ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

「改宗の権利」勧告英大使,辞任

スパークス駐ネ英国大使が,2月27日付で大使を辞任し,帰国することになった。30年にも及ぶ外交関係公職からも引退するという。

辞任理由は,公式には,全く個人的なものだとされているが,実際には,昨年12月の公開書簡(Republica,10 Dec)にあることはいうまでもない。この書簡で,スパークス大使は,制憲議会議員に対し,「改宗の権利」を新憲法に書き込むよう勧告し,これがネパール各界からの激しい反発を招いていたのだ。

スパークス大使は長い経験を持つベテラン外交官であり,そのような公開書簡を出せば,どのような反応が起こりうるかは,事前に――おそらくは大使館スタッフも交え――十分検討し,その上で,公開書簡を発表したと見るべきだ。換言するなら,パークス大使,あるいは英国政府は,「改宗の権利」の憲法保障の実現は,大使の職を賭してでも働きかけるに十分値する,と判断したのではないかと思われる。

英国外交は,ことさほどに老練と見るべきであろう。

150301a150301スパークス大使
[参照]
改宗勧奨: 英国大使のクリスマス・プレゼント
宗教問題への「不介入」,独大使

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/03/01 at 14:33

カテゴリー: 外交, 宗教, 人権

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あつものに懲りて憲法を消す朝日新聞

朝日新聞(2月23日)が,記者会見(2月20日)における皇太子の憲法発言を報道しなかった。池上彰が「新聞ななめ読み」(2月27日)に,「皇太子様の会見発言 憲法への言及 なぜ伝えぬ」というタイトルをつけ,抑制された筆致ながらも,その報道姿勢を厳しく批判している。

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天皇には,周知のように,憲法尊重擁護の義務がある。「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

皇太子は,日本国の最高法規(第98条)たる憲法の精神と規定に従い,皇太子としての義務を忠実に果たすため,次のような発言をした(赤字強調引用者)。

[今年は戦後70年の節目の年です。戦争と平和への殿下のお考えをお聞かせください。]
『私は、今年で55歳になりますが、天皇陛下が即位されたのと同じ年になったと思うと、身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです。私は、常々、過去の天皇が歩んでこられた道と、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致すよう心掛けけております。・・・・

先の大戦において日本を含む世界の各国で多くの尊い人命が失われ、多くの方々が苦しい、また、大変悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。・・・・亡くなられた方々のことを決して忘れず、多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み、戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。・・・・

私自身、戦後生まれであり、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。・・・・

我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています。・・・・』

ところが,朝日新聞記事(島康彦記者)は,この会見発言から「日本国憲法」を消してしまった。

『皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、これに先立ちお住まいの東宮御所で記者会見に臨んだ。

戦後70年を迎えたことについて「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示し、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘した。また、今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話した。

天皇陛下が即位した55歳と同年齢になったことには「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです」と述べ、常々、過去の天皇が歩んできた道に「思いを致すよう心掛けております」と明かした。』

これが,池上氏の批判した2月23日付東京版朝刊記事。ネット版2015年2月23日05時00分の記事も,そうなっている。ところが,そのわずか1分後の2015年2月23日05時01分の記事は,次のようになっている。

皇太子さまは23日、55歳の誕生日を迎え、これに先立ちお住まいの東宮御所で記者会見に臨んだ。

『戦後70年を迎えたことについて「戦争の記憶が薄れようとしている」との認識を示し、「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と指摘した。

また、「我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と述べ、今年1年を「平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」と話した。

天皇陛下が即位した55歳と同年齢になったことには「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしおです」と述べ、常々、過去の天皇が歩んできた道に「思いを致すよう心掛けております」と明かした。』

1分前には無かった「日本国憲法」が,1分後のこの記事の中には,一カ所ながら,現れている。これは奇っ怪! いったいどうなっているのか?

一読者には,この変更の事情は全く分からないが,池上氏が読んだ東京版朝刊記事には皇太子の憲法への言及が全く記載されていなかったことは確かだ。池上氏が憤慨するのも,もっともである。

このところ,朝日新聞は,全く面白くも,おかしくもない。あつものにこりて,何を扱うにせよ,こわごわ,批判精神のかけらもない。新聞は社会の木鐸ではなかったのか? 

150227b島康彦記者ツイッター

(注)批判:1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」 2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」(朝日新聞コトバンク=デジタル大辞泉)

[参照]
天皇「愛国心」回答
天皇の憲法遵守発言の「政治的」意味
天皇「愛国心」回答にみる立憲政治

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/27 at 21:57

カテゴリー: 平和, 憲法

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失われ行く古き良きキルティプル

キルティプルの変化が加速度的に速くなっている。ほんの数年前までは,丘の上は古来の家並みやレンガ敷きの路地が美しく調和していたのに,それらが次々に壊され,今風の家やコンクリート道路に造り替えられている。このままでは,あと数年もすれば,伝統的街並みは,あらかた姿を消してしまうだろう。

丘の上のキルティプルは,生活には,不便だった。食糧や生活物資は急な坂道を人力で運び上げなければならない。無責任な余所者の目には,大量の稲藁や重そうな籾袋を担い登ってくる女性たちは絵になるが,これがいかにたいへんな重労働であるかはいうまでもない。

また狭く段差も多いレンガ敷き路地は,バイクや車の通行には不便。だから,生活を考えるなら,情緒豊かなレンガがはがされ,効率だけの無粋なコンクリート通路にされるのは,いたしかたない。これらの写真でも,壊されている家の左隣はすでにスチールシャッターとなり,右隣の入口にはバイク用のコンクリート通路がつけられている。電柱はコンクリート製。懐古趣味の余所者がどう感じるにせよ,生活のためには,街の近代化はやむをえないのだ。

▼取り壊される伝統的家屋
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しかし,奇跡的によく保存されてきたキルティプルが,このような形で失われていくのは,いかにも惜しい。地元の人々が話し合い,街全体の保存がはかれないだろうか。丘の上だけでも保存されれば,ときとともに文化遺産としての価値が高まり,多くの観光客を引き寄せることは,まちがいない。空港からもカトマンズ中心部からもほんの数十分,しかもヒマラヤがよく見える。立地は申し分ない。小さな街だから,観光と関連事業で十分生活できるようになると思う。

が,もう手遅れかもしれない。残念ながら。

▼夕陽の中のレンガ工場(キルティプルより)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/26 at 20:47

カテゴリー: 社会, 経済, 文化, 旅行

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ナラヤンヒティ王宮博物館,再訪

6年ぶりに,ナラヤンヒティ王宮博物館を訪れた。入場は前回以上に厳しい。以前は,撮影禁止にもかかわらず,持ち込んだデジカメやスマホでパチパチ撮り放題だったが,いまは入口で厳重なボディ・チェックがあり(男女別,第三の性なし),私物は何も持ち込めない。(参照:王宮博物館と中日米

博物館は,館内も庭園も,予想に反し,よく管理されていた。前回は,博物館としての開館後日も浅く,特に2001年6月の王族殺害事件現場(トリブバン・サダン)付近は雑然としていたが,いまはきれいに整備されている。ディペンドラ皇太子銃撃のとき出来たとされる壁の銃弾の跡も,くっきり残っており,以前よりむしろ深くなったような気さえする。王族殺害事件は,いまではすっかり過去のものとなり,貴重な観光資源の一つとして役立てられている。
 【補足】文化・観光・航空省発行リーフレット「ナラヤンヒティ王宮博物館」は,ディペンドラ皇太子被害者説を採っている。銃撃実行者は特定せず。
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館内で気づいたのは,日本関係の展示物や備品が減っていること。ネパール王家は,日本の皇室や政財官界と懇ろであり,その特別の関係を誇示する展示物や備品が以前はたくさんあった。いちいちチェックしていなかったので印象にすぎないが,今回いってみると,それらのかなり多くが無くなっていた。単なる展示の入れ替えや備品の交換にすぎないのかもしれないが。

しかしながら,それよりもなによりも,今回も印象深かったのは,中国の扱い。入場料区分を見ると,中国はネパールの次, 南アジア地域協力連合(SAARC)よりも前だ。単にゴロのためかもしれないが,こうした場合,そう見るのはナイーブすぎる。やはり何らかの配慮が働いているのだろう。そもそもネパール王室は中国と仲がよかった。そのゆかりの地への入場には,やはり中国への敬意を表するのが筋であり礼儀というものかもしれない。

▼王宮博物館正面入口と入場案内(モヤのため映像不鮮明)
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/24 at 14:49

平和のハトと,ハトを食うヒト

1.「平和の象徴」としてのハト
ハト(鳩)は,欧米でも日本でも,一般に「平和の象徴」と見られている。旧約聖書では,ハトがオリーブの小枝をくわえて箱舟に戻り,新約聖書では,聖霊がハトの姿でイエスのもとに降りてくる。

「旧約聖書」創世記:8-11
ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。・・・・それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。
「新約聖書」マタイ3:16
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
同上,10:16
へびのように賢く、はとのように素直であれ。

日本では,たばこの「ピース」がハトのデザイン。紫煙をくゆらせ,ハトの平和を嗜むわけだ。

150222d150222f ■UN/UNODA

150222e150222a ■ドン・ボスコ社刊/ピース

2.食用としてのハト
しかし,ハトにとって,人間社会は平和なところばかりではない。ハトは,ヒトによって食用として飼われ,殺され,食われてしまうこともある。なんて野蛮,残酷! そんな悲鳴が聞こえてきそうである。

しかしながら,ハトを食べる文化は,決して珍しくはない。中近東では一般的だそうだし,ネパールでも食用にハトを飼っているところはある。私自身,山麓トレッキングのとき,小さなハト小屋のある農家をあちこちで何軒も見ている。

食用鳩のことは,したがって私も知ってはいたが,その一方,長年にわたる西洋キリスト教文明の刷り込みにより,私の心の中には,「ハト=神聖=平和」という心象イメージができあがってしまっていた。だから,ルンビニの近くのタルー民族の村で,ハトが食用として広く飼育されているのを見て,少なからぬショックを受けた。

この村のハト小屋は,大きな立派な粘土製で,小屋というよりはマンション。そんな豪華なハト小屋マンションが,各農家の庭先にデーンと据えられ,ハトが頻繁に出入りしている。平和といえば平和な風景だが,「ハト=神聖=平和」の心象イメージが強いだけに,殺され食われるためかと思うと,「残酷,かわいそう!」という感情に捕らわれるのをどうしても禁じえなかった。

食は性と同様,文化の基底にあり,食生活の相違は,知識としては理解していても,感情としては,なかなか納得できるものではない。聖牛文化圏の人であれば,神戸牛を見てよだれを垂らすようなことは,けっしてないだろう。クジラ高等動物信者は,牛を殺して食っても,捕鯨は生理的に嫌悪するだろう。

150222b ■ハト小屋

3.異文化の実地学習
私自身,今回,イタハリの食堂で昼食中,たまたま朝食で残したゆで玉子があったので食べていたら,店員が血相を変えて飛んできた。全く気づかなかったのだが,そこは菜食主義(ベジタリアン)食堂だったのだ。

不注意を平謝りし,何とか許してもらった。内心,ゆで玉子くらい,と思わないでもなかったが,これは,インド国境付近を旅しているにもかかわらず,地元食文化に鈍感だった私の誤りである。よい勉強になった。

人類を救ったハトは,救った人間に食われることもある。不殺生の聖地ルンビニで,そんなことも実地学習した。

150222c ■巨大な保存壺

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/23 at 13:36

冬のヒマラヤ,あんがい見えない

ほんの3週間ほどの滞在だから,いつもはそうではないかもしれないが,1~2月には,盆地や丘からは案外ヒマラヤは見えないのではないか? 朝は霧が立ちこめ,昼頃になるとモヤかカスミがかかり,夕刻まで残る。カトマンズ付近でも,ダンクタでも,イラムでもそうだった。

よく見えたのは,キルティプールの1日,ダンクタの1日だけ。飛行機からも,国内線2往復のうち,よく見えたのはルンビニからカトマンズへ帰るときだけ。運が悪かっただけかな? (山の名に疎いので,下記は当てずっぽう。たぶんそうでは,といった程度。)

▼ダンクタから望むマカル―(?)方面
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▼菜の花畑と農家(ダンクタ付近)
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▼飛行機の窓から望むダウラギリ・アンナプルナ(?)方面
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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/21 at 19:23

カテゴリー: 自然, 旅行

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中華街,ますます拡大

カトマンズの中華街の拡大に拍車がかかっている。中国式道路建設と似て,乱暴とも思えるほどド派手だから,とにかく目立つ。

これほどの急進出だと反発を招きそうなものだが,道路工事や高層ビル建設についてと同様,さしたる反対の声は聞かれない。カネ以上に口を出す欧米とは異なり,自由チベット運動を除けば,中国は実利優先だからだろう。

観光客も激増。街を歩いていると,まず中国語で声をかけられる。中国人から同胞と見られ道を聞かれることも少なくない。

ルンビニでは,同じ宿に中国人女子大生3人が泊まっていた。食堂で話しかけられたので,カタコト英語で小一時間おしゃべりした。北京から列車でラサまで行き,バスに乗り換え,カトマンズをへてルンビニまで来たという。そんな時代になったのだ!

中国の進出については下記参照:
中国人観光客と国際線の乗り入れ(2015年2月11日)(ネパール政経ニューズ)
中国人がやってくる:ネパリ・タイムズ記事
初夢は鉄路カトマンズ延伸?
援助と建前逆手どり,対ネ中国外交の冴え

▼タメルの中華街
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▼中国製駄菓子
150214e ■パシュパティナガル(イラム/ダージリン国境の町)の茶店の駄菓子も,よく見ると中国製が多い。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/02/19 at 11:09

カテゴリー: 経済, 旅行, 中国

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