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世俗国家大統領の寺院「公式」参拝

バンダリ大統領(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)が2015年12月28日,パシュパティ寺院を「公式」参拝し,僧の司式の下で,ネパールと世界の繁栄を神々に祈願した。

ネパールがヒンドゥー教国家であった頃はむろんのこと,それ以降であっても世俗国家宣言以前であれば,国王や首相がパシュパティ寺院を公式訪問することに何の問題もなかった。というよりもむしろ,それは彼らの当然の義務と見られていた。

しかし,2007年暫定憲法,そして現行2015年憲法により世俗国家が明文規定されて以後は,国家元首たる大統領がパシュパティ寺院を「公式」参拝することは,憲法上許されないとみるべきであろう。憲法はこう定めている(赤強調筆者)。

2007年暫定憲法
第4条(1) ネパールは,独立,不可分,主権的,世俗的および包摂的な連邦民主共和国である。
2015年憲法
第4条(1) ネパールは,独立,不可分,主権的,世俗的,包摂民主主義的および社会主義志向的な連邦民主共和国である。

バンダリ大統領は,大統領としての初の月給121,360ルピー(約13万円)をパシュパティ地区開発基金(PADT)に寄付した。(別に,寺院にも直接寄付したとされるが,詳細不明。)この寄付金は大統領月給だから公金ではないとされている。

たしかに,そうともいえるが,大統領の参拝は数日前から通知され,十分準備されたものだった。当日は,SB・バスネット内相が多くの市民や生徒らとともに寺院で大統領を出迎えたし,神々への礼拝も,サンスクリットでヒンドゥー教のしきたりに則り行われた。どうみても「公式」の宗教行為である。

バンダリ大統領は,つい半月ほど前(12月16日),強硬な反対を無視して強引にジャナキ寺院を「公式」参拝し,大混乱を引き起こした。28日のパシュパティ寺院参拝は,その失策の挽回を狙ったものかもしれない。(参照:大統領の政治利用と権威失墜

著名なマルクス・レーニン主義者・共産主義者のバンダリ大統領が,世俗国家大統領であるにもかかわらずヒンドゥー教寺院参拝に熱心なのは,なぜなのだろうか? 一つ考えられるのは,憲法第4条(1)の但し書きを根拠に,寺院参拝を強行し,ヒンドゥー保守層の支持を確保しようとしているのではないか,ということ。

2015年憲法第4条(1)[但し書き]
(原注)本条でいう「世俗的」は,古くから実践されてきた宗教と文化・・・・の保護を意味する。

9月20日公布施行の現行2015年憲法については,それに基づく州区画や選挙区割りをめぐり,いまタライで激しい反憲法闘争が繰り広げられている。この問題がどう決着するか,いまのところ見通しは全くたっていない。

それだけでも大変なのに,今度は,この世俗国家規定問題。これは,見方によれば,州や選挙区の決め方よりも,はるかに難しく深刻な問題である。現行憲法の最大のアキレス腱といってもよい。これからどうなるか,こちらも心配である。

160105a■パシュパティ地区開発基金(PADT)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/01/05 at 11:50

大統領の政治利用と権威失墜

バンダリ大統領が12月16日,UDMF(統一民主マデシ戦線)の反対を押し切り,強引にジャナクプルを訪れ,ジャナキ寺院を参拝したため,大混乱となり,大統領としての権威を大きく損なうことになってしまった。(大統領はヘリでカトマンズ‐ジャナクプル往復。)

151228d■大統領とジャナキ寺院(大統領府HP,12月28日)

ネパール憲法(2015年9月20日公布施行)は,大統領について,次のように定めている。
 ・大統領(रास्ट्रपति)は,ネパールの国家元首(राष्ट्राध्यक्ष)。
 ・大統領には,憲法の「遵守・擁護(पालन र संरक्षण)」義務がある。
 ・大統領は,「国家統一(राष्ट्रिय एकता)」を促進。
 ・大統領は,原則として内閣の同意と勧告に基づき行為する。
 ・大統領は,連邦議会議員(および州議会成立後はその議員)から構成される選挙人団により選出。
 ・大統領の任期は5年。

ネパールの大統領は,国家元首としての「権威」は持つが,実質的な「権力」の行使はできない。いわゆる儀式的大統領制である。

ところが,その大統領が12月16日,地元住民の反対を無視し,ジャナクプルのジャナキ寺院訪問を強行した。お伴は,R.チェットり軍総監,GD.ヤダブ副議長,RK.スッバ土地改革相,K.ヤダブ議員(NC)ら。警備には,国軍,武装警察,警察,中央調査局などが大量動員された。

151228b 151228c■国軍総監/中央調査局

この大統領の国民統合の象徴らしからぬ振る舞いに対し,UDMFや地元住民は烈火のごとく怒った。主な理由は,以下の通り。
 (1)政府要人,憲法賛成署名議員らのジャナクプル訪問には絶対反対を宣言していた。
 (2)寡婦の寺院参拝は不浄として禁止されている。(大統領の夫は故マダン・バンダリ)
 (3)犬が近づいた花を献花した。(治安要員が警備犬多数を寺院内に入れていた。)
 (4)治安要員が革靴を履いたまま寺院内に入った。

大統領一行は,黒旗の抗議を受け,火炎瓶や石を投げつけられた。ジャナキ寺院付近は治安部隊との衝突で大混乱に陥り,インド人参拝者を含む数十人(60名以上?)が負傷した。

このジャナクプル事件につき,オリ内閣のパンディ大臣が12月20日,反政府派の「無秩序で乱暴な行為」を非難した。「国民統一の象徴にして憲法の擁護者たる大統領に対するそのような誤った行為は,国家全体,民主主義,共和制に対する攻撃である。」(*7)

さらにオリ首相自身も,「犯人たちを法の裁きに服させるためのあらゆる手段をとる。だれであれ,信仰を理由に攻撃されてはならず,大統領の信仰も非難攻撃されてはならない」と,一段と強い調子で宣言した(*1)。

しかし,このマデシ非難は,いささか政治的に過ぎる。そもそも,国民統合の象徴としての大統領を,地元の激しい反対運動を無視して派遣したのは,「同意と勧告」を与える内閣である(内閣の明示の意思表示がなくとも,あったものと理解されねばならない。)内閣は「権威」とは区別されるべき「権力」を行使するのであり,したがって「権威」を担う大統領のこのような露骨な「政治的利用」は厳に避けるべきである。

政治において権威と権力を分離するのは,本質的に弱く邪悪な人間が,自らの限界を自覚しているからである。それは人間の政治的慎慮(prudence)といってもよい。

歴史的にみると,権威の源泉ないし根拠は,多くの場合,血統,すなわち王制や天皇制であった。これは神話的・神秘的であり不合理だが,それゆえ権威への人為的恣意的介入を許さず,かえって強力であった。弱い人間からなる政治共同体の統合の権威的象徴としては,よくできている。これとは対照的に,民主的大統領制には,そのような人為的介入を許さない神話的・神秘的な権威の根拠がない。民主的大統領制は,成熟した強い自律的市民の存在を前提としており,その運用は権威的王制よりもはるかに難しいといわざるをえない。

もしそうだとするならば,世界で最も民主的な共和制憲法を制定したネパールであればこそ,大統領の権威をよくよく尊重し,その政治的利用は厳に慎まなければならない,ということになるであろう。

 151108■オリ首相
【参照】
*1 Christopher Sharma,”Nepal’s tribal block President from entering Hindu temple: She is a widow,” Asia News, 12/24/2015
*2 “Morcha announces fresh protests,” Nepali Times, December 18th, 2015
*3 “UDMF ‘CLEANSES’JANAKI TEMPLE AFTER WORSHIP BY ‘WIDOW PREZ’,” Republica,18 Dec 2015
*4 SURESH YADAV,”PROTEST AGAINST PREZ BHANDARI’S VISIT DISRUPTS RAM JANAKI MAHOTSAV,” Republica, 16 Dec 2015
*5 “Madhesis target President,” Nepali Times, December 16th, 2015
*6 “Protests, clashes mar President’s Janakpur visit,” The Himalayan Times, December 17, 2015
*7 “Govt endorses three-point roadmap,” The Himalayan Times, December 21, 2015

谷川昌幸(C)

 

Written by Tanigawa

2015/12/28 at 18:27

副大統領にも,マオイスト元ゲリラ選出

10月31日の副大統領選挙で,統一ネパール共産党マオイスト(UCPN-M)のナンダ・キショル(バハドゥル)・プンが,第二代副大統領に選出された。マオイスト人民解放軍出身で,ゲリラ名はパサン。

 NK・プン 325 [UML,UCPN-M,RPP-N,MJF-D]
 AK・ヤダブ 212 [NC]
   *無効10,欠席47(マデシ系ほか)

NK・プンは,1965年ロルパ生まれ。マオイスト人民解放戦争に当初から参加,ゴラヒ攻撃(2001)など,多くの戦闘を指揮。人民解放軍副司令官を経て,2008年以降司令官。和平後の人民解放軍解散・国軍統合に尽力。UCPN常任委員。

2013年第2回制憲議会選挙でカトマンズ第4選挙区から立候補するも,NCのガガン・タパに敗れ,現在,議席なし。反インド的ナショナリストとされている。

NK・プンは議員ではないので,副大統領候補とすることには反対が強かったが,プラチャンダUCPN議長が強力に働きかけ,その結果,UML推薦,RPP-N,MJF-D支持を取り付け,大差で勝利した。

これでUCPNは,いずれもマオイスト人民解放軍出身のOG・マガルを連邦議会議長に,NK・プンを副大統領に就けることに成功した。(副首相のTB・ラヤマジはバブラム・バタライ派とされている。)プラヤンダは,なかなかの策士である。

 151101a151101b■NK・プンFBより

谷川昌幸(C)

   

Written by Tanigawa

2015/11/01 at 15:09

大統領にも国会議長にも,女性議員選出

世界最新憲法国ネパールが,大統領と連邦議会(立法議会)議長に、いずれも女性議員を選出した。快挙!

1.OG・マガル議長
ネパール立法議会は10月16日,無投票で統一共産党マオイスト(UCPN-M)議員のオンサリ・ガルティ・マガル議員を議長に選出した。ネパール初の女性議長。

マガル議長は,1977年ロルパ生まれ。人民戦争に初期から参加。和平後,ロルパ選出議員。UCPN政治局員。青年スポーツ大臣。前副議長。夫は,UCPNのバルシャマン・プン書記。

議長選挙は,ネパール会議派(NC)が対立候補を出さず,UCPNとRPP-N推薦のマガル氏が無投票で選出された。16日の時点では,まだNC・UML(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)・UCPN三党協調体制の継続が模索されていたからであろう。なお,副議長には,国民民主党(RPP-N)のガンガ・プラサド・ヤダブ議員を選出。

  151029■OG・マガル議長(同氏FB)

2.BD・バンダリ大統領
10月28日の大統領選挙では,UMLのビディヤデビ・バンダリ議員が,第二代大統領に選出された。議長選挙のわずか12日後のことだが,9月20日にマデシやインドの反対を押し切り新憲法が公布されたこともあり,諸政党の関係が流動化してしまっていた[公布日誤記訂正]。NCは下野を再確認し,党幹部のクル・バハドゥル・グルンを対立候補として擁立した。結果は次の通り。

 BD・バンダリ(UML) 327
   UML,UCPN,RPP-N,MJF-D,CPN-MLほか
 KB・グルン(NC) 214
   NCほか
 *議員総数597, 投票総数549,無効8,欠席48(マデシ系ほか)

BD・バンダリ大統領は,1961年ボジプル生まれ。学生運動を経て,GEFONT女性局長など歴任。UMLカトマンズ選出議員。防衛大臣。UML副議長。女性権利実現に努力。夫は,ネパール共産党運動の指導者の一人マダン・バンダリ(1993年没)。党内では,オリ首相(UML議長)に近い。

  151029a■BD・バンダリ大統領(UML HP)

3.UML=UCPN=RPP-N体制
これで,大統領=UML,首相=UML,議長=UCPNとなり,新政府は名実ともにこれら二大政党主導となった。これら2党に比べ,RPP-Nは一歩下がるが,それでも副首相兼外務大臣と副議長,大臣(1)を出しているので,新政府内においてキャスティングボートを握りうる位置にある。

これに対し,マデシのMJF-Dは,副首相と国務大臣(2)を出しているものの,この布陣では,あまり大きな発言権はもてそうにない。中国からの石油輸入にどう対処するか,さっそくその立ち位置が試されることになった。

いまタライ地方では,中国の対ネ石油輸出がマデシ運動への敵対行為とみなされ,反中国感情が高まっている。反中国デモが始まり、中国国旗が焼かれたという報道もある。

この新たな局面に,新政府はどう対処するのか? 真っ先に「踏み絵」を踏まされそうなのはMJF-Dだが,他の3与党とて難しい選択を迫られることに変わりはあるまい。

ネパールにおける中印の代理戦争といった最悪の事態だけは,何としても回避していただきたいものだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/10/29 at 23:09

カテゴリー: マオイスト, 議会

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新憲法の制定公布,7月中旬の予定

1.4党合意と新憲法制定手続き
議会主要4党が6月8日,新憲法の基本構造について合意に達し,文書「16項目合意」に署名した。

署名したのは与党のコングレス(NC)と統一共産党(UML),野党のマオイスト(UCPN-M)とマデシ人民権利フォーラム(MJF-L)。この合意形成により,反政府30党連合は分裂し,合意4党が制憲議会議席の8割以上を占めることになった。完全なコンセンサスではないまでも,それに近く,たとえ投票となっても,新憲法を成立させるに十分な議席数である。新憲法制定の手続と予定日程は,以下の通り。(6月8~12日付ネパール各紙参照)

6月8日:4党「16項目合意」
6月9日:制憲議会が,「憲法に関する政治的対話と合意形成委員会(CPDCC,バブラム・バタライ委員長)」に憲法懸案事項に関する審議と合意形成を付託。
6月11日:CPDCCが制憲議会に報告書を提出。
6月12日:制憲議会が,CPDCC報告書を賛成多数で承認し(反対RPP-N,退席MJR-N,TMLP,サドバーバナ),憲法起草委員会(KP・シタウラ委員長)に送付。憲法起草委員会は,CPDCC報告書に基づき,15日以内に,憲法案を起草。
6月下旬:憲法起草委員会が,憲法草案を制憲議会に提出の予定。
7月16日までに新憲法の制定・公布の予定

2.「16項目合意」の要点
憲法起草の指針となる「16項目合意」の要点は,以下の通り(Kathmandu Post, 9 Jun)。

(1)ネパール連邦民主共和国は,8州からなる。州は,アイデンティティ(エスニシティ/コミュニティ,言語,文化,地理,歴史)と地域の能力(経済力,インフラ,自然資源,行政効率)により区画する。

(2)州名は,州議会において2/3の多数により決定。

(3)州の区画は,連邦委員会(任期6か月)が原案を作成し,それに基づき立法議会において2/3の多数により決定する。

(4)議会は,連邦立法議会(下院)と上院の2院制。州議会は1院制。

(5)下院の議員定数は275。うち165は小選挙区制選出。110は比例制選出。

(6)上院の議員定数は45。うち40は各州から5ずつ選出。5は,内閣の推薦に基づき大統領が指名。

(7)多党制を採り,議会の多数派政党または多数派を代表する議員が,首相となる。

(8)立憲大統領。連邦議会と州議会から構成される選挙人団が,立憲大統領を選出する。
 (UCPNは,この立憲大統領制について留保するが,憲法制定手続を進めることには同意。)

(9)新憲法制定後,新たに成立する立法議会において,2007年暫定憲法に基づき,大統領,副大統領,首相,議長および副議長を選出する。

(10)次の下院議員選挙が実施されるまでは,新たに成立する立法議会が,2007年暫定憲法に基づき,首相の選挙,信任または不信任の投票,および組閣を行う。大統領,首相等に対する弾劾も2007年暫定憲法により行う。

(11)独立の公平で効率的な司法制度の確立。

(12)最高裁は正式記録裁判所であり,憲法の最終解釈権を持つ。

(13)憲法裁判所の設置。憲法裁判所は,中央と州,州と州および州と地方自治体の間の紛争,ならびに下院,上院および州の選挙に関する紛争を管轄し,それらに関する最終審となる。最高裁長官が裁判長。設置期間は新憲法の公布から10年間。

(14)司法会議は2007年暫定憲法の規定に基づき設置。

(15)憲法制定は,連邦制,統治形態,選挙制度および司法制度に関するこの基本合意の精神に基づき,進められる。

(16)地方自治体選挙を早急に実施する。

[署名]
 NC: S・コイララ (首相)
 UML: KPS・オーリ
 UCPN-M: PK・ダハール
 MJF-L: BK・ガッチャダル

150612■制憲議会

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/06/12 at 20:25

カテゴリー: 議会, 憲法

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ギャネンドラ元国王もティカで祝福

10月14日,ギャネンドラ元国王は,例年通り,ナラヤンヒティ元王宮内のマヘンドラ・マンジールを訪れ,ラトナ・ラジャ・ラクシミ・デビ・シャハ元皇太后から祝福のティカ(टीका)を受けた。そのあと,「王室僧侶(राजगुरु)」からもティカを受けた。

元国王は,午後3時からは,マハラジガンジのニルマル・ニワス(元国王邸)において,一般人民数千人にティカを与えた。形式的には,王制時代とほとんど変わらない。

131017a131017b
■ニルマル・ニワス(USNepalOnline, Apr.20, 2008)

一方,ヤダブ大統領も,大統領公邸(राष्ट्रपति भवन)において,ハヌマンドカ・ダサイン・ガールなどのパンデット(पण्डित)からティカの祝福を受けた後,ジャー副大統領,レグミ暫定首相,政府高官,メディア関係者,そして一般人民にティカを与えた。こちらも,形の上では王制時代の国王とよく似ている。

ここで興味深いのは,世俗国家の大統領が,大統領公邸で,おそらく「公式行事」として,ヒンドゥー教儀式を行っていること。

131017c ■シタル・ニワス(大統領公邸,大統領府HP)

しかし,大統領には,元国王のような「威厳」はない。動画を見るとよく分かるが,元国王からティカを受ける人びとは敬虔そのもの,まるで現人神を前にしているようだ。これに対し,大統領の前では現世利益が隠しきれず,そのような敬虔さはほとんど見られない。

宗教が絡むとどこの国でもややこしいが,ネパールは国制の転換期ということもあって,何がどうなっているのやら,さっぱり分からない。

131017d131017f
 ■ティカで祝福する元国王と大統領(www.videosbisauni.com/ Oct.14)

谷川昌幸©

Written by Tanigawa

2013/10/17 at 21:40

国家元首のダサイン大祭参加

ネパールは世俗国家(धर्मनिरपेक्ष राज्य)になったが,大統領(राष्ट्रपति)は,依然として,国家元首(मुलुकको राष्ट्रध्यक्ष)としてダサイン大祭に参加している。

今年も,大統領はトゥンディケルでのプルパティ(फूलपाती)国軍パレード(11日)に副大統領,レグミ大臣会議議長(暫定首相),政府高官らを従え,参加した。そして,12日のマハアスタミ(महाअष्टमि)には,これまでと同様,ナクサルバガワティ,ショババガワティ,マイティデビ,バドラカリ,サンカタなどを参拝している。

このように大統領のヒンドゥー教儀式への参加は続いているが,それでも王制時代とは雰囲気が異なる。1990年憲法(第27条1)では,国王は「アーリヤ文化とヒンドゥー教の信奉者(an adherent of Aryan Culture and the Hindu Religion)」であり,ダサイン大祭は国家行事でもあったからである。。世俗国家の元首には,もはやそのような宗教的権威はない。

▼メディアのダサイン祝辞:ekantipur(10/13), Himalayan(10/13) गोरखापत्र(10/11)
131013a131013b131013c

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/10/13 at 18:32

カテゴリー: 宗教, 憲法

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印外相,訪ネ9時間の意味深

インドのサルマン・クルシード外相が7月9日,空軍特別機でネパールを公式訪問した。当初,2日間の予定であったが,日帰り9時間の意味深訪ネ。

9時間の滞在中,印外相は,ヤダブ大統領,レグミ内閣議長(暫定首相),MP・ギミレ外相と会談し,国境地帯犯罪取締りや逃亡犯引渡条約,そして安全保障や水資源開発,洪水対策などについて協議した。

130711 ■クルシード外相とヤダブ大統領(在ネ印大使館HPより)

インドの対ネ政策は,つねにパキスタンや中国の動きを念頭に置いている。今回も,印外相は,パキスタンのISIや「テロリスト」の動きを警戒し,ネパールを利用したニセ通貨の持ち込みやテロ活動の取り締まり強化をネパール側に要求したらしい。

対テロ対策としては,以前からインド側はトリブバン空港管理のインド委託を要求していた(TIA空港,インド管理へ?)。もしこれが実現すれば,パキスタンばかりか,中国や米国,そしてたまには日本の動きも,事実上,監視できる。ネパールを属国扱いするトンデモナイ大国主義的要求だが,逆に言えば,それだけインド側の危機感は強いということだろう。いまのところ,ネパールはこの要求を拒否している。

しかし,そうはいっても印ネ関係は切っても切れない腐れ縁。ネパールにとって,インドは対外貿易の三分の二,対ネ外国投資の約半分を占め,インド抜きでは生きて行けない。だから,わずか9時間の訪問であっても,ネパール側は大統領,首相,外相が会談し,主要諸政党の党首らもこぞって拝謁の栄に浴した。豪傑プラチャンダUCPN-M議長ですら,シンガポール滞在中にもかかわらず,わざわざ帰国し,はせ参じた。KP・シタウラNC書記長によれば,印外相は「ネパールの政治的安定を保証しうるのは,インドだけだ」と語ったという(THT,Jul9)。いかに屈辱的であれ,これがネパールの現実なのだ。

とはいえ,インド側が大国主義的にネパールを威圧しすぎると,反印感情を刺激し,中国や欧米への接近を招く。今回も,CPN-Mは,露骨な反印・親中行動に出た。印外相訪ネの前夜,モハン・バイダ(キラン)議長とCP・ガジュレル副議長が北京へ向け出国したのだ。日本における反中・反韓以上に,反印はネパールでは国民のナショナリズムを高揚させる。

そういうこともあって,印外相は,かなり重要な援助を約束した。
(1)車両援助 
  内務省(治安対策) 716台
  選挙管理委員会(制憲議会選挙用) 48台
(2)軍事援助
  兵器供与(詳細不明),軍事教育,共同演習
(3)制憲議会選挙支援

インドは,パキスタン・中国を念頭に,制憲議会選挙(11月19日予定)の実施を強く要求している。先日,親中派頭目のバブラム・バタライUCPN-M副議長が辞任したし,選挙反対のCPN-M幹部は印外相訪ネにあわせ訪中した。インドとしては,何としてでも印指導下に制憲議会選挙を成功させ,親印安定政府をつくり,中国の南下パキスタンの「テロ」を封じ込めたいということだろう。

[参照]Indian Times,Jul9; Nepalnews.com, Jul9; The Himalayan Times, Jul9; Telegraph, nd(access,Jul10); People’s Review, nd(access,Jul10)

谷川昌幸(C)

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2013/07/11 at 11:25

ギャネンドラ元国王,マオイストから立候補か?

各紙報道によれば,マオイスト(UCPN-M)のKB・マハラ常任委員が,5月21日のネパールガンジでの記者会見で,ギャネンドラ元国王を11月予定の制憲議会選挙におけるマオイスト候補とする可能性を示唆した。

「過去を反省するなら,元国王に偏見を持つ必要はない。普通の市民として生活してきたのだから,わが党でも他のどの党でも元国王を立候補者として登録してもかまわないだろう。」(ekantipur, May21)

「ギャネンドラ元国王が普通の一市民として入党するなら,マオイストは彼を党公認候補とすることを躊躇しないだろう。」(Himalayan, May21)

これは,にわかには信じがたい話であり,マハラ常任委員も,「しかし,元国王は王制復古を夢見ているので,わが党は受け入れないだろう」(ibid)と,慎重に留保をつけている。

しかし,留保は留保であり,条件が満たされれば,解除される。周知のように,マオイストは,人民戦争末期に,ギャネンドラ国王に初代大統領になるよう提案したことさえあった。少なくともマオイスト幹部は,ギャネンドラ氏を,常に,絶対的に拒絶してきたわけではない。

だから,次の制憲議会選挙でマオイストが勝利すれば,「ギャネンドラ大統領=プラチャンダ首相」の豪華二頭制が成立する可能性がないわけではない。

マハラ常任委員の記者会見は,単なるリップサービスか,それとも観測気球か? さすが不思議の国ネパール,目が離せない。

130523 ■50ルピー札のギャネンドラ国王(Wikimedia Commons)

谷川昌幸(C)

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2013/05/23 at 16:42

カテゴリー: マオイスト, 国王

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大統領の下での選挙: I. Pokharel

共産党UMLのイシュワル・ポカレル書記長が,大統領の下での選挙実施を提案した。正論である。私も,この案が最善であると,提案してきた。
 *ガルトゥング提案の観念性と危険性など

UMLを含め主要4政党は,最高裁長官を選挙管理内閣の首相として選挙をすることに,ほぼ合意している。しかし,これはいわば「破産国家」の管財人,ネパールが「国家破綻」してしまった場合の最後の手段であろう。

しかしながら,現在のネパールにはまだ大統領が残っており,憲法的には完全な正統性を保持している。暫定憲法によれば――

■大統領は,国家の元首である(36A(2))
■大統領は,新憲法制定まで在職する(36C)
■大統領は,憲法施行の困難が生じたときは,内閣の助言に基づき,必要な命令を発し,その困難を除去することができる。(158)

この憲法規定を見れば,現在の状況下では,大統領が選挙実施を管理するのが最善であることは明白である。なぜ憲法上正統な大統領が現に存在するのに,無理をして最高裁長官を首相にしようとするのか,よく分からない。何のために大統領職をつくったのだろう?

【参照】▼ポカレル前副首相講演: 憲法政治学研究会 ▼ポカレル前副首相の長崎講演会(1/28)記事

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/11 at 11:15

カテゴリー: 選挙, 憲法

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