ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

石もて追われるバブラム・バタライ

タライ連帯のためUCPN-Mも制憲議会も潔く辞め,9月29日,颯爽とジャナクプルに乗り込んだバブラム・バタライ氏。大歓迎されると思いきや,マデシの人々の激しい抗議で迎えられ,早々に予定を切り上げ,石もて追われるようにジャナクプルを離れた。なぜか?

バタライ氏は,ジャナクプル訪問に当たって,マデシ戦線側と事前に打ち合わせ,いったんは新憲法焚書に合意していた。ところが,29日の訪問に先立ち,一転,この約束を反故にし,焚書を取りやめにしてしまったという。これがどこまで事実かは分からないが,少なくともメディアはそう報道し,マデシの人々もそう理解していたのだと思われる。

この「裏切り」にマデシは激怒した。バタライ氏がジャナクプル空港に着くと,警察の厳重警戒にもかかわらず,激しい抗議が起こり,車には石が投げつけられた。警察は催涙ガスまで使い,何とかバタライ氏をゴパル・ダルマシャラまで移動させた。

集会は,ゴパル・ダルマシャラ前で行われた。バタライ氏が演台に上りネパール語で話し始めると,激しいブーイングが始まったため,ただちにヒンディー語に切り替えたが,それでも抗議はやまず,演説は,結局,10分余りで打ち切りとなってしまった。

マデシ反政府派は,バタライ氏が演台を降りると,演台を破壊し,火を放った。そして,帰路についたバタライ氏を空港まで追いかけ,激しい抗議を続けた。バタライ氏のジャナクプル訪問は,惨めな失敗に終わったのである。

 151001a■演説するバタライ氏(同氏FB9月29日)

バタライ氏は,いったい何を見誤ったのだろうか? まず,はっきりしているのは,バタライ氏は制憲議会における憲法採択に署名しており,新憲法そのものの破棄は考えておらず,したがって新憲法焚書には与しえなかったこと。彼は,あくまでも成立した新憲法を前提として,それを改正することによってマデシの要求に応えるべきだと考えていたのである。

バタライ氏は,こう演説している。ーーNC,UML,UCPNの主要3党は,マデシの要求を聞くべきだという私の忠告に耳を貸さなかった。「いまやマデシがこの国を動かすときだ。それを支援するため,私はここに来た。」「無視されているマデシ,タルー,ジャナジャーティの諸権利を憲法に書き込むべきだというのが,私の考えである。」「マデシ諸党[と主要諸政党]とのこれまでの約束は,ある程度の時間はかかっても,実行されなければならない。」(下掲新聞記事参照)

つまり,バタライ氏は,カトマンズとタライの間,主要3党とマデシ諸党の間に立ち,両者を仲介すると訴えているのである。

いかにもインテリらしい,良識的な提案だ。インドの後押しも見え隠れする。が,怒り狂っているマデシに,そんなどっちつかずの中途半端な提案が,いま受け入れられるはずがない。味方でないものは,敵。政治が緊張すればするほど,友敵関係は二極化する。その政治のリアリティが,インテリのバタライ氏にはよく分かっていないらしい。

マオイスト最大のイデオローグでありながら,党内において最後まで政治家プラチャンダの後塵を拝さざるをえなかったのも,そのためであろう。

 151001b 151001c■ゴパル・ダルマシャラ(Google)

[参照]
*1 “I came to Janakpur in search of new political force: Bhattarai,” Kathmandu Post, Sep 29,2015
*2 “PROTESTERS TORCH STAGE AFTER BHATTARAI LEAVES VENUE,” Republica,29 Sep 2015
*3 “BHATTARAI ALLOWED VISITING JANAKPUR ON CONDITION OF BURNING STATUTE,” REPUBLICA,29 Sep 2015
*4 “Baburam Bhattarai’s stage set on fire, Ram Chandra Jha beaten up in Janakpur,” The Himalayan Times, September 29, 2015
*5 “Bhattarai’s departure from the party leaves many questions unanswered,” Kathamandu Post,Sep 28, 2015

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/10/01 @ 21:03