的基礎づけの弱さが,どうしても気なる。自己規律なきエゴの主張は,事実として,いたるところに蔓延してはいるのだが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/05/06 at 21:23

珍客来訪

憂愁の秋,わがアパートに珍客来訪。農山村部では,おなじみかもしれないが,この虫の名も生態も,私には全く分からない。どこから,何のために,こんな人工的コンクリート・ジャングルにやってきたのだろう? ひとりぼっちで、、、

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■ベランダの珍客

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/10/22 at 09:46

カテゴリー: 自然, 文化

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街角の露店

これは,カトマンズ・アサンの近くの街角の露店。ここには伝統的なレンガ造りの家屋やレンガ敷きの路地がまだ残っている。隣の家はつっかい棒で支えられているが,この古い建物は,幸い,無事だったようだ。

しかし,こうした伝統的な生活や風景にとって,避けたくても避けられないのが,鉄則としての近代化。いかなネパールといえども,自然災害としての震災は克服できても,快楽と効率をエンジンとして容赦なく進行する生活全般の近代化には抵抗できないであろう。

歴史法則は,やはり在るのではないか?

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/12/19 at 16:58

カテゴリー: ネパール, 社会, 経済, 文化, 旅行

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カドガ・KC著「丸山真男と近代日本の政治思想」

Khadga K.C.,”MARUYAMA MASAO AND MODERN JAPANESE POLITICAL THOUGHT,” International Journal of East Asian Studies, Vol.4, No.1,2015,pp.27-34.

Maruyama Masao is one of Japan’s influential political thinkers of the twentieth-century. This article attempts to briefly discuss Maruyama Masao’s thoughts on Japanese political engagement by focusing on the intellectual and psychological causes of Japan’s political ambitions over the years. Maruyama Masao commented on numerous issues like the intellectual history of Tokugawa Japan, theory and psychology of ultra-nationalism and reflections on Article IX of the Japanese Constitution. Maruyama’s modern thought helped the Japanese understand their role in nation building and the importance of preserving peace at all cost. The paper concludes that Maruyama’s political thoughts are still relevant in this day and age.

丸山真男が,急激な近現代化の諸矛盾に苦しむネパールにおいて注目され始めた。

「近現代化」とは,文字通り「近代化」と「現代化」の二重の課題を同時に遂行せざるを得ないということ。つまり,一つは,前近代的封建社会を解体して自由・平等・独立の諸個人を析出し,その諸個人から民主的な主権的国民国家を構築するという近代化の課題。もう一つは,理論的仮設としては可能であっても実際には解体しきれない文化的諸集団(民族集団,言語集団,宗教集団など)の諸要求を国家社会に取り入れるべきだという現代的な包摂民主主義の課題。

この「近代化」と「現代化」は,欧米では数世紀かけて,日本でも百数十年かけて,段階的に進行してきた。ところが,ネパールでは,これら相矛盾するところの多い「近代化」と「現代化」の二つが,ほぼ同時に,急激に,進行し始めた。これがいかに困難であり,多くの深刻な軋轢を生み出すかは,想像に難くない。

そうしたネパールの苦しみについて,欧米諸国は極めて鈍感であり,「近代化」をすっ飛ばし,一気に「現代化」をせよと無理難題を押し付け,様々な圧力をかけている。無責任極まりない。(単線的歴史発展論は,いまどき流行らないが,ここではあえて近代化抜きの現代化の危険性を強調しておきたい。)

むろん,ネパールにとっても「現代化」は避けられないし望ましくもあるが,しかし,ネパールにはネパール固有の事情がある。「近代化」は欧米にとっては過去のことかもしれないが,ネパールにとってはまだまだ追求し実現されるべき課題である。ネパールは,「現代化」を受け入れるためにも,その前提となる「近代化」について,もっと注目し,研究し,少なくともその最も基本的な諸原理だけは社会においてある程度実現しておく必要がある。

こうした観点からすると,カドガ・KC氏のこの論文は,大いに注目に値する。丸山真男こそ,欧米に遅れて近現代化した――その意味でネパールの近現代化の参考になり得る――日本を理論的に鋭く分析し,その問題点と課題を最も明晰に示してくれた20世紀日本の政治学者だからである。

カドガ氏の論文は,おそらくネパール初の学術的な丸山研究であろう。これを契機に,丸山がネパールにおいて注目され,さらに研究が進められていくことを期待している。

論文抜粋(pp.33-34, 改行追加引用者)
「戦前日本のファシズムないし超国家主義を厳しく批判した丸山のような自由主義思想家たちが育成した社会意識こそが,憲法第9条の擁護を可能としたのだ。

ところが,残念なことに,安倍首相の指導の下に,第9条の解釈が今年半ばに変更されてしまった。

日本国憲法そのものは何ら改正も変更もされていないのに,第9条の解釈変更により,日本はいまでは集団的自衛権を行使できるようになり,武力紛争当事国を積極的に支援できることになった。

換言するなら,安倍首相は,丸山が生涯をかけて反対し闘ってきたこと,すなわち日本の軍事防衛政策を正常化することに,成功したのである。」

 151212■カドガ・KC氏(同氏FB

谷川昌幸(C)

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2015/12/12 at 21:31

失われ行く古き良きキルティプル

キルティプルの変化が加速度的に速くなっている。ほんの数年前までは,丘の上は古来の家並みやレンガ敷きの路地が美しく調和していたのに,それらが次々に壊され,今風の家やコンクリート道路に造り替えられている。このままでは,あと数年もすれば,伝統的街並みは,あらかた姿を消してしまうだろう。

丘の上のキルティプルは,生活には,不便だった。食糧や生活物資は急な坂道を人力で運び上げなければならない。無責任な余所者の目には,大量の稲藁や重そうな籾袋を担い登ってくる女性たちは絵になるが,これがいかにたいへんな重労働であるかはいうまでもない。

また狭く段差も多いレンガ敷き路地は,バイクや車の通行には不便。だから,生活を考えるなら,情緒豊かなレンガがはがされ,効率だけの無粋なコンクリート通路にされるのは,いたしかたない。これらの写真でも,壊されている家の左隣はすでにスチールシャッターとなり,右隣の入口にはバイク用のコンクリート通路がつけられている。電柱はコンクリート製。懐古趣味の余所者がどう感じるにせよ,生活のためには,街の近代化はやむをえないのだ。

▼取り壊される伝統的家屋
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しかし,奇跡的によく保存されてきたキルティプルが,このような形で失われていくのは,いかにも惜しい。地元の人々が話し合い,街全体の保存がはかれないだろうか。丘の上だけでも保存されれば,ときとともに文化遺産としての価値が高まり,多くの観光客を引き寄せることは,まちがいない。空港からもカトマンズ中心部からもほんの数十分,しかもヒマラヤがよく見える。立地は申し分ない。小さな街だから,観光と関連事業で十分生活できるようになると思う。

が,もう手遅れかもしれない。残念ながら。

▼夕陽の中のレンガ工場(キルティプルより)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/26 at 20:47

カテゴリー: 社会, 経済, 文化, 旅行

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中国の経済発展とマルクス主義と伝統文化

「地球時報(Global Times)」(1月21日)の方には,Liu Sha「中国に必要なイデオロギー教育」が掲載され,金儲け万歳紙面に花を添えていた。

記事によると,中国の大学に必要なのは,イデオロギー教育の強化であり,マルクス主義・社会主義・伝統文化そして「中国の夢」の擁護推進者たることである。

これはもちろん,習近平主席が語ったとされる,大学をマルクス主義研究の拠点とするという方針に沿った記事である。マルクス主義・社会主義と伝統文化を結合した「中国型社会主義」の研究推進拠点。

ところが,記事によると,大学教員の多くは,西側の価値観に心酔し,マルクス主義は小ばかにしている。学生の80%が,そのような教員に教わったことがあるという。

なかなか興味深い。マルクス主義・社会主義と「中国の夢」と伝統文化(traditional values,traditional culture)が,少なくとも表面上は何の留保もなく,何の批判もなく,そのまま擁護推進すべきものとして並べて掲げられている。どう読み解くべきか? 大学教員は,マルクス主義を小ばかにすることなく中国の現状を学問的にどう分析評価すべきなのだろうか?

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■広州空港。大言壮語スローガンはほとんどない。近代化・合理化と資本主義化が進み,共産主義・社会主義の残り香は,空港や航空会社の職員の態度からほのかに感じられるくらい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/01/23 at 14:05

街の没個性化

高知に来ている。初めて。南国なので街も南国風かと思っていたが,実際にはそうでもなかった。ちょっと見た限りでは,他の街と何ら変わりはない。

市街の没個性化は,どこでも進んでいる。カトマンズでも,前近代的な旧市街は破壊され,「機能的」な道路やビルに置き換えられつつある。そのようなところでは,カトマンズも,ここ高知や大阪や他のどの都市とも外見的には大差はない。

近代化は合理化であり,合理化は没個性化・脱文化化である。どこにいっても変わり映えしない街の風景を見るたびに,文化的貧困化の業を歎ぜざるを得ない。

140903 ■高知駅(JR四国HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/09/03 at 14:25

カテゴリー: 経済, 文化, 旅行

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民主化と兵役義務:ネパール新憲法

ネパールの憲法論議は,いまでは多くの点で日本よりはるか先を行っている。第三の性,女性50%クォータ制など。日本人は,礼を尽くし,謙虚に教えを請うべきだろう。

1.国民の兵役義務
この13日にも,注目すべき決定が下された。憲法問題政治調整委員会(CDCC:Political dialogue and Consensus Committee, バブラム・バッタライ委員長)が,全国民の兵役義務を新憲法に明記する案を全会一致で採択したのだ。

兵役義務については,先の第一次制憲議会でも議論されていた。この議論は,2014年1月発足の第二次制憲議会でも継承され,マオイスト(UCPN-M)のバブラム・バタライ幹部を委員長とするCDCCで審議されてきた。

委員会では,「国家必要時の国家奉仕は全国民の義務である」ということについては異論はなかった。それを認めた上で,国家奉仕義務のあり方で意見は二つに分かれた。
(A)マオイスト,労農党:18歳以上の全国民に軍事教練を義務づける
(B)コングレス,統一共産党,マデシ諸派:国家必要時の兵役を全国民に義務づける

よく似ているが,A案は,18歳以上の男女全国民への軍事教練が必要になる。やり方にもよるが,莫大な経費が必要。これに対し,B案は,徴兵制であり,国家が必要なとき,国民に兵役義務を課すということ。これなら,平時には,それほど経費はかからない。

CDCC委員会では,審議の結果,いつものように二案折衷で決着した。すなわち,「国家必要時の国家奉仕は全国民の義務である」,したがって「国家必要時の兵役は全国民の責任である」。

この折衷案が「軍事教練」を含むかどうかは,あえて曖昧なままとされている。が,いずれにせよ,これは国民男女皆兵であり,この案が制憲議会で採択されれば,新憲法の「国民(市民)の義務」の章に記載されることになる。(第二次制憲議会は,2015年1月22日までに新憲法を制定することを公約している。)

140615a ■ネパール国軍(同HP)

2.民主主義と兵役義務
民主主義において,兵役は国民(市民)の第一の権利=義務である。古代民主制アテナイでは,男性自由市民は兵士であったし,近代民主制アメリカでは武器保有は人民の権利(憲法第2修正)である。日本でも,近代化は,武士の武器独占を廃止し,徴兵制による兵役の民主化により促進された。

ネパールでは,兵役は,長らく上位カースト/民族の特権であった。人民多数は,兵役排除により,被支配・被差別の屈辱を甘受させられてきた。

この兵役差別を根底から否定し,男女平等の民主的軍隊「人民解放軍」を組織し,反民主的特権的政府軍を撃破したのが,マオイストである。ネパールにおいて,民主化を促進した最大の功労者は,マオイストである。

したがって,制憲議会において,もっとも急進的な国民兵役義務論を主張したのがマオイスト,それに反対したのが守旧派NC,UML,マデシ諸派であるのは,当然だ。守旧派は,上位カースト/民族の兵役特権を守りたいのである。

140615b ■人民解放軍(Republica, 2009-11-22)

3.近代的民主的兵役義務論の超克
日本の近代化・民主化は擬似的であり,まだ本物の民主的国民軍(人民軍)を持ったことはない。その日本人にとって,ネパールの近代的民主的兵役義務論は,注目し,学ぶに値するものである。

もし近代的民主的兵役義務論との本格的格闘を忌避しつづけると,「積極的平和主義」を唱える人々が,再び「美しい国・日本」の半封建的兵役義務・徴兵制を「取り戻す」ことになるであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/06/15 at 15:36

3Gの悲哀と自然に戻る喜び

情報格差(デジタル・デバイド)は,日本でも著しい。地方は,高齢化・過疎化で商売にならず,ネットは3Gがせいぜい。亀のように遅い。これでは,ネパールの方が通信環境はよいのではないか。

ネット新聞を読むときは,アドレスをクリックしてから,外でちょっと一仕事,数分後もどると,ようやくページが開かれている。写真があると,さらに遅い。

近現代化・民主化は,合理化=中央集権化であり,これは情報についても同じこと。いまやあらゆる情報が中央に集められ,整理分析され,保存され,利用されている。こんなことなら,少なくとも権力と情報の多元的分散という意味では,中世封建制の方がまだましだ。わが村も,つい数十年前までは,自主独立していた。が,それも今や昔。地方は中央の単なる末端であり,万事後回し,3Gの悲哀をかこつことにならざるをえない。

しかし,それは事の反面,ネット・アドレスをクリックして一歩家の外に出ると,春爛漫,動植物みな生の喜びにあふれ,一目見るだけでも深く癒される。わざわざ高山に登らなくても,あるいは人工交配や遺伝子操作をしなくても,自然は十二分に美しく多彩なのだ。

自宅のすぐそば,どこにでも,こんな美しい花々が咲き乱れ,生命が躍動している。そんなことに気づかせてくれたのが,鈍足3G。人間には,この程度の速度が相応しいのかもしれない。

自宅そばの野草(5月4日午後)

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/05/04 at 22:08

カテゴリー: 情報 IT, 文化

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都市の近代化と信号機

カトマンズは,すさまじい建設ラッシュ。いたるところで旧市街が壊され,道路の拡幅・直線化や高層ビルの建設が進められている。都市部に限れば,ネパールにはカネが有り余り,高度成長を謳歌しているのだ。

これは都市の「近代化」である。曲がりくねった細い不合理な道路を幅広の直線道路に造り替え,木造や煉瓦造りの伝統的民家や商店を壊し,幾何学的な高層ビル群に建て替える。直線を基調とする幾何学的な街造りは,街の「合理化」であり「近代化」である。

こうして街全体が加速度的に「合理化」され「近代化」されれば,当然,道路交通体系も「合理化」され「近代化」されていくはずだ。そして道路がそうなれば,いずれ人々の交通=交際,つまりは社会も「合理化」され「近代化」されるはずだ。

ネパールの近代化は,外国援助ではなく,カネによって,つまりは出稼ぎ労働者送金によって,促進されていく。結局はカネであり,資本主義なのだ。

そして,興味深いのが,またしても例の信号機。道路が拡幅直線化され,幾何学的高層ビルが林立するようになっても,ネパールは信号機なしでやっていけるかどうか? それとも,結局は,カネ=資本主義=合理化=近代化=「法の支配」に屈服せざるをえないのか?

いま世界社会=先進資本主義諸国は,途上国に「法の支配」を受け入れさせようと躍起になっている。これは,見方を変えれば,資本主義の外部や周縁部にいる人々を,資本主義世界に取り込み,金儲けをするためである。先進資本主義国のどん欲は,何ともイヤハヤ執念深いものだ。

先進国援助の立ち枯れ信号機を見るたびに,先進資本主義諸国の深慮遠謀に健気に抵抗しているネパール庶民を,「頑張れ!」と,ひそかに応援したくなるのを禁じ得ない。

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■拡幅直線化工事。強制収用補償金は雀の涙(ディリバザール)

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■拡幅工事と消灯信号(バグバザール)/拡幅後も信号消灯(プタリサダク)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/11/08 at 22:32

カテゴリー: 社会, 経済

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