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ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(4)

5.平和か正義か?
ウジャン殺害事件が難しいのは,それが内戦としての人民戦争の中で,交戦中の一方の勢力たるマオイストの作戦の一環と見られる余地が全くないとは言い切れないからである。

人民戦争終結のための「包括和平協定」(2006年)には,戦時の諸事件は「真実和解委員会(TRC)」等の和平機関を設置し,そこで解決を図るとの取り決めもある。マオイスト側は,党幹部もYCLなどの傘下諸組織も,ウジャン殺害事件は人民戦争中のスパイ絡みの「政治的な事件」だから,TRCで解決されるべきだと繰り返し主張してきた。

それなのに,もしウジャン殺害事件が戦後,通常の裁判所で「刑事犯罪」として裁かれ処罰されることになれば,他の同様の行為も「刑事犯罪」となり,責任追及は他の党幹部にも及ぶ恐れがある。マオイストとしては,これはどうしても未然に防止しなければならない事態である。

他方,被害者側からすれば,ウジャン殺害は異カースト間結婚に絡む殺人であり,殺人事件として裁かれ処罰されるべきだし,たとえ仮に人民戦争の一環だとしても,ウジャン殺害は国際法が禁止する人道に反する虐殺行為であり,戦争犯罪として裁かれ処罰されるべきだ,と主張している。内外の人権諸団体は,この観点からウジャン側を一貫して強力に支援している。ウジャン側のこの主張も,もっともである。

ウジャン殺害事件は,理念的には,平和と正義の相克の問題である。平和と正義は,同時に実現されるのであれば,それが理想である。が,現実には,いくらそれを願い努力しても,そうならない場合が少なくない。

平和のため正義を,正義のために平和を,ある程度断念せざるをえない場合が,現実には少なくない。悲しく苦しく無念な事態だが,不完全な人間の業であり宿命として観念せざるを得ないのではないだろうか。

■カトマンズポスト2016-11-21

*1 British Embassy Kathmandu, “Information Pack for British Prisoners in Kathmandu Prisoners pack template – 2015,” 1 July 2015
*2 Rajeev Ranjan and Jivesh Jha, “Pardoning criminals: Nepal’s communism model?,” Lokantar, 2018-06-29
*3 “Students, cops clash in Tanahun,” Kathmandu Post, Jun 12, 2018
*4 Yubaraj Ghimire, “Next Door Nepal: Reading the reprieve Presidential pardon to Maoist leader points to the threat of authoritarianism,” Indian Express, June 4, 2018
*5 “New laws for pardon, waiver, suspension, commutation of sentence sought,” Himalayan, June 03, 2018
*6 “Investigation into war crimes gets tougher under new govt ‘Former rebels wielding new-found political influence to hinder probe’ , “ Kathmandu Post, May 31, 2018
*7 BINOD GHIMIRE, “Dhungel freed despite criticism,” Kathmandu Post, May 30, 2018
*8 Ananta Raj Luitel, “SC refuses stay order in president’s pardon for Dhungel,” Republica, May 30, 2018
*9 Binod Ghimire, “Nepal Communist Party leader Dhungel freed despite criticism,” Kathmandu Post, 30 May 2018
*10 “President pardons Dhungel, decision condemned,” Republica, May 30, 2018
*11 Yubaraj Ghimire, “Nepal President Bidhya Devi Bhandari, PM OLi under fire for pardoning Maoist murder convict Dhungel,” Indian Express, May 30, 2018
*12 “Nepali Congress objects to Dhungel’s release,” Himalayan, May 29, 2018
*13 “Murder-convict Dhungel gets presidential pardon,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*14 “SC seeks govt file on Dhungel pardon,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*15 “SC refuses interim order against govt decision to grant amnesty to Dhungel,” Kathmandu Post, May 29, 2018
*16 “SC to hear Dhungel’s case today,” Kathmandu Post, May 28, 2018
*17 “Hearing on govt decision to offer amnesty to murder-convict Dhungel on Monday ,” Kathmandu Post, May 27, 2018
*18 “Apex court show-cause to government on Dhungel clemency bid,” Kathmandu Post, May 26, 2018
*19 “Don’t misuse the presidential pardon,” Review Nepal, May 25 2018
*20 “Writ at SC against recommendation to waive remaining jail sentence of Dhungel,” Kathmandu Post, May 24, 2018
*21 Yubaraj Ghimire, “Nepal: Oli government prepares for clemency to ex-Maoist leaders serving jail term,” Indian Express, May 24, 2018
*22 “Republic Day pardon recommended for Balkrishna Dhungel,” Himalayan, May 22, 2018
*23 Kosh Raj Koirala, “New ordinance to extend term of TRC, CIEDP by a year,” Republica, January 4, 2018
*24 “Demonstration in Okhaldhunga demanding Dhungel’s release,” Kathmandu Post, Nov 1, 2017
*25 “CPN (MC) demands prompt release of Dhungel Kathmandu,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*26 “YCL demands immediate release of Dhungel,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*27 “Murder convict leader Bal Krishna Dhungel arrested, sent to Dillibazaar prison,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*28 “Contempt of court writ filed against IGP Aryal,” Kathmandu Post, Oct 24, 2017
*29 “Court to govt: Arrest murder convict Bal Krishna Dhungel,” Kathmandu Post, Apr 14, 2017
*30 “Issue arrest warrant against Bal Krishna Dhungel: SC orders IGP Aryal,” Kathmandu Post, Apr 13, 2017
*31 DEWAN RAI, “Supreme Court asks police again to arrest Dhungel,” Kathmandu Post, Dec 26, 2016
*32 “Government eases criteria for clemency,” Himalayan, May 07, 2016
*33 “No amnesty to Bal Krishna Dhungel: SC,” Kathmandu Post, Jan 7, 2016
*34 Pranab Kharel, “SC to begin fresh hearing on appeal against Dhungel,” Kathmandu Post, Sep 5, 2014
*35 “Jail-sentenced former Maoist cadre arrested & jailed,” Kathmandu Post, May 13, 2014
*36 “NC, UML reiterate stance against presidential pardon to Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 14, 2011
*37 Pranab Kharel, “SC stays Cabinet decision to pardon lawmaker Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 13, 2011
*38 Pranab Kharel, “To pardon or not to pardon, Prez ponders,” Kathmandu Post, Nov 13, 2011
*39 “Oppositions to raise Dhungel’s issue in House today,” Kathmandu Post, Nov 11, 2011
*40 “Lawmakers warn govt over Dhungel plea,” Kathmandu Post, Nov 11, 2011
*41 “Serious lapses in parties’ PR lists,” Kathmandu Post, Nov 11, 2013
*42 “RPP-N chair against clemency to Dhungel,” Kathmandu Post, Nov 10, 2011
*43 “Rights groups to protest if Dhungel pardoned,” Kathmandu Post, Nov 10, 2011
*44 DEWAN RAI, “Apex court denies clemency to murder convict Dhungel Issues mandamus order to send Maoist leader to prison for life,” Kathmandu Post, June 24, 1998

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/14 at 16:07

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(3)

3.ドゥンゲルへの恩赦
オリ内閣は,全国の刑務所から提出された約1000人(正確な人数不明)の恩赦候補者リストの中から816人を恩赦対象者に決定し,5月29日の共和国記念日にバンダリ大統領がその816人に恩赦を与えた。ビルクリシュナ・ドゥンゲルもその一人。

ドゥンゲルは終身刑(禁錮20年)だが,前述のように収監期間は通算8年を超え,改正されたばかりの刑務所規則の刑期40%以上経過の要件をギリギリ満たしている。そして,むろん行状も良好と認められた。こうして,ドゥンゲルは共和国記念日恩赦を与えられ,釈放されたのである。

このドゥンゲル恩赦につき,オリ首相は,それは「定められた手続きにしががったもの」だと述べた(*4)。

ドゥンゲル自身はというと,釈放されるとすぐネパール共産党事務所に行き,支持者を集め,自分は人権キャンペーンで「ドル稼ぎ」をしている人権活動家らの謀略の犠牲者だと演説し,無実を訴えた(*4)。

■ドゥンゲル(FBより)

4.ドゥンゲル恩赦への反対
(1)ウジャン親族
ドゥンゲル恩赦に対し,被害者ウジャンの妹サビトリ・シュレスタは,「政府は犠牲者家族の言葉に耳を傾けようとはしないばかりか,逆に,犯罪者への配慮をますます強めさえしている」と述べ,ドゥンゲル恩赦を非難した。家族は,国連人権委員会に,この問題を訴える予定だという(*10)。

(2)ガガン・タパ議員(NC)
コングレス党のガガン・タパ議員は,連邦議会で,ウジャン恩赦に反対し,こう演説した。

「虐殺犯釈放のような恣意的決定は,王政期にのみ行われていた。首相は,意のままに恩赦を与える国王ではない。もし政府がドゥンゲル釈放の決定を直ちに撤回しなければ,わが党は街頭に出て抗議活動を始めるだろう。」(*10,12)


 ■がガン・タパのドゥンゲル恩赦批判FB(5月29日)

(3)ユバラジ・ギミレ
ジャーナリストのユバラジ・ギミレは,ドゥンゲル恩赦をUML・MC合併によるNCP政権成立の背後にある密約の履行の一環と見る。

ギミレによれば,2005年和平交渉の頃,インドとEUがマオイストの政権参加による和平を働きかけたのに対し,アメリカは王室に期待し働きかけた。その頃,あるアメリカ外交官が「王政は権威的とはいえ民主的な制度に改めうるが,マオイストは全体主義であり変えようがない」と語ったが,その警告が,ネパール共産党が議会三分の二に近い大勢力になったいま,現実化しつつある(*4)。

そもそもUML・MC合併は,マオイスト戦争犯罪の免責が前提条件であった可能性がある。強大政権党NCPの報復を恐れ,人権活動家らは沈黙し始めたし,真実和解委員会(TRC)もいまや「牙なし」状態となってしまった。最高裁人事でさえ,NCP寄りとなっている(*4)。ギミレはこう述べている。

「絶対多数を持つ新党が結成されKP・オリ政権が成立すると,政府は虐殺の罪で終身刑に服している元マオイスト幹部の元議員に『大統領恩赦』を与えるため,権力を行使し始めた。」(*21)

「[当局筋によれば]与党幹部の指示に従い,刑務所当局は様々な罪で投獄されている他の800人の受刑者に加え,良好な態度を理由にバルクリシュナ・ドゥンゲルにも恩赦を与えるよう勧告した。」(*21)

「刑務所規則によれば,大統領恩赦を受けられる受刑者もいるが,虐殺,レイプ,人身売買および汚職の罪を犯した者は除かれる。これは,ビドヤ・デビ・バンダリ大統領にとって,一つの大きな試練となっている。バンダリ大統領は法を厳守しなければならないし,また,より重要ともいえるが,マオイスト指導者だったバブラム・バタライが6年前首相だったときドゥンゲルへの恩赦を彼女の前任者ラム・バラン・ヤダブ大統領に勧告したとき,ヤダブ大統領はそれを拒否していたからである。」(*21)

「マオイスト幹部バル・クリシュナ・ドゥンゲルの大統領恩赦釈放は,10年に及ぶ内戦期の人権侵害で有罪とされ,あるいは責任追及されているマオイスト幹部すべてに対し,恩赦を与えるか,あるいは責任免除とするかへの前兆と見られている。」(*4)

■ユバラジ・ギミレ(FBより)

(4)ディネシュ・トリパティ弁護士
ドゥンゲル恩赦に反対し法廷闘争を展開しているのが,憲法,行政法,人権問題が専門でカトマンズ大学法学部講師を務めているディネシュ・トリパティ弁護士。法廷闘争は複雑で前後関係がはっきりしない部分もあるが,報道によれば,彼の法廷闘争の大筋は以下のとおりである。

ドゥンゲル恩赦は,前述のように,かつてバブラム・バタライ首相(2011年8月29日~2013年3月14日)が2011年11月8日閣議決定したが,ウジャンの妹サビトリ・シュレスタが11月10日最高裁に閣議決定取り消しを求めて提訴,これを最高裁は11月23日認めていた。そのとき,最高裁は,恩赦は恣意的,無制限であってはならないし,また国際法で禁止されている重大犯罪への恩赦は認められないと命令していた。

今回,内閣が2018年共和国記念日恩赦にドゥンゲルを含める方針であることが明らかになると,トリパティ弁護士は5月24日,ドゥンゲル恩赦を認めないことを求める訴えを最高裁に提出した。

この訴えに対し,最高裁は5月28日,政府に対しドゥンゲル恩赦釈放に関する関係文書の提出を命令し,その審理を29日11時から行うことを決めた。ところが,審理開始直前の午前9時,政府はドゥンゲルを釈放してしまった。

そのため最高裁は6月26日,ドゥンゲルへの恩赦そのものへの最終判断は留保しつつも,ドゥンゲル釈放停止の仮処分については,すでに釈放されているとして,トリパティ弁護士の訴えを棄却した。これにつき,トリパティ弁護士はこう批判している。

「この恩赦は司法制度への攻撃である。重大な人権侵害事件が裁判所審理中であるにもかかわらず,恩赦を与えるような権限は,政府にはない。」(*9,cf.*5)

またオム・プラカシ弁護士も,こう問題提起している。

「ドゥンゲルは,いまもなお犠牲者家族を脅している。犯罪者の釈放は,犠牲者家族の安全をさらに危うくさえしているのだ。」(*10)

■トリパティ弁護士(カトマンズ大学HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/13 at 15:23

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(2)

2.ネパールの恩赦規定
選挙直前の2017年10月31日にドゥンゲルを収監したディリバザール刑務所は,翌2018年に入ると,共和国記念日恩赦(5月29日)実施の政府方針に従い恩赦候補者名簿を作成,それを2018年5月20日頃,政府に提出した。ディリバザール刑務所からは26人,そのうちの一人がドゥンゲルであった。

ネパールの恩赦は,民主主義記念日(2月19日),共和国記念日(5月29日),ダサイン祭(9~10月2週間ほど)などの祝祭日に行われる受刑者の刑罰免除である。王政期には,文字通り国王の「思し召し」により恩赦が与えられていたが,現在は,内閣の勧告に基づき大統領が実施することになっている。

(1)ネパール共和国憲法の恩赦規定
第276条 恩赦(माफी) 大統領は,有罪判決を受けた者に恩赦を与えることが出来るし,また,いかなる裁判所,司法機関もしくは準司法機関または行政官もしくは行政機関により科せられたいかなる刑をも軽減することが出来る。

【参照】ネパール王国憲法1990年
第122条 恩赦 陛下は,裁判所,特別裁判所,軍事裁判所または他の司法機関,準司法機関もしくは行政機関が科した刑罰に恩赦を与え,またはその刑罰を猶予し,変更し,もしくは軽減する権限を有する。

(2)刑務所法令の恩赦関係規定
恩赦関係法令は複雑であり改変も多いが,英大使館「受刑者の手引き」(*1)や解説記事などによると,現在の恩赦はおおよそ次のようになっている。

内閣:恩赦実施の方針決定
⇒全国74刑務所:それぞれの収監受刑者の中から適格者を選び,恩赦候補者名簿を作成。
⇒刑務所総局:各刑務所から提出された恩赦候補者名簿を集計。
⇒内務省:必要な場合には法務省や法務長官の意見をも聴収し,恩赦名簿案作成。
⇒内閣:恩赦名簿を閣議決定
⇒大統領:内閣勧告に基づき恩赦実施。

(3)恩赦の要件
・刑期の40%以上または65歳以上の場合は25%以上を経過した者(5月6日改正以前は,刑期の50%以上または70歳以上の場合は25%以上を経過した者)
・行状の良好な者
・罰金の支払い。
・病気,心身障害等も考慮。

(4)恩赦対象外の犯罪
残虐非道な殺人,レイプ,人身売買,誘拐・人質監禁,殺人目的放火,組織犯罪,汚職,脱獄,違法薬物取引,詐欺,密輸,外国雇用関係犯罪,保護野生動物関係犯罪,考古学対象物関係犯罪,国家反逆罪,武器弾薬等関係犯罪,スパイ,人道犯罪,ジェノサイド

(5)恩赦要件緩和の理由
オリ政府は,2018年共和国記念日恩赦直前の5月6日,「刑務所規則」を改正し,減刑の上限を50%から60%に緩和した。高齢者も70歳以上から65歳以下に引き下げ,75%まで減刑可能とした。その結果,それぞれ刑期の40%または25%をつとめると,釈放可能となる。この改正は,表向きは,老齢市民法など他法令との調整を目的としたものであろうし,また,より現実的には刑務所過密対策と見るべきであろう。

現在,ネパールには全国に74の刑務所があり,収監総定員は11,500人だが,4月現在,収監総数は17,905人に達している。世界にはもっと過密な刑務所が少なくないし,日本の刑務所も定員オーバーだが,ネパールの場合,居住環境的にも財政的にも過密はもはや放置できない。そこで恩赦要件緩和となったのであろう。

が,それはそうだとしても,共和国記念日直前の恩赦要件緩和は,政権党の大物受刑者ドゥンゲルにとって,あまりにもドンピシャリ,好都合すぎる。5月6日の刑務所規則改正がなければ,禁錮20年のうちの8年余を経過したにすぎないドゥンゲルは,恩赦要件を満たさず,恩赦対象にはなりえなかったはずだ。真偽不明だが,政治的思惑が働いたと見られてもやむを得ない状況ではある。

*1 British Embassy Kathmandu, “Information Pack for British Prisoners in Kathmandu Prisoners pack template – 2015,” 1 July 2015

■ディリバザール刑務所(Google Map)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/07/11 at 15:22

ネパール共産党とドゥンゲル恩赦(1)

1.ウジャン殺害とドゥンゲル裁判
「ネパール共産党(NCP)」は,「ネパール共産党統一マルクスレーニン主義派(CPN-UML)」と「ネパール共産党マオイストセンター(CPN-MC)」が5月17日合併して発足し,現在,連邦議会下院(275)で三分の二に近い174議席をもつ巨大政権党である。(連立している連邦社会主義フォーラムと合わせると,与党は190議席,総議席の69.1%となり,憲法改正も可能。)

合併以前のUMLは,伝統的中道政党のコングレス党(NC)以上に高位カースト寡占の権威主義的政党であったし,MCは言わずと知れた毛沢東主義政党,暴力革命たる「人民戦争(1996-2006)」を戦い抜き優勢裡に和平に持ち込んだプラチャンダら党幹部になお権限が集中する革命カリスマ的政党である。したがって,これら2党の合併により成立したNCPが両党の党体質を併せ持つことになったのは,至極当然の成り行きといえるであろう。

ネパール共産党(NCP)のこの党体質は,先のごり押し政党登録に加え,今年の共和国記念日恩赦(5月29日)によるドゥンゲル釈放をみると,さらに一層明らかとなる。

共和国記念日恩赦を受けたバル・クリシュナ・ドゥンゲルは,オカルドゥンガを地盤とするマオイスト幹部だが,人民戦争中の1998年,地元住民ウジャン・クマール・シュレスタを親族婚姻問題がらみで「スパイ」として虐殺した。裁判にかけられ,和平後の2010年,最高裁で終身刑が確定したが,マオイストの強引な介入により逮捕を免れた。彼が逮捕・収監されたのは,ようやく2017年11月選挙直前になってのことであった。ところが,選挙がらみで逮捕されたものの,そのわずか半年後の2018年5月29日,選挙で大勝し政権をとったオリ首相(NCP)がその強大な権力をバックに共和国記念日恩赦を実施,ドゥンゲルは釈放された。

たしかに,人民戦争期の事件については,通常の裁判により裁くか,それとも「真実和解委員会(TRC)」で解決するか,意見が分かれている。ウジャン虐殺事件も,マオイスト側は一貫してTRCで解決すべきだと主張してきた。他の諸政党――マオイストと連立時以外のUMLを含め――や人権諸団体は強く反対してきたが,このマオイスト側の主張にもまったく根拠がないわけではない。

そこで,そうしたマオイスト側の言い分も考慮しつつ,以下,今回のドゥンゲル恩赦の意味について検討してみることにしたい。ウジャン虐殺事件については,すでに概略を述べたことがあるので,ご参照いただきたい。
 参照:選挙と移行期正義(1):ウジャン・シュレスタ殺害事件 2017/11/19

 ▼ウジャン殺害事件 略年表
1998.06.24 マオイスト幹部バル・クリシュナ・ドゥンゲルとそのマオイスト仲間数名が,オカルドゥンガ郡でウジャン・クマル・シュレスタを「スパイ」・「人民の敵」として殺害,遺体をリクー川に投棄。
2004.05.10 オカルドゥンガ郡裁,ドゥンゲルに対し財産没収・終身刑(禁錮20年)の判決,収監。
2006.06.25 ラジビラジ上訴裁判所,郡裁判決を取り消し,無罪判決。ドゥンゲル釈放。
2008.04.- ドゥンゲル,オカルドゥンガ郡よりマオイスト(CPN-M)候補として制憲議会議員選挙に立候補し,当選。
2010.01.03 最高裁,ラジビラジ上訴裁判決を取り消し,郡裁判決支持。ドゥンゲルの財産没収・終身刑(禁錮20年)確定。ただし,議員特権により逮捕されず。以後,議員任期満了後も党に保護され2017年10月30日まで未収監。
2011.11.08 バブラム・バタライ首相(マオイスト),ドゥンゲル恩赦勧告。
2011.11.23 最高裁,ドゥンゲル恩赦手続き停止命令。
2013.11.11 選管,マオイスト比例制候補者名簿から終身刑を理由にドゥンゲルを削除。
2016.01.07 最高裁,恩赦要件明確化まで恩赦禁止を命令。
2016.04.12 D・トリパティ弁護士,不利な判決を下した判事脅迫を理由にドゥンゲルを法廷侮辱罪で告発。
2017.04.14 最高裁,ドゥンゲル逮捕を警察に命令するも,警察は逮捕せず。
2017.10.24 D・トリパティ弁護士,ドゥンゲル逮捕命令無視の警察総監を法廷侮辱罪で最高裁に告発。。
2017.10.31 ドゥンゲル逮捕,ディリバザール刑務所収監。
2017.11.- 連邦議会・州議会選挙。UML圧勝。UML・MC連立オリ政権成立へ。
2018.05.06 「刑務所規則」第4次改正。刑期短縮を「50%まで」から「60%まで」に緩和。
2018.05.20 ディリバザール刑務所,ドゥンゲルを含む恩赦候補者名簿提出。
2018.05.24 D・トリパティ弁護士,ドゥンゲル恩赦停止の仮処分を求め最高裁提訴。
2018.05.27 オリ内閣,共和国記念日恩赦決定。
2018.05.29 共和国記念日恩赦実施。ドゥンゲルを含む816人釈放。
2018.06.26 最高裁,ドゥンゲル恩赦釈放の取り消し請求を棄却。


 ■ウジャン(左)とドゥンゲル(右)(FB: No Amnesty for BalKrishna Dhungel 2011-11-11)

谷川昌幸(C)

ネパール共産党の発足と課題(4)

4.権威主義
ネパール共産党(NCP)はUML系を主力としており,したがってUMLの党体質を継承する可能性が高い。高カースト寡頭支配,ナショナリズム,男性優先など。

これらのうち,いま特に問題とされているのが男性優先。先の連邦議会選挙におけるUMLの女性後回しは,際立っていた(「比例制は女性特待議席か(1),(2)」参照)。その男性優先体質が,そのまま新党NCPに継承され,NCP役員選任も男性優先となっている。

ネパール憲法269(4)条は政党役員構成を比例的包摂とすることを定め,政党登録法15(4)条は政党各委員会委員の三分の一以上を女性とすると定めている。

ところが,5月26日現在,NCP中央委員会は441委員中,女性は73人(17%)だけ。書記局は9人全員が男性。そのため,選管は,現状ではNCPの政党登録は認めない方針という(*2,3)(女性だけでなく,ダリットやマデシもNCP役員には少ない。)

NCPは,ネパール流のやり方でつじつまを合わせ,登録することにはなるだろうが,たとえそうではあっても,非包摂的男性優先権威主義の体質は牢乎として抜きがたいと見ざるを得ない。

第3州UML比例当選者全員女性(2017年州議会選挙)

5.移行期正義
UMLとMCの合併において深刻な事態となりそうなのが,人民戦争期(1996-2006)の人権侵害をどう取り扱うか,つまり移行期正義の問題である(*5,6)。

人民戦争ではUMLとマオイスト(現MC)は敵であり,非戦闘員をも巻き込み,激しいゲリラ戦を繰り広げた。双方が,暴行,強奪,拉致,虐殺,強制失踪など,多くの重大な人権侵害に直接的あるいは間接的に関与した。その多くが,いまだ未解決のままとなっている。

今回のUML・MC合併により,その人民戦争における加害者と被害者が同じ党のメンバーとなり活動することになった。これは当事者,とりわけ被害者側にとっては,極めて難しい事態である。

オム・アスタ・ライは,5月25日付記事「昨日の敵は今日の同志」(*4)において,次のように述べている。

マオイスト(現MC)は,人民戦争において,まずNCを攻撃し,次にUMLを攻撃した。UMLは,1996年ロルパで9人が焼き殺されるなど,約200人がマオイストに殺された。こうしたマオイストによる虐殺,拷問,拉致,強制失踪などの被害者や被害者家族は,事件の真相解明と責任者の処罰および損害賠償を求め裁判所や真実和解委員会(TRC)に訴えてきた。ところが,今回のUML・MC合併により,下手人と見られる人々が同志となってしまった。しかも,その中には上役や強大な権限を持つ幹部になった人々もいる。

たとえば,1999年2月マオイストに斬殺されたUML幹部ヤドゥ・ガウタムの家族の場合。彼らは裁判所や真実和解委員会に訴える一方,妻ティルタはUML議員となり政治活動をしてきた。ところが,UML・MC合併により,夫殺害に関与したMC系議員と同じNCPの議員となり,同僚として同席することになってしまった。

また,UML傘下諸組織においても,同様のことが生じている。家族を攻撃し苦しめたマオイスト傘下組織と統合し,同僚として,あるいは時には部下として行動を共にしなければならない。これはがいかに難しく苦しい事態かは,想像に難くない。

「合併によるネパール共産党(NCP)の成立は,マオイスト・ゲリラに殺されたUML党員の家族を難しい状況に陥らせた。家族は真実と正義を求めているが,下手人はいまや彼らの指導者なのである。」(*4)

以上のように,昨日の敵を同志とすることには,想像を絶する苦難が伴う。人民戦争の終結はほんの十数年前のことであり,被害はまだ生々しく記憶され残っているのだ。

そして,忘れてはならないのは,この記事では触れられていないが,人民戦争においては,政府の掃討作戦により,マオイスト戦闘員やシンパ(およびシンパと見られて人々)の側にも多大な被害が出たこと。警察,武装警察,そしてのちには王国軍の側も,拷問,拉致,虐殺,強制失踪など,多くの重大な人権侵害に関与した。そこに,UMLは体制側政党として直接的あるいは間接的に関与しており,当然,責任は免れない。

人民戦争は,内戦でありゲリラ戦であった。その傷は広く深く,わずか十数年で癒えるはずがない。その状態での,かつての不倶戴天の敵との合併統一には大きな困難が伴うのは当然と覚悟しなければならないであろう。

これは,戦時から平時への移行期正義の問題。複雑で難しい課題なので,後日,改めて考えてみることにしたい。

ウジャン・シュレスタ殺害事件

*1 “Fringe party raps ruling party for copying its name,” Republica, 21 May 2018
*2 “EC likely to reject NCP registration,” Republica, 26 May 2018
*3 “Only 16 pc representation for women,” Himalayan, 22 May 2018
*4 Om Astha Rai, “Yesterday’s enemies, today’s comrades,” Nepali Times, 25 May 2018
*5 選挙と移行期正義(1):ウジャン・シュレスタ殺害事件
*6 選挙と移行期正義(2):マイナ殺害事件

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/06/05 at 14:30

オリ首相就任と共産党統一

1.オリ首相就任
「統一共産党(CPN-UML)」のKP・オリ(खड्ग प्रसाद शर्मा ओली)議長が2月15日,ネパール第41代首相に就任した。

オリは,1952年2月22日,東部テラトゥム生まれのブラーマン。1970年頃から共産主義運動に参加,ジャパ闘争を闘い,73年から87年にかけ14年間投獄された。出獄後,UMLルンビニ地区代表(1990年就任)などを経て,UMLジャパ郡選出下院議員となり,党や政府の要職を歴任した。
・下院議員初当選 1991
・内相 1994-95
・副首相/外相 2006-07
・UML議長 2014.07-
・首相 (1)2015.10.11-2016.08.03 (2)2018.02.15-

2.共産党統一
オリUML議長が首相に就任できたのは,2017-18年の連邦議会選挙において,議会三大政党のうちの二党たるUMLと「ネパール共産党・マオイストセンター[マオイスト](CPN-MC)」が選挙後の統一を掲げ,安定と繁栄を訴え,選挙共闘により勝利したからである。

連邦議会代議院(下院)は議員定数275。このうちUMLは121(44.0%),MCは53(19.3%)の議席を獲得した。未曽有の大勝利である。

この選挙共闘の成功を受け,UMLとMCは選挙前に約束していた両党の統一に向け最後の詰めを行い,2月19日「7項目合意」に署名して一つの共産党となった。仮称「ネパール共産党(Communist Party of Nepal[CPN])」。

この新生「ネパール共産党」は,代議院(定数275)において174議席(63.3%)をもつ。これだけでも絶対多数を優に超えるが,もしマデシ系のRJP-N(17議席)かFSF[SSF]-N(16議席)の協力が得られるなら,三分の二を超え,憲法改正ですら可能となる。強力な安定政権の確立・維持に,形式的には十分な議席数である。

3.新生「ネパール共産党」の先行き?
しかしながら,新生「ネパール共産党」のオリ政権が強力な長期安定政権となるかどうかは,まだ何とも言えない。

(1)党名。新生政権党は「ネパール共産党(Communist Party of Nepal[CPN])」を名乗りたいらしいが,ネパールには共産党が多数あり,「ネパール共産党」もむろんすでに登録使用されている。看板にすぎないとはいえ,名は体を表す,おろそかにはできない。新党の名称はどうなるか?

(2)党是。「マルクス・レーニン主義」には異論はないが,「毛沢東主義(マオイズム)」はどうするか? 多数派のUML系は,もちろん由緒ある「人民多党制(複数政党制)民主主義」を党是とすることは当然と考え,譲る気はない。これに対し,人民戦争を戦い抜き事実上勝利したMC系は,多かれ少なかれ原理主義的な「毛沢東主義(マオイズム)」を放棄しはしないであろう。

(3)権益配分。議席,政府役職,党役職等の権益をどう配分するか? 政治闘争の赤裸々な本音部分。今回,MCが「ネパール会議派(NC)」との連立を解消してUMLに乗り換えたのも,NCがMCへの役職配分30-40%を拒否したのに対し,UMLは40%を約束したからだといわれている(*1)。身近な現世利益は現実政治を動かす大きな要因である。
*1 Kamal D. Bhattarai, “The (Re)Birth of the Nepal Communist Party,” The Diplomat, 21 Feb 2018.

新生「ネパール共産党」は,いまのところUML系6対MC系4の取り決めを守り,議席や主要な役職を配分しつつある。

党議長は,UML系のオリとMC系のプラチャンダ(PK・ダハル)が第一回党大会まで共同で務める(共同議長)。ただし,党大会がいつになるかは不明。

首相は,前半3年をオリ,後半2年をプラチャンダが務める。ただし,政権たらいまわし批判を恐れ,密約になっているともいわれており,約束通り政権が回されるかどうかは不明。

大統領と下院副議長はUML系,副大統領と下院議長はMC系に割り振る予定。

大臣ポストは,UML系11(61%),MC系7(39%)と,約束通り,6対4にきっちり割り振った(2018年2月24日現在)。しかし,これで不満はないのか? 以前であれば,大臣ポストをいくらでも増やし,ばら撒くことができたが,いまは憲法66(2)条により25大臣以下に制限されている。

(4)対印・対中関係。メディア,特に日本の新聞は,「親中安定政権誕生」などと書き立てているが,ネパールの対印・対中関係は,そう簡単ではない。

そもそも,いまや昇竜・中国を無視しては,世界の大半の国々は自国国益を守りえない。嫌中・日本ですら,中国無視や敵視は観念論,中国をよく観察し互恵関係を深めていかざるを得ない。ましてや国境を長く接し歴史的関係も深いネパールが中国に接近するのは,国益を考えるなら,当たり前。問題は,中国にどう接近し,どのような関係を構築していくかだ。

オリ首相はブラーマンで,もともと親印。親中の国王と闘い,14年間も投獄された。そのオリが,グローバル化の下での中国台頭により中国カードを手にし,使い始めたので,親中と見られているに過ぎない。国益第一なら,他の政治家であっても,多かれ少なかれ同じことをするはずだ。

一方,プラチャンダもブラーマンで,もともと親印。ネパール・マオイストは,中国共産党をニセ毛沢東主義者と非難し,激しく攻撃していた。中国側も,ときにはネパール体制側を支援しマオイスト弾圧に加担したことさえあった。いまはプラチャンダも中国に接近しているが,オリ同様,それは国益の観点からの戦略的な選択とみてよいだろう。

そこで問題は,オリ首相がたとえ戦略とはいえ,中国により接近した場合,インド筋が何らかの形で介入し,オリ政権打倒を画策するのではないかということ。そして,その際,働きかけのターゲットとなるのは,「ネパール共産党」反主流派のMC系,つまり親印・親マデシのプラチャンダではないか,ということ。

政権党「ネパール共産党」においては,オリ首相の率いるUML系が多数派。プラチャンダ率いるMC系は少数派であり,どうしても冷や飯を食わされ,不満がたまる。そこにインド筋が働きかけ,MC系の造反,連立組み換えによりオリ政権を崩壊させることは十分に考えられることだ。

事実,この数年の政権交代は,第三党マオイストによる連立相手組み換えによるものがほとんど。マオイストは2015年,UMLと組んでオリを首相とし,2016年には相手をコングレス党(NC)と取り換えてプラチャンダを首相とし,そして今度またUMLと組んでオリをふたたび首相とした。第三党のマオイストが,キャスティングボートを握っている。

そこにマデシ問題がらみでインド筋が介入してくるかもしれない。インドは,NC,マオイスト,マデシ系諸党の連携による親印政権を期待しているとみられている。

(5)移行期正義。「ネパール共産党」内のMC系の人々にとって,人民戦争期の重大な人権侵害をどう処理するか,つまり移行期正義の問題をどう解決するかは,個々人の浮沈に直接かかわる重大問題である。人民戦争期には,国軍,武装警察など政府側だけでなく,マオイスト側にも,重大な人権侵害に加担した人が少なからずいた。被害者側は,国際社会の強力な支援をバックに,責任者の処罰と損害賠償を求めている。これを受け,UML系も移行期正義の実現には肯定的である。しかし,もしオリ政権がこの問題に一歩踏み込めば,幹部を含め加害を疑われている人の多いMC系が激しく反発し,たちまち政権は動揺するであろう。オリ首相は,この難問をどう処理するか?

(6)憲法改正。マデシ系の人々は,インドの強力な支援をバックに,彼らの権利が認められるよう憲法を改正することを要求している。この要求に対し,MC系は肯定的,UML系は否定的。この問題は,インドが非公式国境封鎖を強行せざるをえなかったほど深刻。オリ首相は,この憲法改正問題をどう考え解決を図るつもりか?

以上のように見てくると,オリ内閣が親中長期安定政権になるかどうかは,まだいずれともいえないと考えざるをえない。今後の成り行きが注目される。


■オリ首相ツイッター(2月23日)/プラチャンダ議長フェイスブック(2月18日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/02/25 at 17:46

選挙と移行期正義(2):マイナ殺害事件

国会・州会ダブル選挙(投票11月26日/12月7日)との関係で注目される移行期正義のもう一つの事例が,2004年のマイナ・スルワル(मैना सुलुवर)殺害事件である。この事件も,選挙が近づいてきた今年になって大きく動き始めた。容疑者は,ウジャン殺害事件とは逆に,マオイストと戦っていた王国軍(国軍)の側の将兵7名。(事件概要は下記*14ほか参照。)


 ■マイナ(*18) /人民戦争期の強制失踪者数(2054BS=1997AD, *12)

1.マイナ虐殺
2004年2月12日,カブレ郡ポカリチャウリのリナ・ラサイリ(17歳)がレイプされ殺されているのが発見された。その前(どのくらい前かは不明),リナの叔母デビ・スヌワルが,王国軍軍人がリナを捕らえ殴っているのを目撃していた。そして,そのことを周りの人々に話し,それが地方紙に掲載された。国軍にとって,デビは不都合な目撃者ということになる。

5日後の2月17日,パンチカルのビレンドラ平和活動訓練所駐留国軍のN・バスネット大尉ら将兵12名がカレルトクのデビの家にやってきて,彼女を捕らえようとした。ところが,そのときデビは不在で,父のプルナと娘のマイナ(15歳)が家にいた。そこで部隊はデビを出頭させよと命令し,マイナもスパイ活動に加担したとして彼女を基地に連行した。

ビレンドラ平和活動訓練所では, B・カトリ中佐,N・バスネット大尉,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉など7名の将兵がマイナの尋問にあたった。方法は酸鼻の極み。頭を水中に沈める水攻めや,濡れた身体に電流を流す電気ショックを繰り返した。そして,ようやく「自白」を得たあと,マイナに目隠しをし,後ろ手に縛り,基地内の部屋に監禁した。しばらくすると,激しい拷問を受けていたためマイナの容体が急変,医師が来る前に死亡してしまった。

国軍部隊は,拷問発覚を恐れ,逃亡に見せかけるため,すでに死亡していたマイナを背後から撃ち,警官を呼んでそれを見せたうえで,遺体を近くの空き地に埋めた。

国軍部隊によるマイナ連行後,家族や村人は,マイナを探し回ったが,軍も警察もマイナの拘束を否定,行方は分からなかった。結局,国軍がデビにマイナの死と遺品が警察に保管されていることを告げたのは,ようやく2004年4月に入ってからであった。

 ■現在のビレンドラ平和活動訓練所(同所HP,2017/12/01)

2.軍法会議での審理
国軍は,マイナ事件の解明を求める内外の声の高まりを放置できなくなり,翌2005年3月,国軍内に調査委員会を設置した。そして,その報告に基づき,関係将兵を軍法会議にかけた。

2005年9月8日,軍法会議は,マイナの尋問方法と遺体処理手続きの誤りを認め,政府には15万ルピーの遺族賠償金の支払いを,またB・カトリ中佐,S・P・アディカリ大尉,A・プン大尉の3名には6か月の禁錮と,5万ルピー(カトリ中佐)ないし2万5千ルピー(他の2名)の遺族賠償金の支払いを言い渡した。しかし,禁錮については,裁判中拘束されていたとして判決後の収監はなされなかった。また重要な役割を果たしたとみられるN・バスネット大尉は,なぜか軍法会議にはかけられなかった。マイナの死は,故意の拷問によるものではなく,「事故」ないし手続き上の過失とされたのである。

3.司法裁判所での審理
軍法会議の判決は出たが,マイナ家族はこれを不当として2005年11月13日,カブレ警察に,軍法会議有罪判決の3名と,N・バスネット大尉の4名をマイナ殺害容疑で告発した。しかし,軍の妨害で,捜査は進まなかった。

そこで母デビは2007年1月10日,最高裁に,マイナ殺害事件調査を関係諸機関に命令することを求める訴えを出した。その結果,経緯は錯綜するが,いくつかの進展が見られた。2007年3月23日=警察がパンチカル軍基地敷地内に埋められていたマイナの遺体を掘り出し調査。5月8日=最高裁,軍法会議に対し関係書類提出を命令。7月=最高裁,マイナ事件は司法裁判所で審理することを決定。9月20日=最高裁,郡警察と郡検察に対し,マイナ事件を3か月以内に調査するよう命令。

(1)カブレ郡裁判所の判決
翌2008年1月31日,カブレ検察は,マイナ家族の告発した軍人4名を殺人罪でカブレ郡裁判所に起訴した。これを受け,郡裁判所は4軍人の逮捕状を出したが,彼らは逮捕されなかった。それどころか,N・バスネット大尉は少佐に昇進し,チャドPKOに派遣されてしまった。

2009年9月13日になって,カブレ郡裁判所は,ようやくN・バスネット少佐(当時大尉)の停職,カブレ郡検察と軍による関係調書の作成を命令した。しかし,その後も,軍の抵抗によりマイナ事件審理は進まず,郡裁判所が本格的に審理を再開したのは,2016年1月になってからである。

ところが,今年に入り選挙が日程に上り始めると,マイナ裁判も大きく動き始めた。2017年4月16日,カブレ郡裁判所が,B・カトリ中佐,A・プン大尉,S・アディカリ大尉の3名に対し,禁錮20年の判決を言い渡した。ただし,当時の政治状況と故意ではなかったことを考慮し禁錮5年への減刑が望ましいとの補足意見を付していた。また,N・バスネット大尉については,命令に従っただけだとして,無罪とした。この無罪判決については,アムネスティなどが不当だとして厳しく批判している。

(2)最高裁審理へ
 このカブレ郡裁判所判決に対し,国軍は2017年9月22日,判決は誤りだとして,棄却を求める訴えを最高裁判所に提出した。これを受け,最高裁判所はこの11月5日,カブレ郡裁判所に対し,マイナ事件裁判関係書類の作成提出を命令した。

4.選挙とマイナ殺害事件裁判の行方
以上が,マイナ殺害事件の18年余の長きにわたる経緯の概略である。この事件の当事者は国軍であり,マオイストが当事者であるウジャン殺害事件と同様,現在においても,その扱いは政治的に重大な意味を持ちうる。

今回の国会・州会ダブル選挙でいずれの勢力が勝利し,それがマイナ殺害事件裁判にどう影響するか? 移行期正義の観点からも,この選挙は注目されるところである。

*1“Maina Sunuwar murder case: SC orders Kavre court to produce documents: Three ex-Nepal Army officials were sentenced to life in prison in April,” Kathmandu Post, Nov 7, 2017
*2 Victor Talukdar, “Nepal Army challenges Kavre District Court verdict in Maina Sunuwar murder case, SC calls for case documents,” The aPolitical, 07/11/2017
*3 International Commission of Jurists & Amnesty International, “OPEN LETTER TO THE ATTORNEY GENERAL OF NEPAL: PURSUE APPEAL IN MAINA SANUWAR’S CASE,” 19 May 2017
*4“Maina Sunuwar murder: Nepal soldiers convicted of war-era killing,” BBC, 17 April 2017
*5 Advocacy Forum Nepal, “The District Court Kavrepalanchowk Convicts Three out of Four Army Officers Accused of Maina’s Murder,” 17 April 2017
*6“Maina Sunuwar murder case: Court awards life imprisonment to 3 NA officers,” Kathmandu Post, Apr 17, 2017
*7 INSEC, “Maina Sunuwar Murderer Gets Life Imprisonment,” April 17, 2017
*8 Nabin Khatiwada, “Kavre court slaps life term on 3 NA officers, acquits Basnet,” Republica, April 17, 2017
*9“Nepal: Ensure Truth, Reparation and Justice: 8th Anniversary of the Killing of Maina Sunuwar, 15,” Human Rights Watch, February 17, 2012
*10 Human Rights Watch, “Joint Open Letter to Prime Minister Khanal of Nepal on Persistent Impunity,” 2011/05/24
*11 Brad Adams (Human Rights Watch) , “Nepal’s elusive justice,” The Kathmandu Post, September 16, 2011
*12 INSEC, “Profile of Disappeared Persons: Profi le of the persons subjected to enforced disappearances during armed confl ict in Nepal (From February 13, 1996 to November 5, 2006),” 2011
*13 Meenakshi Ganguly (Human Rights Watch), “Nepal: Torture vs Democracy,” Open Democracy, February 18, 2010
*14 Advocacy Forum Nepal, “Maina Sunuwar: Separation Fact from Fiction,” 2010
*15 Human Rights Watch, “Nepal: Hand Over Murder Suspect to Police: Army Officer Accused of Murder Removed as UN Peacekeeper,” December 14, 2009
*16 Amnesty International, “Nepal: Major accused of torturing girl to death must be arrested,” 8 December 2009
*17“How Maina was killed,” Nepali Times, 01 SEPT 2006 – 07 SEPT 2006
*18 United Nations Office of the High Commissioner of Human Rights in Nepal, “The torture and death in custody of Maina Sunuwar,” December 2006

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/12/01 at 13:41

選挙と移行期正義(1):ウジャン・シュレスタ殺害事件

国会・州会ダブル選挙まで,あと1週間。この選挙は,人民戦争後平和構築の制度的総仕上げとなる重要な選挙だが,もう一つ,見落としてならないのが,戦後処理としての移行期正義との関係。

1.ネパールにおける移行期正義の難しさ
人民戦争(マオイスト紛争)においては,政府・議会政党側もマオイスト側も,強制失踪,拷問,虐殺,財産強奪など様々な人権侵害に関与した。戦後平和構築においては,これらの重大な人権侵害につき,事実を解明し,それに基づき加害者の謝罪と必要な場合には処罰,および被害者の救済が行われなければならない。公正な移行期正義の実現である。

この移行期正義の実現には,誰しも建前としては反対しない。しかし,現実には,そうはいかない。ネパール人民戦争は,交戦当事者のいずれか一方の勝利ではなく,両者の停戦・和平という形で終結した。そのため戦後体制には人民戦争を戦った政府側諸勢力とマオイストの双方が参加し,軍や警察による人権侵害を裁こうとすればNC,UML,RPPなどが,逆に人民解放軍による人権侵害を裁こうとすればマオイストが,反対する。

ネパールにおいて,移行期正義は,政党とりわけその有力幹部たちにとっては,人権問題である以上に,自分たちの命運を左右しかねない重要問題なのである。

2.ウジャン・シュレスタ殺害事件
この移行期正義は,今回の選挙においても当然取り上げられ,政治問題化している。最も注目されているのが,マオイスト幹部によるウジャン殺害事件。その概要は,報道によれば以下の通り(*3,*4)。

ウジャン・クマール・シュレスタ(Ujjan Kumar Shrestha)はオカルドゥンガの住民。そのウジャンの身内が異カースト間結婚をしたことに怒り,あるいは別説ではウジャンがスパイ行為をしたと疑い,地元出身のマオイスト幹部バルクリシュナ・ドゥンゲル(Balkrishna Dhungel)が1998年6月24日,プシュカル・ガウタムら仲間7人を引き連れウジャンを待ち伏せて襲撃,銃で撃ち殺し,遺体をリクー川に投棄した。

事件後,弟のガネシュ・クマールが兄殺害を訴え出ようとしたところ,やはりマオイスト集団に彼も虐殺された。さらにガネシュの娘ラチャナも,父の居所をうっかりマオイストに告げてしまったため父が殺されたと思い込み,自殺してしまった。


 ■ウジャン(左)とドゥンゲル(右)(FB: No Amnesty for BalKrishna Dhungel 2011-11-11)

3.ドゥンゲル裁判と議員特権
ウジャン殺害6年後の2004年5月10日,オカルドゥンガ郡裁判所が,ドゥンゲルに対し,ウジャン殺害の事実を認め,財産没収の上,終身刑に処するとする判決を下した。他の仲間7人も有罪判決を受け,ドゥンゲルとともに収監された。

ところが,ドゥンゲルは判決を不当とし,ラジビラジ上訴裁判所に上訴,2006年に無罪判決を受け,釈放された。そして,2008年4月には制憲議会選挙にオカルドゥンガ選挙区からマオイスト候補として立候補して当選,議員となった。

これに対し,ウジャン家族は最高裁に上訴,2010年1月3日最高裁においてラジビラジ上訴裁判所無罪判決を取り消し,オカルドゥンガ郡裁判所判決を支持する判決を得た。ドゥンゲルを財産没収のうえ終身刑とする判決が確定したのである。

ところが,最高裁判決が出たにもかかわらず,ドゥンゲルは「議員特権」により収監されなかった。そして,翌2011年11月8月には,バブラム・バタライ首相(マオイスト)が,ドゥンゲルに大統領恩赦を与えるよう大統領に勧告した。これに対し,最高裁は2011年11月23日に恩赦手続き停止命令,2016年1月7日には恩赦禁止命令を出し,さらに2016年4月16日には警察総監に対しドゥンゲル逮捕命令を出した。しかし,これらの最高裁命令にもかかわらず,ドゥンゲルは依然として収監されることはなく,自由を謳歌していた。

この最高裁命令無視に対し,2017年10月24日,ディネシュ・トリパティ弁護士が警察総監を法廷侮辱容疑で告発した。ここに至って,警察は2017年10月31日,ようやくドゥンゲルを逮捕し,ディリバザール刑務所に送った。この手続きが確定すれば,ドゥンゲルはオカルドゥンガ郡裁判所判決後の収監期間を差し引く,残りの12年5か月余の期間,収監されることになる。

4.マオイストのドゥンゲル擁護
以上が,ウジャン殺害とその後の経過の概要だが,ドゥンゲル再逮捕,収監へと大きく動き始めたのは,国会・州会ダブル選挙日程がほぼ決まり,選挙戦が本格化し始めたころからであった。したがって,マオイスト幹部であり国会議員選挙出馬予定のドゥンゲル逮捕への動きが,選挙と関係しているとみるのが自然であろう。

ドゥンゲル再逮捕への動きが出ると,マオイストは党を挙げて彼を守ろうとした。たとえば,2017年3月12-13日,マオイストはラメチャップ郡で集会を開き,ドゥンゲル逮捕を命令した最高裁判決を激しく非難した。ドゥンゲルはこう演説した。「最高裁判決は破棄させる。・・・・この判決を下した裁判官を逮捕してやる。」(*12)

2017年10月30日,ドゥンゲルが逮捕されると,マオイスト幹部のディペンドラ・ポウデルは,こう非難した。「この逮捕投獄は,進行中の平和構築への重大な攻撃だ。この種の事件は移行期正義の手法で解決することに諸党が合意していたのに,いまになって逮捕が強行された。これは平和構築の完成を危うくすることになる。・・・・これは,包括和平協定と憲法の規定および精神に反している。」(*21)

また,マオイスト報道担当幹部のパンパ・プーサルも,「和平合意の精神に照らせば,戦時の事件は真実和解委員会(TRC)において解決されるべきである」と述べ,ドゥンゲル逮捕は選挙を失敗させる恐れがあると警告した(*20)。

さらに戦闘的マオイスト組織として知られている「青年共産主義者同盟(YCL)」も,ウジャン事件は「真実和解委員会」を通して解決されるべきだとして,彼の即時釈放を要求した。そして,もし釈放されないなら,人民戦争期のNCやRPPの関与が疑われる事件をすべて暴き,責任者を告発する,と警告した(*19)。

このように,ドゥンゲル逮捕にマオイストが激しく抵抗するのは,人民戦争期の重大な人権侵害事件に党首プラチャンダをはじめ党幹部の多くが多かれ少なかれ関与しているとみられており,ドゥンゲル逮捕を認めると,責任追及が彼ら幹部たちにも及びかねないからである。

5.ドゥンゲル擁護の根拠
しかしながら,マオイストによるドゥンゲル擁護にも根拠がないわけではない。第一に,人民戦争関係諸事件は真実和解委員会ないし移行期正義の手法により解決することが,停戦・和解の際,取り決められていたこと。

そして,第二に,マオイストが警告しているように,重大な戦時人権侵害には政府側の軍や警察あるいはNC,UML,RPPなど当時の議会主要諸政党が関与していたことが少なくないこと。マオイスト側の戦時人権侵害を刑事事件として裁くなら,政府側も裁けということになり,下手をすると紛争再発となりかねない,というわけである。

5.移行期正義の難しさ
これは難しい問題だ。ウジャン家族をはじめ被害者家族は,戦時人権侵害に対する損害賠償と責任者の厳罰を要求している。

内外の人権諸団体も,重大な戦時人権侵害を政治取引により免罪にすることには,強く反対している。たとえば,フレデリック・ラウスキー国際法律家協会(ICJ)アジア太平洋地域委員長はこう批判している。「人権侵害容疑者たちを守ることが,政治的支持を得たり政治的協力関係を作るための交渉の切り札として使われた。・・・・政党間取引のため人権尊重義務が損なわれるようなことをしてはならない。」(*26)

純然たる平時においては,確かにその通りだ。しかし,泥沼の人民戦争を終結させるため政治的に採用されたのが移行期正義ないし真実和解委員会による和解。戦時を平時にどう移行させるか,これは難しい。

6.選挙で問われる移行期正義の在り方
ウジャン殺害事件は,選挙戦本格化とともに大きく動き,マオイスト幹部のドゥンゲルが2017年10月31日,犯人として逮捕・投獄された。

そして,選挙管理委員会は2017年11月6日,ドゥンゲル立候補への異議申し立てを受理し,マオイスト比例制候補者リストから彼の名を削除した。マオイストの政治的敗北である。

今回の選挙でNCやRPPが大勝すればマオイスト側の戦時人権侵害が,逆にマオイストを中心とする共産党連合が大勝すれば旧政府側の戦時人権侵害が,表に出され,責任追及が激しくなる可能性がある。

戦争から平和へ――その移行の総仕上げとなる国会・州会ダブル選挙において,移行期正義はどうあるべきかも問われている。

■オカルドゥンガ(赤印)

[1998]
*1 DEWAN RAI, “Apex court denies clemency to murder convict Dhungel: Issues mandamus order to send Maoist leader to prison for life,” Kathmandu Post, June 24, 1998
[2010]
*2 INTERNATIONAL COMMISSION OF JURISTS, “ICJ urges the Government of Nepal to cease obstruction of justice,” ICJ, 5 October 2010
[2011]
*3 Advocacy Forum, “UJJAN KUMAR SHRESTHA,”
http://advocacyforum.org/fir/2011/10/ujjan-kumar-shrestha.php
*4 KANAK MANI DIXIT, “The lords of impunity,” Nepali Times, #578 (11 NOV 2011 – 17 NOV 2011)
[2014]
*5 “Jail-sentenced former Maoist cadre arrested & jailed,” Kathmandu Post, May 13, 2014
*6 Pranab Kharel, “SC to begin fresh hearing on appeal against Dhungel,” Kathmandu Post, Sep 5, 2014
[2016]
*7 NABIN KHATIWADA, “No presidential clemency for Bal Krishna Dhungel: SC,” Republica, 07 Jan 2016
*8 Nabin Khatiwada, “SC body again tells police to arrest murder convict Dhungel,” Rpublica, December 27, 2016
[2017]
*9 Deepak Kharel, “‘Murder-convict Dhungel hasn’t been arrested because police don’t want it’,” Republica, January 6, 2017
*10 “Prachanda Talks About Balkrishna Dhungel,”
http://khabarvideo123.blogspot.jp/2017/02/prachanda-talks-about-balkrishna-dhungel.h
tml
*11 Anil Bhandari, “Murder-convict Dhungel felicitated in Okhaldhunga,” Republica, March 14, 2017
*12 “Issue arrest warrant against Bal Krishna Dhungel: SC orders IGP Aryal,” Kathmandu Post, Apr 13, 2017
*13 “Supreme Court tells police to nab Bal Krishna Dhungel in a week,” Himalayan Times, April 13, 2017
*14 “Rule of lawlessness: The row over Balkrishna Dhungel inaugurates a new turbulence,” Indian Express, April 17, 2017
*15 “Contempt of court writ filed against IGP Aryal,” Kathmandu Post, Oct 24, 2017
*16 “IGP charged for neglecting Supreme Court’s verdict to arrest Dhungel,” Republica, October 24, 2017
*17 Shirish B Pradhan, “Maoist party leader arrested for murder during Nepal civil war,” Outlook India. 31 OCTOBER 2017
*18 “CPN (MC) demands prompt release of Dhungel,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*19 “YCL demands immediate release of Dhungel,” Kathmandu Post, Oct 31, 2017
*20 “CPN-MC calls for Dhungel’s release,” Himalayan Times, October 31, 2017
*21 “Finally, murder-convict Dhungel arrested, sent to jail,” Republica, November 1, 2017
*22 “Demonstration in Okhaldhunga demanding Dhungel’s release,” Kathmandu Post , Nov 1, 2017
*23 “Murder convict Dhungel sent to prison,” Peoples Review, 2017/11/01/
*24 “Dhungel highlights weaknesses, as well as promises, for conflict victims seeking accountability” Kathmandu Post, Nov 2, 2017
*25 Vinita Rawat, “Nepal: Arrest of Maoist leader Dhungel raises hope of justice for war-era victims,” The aPolitical | 02/11/2017
*26 “Search for truth and justice continues in Nepal: ICJ; Says arrest of Maoist leader Dhungel highlights weaknesses, as well as promises, for conflict victims seeking accountability,” Kathmandu Post, 02-11-2017
*27 “Half a milestone: Maoist leader Dhungel’s arrest for war-era murder should now be followed by broader prosecution,” Kathmandu Post, Editorial, Nov 2, 2017
*28 Ritu Raj Subedi, “Arrest Order Against Dhungel A Blow To Prachanda,” Rising Nepal, 4 November 2017

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2017/11/19 at 21:02

ハンスト闘争の政治的効果

ネパールにおける2つのハンスト闘争が,政府を動かし始めた。

一つは,人民戦争末期のクリシュナ・プラサド・アディカリ虐殺事件。母ガンガマヤが公正な裁判を求め,ハンストを続けてきた。(参照:戦時犯罪裁判要求,プラチャンダ首相の覚悟は?(1) (2)(3)) これに対し,チトワン郡裁判所が9月25日,審理再開を発表した。被告は13人。主犯とされるチャビラル・ポウデルは逃走中,8人は保釈中(2014年4月17日決定),そして2人は行方不明。裁判所は,必要ならさらに証拠を調べるが,不要なら結審し判決を下すことになるという。

もう一つは,ゴビンダ・KC医師による医科教育改革要求。(参照:ゴビンダ・KC医師のハンスト闘争) 議会は9月25日,ダニラム・ポウデル教育大臣提出の「ネパール医科教育法2073年」に関する議案の審議を開始することを決議した。

以上の二つの動きは,ハンスト闘争により要求されてきたものである。その意味では,ガンガデビやゴビンダ医師のハンスト闘争は一定の成果を上げたといえるが,結果がどうなるかは,まだわからない。クリシュナ・アディカリ虐殺事件裁判にも医科教育改革にも,大きな利権が複雑に絡み合っているからである。

160819 160907
■ハンスト中のガンガマヤ(INSECOnline8月11日)/ゴビンダ医師(保健省FB9月3日)

*1 Parliament endorses proposal on Nepal Medical Education Bill 2073 BS, Kathmandu Post, 25-09-2016
*2 Hearing on Adhikari’s murder case begins, Kathmandu Post, Sep 25, 2016

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/27 at 11:59

ラマ大佐無罪判決,英裁判所(5)

4.英政府の拷問加担責任:ムスタン作戦
英国は,普遍的裁判管轄権によりラマ大佐を逮捕・訴追したが,英政府自身が関与した人民戦争期の重大な人権侵害については頬かむりしてきた。これでは,通訳が見つからないといった不可解な理由でラマ大佐裁判の幕引きを図ったのには裏があるなどと疑われてもやむをえまい。

160915■MI6

英政府は,人民戦争においては,国王政府の側を経済的・軍事的に支援した。特に戦争後期,国王政府が劣勢に陥ると,諜報機関MI6(Military Intelligence, Section 6)を動員して「ムスタン作戦(Operation Mustang)」(2002~06年)を強力に支援した。諜報作戦用の秘密施設を4つ開設し,備品を整え,王国軍軍人や「国家調査局(NID)」要員を訓練した。

この「ムスタン作戦」については,従来あまり知られていなかったが,ジャーナリストのトマス・ベルがその著『カトマンズ』(2014年)でその内幕を暴露し,大問題になった。著者によれば,英国と「ムスタン作戦」の関係は,次のようなものであった。

160915a160915b■トマス・ベルFBより

「ムスタン作戦に参加したネパールの情報機関要員や軍将校らによると,英国援助により彼らの作戦は大幅に強化され,約100人を捕らえることが出来た。/ 正確な人数はわからないが,捕らえられたものの何人かは拷問され,失踪した。」(*1) たとえば,人民解放軍のプラシャント(サドゥラム・デブコタ)司令官。2004年,ムスタン作戦で捕らえられ,6週間後,首をくくって死んでいるのが発見された。しかし,当局は自殺と発表しただけで,調査はしていない(*1,2)。

このように,ムスタン作戦で相当数のマオイストやマオイスト容疑者が捕らえられ,拷問され,何人かは殺され,あるいは強制失踪した。秘密作戦のため,実数ははっきりしないが,相当数の犠牲者が出ていることに間違いはない(*2)。

では,英国政府は,このことを知っていたのか? 英国外務省報道官は,こう説明している。

「情報活動については,繰り返し説明してきたように,コメントはしないが,英国は拷問や残虐で非人間的で人格を否定するような処遇や処罰を要請したり,教唆したり,見て見ぬふりをしたりはしない。」「どのような状況においても,英国要員には,そのような行為をする権限は与えていない。われわれは,そのような行為をしないし,他の人々に依頼してそのようなことをさせたりもしない。」「第三者により拷問がなされるとわかっていて,あるいはそう考えられる場合,それに関わる行為を許可することは決してない。」(*1)

この英国政府の公式見解に対し,トマス・ベルは,こう反論している。

「[インタビューしたあるネパール軍将校によれば]彼らは,英国人としては人権を考慮しなければならないと思っていたかもしれないが,しかし彼らが,捕らえられた人々に何が起こっているかについては正確に知っていたはずである。」(*2)「英国は,・・・・拷問絶滅を呼び掛けながら,実際には,拷問されるに違いないとわかっている人々を捕らえさせるため,極めて大きな援助を極秘裏にしていたのである。」(*1,2)

また,人権監視(HRW)アジア局上席研究員デジシュリ・タパも,こう述べている。

「2002年までに,ネパール軍は即決処刑,拷問,保安拘禁をする残虐な軍隊として知られるようになっていた。そのような軍隊を支援するのは,虐待や免責を擁護・促進するに等しいことだ。」(*1)

それだけではない。トマス・ベルによれば,「ある人々は,移行期正義を利用して紛争の一方の当事者であるマオイストをもっぱら攻撃している」(*3)。また,父親を警察に連行されたマンジマ・ダカールも,移行期正義がNGOのための「人権産業」になっていると指摘し,「紛争中に国軍が行ったことが忘れられようとしている。移行期正義をこのように政治化することが真実と和解にとって役立つはずがない」と厳しく批判している(*3)。

英国MI6はスパイ諜報機関であり,その活動にはつねに秘密がつきまとう。しかし,西側諸国にとってネパール・マオイストが殲滅すべき左翼過激派であったことは明白であり,事実,アメリカは2012年まで「テロリスト」指定を解除しなかった。したがって,そうした状況を考え合わせるなら,MI6が「ムスタン作戦」におけるマオイスト拷問を黙認し,結果的にそれを助長したとするトマス・ベルらの批判には,相当の説得力があるといってよいであろう。

もしそうだとするなら,欧米の普遍的裁判管轄権を主張する人権諸団体は,なによりもまず自国政府による外国での重大な人権侵害を告発し,厳しくその責任を問うべきであろう。

*1 “Britain accused of conniving at torture of Maoists in Nepal’s civil war,” The Guardian, 2014/aug/31
*2 “Operation Mustang: United Kingdom’s MI6 aided torture of Maoist cadres,” Kathmandu Post = AFP, 2014-09-01
*3 Gyanu Adhikari, “UK’s ‘covert acts’ during Nepalese civil war,” Aljazeera, 2014/09/19
*4 Robin Pagnamenta, “MI6 ‘complicit in torturing and killing Maoist rebels’,” The Times, August 30 2014
*5 “Kathmandu by Thomas Bell – review,” The Guardian, 2016/apr/24
*6 “An excerpt from Thomas Bell’s fascinating Kathmandu,” Hindustan Times, Aug 31, 2014
*7 Robin Pagnamenta, “UK spy role in Nepal: Book,” Aug. 30, 2014
*8 “Book: UK spies aided torture of Nepal reds,” AFP, Sep 1, 2014

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/09/15 at 18:37