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ネパール憲法AI探訪(22): 国旗の図像学(9)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(6)ネパール国旗:2015年憲法
ところが,ネパールが,マオイスト人民戦争とそれに続く民主化運動を経て,王制を廃止し連邦共和制に大きく革命的に体制変換すると,国旗をどう変えるかが重要問題の一つとなった。

たとえば,2009年9月の制憲議会において,デブ・グルン議員(UCPN-M)は,「月と太陽を描いた旗は王制を表しており,多民族共和国の象徴たりえない。国旗は,包摂比例民主共和国に相応しいものに変えるべきだ」と主張した。*Maoist want Nepal’s national flag changed, Reuters, 2009/09/17

【参照】マオイストの国旗案「13星紅旗」

また,国民戦線,サドバーバナ党などからも,新憲法を制定するのだから国旗も新国家を象徴する図形にすべきだなどと,様々な国旗変更要求が出された。*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/09/17)

これに対し,現国旗維持を主張したのが,NC,UMLなど保守ないし穏健派諸党。たとえば,UMLのアグニ・カレル議員は,こう主張した:
「わが国の国旗はユニークだ。それ自体,アイデンティティを有し受容されている。国旗を変えてネパールが新しくなるわけがない。太陽と月は,わが国がそれらと同様,永遠たることを意味しているのだ。」*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/09/17)

また,NCのB・ニディ議員も,こう主張した:
「わが国旗はユニークであり,唯物論や宗教を持ち出して論じるべきものではない。国旗問題には,[図形の意味の]再定義で対応すべきだ。・・・・太陽と月は,ヒンドゥーだけの象徴ではない。他の宗教もそれらを敬愛している。」*Nepal: Proposals to change the flag (Kathmandu Post, 2009/10/15)

国旗変更を主張していたUCPN-Mは,当時,議会最大政党だったが,その国旗変更案は,NC,UMLなどの反対多数で否決され,結局,国旗問題は,国旗解釈の変更で決着することになった。

その結果,1990年憲法第5条の文言のうち,「伝統的に継承されてきた」の部分だけが削除された。強硬な国旗変更要求に,一部,譲歩したわけだ。

では,これにより国旗の意味(解釈)は,どうなったのか?

憲法規定の変更なのだから,当然,ネパール政府の公式解釈が出されているはずなのだが,いくら探しても見つからない。そこで,仕方なく,久し振りにAI先生にお伺いを立てた。

回答は,明快そのもの。たとえば,perplexity英語版によれば,ネパール政府は次のように説明しているそうだ:
質問】ネパール国旗の公式解釈は?
回答】・二重の3角形=ヒマラヤの象徴,ヒンドゥー教と仏教の象徴
・月=ネパール人民の冷静にして平和的な国民性の象徴,寒冷なヒマラヤ高地の象徴
・太陽=ネパール人民の決断力と実行力の象徴,タライなど高温地域の象徴
・深紅色=ネパール人民の勇敢の象徴,国花シャクナゲの色
・濃青色の縁取り=仏陀の頃から享受されてきた平和と調和の象徴
・国旗の起源=マハバラータと,プリトビ・ナラヤン・シャハによる国家統一

これは確かに明快な回答だが,参照先に政府機関は一切なく,少々,勇み足のような気がする。が,「政府公式解釈」と断言しなければ,上記のような国旗解釈が,現在,広く認められていることは確かである。政府自身も,おそらくこのような国旗解釈を,事実上,容認し,国政にあたっているのではないかと思われる。

むろん,政府の国旗解釈がはっきりしないので,今後,国旗の意味付けが大きくぶれ,紛争を引き起こす恐れが,あるにはあるのだか・・・・。

150730b■カーラバイラブ前の国旗(2015/07/30)

【参照】国旗の変更 ヒンズー教王国象徴としてのネパール国旗

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/24 at 17:13

カテゴリー: 宗教, 憲法, 政党, 政治, 文化, 歴史

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ネパール憲法AI探訪(19): 国旗の図像学(6)

5.ネパールの3角形国旗
(1)ヒンドゥー教の3角旗
ネパールの3角形国旗が「3」や「3角形」の神秘的魅力をバックにしていることは明らかだが,より具体的・直接的には,いうまでもなく,それはヒンドゥー教の3角図形や3角旗の伝統を正統に継承するものに他ならない。

たとえば,古典「バガヴァッド・ギーター」(マハーバーラタ)の周知の場面を描いたこの水彩画(1830年頃制作,大英博物館所蔵)。

240404a 240404bGouache painting on paper, part of an album of seventy paintings of Indian deities

ここでは,馬車に乗ったアルジュナに御者を務めるクリシュナが教えを説いているが,その馬車の上には2棹の3角旗がはためいている。クリシュナ側の旗に描かれているのは神猿ハヌマーンだが,アルジュナ側の旗には,そのものずばり「太陽」と「月」が描かれている。

「太陽」と「月」の配置が上と下,逆ではあるが,それを除けば,このバガヴァッド・ギータ画の二重3角旗は,現在のネパール国旗と瓜二つではないか!

「バガヴァッド・ギーター」は古典中の古典だし,クリシュナとアルジュナも人気の高い神々である。むろん,この大英博物館所蔵画そのものは1830年頃の作だが,このような場面を描いた絵そのものは昔から他にもたくさんあったであろうし,また,それらに描かれた二重3角旗もネパール各地にあったにちがいない。

たとえば,いまでもネパール各地の寺院には,金属製の二重3角旗(Dhoja)が掲げられている。いつからか判然とはしないが,相当古いものが多いことは確かだ。(撮影寺院名失念。同様の旗はパシュパティナートなど他にも多数ある。)

240404d 240404f ■カトマンズ(2013/11&2015/07)

240404c ■バクタプル

240404e 240404i ■ブンガマティ(2013/11)

ネパールが「国家の旗」として国旗を定めたのは,18世紀末に国家統一されて以降のことだが,二重3角旗そのものは,ネパール各地の寺院に古くからあり,その地域の目印ないし象徴となっていたにちがいない。もしそうだとすると,ネパール古来の二重3角旗を継承するネパール国旗は,世界最古の歴史を有する国旗の一つということになるであろう。

【参照】国旗の変更 ヒンズー教王国象徴としてのネパール国旗

【本頁,AI不使用】

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/05 at 11:27

生成AI問答(4): ネパールの人々は,彼ら自身の国家の世俗化について,どう考えていますか?

宗教は,国歌以上に難しい。取り扱いを誤れば,内乱,戦争で国家破滅となりかねない。要注意の最たるものだ。そんな難問中の難問について,生成AIは,どのような回答を示してくれるだろうか?

この問いを尋ねるのに最も適した国の一つが,ネパール。ネパールは,古来,ヒンドゥー教や仏教と密接な関係にあり,またイスラム教も一定の確たる勢力を――特に南部で――保持してきた。

そこに,1990年以降の自由化・資本主義化の進行とともに,とりわけヒンドゥー教を国教とする憲法規定の廃止以降,キリスト教がツナミの如くどっと押し寄せてきた。ネパールはいま,一方でのヒンドゥー教vs仏教vsイスラム教vsキリスト教という宗教競合に加え,他方での全般的な世俗化・脱宗教化の進行という,宗教政策的に見て非常に難しい状況にあると言わざるをえない。この難問に関する生成AIへの今回の具体的な質問文は,表題の通り。

Bing回答①は,情報不足の上に,マオイスト運動高揚を1990年とし,またヒンドゥー教を「国家宗教」としており,まったくの誤り。マオイスト運動開始は1996年だし,宗教については,ネパール憲法(2007年暫定憲法/2015年現行憲法)が「世俗国家」」と明確に規定している。文章作成が優先し,適正な情報の抽出・結合を誤ったのであろう。

Bing回答②は,①と全く同じ質問文を,数時間後に投稿してみて得られたもの。驚くなかれ,上記①とは全くの別物。情報不足は如何ともしがたいが,誤りではない。AIは同じ問でも異なった回答を出すことがある――要注意だ!

ChatGPT回答(質問&回答=Google翻訳使用)は,懇切丁寧で,見事。AIによる回答と自動翻訳のあまりのスゴさに,思わす寒気さえ感じるほどだ。

*****<以下,生成AI回答>*****
[1a] Bingの回答①(質問&回答=日本語)
ネパールの人々は、国家の世俗化について、様々な意見を持っています。1990年には、大規模な人民運動が起こり、王制の廃止と世俗国家の実現を目指すマオイストの活動が高まりを見せました。しかし、2015年には、ネパールは世界で最も多様な宗教を持つ国家の一つであり、国民の約80%がヒンドゥー教徒であるため、政府は国家宗教としてヒンドゥー教を認めることにしました。

[1b] Bingの回答②(上記①の数時間後の回答,質問&回答=日本語)
現在のウェブページによると、ネパールの憲法は、世俗的であることを明記しています。ネパールの憲法は、国家が宗教的に中立であることを保証するために、世俗主義を採用しています。

[2] ChatGPTの回答(質問&回答=Google翻訳使用)
ネパールの世俗化は国内で物議をかもしている問題であり、それについての意見はネパール人の間でさまざまです。

一部のネパール人は世俗主義を支持しており、世俗主義が異なる宗教や民族グループ間の平等と寛容を促進すると信じています。 彼らは、国が宗教に関して中立を保ち、個人が自由に宗教を実践する権利を有することを保証する必要があると主張している.

しかし、世俗主義に反対するネパール人、特にヒンズー教徒を自認する人々も多い。 彼らは、ネパールはヒンズー教の国であり、世俗主義が彼らの宗教的信念と伝統を弱体化させていると信じています。 彼らは、ネパールのアイデンティティと文化はヒンズー教と結びついており、世俗主義がこれらの価値観を侵食する恐れがあると主張している.

全体として、ネパールにおける世俗主義の問題は依然として論争の的で複雑なものであり、意見は宗教的、文化的、政治的信念の影響を受けることが多い.
*****<以上,生成AI回答>*****

230505 ■連日AI報道(朝日新聞2023/05/05)

【参照】
*  宗教関係投稿一覧
*1 キリスト教牧師に有罪判決(1)-(5)
*2 キリスト教攻撃激化と規制強化(1)-(6)
*3 キリスト教とネパール政治(1)-(10)
*4 改宗勧誘・宗教感情棄損を禁止する改正刑法,成立
*5 「宗教の自由」とキリスト教:ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定について
*6 キリスト教政党の台頭
*7 キリスト教会,連続攻撃される
*8 クリスマスを国民祭日に戻せ,キリスト者連盟
*9 キリスト教絵本配布事件,無罪判決
*10 改宗の自由の憲法保障,米大使館が働きかけ
*11 改宗勧誘は禁錮5年,刑法改正案
*12 世俗国家大統領の寺院「公式」参拝
*13 震災救援の複雑な利害関係(12):支援食品「牛肉マサラ」
*14 ヒンドゥー教王国復古運動,RPP-N
*15 宗教問題への「不介入」,独大使
*16 改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント
*17 国家元首のダサイン大祭参加
*18 世俗国家のダサイン
*19 国家世俗化とキリスト教墓地問題
*20 信仰の自由と強者の権利
*21 民族紛争、宗教紛争へ転化か?
*22 宗教と「表現の自由」:ヒンドゥー教冒涜事件
*23 民族州と「イスラム全国闘争同盟」結成
*24 世俗国家ネパールのクリスマス祭日
*25 仏教の政治的利用:ガルトゥング批判
*26 国家世俗化とネパール・ムスリムのジレンマ
*27 イスラム協会書記長,暗殺される
*28 ブッダ平和賞における政治と宗教
*29 毛沢東主義vsキリスト教vsヒンズー教
*30 コミュナリズムの予兆(1)-(7)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2023/05/05 at 13:42

紹介:三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』(1)

この本は,文化人類学者の著者が2001年8月~9月のネパール現地調査において観察した男女7人の生活を通して見た「ネパール民族誌」。こうした実地調査に基づく実証的研究は,私のような法や政治といった社会の上部構造を主に英語の論文や記事を通して勉強している者にとっては,たいへん興味深く,教えられることも多い。以下,私にとって特に興味深く感じられた部分を中心に,私見を交えつつ,紹介する。

三瓶清朝『みんなが知らないネパール―文化人類学者が出会った人びと』pp.i-xii, 1-308,尚学社,2018年5月刊
まえがき / 第1章 カトマンズ到着 / 第2章 オミラ=ダリ(女性,46歳) / 第3章 ギャヌー(女性,50歳) / 第4章 シバ(男性,30歳) / 第5章 カマラ=カント(男性,49歳) / 第6章 バリヤ(男性,45歳) / 第7章 ラム=バブ(男性,38歳) / シタ・カナル(女性,42歳) / あとがき

1.変わらないネパール
本書は,一言でいえば,ネパールの人々の生活を現地でつぶさに観察し,それにもとづき,個人の暮らしぶりやそれを取り巻く文化や社会組織の点では「ネパールは変わっていない」ことを,具体的に実証することを主な目的にしていると見てよいであろう。「まえがき」と「あとがき」に,こう記されている。

まえがき:「わたしがこの本で扱うネパールは個人・・・・の暮らしぶりやそれを取り巻く文化や社会組織(社会制度)に関するもので,大きく動く経済でも政治でも歴史でもない。これはいまもそんなに変わらないはずだ。ヒンズー教の骨格たるカースト身分制度など,これでもかこれでもかと書き定めた,ヒンズー教の聖典の一つである『マヌの法典』以来,つまり2000年前以来,何ひとつ変わっていない。」(v)

あとがき:「[2017年3月刊『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』を]読んでみたが,そのときの感想は,小さな変容はそこかしこに見られるものの大きくは『ネパールは変わっていない』というものである。ネパールは変わっていないのだ。たとえば,カースト制度など何も変わっていない。」(306)

これは,憲法や統治など現実政治の動きを中心にネパールを見ている私にとっては,驚くべき指摘である。ネパールは,1990年以降,とりわけ人民戦争(1996-2006)を転機に,近現代化,民主化,世俗化,資本主義化,消費社会化,少子高齢化,情報化,グローバル化,教育普及など,生活の様々な分野で,急変,激変しているのではないか?

たとえば,「後発国の技術的優位」により,ネパールでは携帯電話・スマホ,ソーラー蓄電池街灯,監視カメラなどが急速に普及した。安定性,運用などに問題はあるにせよ,日本より安価で便利なものも少なくない。

憲法や政治では,何といってもヒンズー教王国が崩壊し世俗的連邦共和国が成立したことが,決定的に重要な革命的変化だ。そして,それとともに始まった包摂民主主義の――問題は多々あるにせよ――大胆な導入により,カーストや性による差別は激減した。議会ではダリットや女性議員が,バフン,チェットリなど高位カースト男性議員に伍し,堂々と論陣を張っている。女性の政治参加,社会参加では,ネパールは,日本の2歩も3歩も,いやそれ以上に先行している部分が少なくない。

宗教では,キリスト教改宗が増えている。民主化により布教規制をいったん緩めたが,改宗急増に驚き,憲法に事実上の改宗布教禁止規定を再導入し,さらに刑法では重罰付きの改宗布教禁止を明文規定したほどだ。キリスト教政党ですらすでに活動している。(下記「5」参照。)

こうしたことや,上述のようなことを考え合わせると,ネパールはいま急変,激変しているといってもよいのではないだろうか?

そこで,私にとって特に興味深いのは,これら急変・激変部分と,本書で指摘されている変わらない部分とがどう関係しているのか,ということである。「変わらない部分」は,やはり変わらないのか,それとも変わるのか?

 
 ■ソーラー蓄電池街灯/監視カメラ(いずれもカトマンズ市内,2015年)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/17 at 14:12

紹介:名和克郎「近現代ネパールにおける国家による人々の範疇化とその論理の変遷」

これは,名和(編)『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相』(三元社2017)の第1章(p35-87)。近現代ネパールの憲法(広義)が原典資料にもとづき明快に分析・評価されており,私にとっては特に憲法史・憲法思想史の観点から大変興味深く読むことができた。以下,私見を適宜交えつつ,要点を紹介する。

1.集団的権利⇒個人的権利⇒集団的権利
この論文では,ムルキ・アイン(1854)から2015年憲法に至るネパールの広義の憲法が,D・ゲルナーの「集団的権利から個人的権利へ,そしてまた集団的権利へ」(同名論文2001)という図式を手掛かりとして分析・評価されている(p39,79)。すなわち――
 ・1854年ムルキ・アイン=「ヒエラルヒー的なカースト基盤モデル」
 ・1962年憲法=「開発的な文化均質化モデル」
 ・1990年憲法~2015年憲法=「多文化的な『異なっているが平等』モデル」

この図式は,ネパール憲法(国制constitution)の展開を俯瞰する場合,たしかに極めて明快で魅力的である。

2.ムルキ・アイン
「ムルキ・アイン(国の法)」は,ジャング・バハドゥル・ラナ[クンワル」が1854年に制定した法律。163項,1400ページからなる成文大法典で,国の在り方を決めているという意味では広義の憲法(国制constitution)である。このムルキ・アインについて,著者はこう評価している。

「国家のヒンドゥー性が強調され,全国統一のカースト的ヒエラルヒーによってネパールの全住民を不平等な形で一つの法の下に位置付けたこの法律[ムルキ・アイン]は,しかし,国境により閉ざされた一つの領域内に住む人々を統一的に支配しようとする点で,近代的な性格をも併せ持っていた。」(p77)

たしかに,ラナ宰相家統治は,ムルキ・アインによる統一的領域国家支配という意味では近代的であった。一方,ムルキ・アイン自体は,刑罰等の一部合理化はあるものの,大部分は伝統的ヒンドゥー法や既存の様々な社会慣行を整理し法典化したものであり,内容的には前近代的・封建的である。このムルキ・アインに基づくラナ家統治は,1951年まで続く。これを,全体として,どこまで近代的と評価するか?

また,この論文では,ラナ家統治末期から1962年憲法までの憲法についてはほとんど触れられていないが,憲法史的にはこの間にいくつかの憲法が制定されたことも無視できない。

1948年の「ネパール統治法(1948年憲法)」は,6編68か条の堂々たる成文憲法で,二院制議会や裁判所など近代的統治制度を定め,人身の自由,言論集会の自由,信仰の自由,法の前の平等,無償義務教育など近代的な諸権利をネパール市民(国民)個人に保障している。この憲法は,ラナ家統治崩壊から王政復古に至る政治的混乱のため,事実上,施行されなかった。

1951年王政復古後,新体制移行のため1951年暫定統治法(暫定憲法)がつくられ,そして1959年には公式にはネパール初の「ネパール王国憲法(1959年憲法)」が制定された。この憲法は,立憲君主制,二院制議会,議院内閣制など民主的な統治諸制度を定め,国民個人に,人身の自由,言論・出版の自由,集会の自由,財産権,平等権,自らの古来の宗教への権利など多くの権利を認めている。多くの点で近代的・民主的な立憲君主制の本格的な正式憲法であったが,残念なことにこの憲法も翌年(1960年)の国王クーデターにより1年余りで停止されてしまった。

なお,宗教,民族,カースト,性などによる差別の禁止は,1951年暫定憲法も1959年憲法も規定しており,またネパール語を国語とすることは1959年憲法が規定している。

このように,1962年憲法制定以前に相当程度近代的な成文憲法が制定されていたこと,またそのような近代的な憲法をつくりつつも,他方では前近代的・封建的なムルキ・アイン秩序を温存していたこと――これをどう評価するか? 憲法史的には,大いに関心のあるところである。

3.1962年憲法
1960年クーデターで全権掌握したマヘンドラ国王は,1962年,非政党制パンチャーヤット民主主義を理念とする「1962年憲法」を制定した。この憲法につき,著者はこう評価する。

「1962年憲法においては,ネパールがヒンドゥーの国家だという条文は存在するが,ジャートの違いに関するいわゆるカースト的な規定が全て姿を消し,全く逆に宗教,人種,性,カースト,民族による差別の禁止に関する条項が現れているのだ。」(p52)

「1950年代から1960年代前半にかけて,ネパールの法のあり方は根本的に変化した。ジャートによる扱いの差異は法律から消滅し,代わって国王とネパール語,ヒンドゥー教を中核とする国民国家ネパールの発展が目指されるようになった。そこで想定されたネパール国民は,ネパール語を話すヒンドゥー教徒たる平等な臣民であった。」(p56)

1962年憲法が,国王・国語・国教による強力な国民国家を目指していることは明らかである。中央集権的開発独裁。しかし,その一方,多言語・多民族のネパールでネパール語を国語と定め,特有の社会構造を持つヒンドゥー教を国教と定める憲法が,どこまで「個人の権利へ」(ゲルナー)を志向していたかについては,疑問が残る。

4.1990年憲法
1990年民主化により成立した「1990年憲法」は,著者によれば「画期的なもの」である。

「この憲法においてネパール史上初めて,ネパールの国民の民族的,言語的多様性がヒエラルヒー的合意抜きで明確に認められ,少数者の言語的権利が条文の中で具体的に示されたからである。」(p60)

しかし,そう評価しつつも,著者は,1990年憲法では依然としてヒンドゥー王国であり,西洋近代的な「信仰の自由」,ないし「個人が宗教を選択すること」は想定されていない,という留保をつけている。このことは,他の自由や権利についても,多かれ少なかれ言えることであろうか。もしそうなら,これは宗教以外の領域でも重要な意味を持つ指摘である。

5.2007年暫定憲法から2015年憲法へ
マオイスト人民戦争後,彼らの要求の相当部分をうけいれ制定された「2007年暫定憲法」と現行「2015年憲法」につき,著者はこう述べている。

「2007年暫定憲法では,ネパール国内の多様な人々の範疇が,『包摂』の対象として明確に現れることになった。こうした方向性は,2015年憲法においても基本的には引き継がれており,『包摂』は連邦共和制国家ネパールの主要原理の一つとなった感がある。」(p78)

こうして「包摂」が憲法の基本原理となれば,当然,包摂を求め「集団範疇の細分化」や多重化・多元化が進んでいく(p74-79)。これをどう評価するか?

また,すでに紹介した部分と一部重複するが,次のような指摘も重要である。
 
「宗教=dharmaについては,出自に基づく集団に帰属することが長く前提とされ,他人を改宗させることが禁じられてきたことから,『個人的権利』への十全な移行は一度も生じなかったと言える。そして興味深いことに,ジャナジャーティの運動家の多くは,ヒンドゥー教の強制には強く反対する一方,宗教=dharmaを集団的なものとする基本的発想を,多くのヒンドゥー達と共有してきた。自らの社会的文化的独自性に基づく集団的な権利の主張にとって,ネパールの宗教=dharma概念は確かに適合的ではある。」(p78-79)

著者は,この論文をこう結んでいる。ゲルナーは,多文化的な「異なっているが平等」モデルに「未だ実現されておらず,おそらく実現不可能な」という形容詞句をつけたが,「これはやや拙速な表現であった。・・・・ネパールの事例もまた,西洋的範疇を逸脱した変則的な例外としてではなく,様々な地理的歴史的制約のもとに展開しつつある一つの現在進行形の挑戦として,捉えられるべきである。」(p79)

多文化主義的「包摂」を前提とすると,これはネパールの「挑戦」の妥当な評価であろう。ただ「近代主義者」としての私としては,いまのネパール憲法論における「個人の権利」の理論的基礎づけの弱さが,どうしても気なる。自己規律なきエゴの主張は,事実として,いたるところに蔓延してはいるのだが。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/05/06 at 21:23

キリスト教徒,逮捕

6月9日,ドラカ郡でキリスト教徒7人が逮捕された。2人は郡内私学2校の校長,他の5人はキリスト教団体「Teach Nepal」のメンバー。

この7人は,私学2校の課外活動中に,聖書小冊子『偉大な物語』を885人の生徒に配布した。これを地元政治家が聞きつけ,郡役所を動かし,警察に7人を逮捕させたということらしい。容疑は,憲法26(3)条により禁止されている改宗勧誘・他宗教妨害

この事件は,一般紙はあまり報道していないが,いまの政権の基本姿勢をうかがわせる重大な事件である。ネパールのキリスト教徒は,公式には37万5千人だが,実数は230万人に上るという。すでに一大宗教勢力だ。そのキリスト教会が,今回のような,いささか強引な布教活動をすれば,ヒンドゥー教多数派と衝突するのは当然だ。

現行憲法堅持なら,この種の宗教紛争は継続,激化せざるをえない。逆に,憲法改正に向かえば,ヒンドゥー教勢力が黙ってはいない。現政権は憲法堅持だが,いずれをとるにせよ,難しい選択だ。

160618a 160618b

[参照]
*1 “Nepal police arrest Christians accused of converting people to Christianity,” christiandaily.com, 15 June, 2016
*2 “Nepal arrests seven Christians over allegations of converting people to Christianity,” christiantimes.com, 14 JUNE, 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/06/18 at 11:24

ネパールの故岩村医師邸,強奪破壊(1)

故岩村昇医師のネパールの邸宅(クリスチャンの養子ご家族居住)が,襲撃され,強奪,破壊されたという。中橋祐貴「『岩村記念病院・健康大学』でクリスチャン後継者が迫害を受け命の危機にChristian Today(日本語版),2016年4月29日。
 ●岩村邸 破壊前⇒⇒破壊後(上記記事写真リンク) 

岩村昇医師は1962年,「日本キリスト教海外医療協力会」からネパールへ派遣され,1980年まで医療奉仕活動を続けられた。1993年,マグサイサイ賞受賞。2005年没。

Christian Todayの記事によれば,2016年3月1日午後4時半ころ,故岩村邸に,何の通告もなく,警官25~30人と自治体職員15人,そして暴徒約30人が突然やってきて,居住中の養子ご家族を追い出し,家財道具を外に運び出し,家・土地を取り上げた。その後,それらは売却され,更地にされてしまったという。

なぜ,こんな乱暴なことが? 記事によれば,「政府機関には毛沢東思想に感化された官僚が多くはびこり,暴力と金,人権を無視した不当や不正が『腐敗した慣習として日常化』していることも事実だ。今回も政府や行政,さらには警察が賄賂で秘密裏に暴徒を雇い,さらには地区のトップまでもがこの暴力事件に加担している」。「クリスチャンであることを憎む暴徒たちにより,今回の事件が起こった。・・・・この事件の背景は思想に感化された官僚たちとキリスト教弾圧主義者による不正から始まったことと思われる。」

しかし,それにしても不可解だ。人民戦争中なら,こうした事件は珍しくなかった。しかし,人民戦争はすでに十年ほど前に終わり,いまは平時,新憲法もできた。マオイストは与党だ。この状況で,このような大っぴらな無法行為が許されるのだろうか?

一つ考えられるのは,最近の逆コース。ヒンドゥー教国家復帰が叫ばれ,クリスマスは国民公休日指定を外された。しかも,体制派幹部は,コングレスも共産党諸党も高位カースト寡占。故岩村医師邸襲撃がキリスト教が理由なら,そうしたことが背景にあるのではないだろうか?

しかし,そう考えても,やはり不可解だ。かなりの大事件のはずなのに,他のメディアは,このようなことに敏感な欧米のキリスト教系をも含め,見た限りでは報道していない。また,もし警察や自治体職員が動員されたのなら,いくらなんでも,まったく何の通告もせず,一方的に現住土地建物を一方的に没収し売却するとは考えにくい。

記事通りなら,大事件。続報をまちたい。

160501b 160501a■岩村記念病院HPより

[参照](5月2日追加)
GORO KIMURA‏@AIUEOUM  14:11 – 2016年5月2日
大変に驚くと同時にいぶかしく思ったニュースでした。早速以下のサイトから直接問い合わせました。そのような事実は一切無いということです。 ・・・・

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/05/01 at 20:52

ヒンドゥー教王国復古運動,RPP-N

新憲法制定期限1月22日が近づくにつれ,国民民主党(RPP-N)の動きが活発になってきた。

カマル・タパ議長は,1月2日のカトマンズ集会において,ヒンドゥー教国家復古まちがいなし,もし新憲法にその規定がなければ第三次人民運動を開始する,と怪気炎を上げた。

世界を見ると,イスラム教国70,キリスト教国40,仏教国10。とすれば,国民の81%以上がヒンドゥー教徒のネパールがヒンドゥー教国であって,どこが悪いのか? ヒンドゥー教国にすべきか否か,国民投票で決めよ。これが,タパ議長の主張である(a)。

ヒンドゥー教国復古はありえない,というのが一般の見方だが,インドではBJPが大勝し,強力モディ政権が成立した。RPPにとって,状況は以前よりはるかに有利となっている。新憲法制定が成らず,混乱が続き,情況が悪化していけば,ひょっとしてひょっとするかもしれない。

新憲法制定・公布期限まで,あと20日間!

▼カマル・タパRPP議長ツイッター掲載写真(https://twitter.com/KTnepal)
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[参照]
(a)”RPP-N warns of third mass movement for Hindu state,” Ekantipur,2015-01-02
(b)”RPPN Chair demands Nepal be declared a Hindu State in the new constitution,” Nepalnews, 2015-01-02

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/01/03 at 22:22

宗教問題への「不介入」,独大使

1.独政府の宗教問題「不介入」
マイヤー独大使が12月19日,大使公邸で記者会見し,こう語ったという。

「われわれ[独政府]は,宗教の自由を支持している。しかし,改宗は個人的な事柄であり,必ずしも常に公的な問題となるわけではない。現に,われわれは改宗を勧めることは,していない。」

スパークス英大使が,制憲議会議員宛公開書簡で提案したこと(改宗の自由の憲法保障)はEU全体の考え方でもあるが,「われわれ[独政府]は,宗教については,絶対に,どのような立場も取ってはいない」。

「ドイツは,ネパールにおける宗教や連邦制の問題については,どのような立場も取らないし論評もしない。宗教と国家は別のもの,とドイツは考えている。・・・・ドイツは,求められるときのみ,支援する。われわれの希望は,ネパールの安定,繁栄,民主化である。」(“Germany Doesn’t Hold Any Position On Religion: German Envoy,” Republica,Dec 20; Cf. LEKHANATH PANDEY,”We don’t advocate religion conversion: German envoy,” Himalayan,2014-12-19)
141220b 141220a ■独大使館とHPフロントページ

2.クリスマス宣伝,独GIZ
独大使館は,このような慎重な立場を公言しているが,これはドイツがキリスト教宣伝をしていないと言うことではない。

たとえば,ドイツ国際協力公社(GIZ: Gesellshaft fur Internationale Zuzanmenarbeit)。GIZは,ドイツの政府公社であり官民協力の国際援助機関。ネパールでは1975年から援助活動をしている。

このGIZが,たとえば下記のような派手なクリスマス・バザー(独開発協力事務所前庭開催)の宣伝をしている。もちろん,これは直接的な布教活動ではないが,キリスト教文化の宣伝となることは言うまでもない。

フェアトレードグループ・ネパール,独大使館カトマンズ,GIZネパールからの
フェアトレード・クリスマスバザーへのご招待!

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3.神々の自由競争の前提条件
個人の信教の自由は,いまではネパールでも広く認められている。ヒンドゥー教徒であっても,大多数はそれには反対しないはずだ。ところが,布教活動の自由については,必ずしもそうはない。

繰り返し述べてきたように,布教の自由は,宗教以外の他の諸条件の基本的平等がなければ,実際には,「強者の布教の自由」となってしまう。神々の自由競争は,大きな貧富格差のあるところでは,富者の神の勝利となる。富者の神が優れているからというよりは,むしろ強力な富の援軍(マモン)が富者の神にはついているからだ。富者の神への「宗教外強制」。

ネパール憲法の改宗勧誘禁止規定は,一見いかにも反人権的と見えるが,ネパールにはそうした憲法規定をおかざるを得なかったもっともな事情があったこともまた,紛れもない事実である。

4.英独の文化侵略
英独は,ネパール憲法が改宗勧誘を禁止してきた事情など,百も承知だ。彼らは,わかった上で(悪意で),やっている。タチが悪い。

ドイツが,イギリスと少し違うのは,ナチス・ドイツのトラウマがあり,イギリスほど平然と二枚舌外交をやれないため。ドイツは,内政不干渉をつねに強調せざるをえないのだ。

しかし,これはドイツがドイツ流の価値観をネパールに持ち込もうとしていないということではない。ドイツは,開発援助や学術文化支援を通して,やや慎重だが,きわめて活発に,ドイツ的価値のネパールへの普及・浸透を図っている。

英独など,こうした西洋諸国の「強者の正義」の押しつけや「強者の自由」の行使が,ネパールの少なからぬ人々の神経を逆撫でし反発を招くのは,当然といわざるをえない。

【参照】改宗問題 Conversion Battle フェイスブック  ツイッター

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/12/20 at 16:58

改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント

クリスマス準備で浮かれるネパール国民に,スパークス英国大使が,ビッグなクリスマス・プレゼントを贈ってくれた。

1.公開書簡で改宗権保障の勧め
スパークス英国大使は,制憲議会議員宛に公開書簡を送り,これが12月10日付『リパブリカ』紙に掲載された(a)。その中で,大使は議員たちにこうアドバイスをした。

「われわれ[英国政府]は,宗教を変える権利の保障の実現のために,制憲議会議員諸氏が努力されることを期待する・・・・」

この提言は,ネパールにおいては,事実上,ヒンドゥー教からの改宗の奨励を含意する。英国大使が,制憲議会議員宛の公開書簡において,堂々と,新憲法への「改宗権」の書き込みを要請した!!

 141216b ■公開書簡

2.ネパール政府による説明要求
スパークス大使のこの提言は,ネパール側,とくに国民民主党(RPP-N)やコングレス党の反発を招いた。彼らは,コイララ首相やパンディ外相に対し,スパークス大使を呼び,抗議し,善処を求めよ,と要求した。RPP-N支持者は,すでに抗議デモさえ始めている。

ところが,張本人のスパークス大使は,クリスマス休暇(!)で帰国し,不在。仕方なく,ネパール政府は,ハリソン代理大使を呼び出した。

ネパール外務省バイラギ次官代理は,ハリソン代理大使に対し,現行ネパール暫定憲法では改宗働きかけが禁じられていることを説明した上で,ネパールの憲法はネパール国民自身が決めるのであり,この種の内政の微妙な問題についての発言は控えるように注意を促した。

3.英国大使館の釈明
これに対し,ハリソン代理大使は,公開書簡は「悪意」によるものでも,ネパール社会の「調和を乱す」ことを意図したものでもなく,ネパール国民の憲法制定を応援するためのメッセージだった,と釈明した。

さらに英国大使館は,フェイスブック(12月15日付)において,公開書簡非難は誤解によるものだとして,次のように釈明した(b)。

スパークス大使の公開書簡は,長年の友好国からの憲法制定「応援メッセージ」であり,「個人の宗教変更権の保障への言及」も国際人権規約・第18条(思想・良心及び宗教の自由)の規定に沿ったものであって,改宗「強制」を支持するものではない。大使館も館員も,特定の宗教をネパールの議員や国民に説いたり強制したりはしていない。また,世俗主義についても,大使館は特定の立場を説いてはいない。世俗国家か否かは,ネパール国民とその代表者が決めることだ。

大使館は,公開書簡が誤解を招いたことを,残念に思っている。

 141216a ■大使館FB

4.英国外交の常套手段
英国大使館は,大使公開書簡に「悪意」はなかった,非難は誤解によるものだ,と釈明しているが,老練外交大国にしてネパール熟知の英国が,そんな初歩的なヘマをやるはずがない。

英国大使が,制憲議会議員宛公開書簡で「改宗の権利」に言及すれば,たいへんな物議を醸すであろうことなど,誰にでも予想できることであり,明々白々な常識だ。

英国には,前科がある。セカール・コイララ議員(NC)によれば,1990年憲法制定時に,英国使節団は,憲法に「世俗主義」を規定するよう提案した。これに対し,KP.バタライ首相は,ネパールの憲法はネパール人が決める,英国の元首はキリスト教徒だということを忘れないでいただきたい,と反論したという(i)。英国は歴史の国であり,ほんの二十数年前のことを忘れるはずがない。

こうしたことを考え合わせるなら,スパークス大使は,十分わかった上で,つまり「悪意」をもって,「改宗の権利」に言及したと見るべきだ。

むろん,憲法への「改宗の権利」書き込みを提言すれば,たいへんな反発を呼び,非難攻撃されることも,計算の上だ。内政干渉だと非難されたら,国際人権規約を盾に取る,つまり自らのものと巧妙に仮装している建前としての普遍的価値を引き合いに出し,ねじ伏せるわけだ。

そもそも英国は,KP.バタライ首相が反論したとされるように,世俗国家ではない。英国元首(国王/女王)は,英国国教会の首長だ。それなのに,英国大使は,そんなことなどそしらぬ顔で,ネパールには「改宗の権利」や「世俗国家」を押しつけようとする。(実際には,何宗への改宗か!) 建て前と本音の見事な使い分け。英国外交の真骨頂,ここにありといったところだ。

5.英国大使からのクリスマス・プレゼント
スパークス大使は,イエス・キリストの誕生を祝うため本国に帰り,休暇を楽しんでいる。クリスマス商戦たけなわのネパールに,「改宗の権利」というビッグなクリスマス・プレゼントを残して。

 141216c ■ホテルのクリスマス(H.Shanker)

[参照]
クリスマスと布教の自由問題
世俗国家ネパールのクリスマス祭日(再掲)
「布教の自由」要求:キリスト教会
信仰の自由と強者の権利

[参照資料]
(a)Andy Sparkes, “Letter To Sabhasad-jyus,” Republica,2014-12-10
(b)UK in Nepal,Facebook,2014-12-15
(c)”Govt Summons UK Official Over ‘rights To Change Religion’,” Republica, 2014-12-16
(d)”Mahat Says Conversion Through Inducement A Crime,” Republica, 2014-12-15
(e)”Misunderstanding regretted: Embassy,” HIMALAYAN,2014-12-15
(f)LEKHANATH PANDEY,”Govt seeks clarification on Sparkes’ conversion remarks,” Himalayan,2014-12-15
(g)DAMAKANT JAYSHI,”Koirala to look into U.K. envoy’s conversion remarks,” The Hindu,2014-12-14
(h)SHIRISH B PRADHAN, “UK Envoy in Nepal Under Fire for Advocating Right to Conversion,” Outlook India, 2014-12-15
(i)”UK Envoy Under Flak For Advocacy Of Conversion, Govt prepares to seek clarification,” Republica,2014-12-14

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2014/12/16 at 21:22