ネパール評論

ネパール研究会

初秋の村:別荘生活のすすめ

半年ぶりに丹後の村に行ってきた。文字通りの「負動産」となった村のわが家。窓を開け放って外気を入れ,庭木を電気鋸でバッサリ剪定し,雑草を引っこ抜いて回った。重労働。

それでも,ほっとし,慰められるのが,周囲の自然。彼岸花,野菊,ツユクサなどが咲き,イナゴが飛び,トカゲが駆け,かたつむりが角をふりふり這っている。村にいたときは,日常のありふれた風景であり,美しいとも面白いとも特に感じなかったが,都会からたまに帰ると,自然の豊かさに改めて気づき,心和まされる。

丹後に限らず,地方はどこも人口減少,空き家が急増している。それらの多くは,都会では信じがたいほど安い。なかには維持するにせよ解体するにせよ経費が掛かるので,タダ同然で譲ってもらえる家さえあるという。しかも田舎だから敷地は広い。百坪,二百坪,いや三百,四百坪のものもある。広い菜園付きも少なくない。そうした家屋が,電気・水道付きで,つまりすぐ使える状態で,手に入るのだ。都市住民の別荘に最適ではないか。

別荘は,近代化以降,都市住民の憧れでありステータスシンボルでもあった。彼らは,大金をはたき,軽井沢などに別荘を持とうとしたが,不自然な都会生活から一時的に逃れ,人間の自然(human nature)を取り戻すためであれば,何も別荘のために開発された別荘地に行く必要はない。別荘地は,所詮,人造の疑似自然にすぎない。

いまの日本であれば,自然豊かな地方に行けば,買うにせよ借りるにせよタダ同然で,すぐにでも使える家が簡単に見つかるのだ。都市住民は,このチャンスを見逃さず,地方に第二の家(セカンドハウス)を持ち,その別荘で何日か暮らすことにより,自分の人間としての自然(本性)を取り戻そう。

これは,過疎の地方にとってもチャンスだ。どのような形であれ人が来て住めば,地方は活気を取り戻し,地域社会として蘇るきっかけをつかむことができるに違いない。


 ■畔の彼岸花


 ■彼岸花とカタツムリ/バッタ(食用可)


 ■ツユクサ/野菊

■猫じゃらし

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/09/21 @ 15:29

カテゴリー: 社会, 自然, 文化

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