ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

紹介:「ネパールのビール」

図書館で『ネパールのビール』というタイトルの本を見かけたので,借りてきて読んでみた。といっても,「ネパールのビール」は,338ページもの大著に収められた多数のエッセイの一つで,ほんの4ページ余にすぎない短編であった。

いささか,あっけにとられたが,「ネパールのビール」そのものは,大著タイトルとして選んで冠されるのももっとな,感動的なーー文芸春秋特集の意を酌むなら「泣かせる」ーーエッセイであった。

▼日本エッセイスト・クラブ編『ベスト・エッセイ集 ネパールのビール』文芸春秋,1991
*初出:吉田直哉「ネパールのビール」,『文芸春秋』1990年1月号(特集・私がいちばん泣いた話)
ネット掲載「ネパールのビール」全文
  ■91年版『ネパールのビール』

1.「ネパールのビール」梗概
著者は,1985(昭60)年夏,テレビ番組撮影(*1)のためドラカ村(*2)に行き,10日ほど滞在した。ドラカ村は海抜1500mで,斜面に家々が散在,人口は4500人。電気,水道,ガスなし。車道もなく,人びとは荷を背負って移動。

そのため,著者らは,車道終点のチャリコットからポーターを雇い,約1時間半かけ機材や食料をドラカ村まで運んでもらった。ビール(瓶ビール)は重いので,諦めた。

*1 NHK衛星第1「NHK特集・ヒマラヤ・ドラカ村でいま」1986年1月15日10:15~11:00
*2 ドラカ村はチャリコットから約4㎞,いまは道路が付き,バス停もある。
  ■チャリコット~ドラカ村(Google)

撮影で大汗をかいたあと,著者が,ビールを冷やして飲みたいなと口にしたのを,村の少年チェトリが聞き,自分がチャリコットから買ってきてあげると申し出た。

チェトリ少年は遠くの小さな村出身で,ドラカ村に下宿して通学。下宿の薄暗い土間で自炊し,そこで勉強もよくしている。

そのチェトリ少年に,著者は夕方お金を渡し,チャリコットまでビールを買いに行ってもらった。少年は,夜の8時ころ,ビール5瓶を背負い戻ってきた。

翌日も,ビールを飲みたくなった著者は,ビール1ダースぶん以上のお金を渡し,買い出しを頼んだ。

ところが,出掛けた少年は,いつになっても帰ってこない。村人や学校の先生に相談すると,そんな大金をあずけたのなら事故ではなく逃げたのだ,といわれた。これを聞き,著者は,大金で子どもの一生を狂わせてしまった,と深く後悔した。

いたたまれない気持ちで過ごした3日目の深夜,少年がヨレヨレ泥まみれで帰ってきた。チャリコットには3本しかなかったので,山を4つ越えたところで7本買い足したが,帰りに,ころんで3本割ってしまったと,べそをかきながら3本の破片を見せ,釣銭を差し出した。

そんなチェトリ少年を抱きしめ,著者は泣き,そして深く反省した。

2.「泣かせる」が特異ではない話
以上が,「ネパールのビール」の概要。たしかに感動的な「泣かせる」話だ。少年が,著者のために買ったのは瓶ビール10本。3本は割れてしまったとはいえ,重い。それらを背負い,山を4つも越え,持ち帰った。3日目の深夜まで,山道を何時間歩いたのか。お駄賃がもらえるとしても,たかがしれている。想像を絶する忍苦!

著者は,あろうことか,そんな少年を疑ってしまった。それだけに,帰ってきた少年を見て,著者が感動して泣き,深く反省したのは,もっともといえよう。

このように,「ネパールのビール」は感動的な泣かせるエッセイだが,そこで描かれているような出来事は,決して特異なものではない。ネパールを訪れたことのある日本人なら,多かれ少なかれ,幾度も同種の体験をしているはずだ。

3.泣くに泣けない話
私自身も,「ネパールのビール」とほぼ同じころ,初めて訪ネしアンナプルナ・トレッキングをしたとき,同じようなことを体験した。

ポカラから乗客鈴生りジープで川沿いをさかのぼり,ダンプス登り口で下車。さあ出発と前を見ると,絶壁のような急登。恐れをなし躊躇していると,たむろしていた地元の人々が次々と声をかけてきたので,人のよさそうな少年の一人にダンプスまでの荷揚げを頼んだ。年齢ははっきりしないが,日本の中学生くらい。小柄だが,重い荷物の大部分を背負ってくれた。日当は驚くほど安く,たしか2,3百円くらい。それでも荷物を担ぎ,断崖のような山道をどんどん登って行った。

身軽になった私は,おとぎの国のような風景をながめ,写真を撮ったりしながら,休み休み登って行った。そんな私を,大きな荷を背負った地元の人たちが次々と追い抜いていく。女性の方が多く,背負っている荷の中にはコーラやビールのビンが何本も見られる。いかにも重そう。上方の村々に運び上げているのだ。

そうこうするうちに,荷物をもち先に行った少年のことが気になりだした。ダンプスの村で約束通り待っていてくれるだろうか? まさか持ち逃げなどしていないだろうな,などと。わずかの手当てしか払っていないのに,こんな心配。われながら情けなかったが,ダンプスに着くと,そこで少年がちゃんと待っていてくれた。「ネパールのビール」の著者のように泣きはしなかったが,私も,大いに反省させられた。

ダンプスで1泊し,さらにランドルンで1泊,そして最終目的地のガンドルンまで登った。この間,道端の茶店やロッジでビン入りのコーラやビールが売られているのを目にしたが,それらを運び上げる地元女性の姿が目に浮かび,どうしても買って飲むことは出来なかった。

ところが,ガンドルンで歩き回り疲れ果てて,夕方,ロッジに戻ると,無性にビールが飲みたくなり,とうとう一本買って飲んでしまった。うまかった! が,それだけに自分のあまりの意思の弱さが情けなく,やりきれない罪の意識にさいなまれることになった。

はるか下方の登り口から,いやひょっとしたらポカラの町から,女性や少年を含む荷揚げの人々が,何時間も,いや時には何日もかけて,背負い運び上げてきた重い瓶ビールや瓶コーラを,町よりは少し高いとはいえ当時の日本人にとっては全く気にならないほど安い値段で買い,一気に飲んでしまってよいものか? 私の一瞬の,のど越しの快は,ネパールの荷揚げの人々の労苦に見合うものなのか? それは,事実上,彼らの人間としての尊厳を無視した傲慢な搾取を意味するのではないのか?

日本人とネパール地方住民との間には,1980年代中頃にはまだ,想像を絶するほどの生活格差があった。当時,ネパールの地方に行くと,日本人は多かれ少なかれ優越感に捉われるのを禁じえず,と同時に,そうした優越感から行動しているのではないかという自己猜疑に取り憑かれ,不安になる。たとえば,日本であれば,15歳の少年に徒歩往復3時間もかかる遠方に夕方ビールを買いに行かせようとは思いもしなかったであろうし,また,小柄な少年にわずか2,3百円のはした金で重い荷物を背負わせ急峻な山道を登らせようともしなかったはずだ。

ここには,ビールを買ってきてくれた少年や荷揚げをしてくれた少年を疑ったことへの反省だけでなく,それらよりも根源的な自己の優越的地位そのものへのどうしようもない罪悪感があるように思われる。泣くに泣けない自責の念。

1980年代中頃のネパールは,訪ネ日本人の多くにとって,他者との関係において自己を改めて見直す試練の場でもあったのである。

  ■ダンプス~ガンドルン(Google)

4.道徳教育教材としての「ネパールのビール」
「ネパールのビール」は,一見,起承転結の明確なエッセイなので,道徳教育の課題文として多くの学校で使用されてきた。対象は主に2年生。たとえば,次のような報告がある。

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埼玉県立総合教育センター 第2学年○組 道徳学習指導案
1 主題名: 誠実な生き方
2 資料名: 「ネパールのビール」 出典( 自分を考える」あかつき)
4 ねらい: 自分で考え、決めたことは誠実に実行し、その結果に責任をもとうとする心情を養う。

安芸高田市立向原中学校 道徳科指導案 第2学年指導者:上田 仁
主題名:人間のすばらしさ(よりよく生きる喜び)
教材名:「ネパールのビール」
筆者とチェトリくんの生き方の違いを対比させることを通して,人間の醜さに気づくと共に,人間の持つ強さや気高さを信じ,人間として誇りある生き方を見いだそうとする道徳的心情を育てる。

岩手県立総合教育センター 第2学年 道徳学習指導案 指導者:伊藤千寿
主題名:信頼感
内容項目:人間の強さと気高さ、生きる喜び
資料名:「ネパールのビール」
人間は信頼に値すると思う相手に対してであっても、状況によっては疑いの気持ちをもってしまうことがある。それは気持ちの弱さとも言えるが、よほど相手を知り尽くしているのでない限りは仕方がないことでもある。しかし、それを超える誠実さに触れることによって、疑ってしまったことを悔いたり、相手が信頼に値する人間であることを再認識したりすることもある。そのような経験を繰り返す中で、自分も弱さをもっていることを認めたうえでそれを乗り越えることのできる可能性を信じられるようになり、そのことがやがて喜びをもって生きていくことにつながると考える。

【参照】西部中学校「道徳の授業~ネパールのビール~」2018年2月28日

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中学2年道徳科の課題文としてであれば,「ネパールのビール」がこのような読み方をされるのも,もっともかもしれない。

5.もう一つの読み方
しかしながら,その一方,人それぞれの考え方や行動は,その人の生まれ育ってきた環境に大きく規定され(存在被拘束性),それが原因で解消の容易ではない誤解や対立が生じることにも目を向けるようにすることが必要であるように思われる。

異文化,異社会,異国家等の間の相互理解や和解は,そう容易ではない。「ネパールのビール」も,よく読めば,それを暗示しているように思われる。これは,永遠の課題と覚悟せざるをえない。

道徳教育では,学習レベルに応じた形で,相互理解の困難さ,その場合の対応の仕方ーー単純明快な解答のない場合の問題への対処の仕方ーーについても議論し,考えを深めていくべきではないだろうか。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/08/06 at 10:49

第三の性パスポート,ネパールなどに倣い米でも

アメリカ国務省が6月30日,パスポートの性別欄に「X」を追加すると発表した。「M(男)」でも「F(女)」でもない人びとは,「X」を選択できるようになる。いわば「第三の性パスポート」。今年中に実施の予定。

このような「第三の性パスポート」は,ネパールをはじめ印,濠,加など数か国がすでに採用しており,米政府もそれらの国の「第三の性パスポート」は承認している。
 【参照】第三の性パスポート,ネパール発行開始 性的少数者の権利,先進国ネパールから学べ M・F・X:ネパール「第三の性」旅券発行へ 「第三の性」パスポート,最高裁作成命令

また,米国内でも,20州以上が性別「X」選択可能な身分証明証を発行しているし,控訴裁判所も「X」選択可能パスポートの発行命令を出している。

バイデン政権は,性の多様性容認への内外のこのような流れに掉さし,「史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命」(在日米大使館)したのに続き,このたびは「第三の性パスポート」の採用に踏み切ったのであろう。

それにしても,「性」は,人間のアイデンティティの根源にかかわるだけに,難しい。現在のところ,人びとは,その「性」により,「」または「」だけでなく,「LGBTQI+」としても区分されているらしい。

 L = レスビアン(女性同性愛者)
 G = ゲイ([主に男性」同性愛者)
 B = バイセクシュアル(両性愛者)
 T = トランスジェンダー(性別違和)
 Q = クィア/クエスチョニング(Queer/Questioning,性自認未定ないし不選択)
 I = インターセックス(男女両性身体)
 + = その他の様々な性

あまりにも複雑。正直,よくわからない。「性」は,厳密に定義しようとすればするほど多様となり,したがってそれぞれの「性アイデンティティ」を尊重して人びとを公平に処遇しようとすればするほど社会の仕組みも複雑とならざるをえない。

しかし,そんな方向に突き進めば,早晩,にっちもさっちも行かなくなるのは目に見えている。

そこで,いっそのこと「性」の区分や記述を一切なくしてしまえ,といった極論が出されることになる。もともと「性」など無限に多様なのだから,その多様性を尊重すべきなら,「性」を一切問わないのがもっとも公平ということになる。たとえば,トイレを性ごとに無限に多様化できないのなら,性別を問わない「万人共用トイレ」にしてしまえ,ということ。

が,こうした性区分撤廃論はちゃぶ台返し,問題を振り出しに戻すだけにすぎない。非生産的。われわれとしては,ややこしくて面倒だが,「LGBTQI+」という形でいま提起されている問題に,一つ一つ誠実に取り組み,よりよい解決策を模索していく以外に方法はあるまい。

このような「性」多様化の問題は,何かにつけ外圧で動く日本にとっても他人事では済まされない。たとえば,アメリカは「LGBTQI+の権利を擁護する米国」を掲げ,在日米大使館主催「LGBTQI+の権利向上をめざそう~アメリカと日本をつないで~」などを開催している。

おせっかい,余計なお世話という気もしないではないが,「人権」は,いまや「大砲」以上に強力で有効なアメリカ外交の手段。照準が向けられているのは中国だけではない。日本政府も,いずれ「第三の性パスポート」を発行し,そして,もう一つの「せい=姓」についても「夫婦別姓」法制化という形で多様化せざるをえなくなるだろう。

*1 ANTONY J. BLINKEN(SECRETARY OF STATE), “Proposing Changes to the Department’s Policies on Gender on U.S. Passports and Consular Reports of Birth Abroad,” PRESS STATEMENT, JUNE 30, 2021
*2 在日米国大使館と領事館「LGBTQI+の権利を擁護する米国
*3 “U.S. protects the rights of LGBTQI+ people ,” ShareAmerica -Jun 3, 2021
*4 アメリカ大使館「バイデン政権、史上最多のLGBTQI+を政府関係者に任命
*5 “U.S. to add third gender option to American passports,” nbcnews.com,July 1, 2021
*6 Kate Sosin, Orion Rummler, “U.S. to add ‘X’ gender marker on passports,” June 30, 2021

■インドのパスポート申請書

■ネパールの出入国申請書

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/07/04 at 16:44

紹介:「ヒマラヤに呼ばれて」

児童文学作家による「ネパール人との深い交流」の体験を描いた長編ノンフィクション。
 ▼さとう・まきこ「ヒマラヤに呼ばれてーこの世に偶然はないー」ヒカルランド,2018

著者は1991年,43歳のとき,「な~んとなく」ネパールへトレッキングに出かけ,その自然と文化と,そしてとりわけ人に魅了されてしまう。

「ネパールの貧しい少年を母として見守ることになった筆者。マン[上記少年」をはじめとするネパール人との深い交流の中,筆者の生活や価値観は大きく変わっていく」(表紙キャプション)

このようなネパールとの関わり方は,ネパールに出かけたことのある日本人の多くにとって,著者ほど深くはないにせよ,多かれ少なかれ自ら身をもって体験したことであり,したがって本書を読むと,そのことが懐かしく,また時には自責の念に駆られつつ,思い起こされるにちがいない。

私の場合,初めてネパールに行ったのは著者のほんの数年前,ルートも,著者のその後の訪ネの際のものと合わせると重なる部分が多い。

ロイヤルネパール航空(RNA)ーーカトマンズーーポカラーーフェディーーダンプスーーランドルンーーガンドルン

本書を読んでいると,私自身の初の訪ネの際の途方もない当惑と驚きと感動の日々を追体験しているようであった。

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/26 at 17:29

OneDriveか外付けHDか?

マイクロソフトがOneDriveを喧伝するので,つい魔が差し,インストールしてしまった。

まさに一瞬のこと,パソコンのファイル構成が根本から勝手に変更されてしまった。しかも,ホームページ用ファイルについては,リンクまで書き換えられた(他ソフト介在かもしれないが)。もう,お手上げ。

パソコンは全くの素人で,だからこそもっとも単純明快なファイル構成にしてきた。大切なファイルは,外付けハードディスクにその都度保存。手間はかかるが,ファイル構成や所在がすぐ分かり,混乱はなかった。

ところが,OneDriveをインストールし同期させたとたん,大混乱,どのファイルが,どこにあるやら,見当もつかなくなった。

これは大変と,OneDriveとの同期を切断したが,どうやら元には戻らないらしい。これまで使用してきた外付けハードディスクですら,同期切断状態では認識困難になってしまった。

素人の希望的観測にすぎないが,OneDriveとの同期を切断したまま使用し続ければ,そのうち少しずつファイル構成が同期以前の状態に自動修正されていくのかもしれない。が,たとえそうだとしても,不便この上ない。

このところの情報技術の進歩は,OneDriveに見られるように,目覚ましい。便利になった反面,素人には,情報がたとえ自分のものであっても自分ではコントロールしきれなくなってきた。先日も,10年以上,いや多分20年位前の知人のデータが,「お友だちでは?」と画面に出てきて,びっくり仰天。インターネット上か,ネット接続の誰かのパソコンに保存されていて,何かのきっかけで蘇り,私に通知されたのだろう。本人は知る由もない。

いまや,人間関係だけでなく,読書や趣味や衣食住の好みなど,たいていのことは,ネットの方が,本人よりも,よく知っている。そんな時代になったのだ。

このネット時代に,外付けの独立ハードディスクに情報保存し続ける人は,石貨をため込む現代の古代人と見られても致し方あるまい。やれやれ。

(c) 谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/11 at 17:33

カテゴリー: 社会, 情報 IT

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ネパールのコロナ感染60万人突破,都市部から地方へ

ネパールの新型コロナ(COVID-19)感染者累計が6月8日,とうとう60万人を超えてしまった。日本の76万人よりは少ないが,人口当たりにするとネパールは日本の3倍以上になる。深刻だ。

しかも,このところネパールのコロナ感染は,都市部から地方へと移りつつある。カトマンズなどの都市部では,ロックダウンをはじめとする強力な規制や感染防止キャンペーンの強化,さらには感染者の早期発見・隔離が,問題は多々あれ,徐々に効果を発揮し,新規感染は緩やかに減少し始めた。また,不幸にして感染しても,都市部では,不十分とはいえ医療体制が,地方に比べればはるかに整っている。

これに対し,情報も医療体制も不備の地方では,インドや都市部から持ち込まれたコロナ・ウィルスが一気に拡大し始めた。

「ネパールでは,平野から山地へウィルスが登ってきている。*5 「カトマンズ盆地では感染のピークを過ぎたように見えるが,周辺の諸郡ではこの1週間で感染が急増している。この1週間で,マクワンプルの1日当たり感染者数は17人から101人へ,ダディンでは85人から342人へと急増した。*5」

・ガンダキ州: 293人(5月17日)⇒1159人(5月27日)
・ゴルカ郡: 23人(5月17日)⇒500人(5月27日)
・バルパク村(標高1900m): 5月後半の2週間で12人死亡
・カンチェンジュンガ・グンサ村(標高3200m): 40家族のいずれも家族1人以上感染
・マナン村(標高3200m): 感染者がでた。(*5)

このように,地方でコロナ感染が急拡大していることは確かだが,その実態は十分には明らかはでない。

「村々では,検査は十分ではなく,誰も感染拡大の実情をよく知らない。医者たちは,そのうち地方でおびただしい犠牲者が出るのではないかと警告している。*1」

村々では,そもそも検査が不十分だし,たとえ感染が分かっても,知識不足のため,あるいは生活のためやむなく,また医療体制不備のため,感染村民たちが出歩いている。そのため村民の80%が感染している村さえあるという*1,4,8)。

このように,ネパールでは,コロナ・ウィルスが流行地の外国や都市部から地方に持ち込まれ,そこで感染が急拡大していることは確かなようだ。ネパールの地方の実情を考えると,憂慮に堪えない。     

     ■worldometer / nepal

*1 Arjun Poudel, “Even as virus reaches rural Nepal, results of PCR tests take up to five days,” Kathmandu Post, June 8, 2021
*2 “With 3,370 new cases, Nepal’s Covid-19 tally reaches 591,494,” Kathmandu Post, June 7, 2021
*3 Sagar Budhathoki, “Covid-19 Nepal: Villages are turning into hotspots. What should the govt do now?,” english.onlinekhabar.com, June 7, 2021
*4 “COVID-19 raging in rural areas,” Himalayan, Jun 06, 2021
*5 “In Nepal, virus climbs from plains to mountains,” Nepali Times, May 28, 2021
*6 Suresh Bidari, “Covid-19 Nepal: This Parsa village has several cases, but no one is isolated,” english.onlinekhabar.com, May 21, 2021
*7 Rastriya Samachar Samiti, “Coronavirus spreads in Humla’s five rural municipalities,” Himalayan, May 18, 2021
*8 Arjun Poudel, “Fewer tests mean reported cases in rural Nepal could just be tip of the iceberg,” Kathmandu Post, May 17, 2021
*9 Masta KC, “Rural Nepal fights back Covid-19,” Nepali Times, May 17, 2021
*10 Priti Thapa, “At the Covid-19 frontlines in rural Nepal,” Nepali Times, May 9, 2021

(C) 谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/09 at 17:20

カテゴリー: 社会, 健康

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コロナ禍からの漠たる未来不安

昨夕,新型コロナ(COVID 19)ワクチンを接種してもらった。1回目。しばらくすると,左腕の接種部分付近がしびれ始め,夜になると,鈍痛が左腕全体に広がってきた。

左腕の鈍痛だけではない。身体が注入された異物(ワクチン)を攻撃し始めたのか,ほてった感じで,いつまでも眠くならない。とうとう,一睡もしないまま,朝になってしまった。

ワクチンを接種してもらった左腕の鈍痛は,今日の午後になって,さらにひどくなった。このへんがピークだとは思うが,さていつまで続くやら・・・・。

それにしても,このような自然界にはない人造ワクチンを世界中の80億もの人々の相当数――理想的には全員――に接種しなければ,コロナ流行が止められないとは,なんたる恐ろしい,SFが現実化したような時代になってしまったものか。

世界のコロナ感染者累計(人)

むろん,新型コロナのような感染症の大流行そのものについては,公衆衛生をはじめ様々な分野で研究がすすめられ,効果的な予防法や治療法が見つけられ,そのつど制圧されるであろう。

私も,何よりも死を恐れる人間の一人として,それを願ってやまないが,その一方,まったくの素人ながら,コロナ大流行のような現象の繰り返しは,要するに,人類が増えすぎたからではないか,という素朴な疑問を禁じ得ない。

他の動物や植物であれば,増加しても,自然の許容量を超えそうになれば,必ず何らかの自然的規制が働き,許容範囲内に戻る。非情だが,それが自然の摂理。

ところが,人間は,他の動植物の有しない知恵により,自然を科学的に観察し,人為的にそれを制御したり改変したりできるようになった。これにより,人間増殖の自然的な限界は,次々と取り払われてきたのである。

その結果,いまやどこに行っても,たいてい人間がいる。逆に,以前はそこにいた様々な動植物たちは次々と姿を消している。人間は,その知恵により自然を征服しつつある。

新型コロナの流行も,多数説のウィルス自然由来説(コウモリ等からの感染)をとるなら,とめどもなく増殖する人間に対する自然界からの自然な規制である。ところが,これに対し人間は,身体に人造ワクチンを入れることにより,その自然の人口増殖規制を人為的に無効化しようとしている。この人為による自然の克服は,以前の他の感染症流行の場合と同様,今回のコロナ・パンデミックに対しても,すでに大きな効果を発揮し始めている。

しかしながら,たとえ今回の新型コロナが予防ワクチンにより制圧できたとしても,自然の側は,おそらく次のウィルスか他の何らかのものにより増えすぎた人類に立ち向かわせるであろう。これに対し,人間の側もまた別の新たな人造ワクチンか何かで迎え撃つ・・・・。こうして人間の自然な身体と生活は,一歩一歩,確実に自然から離れ,人造化されていく。サイボウーグ化だ。

また,人類の一部は,許容量を超えた地球を離れ,月や火星など,他の天体に移住し始めることにさえなるだろう。

以上は,もちろん全くの素人の極論である。また,人口論は,古来,もっとも危険な取り扱い要注意の議論である。が,それはそうだとしても,コロナ・パンデミックに脅え,予防ワクチンの副作用(副反応)に現に苦しめられていると,ついそんな暗い未来を思い浮かべてしまう。

杞憂にすぎないとよいのだが。

地球は何人の人間を維持できるか? すでに限界超過なら,何が起きるか?

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/07 at 19:36

Under Control ― オリ首相と安倍首相

1.オリ首相の「under control」発言
ネパールのオリ首相が5月8日,CNNインタビューにおいて,コロナ対策について問われ,こう答えた―

「ネパールでも,むろん他のいくつかの国々と同様,パンデミック(感染爆発)が広がっている。が,ネパールでは,コロナ(コビド19)感染は,いまのところ『under control(コントロール下,制御下)』と見るべきだ。*1」

「昨年,われわれは感染をunder controlの状態にしていた。感染死はゼロになった。新規感染は1日当たり50人以下だった。ところが,一般民衆は,パンデミックはもう終わり心配するほどではない,と考えてしまった。それが,コロナ感染の第2波を引き起こしたのだ。・・・・われわれは,感染をunder controlの状態に置くため,全力をあげてきた。*2」

このオリ首相の「under control」発言は,首相報道補佐官ツイッターにも投稿され,一挙に拡散された*3。

    ■首相報道補佐官ツイッター,2021/05/08

2.「out of control」の現実
このように,オリ首相はCNNインタビューにおいて,コロナ感染は「under control」と強気で語ったが,実際にはこの頃,ネパールでも「感染が激増,病院ではベッドも酸素も不足し,事態はコントロール不能(out of control)の状態」になっていた*4。

    ■The Guardian, 2021/04/30

ネット版National Geographicによれば,「ネパールではコビド19がコントロール不能(out of control)の状態で拡大」をしており,「いまや救急病棟は満員」,「死亡率も隣国インドより高くなっている」。しかも,保健所によれば,感染者数は,政府発表よりも実際にははるかに多い。スター病院のコロナ担当者は,「いまは戦争のような状態だ」とさえ語っている*5。

コロナ感染は,政官界にも及んでいる。オリ首相の「under control」発言インタビューをツイッターに投稿した報道補佐官自身でさえ,投稿日の夕方,感染が判明。他に,オリ首相秘書官数名,大臣2名を含む国会議員26名,議会事務官19人など,多くが感染している。

3.首相「under control」発言への猛反発
こうした状況を見れば,ネパールのコロナ感染状況は危機的と言わざるをえない。にもかかわらず,オリ首相は,「under control」とCNNを通して世界に向け宣言してしまった。

この発言には,当然ながら,ごうごうたる非難の声が上がり,一挙に拡大した。たとえば,ボジラジ・ポカレル元選管委員長は,「オリは,国際社会に向け,現状を隠し事態はコントロール下(under control)と語るのではなく,ネパールが現に直面している現実を正確に語るべきだった」と批判している*1。

非難はもっとも至極である。では,なぜオリ首相は,どう見ても無理であるにもかかわらず,このようなことを強気で断言してしまったのか?

4.政治も「out of control」状態
オリ首相は,対印外交でも内政でも,強硬なナショナリストであった。2018年2月の政権発足後2年ほどは,その政策があつれきは多々あれ,与党共産党が下院絶対多数を握っていたこともあり,結果的には成功しているように見えていた。

ところが,政権発足2年を過ぎると,ネパール共産党内のオリ派と反オリ派の対立が激化し始める一方,対印関係もカラパニ領有権をめぐり悪化していった。

こうして政権維持に不安を感じ始めたオリ首相は,強行突破を図るべく,2020年12月,突然,下院を解散してしまった。しかし,この解散はあまりにも強引であり,最高裁で2021年2月違憲とされ,議会は再開された。そして,この再開議会において2021年5月,オリ首相は,信任案が否決され,辞任を迫られた。ところが,反オリ派の方も首相選出に必要な多数派を形成できなかったのをみて,オリ首相は,バンダリ大統領に助言しオリを首相に任命させてしまった。こうして再任されたオリ首相は,またもや強引に議会を解散,半年後の2021年11月に選挙を実施することにしたのである。

この半年余のネパール議会政治は,まさにドタバタ,憲法上の根本的な疑義も多々指摘されている。文字通り「out of control」と批判されても致し方あるまい。

そこにコロナ感染第2波が押し寄せてきた。オリ首相は,コロナ対策でも窮地に追い詰められた。もしこれを「out of control」と認めてしまえば,議会政治の事実上の「out of control」のダメ押しとなり,政権維持が一層困難になる。そこで,オリ首相はCNNインタビューで,つい,コロナ感染は「under control」と口走ってしまった,ということではないだろうか。状況からは,そう推測される。

5.日本英語の「under control」
それと,もう一つ。このCNNインタビューでの「under control」発言のとき,オリ首相は,とっさに日本英語での用法を思い浮かべ,それに習ったのではないかという推測。いまのところ証拠は何一つないが,興味深い仮説ではある。

周知のように,日本英語の「under control」は,安倍晋三議員が首相であったとき,オリンピック東京招致のため世界に向け発信した,最も基本的で重要な英語キーワードであった。

2013年9月,安倍首相はオリンピック招致のためブエノスアイレスでのIOC総会に出かけ,英語(米語)で,東京開催の安全性をアピールした(「皇室利用と日本語放棄で五輪を買った安倍首相:”under control”のウソ公言」ネパール評論2013/09/13)*6。

“Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.” 「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」(首相官邸HP *8)

しかしながら,福島原発が2013年9月時点で「under control(統御されている)」状態とはほど遠かったことは,明らかだ。現在に至っても,燃料デブリや増加し続ける汚染水など,多くのものの処理が先送りされており,とうてい「under control」などとは言えない状況である。

ところが,それにもかかわらず,安倍首相は被災福島原発を「under control」と説明し,オリンピック招致に成功,以後,日本政府もこれを基本方針として継承してきた。すなわち,日本政府公認の日本英語では,被災福島原発のような状況をもって「under control」と言い表すことになったのである。

この日本英語の「under control」は,東京オリンピック開催問題や福島原発事故が議論されるとき,しばしば言及され,世界的に有名となり,日本英語の語義として定着していった。

6.オリ首相「under control」は日本英語?
さて,そこで問題は,オリ首相の「under control」。ネパールは日本と親密な関係にあり,ネパールの人々が日本英語をマスターしていて,何ら不思議ではない。そして,そうしたネパールの人々であれば,この半年余のネパールのコロナ感染状況や政治状況を「under control」と呼ぶことに,さほど躊躇することもあるまい。福島の被災原発がコントロールされているのと同じように,ネパールのコロナも政治も,多少問題はあれ,ちゃんとコントロールされているではないか,と。

では,オリ首相自身は,どうであったのか? 与党分裂とコロナ感染拡大とで切羽詰まって,英米英語の意味で「under control」と口走ってしまったのか? それとも,日本に学び,日本英語の意味で「under control」と説明してしまったのか? いまのところ,私には,いずれとも判断できない。機会があれば,どなたかにお教えを請いたいと思っている。

7.誤魔化しよりましな自覚的変更
それともう一つ,「under control」との関連で注目すべきは,ネパールの政治家たちの状況適応力の高さである。彼らの多くは,状況の変化に応じて融通無碍に自分にとって最も有利と思われる方に立場を変えていく。無定見,無原則と見えるかもしれないが,少なくとも現実政治の場では,いったん始めたら状況がいかに変わろうが修正困難な「武士に二言なし」型・「インパール作戦」型の日本の政治家たちよりはましである。

オリ首相も,CNNインタビュー後,「under control」発言に猛反発されると,そのわずか2日後,The Guardianに,”Nepal is being overwhelmed by Covid. We need help”とタイトルをつけたメッセージを寄せ,先の発言を事実上,全面的に撤回してしまった(タイトルが首相自身のものかは不明)。「ネパールはコロナに席巻され圧倒されている(overwhelmed)」というのだ*8。

    ■首相報道補佐官ツイッター,2021/05/10

「under control」でないとも,「out of control」だとも言っていないが,事実上,同じとみてよいだろう。文字通り,豹変。だが,オリ首相は,コントロール下でないのにコントロール下と強弁し誤魔化し続ける日本英語式の「under control」に逃げ込むことをせず,ネパールのコロナ感染状況は英米英語でいう「under control」ではないことを,はっきりと認めた。誤りを誤りと認め,方針転換する。この方が,外国語の語義まで勝手に変えて現実を隠蔽し続けるよりも,はるかに危険が少なく,よりましな政治とはいえるであろう。

このところ日本政治における言葉の軽視は,目に余る,議論はまるで成り立たず。詭弁,誤魔化し,繰り返し,無視等々に明け暮れる。少しはネパールの政治家たちの真剣な議論を見習うべきではないか。

*1 Oli’s virus ‘situation under control’ remark meets with criticism, Kathmandu Post, 2021/05/09
*2 Pandemic is Under Control: PM Oli, Newbussinessage, 2021/05/09
*3 首相報道補佐官ツイッター,2021/05/08
*4 Nepal facing deadly Covid wave similar to India, doctors warn, ‘Situation is out of control’ as cases spike and hospitals run short of beds and oxygen, The Guardian, 2021/04/30
*5 COVID-19 spirals out of control in Nepal: ‘Every emergency room is full now’, National Geographic, 2021/05/12
*6 「皇室利用と日本語放棄で五輪を買った安倍首相:”under control”のウソ公言」ネパール評論,2013/09/13
*7 「IOC総会における安倍総理プレゼンテーション」2013年9月7日
*8 KP Sharma Oli, “Nepal is being overwhelmed by Covid. We need help,” The Gurdian, 2021/05/10

(C)谷川昌幸

Written by Tanigawa

2021/06/02 at 14:32

専門特化医療に振り回される老病人

目と鼻が異常に乾燥し始めてから早や1年余,いまもって日夜,四六時中,悩まされ,苦しめられている。症状は重くなったり軽くなったりと波があるものの,全体として悪化の方向に向かっているようだ。

1.医療の専門特化  
医者には,もちろん診てもらった。目の乾きが特にひどく,ゴミが入っているような違和感や痛みを感じ,視野がぼけ見えにくくなったときは,眼科へ。担当医は,最新機器を駆使し様々な検査をしてくれたが,結果は「目には特に異常なし」,「ドライ・アイではない」であった。本人がひどい症状を訴えているのに「異常なし」とは,まか不思議。また,目と同時に鼻も乾くと訴えると,鼻は専門外とのこと。仕方なく,市販の点眼用人工涙液を使用し誤魔化している。

また,鼻の方が異常に乾き,ヒリヒリ痛み出血さえした時は,耳鼻科で診てもらった。担当医は,最新CTスキャナー(たぶん?)で鼻の部分の頭部断層連続画像を撮影し,それを見せながら「特に異状なし」と説明してくれた。鼻の中(鼻腔)を直接見ての診察は,ほんの数秒(と感じた)。また,鼻と同時に目も乾くが関係しているのではないかと尋ねると,「関係ない」と即断。本人は現に「目鼻の乾き」で苦しんでいるのに,まったくもって不可解。仕方なく,鼻についても,市販の点鼻液スプレーで,その場しのぎをしている。

眼科は目だけ,耳鼻科は耳鼻だけの高度専門化が,地域医療でも進んでいるようだ。

2.医者巡りの右往左往
とはいえ,目鼻の乾きは苦しく,日常生活もままならない。そこでネット情報をあさり,目鼻そのものというよりは,もっと根本的な何らかのアレルギーか,いやそれとも「シェーグレン症候群」とかいう難病ではないかと疑い,内科で関係しそうな多項目の血液検査をしてもらった。ところが,幸か不幸か,これらの血液検査でも特に異状は無し。

であれば,虫歯か? 全く痛みはないが,上あごの最奥に乳歯が1本残っていて,これが虫歯になっていた。位置的には鼻腔にごく近い。ひょっとしてこの虫歯から何らかの感染が鼻腔に及んでいるのではないかと疑い,いずれ治療しなければならないこともあって,歯科で抜歯治療してもらった。抜歯後,患部に殺菌液をつけてもらい,数日,感染防止薬を服用すると,目鼻の乾きが幾分おさまり始めたような感じがした。が,喜びもつかの間,1週間もすると目鼻は元の乾燥状態に戻ってしまった。虫歯抜歯でもダメ。もうお手上げ。

むろん,人間の心身は複雑であり,原因不明の病気があっても何ら不思議ではない。私の目鼻の乾きの原因が判然としないのも,現状ではやむをえないだろう。苦しいが,当面は,医者巡りを続けつつ,様子を見るしか仕方あるまい。

3.医療の「専門たこつぼ化」
しかし,そう諦めてはみたものの,この1年あまり,あれこれ診察を受けてみて,全くの素人ながら疑問に感じざるを得ないようなこともあった。近年の医療のハイテク高度化,専門特化の進行が,地域医療現場の医者をして,診察すべき病気を生身の患者の訴える病気として総合的に見ることを妨げている場合が少なくないのではないかという疑問,いわば医療の「専門たこつぼ化」への危惧だ。(先端医療の高度専門化は当然。問題は,役割分担を考慮せず,地域医療現場まで過度に専門特化し,専門医がバラバラで競合しあい,患者の医療情報ですら積極的には共有しようとしていないように思われること。)

最近の地域医療現場の医者は,忙しいこともあってか,患者の訴えを丁寧に聴くことをせず,自分の専門分野内の検査の数値や画像だけを見せ,それで診断して,よしとする傾向がある。総合的に病気を診て診断しようとしないから,自分の専門分野内の検査で異常がなければ,それでおしまい。それ以外は別の医者に診てもらえ,ということになる。

が,もし医療がこのような「専門たこつぼ化」した診察でよいのであれば,生身の医者よりもAIによる診断の方が迅速正確で安上がりということになる。そうなれば,医者は,不眠不休で働く超高性能の「AIロボット医師」に取って代わられてしまうことになるであろう。

4.医療の原点としての総合医
以前には,地域社会のお医者さんの多くは,高度に専門特化した専門医ではなかった。近くのお医者さんに行くと,内科的病気はむろんのことケガであっても,とりあえずは診て手当をしてくれた。

私も子供の頃,持病の扁桃炎や手足のケガなどで,「先生(村のお医者さん)」に時折お世話になった。僻地の小村だったから,そうせざるをえなかったのだろうが,いま振り返ると,そうした医者のあり方には,単に「そうせざるをえなかった」というにとどまらない,より根源的な医療の原点としての意義があったように思われる。高度な検査機器は何一つない質素な医院だったが,「先生」は診察を受けにきた村人の訴えに耳を傾け,じっくり問診してくれていた。

今日においても,身近な地域のお医者さんには,専門特化ばかりを競うのでなく,訪れた患者の訴えにまずは耳を傾け,様々な病気の可能性を考え,総合的な観点から診察してくれる「総合医(総合診療医)」であってほしい。そうした「総合医」こそが,私たちの「かかりつけ医」には望ましいのではないだろうか。

【参照】
(1)英国「総合医療 General Practice」(It’s Your Practice: A patient guide to GP services)

(2)「総合診療医養成へ拠点 地方5大学前後 不足解消狙う 厚労省」毎日新聞 2020/2/3 
(3)厚生労働省「総合的な診療能力を持つ医師養成の推進事業 実施要綱(案)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2021/05/27 at 19:08

良書廃棄へ向かう自治体図書館

近くに中規模の市立図書館分館(蔵書約20万冊)がある。便利なので月2,3回は利用するが,行くたびに相当数の蔵書が廃棄されているのを目にし,驚いている。

蔵書廃棄は,一応,「リサイクル」の名で実施されている。図書館で不要とされた(と思われる)本が,リサイクル棚に並べられ,誰でもタダで持ち帰ることが出来る。「捨てる」のではなく,「リサイクル」であり「再利用」だという名目で,行われているのだろう。

しかし,図書館利用者の側からすれば,たとえ「リサイクル」名目であれ,廃棄されれば,もはやその本は無くなり,利用できなくなる。不便だ。(同じ本の新版買い替え所蔵もあろうが,多いとは思われない。また,複本所蔵で廃棄後何冊か残る場合でも,後述のような問題がある。)

図書館の蔵書廃棄は,書庫不足が最大の理由であろう。限られた収納スペースに,どの本を並べておくか? 悩ましい問題である。

図書廃棄は大学図書館ですら行っているので,自治体図書館だけの問題ではないが,廃棄される本(と残される本)の質という点では,自治体図書館の方がはるかに深刻だと思われる。

図書館が新しい本を買い不要な本を廃棄するときの評価基準は,大学図書館の場合は教育研究にとっての必要性だろうが,自治体図書館の場合は何であろうか?

自治体図書館の選書には,一市民としての推測にすぎないが,選書委員会のようなものがあるにせよ,実際には地元住民からの要望が強く働いているのではないかと思われる。自治体図書館は,身近な施設なので,住民の声をまず第一に聞かざるをえない。その結果,優先的に購入されるのは――
・受賞,映画化などで話題になっている本。
・地元利用者からの購入希望の多い本。
・住民自身は自分の金では買いたくはないが,ちょっと見てみたいハウツー本や実用書。旅行案内,料理本,生活相談,健康本,人生訓,冠婚葬祭解説など。

自治体図書館は,民主的であればあるほど,住民の声を聞けば聞くほど,これらの本を重点的に買う。しかも,ベストセラーなど,話題になり要望が強ければ強いほど,同じ本を10冊,20冊と大量に買い込む(複本購入)。

その結果,書架(書庫)はすぐ満杯になり,利用の少ない本が押し出され,リサイクル(廃棄)に回される。そして,書架は,ベストセラー本(すぐ忘れられ,残されるのは結局1,2冊だが)や「すぐ役に立つが自分では買いたくない」実用書,あるいは一定の政治的傾向をもつ――政治的要望の根強い――時事政界本などに席巻されるということになる。

自治体図書館が,実際に,どのような本を新たに購入し書架に並べているかについては,図書館に行って直にご覧いただくか,あるいは各図書館ホームページの新規購入図書案内でお確かめ下さい。

以下は,最近,近所の上記中規模市立図書館分館に行ったとき,たまたま目にし,タダでもらってきた本のごく一部である。私にとって,図書館は,館内書架よりもリサイクル(廃棄)本棚の方が魅力的になりつつある。

宮原寧子『ヒマラヤン・ブルー』
ヤンツォム・ドマ『チベット・家族の肖像』
重廣恒夫『エベレストから百名山へ』
シュタイニッツァー『日本山岳紀行』
坂田・内藤・臼田・高橋編『都市の顔・インドの旅』
渥美堅持『イスラーム教を知る事典』
梅棹忠夫『二十一世紀の人類像』

太田昌秀『沖縄の民衆意識』
萱野茂『イヨマンテの花火』
野口武彦『江戸のヨブ』
戸沢行夫『江戸がのぞいた<西洋>』
大林太良編『岡正雄論文集 異人その他』
加賀乙彦『ザビエルとその弟子』
ライシャワー『ライシャワーの見た日本』
佐竹靖彦『梁山泊』

吉田洋一『零の発見』
筒井清忠編『新しい教養を拓く』
吉本隆明『世界認識の方法』
小田実『生きとし生けるのものは』
田口裕史『戦後世代の戦争責任』
佐渡龍己『テロリズムとは何か』
中村光男『風俗小説論』
日野啓三『書くことの秘儀』

D・ブアスティン『クレオパトラの鼻』
N・サーダヴィ『イヴの隠された顔』
ユング『タイプ論』
池上俊一『動物裁判』
カリエール『外交談判法』
ヴァイツゼッカー『良心は立ち上がる』
W・J・パーマー『文豪ディケンズと倒錯の館』
M・ブーバ=ノイマン『カフカの恋人 ミレナ』
デカルト『方法序説』
トマス・ペイン「コモン・センス」
J・S・ミル『ミル自伝』
・・・・・・・・
■最近入手の図書館リサイクル本

【参照】「これから日本のあちこちに新しい「コモン」が生まれてゆくと思います。そのときに核になるものの一つは書物になるだろうと思います。書物は私有になじまない財であり、それゆえ新しいコモンの基礎となることができる。」,内田樹「倉吉の汽水空港でこんな話をした。」2021-02-08

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/11/03 at 16:37

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老化の悲哀

生物にとって老化・老衰は宿命とはいえ,いざそれが自分の身に現れ始めると,当初は「まさか,まだ」と疑い,見て見ぬふりをし,ごまかして安心しようとするが,いつまでもそのようなことは続けられるはずもなく,どうしても否定しきれなくなると,落胆し,あきらめ,結局は認めざるをえなくなる。

■チトワン

私は,小身痩躯(中学以降,2年ほど前まで163cm/52kg前後)だが,幸い,いたって健康で,これといった病気には一度もなったことがなく,健康診断や予防注射も法定義務となっているもの以外は受けたことがなかった。

そんな私にも,70歳を過ぎるころから身体に少しずつ異変が現れ始めた。頭髪が抜け,視力が落ち,眠りが浅くなった。「あれ,変だなぁ・・・・老化が始まったのかな?」とは思ったが,まだ,老化といっても,どこか他人事,自分自身のこととしては見ていなかった。

■ビラトナガル付近

ところが,母の介護で少々無理をし疲労蓄積を感じ始めた2年ほど前のある日,風呂に入り鏡に映った自分の身体を改めて見てみて,愕然とした――肋骨が浮き上がり,まるで骸骨のよう。あわてて小型体重計を買ってきて量ると,わずか45kg。中学生になって以降,もともと痩身ではあったが,こんなに痩せ細ったことは一度もなかった。

これは大変と,以後,栄養のありそうなものを出来るだけたくさん食べるようにしてきたが,いまもって体重は元の52㎏前後までは戻らない。いくら努力しても45kg前後の維持が精一杯。なぜだろう?

当初,体重減は介護疲れによる一時的な現象と頭から思い込んでいたが,いつまでたっても体重が回復しない現実を目の当たりにすると,本当の原因は病気か何か,別のところにあるのではと疑わざるをえなくなった。そこでイヤイヤながらも健康診断を受けてみたが,出た数値はどれも年相応,特に異状なし,ということであった。

あれ,医学的にはどこも悪くないはずなのに変だなぁ,とあれこれ思案していて,ハタと気付いた――これは自然な老化現象の一つにちがいない,他の動植物と同様,私も老化で痩せていき,いずれ骨と皮のようになり,枯れ果てる宿命なのだ,と。こうして,いささか遅ればせながらも,老化・老衰が,直視せざるをえない自分自身の現実の問題として切実に意識されるようになったのである。

■キルティプルより

私の老化は,今年に入り,新型コロナ(コビト19)感染拡大とほぼ同時に始まった鼻と眼の異常な乾燥により,さらに一段と進行したことが明白となった。いわゆるドライノーズ,ドライアイである。

はじめ鼻(鼻腔)が渇き始め,それが徐々に眼にも及んでいった。この時も,当初はまだ,風邪でも引いたのだろうと思い,たいして気にもしていなかったが,症状は,良くなったり悪くなったりを繰り返しながら,全体としては着実に悪化していった。

鼻腔がカラカラに乾き,嗅覚が異常に過敏となり,さらに激痛が始まり,時々出血さえする。これが四六時中。しばらくすると,鼻腔に加え,眼も乾き始めた。眼球を動かすと,ホコリが入っているかのような違和感を感じ,痛む。これも四六時中。

鼻にはドライノーズ用スプレー,眼には涙型点眼剤を使用。さらにマスクを湿らせ,昼も夜も一日中,着けるようにした。

が,それでも眼も鼻も治らない。そのため,夜は頻繁に目が覚め,熟睡できない。そして昼間も,鼻と眼の不快な痛みに加え,重度の不眠のため,イライラしたりボゥーとしたりしていて,集中して何かを考えたり行ったりすることは,およそ出来ない。

このような状態が続き,改善の兆しも見えないので,すっかり参ってしまい,再び怖ごわ健康診断を受けてみたが,またしても特に異状は無し。検査結果で見る限り,74歳にしては,数値的には健康なのだ。

とすれば,これもまた,痩せと同様,自然な老化現象の一つと覚悟せざるをえない。これまで鼻や眼に潤沢に供給され,それらを水みずしく保ってきた鼻水や涙が減り,涸れ始めたのだ。イヤなことだが,これも自然必然,なんとかやり繰りし折り合いをつけつつ,完全に涸渇し枯れ果てるまで生きていく以外に方法はなさそうだ。

■キルティプルより

むろん,こんなことを書くと,何を大げさな,老化など誰にとっても当たり前のことではないか,と呆れられ笑われるかもしれない。が,前述のように,少なくともほとんど病気知らずで生きてきた私自身にとっては,このような体重減や眼鼻の不調は初めての経験であり,したがって,それらにどう対処し,どう折り合いをつけていくべきか,まったく見当もつかなかったのである。

だから,このブログも,2020年6月10日の記事を最後に,これまで長期にわたって投稿してこなかった。関心のある情報を集め,読み,分析し,自分なりに評価して文章化することが出来なかったからである。

それでも,この半年余りの悪戦苦闘の結果,体重減や眼鼻の不調は自然な老化現象なのだと諦め,身体と精神をそれに合わせていくしかないことに気づき始めた。老化は,これから先,確実に,さらに加速度的に進む。それと折り合いをつけつつ,できるだけ平穏に生きていくように心掛けたい。わが愛犬が,痩せ細り骨と皮のようになりながらも,最後まで愛嬌を振りまきつつ,眠り込むように18年の生涯を全うしたように。

諦念は悟りであり救いである――そう願いたい。

■カトマンズ

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/11/01 at 16:35

カテゴリー: 健康, 宗教, 文化

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